ミートホープによる牛肉コロッケの偽装事件は、調べれば調べるほど品質のデタラメ振りは目が点になるどころか、この世のものとは思われないほど信じがたい事実です。
当初は牛肉に豚肉を混ぜていた位に考えていましたが、内蔵を混ぜたり、血を混ぜて色をつけてごまかしたり、売れ残りの肉まんを潰して肉まんの皮もろとも混ぜ込んだり、返品の賞味期限を張り替えて再出荷したりと、とても信じられない所業が20年も以前から行われていて、不正の事実が次々と発覚するに及んで、やっと強制捜査に踏み切ったという異常さです。
不正が発覚するに及んで、それが社長自ら偽装をこと細かく指示していたと言いますから、開いた口がふさがりません。品質よりコスト、儲け第一主義。挙句の果てに、業務を続けられないからと従業員を全員解雇で幕とするというしぶとさ! 経営者の倫理の凋落もここまでくれば、呆れると言うより、天晴れと言うべきか? 何もこれらの不正はミートホープだけでもあるまい、と誰もが思うほど最近の世の中はメチャクチャになってきている。今、改めて“荀子の乱世の徴”が胸に深く落ちてくる。
司法の場でも、山口県の母子暴行殺害犯の1,2審の無期懲役判決に対して「特別の事由が無ければ、死刑も止む無し」とした最高裁差し戻し審(犯行から8年も経っているんですよ!)で、加害者の元少年は一転無罪を主張(異常に思える21人もの被告人弁護団)。 裁判とは何だ? 弁護とは何だ? 被害者の人権とは何だ? 正義とは何だ? 現代には正義も倫理も道義も存在しないのではないかと悲しくなってくる。
国会では、数を頼んでの法案のゴリオシ採決! 審議とは名ばかりで、政府が重要と位置付ける(参議院選挙で、自民党議員数を過半数獲得する手段か? それとも憲法改悪の下準備か? いずれにしても、野党は与党にたいして数の上では逆立ちしても対抗できないッ!)法案を期限通りに成立させるのが目的で、手段を選ばずの手法は、前小泉無謀政権のDNAを安倍首相も受け継いでいるのか? 議会制民主主義の崩壊は、倫理の凋落と合わせて日本の将来に暗い影を落としています。もうすぐ行われる参議院選挙の結果で、国民の意識と良識が証明されますねぇ! 貴方も、日本の将来を良く考えて、正しい選択をして下さい。選挙に、義理や人情は不用です!( Jun. 30. 2007 )
ところが最近、私の愛飲している「ヴィノスやまざき蔵直ワイン」で、本場フランスのワインだけでなく、イタリヤやスペインをはじめ、カリフォルニア(USA)、オーストラリアやニュージーランド、チリ、南アフリカ等の安くて美味しい赤ワインを続々と開拓してくれているのに勢いを得て、適当な値段のワインを片っ端から1本づつ飲んで見て、独断と偏見で評価した「ワインリスト」(現在、約80種類)を作成しました。
このリストに従えば、フランスワインに拘らなければ、確実に安くて美味しい赤ワインを選択する事が可能となり、好きなワインライフを安心して続けられることになって、豊富なポリフェノール(老化防止物質)を摂取することにより、若さと健康を保ちつづける事ができますねぇ!(いつまでも“生”に執着するなと、お釈迦様がおっしゃっているぞょ!/いや、赤ワインに執着じゃょ!)
