tommyさんのつぶやき2004年前半

 パンパカパー、パンパンパンパ、パンカパ〜ン !!!

 貴方のご支援のお陰をもちまして、この拙いホームページへのアクセス・カウント数が 20000 カウントを達成することが出来ました。厚くお礼申し上げると共に、益々、皆様方のお役に立てるようなホームページとなるよう、更なる努力と勉強に努める所存ですので、今後とも相変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。

 近頃は、暗いニュースばかりで落ち込んでおりますが、私たち一人一人が明るい社会を築こうとする意識と努力をすることが大変重要なことではないかと考えています。

 それに比し、各企業の経営者などが、自社の利益と繁栄のためだけに、リストラや企業合併、社員の処遇制度(信賞必罰?)などの改変を行っているように感じますが、これなどを見ていますと、社員やその家族のことのみならず、社会への還元や責任と義務を全く失念しているのではないかと思えますし、政治にいたっては、国民の利益や感情を無視した制度改革や国会での無謀な審議が行われているように思われます。

 経済的な繁栄を追及するあまり、人本来の心を置き忘れた政策や行動ばかりが目立ち、テレビや雑誌等のマスメディアや、文部科学省の統括する学校教育までもが子どもの心の荒廃を助長するような傾向があるように感じるのは、私の考え過ぎでしょうか?

 人間が生きるという原点に立ち戻って、お釈迦様の悟りである“仏教”を改めて見直す必要があるのではないかと思います。お釈迦様が予言された“末法の世”が、既に私たちを取巻いています。世界の平和と環境が脅かされています。私たち一人一人がそれに気づいて意識し、行動しなければ平和な世界を取り戻すことはできません。一人一人は微力でも、みんながベクトルを合わせて努力すれば、世界は必ず変わると信じています。貴方の世界平和への意識と行動を心から望み、そして信頼しております。( Jun. 17. 2004 )


 恐ろしい凶悪な事件が、それも小学生の6年生の女児が、同級生の首をカッターナイフで切って殺害するという、いくら考えてみても信じられないことが起こったのです。

 この事件報道を、どう解釈するか、頭の中で混乱して、現実とも思い難く、事実だとしたら、その原因や理由がまったく思いつかないのです。ただ、自分達の孫は大丈夫だろうか? そのような子育てになっては居ないだろうか? という心配が私の頭をよぎりました。常々、子供たち(孫ではない)に子育てや躾についてうるさく言うために、子供たちからはうるさがられていますが、何時の世でも、親の役割は、良い子育てが最優先なのですから…。(子供に苦労はさせられないから、金儲けが先、だって? やっぱりなぁ!/だからぁ、幼児保育施設や学童保育所がもっと必要だし、公明党の児童手当ての倍増を期待してんだょ/子どもがそれを要求してるってか?)

 この事件を知って、先ず初めに目に浮かんだのは、大刀を振りかぶって、罪人を処刑する首切り役人の姿でした。目隠しをして椅子に座らせて、カッターナイフの刃を刀のように伸ばして、相手の女の子の首に、躊躇いもせず切り下ろす姿は、首切り役人しかありません。理由はどうあれ、相手は自分にとっては極悪人であり、自分は正義の刃で天誅を下すのです。ですから、殺害する理由は正当化され、自分が非難されるはずはないのです。

 恐ろしいことですが、そういう子供たちが増えつづけているのです。そういう環境の世の中を、私たち大人が造ってきたのです。政治の世界もそうでしょう。無抵抗のイラクへのブッシュの武力行使で、多くのイラク人が無差別に殺害され、街は爆撃で破壊されて、今もされ続けているのです。最初は大量破壊兵器が目的でしたが、無いとわかるとフセイン政権の壊滅だ、フセインが拘束されると、今度は、アルカイダのテロだと、武力行使の正当化は果てしなく続き、破壊と殺戮は果ても無く繰り返されるのです。それに日本の小泉政権は、自衛隊でアメリカ軍の後方支援を引き受けたのです。正当な理由無き支援は、“人道援助”、“復興支援”と名を変えているのです。そのため、更に正当化するためには、自衛隊の“憲法の改正”が必要になってきているのです

 翻って国内を見ても、国会の審議はどうでしょう? 年金の議員の未払い問題を棚上げしての年金改革法案を、数を頼んでの強行採決は、国民の意向を十分に反映していて、正当な理由となっているのでしょうか? 与党だけの多数決は、議会制民主主義の否定ではないでしょうか? まだまだ有ります。教育基本法の改正、憲法の改正、その他もろもろの審議は、与党の数を頼んでの暴力採決を待つばかりです。今の二院制の参議院を廃止して、もっと多数決のやり易い一院制にしようと考えています。これが正義の形なのでしょうか?

 私たち国民がそういう政府を期待して、選挙で、現在の与党となる多数の国会議員を選んでいるのです。次の参議院議員選挙でも同じ結果になるのでしょうか? 低調な投票率でさえも、“俺一人投票しなくったって…”、“俺一人が真剣に考えて投票したって…”と、投票に行かない理由を正当化しているのでしょう。一人一人が無責任なのです。
 子育てだってそうでしょう。“私たちの子は、事件を起こすような悪いことは決してしない”と思っているのです。例え事件を起こしても、“きっと相手が悪い子なんだ。悪い子に私たちの子は誑かされたんだ”と正当化の理由をまくし立てるでしょう。あるいは、“学校が悪いんだ”、“教育が悪いんだ”、“世間が悪いんだ”と正当化は果てしなく続くでしょう。

 いつものことですが、今回の事件でも、“あの子は成績の良い子で、おとなしい生徒でした。事件を起こすような素振りも見られませんでした”と、校長先生や近所の人達(?)も言いますが、良い子は悪いことをしないし、悪いことをするのは良い子ではないのです。自分達の観察力(洞察力)が足りないのであり、子供に対する管理能力に欠けていたに過ぎないのです。それを正当化するための言い訳に過ぎないのです。

 今回も、事件の再発防止に、インターネットの使い方の指導が必要で、それにはパソコンを駆使できる能力のある教師がほとんどいないと述べているのです。パソコンの使い方、インターネットの使い方を指導すれば、この種の事件が防止できるとでも思っているのでしょうか? 貴方もそう思いますか? 本当にそうでしょうか?
じゃあ、携帯電話でその種の事件が発生したら、携帯電話の使い方を指導して防止しようと言うのでしょうか? パソコンにしても、携帯電話にしても、それらは単なる道具に過ぎないのです。(じゃあ、ソロバンや電卓と同じってか?/そうよ、ソロバンと電卓とどちらを使うほうが難しい?/そりゃあ、ソロバンのほうが難しいさ、頭を使うからなぁ/だから、誰でも使えるものが便利な物なのさ)それを与えているのは親なのです。親がパソコンや携帯電話を持たせて、流行の先端や技術の先端だと得意になっているのではないですか? 子供の教育環境は、親が作り出すのです。それが子育てではありませんか?

 私たちは、物質文明に翻弄されて、地位、名誉、物やお金があることが幸せだと勘違いし、大切な心や命の教育を忘れてしまっています。例え貧しくても、お父さんやお母さんとの楽しい食事や団欒がある、という普通の家庭を忘れているのです。常に他人との比較に汲々として生きているのです。親も、子供たちも、相手の気持ちを考えるより先に、自分の事を優先して考え、“ありがとう”や“ごめんなさい”を言う、謙虚で優しい気持ちを忘れているのです。先ず、“利己”より“利他”の精神を養おうではありませんか? ( Jun. 7. 2004 )


 明日から6月に入りますが、例年よりも10日ほども早く梅雨の入りだそうですが、鬱陶しい梅雨に先駆けて、イラクでは邦人のジャーナリスト2名が襲撃を受けて死亡するという、痛ましい事件が発生しました。また、サウジウラビアでも、石油拠点都市のアルホバルで外国人居住施設が武装集団に襲撃され、16人が殺害されたというニュースが入っていますが、ここでは、邦人に被害が無かった模様ですが、何とも憂鬱な事件ばかりが続きます。明るいニュースはないのでしょうか?

