tommyさんのつぶやき2008年前半

 静岡からレンタカーのトラックで秋葉原電気街にやってきて、歩行者天国に突っ込んで三人を殺害し、更にトラックから降りて歩行者の群集に走り込んで、殺人用として事前に福島で購入した両刃のタガーナイフで4人を殺傷した、青森出身の派遣社員の男の周到で計画的な無差別殺人事件は、自己中心的で、理解しがたく、携帯メールサイトに実況放送的な書込みまでやっていたと言うのだから、何をか言わんやである。

 狂人に刃物とは言うが、おまけにレンタカーを駆って静岡から東京まで、犯行計画にしたがって自分の不満を無差別殺人にぶっつけた行為は、狂人ではなく無軌道、無常識としか言いようがない。犠牲になられた7人の方々にはお見舞いの言葉もない。心からご冥福をお祈り致します。

 最近この種の、理由のない無差別殺人が急増しているように思われる。殺人によって自分の欲求不満を解決しようとしているらしいし、自分の犯罪に対する罪悪感も、被害者や遺族に対する謝罪の気持ちも微塵にないということがとても恐ろしい。
一連の事件を考察するまでもなく、その背景には子育てに大切な教育、特にルールを遵守することや正義感、犠牲・献身、同情心、親切心、博愛心、責任感などの今まで常識と言われて来た躾・教育が脱落していて、自分中心的な利己心、名誉欲、物欲、金銭欲のためには手段を選ばない風潮が顕著に見える。戦後、宗教心までも失い、道徳の退廃している日本人に、心の教育を必要だと感じ、政治と教育に不信感を抱き、日本の将来を杞憂するのは私の妄想だろうか?

 今一度、信頼感に結ばれた親子関係の構築に意を注ぐ必要があるのではないか? 教育は、学力競争ではなく、お互いの人格を認め合った上での切磋琢磨ではなかろうか? 親子関係もまたお互いの信頼感と、敬愛の上に則った生涯教育と切磋琢磨の継続ではないだろうか? ( Jun 13. 2008 )


 国立新美術館のモディリアーニ展に行ってきました。もう以前から計画していたのですが、なんだかんだと忙しさに取り紛れていて、もう会期が6/9日と迫ってきて慌てて出掛けました。国立新美術館に行くのは初めてで、小田急線の新松田から代々木上原で千代田線に乗換えて乃木坂駅が一番便利らしいので、それで行ってみました。
何と、駅からエレベータで美術館入口に到着です。これはこれは便利ですねぇ! 雨だろうが嵐だろうが、ヘッチャラです。

 
  
 モディリアーニは、細長い顔と首や身体の裸婦の絵でお馴染みですが、それだけではない事が、この展示会で初めて知りました。
 モディリアーニは、アフリカ、東南アジア、オセアニア等の原初的な力強い芸術に深い関心を寄せていて、その初期の作品は“カリアテッド”と呼ばれる石の彫刻による造形に力を入れていたのだそうで、後にその造形が彼の独特の絵画へと影響を及ぼしたようです。この展示会では、驚くほど多くの初期のデッサンやカリアテッドが展示されていて、その変遷が良くわかりました。また、映画“モンパルナスの灯”で知られるような極貧の画家の生活を送るわけですが、モデルを頼む事も出来ず、知り合いや恋人をモデルにして肖像画を描いていますが、とても丁寧に描かれている事が良くわかり、バックを単純化して暗く、顔や身体を浮き上がらせている手法がとても素晴らしいと思いました。また、絵が売れず貧乏だったせいか、画商の自画像も多く描いています。

 90点余りのデッサンと60点ほどもある作品という膨大な数の展示に堪能し、今まで知らなかったモディリアーニの生涯と全体像について少しでも理解できた事は幸せであった。この感動を妻と納得できた展示会であった。
 この後、7/1〜9/15まで、大阪の国立国際美術館で巡回展示される予定になっているので、関西の方はぜひお見逃しなく! ( Jun. 8. 2008 )


 ミャンマーのサイクロンによる暴風と高潮による洪水の大災害に引き続いての、中国の四川大地震による被害の規模と死傷者の数は想像を絶するもので、もしも、東海大地震や第2の関東大地震が発生したらどうなるかと、空恐ろしい気がする。