“健康は国の宝”(医療・介護費を減らすのだぁ〜)ですからねぇ! 貴方も、安くて美味しい赤ワインで、何時までも“美貌と健康”を保ってください!( Jun. 20. 2007 )
「母の日」といえば、母に贈るのは“赤いカーネーションの花”でしたねぇ。
私の母は終戦(第2次大戦の敗戦)の直前、昭和20年の6月に亡くなりました。終戦後、新しい民主主義の時代が到来し、今、憲法改正論で問題となっている“戦争を放棄した新しい憲法”の下で、学校制度も6・3・3制となり、国民学校が小学校となり、私は小学校の3年生となったのです。「母の日」が制定され、その日、学校では、児童に“赤いカーネーションの花”が手渡され、母に感謝の贈り物として家に持って帰るよう先生に言われました。
しかし、私には“赤いカーネーションの花”を贈って感謝する母はもういませんでした。その代わりに、私には“白いカーネーションの花”が手渡されたのです。父へ感謝の贈り物として…。このことが私の小さな心に、言いようの無い深い心の傷を与えたのです。友達が嬉々として“赤いカーネーションの花”を持ち帰るのを見ながら、私一人が“白いカーネーションの花”を持って黙々と歩く辛さを誰も知りませんでした。
この心の傷は、今もって癒えてはいません。毎年、「母の日」を迎える度に、心の傷は痛むのです。今、私の子ども達が、カーネーションではなく、明るいアジサイの花を贈ってくれるのも、私を気遣ってくれているのかも知れません。
もう60年もの時が流れたのですが、戦後は未だ終っていないのですねぇ…。でも、子の親、更に孫を持つ身になって、少しづつ昔の心の傷は癒えていきつつあります。
子どもの気持ちになって考える、他人の身になって考える、お互いに心を通わせるという事の難しさを、毎年、この日が来る度に深く噛みしめるのです。親切心(しんせつごころ)の難しさ、同情することの難しさ、悲しみをいたわることの難しさは、言葉などではとても言い表せないのですねぇ…。
でも、お母さんや、お父さんには、「有難う!」と感謝の言葉を忘れないで下さいね!( May. 13. 2007 )
少子化対策で戦々恐々としている安倍内閣ですが、我が家も含めて当地では子供の数が急に増えて、何の少子化? と首を傾げていますが、これもこの地区の土地区画整理事業のお陰で新築の家庭が増加してきたために、子ども連れの家庭が増えたらしいのです。子どもが増えると賑やかになって、地域に活力が出てきます。正に子は国の宝ですねぇ!
どうもそれだけでなく、出産が増えているのか“鯉幟”のたなびいている家が其処ここに見当たり、世の中まだまだ活力があるなあと、ほとほと感心しています。
端午の節句は男の子の節句で、鯉が滝を遡るように、元気で立派に出世するようにとの願いが込められていますが、日経新聞の「春秋」欄によると、最近の統計では、“偉くなりたいと強く思う”子は、米、中、韓国では22〜30%いるのに、日本では8%しかいないという。一方で“だるくて疲れている”と言う回答が、小学5年生の7割がそうだというから、これは安倍総理が躍起になるまでもなく、正に日本国存亡の危機ではあるまいか?
この現象を端的に表していると思われるのが「NIKKEIプラス1」の足立則夫さんの連載“妙なお話”で、
「これっておかしいんじゃないか。子供たちの様子を見ていて、強く感じることがある。近所で小学生の野球の試合を眺めていた。バッターボックスの子どもが1球ごとに監督をうかがう。サインを見ているのだ。三振してベンチに戻ってくると、コーチ役の父親がフォームや選球の細かい注意をする…」
子どもの野球までプロ野球化し、大人の管理化の下に置かれていて、野球を楽しむことが失われて、勝負至上主義となっていることを憂いておられる。
足立さんと同様に、私達の少年時代には、無論勝つ事も大事なことではあったが、野球は楽しむ事であり、自分達のチームは自分達で、上級生、下級生をかき集めて、ボールやバットやグラブも手作り、監督には少しでも野球に詳しいお兄さんに頼んでコーチ兼監督役で、隣村の野球チームに試合を申込みに出掛けたものでしたが…。
「…目先のことに関心を奪われ、遠くを見据えた子育てが疎かにされてはいないか。子育てに、今、求められるのは“顕微鏡”ではなく“望遠鏡”である。『子どもの日』にあたり、そんなことを考えた。」と結んである。
今、高校野球連盟(高野連)で問題になっているが、高校のスポーツ特待制度で、優秀だと思われる中学生の野球選手が高校に入学するに際して、多くの高校で、特別に奨学金を支給したり、授業料を免除したりして、優秀な野球選手の入学を促進していた。
そこで“日本学生野球憲章に違反していた”のではないかと調査を依頼したところ、特待制度を持っていた高校が376校にも及び、今更、制度云々も何とやら、今まで実態を無視していた高野連こそ怠慢では? と逆に批判があったとか、無かったとか?