 ところで、ニューズウィーク誌(日本版)6・2号の“世界企業ランキング500”をご覧になりましたか? 世界の中で、日本のある程度の規模の企業で、エクセレント・カンパニーとして認知されているのはどこか? という興味から覗いて見ました。

 昨今は、単なる売上高や利益率、財務の健全性や技術開発力だけでなく、企業の“社会的責任(Corporate Sosial Responsibility…CSR)”も重要な概念として取り上げられるようになりました。BSE問題や自動車会社のリコール隠しなど、跡を絶たない企業の不正事件は、国家の根幹さえも揺るがしかねない問題となってきています。今回のランキングの作成には、“財務力”を「収益性」、「成長性」、「安全性」の3点から各20点を配点し、“社会的責任(CSR)”を「企業統治(コーポレイト・ガバナンス…取締役会の独立性、法令遵守性、倫理規定など)」、「従業員(従業員の機会均等、健康と安全、雇用安定、組合化率、教育・育成、女性取締役の比率など)」、「社会(途上国での人権保護、公正な調達、顧客や取引先との関係、社会貢献活動など)」「環境(環境問題への取組みや成果、自然エネルギー利用の有無など)」の4点について各15点を配点して評価してあります。
 確かに獲得した点数だけで全てを判断できない点もあるでしょうが、企業に対する社会的責任という新しい観点を加えた評価として、一応興味深い結果として見ることが出来る。

 1位、2位は、イギリスのグラクソ・スミソクラインと、アストラゼネカという、共に医薬とバイオの企業ですが、3位は、ノルウエーのスタトイルという石油・ガスの企業です。

 上位50社で、私が知っている外国企業は、5位のフィンランドのノキア(IT企業)、9位のアメリカのファイザー(医薬・バイオ)、同じく25位でアメリカの3M、33位のインテル、45位のイーストマン・コダック、47位のコカ・コーラ、そして、36位のドイツのバイエル(化学)、同じく37位のBASF(化学)位でしょうか。
 では、世界企業に混じって、わが国の企業がどういう位置にあるのかを日本企業の10位までの獲得点数を含めて見てみましょう。

  世界順位   社名      獲得点数   財務力点   社会的責任(CSR)点 
    7  @キャノン      82.8    39     43.8
         19  Aリコー       78.5    36     42.5
   31  BNTTドコモ    75.7    47     28.7
   34  C富士写真フイルム  75.1    42     33.1
   46  D武田薬品工業    71.7    45     26.7
   57  Eソニー       70.8    27     43.8
   61  F京セラ       70.3    34     36.3
   63  Gデンソー      69.5    37     32.5
   68  H日産自動車     68.5    40     28.5
   69  I大日本印刷     68.3    37     31.3
おやおや、ニツサンだけが69位までにはいっていて、“世界のトヨタ”やホンダはどうなの? 問題の三菱自動車工業は? 東芝、松下電器、日立や三菱重工、石播はどうなの? と心配する向きもあるでしょうから、それらの順位も挙げて見ましょう。
   79  ホンダ技研工業    66.4    42     24.4
   87  トヨタ自動車     64.9    37     27.9
  122  東芝         60.2    18     42.2
  145  松下電器産業     58.4    22     36.4
  201  日立製作所      53.0    19     34.0
  385  三菱重工業      38.6    19     19.6
  483  三菱自動車工業    26.3    18      8.3
  491  石川島播磨重工業   22.2    10     12.2
という具合で、日本企業は500社中に121社がランク・インしていて、全体の24%を占めている。また、100位以内には14社が入っている。

 しかし、社会的責任(CSR)の順位においては、欧州勢がダントツに強く、イギリスはランク・インの46社中、35社が社会的責任(CSR)のベスト100に入っていて、さすがである。ドイツは、27社中12社、フランスは、41社中11社がベスト100に入っている。

 わが国の企業では、ランク・インの121社中、15社が社会的責任(CSR)のベスト100にランクされた。それに比べると、アメリカは198社も入っていながら、社会的責任(CSR)のベスト100にランク・インしている企業は7社しかない。社会的責任(CSR)の順位で、わが国の企業がアメリカを上回っているのには恐れ入ってしまう。是非この調子で企業の信頼性も含めて、日本経済を立て直してほしいものですね。( May. 31. 2004 )


 国語学者の金田一春彦さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り致します。

 また先頃、雑誌「ニュートン」の編集長だった地球物理学者の竹内 均さんが亡くなりましたが、地球物理学を一般にわかり易く解説された「ニュートン」は長い間愛読し、“恐竜博士”だった長男にはぜひ“地球物理”をと考えたが、大学で地球物理を専攻できるところは数少なく、かつ、極めて難関でもあり、やむなく理工学部の“応用物理”となってしまったが、多少は“物理”ということであやかったつもりでいる。

 また、金田一春彦さんの方は東京外語大教授だったこともあり、長女が外語大で学んだので(ドイツ語科ではあったが)多少とも関係が深いようだ。
 国語辞書の多くを手がけられていた金田一先生には、日本語を使う限り、誰もが何らかの形でお世話になっているのですが、とりわけ私は、先生の監修された「日本語アクセント辞典」のお世話になり、未だにこの辞典を愛用しているくらい、永いお付き合いであり、私の人生をも左右した奇しき縁をもつ「日本語アクセント辞典」でもあるのです。

 そもそもは、昭和30年、三重県の高校を卒業して、当地神奈川県の田舎、金太郎の古里、箱根山の麓の会社に就職した際、第一に困ったことは言葉が通じないことであった。日本でありながら関西と関東では“アクセント”が全く異なっていて、うっかりするととんでもない結果となる。例えば、「雨と飴」、「雲と蜘蛛」、「箸と橋または端」などでは、全く違った意味になってしまう。
もっと困ったのは、関西では「倒れる」と言うのを「こける」と言うが、或る時、近くの人に材木が倒れかかって危なかったので、とっさに“木がこける、危ないッ!!! ”と叫んだが、意味が通じなくて、キョトンとしていた。幸いかすり傷程度で大事に至らなかったので良かったものの、大きな事故になったら大変であった。

 もうこれは、関西弁を矯正して、ご当地の関東弁を訓練するしかないッ! と、一念発起して本屋を捜し歩き、そこで出会ったのが昭和33年6月に出版された赤い表紙の、金田一春彦監修の「明解 日本語アクセント辞典」だったのである。それと同時に、読み、話す訓練のための「標準日本語の発音・アクセント」(佐久間 鼎著 厚生閣版)も購入して併用した。それらをお手本に、

“アメニモ マケズ、カゼニモ マケズ、ユキニモ ナツノ アツサニモマケヌ…”

と、私の大好きな宮沢賢治の「アメニモ マケズ」を初め、アクセント記号の付けられたカタカナで書かれた多くの詩歌やエッセイなどを朗読することが日課となったのである。

 一生懸命訓練した結果、どうやら曲がりなりにも標準語を話せるようになり、誤解を招くような会話は少なくなり、対等にコミュニケーションが出来るようになった。今でもアクセントに疑問が生じた際には、ためらわずこの辞典のご厄介になり、正しい日本語を話す努力を続けている。

 最近は、特にパソコンや携帯電話などのメールの多用に伴い、日本語の乱れが指摘されており、義務教育課程での国語教育の重要性が再認識されているし、同時に、テレビなどの普及によって次第に地方の方言が当然のようにドラマに登場してきて一般に広まったために、地方と都市圏での言葉の違いの問題が余り意識されなくなった。それが良いことの反面、方言で無い方言、標準語で無い標準語が渾然一体となって、更に国語の乱れが加速されているようにも思える。これを機会に、標準語と方言を正しく認識して、国語の乱れを無くしていきたいものですね。( May. 20. 2004 )


 40インチの大型有機ELディスプレイ装置を、セーコーエプソンで開発したそうです。その様子は、テレビでも放送されましたが、日経新聞によりますと、それまで有機ELディスプレイとしては、ソニーの開発した24インチのものが最大だったそうですから、このセーコーエプソンの有機ELディスプレイが世界最大となります。厚さも2mm程といいますから、現在主流のプラズマテレビや液晶テレビとは比べようも無いほど薄っぺらなテレビが実現できますね。

 実用的には、まだ寿命時間が2000時間程度で、それを10000〜50000時間にまで高める必要があるため研究を要しますが、何れにしろテレビ用として2007年には量産にこぎつけたいそうですから、その頃には、有機ELパネルの薄型壁掛けテレビが購入できるかも知れません。
また、自発光タイプですから、液晶テレビのようにバックライトを必要としませんので、電力消費もきっと少ないでしょうし、薄くて軽いので、どこにでも容易に持っていけますし、チューナやアンプと別にすれば、邪魔にならず、置き場所に困りません。環境にも優しいので、早く実用化してほしいですね。地上波デジタルに切り替わったら必ず買い替えますので、期待して待っています。( May. 19. 2004 )


 物忘れと言うのは、脳の前頭前野と呼ばれる部分が関係する“短期記憶”だそうで、実は「年齢を重ねるにしたがって衰えが目立つ場所」(東北大の川島教授)だと、日経のSUNDAY NIKKEI α の『1分間人間ドック』にでていました。最近、とみに物忘れがひどくなって、女房から毎度まいど叱られてばかりで、アルツハイマーかなと、ほとほと自分が情けなくなってきているのです。

 人が一度に記憶できるのは7桁の数字が目安だそうで、並んだ数字を記憶してテストすれば、自分の記憶年齢がどの程度なのかが分かるのだと、浜松医科大の高田名誉教授が簡単なテストを紹介しています。以前にも数を数えるテストがありましたが、今度はどうかな?

 次の羅列された数字を10秒間で覚え、更に10秒後に記憶した数字を紙に書き出して、どれだけ記憶できているかをテストします。@からEまでの数字の列を、それぞれ個々にテストして、その結果で次のように判定します。

   ・全部できたら 20代
   ・9桁、8桁が一つ以上で、7桁が全部できたら 30〜45歳
   ・8桁が一つ以上で、7桁が全部できたら 46〜60歳
   ・7桁だけが全部できたなら 61〜75歳
   ・7桁一つしかできなかったら 76歳以上
 それでは、早速次の問題に挑戦してください!
   @ 438633414
   A 811053867
   B 25611160
   C 35616405
   D 1992872
   E 5193531
どうでしたか? 全部正解でしたか? 誰も見ていないからって、カンニングはいけませんよ!