 ミャンマーでは軍事政権が、他国の災害救援隊を拒絶しているため、被災者の救出や復興救援も遅れており、災害の実態も明らかでない。中国も他国の救援隊の受け入れを躊躇している間に生存期間を逸して、多くの死者を出すに到ったし、建物の構造にも耐震性の低いものがほとんどで、被害を拡大している。
更に、僻地、高地に被害が集中し、土砂崩れによる交通遮断によって救出・救援が困難だったり、被害の実態掌握ができずにいる。危機管理に対する政治の対応ができていないようだ。日本の国際緊急援助隊がいち早く中国に到着したが、都市型の災害救援には効果的な装備も、今回の壊滅的な建物の崩壊や土砂崩れに埋没した被災者の救援には歯が立たなかったようだ。

 マグニチュード7.8〜8という、とてつもない大地震だとはいえ、耐震性の低い建物の被害拡大は予想できない怖さがある。また、土砂崩れにより河川の寸断は、湖化した河川の決壊による2次災害の危険が多く、救援や復興にも大きなネックとなっている。
 日本の地震災害防止にも多くの教訓が得られたのではないだろうか? 政府および地方自治体は、直ちに大規模地震災害に対する危機管理体制を至急整備する必要がありそうだ。特に、今回の中国で経験したような学校や、不特定多数が集まる施設の耐震性を再点検し、人的被害を最少限にする対策が必要だろう。( May. 20. 2008 )


 今日、5月5日は子どもの日。皐月の空に鯉のぼりが翻るはずですが、生憎とこの連休の天気は予報通りには晴れませんでしたねぇ。最近は、祝日でも国旗を掲げて祝意を表す家は少なくなってしまいました。殊に、国会が混乱していて、与党・野党共に責任の擦り付け合いで、マスコミまでも一緒になって騒いでいます。

  “鯉のぼり 少子化の風 吹き流す” 

子どもの数も減って、遊びまわってはしゃぐ元気な声が余り聞こえなくなって久しいが、代わりに高齢化社会で老人が増え、何所も彼処も老人の波ですねぇ!(人ごとか! お前も、その内の一人じゃないか?/ごもっとも! おまけに老々介護の口じゃあ!)
 だから、これには二の句があって、

     “老いの身に 医療・介護の 波荒し” 逢鹿

というわけで、楽しいはずの余生に、年金問題や後期高齢者医療制度などは優しさが欠けているように思われるのです。

 日経新聞の“春秋”欄に、子育ての優しさについて、
「遠野では 赤ん坊の周りにバカが三人いねえば 子供は満足に育たねえ といったもんだ」バカ3人とは、赤ん坊と同じ目の高さであやし言葉や遊び歌を何度も聞かせる人のこと、とは児童文学作家の宮川ひろさんの「あて名のない手紙」にある話だそうです。

 子どもの心を育てる「ことば」という母乳を、赤ちゃんの時にどれだけたっぷりともらってきたかが、豊かに育ったの決め手になると、宮川さんは言っているそうだ。

 人に対する優しさが何か、ということが分からない人に優しさを求めることは難しい。まして、優しさを育んでこなかった政治家(だけとは限らないが…)に、国民が優しさを期待することこそ愚かしい、とは思いたくもないのだが…。( May. 5. 2008 )


 中国の正体見たり、聖火リレー! 長野でのオリンピックの聖火リレーの実況放送とその内幕解説のTV報道を見ました。チベット自治区での確執で世界各地の聖火リレーにおいて、中国に対する抗議とリレーの妨害が続発していますが、日本で行われた聖火リレーもコース変更、物々しい警備の強化など、とてもスポーツの祭典・世界親善を目的としたオリンピック・イベントとはとても思えない状況だ。
この異常さに輪を掛けて、全国の中国留学生を総動員して、中華大国旗を連綿と押し立てての群集を見るに及んでは、正に大国・中国ナショナリズムの示威行為以外の何物でもあるまい。チペット旗を持った抗議行動のチベット関係者や支援者たちを圧倒する軍団は、もはやスポーツの祭典という楽しさ、華やかさは感じられないし、日本という国家を無視した行為で、無礼というほかない。

