「政治」tommyのつぶやき2000年以前

 日経新聞の「春秋」欄に、短期間に国の財政再建を果たして国民の支持を得た、カナダのクレティエン首相の率いる自由党の総選挙での勝利について述べられていますが、財政再建の成功は、政治主導で歳出削減を徹底したからだそうです。

 それについて、あらゆる支出項目を次のようにチェックしたそうです。
  @ 国民が求めているか?
  A 政府が提供すべきか?
  B 地方に任せられないか?
  C 民間に委ねられないか?
  D 効率を上げられないか?
  E 財政難でも支出すべきか?
 ところがわが国の政府のやり方はどうだ! またまたフル規格の整備新幹線の浮上だ。公明党は地域振興券の失敗にも懲りず、再度、児童手当の拡充とくる。選挙対策ばかりが頭にあるのではないかと、やっぱり前官房長官の青木さんの言うような、政治家の頭の中を疑いたくなるのも無理ないねェ。その上、今度は建設省が省庁再編で監督範囲が広くなるので太っ腹になったのか、扇大臣の羽田空港国際化の発言なども首を傾げたくなるねぇ。何のための成田闘争だったの? よく考えて発言してよね!

 カナダをお手本にして、官庁の経費圧縮(省庁再編し、人員も半減して!)、公務員数の大幅削減(議員なども大幅にね!)、様々な補助金、助成金の廃止など、キッチリやって欲しいね。
 「カナダ並みのチェックで“費用と効果”を問い直して見たい。財政破綻を国民が懸念しているのに、政界のコスト意識欠如は相変わらず。それも政治不信の大きな要因だ」と結んである。( Dec. 16. 2000 )


 第50臨時国会のドサクサの中で多くの法律が成立・改正等が行われました。私達はこれらについて新聞やテレビなどの報道で知ることは出来ますが、それがどのように影響を及ぼすのか良くわかりませんし、また面倒な条文を読むこともありません。しかし、良く見てみるととんでもない取り決めがされているものもあって、改めて驚きます。

 それらの法律の中で見過ごせないものは、ヒトクローン規制法と原子力発電施設立地地域振興特別措置法、それに未成年者喫煙・飲酒禁止法改正を挙げたいと思います。

 ヒトクローン規制法は、決してクローン人間の研究を禁止しているものではないし、諸外国での規制と比較して、かなり規制が緩いものであるらしいのです。内容の解説は誤解があるといけないので省略しますが、充分検討する必要のあるものです。

 原子力発電施設立地地域振興特別措置法については、新聞等で解説されている場合が多いようですが、原発の周辺地域に対して公共事業費の国庫負担率を5%引き上げるほか、地方交付税交付金を増額して地域の財政支援を強化し、原発の更なる建設を促進するというものらしいのです。諸外国が原発廃止に向けて動いている中で、日本のみがCO2削減の目玉として、原発建設を促進しようとしているのです。

 原発周辺地域への財政的援助というアメを舐めさせることによって、原発建設反対の動きを封じようとするものではありませんか? 原発の安全性は、先日も東京電力柏崎で冷却用水素ガスが漏れましたが、運転に支障が無いと停止せず、1ケ月余りもガスはもれていたというのです。ガス漏れが止まらず増加傾向であるため、念のため停止したと言うのです。果たしてこんな状態で、“原発は安全”と言えるのでしょうか?

 未成年者喫煙・飲酒禁止法改正では、一見青少年の喫煙や飲酒を禁止しようとしているように見えますが、実際には最も効果の上がる自動販売機の禁止などについては、知らぬ顔の半兵衛で、諸外国の取り組みとは異なるザル法というしかありません。以前にも述べましたが、世界の中で最も肝心の青少年の喫煙防止に反対しているのは、日本のたばこ産業なのです。WHOからも非難を受けているのです。

 今、最も問題なのは、これらの法律を易々と通そうとしている自民、公明、保守の連立内閣だと言うことです。私達一人一人が国会での審議を見過ごしにしてはなりませんぞ! 更に、選挙での一票を疎かにしてはなりません! 国家や人類の将来が掛かっているのです。( Dec. 7. 2000 )


 熱海での共産党大会において新しい役員が選出されたが、今回の党大会においては、自衛隊の活動を容認することを盛り込んだ大会決議案や党規約から「労働者階級の前衛政党」、「社会主義革命」と明記した前文を削除するという思いきった改訂を行ったようだ。従来は、理想主義を掲げて世論を重視せず、独自路線で“野党共闘など出来るか!”の勢いで孤立していたが、ここへきてやっと考えがまともになったと言うことか?

 従来のように、一野党として独自の論理で戦って見ても、多数決と言う議会政治では意味の無いことで、少しでも自党の主張に近づけることが重要であって、自説に拘ることではない。政党の主張をどういう手段で達成するかが党としての戦略であろう。その為には妥協を排除してはならない。譲るべき所は譲り、協力すべき時は協力して、少しでも有利な方へ展開すべきだろう。そう言う点で、今回の共産党大会は、国民に一歩歩み寄った新しい“日本共産党”(共産党の名前にいつまで拘るのかねぇ)の誕生として歓迎すべきだろうか? 志位新委員長に期待したい。( Nov. 25. 2000 )


 長野県松本市の大仏ダムの建設計画を中止する意向が表明されました。これは田中新知事の初仕事のようですね。他にも田中知事は、3階の知事室を1階に移して、偉そうな知事から県民のための公僕としての知事を表明されるようですね。
 先日の栃木県知事選挙でも、各政党が支持する5選を目指す現職の渡辺知事(71)を破って、今市市の市長から立候補した福田氏(52)が、草の根の無党派の支持者に支えられて、850票という僅差で当選を果たしました。最近の地方自治体の首長選挙では、東京都の石原知事を初め、三重の北川知事など、若い革新的な首長が思いきった政策を展開するようになり、正に政治の転換期にさしかかっている事実は否めません。

 ところが、先日の森内閣不信任案採決に絡む自民党の改革を叫ぶ、加藤、山崎両氏を先頭とする森内閣打倒派が土壇場で寝返って見せた茶番劇は、古い体質の自民党をまざまざと見せ付けて国民の信頼を失墜し、政治家の利害関係が如何にすざまじいものかを思い知らされました。

 報道陣から再三念を押されて、絶対、100%不信任案を可決できると大言豪語した加藤氏でしたが、報道陣の“加藤は思いきったことは出来ない男”と言う心配が現実になってしまいました。離党もせず、自民党に在籍したまま反旗を翻すことは不可能だ、と思いながらも期待していた私達はバカを見たわけであるし、加藤、山崎両氏にしても、不信任案採決に欠席と言う手段で党内を丸く収めたつもりでも、自民党ではタダでは済まされまい。世間からも見放され、党内でも見放されれば、彼らの政治生命は終わったと言うことではなかろうか?

 同じことなら、初志貫徹のために離党して新政党を興す覚悟で、森内閣不信任を表明した方が男らしかったように思う。思いきった革新の出来ない老人集団の自民党の体質を、もう世間は望んではいまい。男になり損ねた加藤、山崎両氏に哀悼(?)の意を表したい。( Nov. 22. 2000 )


 「神奈川らしい税制づくり」を考える県民集会が、足柄上合同庁舎で開催されましたので出席しました。新聞でもたびたび報道されているように、神奈川県の財政は逼迫していて水際にたたされている状態にあります。そこで最終的には、県税に頼らざるを得ないと言う事でしょう。

 何故そこまで財政が逼迫して危機的状態になったかと言うことが説明されましたが、その最大の理由は、法人税がピーク時の40%にまで落ち込んだと言うことです。しかし、これはバブル崩壊のツケがきたと言うことであって、既に平成3年度には44%に、平成5年度には35%にまで落ち込み、必要経費が実質収入額を上回っており、その改善策として、大幅な公共事業で活性化しようと、更に多額の公債を発行して益々借金を増やしているわけです。私企業ならとっくに破産しているわけです。今更財政再建のために(財政健全化と表現していますが、誰が“不健全”にしたのですかねぇ?)新しい税制を立てて、税収を増やすことによってしのごうとしているわけです。県民の私達一人一人が良く考え、自分の意見を述べないかぎり、税金のムダ使いは無くならない構図です。