高野連だけでなく、大学のスポーツ入学だってそうだろうし、オリンピックの選手選考などでも不透明なところが多いのでは? と疑惑は際限ない。実際には、スポーツの目的と手段を間違えているのではないか? これなど、教育問題などと同根だと思うのだが…? ( May. 5. 2007 )
エリツィン氏に続いて、世界的なチェロ奏者、ロストロポービッチ氏が4/27日に亡くなりました。80歳でした。氏は、旧ソ連時代の民主化運動家としてもよく知られており、ゴルバチョフ氏を狙ったクーデター阻止に、エリツィン前大統領と行動を共にしていた、と日経新聞にありました。
また、ロストロポービッチ氏は知日派としても知られ、指揮者の小沢征爾氏とも入魂(じっこん)の間柄で、演奏活動や若手の音楽家や子ども達の音楽教育などにも熱心に協力していて、NHKでもその様子が放送されています。
両氏は、政治家と音楽家との違いは有れど、強い信念と行動力を持って冷戦後の平和な世界構築のために献身されました。心よりご冥福をお祈り致します。
我が国では、現在、憲法改正に向けて国会で議論されていますが、本当に世界平和に向けての強い信念を持って、政治家もそうですが、国民1人1人が、真剣に、憲法改正の是非を議論しなければならないだろう。( May. 2. 2007 )
ちょうど、アメリカのバージニア工科大学で、同校の学生が銃(二丁のピストル)を乱射し、32人もの学生を射殺し、15人に傷を負わせたというニュースをみて、アメリカの銃社会問題が深刻になってきていることを痛感していたところへ、突然の長崎市長のピストルによる暗殺のニュースに、一瞬頭の切り替えが出来ない恐怖を覚えました。
犯人は暴力団員で、過去に自分の交通事故に対する市の対応が悪かったので、その腹いせに4期目を目指して立候補し、遊説中の伊藤市長を狙ったというのです。別に伊藤市長に怨恨があったわけではなさそうで、市への不満の八つ当りで市長が目標になったのでしょうか?
伊藤長崎市長は、原爆を使用し、無抵抗な市民の大量殺戮と都市を壊滅させたアメリカを非難すると共に、戦争を憎み、世界に非核三原則を守り、世界平和を確立させるために、国連などで強く訴え、原爆記念日の平和宣言では、イラクに軍事実力行使を遂行したアメリカのブッシュ大統領を名指しで非難したほどの平和主義者で、優れた政治家でもあった。この死は長崎は無論のこと、日本ばかりでなく、国連を通じた世界にも惜しまれる事であろう。
長崎では、前市長も銃撃の被害にあっており、犯人が暴力団員だとはいえ、平和を維持する日本国内で、銃による犯行が公然と行われるような治安を許してはならない。政府は国の公安関係者を総動員してでも、暴力団関係だけでなく、全ての銃刀法管理の徹底を図り、“美しい国”などよりも、安心・安全な国造りを早急に進めてもらいたいものだ。
伊藤長崎市長のご逝去を悼み、心からお悔やみ申し上げると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。これ以上、同様な被害が繰りかえされないことを祈っております。
選挙戦では、ともすると対立候補者との間で、常識を逸脱した行動や妨害が公然と行われており、私も市長選の選挙活動に参加しておりますが、常に対立候補の後援者から監視され、尾行されるなど、夕闇などでは底知れぬ不安を禁じえなかったが、何事も無く、もうすぐ選挙戦も終結するだろうことを祈っている。( Apr. 19. 2007 )
混むと嫌なので、朝早く出発しようと朝食もそこそこにバス停へかけつけましたが、時間になってもバスが来ません。「多分遅れて来るんだよ」と言う私に対して、「もう行っちゃったのよ」という妻と諍いになってしまいました。慌てたので、朝の薬を飲み忘れていましたが、「一回くらいどうでも良いよ」と言う私に、次のバスの時刻まで間があるからと「血圧の薬はきちんと飲まなきゃだめよッ!」と言う妻の強面に、時間を気にしながら急いで家に取って返し、薬を取って掛けつけましたが、あ〜ら、次のバスも行ってしまいました…。やっぱりそれは、遅れて来た前のバスなのでした。また、そこで言い争いです。“喧嘩するほど仲が良い”とは言いますが…?