 聖火リレーの隊列への妨害行為も、はたしてチベット側の抗議・妨害なのか? それともチベットの抗議行動を妨害して行われている、妨害のための妨害行為ではなかろうかと勘ぐりたくなってしまう程だ。本当にチベットの現状を訴える行動なら、他国の聖火リレーを妨害して血で汚す行為は、チベット自身への反感とはなれ、誰の共感をも得られはしないだろう。何れにしろ、スポーツの場に政治を持ち込んだ両国関係者の行為は、オリンピック史上に拭いきれない大きな汚点を残した。
 改めて、今一度オリンピック憲章を紐解いて見る必要があろう!( Apr. 26. 2008 )


 いま話題の「ねんきん(何で平仮名なの?)特別便」が我が家にも届きました。サラリーマンの私は、特に調査するほどの事もありません。「もれ や 間違い が ない」に〇で終り! 何とムダな作業をやらせることょ! 何にも考えないで、対象者全員にこの調査用紙を発送しているのかねぇ? 調査の必要な対象者にしてみれば、こんな面倒な調査をしなければならないのなら“や〜めた!”と調査用紙をゴミ箱へポイッ、ではないか? 調査が必要なのは社会保険庁ではないのか? 国民に調べさせるために調査用紙を全対象者に丸投げする気なのか? 記入方法がわからなければ、社会保険事務所へ聞きに来いか? 社会保険事務所で分らないから、調査対象者にこの調査書を配布しているんじゃあないの?

 一体何をやろうとしているの? 暇っつぶしに自分たちの仕事を作っているの? これって、莫大な費用を税金使って、それこそ税金のムダ使いじゃないの? おまけに、この調査用紙を返送する封筒が小さくて、三つ折を半分に折り畳んでも、キチキチで入れるのが大変!(三つ折を、また三つ折するんだょ!/…?) これじゃあ、又取り出すのも一苦労だぁ!(破けばいいんだょ!/…?) 何でわざわざ返信封筒をこんなに小さくしたの?(経費がかさむからコスト削減だぁ!/…?)
 厚生労働大臣も厚生労働大臣だが、福田総理をはじめ政府与党の関係者は、如何考えているの? 調査時間とそれに要する経費、人件費は一体どうなっているのか、本当に調査ができるのか心配になってきた。結局、調査完了せず、判らぬことが判っただけで、誰も責任取らず、問題のお役人たちは天下って知らぬ顔。政府与党は、責任果たさず解散総選挙? 国民はバカにされているんじゃあないのかねぇ?( Apr. 24. 2008 )


 「年をとると時間のたつのが早くて、一年なんてアッと言う間」だと昔からよく言われてきましたが、これを“時間の長さの主観的評価は人の年齢の逆数に比例する ―― この経験則を心理学でジャネーの法則と呼ぶ”と、特別編集委員の安岡崇志さんが「Sunday Nikkeiα」の“遠みち 近みち”欄で「団塊とジャネーの法則」で、メディア文化論ご専門の稲垣法政大教授の興味あるお話を紹介しておられます。

 その一部の要点を紹介しますと「…テレビドラマの新旧作で比較すると、同じシーンの3分間で、画面を切り替えるカット数を計り演出のテンポを比べると、1979年の旧作では23カット、2004年の新作では83カットあった。前作を見た時25歳だった人は、新作の時には50歳だ。ジャネーの法則に従えば、時間を2倍の速さに感じていた事になる」
だから定年人口が多い現代では、テンポの速い番組は敬遠されるだろうと言う事になりますが、事実、私が最近のテレビドラマやニュース報道等で、画面の切り替えが速くて、内容を理解し難くなっていると何度もつぶやいており、最近のテレビは騒々しいだけで、心にゆとりが生まれないと嘆いていたところなのです。