 そのメインに置いているのが、自動車税の増税です。一家に1台どころか、数台も保有している現代では、最も効率よく税収を増やせるわけです。これについて質問し、意見を述べました。
 私も、闇雲に新しい税制に対して反対するわけではありませんが、もっともらしい言い訳で、私達の血と汗の結晶である税金の使い道をあやふやにしてもらいたくないのです。税金は国民の義務として、受益者負担の原則で納得できるものであれば、受け入れるのに不服はありませんが、そう簡単にいかないのが税制です。

 今回考えている自動車税の超課税に付いては、その目的を、自動車による環境汚染、交通事故の多発が、神奈川県が他県に比べて非常に悪いために、それらを改善するという説明ですが、実際に増収となる税金は一般財政に組み入れられて、大気汚染の防止や交通行政のためだけに使われる目的税ではないのです。
 また、実際に自動車による環境汚染や交通事故の原因は、自動車の運行により発生するものであって、自動車の取得や所有に対して課税することではないはずです。また、ハイブリッド車などのLEV(Low Emission Vehicle)であっても、自動車の排ガスによる有害物が少なくても、結果的には燃料を消費する量に比例するわけですから、運行時間によることにほかならないのです。動かさない車は、有害物(排気ガス)は排出しないわけです。

 この県民集会には大勢参加されていましたが、質問や意見の発表者は、私も含め南足柄市で2人、大井町で2人、中井町で1人、秦野市から1人、平塚市から1人、横浜市から1人の8人でしたが、全ての意見を解説できませんが、もっと多くの方が意見を述べられる充分な時間と、もっと気楽に話合いの出来る雰囲気が欲しいですね。( Nov. 4. 2000 )


 衆議院の秘書給与の詐欺事件で辞職した山本議員の補欠選挙で、薬害エイズ原告の母、川田悦子さんが、他の各政党推薦候補者を押えて当選を果たしました。
エイズ訴訟原告の川田さんを応援する学生や後援者をバックに、エイズ対策厚生省批判の政策無き政策で無党派当選は、歓迎すべきかどうか複雑な感じがする。ちなみに40%という過去最低で、前回の60%をはるかに下回っている投票率は、有権者の、しかも政治の中心である東京都の選挙民の大半が、政治に全く関心を示さなくなっているのではないか? 先ごろの、長野県知事選で、作家の田中康夫氏が現職議員候補者を押えて当選を果たしたのにも同じ思いがする。

 確かに、いかにも政治屋の臭いの強い政党バックの候補者が嫌われ、一般の政治に危機感を持つ市民の台頭は歓迎すべきことではあるが(裏では、知名度を利用して擁立する政党の思惑も見えそうであるが)、最も必要なのは、有権者全てが政治に強い関心を示し、その意志を一票に託すことが重要であろう。目的と手段を取り違えてはならない。
何はともあれ、川田新議員や田中新知事の政治への手腕を期待したい。( Oct. 24. 2000 )


 公共事業の怪! 何故ムダな公共事業を止められないか? シリーズ日本の宿題「脱・公共事業」が3回にわたってNHKテレビで放映されました。

 第1回では、島根県と鳥取県にまたがる中海(なかうみ)干拓の、着工から中止までの経過について検証します。
 この事業は、食糧増産の為に島根県と鳥取県の間に広がる中海の一部を干拓し、水田にする計画で、更に両県にまたがる宍道湖(しんじこ)と中海に流入する海水を遮断して、水田に供給するため灌漑用に淡水化するという国家巨大プロジェクトとして、1963年に事業開始で始まりました。

 ところが、1968年着工後3年で米余りのため減反政策が始まり、この事業の継続は無意味となりました。しかし、知事や住民の反対にもかかわらず、事業は継続されます。 結局、着工後32年、今年になって国の財政危機に伴い、自民党の「公共事業の抜本的見直し委員会」によって中海干拓事業は中止との決定が下りました。

 では、何故必要のない公共事業が止められないのでしょうか? それについて、元島根県知事の恒松さんは、
「いくら県が反対しても、国のプロジェクトである公共事業は止められないのです。国が始めた公共事業を止めると言うことは、国は、自分たちの計画の誤りを認めることに成るので、責任をとるはめになる中止を言い出すことは、絶対にありません。
 そればかりではありません。県や住民が中止を言い出した場合には、今まで工事に注ぎ込んできた費用については、県に返還を求めて中止を言い出せないようにしているのです」と言う意味の事を述べています。
 しかし、この言葉にはマヤカシも有るように思います。それならば、何故、淡水化の凍結を決めた後、再度別の目的で工事の再開を陳情しているのでしょうか? 私達には納得のいかない行動です。地方行政側にも問題があるのではないでしょうか?

 これは、従来からの日本の官僚行政の欠陥で、目的と手段とが、公共事業を継続させる為に何時の間にか、すりかわってしまうのです。少なくとも社会情勢の変化を認識し、計画の見直し・再検討と、公共工事に対する評価システムがなければなりませんねぇ。
 実際には、官僚の無責任態勢と共に、公共事業を中止させるシステム(手続き)が無いからなのです。ではどうすれば良いのでしょう? 一番良いのは、地方のことは地方に任せる、地方分権制度の確立でしょう、と北海道大学の山口教授は言います。

 しかし、地方自治体の自主事業にしても、官僚行政が変わるとも思えませんから、最も有効な手段は、中止できるようなシステムを法律で定めるしかありません。無論、議員立法を活用することでしょう。ところが、公共事業のバラマキを図る自民党政治ではなかなかすんなりとは行かないでしょう。現に、与党の多数を盾に、急ぎ採用する必要も無い“無拘束名簿式を導入するための公職選挙法改正案”を野党の反対を無視して可決したでは有りませんか? 国民一人一人が政治に関心を持ち、政治を質して行かない限り公共事業のムダは今後も続くのではないでしょうか?

 マスコミが事実を報道し、視聴者に正しい判断を求め始めたことは、大変喜ばしいことだと思います。今後も中立の立場で、為政者や視聴者に媚びることなく真摯な報道を続けて欲しいものです。( Oct. 20. 2000 )


 またまた国民無視の国会審議が行われようとしています。
非拘束名簿式を導入するための公職選挙法改正案の審議が、議会制民主主義の根幹を揺るがす問題として反対する野党を無視して、十分な審議が行われないまま与党単独で審議に入るつもりらしい。野党はあくまで反対の意向で、全面的な審議拒否作戦で、衆院本会議の重要法案の審議に欠席する作戦らしい。与党にしても野党にしても、我々が選出した代弁者としての自覚が全く無く、自分達の理屈だけで国会をないがしろにしているのではないかと憤慨せざるをえない。

 単に、非拘束名簿式を導入するための公職選挙法改正案だけを見れば、政党が事前に候補者の当選順位を決めない非拘束名簿式は、集票のために知名度や人気の高いタレント議員を多く擁立し、確定する際には党利になる官僚OBを立てることによって多くの議席を確保できる仕組みとなり易い。これでは国民の代表として民意を政治に反映することは困難である。ただ単に、政党の利益だけに選挙のシステムが使われることにもなり、野党の反対する理由なども理解できる。

 しかしである。過半数を擁する与党の審議に反対して議会を放棄して、与党の審議に任せっきりでは、与党の思惑を覆すことが出来ないのではあるまいか? 事ここに至っては、世論に訴え、国民の総意を結集して廃案に追い込むか、内閣不信任案を上提するしか無いのではあるまいか? 今こそ、私達国民一人一人が一票の重要性に気付く時と考えるが、貴方は、この事態を何と見るか? ( Oct. 7. 2000 )


 山本譲司衆議院議員の元政策秘書の給与だまし取り事件は、どうも良く分からない所がある。架空の秘書を見せかけにして、その給与の支給を受けて(いわゆる幽霊秘書か?)、その給与を流用したと言うのだが、一体そういう事ができるシステムなのかどうかが問題ではないのか? その後で、得られた給与を個人的に無断で使用したとなると、あとは、その政党内の問題ではないかと考える。先のシステムの不備の問題は、誰の監督責任かが問題の焦点であろう。

 これによく似た問題で、教職者の空出張の件や、公務員の遊興視察? などが問題になった事がある。システムの不備か、責任感とか倫理の問題なのか、良く検討しなくてはならないだろう。
 これについては、日経の「春秋」欄で、青木前官房長官の発言を引用していて面白い。同紙の8月31日の「内閣総理大臣の研究」で、青木幹雄氏が“(首相は)何に一番エネルギーを取られるんでしょう?”という質問に対して、「政治家の頭の中の80%から90%を占めているのは、選挙と金の問題だ…」で、政治家の頭の中の80〜90%を政策が占めるようになるのは、いつの日か。と結んでいる。