一つもできなかったッて? そりゃぁ、お気の毒さま、貴方長生きできますよ!!
できなかったからって、私を恨みっこ無しですよ!

お前はどうだったかって? それがぁ、{811053867}を記憶したつもりが{530086517}と書出したんだけどぉ…。(ちょっとぉ、記憶よりも頭の中が異常じゃぁないのッ! すぐ病院で調べたらッ!!/だからぁ、いま通院中なんだ! しかし、それ一つだけ間違っただけだったけどなぁ… )

 まあまあ、些細なことは(?)気にしない、気にしない。短期記憶より長期記憶をご覧よ! 小学校でイタズラして、水を入れたバケツをもつて廊下に立たされてたのを、バケツに付いた習字の墨まで、今だに鮮明に覚えてるんだから!!
あの担任、黒板消しで頭まっ白になって、顔真っ赤にして怒ってたなぁ!!! ( May. 8. 2004 )


 今日は、こどもの日ですが、あいにくの雨になってしまいました。折角の立派な鯉のぼりも、今日は出番がありません。お出かけするにもゴールデン・ウイークの帰省ラッシュで、遠くには出掛けられませんね。

 日経新聞の社説欄では、“大人に反省せまる「こどもの日」”と題して、最近の犯罪統計から、昨年1年間で検挙した虐待事件で死亡した子供の数は42人、出会い系サイトに関係した児童買春・児童ポルノ法違反の検挙数は810件で、3年間で20倍に増えた、といいます。この数字から、親や大人の子供を育むという当然の義務や責任の希薄さが浮き彫りになってきているように思います。精神的に幼稚な大人の増大でしょうか?

 また、総務省の発表した4/1現在の15才未満の子供の推計人口が1781万人で、昨年より20万人も少なく、23年連続減少だそうですから、子供を大切にしない世相を反映しているのではないかと思われます。大人自身が、自己中心的になっていて、子供よりも自分たちの自由や生活を優先しているのではないかとも思えます。その裏返しが、子供への溺愛、甘やかし、金や物の与えすぎ、はたまた保育施設・学童保育施設の充実の要求(税金払ってんだから当然だよねッ、てか?/だから、子育て専業主婦は、私達の敵!ってわけだな)となって現れているのではないかと考えています。

 新聞の社説で強調されているように、「こどもの日」は、子供と遊び(大人自身が遊びたいのでは?/子供をダシにしてか?/子供を一緒に連れて歩くのは、見せかけなのかねぇ!)、子供を見守るだけでなく、大人自身の“自己責任”を反省する日でありたいものですね。

 貴方も、自分の子供やお孫さん達だけでなく、ご近所のお子さん達と一緒に「こどもの日」を楽しんでくださいね。( May. 5. 2004 )


 5月1日はメーデーで、労働運動の盛んだった昭和30年代に、現役でメーデーのデモに喚声とジグザグ行進を経験した世代は懐かしいのではないでしょうか? 最近では、5月1日ではなく、前々日の4月29日の休日を利用してメーデーの集会を実施しているそうですが、世の中豊かになったことと、現代の若者たちは労働運動に無関心になって、入社時に労組に入会しない者が多いと聞いています。リストラで否応無く退職や異動を余儀なくされる時代なのに、労働者の権利を守る労働運動に無関心だと言うのは不思議でなりません。貴方はそう思いませんか?

 五月晴れは、梅雨の合間の晴れを言うそうですが、最近は、地球温暖化の影響からか、梅雨も不定期で、5月1日だというのに、初夏と言うよりは、既に夏を思わせる暑さにうんざりしています。作物の苗の植え時もだんだん早くなってきているように思いますし、食べ物の旬が変わってきているようにも感じられますねぇ。

 5月は、なんと言っても鯉のぼりの端午の節句、今では“子供の日”の賑わいでしょうか? しかし、テレビなどを見ていますと、相変わらずの連休の混雑にも、今年は海外旅行が昨年より80%アップで、空港が大混雑とかで、景気が不順でも世の中豊かなんだなあと感心してしまいます。近所の鯉のぼりなんかを見ても、隣同士で競い合うように、大きな鯉のぼりを借地の狭い庭におっ立てて、風が吹くと隣の屋根や屋敷の中に尻尾が入り込んで、見ているこちらがヒヤヒヤします。そんな立派な鯉のぼりがよく買えるものだと、他人の家計まで心配してしまいます。

 確かに、私たちの時代は、賃上げデモを再三やってみても、たいした給料も貰えず、鯉のぼり何ぞは夢のまた夢で、末っ子の時は紙の兜と鯉のぼりを、模造紙で作ってやったのを思い出しました。ちゃんと証拠の写真もアルバムにありました。
 ところが、百科事典で調べてみると、今のような布の大きな吹流しや鯉のぼりを立てるようになったのは明治時代からで、それ以前には小さな紙のコイを吊るしていたそうですし、それ以前には、時代劇で見る“風林火山”のような幟を立てて、幟に武者絵やコイの滝登りの絵を描いていたのだそうです。地方によっては、今でも幟旗を立てるところがあるようですが、いずれにしても子供の成長と立身出世を祈願する中国の故事、『龍門三級の滝』を登りきる鯉を象徴していることに変わりはありません。

 最近は子供の数も少なくなっていますし、子供の自立を促すことよりも、親が子供を猫ッ可愛がるか(自分の子供の写真を投稿したり、会社の机の上に飾ったりするナルシスト流行りで…、“子誉め”は他人の子を誉めることだがねえ?/他人が誉めてくれねぇから、自分で誉めるのよ!/なるほど!!)、逆に教育に無関心で幼児虐待するかの、二極分化も甚だしくなっているのが現実でしょうか? 世間体だけで“隣より大きな鯉のぼり”でミエを張って、肝心の子供との会話も無い親子が彼方此方に見られて、内心ちょっと心配になっている今日この頃です。さて、貴方のご近所の子供たちは大丈夫でしょうか? ( May. 1. 2004 )


 渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで2月7日から開催されていた「モネ、ルノワールと印象派展」に行ってきました。久しぶりに渋谷に降りて、街がすっかり変わってしまっているのにビックリしてしまいました。なるほど、原宿から渋谷にファッションがシフトしたことが理解できました。駅前からBunkamura通りがあって、それを進んでいくと東急本店に突き当たり、その左脇の地階に“ザ・ミュージアム”があるのです。初めてのこととて、そこへ辿り着くまで苦労しました。平日だったこともあって、それほど込み合うこともなく、比較的のんびり鑑賞することができました。

 作品は、ルノワールの人物画を主として、数点の風景や静物画と、モネの描く風景画と睡蓮の小品3枚、シスレー、ピサロ、スーラやロートレック、ボナール、ヴュィヤールなど合わせて80点ほどあり、今まであまりお目にかからないものが多く、作品は見ごたえがありました。特に、私の好きなルノワールのものは、“青い服の子供”など良い作品が多く、改めて、ルノワールの描く人物画の、光の陰影に彩られた表情が生き生きとして、髪の毛一本一本が見分けられそうな筆致に、思わず嘆息が漏れました。是非、ご鑑賞にお出かけ下さい。展示会は5月9日までやっています。入場料は1,300円(大学/高校生は900円)でした。

 作品もなかなか素晴らしかったのですが、又、この展示会のカタログが、とても素晴らしいもので、今まで多くの美術館で入手した展示会のカタログでは、このような立派なハードカバーで、しかも、掲載されている作品の図版の構成が、このように工夫されていたものは見たことがありません。これでたったの2,000円?と目を疑うばかりでした。展示会にお出かけの節は、このカタログの購入を絶対にお忘れなく!( Apr. 23. 2004 )


 “あなたは幸せですか?”と尋ねられた時、「自分は幸せである」とどれだけの人が肯定できるのでしょうか? 最愛の人と結婚式を挙げたばかりの人は“今とても幸せです!”と言うでしょう。宝くじで大金を当てた人もきっと“最高に幸せです!!”と言うかも知れません。しかし、幸せって何でしょうか?