 以前、時間の寿命の問題で「象の時間とねずみの時間」でからだの大きさと時間感覚についてつぶやいた事があって、大きな身体の動物は時間がゆっくり流れると言うことでしたが、年を取ると身体まで縮んで(メタボの人は別として…)しまいますし、まして私などは、戦後の栄養失調で大きく育っていないせいかも知れないと、ひがんでいたのですが…。  ところが、話には続きがあって「光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのと同じに、人間には時間を感じとるために心がある」というミヒャエル・エンデの時間と人間の物語「モモ」の一節を挙げて“心の持ちようが若ければ、ジャネーの法則は当てはまらない”のだ。
 ということは、昨今のテレビドラマや音楽のテンポの速さや理解力の落ちている我々は、年を取っているからではなくて、こころの若さが低下しているのが原因なのか? 何時までも元気で若さを保っていれば、世の中のテンポが速くなろうが、問題ではないってことになりますねぇ!(心の年齢で決まるってことか?/脳の老化のせいだと思うがなぁ/相乗作用じゃないの、お前のは!)

 いずれにしても、時代の速さを変えるわけにはいかないんだからねぇ!“老兵は語らず、また悲しからんや”( Mar. 30. 2008 )


 日経新聞の連載小説『望郷の道』は、日に日に感動するとても素晴らしい展開で、毎日、朝刊が届くのを待って貪り読んで感心しています。これは是非とも、今の、党利党略に溺れた政治家や倫理感覚の薄れた経営者に、シッカリ受け止めて欲しいと感じています。

 作者は、北方謙三氏で、物語は、九州で石炭運搬舟を操るあばれん坊の正太が、賭場を取り仕切る、緋鯉の刺青をもつ姐御のもとへ婿入りする事から始まりますが、これがまた、博打の喧嘩出入りの派手な活劇かと思いきや、賭場の嫌がらせから刃傷沙汰に発展し、大親分の仲裁で三方痛み分けで、正太は九州に居られなくなり台湾へ渡り、コツコツ働きながら銭を貯めて商売を始めるという展開になるのですが、意外や意外の連続で、毎朝、新聞小説から目が離せなくなってしまっています。

 また、この連載の挿絵が、天明屋尚氏で、これまた何とへんてこな挿絵と思っていたところ、物語が進むにつれて絶妙な筆致で、思わずうなってしまう。と言うのも、挿絵が小説を邪魔しないばかりか、挿絵は挿絵で物語を組みたてて行くというふうに、この挿絵がなければ、この物語も進んで行かない気がしてくるのです。作家も天才なら、挿絵画家も天才というべきか? これまでこんなに面白く、こんなに感動する新聞連載小説に出会ったことはありません。物語の内容も、単に任侠物語や商売の苦労話でもないのです。起業とは何か、商品を造り、如何して顧客の心を掴むか、品質とは何か、人を教育するとは如何いうことか、管理するとは何か、この物語から学ぶ事は広い範囲に及ぶ。今の政治家や企業経営者に欠けているものは何かが明らかになってくるような気がする。そんな不思議な物語であり、毎日が楽しみな、展開が小気味良い、そして力強い小説でもあるのです。

 単行本でも刊行されるでしょうから、是非ともご覧になっていただきたいと思います。私もまたこの作品で楽しみながら、これからの人生についても学んでいこうと考えています。( Mar. 28. 2008 )


 国際柔道連盟(IJF)が、オリンピックなどの国際柔道大会で適用している試合の判定に、「効果」のポイントを廃止する事を決めた、とあります。やっと日本の柔道の、というより武道の真髄が理解されて来たのかと、本当に嬉しくなりました。

 私も高校から青年時代まで柔道で活躍(?)していたこともあって、国際柔道大会でのルールに大変疑問を持っていました。その判定基準は、「1本」、「技あり」はともかく、「効果」や「有効」等の判定基準はすこぶる曖昧で、勝負は相手を完全に制することで決まるものであり、「効果」や「有効」などの決め手のない形は、単に優劣が微妙な場合の最終的な判断の材料でしかないように思うのです。そのため、自分の試合を有利に導くためには、意識的に多少反則すれすれでも強引なワザで点を稼いでおくことが必要で、これが見難い組み手争いに終始する事になったり、相手が気を抜く場外で技を仕掛けたりすることになって、勝つ事だけに拘って(メダル中心で)試合が雑で面白みに欠ける結果になっていたのではないかと思っています。