小田急線の新松田駅から新宿経由で山手線の上野までですが、予定のバスに乗り遅れたお陰(?)で、“快速急行”という急行より速い電車に乗る事が出来て、予定通りの時間に上野に到着しました。駅の催事チケット売り場では「オルセー美術館展」のチケットが、65才以上は、一般の1500円より割安の「800円」で入手することが出来てラッキーでした。混雑すると思われた美術館も、すんなりと入る事が出来て万々歳でした。
しかし、期待したほど展示内容は良くはありませんでした。場所も狭く、照明が暗過ぎるし、大きな絵は、混んでいるところでは距離を置いて見ることが容易ではありませんでした。幸いにも平日で、大混雑していなかったのが、唯一救いでした。
ゴッホやルノアール、セザンヌ、モネ、マネなどの絵も、あまり知られた物は少なかったのですが、ゴーガンの木のレリーフの“深皿”や“額縁”、ジョゼフ・ブロカールの“吹きガラスの手水鉢”、コンスタン・セヴァンの“金を施した青銅の大型装飾花瓶”や陶器類に素晴らしい作品がありました。また、古い湿板写真の数々には、セピア調とはいえ細部が鮮明で素晴らしいものがありました。
久しぶりの美術鑑賞で心に潤いが満ち溢れるような気がしました。日本人の常で絵画展には我も我もと押し寄せて、人を押しのけての鑑賞態度はさもしさ丸出しで、教養も良識のカケラも何もありませんが、もう少しゆったり鑑賞(見物)したいものですねぇ。我ながらせっかちな感じは否めません。心にゆとりがないのでしょうか? この次はもっとゆったり鑑賞しましょう。日本では撮影が禁止されているので、会場の雰囲気をお見せできなくて残念ですが…。( Mar. 24. 2007 )
なるほどそうかとは思うが、どっこい、そう簡単ではなさそうだ。そこで、私の高齢者向けジョギング実践法を伝授しよう。
先ず、走るときは足を余り上げないで、摺り足をするようにして、地面より僅かに足を上げてそのまま前に歩を進める。
その時、身体も一緒に前に進める。即ち進める足と身体とを一緒に前に進める。全身の筋肉は緩めて、膝も少し緩めて体重の衝撃を直接受けないようにする。
両手は意識して振らない。自然に任せる。強いて言えば、上下か、横に振り出す。意識は“前に進む”→“前に進む”と意識して、身体は常に垂直を保ちながら歩を進める。
但し、上り坂には、頭を僅か前に出して前足に体重を移し、下り坂は頭を僅か後に下げて後ろ足に体重を移す。即ち、上り坂で体重が後ろ足に掛からないようにし、下り坂では、体重が前足に掛からないように注意する。
更に、意識するとしたら、金哲彦さんのおっしゃる丹田に重心があるように意識することだろうか。老人は、速く走ることではない。景色を見ながら楽しく、楽に走ることで、たまに走っても足が痛くならず、長い時間続けて走ること(持久走)ができる。
もしジョギングをやってみようかなと考えておられる人は、ぜひ試してみて下さい。
そうそう、ジョギングシューズは最も重要ですから、念の為、踵にクッションのある軽い靴を選びましょうね! そうすれば、アスファルトやコンクリート舗装されたような硬い道路でも石ころの多い道でも大丈夫ですよ。でも、転ばないように注意しましょう!( Mar. 19. 2007 )
幸いにも前回の免許証更新時には、裸眼でギリギリ、おまけで合格になりました。メガネを掛けても、掛けなくても0.7ギリギリ一杯だったのでしょう。運良くゴールド免許だったので、また5年間はOKということになりましたが、免許はともかく、視力が低下してくると運転は危険が増しますし、老人になると聴力も低下して来ていますから、どちらにしても安全とは言えません。
ということで、老齢化社会が進んでくると、高齢者の交通事故が増えてくるのが当然です。かといって運転免許を返納するほどの勇気も持ち合わせていないのです。便利さを捨てると言うのはなかなか難しいということでしょうか? だから、省エネ、温暖化防止がなかなか進まないのですねぇ! 自家用車を捨てれば、確実に20%以上のCO2排出削減ができるはずですからねぇ!
