tommy さんのつぶやき1999年後半

 今日はクリスマス・イブ。去年まではクリスマス・デコレーションで華やかだった我が家のリビングルームも、クリスマス・ツリーだった鉢植えの樅の木が枯れてしまったために、全ての小道具の出番が無いのです。でも飾りが無いのは寂しいものですね。

 BS2でサンタクロースの映画「三十四丁目の奇蹟」を見ました。懐かしい白黒の映画です。もう私達が想像するという夢を失ってから久しい時間が経ちましたね。けばけばしたカラーフィルムからは、現実の姿だけで想像に胸ふくらますことはありません。(フィルム会社の社員がこんなことを言っても良いのでしょうか?)
 この映画は、ニューヨークのメーシー百貨店がクリスマス商戦のパレードから始まります。子供達にオモチャを売り尽くすことを使命とする営業主任とパレードの企画責任者の女性が奮闘する中に、北極から来たという本物の(かどうかは明かではない)サンタクロースと名乗るクリス・クリングルという白髭の老人が紛れ込んで、サンタクロース役として雇われます。子供たちのクリスマス・プレゼントの相談相手となって、メーシー百貨店に無いオモチャについては別の百貨店の売り場を紹介するという有様で、営業主任や企画責任者の女性をあきれさせ解雇されそうになるが、かえってお客を感激させ売上も信用も上がり、社長からはボーナスがでる始末。
 企画主任の女性は離婚していて簡単には人を信じない。女の子が一人いるが、サンタクロースは現実にはいないのだと子供に教え、真実であることのみを教えることが子供のためだと心から信じている。クリスは、子供には夢や想像することこそ必要で大切なことだと言い聞かせるが、かたくなに拒否してしまう。ついにクリスは全てをあきらめて、自ら精神病院へ入院しようとするが、子供たちの夢をこわしてはいけないと、入院の拒否を裁判に訴えて、ついには裁判で本当のサンタクロースと認められる。

 クリスが本物のサンタクロースがどうかは問題ではない。子供達を愛する心、人を信じる心が大切なのだと訴えている。現代の、罪も無い子供達を無差別に傷つけたり殺したりする現実と、金儲けや自分の出世のためには手段を選ばない人々、聖職者である教育者や警察官、宗教家までが悪いことをしてはばからない現在の世相をも風刺しているように思える。
 久しぶりに、心がほのぼのとする映画であった。私達も子供達に夢と希望を与えてやる必要があるのではないだろうか? あまりにも目先の利害ばかりを追っかけて、大切な心を失っているのではないだろうか? 「神」の言う“人が生きると言うことは愛の心であり、他人に与えて見返りを求めないこと”であり“愛”が全てであるということだろうか? 全ての人にメリー・クリスマス! ( Dec. 24. 1999 )


 セザンヌ展に横浜美術館へ出かけました。平日とは言いながら結構混雑していました。混雑は毎度のこととは言いながら、見物(鑑賞ではないッ!)する人達のマナーの悪さには何時も辟易します。なにしろ鑑賞している目の前に平気で割り込んで立ちはだかる人が何と多いことか。自分さえ見えれば良いということか? わざわざ身体をずらせても、また同じように視界を遮って平気な顔! あるいは騒がしい子供連れの若い奥さん。まだ文字も絵も良く分からない幼児に情操教育のつもりでしょうか? 他人の迷惑など何のその、自分さえ良ければいいのでしょうね。美術鑑賞ならそれ相応のマナーも身につけて欲しいものですね。

 セザンヌの作品はなかなかすばらしい内容で、代表的な作品はほとんど揃っていたようです。前回のオルセー展の時と同様にイヤホーンガイドを借りて鑑賞しました。セザンヌと言えば、風景画が得意だと思っていましたが、静物画がとてもすばらしいのに驚きました。それも果物の新鮮さは抜群の表現力です。その中でも「リンゴとオレンジ」などは、大胆な構成と躍動的な斜め上から見下ろす画角で、とても尋常の静物画ではありません。ゴッホ、ゴーギャンと共に後期印象派を代表するセザンヌでこそ描けるものだと感じました。思わず36K円もする複製画を注文してしまいました。( Dec. 17. 1999 )


 最近リストラで大量の解雇や勧奨退職、配転が各企業で平然と行われていますが、NHKのETV特集「世紀を越えて」を読む、変わるサラリーマン社会“サラリーマン選別の時代が始まった”で背筋が寒い思いがしました。

 アメリカの巨大企業イーストマン・コダック(EK)は、10万人いる社員の内2万人を2年間で削減することを発表しました。EKは、終身雇用を柱に家族的な会社として知られていたそうである。今回のリストラについてマイケル・モーリー副社長は「社員の解雇はやむを得ないことです。コダックと言う企業にとって重要なのは、実行する経営上の改革とは何なのかを認識し、それにしたがって人員の削減を決断し、実行して行くことなのです」
 アメリカで行われている企業の人事関係者のセミナー「上手なリストラの進め方」によると、会社としては解雇したい。でも本人はやめたくないと思っている。こういう社員をどうやってやめさせるか? について、企業側には公然と解雇する権利があると明言しています。終身雇用で繁栄してきた日本では、解雇は良くないことと考える企業も多いようで、その例として、終身雇用の建前を崩さない代りに年功序列を廃止し、成果主義を導入して、目標管理によって業績を考課する方式をとっていますが、必ずしも従業員を納得させる考課は難しいような気がします。

 “リストラ”(再構築)が必ずしも解雇ではなく、解雇によるリストラは“ダウンサイジング”(事業縮小)ではないか? と疑問が呈せられますが、経営環境の変化(低成長)がリストラを余儀なくし、その要因として国際競争の激化と急激な技術革新がある。反面、労働者の意識も変化し、終身雇用に安住を求める古い世代に対して、自分の個性に応じて職業を選択し、同一企業に必ずしも長く留まらないという新しい世代の労働者の意識の変化に対応しているのではないか? とも受けとめられている。
 どちらにしても、経営の失敗を従業員の責任に転化するようなリストラは感心できませんね。それだけ経営者の質が落ちているともとれるし、経営者の先見性が当てにならないほど世界の情勢の変化が激しいとも言えますね。
 しかし、社員やその家族の生活安定を旨とする終身雇用は日本企業の美徳だと思いますがね。業績考課の方法や給与体系とはまた別の問題で、給与に付いては、企業の利益配分の問題として考えれば良いように感じるのですが? (Dec. 14. 1999 )


 今日は、念願のセザンヌ展へ横浜美術館に行こうと思ったが、上野のオルセー美術館展へも行くつもりであるので、会期は何時までなのか念のためインターネットで調べてみた。調べてよかった。オルセー展は12日までしかない。今日オルセー展に行かないと行く日が無くなってしまう。セザンヌ展は19日までとなっていた。

 急遽予定を変更して、上野の国立西洋美術館のオルセー展へ、妻と一緒に朝一番に出かけた。新幹線で東京へ。ちょっと贅沢だけど、この年では疲れないようにする事が第一だろう。どうせ混雑をさけて平日に行くのだから。

 何時ものように上野駅の改札出口前の前売券売り場で入場券を買って行ったのが良かった。美術館の入場券売り場は人の列! 中は多少混雑してはいたが、平日なので割合見やすかった。それにイヤホンガイドを借りたので、絵を十分鑑賞できたのが又良かった。ただ見て歩くだけでは疲れてしまう。途中、休息の椅子に休んでイヤホンの説明を聞きながら鑑賞するのも良いものだ。(年は取りたくないね!)