 武道といっても競技ですから、引き分けもあるわけですが、これも勝負を決めるために優勢の判定が下されて決着をつけるわけですが、本来なら延長、無制限1本勝負などという手もないではないかとも思うところです。最後は体力の勝負となるわけですねぇ。

 オリンピックなどは、結局、国対国の威信を掛けた勝負ですから、個人戦だけでなく、体操のように“団体戦”等があっても面白いのではないかとも思います。

 マラソンなども個人戦ですから、国内の選考会での結果に運、不運が選手生命を左右する事があります。これも、日本で行われている“駅伝”をオリンピック種目に加えたら、観客も熱が入るし、国際親善にももっと貢献するのではないかと思っています。それに短い距離を走るのですから、何も外国へ遠征してトレーニングする必要もなくなるのではないかとも思いますが、如何でしょうか? もう、メダル争いもいい加減にしたら、という気がしますが…。( Mar. 14. 2008 )


 北京オリンピックの最終選考会となる全日本女子マラソン広島大会を妻と2人で見ました。むろん、この大会に最後の望みを掛ける“Qちゃん”こと、高橋尚子選手のことが心配だったからです。

 彼女は故障が多かった事もあって、長い間国内のマラソン大会で走ってもいませんし、北京オリンピックに向けて外国での練習や調整に専念していて、日本での環境や大会の雰囲気から遠ざかっているため、名古屋のレースに上手く適応できるのかどうか心配です。年齢(35)も、もう若くはありません。もともと彼女のマラソンは、レースの駆け引きなど関係が無く、自分のその時の調子や感覚に応じて走る自然感覚派ですから、今回のマラソン大会のように北京オリンピックへの出場キップを掛けて走るなどというのは、ストレスがかかり、目的的で彼女には相応しくない行動です。

 また、2001年のベルリン・マラソンで2時間19分46秒の世界新記録で優勝した後すぐに、シカゴ・マラソンでヌデレバ選手がそれを上回る2時間18分47秒という驚異的な記録を樹立され、記録の目標が2時間18分になっているので、更にスピードが彼女の課題になっています。それ故、その課題を克服して臨んだ2003年の東京国際マラソンでしたが、エチオピアのアレム選手に遅れて、2時間27分などという平凡なタイムでまさかの2位に甘んじたこともあり、今回ではそれを克服するための走法を研究して臨んでいるでしょう。そのような手段に拘泥する事こそ彼女の流儀に相応しくないと思うのです。

 やはり、楽しく走って結果は後からついてくるんだと、表彰台で笑ってほしいのです。そんな私の心配が当ってしまいました。

 マラソンがスタートして、先頭集団が固まって見えてきました。何とそのペースの遅い事!どう言うわけだと、妻と顔を見合わせました。それに、集団の先頭に高橋尚子選手の顔が見当たらないのです。こんなスローペースなら当然彼女は先頭を切って走っていなくてはなりません。スピードが課題なのですから。ところが、何と彼女の姿は集団の後に見つかりました。それも、ちょっと走り方が何か変なのです。しばらくすると、先頭集団からずるずる遅れ始めたのです。
その全身を見て妻が叫びました「何、あの瘠せギスなこと!」
顔もそうでしたが、脚も筋張っていて栄養不良児みたいです! この前それで最後にエネルギー切れでアレム選手に追いつかれたのではなかったでしょうか? でも、身体の調子は何処も悪くないように見えますが、脚が思うように上がっていませんし、手の振りもいやに小さいのです。走りながら彼女自身首を傾げていますし、鼻水が出ているのか頻繁に鼻を擦っています。どうも自分の思うようにペースが上がらないようなのです。これでは集団について行けません。結果は27位だったようです。何しろカメラで写してもらうどころではありませんでした。折角の北京オリンピックへのキップもフイになってしまいました!