実は、そういう事を話そうと思ったのではないのです。日経新聞のSanday Nikkei αで、男性の平均寿命が78.56歳、女性のそれが85.52歳という高齢化社会になって、長い老後をどう過ごすのか、50〜59才の男女に、定年後の勤めについて働きたいかどうか尋ねたところ、(専業主婦には“夫に働いてほしいかどうか”を…)74%が“働きたい(働いて欲しい)”と答えている。その理由が、
@ 年金だけでは収入不足と言う回答で、女性の方が元気で、専業主婦にしてみれば、濡れ落ち葉のようにベッタリ家にいられてはたまらないから、いっそのこと熟年離婚でもと考えているのではないか? と勘ぐってしまう。
A 年金制度の先が見えない
B 社会とのつながりがあった方がいつまでもいきいきできる(女性)
C 夫が毎日ずっと家にいるとうっとうしい(専業主婦)
@ “疲れた!”(55才 男性)という。残業代も貰えずサービス残業で心身をすり減らして、今更、再就職なんてという哀れなサラリーマン像が見えてくるようだ。(若い人だって、ひょっとすると“ホワイトカラー・エグゼンプション”だぁ!)
A “のんびりしたい!”(53才 男性)
この催しは、隣接する幼稚園ともタイアップして、児童の体力アップと共に、自己の目標タイムを目指して挑戦させることで、精神力を養うことのようですが、同時に父兄や地域の人々との参加によって、触れ合いを深める目的でもありますが、なかなか一般の人達の参加は難しいようです。何しろ、幼稚園児でも、最低600m走らなければなりませんから、普段運動もしていないお年寄りでは尻込みしてしまいます。それでも、幼稚園児の若いお父さん方の中には、自分の子どもと一緒に走ろうという人も幾人かはおられますが、これは、一緒に走るというより自分の子どもの伴走をするという意味合いが強いようです。
プログラムを見ますと、2000m、1500m、1000m、800m、600mがあり、学年に関係無く、各人の挑戦目標に応じてエントリーするようになっているようです。600m以外は、トラックを一周した後、外の歩道橋を越えて、部落の中の舗装されていない自然の道路を走って折り返します。全ての児童が、どれかのコースにエントリーしなければならないわけですから、大変決心が必要です。
それに、足の悪い子でも、太った子でも、みんな参加するのです。身体障害児でも例外ではありません。しかし、ちゃんと先生がサポートして一緒に伴走してくれます。競争が目的ではありません。それぞれ自分て決めた目標達成に向けて走るのです。これこそスポーツの醍醐味、オリンピック精神の原点ではないでしょうか? この催しを続けてこられたこの学校と先生方の地道な努力に称賛を送ると共に、教育の根源を見る気がしました。
現代の教育が、学力ばかりに拘って、敵対競争に汲々として、他人を蹴落とすことに精力を費やし、他人を気遣う事を忘れて、親も子も自分本意になっているのではありませんか? また、いらぬ背伸びと点数稼ぎの学習塾に漬かりきって、勉強の楽しさ、友達とのコミニュケーションの大切さを忘れています。例えレベルが低くても、他人に頼らず、自分の力に応じて目標を定めて挑戦する努力の尊さを、侮蔑しているような気がしてなりません。スポーツなどもメダル以外に価値は無いという無味乾燥な世界となっているのではありませんか?
何はともあれ私メも、昨年同様2000m走に参加しました。この年では普段の練習はするべくもありません。防犯の巡回やビラ配りの仕事を利用して、足を衰えないように訓練するだけです。しかし、気を出して走ることは修練していますので、速く走ることは出来ませんが、2000mや3000m位の持久力は、多分大丈夫だと思っています。(血圧の薬を飲んでいても大丈夫?/血圧を上げないように走るさ!/医者の伴走はいらないの?/ダウンしたら歩けばいいのさ!/気楽だねぇ!!)