 非常に興味深い絵もありました。その一つはルノワールの「エチュード:若い女性のトルソ,陽の効果」で、裸体の女性の肌が木漏れ日によりまだらな模様となっていて、従来のきれいな肌の裸体画の枠から抜け出した手法のものである。またモネの「死の床のカミーユ」は、妻の死に行く顔色の変化を冷静に描いていて、そこにはモネの悲しみの心は見えない。あくまで死に行く人も1つの画材でしかないのかも知れない。もう一つはゴッホの「星降る夜,アルル」で、珍しく夜景の河岸を描いていて、真っ暗な空には星が散らばり、中心に大きく北斗七星が輝いている。暗い水面には対岸の華やかな街のガス燈の光が揺らめいて映し出されている。こちら側の三角に張り出した岸辺には、暗闇の中に恋人らしい二人の手を組んで歩く姿が小さくかすかに見える。ゴッホのあの強烈な赤や黄のあざやかな筆致はそこには見られないが絵の構成は尋常でない。この絵は個人の所蔵品で、いままでゴッホの作品としては知られていなかったものらしく、非常に珍しい一品なのだそうだ。そのほかにドガの彫塑が3点あって“ドガが彫塑をねぇ!”と、びっくりした。
 絵画、彫塑、珍しいコロジオン写真など貴重な作品を200点ほどを鑑賞することが出来たので、多少疲れてへばったが満足であった。展示作品の美術複製画の額装が35K円で注文を受けていて欲しかったが、“大蔵省”との交渉が成立せず入手できなかった。35K円は安かったなあ。残念だったなあ! その代わりと言っては何だが、オルセー展のCD−ROM版を買ってきたので、もし興味のある方はお貸ししますよ。音声ガイドもあります。(イヤホンガイドと同じです)

 帰りは秋葉原へ寄って、デジカメを冷やかしてきたが、最近は秋葉原でも安くはなくなったね。もう130万画素以上が主流で、価格も50K円以上になってしまっている。2,3年前なら35万画素で十分だったのになあ! 私のデジカメ(フジのDS−30)も2年で故障してしまった。修理すれば17K円かかると言うし、次は230万画素のプリンカムに買い替えるか? ( Dec. 9. 1999 )


   早−明戦のラグビーを久しぶりに息子と一緒にテレビで観戦しました。私の息子は中学生の時から早稲田のラグビーのファンで、机の前の壁には早稲田のペナントが飾ってありました。大学ももちろん早稲田の理工学部に進学しました。だから今でもラグビーとなるとテレビに釘付けです。しかし、以前と違ってラグビーの選手の質も大変変わってきたように思います。何しろ重量フォワードを標榜していた明大のラグビー部が、今は早稲田とのスクラムにたじたじで、むしろ軽量フォワードだった早稲田に押されているのです。それに伝統明治に反則が多く、早稲田にもパスミスやノックオンなどのポカミスも多くて、攻撃のパターンにもいまいち精彩がありません。結局27:10で明治に軍配が挙がりましたが、もっと若者らしいきびきびとしたゲームをしてほしいものですね。バンカラ早稲田の名に恥じないよう、勇ましいゲームを展開してほしいものです。( Dec. 5. 1999 )


 見ていますか? ワールドカップバレー。久しぶりに手に汗をにぎる熱戦でバレーの醍醐味を満喫しています。男子の対アメリカ戦などは、1:3で敗れたとはいえ最後まで接戦でしたからねえ! 中国との試合も予想外の3:0では勝ちましたが全て接戦で、すこし歯車が狂えば0:3にもなりかねないんですから、一っ時たりともテレビから目が放せませんでした。カメラワークも絶妙です。選手たちの熱さが直接伝わってくるようです。富士フイルムの青山選手も、優しい顔の割にはなかなかどうして厳しいサーブを決めますねぇ! 平行トスからの平行スパイク、時間差からのトリック陰の忍者スパイクなど攻撃は多彩、スパイクは豪快です。バレーボールの影が薄れているこの頃ですが、誰でも容易に出来るスポーツ、いや楽しめるゲームとしてもっと見直してほしいものですね。
 昨近のサッカーのように、スポーツが何時の間にかプロの儲け主義や賭博の対象となって、青少年の純真なあこがれの対象から遊離しないよう、スポーツ関係者に心してもらいたい気持ちです。スポーツはいつまでもアマチュアの世界であってほしいものです。( Dec. 2. 1999 )


   悲しい事件がまた発生しましたね。文京区でお母さんが立ち話をしている間に行方不明になっていた春奈ちゃん(2才)が、近所の同じ年の子供を持つ母親に殺害されていたことが判明した。新聞によれば、区内の有名幼稚園を受験して、春奈ちゃんだけが合格したことと、母親同士の普段の確執があったと言うが、罪もない子供を殺害するという常軌を逸した行動には理解を超えたものがある。理由はともあれ、許せない行為です。
 なによりも「命の大切さ」と「有名幼稚園へのキップの重要性」を天秤にかけることは無意味であろう。まして子供の将来は親がどうすることも出来ないものであり、子供をいかに自立させるかという親の姿勢にかかっているのである。子供を誰かに教育してもらうとか、有名学校へ進学させるとかと言うことではあるまい。“この親にしてこの子あり”であり、鳶は鷹の子を産まないのである。(教育が無意味であると言うことではありません。念の為)

 自分の子供も他人の子供も同じに大切だし、同じように可愛いものです。殺人者となったこの母親も、この母親を知る人達の証言からは、他人の子供達にも優しい、良い母親であったと言う。「人類はみな兄弟!」誰かの言葉ではありませんが、憎しみや嫉妬からは何も生まれません。「神」は語る。愛こそ全てなのです。( Nov. 27. 1999 )


 伊香保温泉にいったついでに、娘夫婦の勤めるニッサンの航空宇宙事業部を見せてもらいました。中を車で一周したのですが、何と広いこと。ニッサンはルノーと合併して、今、ゴーンさんのリストラ旋風が吹き荒れていますが、相変わらず広い敷地の工場で悠然としているように見えました。日本の宇宙開発は、先日(11月15日)、H2ロケットの打ち上げ失敗で世界の宇宙開発競争から脱落する心配が濃くなって、関係者を心配させています。

 今回の失敗は、開発競争を勝ち抜くため、コストを50%も切り詰めた結果だろうと言われていますが、失敗に伴う損失は343億円と言いますから、何のためのコストダウンかと首をかしげたくなります。打ち上げ失敗は、今に始まったことではなく、98年2月にも通信衛星の打ち上げで、衛星が軌道に乗らず失敗しました。日本のロケットの製造は、三菱重工、石川島播磨、日産自動車、川崎重工などがそれぞれのパートを分担しているため、十分な連携が取れていないのではないでしょうか?
 また、管轄が科学技術庁であり、その後ろには、問題の文部省が控えているのです。これらの開発と管理体制が原子力開発と同様、問題はないのでしょうか? いっそのこと日本の宇宙開発事業所を一ヶ所にまとめて、民間で進めたほうが、管理責任も明確になってコストと品質の兼ね合いも十分考えるのではないでしょうか。失敗の許されない宇宙ロケットの開発に、安かろう悪かろうでは困ります。
 皮肉なことに、中国が有人宇宙飛行に先だって、無人宇宙試験船の打ち上げに成功したというニュースが伝えられ、更に世界との技術格差を見せ付けられましたね。技術日本の期待にそむかずガンバってほしいものですね。

 話しは変わりますが、同じく富岡市にある群馬県立自然史博物館も見学しましたが、展示内容もすばらしく、ニューヨークの自然歴史博物館( American Museum of Natural History )を小さくしたような感じです。これは、以前東京の博物館に勤めておられた方が、群馬県に移ってこられて企画されたそうで、きっと、小さいながらもニューヨークのそれに匹敵するようなものにしたかったのではないでしょうか? 文化的な事業には大いに賛成ですが、地方財政で管理費を捻出して行くのは、さぞ大変なことだろうと思います。県立や市立の美術館もそうですが、入れ物(建物)はとにかく、内容物などは各地方の博物館や美術館とネットワークを介して運営したほうが安上がりだし、内容も充実できるのではないかと思いました。

 伊香保温泉には、竹久夢二伊香保記念館があるので楽しみにしていました。なかなか立派な展示内容で、あちこちに竹久夢二の美術館はありますが、これほど夢二に関する資料の充実したところはないだろうと思います。竹久夢二の絵は、ご存知のように細面の美人画ですが、これもモデルが誰なのか資料を見ながら分かるような気がしました。展示されている絵はそれほどでもなかったのですが、夢二の書簡はすばらしいもので、手紙そのものが書の作品と考えても良いもので、こんなすばらしい筆跡だったのかと、新しい竹久夢二を発見したような気がしました。
 そして、記念に買ってきたのは何だと思います? 何と! 夢二の詞に、小椋佳が作曲した歌集のCD「あけくれ」です。何といっても、永遠の美少女・八千草薫のナレーション入りなのです! どっちが目的なのかって? さあ?