 一方、レースは意外な方向に進みました。このスローペース集団が25km辺りから変化を見せました。注目の弘山選手がトップに踊り出しました。ちょっと早過ぎるのではないかと思いましたが、その後も原、坂本、堀江選手等が入れ替わり立ち代り積極的に出てきました。ところが32km辺りで、マラソン初の天満屋の中村友梨香選手(21)が飛び出しました。マラソン初ではちょっと早すぎるペースです。ぐんぐん飛ばします。それに続いて、これもマラソン初の小柄な加納由理選手と尾崎好美選手が食い下がります。しかし、中村選手との差は縮まらず、中村友梨香選手が逃げ切って2時間25分51秒で初優勝を飾りました。そのあと尾崎選手が加納選手を凌いで2位でゴールしました。弘山選手(39)は残念ながら9位に止まりました。でも良く頑張りましたねぇ! Qちゃんも、また自然体に戻って趣味の走りで、元気に復活して見せて下さい! 皆んなで楽しみにして待っています。( Mar. 9. 2008 )


 イージス艦と小型漁船清徳丸との衝突事故の問題は、沈没した船の2人の漁師が行方不明のまま未だに見つかってはいませんが、事故の状況を解明して行く内に益々イージス艦の不手際が明らかになってきました。それなのに、未だに石破防衛長官からも福田総理からもハッキリした説明がなされておりません。イージス艦「あたご」の館長や見張り員、当直士官を呼べば当夜の事実関係は直ぐにわかるはずです。それが明らかにされないと言うのは事実の隠蔽が行われているとしか思えないと考えるのも仕方のない事です。

 何しろ、当夜出漁した僚船のGPSレーダーの航跡記録が残っているというのに、最新鋭イージス艦のレーダーの記録が残されてないと言うのです。航海日誌も空白でしょうか? 自動操縦のまま速度も落とさず規則で定められた回避操作も実行されなかったようです。また、付近を航行していた漁船群をレーダーで探知していなかったようなのです。更に、衝突沈没させたことを全く認識していなかったようなのです。
衝突沈没を感知していなかったから、救助活動もしなかったのでしょうか?
 また、何で真っ暗闇の早朝の、漁船が出漁する時刻に、わざわざ航行の危険を犯してまで入港を急いでいたのでしょうか?
出漁する漁船は沢山いたわけですから、速力を落とすとか、サーチライトを点灯するとか、警笛を吹鳴するとかを何故しなかったのでしょうか?(漁船側は、警笛など聞いていないようです)

 考えれば考えるほど疑問(と言うより疑惑か?)が深まってきます。政府の調査・回答にも納得がいきませんし、防衛省の対応や調査結果の回答も何時になるのか分りません。我が国の一番重要な危機管理を必要とする防衛省がこの体たらくでは、やはり省への格上げは時期早尚ではなかったのか? それにしても自衛艦が、民間の漁船を衝突・沈没させ、2名の行方不明者を出していると言うのに(これだけ大勢の漁船で捜索して発見できないのでは、操舵室に閉じ込められたまま沈没しているのでは?)、政府の対応の遅さや悪さはどうでしょう? 政府自民党と公明党に日本の政治を任せておいて大丈夫でしょうか? 早急に政治大改革が必要なのではあるまいか? 日本の先行きに不安を感じてきました!

 度々言うようですが、“牛尾治朗氏の「現代の帝王学」によると…”と“政治家の頭の中”が的中しているような気がしてなりません。( Feb. 23. 2008 )


   東芝がビデオディスク戦争でソニー陣営のブルーレイディスクに敗れ、HD−DVDの事業撤退を決めたそうです。20年ほど前のVTR戦争、ソニーのベータ・マックスと、ビクター陣営のVHSで、ソニーに荷担した東芝は手痛い目にあいましたが、今回は、東芝が開発したHD−DVDをもってソニーの向こうを張ったわけですが、今度は、前の轍を踏まないよう慎重にグループ作りをした盟友ソニーにしてやられました。