 PHP(PHP研究所発行)の五月臨時増刊号は『私の幸福論 「幸せ」って何だろう?』です。養老孟司さんと曽野綾子さんの特別対談をはじめ、多くの方々が「幸せ」について語られています。全てをご紹介できませんが、本書は、次のような構成になっています。

 第1部 「真の幸せとは」
 第2部 「自分らしく生きる」
 第3部 「幸福になる条件」
 ◇ 松下幸之助が願った幸福   PHP研究所顧問 谷口全平
 幸せになるための心理学  人生の目的を定める   加藤諦三  他
むろん、人によって幸せの定義も違うでしょうし、幸せに対する感じ方も異なるでしょうが、今の日本で、「自分が幸せである」と感じる人と、「自分は幸せでない」と感じる人とが、どんな割合であろうかと考えています。

 私のプロフィールにも述べていますが、私は小さい時に母を亡くしましたし、学生時代は経済的に恵まれず苦労をしました。学校を卒業して良い会社に就職ができ、給料を得て何不自由無く生活ができるようになって、こんな幸せは無いと喜びました。そうすると「生活に不自由が無いことが幸せ」なのでしょうか? いえ、母を亡くし、経済的に恵まれなかった時でも、母代わりの姉と弟おもいの兄に囲まれて「幸せ」に暮らしていました。「苦労」と「幸せ」との間には、あまり関係が無いのかもしれません。また、その時には「他人」と「自分」とを比較する余裕が無かったのかも知れません。生きることに精一杯だったのです。

 いま豊かな経済社会に恵まれて、何不自由なく育っている現代の日本人は、「他人との比較」においてのみしか「幸せ」の尺度が無いのかもしれません。

 賢い、賢くない。偉い、偉くない、と言うのも他人との比較であり、学校の成績が良いか、良い学校を卒業したか、大きな会社に就職したか、という比較ですし、課長や部長になったのか、うだつのあがらない平社員なのかの比較でしかないし、金持ちであるか、金持ちでないかの比較でしかないのかも知れません。良い物、良い着物、良い家を持っているかどうかの比較なのかも知れません。結局そこには「比較」という尺度でしか判断できなくなっているのではないでしょうか。

 そこには、「自分の人生をどう生きるか」という、自分主体の価値観がなくなっているのです。「貴方を幸せにするために、私はどれだけのことができるか」という奉仕の精神が抜け落ちているのです。全てが名誉欲、物質欲に偏っているのです。お釈迦様がおっしゃつたように、自分の身にまとうものは全て「煩悩」を生み出すものばかりなのです。「全てを与えること」が「煩悩から解き放たれること」で、「他人のために人生を生きること」が「幸せ」を生み出すことではないかと思っています。

 そういう意味では、先ごろ不運にもイラクでテロ・グループに拘束された高遠さんや今井さんの生き方こそが、究極の「幸せ」ではないでしょうか? ともあれ、どうか一刻も早く解放されて、ご無事で帰還されることをお祈りしましょう。
 同様に、自分の生命・財産をもなげうって、世界の平和と自然環境の保全を求めて、必死に活動を続けられているネットワーク『地球村』代表の高木善之さんの「生き方」は正にそれで、下記の著作によく現わされています。

  『究極の幸せ』
   エッセイ「幸せな生き方の発見」 本当の自分
  「幸せのたね」シリーズ 第1集  何のために生まれてきたの
  「幸せのたね」シリーズ 第2集  幸せになりたい
  「幸せのたね」シリーズ 第3集  幸せのようなもの
入手をご希望でしたら『地球村』出版(TEL. 06-6311-0326 FAX. 06-6311-0321)にお問い合わせ下さい。

 しかし、むろん私たちは煩悩の多い凡夫ですから、とても他人のためだけに生きるなんてことはできませんので、悟ったようなことを言ってみるだけですが、改めて、ほんとうの「幸せ」について、よく考えてみても良いのではないでしょうか?
『究極の幸せ』を求めて生きる、貴方の「幸せ」を心からお祈りしています。 ( Apr. 12. 2004 )


 ついに来るべきものが来た! 見ていたテレビに突然臨時ニュースの文字!! イラクで邦人3名がテロ組織と思われるサラヤ・ムジャヒディーンのグループによって拘束され、彼らを撮影したビデオと犯行声明書がアルジャジーラのテレビで放映された。かねてから日本の自衛隊派遣に対して、テロ組織アルカイダより、アメリカに荷担する国(日本も指名されていた)には報復するという声明が出されており、自衛隊派遣反対も含めて日本政府の対応には疑問を感じていたが、ついに心配が現実になった。

 サラヤ・ムジャヒディーンのグループは、日本の自衛隊を3日以内にイラクから撤退しなければ拘束した3名を殺害するとの条件が付けられているので、早急の対策が必要で、猶予は無い。自衛隊の撤退は費用はかかるが何度でも行える。しかし、3人の命には代わりが無いのだ!!! 福田官房長官や川口外務大臣の“民間人を犠牲にする行為には憤りを感じる”などと悠長なことを言っている場合ではない。目的のためには手段を選ばないのがテロであろう。自衛隊の撤退を準備することが先決ではないか?

 また不思議に思うのは外務省の危機管理意識の希薄さです。イラクの連日の反米テロやそれに伴う銃撃戦の激しさや、軍関係はむろん一般人を巻き込んで多くの死傷者が発生している現状を認識しているなら、日本の一般人がイラクへ渡航することに制限を加えるのが当然と思われますが、今回のようにフリーカメラマンの郡山さんは別としても、イラクの子どもたちにボランティア活動をするための高遠さんや高校を卒業したばかりの今井さんなどが劣化ウラン弾の被害調査だと言って、戦闘の激しいバクダッドへ危険を冒して入国する意味はどこにあるのか? また、それを容認して渡航させる外務省はどういう考えなのか理解に苦しむ。彼らの志そのものは高くて尊敬するが、万一の事態になった時に、自分だけでなく多くの人に迷惑がかかるし、まして今回の事件などでは日本政府や現地で人道支援を行っているわが国の自衛隊だけでなく、彼らの救助のために多くの他国の駐留軍にも迷惑を及ぼすことは自明のはず。自分の志を遂げるために周囲を見渡す余裕に欠けているといわざるを得ない。

 テロリストに常識は通用しないので、1日でも早く彼らの救出が成功し、イラクでの戦闘が終結できるように祈りたい。そしてNGOの人たちや一般人のボランティアが、人道支援や復興援助協力のために安心してイラクへ入国できる日が1日も早く来ることを期待したい。そのためにはアメリカ主体ではなく、国連を中心とした政策に、今すぐにでも切り替えるべきなのではないだろうか? ( Apr. 9. 2004 )


 開幕の巨人−阪神3連戦! 原監督に代わった堀内新監督、星野前監督の退任の後を受けた岡田彰布新監督の初対決。今シーズンの優勝の行方を占う大事な試合。ところが、どうしたことか巨人ジャイアンツの、高橋由伸、清原のバットからは快音響かず、2連敗! 3戦目も阪神タイガースのバット快調でホームラン攻勢! 初回、矢野のソロを含めて4点。その裏、巨人ジャイアンツも仁志のソロ・ホームランで1点返すが、4回の表、矢野のホームランに続いて赤星を置いてキンケードの2ラン、続く金本も渾身のソロ・ホームラン、1イニング3ホームランの4点で8:1。往年の掛布・岡田・バース時代を彷彿とさせる攻めっぷり!!!

 巨人ジャイアンツも5回裏、インコース低めのボールを掬い上げた清水のライトフライが、ポール際に入って2ラン。何とか2点を返して8:3。阪神は好調の下柳を温存してピッチャーをリガン、吉野につないだが、高橋由伸にソロを許して8:4。最終回裏、阪神は抑えを安藤に変えて、8:5と必死に食い下がる巨人を下して、初の3連勝達成ッ!!! 最後までハラハラしました! 残念でしたが、ガンバれ、堀内巨人ジャイアンツ!( Apr. 5. 2004 )


 よく“弱冠22才”などと、若くて才能のある人を羨望の眼差しで賞賛したりしますが、この“弱冠”等と言うコトバを余り考えずに、若さの定冠詞(?)のように思っていましたが、最近では学生などでも“若干”などと平気で間違えているようだと、日経新聞の「漢字コトバ散歩」の京都国立博物館長の興膳宏さんが書いておられますが、なるほど、最近は辞書など無くてもワープロ任せですから、間違って変換された文字でも正しいと思ってしまいます。私もホームページを更新して、ずっと後で見直して度々間違いを発見して、慌てて訂正しておりますが、それだけ漢字離れをしているんでしょうか?

 興膳氏によりますと、

『礼記(らいき)』に、“二十を弱と曰(い)い、冠(かんむり)す” とあって、

“弱冠”とは、正確には20歳のことを称する。“冠”は、成人男子が成人を祝ってかぶる“冠”ことで、まあ、10代後半から20代の人に対して用いるには妥当な言葉でしょう。

 同様に“三十を壮と曰う”とあり、三十を過ぎれば“壮年”と言うらしく、もう40、50では壮年とは言わないのですかねぇ。昔は“人生僅か五十年”と言っていましたから、40、50ともなれば老年でしょうか? そうすると、とっくに60の齢を過ぎた私などは“仙人”となるのでしょうか?