 我々選挙民も、まさか自分達が選んだ国会議員が、政策以外のことだけで頭がいっぱいだとは露知らなかったのではなかろうか? 今回の事件も氷山の一角だ! と片付けられてはかなわない。まるで、国民はバカの集まりだ! と言うのと同じではないか? またか、と諦めて新聞を見ている我々は、やはりバカなのか? ( Sept. 8. 2000 )


 自民党の税制調査会は、来年度の税制改正について検討を進めている。税制改革の必要性が何にあるかを良く見極める必要がある。自民党の考えでは、恐らく市場経済の活性化を睨んでの事であろうが、税は、公正かつ透明でなければならない。それなのに毎年多くの脱税が行われ、消費税に関する益税についても云々されているのは、ご存知の通りである。また、サラリーマンに対する所得税は、自営業あるいは自由業等と比較して裁量の余地が無い。更に累進課税を取る関係で不公平感が強い。退職後に自営業になった友人あるいは知人の話しでは、自営業には多くの抜け道があり(脱税や所得のゴマカシではない)、経費等で処理できるものがかなりあって、悠々自適の生活を楽しみ、サラリーマンなんて税金を納めるために働いていたんだ! と今更ながら、バカバカしいと笑っている。

 税制の改革は、税の不公正の是正と同時に、無駄な歳出を押さえる事も大事で、高齢者の医療費の問題、育児手当の問題など、福祉や環境に関する目的税の制定においても、国民に迎合することなく、現在の財政の改善を踏まえて決断を下すべきものと考える。国民個人が、多少の減税の恩恵を受けたからと言って喜ぶものではない。
 税制の抜本的な改革によって、国民一人一人の意識改革を迫るものでなければならないと思う。ここでも、公明党は児童手当の支給対象の引き上げを狙っているが、税制改革とは言い難く、次の、参議院選挙対策と言われてもしかたあるまい。逆に、自民党の考える株式譲渡益課税方式の申告分離一本化については、税収を十分考慮した上で決めるべきではないか?
 税制改革は、直接わたしたちに関わる問題であるので、一人一人が十分関心を持つ事が必要だ。( Aug. 19. 2000 )


 日経新聞によれば、埼玉県の土屋知事が県議会で、地方公務員個人が訴えられた場合の裁判費用に関する保険制度を、全国知事会で検討する考えを示したと言う。
これは、地方分権が進み、自治体の責務が大きくなるに伴い,住民からの訴訟が増えることを見越してということだが、この考えは本末転倒も甚だしいもので、公務員個人が訴えられると言うことは常識的に考えられないことで、行政の失敗や官・民の癒着などによる贈収賄、経費(税金)のムダ使いなど、不良行政に対するものであろうと考えられる。

 従来、公務員の業務に付いては、住民主体であるにもかかわらず、お上のご威光を振りかざして、たとえ行政の計画や遂行上の失敗があっても責任を曖昧にしてきたところが有る。地方分権が進むからと言って、公務員の責任と義務は変わることは無い。もともと住民の税金によって、住民の為にしている仕事であるからには、住民に不利益(あるいは,特定の住民だけの利益)になることは許されるものではないし、まして、不当な行為や重大な失敗は許されるものではないだろう。正当性は裁判でこそ明らかにされる。
もしも、土屋知事の言う公務員の被訴訟対策費としての保険費用を、更に税金で賄うとしたら許せるものではない。三重県の北川知事のように、これからは、役所の情報公開を進め、行政をガラス張りにして、住民の不信を無くすと共に、公務員の事務事業評価システムを作って、正しい仕事の評価をするようにすることが知事としての役割ではないか? ( Aug. 3. 2000 )


 公共事業について、自民党で作る「公共事業抜本見直し検討会」が完成のメドがたっていない公共事業の見直しを開始したと新聞報道にありました。建設省運輸省農水省関連の事業で、事業採択後5年が経過しているにもかかわらず着手できていない(必要で採択したのかなあ?)事業など、見直し対象が5700件位あるそうですが、その内訳は、
  建設省関係  5年経過して未着工の事業        185件
         10年経過して  〃            3件
         事業開始後10年経過した事業     5461件
         10年経過して未手続きの事業        6件

  農水省関係  完成予定より20年以上経過して未完成    5件
           (ただし、2002年までに完成予定)

  運輸省関係  見直し対象事業              82件
 これを見て、何のための公共事業で、進捗管理はどこが責任を持って行っているのかと、お役所の無責任さと、国の管理体制が出来ておらず、国民の税金のムダ使いぶりにあきれてものが言えない。自民党の検討会は、これらの公共事業を打ち切り、責任を追及することではなくて、どうやって丸く収めようかという策を講じることではなかろうか? これらの公共事業には、族議員が連なり、政、官、民の癒着構造によって中止することは難しく、せいぜい一時凍結しておいて、時期を見て復活すると言ういつもの手ではないか。
 今国会での、2001年度予算の概算要求基準にしても、公共事業費の削減は見られず、その多くは継続されると思われるのである。いかに継続理由を見つけるかが、自民党の「公共事業抜本見直し検討会」の役割であろうと邪推せざるを得ない。

 月刊“THE 21”8月号の「公共事業のムダ ランキング」によると、全国には、不必要ではないかと思われる36事業の総額約8兆2000億円もの開発事業が林立していて、2000年末の国と地方の長期債務残高が645兆円に達すると言う。それなのに政府は、第5次全国総合開発計画で、六つの海峡横断道路構想、首都機能移転計画、高速道路建設、整備新幹線、空港建設などの巨大プロジェクトを進めようとしている。
 黒川法政大学教授によれば、総務庁行政監察局による初めての「公共事業の評価に関する調査結果報告書」(2000年5月)で98年度に中止など見直し措置がとられたケースは、全体の2.1%、175件にすぎないと言うことです。このまま行けば、益々債務は膨れ、自然環境の破壊にも拍車が掛かり、次世代に悔いを残すことになるでしょう。そのためには、必要な公共事業の立案に対して、目的、手段、第3者によるアセスメントや監査、結果評価等のシステムを確立すると同時に、情報公開を義務付ける必要があると考えますが、どうでしょうか? ( Aug. 2. 2000 )


 沖縄でのサミットが始まりました。今回は、クリントン米大統領も初めて沖縄を訪れて、沖縄の米軍基地の実情が明らかになる事で何らかの進展を期待しています。たとえ、アメリカの大統領選を控えての、クリントン政権のPRだとしても、我国にとって良い方向への変化が起こる事を期待したい。

 事前に行われた「G8高校生サミット 21世紀私たちの選択」をハイビション放送で見ました。これからの世界を背負ってたつ若者達に、現代の問題点を討論してもらい、将来への提言を試みる企画で、これには、3つの分科会があって、それぞれの分野での討論がなされ、最後に提案宣言文を採択して終わると言うものでした。

 まず第1の「環境分科会」では、やはり環境先進国ドイツの学生の主張が実践をふまえて説得力がありました。全般的に、現在の工業化社会を前提にしたものが多く、私たちが人間である以前に、地球上の生物種の1つであるという認識が極めて希薄であるように感じました。人口問題にしても食糧問題を前提にした討論でしたが、後進国の人口抑制をどうするかという討論に終始していましたが、日本のように少子化が進んで労働問題にまで陰を落としている点なども考えなければならないでしょう。更には、遺伝子操作による高度医療技術の発達は、益々人口問題に大きな影響を及ぼすでしょう。また、南アメリカ等での飢餓や、医療が受けられず死亡する多くの子どもたちの問題もよく考えなければなりません。「飽食金満国」の工業先進国の政策を変えて行かない限り、人口と食糧の問題は解決しません。人間だけが守られる世界であってはならないのです。環境問題は、地球上の全生物が共生してゆけるためのものでなければならないのです。また地球温暖化や環境ホルモン、資源エネルギーの問題は、私たちの生活を変える事から始まるのです。その上で不必要な工業製品を次々と生み出し、金と物の浪費文化を形作っている現代社会を先進国と考えている高校生諸君に、もっと幸せな貧しい国がある事を知って欲しいと思います。精神文化の発達した未開民族の方が、はるかに自然を大切にしている環境先進国ではありませんか?