 HD−DVDとブルーレイディスクの2規格が出た時、誰もがまたVTR戦争の二の舞が起こるのではないかと危惧しました。VTRの場合と同じように画質の優劣ではなく、消費者のニーズにどう答えるかで、方式を統一する事でした。そのため当時ビクターは、VHS規格を採用するグループ作りに専念したと言います。対してソニーはベータ方式の画質性能に拘ったわけです。
 今回も同様の事が云えます。長時間録画のブルーレイを取るか、コストの安いHD−DVDを取るかという選択になると思いますが、ここには一般消費者のことが忘れられています。良く考えれば、できる限り一つの規格に統合して(または双方が歩み寄って)、消費者の便を図るべきだったでしょう。VTRの教訓がここには活かされていませんでした。単に、2社の競合だけに拘ったのです。

 これは、何もVTRやDVDだけの問題だけではありません。NHKが2011年から全面的に切り替えようとしているデジタルテレビ放送も同じ事がいえます。2011年には、現在のアナログ放送が全面的にデジタル放送に切り替えられて、手持ちのアナログテレビは使用できなくなるのです。(じゃあ、アナログテレビを買取ってくれるの?/まさかぁ〜、D−A変換チューナでも買わせるんじゃないの?/お金無い人どうする?/ラジオでも聴いてたら?/ラジオもデジタルになったら?/そこまで知るかぁ!)デジタル放送の技術的利点は色々ありますが、それが私達一般人にとってデジタルテレビに買い換える必要性がどれほどあるのでしょうか?
 既に、BSハイビジョン放送は昨年の9月30日をもって一方的にデジタル化され、アナログで視聴していた私達は観ることが出来なくなってしまいました。NHKの暴挙としか云いようがありません。視聴料を払って受信していたアナログ・ハイビジョン受像機を所有してる私達視聴者に対して、何の理由説明もないまま廃止されてしまいました。デジタル放送に切り替える11年までには、まだ3年余りも残っているのにですよ!
NHKの責任者である会長が更迭されるのは当然です。

 今回のHD−DVDの問題にしても、既にHD−DVDレコーダーを購入して楽しんでいる人達も大勢いられるでしょう。βやVHSの場合と同様です。たまたま早く見切りをつけて撤退を決めたため被害者が少なくて済むようですが、購入した本人にとって見れば100%被害を蒙るわけです。企業の信用にかかわる問題でしょう。技術者の傲慢と自社の利益だけしか考えていない経営者の傲慢×2のなせるワザでしょう。今の政治と何処か共通するところが有りはしませんか?

 話しは違いますが、小さな漁船と衝突して漁船が真っ二つになり、2人が行方不明になっているイージス艦の船舶事故にも“漁船など、そこのけそこのけイージス艦が通る”と、国を守っている海上自衛隊の艦船の方が漁船より偉いんだ! という驕りはなかっただろうか? 国を守り、国民を守るのは防衛省の職務であって、国民1人1人の利益と安心・安全を保証することが一番大切なんですよねぇ!( Feb. 20. 2008 )


 立春を迎えて、氷雨から一挙に暖かな小春日和となりました。昨夜の節分には、恒例の豆まきをやりましたが、朝青龍や白鵬のように、美男美女の群れに向けてまくわけではありませんから、薄暗い闇に向かって“福は内、鬼は外”と近所迷惑にならないような忍び声ですから、もう年寄りの鬼や福の神には良く聞き取れず、うっかりして鬼が呼ばれたと勘違いして、ぞろぞろ家の中へ入ってこられたんでは目も当てられません。

 毎年やっているんですから、少しくらい顔馴染の福の神はいないんでしょうか?
「福は内、福は内、今年こそはと力込め」。第一生命のサラリーマン川柳ではありませんが、年寄りや独居老人、障害者などの弱者にしわ寄せの格差社会に棹差して、上流目指して希望のある福祉社会を実現させたいですねぇ!

 それにしても、中国の天洋食品の冷凍ギョウザでの中毒事件は、大変大きな問題になってきました。何しろ問題の殺虫剤、メタミドホスがどうして混入されたのか、キツネにつままれたような状態です。日本ではあまり聞きなれない名前だと思ったら、日本では使用が禁止されている危険な殺虫剤だそうです。中国では、まだ規制が十分行き届いていないらしいのですが、北京オリンピックを控えている中国では、のっぴきならない事件となって何とか解決をつけないと国際問題に発展しかねません。