ということで、2000mエントリーの精鋭達の一番後ろから走ります。「おじさん、2000m走るの?」選手たちは、私を振りかえってビックリ顔です。「うん、一緒に走ろうね!」(どうせビリッケツなんだから、気が楽ですょ。今年はどれくらい離されるかなあ。去年は、最下位から20m位遅れてたかなあ)
号砲一発! スタートです! 先ずはトラックを一周して場外へ、観覧席の児童からも声援が飛びます。それに手を振って答えながら走ります。校門を出るところで、予想もしなかった父兄のお母様方から“ガンバッて〜!”と声援が沸きました。見なれた顔が並びます。思わずガッツポーズをしてしまいました。(これでは、途中棄権するわけにもいかないなぁ!)選手達は、もう既に歩道橋の向こうの方に走っています。
途中、道の両側に父兄のボランティアの方々がサポートして下さっていますので、その方たちにも「ご苦労様です」と、その度に頭を下げます。選手達は、とっくに先の方を走っています。折り返し点では、最後尾の小さな女の子との差が50m位か…?
折り返しを過ぎたところで、前を行く女の子が転んでしまいました。伴走の先生が付いていますが、泣き出しそうな気配です。追いついて励ましてあげよう! ピッチを上げます。暫くして、やっとこさで追いつきました。「カンバろうねッ!」伴走の先生と一緒に、激を飛ばしながら一緒に走ります。お陰で一人旅でなく、最下位を二人で維持しながらゴールに向かいました。ころんでくれた女の子に感謝です! 無事、今年初の大イベント“エンジョイ・ランニング”は終了しました。教頭先生に来年またの出場を約して、楽しい余韻を残して帰路につきました。( Feb. 18. 2007 )
この問題解決は、国民にとっても重要で、安倍内閣の姿勢が問われます。問題発言は大臣の資質の問題でもあり、謝って済む問題ではありません。おまけに、野党欠席のまま国会の審議を続け法案を採決に持ち込むのは、絶対多数を盾にした無法であり、小泉前内閣の“国会で審議を尽くさない”という悪習慣を是とする許せない行為です。審議機関である国会を無視した行為で、国民の期待を裏切る行為です。現在の混乱した世相を反映していると言えます。いや、この政治の実態を反映して、社会が混乱しているのですょ。“美しい日本”などと洒落ている場合ではありません!
ここは、安倍首相が厳しい判断を示して、国民の期待に答え、内閣改造を決心するくらいの指導力を顕わすべきではありませんか? ここでそれを躊躇すれば、安倍首相の指導力と同時に、仲良しクラブの自民党集団として、日本の政治力が世界から問われることになりかねません。私たち国民も、次の選挙で正しい決断を迫られるでしょう。( Feb. 5. 2007 )
またまた、賞味期限切れの原料を使った商品を出荷していたお菓子の不二家が発覚し、これまた品質管理不在の第二の雪印事件ではないかと、あきれてものが云えません。日本株式会社の“品質よりもコスト優先”の実態が次々と明らかになってきています。これは、一に経営者の倫理感覚の凋落と社員教育の不在ではないでしょうか?
それやこれやで、新年の挨拶が時期を逸したわけで、市長選挙の前哨戦の忙しさで“心を亡ぼした”結果とも言えるのかも知れませんがねぇ!
豊かな心を取り戻そうと、昔仲間の「歩こう会」の鎌倉七福神めぐりに参加しました。幸い穏やかな小春日和に恵まれて、のんびり歩き続けました。結構賑やかで驚きました。七福神ていったい何の神様なのと改めて調べてみましたら、何と、大黒天・毘沙門天・弁財天は、仏教守護のインドの神。恵比寿は、元々海の幸をもたらす「寄り神」として、漁師の信仰したもの。布袋・福禄寿・寿老人は、中国の福神。寿老人と福禄寿は同体異名だとして、これを除いて吉祥天を加えることもあるとか。また、大黒天は、日本では、「因幡(いなば)の白兎」で良く知られた大国主の命(みこと)とも習合すると言う複雑怪奇な寄せ集めの神様達なのでした。
ところが七福神の民間信仰の起源はかなり古く、応永27年(1420年頃)に遡るといいますから、それ以来、庶民には親しい信仰であり、縁起物として、楽しい行事やお祭りに使われたのではないでしょうか?
何はともあれ、今年一年皆様と共に、私達にも平和で幸せな世の中が訪れ、何時までも健康で豊かな生活が続きますよう、心からお祈り申し上げます。( Jan. 15. 2007 )