 国立長寿医療センター疫学部長の下方浩史氏の“はつらつ養生訓”によると、WHOの推定では現在の日本人の平均寿命は、世界192ケ国中で第1位の長寿国だそうで、年齢が百歳を超える人を百寿者といい、日本の百寿者の数が昨年20000人を超えたそうですから、これからは、ますますそれらの年齢層をどう呼べばいいんですかねぇ? 老人医療や年金問題で頭が痛い坂口厚生労働大臣どの!(何とでも呼べぇ!! わしゃ、知らんぞぉ!/いや、今しばらくのご辛抱!!! いま長生きの人たちは“明治”と“大正”の人ですからねッ!? )( Apr. 4. 2004 )


「納めないと、もらえない。国民年金。」社会保険庁の啓発ポスターのキャッチフレーズですが、ポスターを街角のあちこちに張ったって、よくわからないのが国民年金ですねぇ! 年金改革で世論が揺れていますが、ハッキリ言って、制度改革が良いのか悪いのかさえ判断がつかないのが実態じゃあないんでしょうか? 今まで国民に説明したことは、一度も無いんじゃあないかと思います。だから、後から気がついて、“しまった! 払い込み忘れてた!!”とかで、今、少ない年金で悔しがっている人も多いのです!! むろん、うちのかみさんも同類なんですょ。

 ところが、実はそんな話ではないのです。社会保険庁のポスターに起用されていた、女優の江角マキコさんが、肝心の保険料を納入していなかったことが分かったと言うのです。それに対して、同庁の総務課は“遺憾だ! 契約の解除も検討したい”とのことですが、今更、契約解除したところでどうなるの? 「こんなこともあるのです。だから、忘れないで納めてね!」と、うっかりミスを逆手にとって宣伝したら! その方が、余っ程効果的じゃぁないですか?

 江角マキコさんて、ちょっと男っぽくて、妙に色気があって、私の好みのタイプなんだから、あまりいじめないで頂戴ッ!(おい、オイッ、お前の好みは一体誰なのだッ! 黒木瞳さんはどうした? 洋子ちゃんだってそうだろッ?/いや〜、まぁ、好みと言うものは、年代と共に変わっていくもんですョ。若さの魅力には耐えがたいしねぇ! でも、女房にはナイショにしといてねッ)
それはそれとして、年金改革、大丈夫なのかしら? ねぇ、坂口大臣どのッ!( Mar. 23. 2004 )


 “「ユビキタス社会」がやってきた”第5回は、「リスクとどう向き合うか」で、いまインターネットで問題になっている、メールから進入するウィルスやインターネット商法による被害などの対処法についての考察がありましたが、元々は特定のグループで利用されていたネットワークを一般の利用にまで広げたために生じてきた問題です。既に「マスコミの責任と義務」のコンテンツの中でも指摘していますが、システムの脆弱性も問題とは思いますが、いくらセキュリティの強化を行ってみても、インターネットの危険性や倫理を無視してしまう利用する側のネット依存性にも問題があるように思います。

 第6回の「障害者・高齢者の可能性を広げる」では、トロンOSで坂村教授が最初に目指したものではないかと思いますが、特にコンピュータを意識せずに利用することができて、生活弱者である障害者・高齢者が皆と同等に生活ができるように補助する“イネーブルウェア”という考え方ではないかと思います。これは、最近よく耳にするようになった“ユニバーサル・デザイン”のコンピュータ版だと言うことです。
昔からIBMでは、これらの問題に力を入れていて、パソコンなどでは「ユーザー補助」という設定項目があって、操作者の能力に応じた設定に変更できるようになっていました。また、視覚障害者に対する点字システムでも優れていました。

 当地でも点訳ボランティアの養成講座などがあります。そして、実際にボランティアが市の広報の一部を手作業で点訳しておりますが、点字を読める人たちも少なくなり(8人ほど)、それも老齢化しており、点訳する人(ボランティア)は沢山居ますが、“点訳をすること”が目的(小学校などへ行って教えています)で、視覚障害者に広報を伝えるのは二次的になっているような気がしています。(なぜか合理的な自動点訳器の導入には反対者が多いのです)実際、別に“音訳録音”グループもあって、広報を読み上げた録音テープを配布しているボランティアもあります。どちらかと言えば、広報の内容を誤り無く伝える目的から言えば、“音訳録音”の方が確実に目的に合っていると考えています。

 「ユビキタス社会」では、益々コンピュータが意識されないところで活躍して、私たちの生活を支え、障害者や老齢者、健常者の区別無く快適に生活ができる、本当の意味での福祉社会が築かれていくのではないかと期待しています。
 次の第7回は「オープン・アーキテクチャーという思想」で、これこそ、坂村教授が精魂込めて“トロンOS”を開発した目的ですから、ぜひ見て下さいね。( Mar. 11. 2004 )


 京都の鳥インフルエンザの調査では、浅田農産の経営者の供述が二転三転し、ドロ沼の様相を呈していますが、追い討ちをかけるように、養鶏場のある場所の近隣で死んでいたカラスからも鳥インフルエンザ・ウイルスが検出され、いよいよ感染拡大が心配になってきました。おまけに、北海道で死んだ牛からBSE検査で陽性反応がでて、確定されれば国内で11頭目となり、労働厚生省の坂口大臣ではないが“モーケッコー!!!”と言いたくなりますねぇ。これで豚に感染でもすれば“トン”でもないことになりますからねぇ!

 それにしても、世界的に蔓延し始めたこれらの感染症の原因は何なんでしょうか? SARSやHIVにしても、未だに有効なワクチンなどもありませんし、感染したら打つ手がありません。おまけに死亡率も高いので恐怖感が強いですねぇ。これも生態系を無視し、自然環境を破壊し続けてきた私たちに対する、神のお怒りでしょうか? ( Mar. 8. 2004 )


 鳥インフルエンザは、京都の養鶏業者での大量死隠しの内部告発(?)で、一挙に緊迫感を増してきました。京都府丹波町の20万羽を飼育する採卵養鶏場で、1000羽も死亡したにかかわらず、届出を遅らせて1万羽近くを既に出荷したという。むろん、届け出ることによる損害をソロバン勘定で先に出荷したのであるが、既に“鳥インフルエンザ”の問題が世界的にも深刻になっている時に、それも、業界の役員でもある経営者の会長が当然の処置を怠って、信用よりも利を優先したことが大きな間違いだったわけであるが、それによって金で買えない信用と名誉を同時に失い破滅への道を歩んだことになる。

 この問題は、BSEの場合と近似している。一つには農水省の危機管理の甘さと経営者の倫理感覚の欠如であろう。もしも、鳥インフルエンザの危険性と、発生が疑われる場合の迅速な届出と処置方法を周知徹底させておれば、今回の事件は未然に防止できたかも知れない。今回の事件で、ウイルスが広範囲に拡散し、防疫を困難にしてしまった。

 ここで、私たちにも大いに反省しなければならない問題点が存在する。それは、この養鶏業者でもわかるように、鶏卵、鶏肉の需要に対する大量生産方法が常軌を逸する鶏の生産マシン化である。これは何も養鶏だけではない。養豚でも、魚などの養殖にも共通する問題で、(飼料にも大きな問題があり、飼料に用いられる肉骨粉や抗生物質などの問題も何ら解決されていない)自然を無視したやり方であり、それを前提として成り立っている私たちの食生活の実態があるわけである。もちろん牛肉の場合も同じことが言えるのである。特に日本は飽食による大量消費と大量廃棄の問題があり、ほとんどを輸入に頼る食糧自給率の低い国である。

 BSEの発生があれば、吉野家の牛丼の食いだめに走り、売り切れになれば、恥ずかしげも無く店員と諍いを起こす輩もあって新聞を賑わすお国柄である。鶏卵、鶏肉が市場に払底してくると、同様の事態が発生してくるし、出荷停止された養鶏業者への大量補償の問題(養殖魚の場合でも同じでした)は、税金投入の問題となり、増税問題に絡み、我々への年金改悪の問題にも跳ね返ってきて、“風吹けば桶屋が儲かる”の逆をいって、我々国民の生活を脅かすことになる。

 既に述べてはいるが、生活習慣病を予防し、健康を維持するためには、できるだけ動物蛋白の摂取を減らし、植物蛋白を取ることが良いとして、我が家では動物蛋白は魚を主として、それもイワシやサバ、サンマやアジ等で養殖魚は避けているので、割合安全ではあるが、牛肉に比べて、豚肉、鶏肉、鶏卵などは比較的安全だとして(農水省の宣伝か?)少量でも食卓に乗せることが多いので、今後はもっと慎重にならなければいけなくなるのではないか?

 何はともあれ、私たちの食生活を今すぐ見直す必要があることと、生産業者や経営者の倫理感覚および責任と信用の重要さを再認識してほしいものだ。農水省や厚生労働省のお役人も、業者側でなく、国民の健康をも良く考えて、もっと真剣に仕事を遂行してほしい、と思うのは私だけではあるまい。( Feb. 29. 2004 )


 “散策”というのは“そぞろ歩き”のことで、“策”は竹製の杖をつきながら、あちらこちらとぶらぶら歩くことだそうですが、“散歩”も同じことで、“散”というのは「とりとめがなく、モノの役に立たないこと」をいう、と京都国立博物館長の興膳宏氏が日経新聞の「漢字コトバ散策」で述べられています。

 以前“つぶやき”ましたが、最近は健康、というより生活習慣病などの改善のための目的で、散歩をしているご夫婦などを良く見かけますが、ぶらぶら歩きで野の花や景色を愛でながら無目的に散歩するのではなく、両手をしっかり振って大またに早足で歩くようで、歩幅も120cm位が良いとかどうとか言っていますが、わき目もふらず、サッサ、サッサと歩く姿は、散歩と言うにはあまりにも侘しいと思っていたのですが、氏もそれらは、“目的化された散歩だが、「散」の意味とはもはや縁遠い存在となっているようだ”と結ばれていて、そう感じていたのは私だけではなかったのですねぇ。