 「平和分科会」では、戦争をなくすためにどうするかと言う討論になっていましたが、一体、戦争が何故起こるのか? と言う根本原因を追求する必要があります。原爆被災国の日本の高校生に、憲法問題まで含めた強い主張を期待したいと思いました。戦争は単純な、国家対国家の主張の違いだけで発生するものではありません。国益を優先すると言うアメリカに見られるように、その国の経済発展(国力ひいては世界を支配できる権力)と、その陰で糸を引いている戦争による金儲けを企む財閥の姿が在るのです。
 また、経済発展を目指して、資源の奪い合いが目的のものもあります。かっては、国内に資源を持たない日本が、そのために大東亜共栄圏を名目として大東亜戦争(第二次世界大戦)を引き起こしている事実を忘れてはなりません。工業化のためには、エネルギー資源としての石油や天然ガス、工業材料としての鉱物資源が必要なのです。その上、人口問題や失業問題を解決するためにも、狭い国土を広くする必要が生じる事なのです。
 それ以外でも、民族の対立(抗争)や宗教上の対立が原因の紛争があります。これらは、その国の長い歴史から培われた文化に根差す問題であるため、大変難しい問題です。単純に国連で解決できる問題ではないのです。

 「経済分科会」では、経済発展を前提として、先進国と発展途上国との問題として、ODA(主要国の政府開発援助)などの援助に対する政治的な問題が討論されていました。確かに経済援助が必ずしも相手国の為になっていない面があると思いますし、援助の結果の管理が疎かにされている面も問題だと思います。しかし、経済発展が必ずしもその国の幸せに通じる事ではありません。先に述べたように、私たちが先進国で、あなた達が後進国と言う考え方に大きな問題を含んでいると思います。その問題を明確にするためには、ぜひともG8だけの高校生でなく、あらゆる国の高校生との交流と討論が必要に思います。

 最終的に全分科会での討論の結果、次のような5つの提言をまとめて終了しました。

   1. 高校生グリーンデー(電気を止める日)の創設
   2. 高校生の交流促進(毎年開催)
   3. 平和助言者委員会の設置
   4. スーパー援助監視委員会の設置
   5. ITを活用した

この提言については、沖縄でのG8サミットでも提言されるそうですから、各国の反応なども楽しみですね。( July. 22. 2000 )


 日経新聞の調査によれば、今年の6月時点での中央省庁から都道府県・政令指定都市への出向者数は、前年より11人上回る570人だそうで、中央省庁から地方自治体への天下りは、公共事業の官民癒着の構造を裏付けるように、最も多かったのが、建設省の154人、次が全国29道府県に、予算を押える財政課長を送り込んでいる自治省の147人だそうですし、それだけではなく、逆に都道府県・政令市から中央省庁への人事交流とか言う名目での出向者数も、前年度増し83人の705人(その内、自治省へ126人)といいますから、何のことはない! 政治改革、省庁再編、行政改革はお題目か?

 同新聞の「社説」では、人事院が発表した“公務員白書”で、これからの公務員のあり方として、
  @ 高度な専門性
  A 中立・公正性
  B 継続性・安定性(天下りの?)

を挙げて、政治家と公務員の関係を監督と執行部門に役割を明確にし、公務員の執行事務に政治家が口出ししないことを原則としている。
 しかし、行政における政治主導が確立すれば、政治が行政に過剰介入する手段になりかねないし、議院内閣制の原理を徹底するなら、政治の意図は大臣等の行政府内の政治家により伝えられるよう一元化することが望ましいと白書は指摘している。与党有力者や族議員の行政への不当な関与を防ぎ、政府と与党の一元化を促すには「あっせん利得罪」の創設がやはり有効である。と結んでいる。

 いずれにしても“鶏と卵”で、問題となる地方交付税、助成金などの分捕り合戦(選挙区の利益や党派的な目的のために族議員の活躍の場となる)が行われない為にも、これらを廃止し、地方分権の確立を行うと共に、行政の情報公開を義務付けて、国民(市民)の知らない間に税金が使われないよう(最近の“そごう”の債権放棄事件だってそうでしょッ! 政府もそんなこと知らなかった、なんて言ってるし…)全てをガラス張りにしなきゃね! それにしても公務員や議員の給料が、税金で支払われているの解ってるのかねぇ? ( July. 16. 2000 )


 中尾元建設相の受託収賄容疑での逮捕は、国の公共事業での国会議員や官僚と建設業者との癒着を浮き彫りにした。贈賄側の宴席には、自民党の議員や建設省の幹部達が同席していたらしいから、自民党政府が景気の回復には、是非とも大型の公共事業が必要だと主張するのもうなずける。結局は自分たちの懐を肥やすための施策にほかならない。全国に多くの公共事業が何時までも中止にならず、見直しもされずに残されているのは、建設省が時期を見て復活させるべく引きずっているのであろう。既にこれらの計画時に業者との内約が交わされていると勘ぐられても仕方あるまい。

 ただ、この贈収賄事件が全てではない。政治家と業者との癒着の最大の原因は、政治献金を可としていることにある。これが公に認められている限り、今回のような贈収賄が有ろうと無かろうと同じ事だと考える。革新政党が主張するように、政治献金は禁止するのが当然であろう。それを何だかんだと理屈をつけて禁止としない現与党の思惑が判るではないか? 公共事業に関する業者との癒着については、単に国会議員だけではない、都道府県や市町村などの地方自治体においても同じであり、選挙民の我々がその選択権を握っていることを忘れてはならない。
 唯一三重県の北川知事のように、積極的に計画中の公共事業を見直して、ムダな計画を中止にする決断をしたことによって、他の都道府県にも影響を及ぼしていることは記憶に新しい。先日のNHKのETV2000「どうする日本経済」の“脱公共事業へ”で北川知事は、県政について次のことを推進することを表明されている
  @ 情報公開
  A 事務事業評価システム
  B 産業廃棄物埋立て税(検討中)

 次々と新しい施策を打ち出す石原東京都知事なども含めて、このような新しい政治家が求められている。市民一人一人が正しい選択をしない限り、政治は変わらない。他人を変えることは出来ない。まず何よりも自分が変わらねばならない。( July. 3. 2000 )


 衆議院選挙の投票が終わりましたね。結果は最悪、失言森内閣の続投になりそうだ。民主党は躍進したものの、共産党は議案提出権の26議席を割り、頑張った自由党も社民党も26議席の獲得はできずじまいだ。こうなりゃ、銀行や企業の再編ではないが分割・合併で、自由党、共産党、社民党の3党が合併、分割して各30人の2つの新政党に生まれ変わったら良いではないか? 政治は算術ではないか? いやいや政治家はソロバンが堅いのでは?
 今回の選挙で、投票率が今後の日本の政治の将来を占う指標になるものと期待していたが、何と!! 全国で推定 63% 前後、南足柄市でさえ 66% という低調さ。昔は90%台を誇っていたのが、今回は、ほぼ3人に1人が棄権という無関心さに腹が立ってきた。年令別、性別投票率を見ないと何とも言えないが、高齢化と若者(だけでは無いか!)の政治無関心派の増加ではないのだろうか? テレビでの開票速報を見ていると、やはり地方では自民党が強く、組織票(金権票か?)が占める割合が絶対的なのだろう。また、政治的主張の希薄な世襲議員が、苦も無く当選しているのには、首を傾げざるを得ない。出来る限り早く、地方行政の独立となる地方分権を促進し、地方自治体とのヒモ付き国会議員を無くさないことには、日本の政治の刷新はあり得ない。“ふるさと創生”などと言うわけのわからない金のバラマキや“地域振興券”などと言う、子どもが考えそうな(こんなバカなことは子どもでも考えないか?)ムダな歳出を考え出すような政治はもうごめんだねッ!( Jun. 26. 2000 )


   何だか“ケジメ”のない国会での解散宣言の後、衆議院選挙の公示がなされた。さっそく各党の選挙前の論争において、相変わらず天皇元首ともとれる森総理の失言が続いており、政治家としての資質が疑われる。今回の選挙は、日本の政治にとって最も重要な転機となるもので、もしこの選挙での投票率が、従来のような低調なものであれば、参政権について改めて考え直さなくてはなるまい。
 以前、日経新聞に掲載された牛尾治朗氏の言葉にあるように、「国の政治が乱れる時、人心また乱れる」にならないためにも、有権者一人一人が一票の重みを自覚しなければいけない。今年は在外邦人や洋上にある漁業関係者の有権者投票の方法にも配慮されて、新しい不在者投票制度が施行されることになっている。よりいっそう国民の声が政治に反映される事になる。