 NHKテレビで「いのち再び 〜生命科学者 柳澤桂子〜 」を見ました。以前やはりこころの時代「一日の重み」で、原因もわからない痛みに苦しみ、病名も分からず医者にも見放され、生命維持装置により生かされ続ける現代医療の問題点を突きつける柳澤桂子さんのドキュメンタリーを見て非常に感動し、桂子さんの最後の著書となるはずの「生と死が創るもの」を読みました。このドキュメント番組は,その後の奇跡的な物語です。

 現在の医学では、人の痛みを定量的に測定する方法はありません。柳澤さんの病気の原因もわからないまま、医師は心因性のものだと決めつけ、夫の嘉一郎さん(科学者)までも妻の痛みを理解しない。ついには桂子さんも日に日に増す痛みや痺れに生きる望みを捨て生命維持装置も取り外して、尊厳死を望むが、家族は痛みと闘って何とか生き続けて欲しいと懇願する。桂子さんも生きていてほしいと言う家族に、自分が必要とされていることを知り、生きようと決心する。その時から奇跡が起きていく。夫の嘉一郎さんも桂子さんの痛み、苦しみを初めて事実であると知り、世界中の医学文献をくまなく調査し、妻の病気の原因と治療法を探し始める。そして、ついに神経の情報伝達の異常に使われる薬の中で痛みを止めるものがあることを発見し、一縷の望みを託してその処方を医師に依頼する。
 その薬を飲み始めて1週間、痛みや痺れがうそのように消えていく。ついには歩けるまでに回復する。奇跡としか言いようが無い。生きるということがどんなにすばらしいことか! 自分の存在に執着してくれる人がいるということが生きることにどれほど重要なことか! 何十年もの間の闘病から蘇って、奇跡でもない、偶然でもない、これは必然だと嘉一郎さんは述懐する。

 私はここに「神」の介在を見たように思った。そして「生きる」と言う強い意思が、神の奇跡を生んだのではないかと思う。「人は何故存在するのか?」、「生きるとはどういうことなのか?」。35億年の歴史をDNAに刻んで生と死を繰り返す人間の存在の意義を問いかけるドキュメンタリーであった。( Nov. 11. 1999 )


 サントリーの佐治敬三さんが亡くなりました。また一人惜しい文化人をなくしましたね。80才だったそうですからまだまだ長生きをしてサントリーを盛り立てて欲しかったですね。そのせいか最近のサントリーのテレビコマーシャルは、ぱっとしませんし、元気がありません。人を引付けるユーモアもありません。サントリーファンとしては、もっとコマーシャル文化を目指してがんばって欲しいものですね。

 佐治さんと言えば、著書「洋酒天国」でしょう。“世界の酒の探訪記”と副題にあるように、ヨーロッパの酒作りを尋ねた酒文化のエッセイです。昭和35年の暮れに初版が発刊され、明けて1月9日には第4版となって私はそれを入手しています。(私は購入した本の表紙を開いた次の白紙面に,購入日とサインを入れる習慣がある)そのとき既にビールやワインの分野への開拓を考えられていたのでしょうか。この本の柳原良平さんのカットの絵がコマーシャルとダブって懐かしいものです。

 私が就職したての昭和30年代は、薄給の中での楽しみは、年配の酒飲みはご存知「トリス」ウイスキーでした。サントリーは,経営者の鳥井さんの名前をひっくり返して「サントリー」にしたと言うことからも、親しみやすかったのかも知れません。旨いウイスキーをと無理をしてもせいぜい「ホワイト」であった。「角瓶」を飲むのが夢であったが、なかなか手が届かず、次にでた「レッド」がやっとで、“のん兵衛”には、レッドの大瓶がご推奨だった時代です。「だるま」(オールド)は最高級で、酒屋に注文しておかないと配給制でなかなか手に入らなかった時代だつたのです。今は贅沢になって、だれでも「リザーブ」が普通で、「オールド」などは見向きもされませんが、我々古い人間は「オールド」で心が休まるのです。私はストレートしか好みませんが、水割りの好きな人には佐治さんが「響」か「山崎」を推奨されているようですから(評論家の谷沢永一氏による)お試しあれ。
後にビール党になってからは、サントリーが苦心の作であるサントリービールはあまりにも他の国産のビールとのテイストの違いがあって、好まれなかったのですが、現在の「モルツ」はなかなか好ましい味わいで、私も時々気分を変えて愛飲しています。
 ワインも、山梨のサントリーワイナリーでおいしいワインが飲めるので、年に一度は出かけて好きなワインを買ってくることにしています。場所は、中央高速を使えば、甲府昭和ICを降りて国道20号線を長野に向かって進み、下今井の交差点を右に入って行くと案内標識があるのでそれに沿って行けばよい(地図にも載っている)。しかし運転者は試飲は出来ないのでお忘れなく。

 サントリーから佐治敬三さんと言う文化人を失ったことは、サントリーというウイスキーの文化に一区切りが打たれたような気がします。佐治さんもここらでゆっくり天国で洋酒を楽しんでください。ご冥福をお祈りします。( Nov. 6. 1999 )


 横浜美術館(みなとみらい21にある)で、いまセザンヌ展が開催されていて行きたいなぁと妻と話していますが、休みに帰ってきた息子の話では大変混雑していたとのことでした。何しろ日本人は美術展、特に西洋絵画の展覧会には目が無いようで、我も我もと押しかけるため、絵を見てるのか群衆を見ているのか訳がわかりません。私自身もその一人と化するわけですが、常設展のようにゆっくり鑑賞したいですね。上野の西洋美術館ではオルセー美術館展が開催されているので、こちらも見逃せませんしね。

 ところで息子の話では、セザンヌ展では絵画の説明用にイヤホーンを貸し出しているそうで、ただ絵画を見ているよりはイヤホーンの解説付きで見たほうが遥かに興味深く鑑賞できるから、必ずイヤホーンを借りたほうが良いと注意してくれました。私も上村松園の絵から、画家の思いやバックグウンドを知ってこそ初めてその絵を理解できると述べましたが、全く同じことを息子が感じたようでした。