 現代は、時間に追われて全てに目的的になってしまっていて、無駄を省いてしまって、すっかり心のゆとりが失われ、周囲に目を向けることも無く、他人に気遣いしたり、感謝する気持ちも忘れてしまい、心が不毛になって「児童虐待」や「無差別殺傷」などが平気で行われるのではないかと憂いているのです。
これは、決して“ゆとりが無い”のではなく、ゆとりを生み出す心をなくしている、“気持ちのゆとり”をなくしているためではないかと思います。企業のリストラにしても、テレビのニュース報道にしても、なぜ、そんなにセカセカする必要があるのか首を傾げたくなります。必要な“ムダ”まで削ってアクセクしているのではないでしょうか? ちょっと一息ついて考えるだけの“余裕”がほしいものですね。

 また、興膳氏によると『荘子』では、世間的に無用の人間を「散人」と称して、詩歌や書の落款に「○○散人」などというのを良く見かけますが、私のホームページなども、さしずめ「tommy散人」作、というところでしょうか? まあ、忙しい仕事の暇でも見つけて、私の「つぶやき」に、ちょっと耳を傾けてもらえれば、心に“ゆとり”が生まれるんですがねぇ!(うぬぼれるな、“無用の人間”ッ!/いやいや、これも健康のため「tommy散人」の老婆心!/馬鹿にするんじゃないよッ!!/でも貴方は大丈夫、心身ともに健康ですねぇ!!!)( Feb. 18. 2004 )


 NHK教育テレビの「人間講座」では、今月から新しく坂村健東大教授の“「ユビキタス社会」がやってきた”が始まります。坂村教授については、以前から度々ご紹介しておりますのでご存知でしょうが、日の丸OSトロンでコンピュータはむろん、自動車や携帯電話、産業用装置など我々の知らないところで既にご厄介になっております。私たちはコンピュータといえばパソコンをすぐに思い浮かべますが、これからは、目に見えないところに埋め込まれたコンピュータ・チップなどが、外から読み書きしながら覆面間者として活躍する「ユビキタス社会」が到来しつつあります。

 この講座の第一回が、明日2月3日(水)の午後10時25分から10時50分までの25分間、NHK教育テレビで放映されます。毎週水曜日の同じ時間に放映(全9回)されますが、見逃した方は、再放送が翌週火曜日の午後2時から、また再々放送が翌月の土曜日午前1時25分から放映される予定です。お見逃しの無いようご準備ください。テキストの購入忘れのないよう今すぐ近くの書店にお急ぎください。もし入手できなかった場合は、NHK出版の電話注文センター(03−3780−3339)へ。

 無人の火星探査機が、火星の状況を写真や分析データとしてNASAまで送信し、それを受信でき、火星の状況が手に取るようにわかる時代です。コンピュータが無くては叶わない情報化時代になっています。老人だとて勉強を怠ってはいられません。大変な時代になりましたね! ご同慶の至りと言いましょうか、ボケ寸前にご愁傷様とでも言いましょうか、しかし、弱音は禁物、老骨に鞭打ってガンバりましょうね!! ( Feb. 2. 2004 )


 “我以外皆師”。月刊PHP「ほんとうの時代」2月号の“人に言葉あり”の紹介です。本当は、特集の「夫の年金、妻の年金 ―こんどの年金改正で、どこがどう変わる?」を読みたくて購入したのですが、大工だった亡き父を思い出して、思わず引き付けられたのです。

 これは鍛冶職人の白鷹幸伯氏の心の座右の銘だそうですが、元は吉川英治先生の言葉だそうです。人は周りの人たちから学んで大きく育つわけですが、子供から教わる、若い人から教わる、知恵遅れの人から教わる、ヨボヨボの老人から教わるなどという謙虚な心を持つ人が少なくなって、自分は何でも知っているなどと思う不遜な人間が多くなってはいないでしょうか?

 白鷹幸伯さんは、もともと鍛冶職人を志したわけではなく、両親の面倒を看ていた長兄が過労で亡くなったために郷里へ戻り、家業の鍛冶屋を継いだのだそうです。刃物店時代に古代道具に興味を持ち、古代道具を復元したいと文献などを漁って研究していた時に、たまたま、かの有名な宮大工の西岡常一棟梁と出会い、薬師寺の再建に使用するための和釘を7000本の注文を受けることになったのだそうですが、これをきっかけに錦帯橋の架け替えや大洲城天守閣の復元で和釘を造るようになったそうです。

 神社仏閣の建築には、鉄の釘が使われることは無いと思っていました。私の父は大工で、宮大工と一緒に神社などの遷宮(建替え)に参加して仕事をしたこともあるので、いろいろ話を聞いていました。しかし、普段から“鉄と木は相性が悪く、鉄は木を腐らせるので社寺の建築には鉄釘などは使わない”のだと言っていましたので、そう信じていましたが、実際には、“和釘”という鍛造(鉄を叩いて形を造る)した手作りの釘を使うのだそうです。

 鉄は錆びやすいのですが、鍛造した釘は鉄の組織の並び方が一定方向に揃っていないため錆びにくく、おまけに錆には強い純鉄を材料にするため数百年たっても錆びることは無いのだそうです。しかし、釘が錆びないということは釘が抜けやすいため、和釘は胴体の途中が少し膨らませて、抜けないようにしてあるのだそうです。

 それじゃあ、現代の建築に使われているまっすぐな西洋釘は、抜け易いのではないかと、貴方はきっと心配されるでしょう? そうなのです!
 でも心配いりません、私は父の手伝いをしながら教わりました。大工さんは、必ず釘を口にくわえていて釘を打っています。それは、釘を湿らせて、打ち込んだ後、錆付くことによって抜けるのを防いでいるのです。それに、まっすぐ打ち込まないで、少し斜めに打ち込んで抜け難くするんですよ。でも最近は、自動釘打ち機を使うことが多く、釘の表面に螺旋や凹凸が付けられている釘などもよく見かけますがねぇ。

 また、白鷹幸伯さんは“職人は寡黙で愚直で頑固なイメージをお持ちでしょうが、職人は芸術家ではありませんから、自己主張だけでは仕事になりません。お客さんに喜んでもらえる実用道具を造ることが最終目的です。だから、人の言葉に耳を傾けることやコミュニケーションが大切です”だから“我以外皆師”の心が必要だと述べておられるのです。

 自分の主張ばかりで、他人の言葉に耳を貸さない人が増えている現代に、白鷹幸伯さんの言葉はとても重みが感じられますね。誰もが“人に生かされている”存在なのですから…。( Jan. 29. 2004 )


 最近は老人が多くなったせいか健康のための運動として夫婦で歩いている人を多く見かけるようになりました。1日一万歩は歩いた方がいいとか、1時間くらいは歩かないといけないとか言っていますが、運動不足を解決し健康を維持するためなら、マイカーに乗らないで買い物に出掛けたり、本屋に出かけたらよさそうなものですが、それとこれとは別なんだそうです。歩くだけが目的とは、全く時間の有効利用ではないですねぇ!

 ともあれ、年をとってくると運動をする機会も少なくなりますし、わざわざ運動をするのも億劫なものです。しかし、運動が必ずしも身体のために良いとは限りません。身体に良い運動の仕方を知ってこそ初めて運動が健康のために良いということになりますねぇ!
私もジョギングを日課にしていた時がありましたが、それは走ることが好きなのと、多少は健康のために良いのではないかと考えていたからなのですが、走り方によって疲れない走り方と、疲れる走り方があることを知りました。普通は、たまに走ると次の日からしばらくは足が痛くなってしまいます。それを、“気”を出して走ると、毎日走っても、たまに走った時でも足に痛みはないのです。それは、足の運びと同時に腕をしっかり振るという従来の陸上の選手の走り方ではなく、お手々ブラブラで、身体の全ての筋肉を緩めて、身体の重心を鉛直に(地球の中心に向けて)立てて、意識は“前へ進め、前へ進め”と手足の指先に神経を集中して、地面を蹴るよりもむしろ足と身体を前へ進めるようにして走るのです。

 以前、高橋尚子選手がマラソンで世界新を出したときの走り方がそのように見えました。ところが、先だってのマラソンの時には全く違っていて、従来の陸上の選手のような前傾で手をしっかり振る走り方になっていて、スピードはありましたが、これでは疲れが大きくて体力を消耗するのではないかと心配しましたが、案の定、良い記録は出ず、優勝にも手が届きませんでした。今度のアテネ・オリンピックの選考を兼ねた名古屋大会にも出場は見合わせるらしいとのことですが、世界記録を目指すのではなく、以前のように楽しく走るのが目的で出場して欲しいものです。

 ところが、最近特に古武術の身体操法を運動選手に取り入れようと言う動きが盛んで、武術研究家が注目されていますが、その内の高岡英夫氏は、健康体操“ゆる”などで雑誌でも取上げられ、厚生労働省からもお声がかかっているそうですが、先般NHKテレビの「人間講座」に講師として出演された甲野善紀氏もまた、古武術を研究されていて、運動選手の指導もされているそうです。氏の研究の中で、武術家が筋肉を鍛えるのではなく、筋肉を緩めて身体の動きを速くすると言われていましたが、高岡英夫氏も同じような考え方を述べておられますので、歩くにしろ、走るにしろ、従来のように筋肉を鍛えて、腕を強く振るやり方は適当ではないのでないでしょうか? その点、ブラブラ走りは、身体に無理が無く、良い走り方ではないかと考えました。