 しかし、議員立候補者の様子を眺めるに、本当の政治が行われるには程遠い実態がある。何よりも世襲と呼ばれるような政治家の多さであり、親子、縁者の選挙基盤を受け継いで立候補する“案山子”議員候補者が沢山いる現実が在る。弔い合戦ならともかく、お涙頂戴形の候補者も無きにしもあらずで、政治家とは異質な存在であろう。一時は、知名度を武器に“タレント”議員が乱立したが、選挙民が期待した政治的成果はどこにも見られず、単なる国会での頭数でしかなかった(?)のではなかろうか? 
 先日のテレビ朝日のニュースステーションで世襲議員の件が取り上げられ、その裏にある議員後援会の存続のために躍らされ、議員よりも後援会幹部が自分達の立場や名誉(?)にしがみつく為に、その後継者を擁立する様等、際どいところまで切り込んだが、そこまでが商業報道の限界か? 尻切れとんぼで番組が終わったのは残念だった。

 日経新聞の報道によれば、今回の選挙でも世襲議員候補者は186人もいるとか。与野党に関係なく多いことは、投票の際によく考えなければならないだろう。世襲議員やタレント議員(本当に有能多才なら別だが)はともかく別として、女性の立候補者が202人と多くなってきている事は歓迎すべきで、実力はともかく、世の中半分は女性であるし、最近の女性は男性よりもしっかりしているので、政治の面でも頑張ってもらいたいと思う。反面、明治生まれの議員はゼロになったと言うが、相変わらず何時までもお年寄り議員が残っているのは弊害あって益少なしだ! 隠居して後進にに道を譲り、側面から援助なり指導に徹すべきではなかろうか? 地元選挙民(自分の票田)の為ではなく(国会議員として)国の為の政治を考えて行動できる議員を選びたいものだ。( Jun. 14. 2000 )


 小渕首相が過労からか脳梗塞で倒れられました。選挙に向けて与党内の不協和音が増大して、自由党が、自自公の連立を解消すると言う大問題を抱えて、さぞや頭の痛かったことでしょう。自由党の中でも座り心地の良かった野田自治大臣は、まだまだ座りつづけたいとばかりに分裂して、与党に加担しつづけて過半数を維持できるといきまいているようですが、自民党は自民党で、小渕首相の後釜を誰が継ぐかで大騒ぎだ。これが私達の選んだ、国民を代表する政治家達の真の姿である。

 国を代表する首相が倒れた緊急事態に、本当なら超党派で協議し、この事態を乗り切るためにどうしなければならないかを、先ず考えることではないか? 自分のことだけしか考えないのか、考えられないのか? ジャーナリストもジャーナリストで後継者騒ぎを大々的に報道して、競馬の予想よろしく書き立てるだけしか能が無い。
お寒い政界の様子が暴かれるだけで、何の希望も感じられないのにガッカリ! 今、日本の国は大変な事態になっており、立て直す為に小渕首相も大変だったに違いない。どうか1日も早く回復して、日本の将来のために首相の重責を全うしていただきたい。心からお見舞い申し上げます。( Apr. 3. 2000 )


 4月から6才以下の子供にチャイルドシートの着用が義務化され、これを怠った場合は反則点1点が追加されますが、これはチャイルドシート製造業者と警察の陰謀ではないかと勘ぐっています。と言うのは、いったいチャイルドシートを着用していれば死亡あるいは重傷に至らなかったと判断される同乗の幼児の事故が、どういう時に、どれ位発生したのか明確にされていないし、それが後席でのものか、前席でのものかも明確にされていない。(交通事故についての分析、統計処理をした上での決定でしょうかね?)
もしも、交通事故の発生件数の内、上記の統計数が著しく多ければ大変効果が大きいかもしれないが、チャイルドシートの着用は、自らが安全のために必要と判断すべきもので、警察が義務付ける必要のものでもない。しいて言えば、運転者への指導項目であって反則点を付加すべきものではないと考える。言わば、いらぬお節介とでも言おうか。

 常識的に考えても、何人も幼児を乗せる場合はどうするのか? 保育園バスは全席チャイルドシートにするのか、バス旅行する場合には、チャイルドシートを持参して取付けなければならないのか? と言う疑問にも答えていない。例え、チャイルドシートを備えていても、不完全な使用であれば効果はないし、前席であれば後席よりも危険度は高いわけで、シートベルトの着用(高速道路でさえ、後席ではシートベルトを着用していない方が多いのでは?)やオートバイのヘルメットの着用と同じで、自分自身の安全に関するもので、自らが判断すべきことであろう。目的と手段が適切かどうか良く考えて欲しい。運転中の携帯電話の使用禁止と同じで、容易に取締りが出来るものではない。

 何でもかんでも規則で縛れば解決できると言う安易な考え方ではないか? もしも本気で同乗の幼児の死亡事故を無くさなければならないなら、全ての自動車の全ての座席にチャイルドシートに相当する装置を搭載することを義務付けることが必要なのではなかろうか? チャイルドシートやシートベルトは自己責任において着用すべきで、他人がとやかく言うべきことではないと思うが、貴方はどう考えますか? ( Apr. 2. 2000 )


 大阪府知事に太田房江さんが当選されましたね。全国で初めての女性知事だと言うことで浮かれていますが、仕事をするのに女性も男性もありませんよね? それこそ男女差別です。なにしろ良い府政を実現して下さることを願うまでです。しかし、経歴から見ると通産省出だそうで、何となく古い官僚の弊害が出ないか心配です。

 それにしても、投票率が44.6%と言うのはどういうことでしょうね? 大阪府民の大半が無関心と言うことでしょうか? 選挙管理委員会は、投票者の内訳を公開して、府民の選挙意識(政治参加意識)の啓蒙をしなければいけませんね。あるいは法律で有効投票者数を決めて、有効投票者数に達しなかった場合は再投票を行うことにしたらどうでしょうか? そんな面倒なこといやだって? そんな意識じゃあ、皆さんが望む良い政治は期待できませんねぇ。( Feb. 13. 2000 )


 国民を無視した国会審議! 定数削減法案が野党欠席のまま自自公の与党の多数決で可決され、参議院に送られた。与党も与党だが、野党は野党で、与党案に何が何でも反対を貫き通すために審議に欠席したとある。しかし、与党は、議長の斡旋案も無視して強行採決を図ったというのであるから、もう国会は正常ではない。日本の政治の危機である。
 結局、定数削減法案は、国会の正常化や国民のためではなく、単に、各政党の議員数獲得のための利害だけが目的となってしまっている。野党は、次に行われた小渕首相の施政方針演説にも顔を見せず、引き続いて行われる平成12年度の予算審議も無視する構えでいると言う。反対のための反対では、何の解決にもならないし、国民を無視した国会の運営は、与党、野党の別なく非難されて当然であろう。

 日本の衆議院、参議院の2議院制の議院政治を根本的に見直す時期が来たのではないか? 参議院が何時までも衆議院の下請けではなく、もっと権力を発揮でき、かつ超党派で、国の将来を考え、国民の利益を考えて、衆議院から送られた議決事項を審議できるような場でなくてはならない。それについては、国民1人1人がもっと国会の審議に関心を持ち、選挙の際に投票で自分の意思を示さなければならない。( Jan. 29. 2000 )


 小渕首相の私的諮問機関である「21世紀日本の構想」懇談会(河合隼雄座長)の最終報告書なるものが公表された。この中の政治改革の部分では、選挙権の付与年齢を18才に引き下げ、若者の声を政治に反映させるというものがあるが、確かに若者の政治への関心を高め、政治に参画することに異存はないが、果たして選挙権の行使はその期待に反しないだろうか? 近来の選挙における投票率の低下は、若者の棄権が多くを占めてはいないだろうか? 年齢別の投票率は公開されてはいないが、そこのところを十分考慮されていれば問題無い。しかし、少子・高齢化によって参政権の年齢引き下げは意味があるとは思えない。投票率に拘る私の方が考えが狭いのかもしれないが…。
 また首相の公選制に付いては良い考えと思われるが、どういうシステムで実施するのか詳細を知りたいものだ。議員定数の不平等を自動的に修正するという仕組みも良いことだけれど、そのシステムがどうなるのかが問題であろう。