 ところで今朝のNHKテレビ「心で奏でるメロディー」の世界的バイオリニスト、アイザック・スターンさんが、宮崎で各国の若い音楽家を対象に室内楽のレッスンを通して指導される様子を見ました。そこでスターンさんが強調されることは、譜面を正確に演奏することではない。音楽とは作者(作曲者)の気持ちを感じて、作者の情熱を再現することだと言います。あなた方は作曲者の生い立ちや作曲された背景などについて勉強したのではないか? と反問されます。フォルティッシモ( ff )と言うのはそんな優しい音ではない! 叩きつけるような音だよ! と身体全体で表すのだと言います。スターンさんの表情は険しく、真剣そのものです。韓国からレッスンに参加したイ・ソジョンさんはそんなスターンさんの注文に不満顔です。韓国では並ぶ者もない優秀なソリストとして認められ、多分ちやほやされているのではないかと思われます。1日20時間練習しなさいと言うスターンさんにも反発しています。しかし、スターンさんは容赦しません。演奏には完全は無い、完成に向けてただ練習あるのみだ。そのため私はそれを若い人達に伝えるために生涯を賭けているのだ! と言われます。残念ながら、もう次のレッスンのため貴方方の仕上げである演奏会を見られず日本を離れなければなりません。

 反発していたイ・ソジョンさんも最後には無心に演奏するようになります。スターンさんにも満足な笑顔が浮かびます。
 はからずも以前見たチェロ奏者ロストロポーヴィチさんの演奏と話を思い起こしました。
「先ず楽譜を良く見ます。そして作曲家がどう言う気持ちであったかを考えるのです。そして、その作曲家の心になりきって、自分の力を注いで演奏するのです。」

 音楽にしろ、絵画にしろ、私達は芸術の世界にも技術ばかりを尊重して心を忘れているような気がしました。( Nov. 3. 1999 )


 宮城県の上高森遺跡の古い地層から発見された尖頭器やくさび形石器および削器が、60万年以前のものであるらしいことが分かったそうで、日本の旧石器時代が一挙に100万年以前に溯る可能性が出てきたようです。材質も碧玉という、いわゆる神代の時代の勾玉に使われていたものの様で、人類の祖先が今から100万年前に既に存在していたとしたら夢のような話で、現代人(新人類)も2000年前ではなく更にもっと昔に出現していたのではないかと、ロマンチックな気分になってきました。ロシアのツンドラの下で発見された冷凍マンモスの表皮などとも併せて、地球の歴史にますます想像が広がってきますね。果たして、人類に祖先は存在するのか? それとも「神」が神自身に似せて創造されたアダムとイブこそ人類の祖先なのだろうか? ( Oct. 31. 1999 )


   いやぁ、久しぶりでしたねぇ! 天才トランペット奏者セルゲイ・ナカリャコフさんの演奏が、今朝のテレビから聞こえてきました。覚えていらっしゃいますか? 昨年のNHKの朝のテレビ小説「天うらら」の爽やかなテーマ・ミュージックのトランペットの演奏者が彼だったのです。是非もう一度聴きたいと思っていました。
 偶然、8時からのNHKのBS2「クラシックアワー」で、あのすばらしい音が聞こえてきたのです。まぎれもないセルゲイ・ナカリャコフさんのトランペットの演奏です。何と言うか天上からの妙なる音楽とでも言うのでしょうか。とてもトランペットの音とは思えません。急いで妻を呼んで二人でうっとり聴きました。おまけに美青年ですからねぇ! 残念ながら録画できたのは、最後のアンコール演奏だけでした。また聴かせてほしいものですね。( Oct. 27. 1999 )


 よかったですねぇ! 国際協力事業団からキルギスに派遣され、キルギスで拉致されていた邦人4人の鉱山技師の方達が、無事に開放されて元気な姿が見られました。金や銀の鉱脈を探査する仕事で協力要請があって、出かけられていたようですが、金銀よりも人の命は尊いと言う事ですね。2ケ月以上もよく辛抱されました。人質生活は大変だったに違いありません。

 無事救出されたとは言え、今回の事件は多くの課題を残しました。1つは、日本大使館も国際協力事業団の現地事務所も無い外国へ派遣する場合の問題。そして文化の違いと民族紛争の多い地域への考慮の不足。もともと危機管理意識の低い日本の体質が、政治的にも解決に十分な体制がとれないもどかしさがありました。
 今後益々多くの国から技術支援の要請を積極的に受け入れなければならない技術国日本として、政治的にも安全・危機管理体制を早急に確立すべき時が来たようです。( Oct. 26. 1999 )


 ノーベル平和賞が医療非政府組織(NGO)の「国境なき医師団」に授与される事が決定されたようです。この医師団は、紛争や自然災害で発生する負傷者等の救援活動に活躍しているもので、日本にも支部がある。これらの活動は、人種や宗教の差別無く人道的な見地から行われており、世界、人類は皆一つと言う考え方に基づいているものであろう。この受賞によってNGOの活動が高く評価され、それらに携わる人達を勇気づける大変喜ばしい事である。

 それにつけても、アメリカ上院がCTBT(包括的核実験禁止条約)の批准決議を否決した事は、核保有大国として国際世論を無視した暴挙であり、NGOの平和に向けての活動と真っ向から対立するもので非難されるべきだろう。これは決してアメリカ国民全ての考え方を代表するものではなく、単にアメリカの政府や政権上の駆け引きの問題であり、軍事的優位性の確保と国益優先には手段を選ばずとの強硬な姿勢を端的に表わしているものであろう。( Oct. 17. 1999 )


 ウィーンで開催されていたCTBT(包括的核実験禁止条約)発効促進会議が終わりましたが、肝心の核保有大国のアメリカ、ロシア、中国などが批准に応じていません。せっかく早期の署名、批准を促す「最終宣言」を採択しても、何の効力もありません。地域紛争や戦争阻止に国連軍とやらが介入し、紛争が解決するどころか、更にゲリラ活動が活発化して問題となっているように、大国の思惑だけで核軍縮・核不拡散の停滞、逆行とならないよう、特に日本国の積極的な働きかけを期待したいものです。さて小渕外交は大丈夫なんですかね? 次期解散総選挙の票集め、自自公の与党勢力の拡大ばかり考えているんじゃなかろうね? 島国根性もいい加減にしてよ! ( Oct. 12. 1999 )


 デジタルカメラも230万画素が出てきて、どうやら写真に使えるように成りました。しかし、デジタルカメラは、高価な割にはすぐに写真が出来るわけでは無し、FDIで写真屋に出したところで、70円/枚くらいになって、普通のフイルムの写真の41円/枚にはかなわない。それにFDIでは、なかなかすぐにとはいかない。
 インスタントカメラ(富士フイルムではフォトラマとか、今度新しく発売したチェキ)だと、その場で写真が出来上るので、多少高くても良いが、記念写真で人数分その場で複製できない。デジタルで、しかもインスタント写真のデジタルカメラが出来れば文句はない。と思っていたところ、出ました!! 富士フイルムから「プリント機能付きデジカメ FinePix PR21」230万画素で、インスタントフィルムに露光し、その場で複数枚プリント出来るそうですよ。新聞報道によれば、価格は99800円だとか。楽しみですね。( Oct. 10. 1999 )


 9月の厳しすぎた残暑から、はたまた何と、涼しさを通り越した急激な寒さに、思わず長袖シャツに上着まで着込んでしまいました。皆さんはお風邪を召されないようにお気を付けて下さい。年を取ってからは無理が利きません。若いつもりで、薄着しない様にした方が良いようですよ。わが女房どのも体調を崩して弱っています。

 ところで、ここのところ話題豊富で、何を“つぶやいて”よいやら、選択に困っています。
先ずは、プロ野球の優勝結果でしょうか? セ・リーグの優勝は、ついに長嶋巨人ジャイアンツの奮闘の甲斐なく、星野中日ドラゴンズに先を越されてしまいましたね。私のご贔屓のノムさんの阪神タイガースは、“六甲オロシ”になってしまって、ブービーにも止まれず最下位とは情けないですねぇ。中日にトレードで出した関川と久慈選手が大活躍で優勝に貢献したとは皮肉なもんですねぇ。日本シリーズでの「O・N対決」は、残念ながら実現しませんでした。

 それから海の向こうでは、昨年に引き続いてカブスのソーサ選手とカージナルスのマグワイア選手のホームラン争いと成りましたが、65対63でマグワイア選手に軍配が上がりました。両選手とも、自分のホームランの数よりも、チームの勝利に結びつく事の方が大切だと言っている言葉に感心しました。大選手ともなると違いますねぇ!