 “ブラブラ走り”を「気を出した走り」と表現していましたが、古武術では、それを“なんば走り”と言うのだそうです。(「ナンバ走り 古武術の動きを実践する」 光文社新書)また、それを高岡英夫氏は“トカゲ走り”と呼んでいます。
いずれにしても、歩くときに手を振らないで、振る場合は“右足が出る場合は右手を、左足が出る場合は左手を出すのを『なんば』と言う”もので、腰を捻らないで歩くので、疲労が少ないのだそうです。偶然、私は“ナンバ走り”を実践していたことになります。

 先に述べましたように、そう言う理由から、健康のために歩く場合にも、ジョギングをする場合にも、一生懸命手を振って歩くより『ナンバ歩き』を実践した方が良いのではないかと思います。また、スポーツや武道をやっている方なども、一度これらの古武術研究家の著作を読んで、検討してみる価値があるのではないかと思います。一般の方、特に老人などは、躓いてよろけたり、倒れそうになった時の身のこなし方や、坂道や階段の昇り降りなどに、体力を消耗しないで歩くことの出来る身体操法を会得しておくことは、大変有用だと思いますので、是非ご一読下さい。

 余談ですが、普段、私たちは何をするにも筋肉に頼り、ムダな力を使っています。例えば、自転車を乗っているときに、自転車を進めるのは足で漕ぐ力だけ必要なのに、ハンドルを持つ手にすごく力を入れています。ハンドルは軽く手を添えているだけで操縦できます。そうすればムダな力が省けます。また、畑を耕す時などは、鍬を振り上げるときも、振り下ろす時も足を踏ん張り、全身の筋肉を緊張させ、腕の筋肉で掘り起こそうとしていますが、実際に力が必要なのは鍬が地面に入るときだけなのです。何と言うムダな力を費やしているのでしょう。これでは疲れるのは当たり前でしょう。何をするにも省エネが重要ですねぇ。私は今、全ての動作でムダな力を追及しながら、“省エネ動作”の開発(?)に没頭しています。貴方も“ムダな力”を省いてみませんか?( Jan. 22. 2004 )


 大発見!!! でもないか? 八木アンテナならぬ丸めたコードでFMの感度アップ。

 スピーカの廃物利用で、ラジカセのFM放送の音楽を食事をしながら楽しんでいますが、どうもラジカセのFMの感度があまり良くなくて、特に天気の良い日は極端に感度が低下するのです。この現象は誰でもご経験のことだと思いますが、何とかならないものかと、ロッド・アンテナの部分に手を近づけるとかなり音が大きくなります。手をアンテナ端子に接触させると確かに感度が上がります。と言うことは、アンテナ端子を接地すれば感度が上がるのでは? と考えましたが、まさかAM放送ではあるまいし、電灯線がアンテナの代わりになるはずもない。しかし、もしかするとと考えて、コンセントの接地端子に接続してみることにしました。アース線が足りないので、あちこち探した挙句、昔スピーカを接続していた不用になった長い平行(平型)ビニール・コードを見つけたので、それを継ぎ足してアンテナ端子に結び付けて、一方をコンセントの接地端子に接続しました。

 ところが、期待に反して感度が上がるどころか、音が小さくなったように思えます。“やっぱりダメか!”とアース線を取り外して、コードを丸めてラジカセの近くの椅子の上に置きました。コードの一端はラジカセのアンテナ端子に接続したままです。“あれっ!”FM放送の音が大きくなったのです! すぐにコードを引き伸ばしてみました。ところがコードを引っ張ると音は小さくなってしまいます。まさか椅子の上で電波を拾っているのではないでしょうね? また丸めておくと音は少し大きくなります。FMの感度(gain)が上がる感じです。おなじ椅子の上でもコードの丸め方で音が大きくなったり小さくなったりします。椅子の位置をずらしても変わるようです。これは大発見です! 上手く行けば“ノーベル賞”ものです!!!(まさかアンテナでもないコードを丸めただけで?/丸めたのがミソですょ!/高い金出してFMアンテナ立てる事ないか?/理論的解明が必要ッ!!)

 しかし、椅子と一緒に感度の良い場所を探しても実用的ではありません。椅子へ座れませんからねぇ。丸めたコードをラジカセの近くの床へ置いてみました。どうもうまくありません。スピーカの横に置いたCDカラオケ機の上に置いて色々丸めたり、ほごしたりしてみました。何となく感度が良くなるときがあります。もう試行錯誤で最適な丸め方を探すしきゃないッ!!! 一体なんでこんなコードでFM電波の感度が上がるの?(そんなこと知るかッ!) しかし、最適点…と言えるかどうか、何しろ、かなり感度が高くなる点(gainが上がる?)を見つけました。これ以上、良い丸め方を探し出すのは至難のワザですねぇ! 疲れてしまいました。(下手にいじらないでねッ!! 感度が低下したら、元に戻すの大変なんだからッ!)でもFM音楽が快適に聴くことが出来るようになって、バンバンザイで〜す!!!

 正に、“瓢箪より駒”、“理論より実際”、論より証拠現物写真を見て下さい。タネもシカケもありません。ダンゴ・コードFMアンテナ完成で〜す!!!( Jan. 16. 2004 )


 ネットワーク『地球村』よりイラン大震災救援についての第2弾の通信が届きました。

 前回は緊急支援依頼の連絡でしたが、今回は、更にイランの大震災の支援体制についての方針と、新たな国際協力基金口座の開設の案内です。これによって国連NGOとしてのネットワーク『地球村』の国際的な支援体制が確立され、災害や紛争による被災への緊急支援に対する迅速な対応が可能になります。どうか貴方やご家族の皆様のご協力をお願い致します。イラン地震の詳しい状況についてはヤフーニュースの海外トピックスなどでご覧下さい。

 今回の支援には『地球村』としては直接現地に入ることが出来ないので、現地で効果的な活動をしている民間団体としてAMDAを、また国連団体としてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に協力する形で考えています。
 AMDAは、世界規模で活躍している医療関係の日本の民間組織です。アジア、アフリカ、中南米において、戦争・自然災害・貧困等により社会的・経済的に恵まれず、社会から取り残されている人々への医療救援と生活状態改善のための支援を実施しているNGO・国際ボランティア組織です。

 ご協力頂ける方は、義捐金を下記の郵便口座へお願い致します。

      口座名   ネットワーク地球村国際協力基金

      口座番号  00910−0−240285

 なお、振替用紙の通信欄には、必ず“イラン支援”と明記して下さい。別に振替料金70円等が必要になりますので、局員にご確認下さい。
貴方の温かいご支援をお待ちしています。

 政府・自民党においても、今後の国際的な救援活動などにおいてはNGO等の協力が必要不可欠と認識され、NPO(非営利組織)、NGO(非政府組織)との関係を強化するため、党の組織本部の下に「NPO・NGO関係団体委員会」を新設する方針を固め、今月16日の党大会で同委員会を設置するための党則改正を決定する方向です。

 ネットワーク『地球村』は、国連の諮問機関としてのNGOに認定されており、NPO法人の資格も取得しています。また、ヨハネスブルグ・サミットにおいて、世界平和実現のために、『地球市民国連』を提唱しており、その実現に向けて活動しています。世界には私たちの救援の手を待っている人々が沢山います。『地球村』の活動に、ぜひ、貴方のサポートをお願い致します。また、貴方の周囲の方々にもお伝え下さい。( Jan. 15. 2004 )


 「カタロジスト」。欲しいと思う商品のカタログを集めて、実際買うわけではないが買ったときを想定して色々楽しむことのようであるが、日経新聞の文化欄に寄稿されている作家の高橋源一郎氏の造語らしい。しかし、金欠病の私たちも日常そういうことを楽しんでいることが多いのではないでしょうか? 私の長男などは、小さかった時に自転車が欲しくて、自転車のカタログを毎晩枕元においてカタログを眺めてから寝るのが習慣になっていて、あまりのことに1年くらい経ってから、こちらが根負けして自転車を買ってやったのを思い出します。

 ところが、高橋氏の「カタロジスト」は徹底していて、切手のカタログから始まり、市場での切手の相場までも暗記してしまう。その次は、オーディオ装置のカタログに夢中になってしまう。次から次へと新しい装置が出るたびに、その論評を読んでどんな音が出るのか想像をたくましくして楽しむ。結局は実際に視聴しないまま、これこそと思うアンプとスピーカとプレーヤとカートリッジの組み合わせを、カタログで選んで高価な装置を購入するが、ほとんど聴かないで、今まで持っていた安物の装置にウオークマンをつないで満足してしまう。本物よりもカタログを見て想像している方が楽しいのである。