 その他、初等中等教育の義務教育の部分の縮小で、週3日を義務教育に当て、残る2日を好きな分野を履修するという案に付いても、果たして現状の義務教育制度の改善が期待できるのか明確ではない。それよりも義務教育のカリキュラムに文部省が関わる度合いを少なくし、教育現場の自由裁量権を大幅に認めるようにした方が、改善の効果が上がると思うのだが? 
 安全保障の問題に付いては、当然、憲法改正の問題が浮上してくるので、日本国の自衛権の問題といえども、答申にあるように国民的議論を尽くす必要がある。
 経済政策については、答申のように財政赤字統制のためのルールは、是非とも早急に検討し、結論を出して欲しいものである。

 いずれにしても、あくまでこれは首相の私的諮問機関の答申であるので、この結果がどう反映されるのか、今後の小渕首相の手腕に期待したい。( Jan. 22. 2000 )


 またまた国会での補正予算の強行採決の乱ちき騒ぎ。言う言葉もありません! これが私達の選んだ国会議員の本当の姿なのでしょうか? 自由党の小沢さんの顔を立てるためだとか何とか。国会の決議とは何なんでしょうか? 自自公の横暴をこのまま許しておいていいのでしょうか? 私達の税金の使い道は、納得のいくまで十分検討して欲しいものですね。自自公の議員に投票している皆さん、次回の選挙では考え直してくださいね! ( Dec. 14. 1999 )


 年金改革法案関連法案を審議していた衆院厚生委員会での与党の強行採決の様子を見ましたか? これが私達の代表である議員達の審議(真偽?)の実態です。政府与党の数を頼みの採決の強行と乱闘を招く野党の強行採決阻止の実力行使(?)の幼稚な国会の実態なのです。審議は尽くさなければ成らないはずです。時間で決まるものでもありませんし、多数決だから良いというものでもないでしょう。全ての党の合意が得られなければ妥協点を見つけなければなりません。小渕首相も言っているようにディベートが必要なのであって暴力はあってはならないのです。せっかく小渕さんが誠意を見せようとしても、与党全体の行動が昔と変わらなければ、政党政治は変わりようがありません。
 いっそのこと与党、野党を無くして、政府を、各政党から議席数に応じた割合で構成したらどうなんでしょう? 暴論でしょうか?( Nov. 27. 1999 )


 小渕首相は、新しく各党首との直接討論の実施を始めた。国会の審議での質疑応答では出来ない、もっと突っ込んだ討論で政策議論をやろうとするらしい。1対1でやることは長い時間も取れないだろうし、議論の裾が広がればなおさら結論に達することは難しかろうが、何しろ早稲田の弁論部出身の首相としてはもってこいの方法であろうし、また超党派のディベートを実現できれば、国会での議員立法制度に次ぐ快挙となろう。但し、解散総選挙を視野に入れてのジェスチャーでなければ良いが‥‥。( Nov. 25. 1999 )


 企業・団体の政治献金について、自民党は存続を決めたとある。
政党助成金制度の創設に従い、95年1月施行の政治資金規制法によって「施行後5年経過した場合(2000年1月)にこれを禁止する」となっているのに、あえてそれを破棄しようというのだろうか? これも選挙間近になってきて、選挙資金の確保が必要とにらんでの事か? なにしろ、日本の政治は“金権政治”で汚れきっていて“人民による人民のための政治”とはいかないのである。そこへいくと、政党助成金も受け取らないで“武士は食わねど‥‥”の日本共産党は立派だね。もう少し頼り甲斐があるといいんですがね。理論武装より実績重視でやって下さい! 頼りにしていますよ。( Oct. 26. 1999 )


 小渕首相は、流行の“ミレニアム(2000年紀)”記念として、2000円札の発行を決めたとか。これで景気を刺激できれば、一石二鳥の皮算用。地域振興券の二の舞にならねば良いが! そもそも日本では、2と言う単位はあまり使用されなかった。慶事の数は必ず奇数となっているためでもあり、ソロバンでも、1の桁は5に繰り上がるようになっているし、手足の指も5本で併せて10本と相場が決まっている。2000円札の必要性がどこにあるのか? 単に気まぐれな思い付きだとしたら、迷惑するのは国民だろう。いまに2000年記念で“ミレニアム2000円減税”てなことにならねば良いが。
 それよりも、来年4月1日より実施される予定の介護保険を明確にして欲しいと思うのは、国民誰もが願っている事だろう。( Oct. 10. 1999 )


 またぞろ不思議なことに、国会の特別委員会「国旗・国歌の法制化」審議で、有馬文部大臣が「教育現場で日の丸を国旗、君が代を国歌として、生徒に指導するよう定める学習指導要領については、学校の教員に国旗・国歌の尊重を教えることは、憲法19条が保障する思想と良心の自由を侵すものではない」との見解を示し、文部省は「教員は入学式などで本来行うべき指導を行う職務上の責務(何の?)を有しており、従わない場合は地方公務員法に基づいて懲戒処分ができる」と述べ、当初小渕総理や自民党の主張する「学校での指導、強制とは別である」との意思表明とは全く異なってきている。

 学校での入学式を初めとする式典に、国旗・国歌としての「日の丸」および「君が代」の利用の善し悪しは別にしても、「自自公」連立の数をバックにしての無理無体は慎むべきで、少なくとも、「君が代」については、時代にそぐわないと考える世代も多いし、法制化については、国民と十分に話し合ってからでも遅くはあるまい。( Aug. 6. 1999 )


 自自公連立政権樹立に向けて、小渕首相は公明党に対し積極的な協力要請をしたとあるが、この目的は、与党の多数化を図り国会での審議の際に絶対多数での可決を意味する。自由党との連立に際しては、小沢党首の強い条件を何とか飲み込む振りをして連立を図ったが、今度は更に公明党をも引き込んで多数与党の体制を敷く所存らしい。それについては自由党との約束事があるので、ここはタヌキ親父の策略如何にかかっていると言える。

 そもそも連立政権の意味は政策が偏らないことが目的にあるのではないか? 何でも与党案を絶対多数で押し切る多数与党の弊害をさけることにあり、少数政党の声をもよく反映させることが、正しい国会の運営であろう。

 ここのところ、国旗・国歌の法制化、通信傍受法案、国民総背番号制の住民基本台帳法改正案、憲法改正等を含めた重要な審議事項が目白押しになっており、絶対多数政権の実現は、旧自民党過半数政権の復活を予測させ、かつファッショ的な様相を呈していると勘ぐるのは私だけの杞憂だろうか? ( July. 9. 1999 )


 石原東京都知事の副知事選任問題では、石原知事が選んだ石原代議士の元公設秘書の起用は、都議会の反発をまねいて決まりそうに無く、それでも石原知事は、議会の承認を必要としない特別秘書として置く考えらしいが、知事のブレーンとしてなら副知事に置かずとも、外部より適当な人材を副知事として招聘したらどうかとも思われる。あくまで都議会を知事の権力で押え込もうとしない方が良い結果を生むような気がするが...。相手を変えることを考えるより、自分が変わることが大事ではないだろうか? なにしろ新生東京都、頼みまっせ!( May. 12. 1999 )


 東京都の都知事選挙では、予想どおりと言うか、タレントのバックアップを最大限に活用した石原氏の頭脳プレイに完敗したようだ。投票率は前回よりわずかにアップしたとはいえ、58%弱というはなはだ芳しくない状況だ。約2人に1人という投票率は危機的状況だと思うのだが、各政党もマスコミも何ら危機感は無い。
投票率を誇る我が南足柄市の知事選の投票率が47%という、かってない低調さは何を意味するのか? もう選挙権というのは死語となったのか? かつての女性の参政権への闘いは無意味となったのか? 何とも納得のいかないさびしい気がする今日この頃である。このような政治への国民の無関心さ(無責任さか?)が政治をダメにし、市場経済をも教育をもダメにしているように思えてならない。

 すでに提案したことがあるが、選挙の有効性に於いても、有権者の2/3以上の投票が無ければ、選挙の有効性が無いとしたり、選挙権は本人が申告しなければ与えられないなどの制度にする方が、選挙権を自覚する上で必要な処置ではなかろうかとも思うがどうだろうか? ( Apr. 17. 1999 )


 さて東京都都知事選の役者がそろいました。泰山鳴動して鼠一匹ではありませんが、相変わらず自民党内の思惑騒ぎで、ついに党から離縁状をたたきつけられて孤独に立候補した柿沢氏、役者の出揃うのを伺ってから立候補を決めた千両役者(?)の石原慎太郎氏。いまさら「太陽の季節」でもあるまいに。
 いずれアヤメかカキツバタ? しかし、どの顔見ても、都知事に相応しい顔が見つけられないのは私だけか? それよりも楽しみなのは、都民の選挙意識を反映する投票率ですね? はたして前回の汚名挽回なるか? ( Mar. 27. 1999 )


 地方議員の定数削減に関して、自治省は新たに議員定数を見直して、今国会に地方自治法改正案を提出する。改正案では、5000−10000人の町村で定数が22から18になると言うことですが、これでも石を投げれば議員に当たる確率が高いと思いません? 