 そうそう、もっと大事件がありましたね。東海村の核燃料処理施設(JCO)での臨界事故の恐ろしさ! 何と言っても作業マニュアルの不完全さと勝手にマニュアルを変更して作業した結果の事故で、ひょっとしたら国全体、いや地球規模に被害が拡大したかもしれない。建物自体も核燃料を扱う施設とは思えないようなものらしく、外部への放射線の遮蔽が出来ていないようだ。それに対する管理監督者(科学技術庁も含めて)の無責任な答弁。頭を下げて謝ればいいってもんじゃないでしょうが! 動燃での度重なる事故と事実隠蔽や虚偽の報告といい、同じ過ちを犯しているのではないか? それでなくても核燃料の取り扱いは難しいし、現実には良く分かっていない(臨界について)ことも多いように思われるので、原子力は人間のコントロールの範囲を超えているのではないかと危惧している。それなのに、今回のような管理のずさんさは許し難いし、事故が発生してから改善するのでは遅すぎるので、改めて原子力の問題について、国を挙げて検討し直す必要がありそうだ。幸い、再選小渕内閣の閣僚編成も決まった事だから、エネルギー問題や環境問題とともにしっかり取り組んでほしいものだ。( Oct. 5. 1999 )


 私は合気道を習っていますが、今年の初め植芝吉祥丸合気会道主が入神され、その追悼号の「合気道探求」が出ました。何気なく表紙を開いてみると、開祖植芝盛平翁の言葉が書かれてありました。謹んでここに載せさせていただきますと、
「合気は和合の道。全人類、全宇宙が大きく和して一体をなすべき、万物本来の姿の現れであります。全宇宙はみな同じ家族です。世界から喧嘩争いや戦争をなくす。この世界は美しき愛の世界、一つの造り主の情動の世界です。愛がなければ、国が、世界が、宇宙が滅びる。愛より熱も出れば光も生じ、それを実在の精神において行うのが合気道であります。
 今までは形と形のものとのすれ合いが武道でありましたが、それを土台としてすべてを忘れ、その上に自分の魂をのせる。自分に愛の心がなかったら、万物愛護の大業は成りがたく、愛の構えこそ正眼の構えであります。無形の真理、日本の武道は相手をこしらえてはいかぬ。無抵抗主義、これこそ霊界の処理法であり、念彼観音力(ねんぴかんのんりき)と申します。武の極意に形はない。心自在に生ず。気は一切を支配する源・本であります」

 これは正に、私の新しいコンテンツ「天地創成と宗教について」において、ニール・ドナルド・ウオルシュ著の「神との対話」で述べられている「神」の言葉そのものではありませんか? 再選された小渕自民党総裁に、合気会理事の海部俊樹元首相からぜひとも伝えてほしいものです。( Sept.22. 1999 )


 トルコ地震に続いて、台湾でM7.6の大規模な地震が発生し、多くの死傷者が出ている模様です。日本からも救急隊が派遣されるようです。台湾の航空関係に被害はなく、順調に動いているようなので、少しでも速く日本の救急隊が現地へ飛んでほしいものです。また、私たちも何か出来る事で援助しようではありませんか。日本赤十字社への義援金の振替番号は“00110−2−5606”で、「台湾地震」あるいは「トルコ地震」と明記する事になっているそうです。
 地震国日本も油断大敵です。今一度、地震対策を再点検し救急袋の中身も点検しておきましょう。我が家でも屋根上の老朽化した物干し台の残骸を、早速、雨の中でしたが取り壊して下に降ろし、地震に備えました。

 トルコの大地震といい、ノースカロナイナ州のハリケーンによる大洪水といい、東ティモールの独立に伴う紛争やロシアの爆弾テロ、一触即発のイスラエルとパレスチナの不穏な状況といい、ここのところ天災地変やら地域戦争やら地球上の混乱が世紀末を象徴しているように思えます。「神」の語るところによれば、人の意識が愛に変われば、未来も良い方向に変わるそうですから、国連が地域紛争に国際平和維持軍(?)等を派遣したり、理由はともあれ、経済制裁などという手段を用いない真の平和な国際社会にしたいですね。( Sept. 21. 1999 )


 シドニー・オリンピック予選を兼ねたアジア選抜野球大会を見ましたか? 真剣に討論するほどでも無いですが、わざわざプロ野球からの応援選手、それもルーキー松坂投手や古田捕手まで引き連れて、何がなんでも前回のプロ主体の韓国チームにコールド負けした雪辱戦で、今年こそ優勝をもぎ取ってくるんだとばかり思っていましたが、韓国戦の試合運びは何なんでしょうね? 3:1で勝っていた6回にピッチャー交代で、駄目押しのプロピカ一の松坂起用と思いきや、アマの高橋にバトンタッチ。あれあれ? と思う内に狙い撃ちされて、4点献上して5:4であえなく敗退。またも2位に甘んじる結果となりましたね。監督に言わせると、経験のためにあえて高橋をテストしたとか。勝つために勝負したんではないんですか? そのために恥を忍んでプロ野球から、それも一流選手の松坂などに参加してもらったのではないんでしたか? 勝敗に拘らず、オリンピック精神を貫くためなら、全員アマチュア選手で戦ってもらいたかったですね。後味の悪いアジア選手権大会になりました。( Sept. 18. 1999 )


 警察官の不祥事による事件は、ついには、神奈川県警の主たる幹部の減給処分や大幅な人事異動となって決着を付けられるようであるが、警察官の不祥事の大部分は、治外法権とも思われる警察内部で処理され、ほとんど表沙汰にはなるまい。まして、弱い立場である一般人が、警察官を相手に争うことは不可能に近い。

 警察官は、自分たちの立場が何であるかを認識していないし、絶対的な権力を駆使できるんだと言う優越感や特権意識を持っている限り、警察官の不祥事は無くならない。自分たちの給料が国民の税金で賄われている事をよく認識し、正義を旨とし、弱い立場の人を助ける責任と義務がある事を再認識しなければならない。まかり間違えば、物証のクロをもシロと変える事が容易な立場に在るわけであるから、犯罪者を正しく導く使命があり、被害者を救済する義務がある事を忘れてはならない。弱い立場に付け込み、被害者を脅迫したり、強請るというのは、警察官としてあるまじき行為であり、それを見て見ない振りをしてきた(それだけでなく、時によっては内部の不祥事をもみ消してきた)上級幹部の大きな責任であり、減給だけで済まされる問題ではない。殊に、交通事故処理などでは、知り合いの警察官や議員を通じてもみ消したり、有利になるようにすることは、一般的によく聞くことである。

 一般的に公務員は、許認可権を持つだけに、特権意識が強い。私が“うん”といわなければ、あるいは“許可”しなければ、お前は困るんだぞ! と、暗にほのめかす事がある。その許可を得るためには、袖の下を使わざるをえない(贈収賄)のが実態だった。だから許認可制度を大幅に縮小し、かつ、公務員個人の権限(権力か?)を無くする事が必要で、公僕として公正に職務を遂行することが必要なのではあるまいか? ( Sept. 10. 1999 )