 何よりも共感したのは、オーディオ・マニアの私は、学校を卒業してお金を稼ぐようになった時からずっと“カタロジスト”になっていて、未だにオーディオ誌で、高級な装置の音を想像しながら購入したときを想像して楽しんでいるのである。しかし、氏と少し違うのは、自分でもアンプを作ったり、装置を組み立てたり、廃物を生き返らせたり…壊れたスピーカを貰ってきて、切れているボイスコイルを直して鳴らしたり、エッジがボロボロになって使えなくなったスピーカのエッジを鹿皮でフリーエッジに再生したり、壊れて手に入らない部品を手作りして再生したりする楽しみを持っていることだろう。

 家を新築して、20年もお蔵になっていたレコードプレーヤを復活させたことは前にも述べたが、最近、ビデオデッキが続けて壊れ、アンプも調子が悪くなって音が出たり、出なかったりする。修理代もバカにならないと、昔使っていた旧いアンプ(ビクターのJA-S41という当時としてはベストチョイスのアンプだったが…)を引っ張り出して使おうとしたら、どうもプリアンプの部分が具合悪い。(もう腐りかけているんだものね)正月が近づいて子供達に良い音で“紅白歌合戦”を聴かせてやりたいと、又むらむら再生マニアの血が騒ぎ出した。よくよく調べたら、故障したソニーのアンプは、プリアンプの部分は健在で使えそうだし、ビクターのアンプはプリアンプ以外はどうにか使えそうだ。そこで考えた。プレーヤからソニーのアンプにつなぎ、ソニーのプリアンプ出力をビクターの外部入力からメインアンプにつないで、スピーカ出力には自慢のタンノイのスターリングをつなぐことにした。

 大成功!!! これが予想外の効果で、今までにない素晴らしい音がタンノイから流れ出した。今までのシステムは何だったのか? ソニーのアンプとタンノイのスピーカはミスマッチで宝の持ち腐れだったのだ! テレビの音声出力もJA-S41の外部入力に接続したら素晴らしい音になった。廃品再生大成功!!! (でも本当は最新カタログの、あのAVアンプが欲しいんだよな…。(うん十万もするのだ!)きっと、もっともっと良い音が聴けるはずなのだ…)

 これに味を〆たわけでもないが、引越しの際に邪魔者にして置き場所に困っているでっかいコーラルの2ウェイ・スピーカが一個あるのだ。知る人ぞ知る、オーディオ・ブームの先駆けはスピーカの競争だった。(今でも音の出口は最も重要なことに変わりは無いが…)コーラルはハークの後継で、ハークはフリーエッジ・スピーカの先駆けで、音にこだわって、当時のスピーカのフレームは板金づくりだったのに、ハークは共振を嫌って唯一高価なアルミダイキャストを採用していた。今でも当時の6.5インチのハークのフリーエッジ・スピーカを大切に保存している。むろん音も出せる。(何時か何かに使ってやろうっと…/ボロ屋だな?/いやリサイクル・センターなのだ!)そこでこれらの邪魔者のスピーカの使い道を考えることにした。

 それで考えたのは省エネのため、テレビからラジオに鞍替えすることだ。外部スピーカを接続できるラジオを探したら、ありました! これもまた壊れて長女がゴミ箱へ捨てたラジカセで、当時二万円もして、ソニーの“デンスケ”に似た優れ物のナショナルのLLカセットラジオ(RQ-570)で、長女が外語大受験のために買ってやったものだ。駆動ベルトも切れてしまい修理が出来ないでいた。もったいないので、ベルトは現物合わせでゴムのシートから切り出してテープで貼り合わせて作って再生した。その他の具合の悪いところは分解して修理した。電池でも使えるので便利なのだ。そしてFMが聴ける。これをセットにしてダイニングに置いて、食事をしながら音楽を聴く。電力も6Wだから省エネだ。しかし、カセットラジオで、果たして10インチの2ウェイ・スピーカが鳴らせるだろうか? やりました!!! 素晴らしいHi−Fiの音楽が流れました! 案ずるより生むが易し、一連の省エネと廃物利用(Reuseか?)が成功しました。

 今日も食事と音楽を楽しんでいます。でも「カタロジスト」は理想の音を目指して、まだまだ続きます。さて、貴方は“カタロジスト”?( Jan. 11. 2004 )


 歌手の石川さゆりさんがとても好きになりました。歌は上手ですが、結婚してから何となく暗い感じになって、あまり好ましく感じられなくなっていたからです。しかし、それが、日経新聞の“元気悠々”欄の談話“健やかに美しく”を読んですっかり変わりました。

 「結婚して子供が生まれてから、道端に咲く花や空の色の移り変わりに目をやるようになって、子供に季節の変化を教えようと思って始めたことですが、むしろ子供の方が私に自然の大切さを教えてくれたのかもしれません」と、今まで仕事場との往復ばかりで季節など意識する余裕のなかった自分を見直されています。また、きちんと旬の食材を使って料理をしたり、暖房を使わず、寒さは着る物で調節してしのぎ、「人も自然の中の一部分だから、季節の流れに逆らわず、冬は冬の野菜を食べ、装いを冬用にするという当たり前の暮らしをすることが、心身の健康をもたらしてくれる気がするんです」と話されています。

 この石川さゆりさんのように、自然に沿った当たり前の生活が出来なくなって、仕事に明け暮れて大切なこころを忘れ、CO2 をバカバカ排出しながら暖房して、薄着でカッコ良いと思い(ひょっとして、薄着の子供が良いってこと?/家の中でかぁ? 私なんか、子供と二人、上半身裸で雪のちらつく田圃道を走って鍛えたもんですよ/今時そんなことしたら、児童虐待で大変だッ!)、北風の野原で遊ぶ子供から学ぶことも忘れ、親の気まぐれで子供の教育や躾をしたつもりの母親が多い今の世の中で、歌手業で一般人の私たちよりずっと忙しく、時間の余裕も無い石川さゆりさんが、“家庭”と“子育て”と“仕事”をこのように自然体でこなしておられることを知って、尊敬の念を覚えると共に、今までとは別の石川さゆりさんを、心から大好きになりました。(そんなこと言って、“洋子ちゃん”はどうするの?/そりゃあ、歌の心と自然を愛する心とは別だょね/可愛い“洋子”ちゃんと大人の魅力の“さゆり”さんってわけ?/ハハハ)( Jan. 7. 2004 )


 NASAの火星探査機が無事火星に着陸し、火星の水の存在や生物の存在の証となる有機物などの探査を開始するそうですね。やっぱりNASAの技術は大したものですねぇ! ひょっとすると、既に他の未知の天体から先発隊が来ていたりして、エイリアンと遭遇ッ!なんてことにはならないでしょうね?(アホなこと言うな、子どもでもあるまいし!/子どもでも言わないか?)

 それに比べると、補助ロケットの切り離しなどに失敗して、情報衛星とかを打ち上げ損ねるような日本の宇宙開発技術などは、莫大な金を掛けてまでやる意味はありませんねぇ! そんな金(税金?)あったら、もっと国民のためになること(医療や福祉、教育や環境保全など)に使ってもらいたいですね。(“tommyのつぶやき”のようにってか?/また、バレたか?)何しろ、道路公団改革など、一体どうなっているの? 強いアメリカにゴマすって、緊急でもないイラクのサマワに自衛隊送って、イラクに復興援助金を償還無用と大見得切って“弁天小泉ここにありぃ〜ッ!!!”てか? 日本の国民はどうなってるの?( Jan. 4. 2004 )


新年明けましておめでとう御座います

 穏やかな元旦を迎えて、貴方や貴方のご家族の皆様もきっと良いお正月をお迎えのこととお察し申し上げます。

 昨年末のイランの地震では被害がとても大きく、イラン当局からは死者が4万人にものぼるとの発表がありました。日干しレンガの家屋がほとんどと言うこれらの地域に共通の構造が災害を大きくしていることは否めませんが、何よりも国民が貧しく、国の政策が国防に偏って、人民のための政策が無視されているのではないでしょうか?

 世界中から戦争や紛争を無くして、真に国民、一般市民のための政治ができるよう、国連中心の政治を進めなければなりません。イラクへの武力行使にしても、アメリカ一国の思惑だけで、国連の決議を無視した行動を、戦争の惨めさを知り尽くし、唯一、憲法に“戦争放棄”を掲げながら、憲法の精神を歪めて都合の良いように解釈し、アメリカの後押しをして、殺戮破壊を認めておきながら、イラクの復興・人道支援との大義を掲げて自衛隊を送り込む小泉内閣を容認することは出来ません。それよりも緊急を要するイランの救援活動にいち早く自衛隊や医療チーム及び救援物資を送るのが、世界平和を目指す日本政府の取る道なのではないでしょうか?

 ネットワーク『地球村』から、イラン地震の救援・援助要請が届きました。貴方の温かいご援助を心よりお願い致します。私もささやかな支援を、新年初の平和活動にするつもりでおります。どうか今年一年の貴方と御家族に対して、お幸せとご健康を心よりお祈り申し上げます。また、本年も相変わらず、この拙いホームページにお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。( Jan. 1. 2004 )


[ホームページの最初に戻る]


[2003年後半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[2003年前半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[2002年後半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[2002年前半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[2001年後半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[2001年前半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[2000年後半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[2000年前半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[1999年後半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[1999年前半の「tommyさんのつぶやき」を見る]

[1998年までの「tommyさんのつぶやき」を見る]