 ところで、この事件は日本の食生活の大半を中国からの輸入に頼っている現実を改めてあぶり出し、日本の食糧自給率の低さを嫌と言うほど見せ付けられる事になりました。元より、日本の食糧自給率だけでなく、ガソリン価格の高騰やら、レアメタルの入手困難から、資源の無い国の悲惨さを実感する事になりました。飽食社会の日本が、食糧などを自給できないのは何とした事でしょう。地球環境問題から見ても、食品のマイレージの問題として、食料の輸送には多くのエネルギーが必要となって、それでなくても日本の温暖化防止のCO2の削減“−6%”の達成が危ぶまれているわけです。この際、食糧自給率の低さを再認識して、飽食やムダを省き、曲がりキュウリや虫食いの菜っ葉(虫だって食べる安全の証しですよ)を敬遠しないで、見てくれが悪くても、値段が多少高くても、安全な国産の野菜や食材の地産地消を奨めなければなりませんねぇ。
 また絶対量の不足も、飽食を止め、食べ残しや廃棄のムダをなくせば(ケニアの環境福大臣のワンガリ・マータイさんから逆輸入の“もったいない”精神で)緩和できるのではないでしょうか? ちなみにtommyさんも50u程の畑を借りて、少しばかりの野菜を自給しているのですよ。( Feb. 5. 2008 )


 ここのところ寒い日が続いていましたが、朝起きて見ると一面の雪景色です。寒いのは好きではありませんが、やはり冬は冬らしく雪が降って、雪だるまを作ったり、雪合戦をやったり、氷が張って滑ったりしないと季節感がわきません。

最近は地球温暖化のせいで気候変動が激しく、夏が涼しかったり、冬が暖かくて貧乏人は助かりますが、日本特有の季節を愛でる趣が無くなりました。

 今年は珍しく、「大寒」の今日(1/21)に、絶妙のタイミングでこの積雪となりました。おかげで暖房繁盛、はたまた二酸化炭素(CO2)の排出量が増えて、温暖化を後押ししますねぇ。だから我が家は、ガマン、がまん、我慢で、厚着して震えています。追い討ちを掛けるように、灯油やガソリンの価格が高騰し、政府もその対策に汲々としています。

 民主党などは、30年間もずるずる続いているガソリンの暫定税制をやめてガソリンの価格引き下げを狙っていますが、政府与党は、貴重な道路財源を死守しようと躍起です。私などは、高いガソリンを節約する絶好のチャンスと、自動車に乗らないでCO2の削減に邁進しています。余分な自動車の生産も低減でき、運輸業界も運転を節減できれば、京都議定書のマイナス6%達成にも寄与できるのですがねぇ! 政府は全世界に先駆けて、全国民に“オシクラマンジュウ”を奨励して、省エネと健康増進を図ったらどうでしょうか?(相手がいない人はどうするかって?そんなこと知るかッ!“オシクラマンジュウ”のブログ・サイトでも立ち上げて、共犯者を募集したらァ?)

 何はともあれ「冬来たりなば、春遠からじ」、暖かい“は〜るよ来い!”ですねぇ!
それまでは、鍋の大根や里芋をつつきながら熱燗で一杯、これに限りますッ! 暖房より何より、身体の芯から温まります。(そうだ、冬期に限る暫定“熱燗”補助法案を提出しようっと!/…で、誰が?/超党派でつくる“のんべえ議員連盟”)

 そんなことより、インド洋で無償で供給する“油”が有るなら、国内で無償のガソリン供給して頂戴ッ!( Jan. 21. 2008 )


 明けましておめでとう御座います! みなさま、良いお正月をお過ごし頂いておりますでしょうか? 皆様方のご健康とお幸せを心よりお祈り申し上げます。また、今年もtommyのホームページに変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。
 今年こそ、明るい話題一杯で、誰もが等しく恵まれるような、偏見・格差の無い公平・平等で平和な社会が実現できますよう心から願っております。

 また今や、世界中に地球温暖化の影響が大きく広がっております。一国の利益や我侭で地球上の全ての生命を危機に晒してはなりません。1人1人の努力で、この青い地球の自然環境を少しでも早く回復させるために、みんなで力を合わせましょう!( Jan. 1. 2008 )


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