 今までも不思議に思っていることは、何故、法律で地方自治体の議員の上限数を決めなければ成らないのか? またそれを盾にとって必要でもない議員をたくさん抱えている自治体の多いことか? 私達の町にしても、4万人程の小さな市でありながら、何と市会議員が26人もいて(法定定員30)議員削減はなかなか進みません。
なるほど議員自身が削減させるわけは無いのですから。5倍の20万人の都市でも定数は44となっているようですから、一体この法定定数と言うのは何に基づいて決められているのかがよくわかりません。このことについては、また「国と地方自治体」のところででも論議しましょう。

 市民オンブズマンの勝利! 鳥取地裁で争われていた県議会の海外視察支出に関する文書等の公開を求めた訴訟で議会関係文書の公開を命じる判決が出た。

 これを足がかりにして全国の地方自治体における不透明な予算の使用内容の情報公開の道が開かれることを望む。ただ現在は、情報公開を求めるための費用が高いため容易ではないと言われている。
 川崎市では、審議会情報公開条例を4月より施行すると発表した。会議の開催日時を一週間前に市民に公表し、傍聴者へ会議資料の提供や保存を義務付けているという。( Feb. 10. 1999 )


 衆議院予算委員会の実況放送を見た。民主党の菅代表の鋭い質問に対して小渕総理の歯切れの悪さもさることながら各閣僚の答弁も総理と食い違ったりして、本当に自・自連立内閣は大丈夫かな? と多少不安になった。

 国連軍に対する協力についても、武器・弾薬等の運搬は、必ずしも戦闘に協力するわけではないので憲法に違反するものではないと言うが、それでは、その武器・弾薬を国連軍(アメリカ軍?)は何のために使用するのだろうか? 国連のPKO活動と言うのは一体どの範囲を指すのだろうか?

 消費税の福祉目的税化についても、「消費税を国民が納得しないのは、消費税使用目的が明確でないからで、そのために消費税は福祉のために使用するのだと言うことで国民には納得してもらえる」と言う。本当だろうか?
 私自身は、消費税が何に使用されようが、正しく使用されればよいと思っている。それに今すぐ福祉目的に使用は出来ないと言うのだ。私には福祉目的税化は単なる言い訳に過ぎないのではないかと思えるし、もし、福祉目的に消費税を考えるなら、老人医療、老人介護で財政逼迫のときに、消費税はもっと上げなくてはならないのでは? 減税を最も必要としている層には減税効果の無い所得減税についても、まったく納得のいかない答弁だった。( Jan. 25. 1999 )


 またまたよくわからない定率減税と消費税の目的税化。減税は景気浮揚対策かと思ったら、何と給与所得者の一番多い層の年収862万円以下は増税になるという。通常、中間管理職と呼ばれる課長層でも、年収900万円(月収55万円で春、夏のボーナス120万円位か)もらえるのは多くないのではないか? ましてそれ以下の所得層が増税になるような定率減税はバカげているとしか言いようがない。

将来に向けての税制の見直しによる定率課税化と課税限度額の改定ならわかるが、景気のてこ入れとしての減税としては理屈が合わないのではないか。今なぜ高所得層だけに減税するのか?
 また消費税の2%分を福祉目的税化とする案についても、別に消費税を更に2%上乗せして、福祉目的に使用するというわけでもなし、消費税引き下げの声をもみ消すためにわざわざ前回上げた2%分は福祉税だよと念を押しているにすぎないように思うのは私だけか?

 所得減税なんか必要ないよ。消費税を無くしてくれた方が経理も楽だし、益税の心配もなくなるし、個人消費も増えて景気対策になるんじゃないの? ( Dec. 13. '98 )


 自・自連立政権とか、何ともはや不可解な小沢党首と小渕総理との取引。もともと小沢さんは自民党から出た人だから、また元に戻って自民党に編入も不思議ではないが、連立合意の条件たるや自民党とはかなり対立する面があるので、自民党内でも連合反対意見もあると聞く。
小沢さんが自民党を出た時は、野党として自民の暴走を食い止めようとしたのではなかったのか? 閣外協力もありうるし、野党連合で自民党内閣の舵取りをする方法もあり得るのに、何でまた、政府のやり方に問題が多い今時に、わざわざ小渕総理と内内の(?)会談で連立を決めようとするのか?
 「自民党総裁の小渕さんがOKすれば、それが自民党の意志であって、自民内部の不協和音は関係ない 」と言い切る小沢さんは、やはりタヌキ親父なのか? ( Nov. 21. '98 )


 なんともはや小渕内閣のおつむを疑いたくなるような景気対策の商品券配布構想。
 それも対象は65歳以上、15歳以下となりそうな気配。 何で65歳以上、15歳以下なのか? 商品券にあくまで拘るのは何なのか? 消費税の引き下げに何で消極的なのか?
 消費税の引き下げなら、下は食料品から、上は建築家屋、自動車等の耐久消費財まで大型の需要喚起となるが、2万円や3万円の商品券では、大型の消費は見込まれず景気回復には寄与しないとみるがどうか? 先に実施された特別減税の効果はどうだったのか? いずれにしても時期を逸して、証文の出し遅れにならないように! ( Nov. 9. '98 )


 期待もしていなかった小渕内閣初の予算審議で、「恒久減税」いや「恒久的な減税」が、はたして景気対策なのか、それとも税制を欧米並みにするための見直しなのか、はっきりしない。

 在来の累進課税方式を定率課税方式にすることで高所得者層の不公平をなくすことは悪いことではないとも思う。従来の累進課税には根拠が無いし、なぜ所得に応じて税率が変わるのか長年不思議に思っていた。しかしこれだけでは税制による財源は不足するので、更に課税所得の最低限度を引き下げる必要があろう。尚不足する財源は、税率の見直しが必要であるし、中間所得者層の税率がUPするやも知れぬ。従来行われていた所得減税は、確かにサラリーマンを喜ばしたが、景気対策には役に立っていない。

 もしも減税による景気対策を考えるなら「消費税減税」しかあるまい。これなら大型消費が見込まれるし、低所得者層にも恩恵がある。自民党のメンツを考えている場合でもないだろう。即時実施が即効となる。
 但し、消費税減税による税収の不足を何で補うかであるが、これは売上税(これこそ累進課税とする)しかあるまい。以前にも議論の対象となってきたが、現在では必要以上の生産(消費)を抑制するためにも売上税を適用するのが望ましいように思えるがどうだろうか? この際税制全般の見直しを行ったらどうだろうか。

 景気対策としては、更に「公共事業費の7%引き上げ」があるが、これについては環境対策としての公共事業と、文化・科学技術(人類の将来のための)推進のための事業に限定する必要がありそうだ。従来のばらまき型の公共事業では、またもや高級官僚と族議員活躍の場を与え、環境破壊が助長されるに過ぎない。( Aug. 18. '98 )


 政府の景気浮揚を対策として、又もや「公共事業」の前倒しと「所得税減税」というお定まりのパターンである。
 それが悪いと言うのではないが、景気低迷の根本的原因対策が必要とされていることで、安易な無目的な公共事業の推進は、建設族議員の思うつぼであるし、自然環境破壊の再発が心配です。
 また所得税減税は、目的が良く分かりません。自民党の選挙対策との噂もありますし、サラリーマンのわずかばかりの所得減税で何の景気対策でしょうか? 