 夏の暑さも和らぎ、急に秋が訪れてきましたね。今、コオロギの鳴く声が涼しさを呼んでいます。秋は私の季節でもあり(19日が誕生日ですので)、芸術の秋でもありますね。そろそろ又、美術館巡りの虫が頭をもたげてきました。
 美人画と言えば、上村松園と伊東深水がすぐに思い浮かびますが、伊東深水のふくよかな優しい女性の表情に対して、上村松園の描く女性の表情は、一途に何かを思う厳しいと言うか情念と言うか、激しいものを感じますが、これは松園の生い立ちを知ってなるほどそうなのかと分かったような気がします。松園自身もその著作の中で「何ものにも侵されない、女性のうちにひそむ強い意志を、絵の中に表現したかった」と述べています。また、自分の子の父親が誰かを明らかにしませんでしたが、絵の師、鈴木松年だと言うことです。(日経の「美の巨人たち」による)なるほど絵の中の美人の表情の情念のはげしさが、何となく分かったような気がしました。

 私は絵が好きですが、画家のバックグラウンドについては勉強不足で、ただ何となく見ていましたが、改めてそういう画家の生い立ちを知ることによって、更に鑑賞する楽しみが深まりました。案外、ピカソは前衛画家だ、ゴッホの絵は激しいタッチだなどと一般常識的に一面からしか見ていませんでしたが、これからは、もっと作者の内面にまで立ち入って絵の良さを鑑賞したいと思いました。このあいだ、チェロ奏者のロストロポーヴィチさんが「作曲者の心になりきって」演奏するとおっしゃっていましたが、なるほどと分かるような気がしました。( Sept. 7. 1999 )


 新聞報道によると、労働省は介護や育児から手が離れた主婦などを対象にした、職場復帰支援策を2000年度から大幅に拡充することを決めたとある。
 既に市場では、それらに相当する主婦たちは、臨時あるいはパートタイマーとして多くの職場に活躍している。しかし、その大半はフルタイムの労働力としてではなく、税金の優遇制度を利用した、年収120万円以下となるような調整をする家計の補助を目的とした労働者であり、採用する企業側も低賃金によるコスト削減を目的にしているので、これらは正常の労働者とは一線を画すものである。

 労働省の考える主婦の職場復帰と考えるなら、当然フルタイマーの正社員あるいはそれに準ずる従業員と思われるので、前述のパートタイマーや臨時の労働者には当たらないと思うが、そうだとすると、現在でも失業率はかなり高く、新卒者でさえ就職難であるので、更にそれらの就業希望者の足を引っ張る制度ではないだろうか? 

 これからの少子高齢化に向けての労働力の減少を防止すると言う意味だとしたら、一つは、税の特別優遇制度を廃止し、所得に応じた納税制度にして(税率を上げることではなく、定率税制度にする)所得者すべてを平等に扱うことで、企業が通常より安い賃金でコストを削減する(現在は社員と同じ仕事をしながらパートタイマー賃金ははるかに安い)ために利用しているパートタイマーや臨時従業員等に対する考え方を改めさせること。
 もう一つは、子育て主婦のために、企業内乳児・幼児保育所、幼稚園の設立推進援助が考えられる。労働者である主婦の出産による育児に対する負担は、例え夫が全面的に協力したとしても決して軽くはない。当然、授乳期間は就業できないし、幼児期間はなるべく近くの保育所や幼稚園を頼るほかはない。運良く勤めている企業に長期育児休業制度(例えば、3ケ年の育児休業期間)があったにせよ、元の職場復帰は叶わないのが普通である。

 しかし、私の就職した会社には、事務所の2階に授乳室があって、乳児を持つ女子従業員は休み時間に自由に授乳のために出入りすることができた。その制度の詳細は分からないが、幼稚園も工場の隣にあって、朝、出勤時に預けて、終業時の帰りに連れてかえることが出来るようになっており、このような制度の在る会社は良いと思ったものだった。現在では、色々な規制があってできないのか、利用する人が少なくなったのか、その制度は無くなってしまった。
 労働省の考える子離れした主婦を職業訓練して、新しい労働力とする構想とは異なるかもしれないが、このように兼業主婦従業員の負担を軽減して、かつ、キャリヤパワーを有効的に活用できる制度を整えることこそ、企業自身のためでもあり、社会全体のためでもあると考えるがどうであろうか? ( Aug. 31. 1999 )


 NHK教育テレビの「どこがおかしい? 日本の子育て」を妻と二人で見ました。私たちの子供(長男、長女、次男)は既に独り立ちしてしまっていますので、今更、子育てのやり直しは出来ないのですが、いずれにしても、子育ては大変な仕事です。若者の茶髪やピアス、あるいはやたらと地面などに座り込む生態? について話題になっていましたが、大人たちの意見は一般論に終始し、若者側は自分たちの正当性ばかりを強調しているように思えました。そこでは大人側の常識と若者側の常識とのズレが大きく、当然意見は噛み合いません。これは、どちらが正しいと言うのではなく、どちらが相手の身になって考えているかと言うことであり、親が子供のためを思っているのか、それとも親の体面(世間体)だけで考えているのかと言うことですし、若者側は、自分たちは他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいと言う、自己中心の考え方に固執しているようにみえました。

 このような問題は、一般論では片付かない難しい問題であり、親と子の間のコミュニケーションが最も重要なことであると思います。街角のインタビューでも、仕事人間の父親とほとんど話をしたことがないと言っていましたが、仕事人間だから会話が無いのではなく、忙しいことにかこつけて、積極的に子供と会話しようとしない父親の姿勢の問題でもあると思いました。また、それに対し、自分の言うことを何も聴いてくれないから、大人たちだって悪いことばかりしているじゃないかと言う若者の論理も、自分の考えを確立していない、過保護に育てられた幼稚園児の甘えのように感じました。確かに情報化社会になって大人社会の悪が暴き立てられて、大人が悪いんだ、社会が悪いんだと言う風潮は強く感じますが、それよりも、若者が自分の将来像をしっかり立てて(夢は無いと言っていましたが、夢は持つものですよね?)、社会に挑戦することではないでしょうか? 我々若者には明るい未来は無いんだと言うような、醒めたというか、諦めていると言うか、老人のようなと言うか、若者らしくない無気力な気持ちには、寒々とした感じがします。自分たちが世の中を変えていくんだと言う情熱こそ、若者に相応しいと思います。

 また受験のことばかり心配して、塾へ駆り立てる親の気持ちは分からないでもないが、自分の将来を決めるのは子供自身であって、親ではないことをよく考えて、子供に自立のための援助をすることこそ重要な親の役割だと思います。学歴社会だろうが実力社会だろうが、結果は子供自身の努力しかないことを認識すべきではないでしょうか? 親と同じようにしか子供は育たないのです。子供が悪いと言う前に親自身が自分を振り返りよく認識すべきでしょう。

 茶髪やピアスが悪いのでもなく、携帯を持つことが悪いのでもなく(但し、自分の稼いだお金を使うのなら)だらしなくしているのが悪いと言うことでもありません。自分を主張できるのは、若者の特権でもあり、優れた点でもあるわけですから。一番大切なことは、自分の心に忠実であることです。後ろめたい気持ちではやらないことでしょう。ある若者は「経験することが大事なんだ。経験して初めてその人の気持ちが分かるから」と言っていましたが、確かにそうでしょう。しかし、全てを経験するには、人生の時間が十分にあるわけでもありません。何を経験することが大切なのかを、よく考えることが必要でしょう。自分の頭で考え、自分の力で実行することこそ本当に意味があると思うのです。親も大人達もそのためには若者の心をできる限り理解し、温かく見守ることが大切です。全ては愛情の問題でしょう。若者たちの未来が明るいものであることを願っています。( Aug. 29. 1999 )


 NHKスペシャルの「核兵器、機密映像は語る」を見ました。これはアメリカが原爆開発から現在までの極秘に進めていた核開発と核実験のデータの収集状況の一部公開による映像と関係者の証言により構成されていますが、平和を唱えながら、片方では世界の驚異となる核の開発を続ける大国のエゴを、まざまざと見せ付けるものでした。この報道で全てを判断できるものではないだろうし、国連で核爆発による実験の禁止を提案するアメリカ等の大国に対して、インドは「大国は、今まで十分な核実験を行い、データを収集しており、既に爆発実験を必要としなくなっているが、そうでない小国は爆発による実験でデータを収集する必要がある」と、その提案に同意しないことも分からないでもない。

 先のETV特集「苦悩する国連」に続く、貴重な映像と報道でした。何を事実ととらえるかは大変難しい問題ですが、少なくとも大国の間では核の開発や核実験は別の形で続けられており、非核・核拡散平和軍縮とは程遠いものだと言うことがわかりました。核廃棄物の処置にしても十分安全であると言う保障はないのです。( Aug. 22. 1999 )


 いやぁ驚きました! 東名での死に損ないの大当たりに続いて、これは又、部落の夏祭りの抽選会で、今まで縁がなかった当選に、それも何と! 特賞(と言ってもスーパーの商品券5K円ですが)に大当たり! 朝から丸一日、地域福祉会の「かき氷」と「ポップコーン」の出店準備とグランドの水撒きで疲れ果てていましたが、最後の最後で「特賞」に当たり、妻と顔見合わせて、小さな声で「大当たりの続きだね!」。240万もする車をパーにして、5千円ではささやかですが! まあ、今回は二人とも奇跡的な命拾いでしたから(激突しながら、ほとんどショックもなく、いつのまにか走行車線の路肩の近くに頭を向けて停止していました。しばらくは後続車もありませんでした。)、神の存在を確信しました! ( Aug. 21. 1999 )


 最近、警察官の不正が頻繁に摘発されていますが、私もそうではないかと言う事実を経験しました。
先日、義母の初盆のため妻の実家の三重に帰省したのち、帰路の東名高速の豊川インター近くで、突然ドカンという追突の衝撃を受けて車はスピンし、中央分離帯のガードレールに激突して、大破しました。幸い後続車がなく、他の車を巻き込まずに済みました。衝突したのはOLらしき女性の運転する大きなクラウンでした。
 しばらくして、高速警察隊がやってきましたが、助手席の妻は頭から血を流しているので、早く救急車を手配してくれるように頼みましたが、Kという身体の大きい警察官が来て、いきなり「たいしたケガではない、人身事故扱いにするとお前は点数が多くなって運転ができなくなるぞ!」と言うのです。そして「この事故は、お前が悪いんだ! 追突した女性が、お前の車はふらふらしていたと言っているから、酒を飲んでいるのではないか?」と当方の言い分は全く聞く耳持たずです。そして、大破した当方の車の後ろのバンパーを指して「キズがついてないだろう! よく見ろ! だから相手は追突していないんだ! お前が何かに驚いてハンドルを切り間違えたに決まっている!」と言って聞かないのです。そして結局物損事故と言うことで無理矢理説得されてしまい、妻を救急車で豊川市民病院に運んではくれましたが、私たちは事故の検証と相手が追突したのではないと言う実証のため(?)に、長時間拘束されるはめになりました。

 警察官は、被害者救済側にあるものと信じていましたが、全くその気はありません。当初取り調べをしていた警察官達は、それぞれの事情聴取を丁寧に行い、衝突個所の特定に一生懸命でしたが、後から突然現れた、Kなる警察官は、追突側の女性の言い分を何とか通そうと努力しているとしか思えません。そして「病院での診断の結果を必ず、報告するんだぞ!」と何度も念を押されました。やっと開放されたのは4時間くらい後の8時頃でした。タクシーを頼んで病院に着いた時は、妻は頭を2針縫って治療を終えて私のくるのを待っていました。高速警察隊からの問い合わせは、全くなかったそうです。これが市民のための警察なのでしょうか?(今回に限ってなのでしょうか? こういう経験をされた人がいらっしゃったら、是非、話を聞かせて下さい。)

 結局、後は保険会社に相手との交渉をお願いするしかありません。相手の女性側は、保険会社に対して「被害者は私なのです」と主張している(相手の保険会社の担当者談)と言うのです。真意が計り兼ねています。でも私たち夫婦は、車は全損してしまいましたが、奇跡的に命に別状なかったので、不幸中の幸いと神に感謝をしています。
 皆さんも、車の運転には十分気を付けて下さいね。そして相手への気遣いを忘れないように!( Aug. 17. 1999 )


 NHKのETV特集「苦悩する国連」を見ました。この中で驚くべき事実を知りました。
 国連のPKO( Peace Keeping Operation 平和維持活動)に関して、アメリカのクリントン大統領決定指令25号「PKOはアメリカの国益に貢献しなければならない」と明記されている。にわかには信じがたい事実ではなかろうか? それだけではない。アメリカの国連代表部はこう明言します。「私達はPKOをアメリカの国益と結び付けたいのです。ですから、国益と結びつかないルワンダでは、例え人道上の活動だとしても、国民に対して“あなたの息子を危険にさらしてくれ”と説得するのは困難なのです。こうした考えは世界中どこでも同じだと思います。家族の命を危険にさらしたいと思う人など誰もいません。正に悲劇的な計算ですが、何人もルワンダ人が死のうが関係無いのです。ルワンダ人の命は、アメリカ人やベルギー人、あるいは日本人の命に見合う価値は無いのです」

 これが大国アメリカのPKO活動ひいては国連に対する考え方なのです。われわれ日本人の多くは、世界中の人が安全で幸せに暮らせるように、世界から戦争や争いを無くし、飢えや貧困に苦しむ人達のために、国連が援助の手を差し伸べるものだと、頭から信じています。しかし、現実はそうではないのです! PKOさえも大国の利益が優先されているのです! 

 これには、1949年に遡り、国連の設立から思い起こす必要があるのです。ご存知でしょうが、ニューヨークにある国連ビルの敷地の2/3は、アメリカの大富豪ロックフェラーの寄付によるもので、このビルの建設費の大半をアメリカ政府が負担し、初年度の国連の予算の4割を負担して、完全に主導権を握りました。私も昔、国連本部の中の会議場も見学しましたが、国連は全世界の平和のために建設されたものと信じて疑いませんでした。それに、PKO予算の分担率にしても、アメリカの31%に次いで日本は18%を負担しているのです。ですから、日本は国連でもっと積極的に発言する必要があります。

 では、なぜ国連に安全保障理事会がありながら地域紛争をも解決できないのでしょうか? これには、巧妙なトリックがあるのです。何と、国連の決議に対して、5つの常任理事国には拒否権が認められているのです! いくら世界中の国が反対しようとも、これらの常任理事国は拒否権を発動し、自由に戦争に加担できる仕組みになっているのです! これに対抗するには、世界の世論しかないのです。我々一人一人が人類愛という名において立ち上がるしかないのです! 戦争による破壊や殺戮を決して許してはならないのです!
 また、このような真実にせまる報道を企画されたNHKの努力と勇気に、心から感謝と賛辞をおくりたいと思います。 ( Aug. 7. 1999 )


広島に原爆が投下されて、もう54年経った。原爆の被害者が21万人余りになった。このような大量殺戮を犯したアメリカでは、今なお第二次世界大戦での日本への原爆投下が戦争終結のために正当化され、投下された原子爆弾を模したタイピンやピアスが記念品として売られており、戦争犯罪国としての反省の色もない。おまけに非核軍縮を唱えながら、アメリカ自身は大量核保有国として今でも君臨しており、54年経た現在においても、「日米安保条約協定」を盾に、日本国を占領下と同じように基地化している。この不条理を、小渕首相以下、閣僚の誰も追求する気配(勇気?)はない。

 世界連邦としての国連の権威も、大国(?)アメリカやNATOの“正義と言う名の暴力”に、もろくも崩れ去っている。そのせいか、北朝鮮やインド、パキスタンのミサイル威嚇に続いて、中国までが大陸間弾道ミサイル「東風31号」の発射実験を行ったとある。これこそ、馬耳東風と聞き流せるものではない!