 橋本内閣の当初の政策目標は、行財政改革と同時に、歳出を押さえ歳入を増やすために、公共事業の大幅な削減と消費税の引き上げを行ったのではありませんか。結果が消費の大幅な落ち込みとなって現れてきました。
 消費の落ち込みを押さえるなら、まず消費税の撤廃とそれに代わる消費者に直接的でない「売上税」等の検討も必要でしょう。売上高の多い企業からの税の徴収は、零細企業をも救うし、消費税の撤廃は一般の消費を促すと思うのです。また公務員の恩給(こんな言葉が生きているなんて信じられませんが)制度や、一般とは比べ物にならないような高額の退職金の見直しなども必要なことではないでしょうか。

 現在の景気低迷の根本的原因は、金融機関の見境のない貸し出しと、大蔵省と業者との癒着による贈収賄に起因する土地・住宅の過剰供給や、環境を考慮しない無差別な公共事業の推進にあったのではないでしょうか?
 また企業の本業を忘れた不動産や株の取引による増益戦略なども無縁とは言えないでしょう。儲け第一主義の企業自らが掘った墓穴なのではないでしょうか。それに対して、中小企業を救うための政策ではなく、バブルの元凶である住専や銀行等の金融機関への多大な公金投融資は何なんでしょうか? まったく理解に苦しむところです。
 また金融不安元凶の大蔵高級官僚への処罰や多くの脱税者への処置、対策にしても全く明らかにされていません。
 今回の衆議院補欠選挙での東京の37.65%という低調さは、政治不信もさる事ながら国民(都民)の行政に対する無関心さを浮き彫りにしました。それに対する国会での反応もありません。公職選挙法を改正して、有権者の2/3以上あるいは過半数の投票率でなければ、選挙の有効性は認めない位のことを議決してもよいのではないかと考えますが、皆さんはどう思いますか?

 「選挙なんてどうだっていいや」と言うつぶやきが聞こえてきそうですね。マスコミなんかも無関心ですね。有権者の年代別投票率(棄権率)を示して、問題提起をしてもいいのではないですか? 今のマスコミやジャーナリストに期待はしていませんがね。( Apr. 2. '98 )


 わが耳、いや目を疑った! 普天間基地代替ヘリポートの建設について、名護市長が突如建設を認める声明を発表した。

 米軍の海上ヘリポートの建設について沖縄住民のみならず、自然環境保護上も問題が多く、多くの人たちが反対を表明していた。そして名護市長は、住民投票という新しい手段で賛否を世に問うた。
 その結果、建設反対が53%の多数を占めた。ところが、急転直下、名護市長は建設賛成の決定を下した。いったい住民投票の意味は何だったんだろうか?

 話は違うが、昔、私が高校生だった頃、級長を決める投票で2、3票差で私が級長に選ばれた際、票の僅差を理由に、連続して級長の座につくことを固辞したことがある。
その時、級友たちは、たとえ2、3票の差であれ、過半数の支持があるのだから、辞退することは信頼に反すると猛反撃をくった。それが、昨日のことのように思い出されて、今でも級友に済まないことをしたと後悔している。
まして市長たるものが住民投票で決めたことを、票の僅差という理由で覆すのは、選挙民に対して信頼を裏切る行為であり、住民投票というこれからの道を開きながら、国民の期待をも裏切る行為であると思うのは考え過ぎだろうか?( Dec. 24. '97 )


 NHKスペシャル「公共事業のあり方」を見た。公共事業と地方自治について考えさせられた。
 補助金や交付税の必要性についても、やはり受益者負担という考え方が基本ではないかと思う。そのためにも地方自治の独立が必要だと思うし、公共事業についても地方で企画し、財源についてもムダのないように考える事が必要であり、地方自治体に任せてこそ初めてできることではないか?
 国が必要と認めた公共事業に対する助成金については、国会等で十分に論議して決定し、実施における監査等も当然行わなければならないだろう。情報開示も必要で、今までのように闇の中で行われないことが肝要だ。
 省庁再編の目的についても討論されていたが、縦割り行政が全て悪いと決めつける前に、従来のやり方の何が悪いのかを十分議論し合って、改善する方向を明確にすることが必要だと思う。( Oct. 25. '97 )


 都議員選挙の投票率の低下の異常さ。有権者の半分以上が投票の権利と義務を施行しないという異常さ。夏場の幽霊でもあるまい。肌寒い気がしてくる。選挙制度の改革を真剣に考えないと日本丸は沈没するのではないかと杞憂するのは私だけでもあるまい。( July, 8. '97 )


 今度は東京湾内でのタンカー、ダイアモンド・グレース号の座礁による原油の流出事故が発生した。流出量が15000キロリットルという途方もない量なので回収が難しいらしい。(実際は、この1/10位だったようだ)
 前回のロシアタンカーの重油流出事故の際に、危機管理体制が問題になったが、今回も最大の油回収船でさえ1000キロリットルのものしかない。それに現場へ急行しても船足では時間がかかって、その間に油は拡散して回収が不可能に近い。回収装置を大型ヘリコプタなどで迅速に現場へ輸送できないものか?

 石油を海外からの供給に頼っている限り、同様の事故がいつまた発生するか分からない現状では、早急に体制を整えてもらいたい。いつでもボランティアに頼るということでもあるまい。漁業補償だって保険業界の最近のていたらくから考えると満足に出来るとは思われない。
 また、それに伴う環境汚染は計り知れないものがある。油を中和出来たからといって汚染がなくなるわけではない。政治が貧しいから次々と問題が起こってくるのではないか。政府の意志決定の迅速化が最も必要とされている時期だと思う。( July. 4. '97 更新 )


 国会での予算審議の状況を毎日テレビで見ていて思った。これで予算案の審議ができるのか? 予算案については、与党の自民党が中心になって作成したのではないのか? だったら、何故自民党の質問があるのだろうか? 自分達の書いた案に対して、何を質問するというのだ? 予算案の作成に加わらなかった野党だけが、その案に対して質問したり、提案したりして、それをみんなで審議し、討論して、必要な場合は原案を修正するのではないのか?
 聴いていると、直接予算と関係なさそうなことまで持ち出して、大演説をぶつ議員もいる。この場は、自分を売り出す演説の場ではなく審議、討論の場ではないか。政府の答弁にしても、ただただ原案を守り抜く姿勢だけが強くて、激論をたたかわす審議とはとても思えなかった。これだったら、予算案の作成の際に野党の代表も加えて十分に討論した上で政府案を作成し、予算案の承認の場とすればよいように思う。時間の浪費と言うしかない。( Feb. 11. '97 )


 また大きな問題点が浮上してきた。先の阪神大震災の際に指摘されていた日本の政府の危機管理体制の不備については、またまたペルー大使公邸占拠人質事件にも言える。
しかも日本政府はペルー政府に対して「人質の生命を第一に考えて慎重に行動願いたい」としか言えないでいる。人質の命が大切に考えているのはなにも日本ばかりではない。ペルーの情勢を無視した日本勝手な発言とは思わないのかねぇ。なぜ各国の要人が集まるパーティーに無防備だったのだろうか? 戦争やテロの危険のない平和な日本だからねぇ。そしてロシアタンカーの沈没による原油の流出による日本海沿岸の汚染防止に対しても、またもや早期に何の手だても打たれず被害の拡大につながった。しかもタンカーの事件では、首相は日本を離れていて何の指示もしていなかったようだ。ここでもまた、阪神大震災と同じように民間のボランティアがいち早く応援に赴いている。

 テレビを見ていて歯がゆいのは、現地の状況が素早く報道されているのに政府を主体とした汚染防止、救援体制がなかなか見えてこないことだ。確かに技術的に難しいこともあると思う。
 しかし事は急を要する事だ。だからこそ危機管理体制の見直しが必要なのではないか。ボランティアに甘えていてはいけない。ボランティアは一時しのぎであり根本的な対策にはならない。( Jan. 30. '97 )


 先日の新聞で97年度予算の大蔵原案を見ただろう? 一体何を考えているのかわからん。整備新幹線がそんなに緊急を要する事業かね? 補助金は何でそんなに必要なの? 一般公共事業費は本当に緊急に必要なの? 族議員のしてやったりの顔が見えるようじゃないの。
 私企業では、鉛筆一本、消しゴム1個節約してるってのに。ゼロベースは無論のこと、無条件一律20%削減ってざらですよ。国民の汗と涙の税金だからね! 一度議員諸氏に私企業の予算会議に一日社長でいいから厳しさを実感してもらいたいね。
 行政改革もいい、財政再建もいい、しかし今、日本の政治に必要なのは、族議員の入り込む余地を無くすことだ!


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