 原爆死没者慰霊式・平和祈念式も、時を経るにつけ当時を知る人も少なくなり、原爆被災国、日本としての、過ちを二度と繰り返さないこと、核兵器の使用禁止、戦争放棄による世界平和への思いも風化され、式典だけが形骸化されて残るのではないかと不安に思う原爆記念日である。( Aug. 6. 1999 )


 夏らしい暑い日が続いていますね。皆さん、お元気ですか? 夏にはめつぽう強い私ですが、さすがに夏バテ気味で食欲も落ちて、ちょうど良い体重になりました。158cmの身長で、体重が57Kgmもあると、ジョギングするのも大変で、上り坂になると押しガマ(わかりますか? 列車の最後尾に機関車を付けて押すのですよ! これがわかる人は汽車通学の年代の人ですね。)でないと上がっていきません。でも、今は55Kgになって快調です。

 体重だけでなく、夏は水分が不足しますから、安売りのアクエリアスやポカリスエットでもガブガブ飲んで水分を補給しましょう! いえいえ、宣伝料は貰っていません。昔は、暑くてもスポーツには水を飲んではいけない、と言われていましたが、今では、水分の補給が大切なのだそうですよ。だから、マラソンの実況放送を見ていると、やたらと(?)水やら秘伝の(?)エキスやらを途中で補給していますよね? まあ、人の体の65%は水分ですから、水が不足すると具合が悪いのでしょうね。だからといって、水分補給にかこつけて、ビールばかり飲んでばかりいてはいけませんよ。カロリーの取りすぎは、肥満になりますし、肝臓も夏ばてしますからね! 私ですか? う〜ん、畑仕事でカロリーを消耗しますから、やはり夏のビールは健康のもとですね。しかし、γGTPと尿酸値は要注意なんですよ!

 ところで、最近のNHKのテレビドラマ「すずらん」見ていますか? 朝一番のドラマとしては、ちょっと物語が暗すぎはしませんか? それに、物語の進行が、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、萌が結婚して子供も大きいと言うのに、昔の恋人だった炭坑の社長の息子の事で、社長の奥さんの病気を、わざわざ老いた(それがちっとも老いていないんですよね)社長が、芸者置き屋にいる萌を尋ねてきて、自分の息子に母の病気を伝えてくれ等と、虫の良い話をするわけです。そして、なんと萌がわざわざ昔の恋人を説得しに出かけるのです。物語もここまでいけば、もう歯止めが利きません。でたらめもいいかげんにして! と言いたくなりますよね。たかがドラマにおとななげないって? そりゃそうだ!
 しかし、この前のNHKのテレビドラマの女大工の話でも、内容がいいかげんで、そんなことで大工がつとまるか! と憤慨しましたが(私の親父は大工なのです)、近頃のドラマの筋書きや内容はいまいちですね。天下のNHKさん、しっかりしてぇや! ( Aug. 1 1999 )


 NHKの「21世紀への証言」で、チェロ奏者のロストロポーヴィチさんの演奏と話を聴きました。チェロと言うと、何だかブーブーゴーゴーと言う宮沢賢治の“セロ引きのゴーシュ”を思い浮かべますが、ロストロポーヴィチさんの演奏は優しく繊細でまた力強さもあって、何でチェロのような楽器でそのような微妙な音色が出せるのか、不思議でもあり、大変感動しました。お話を聴いても、これまた、びっくりするような経歴で、小さい時から飢えや苦しみに耐えて、今日の栄光と幸せを得られたそうですが、旧ソ連で反体制として抑圧を受けていたショスタコーヴッチ(作曲家)やソルゼニーチン(作家)を庇護し、自分は国籍まで剥奪されて世界中を転々として苦労された信念の人のようです。

 とかく自分の事には、損しないように要領よく日和見するのが普通ですが、正しい事には、あくまで正しい事として、権力に媚びず、良心に背かない生き方をしなければならないとおっしゃっています。困っている人には手を差し伸べるのが人として当然の事であり、そして、苦しみが与えてくれるものは力だと言われます。しかし、それも自分独りでは何も出来なくて、全て妻の支えがあればこそ出来たのだと述べられました。そして、幸せとは、両親と共に生きている事だそうです。何と平凡で、それでいてなるほど立派なご両親だったんだなと感じさせます。

 すばらしい演奏の秘訣は? という問いに対して、
「先ず、楽譜をよく読み取ります。そして、その作曲家の顔を思い浮かべます。そうして、作曲家がどういう気持ちであったかを考えるのです。後はその気持ちを表わせるように、その作曲家の心になりきって、自分の力を注いで演奏するのです。ですから思わず涙を流してしまう事もあります。演奏の技術として、弦とか、タッチのことについて良く尋ねられますが、それはどうでも良い事で、作曲者の心を十分に伝えられればそれでよいのです。」
 また「演奏技術によって、良い地位や名誉を得たいと言う人もいますが、音楽は心の美しさを表わすものだと言う事を忘れては成りません。個人の名誉や地位とは、関係のないものです。」

 「21世紀は、ターニングポイントで、国家も宗教の別もない世界が一つとなったのです。これからは、若い人達に私たちが経験したことを語り伝えて、正しい判断が出来るように考え、そのためにそれぞれが、それぞれの立場で出来る事をすることが大切です。」と言う意味の事も述べておられました。

 地位と名誉のためには、手段を選ばずという昨近の音楽をめざしている人達とは、雲泥の差がありますね。人が生きるとは何か? と言う根源的なことを教えていただいたような気がします。ロストロポーヴィチさんに幸あれ! (July. 26. 1999 )


   オールスター戦はいつ見ても楽しいですね! なにしろ、どの選手の顔も活き活きしていますよ。ペナントレースは勝敗が死活問題ですから、いきおい厳しい表情になりますよね? しかし、オールスター戦でも、ルーキーの松坂投手や上原投手は、さすが真剣なまなざしが見えたりして、何だか新鮮な気がするものです。元来、野球はゲームですから楽しい事が第1条件ですよね? でも選手や監督にしてみれば、成果第一ですから、楽しんでなんかいられません。その点、オールスター戦は、選手も観客も楽しむための「夢の球宴」ですから、気楽で、日頃のファンの選手の活躍に心が躍ります。
 今年は、私の好きな阪神の選手たち(あなたの好きな巨人の選手たちも)の活躍が、パ・リーグを少し上回って、またまた見ているのが楽しくなってきます。第3戦もいただき! と、ならないよう頑張れ! パ・リーグの選手諸君! ( July. 25. 1999 )


 日経の「21世紀の企業像を探る」の小林陽太郎氏の基調講演を読んだ。氏は、その中で"企業の究極的な存在目的は利益の極大化ではない。利益を上げなくてはならないが、企業は社会的な存在だ。パブリックな面で貢献する事で地域における企業への信頼や安心も増す。市場で勝者と敗者を決める基準になるとは思わない。企業全体の勝ちを判断する時も、市場主義を超えた哲学とメカニズムガ必要だ。"と言われているのを見て、はからずも、東京オリンピックの際に、聖火を点火したギリシャのカッツェリ夫人を自費で日本に招待され、自分の名前が公にされるのを嫌った、お父上の小林節太郎氏の面影がよぎった。またFフイルムの東京本社を建設した際、そのビルの上層に社名を付けなかったことも有名である。ビルに社名をデカデカと表示して宣伝効果を狙う事が当然と思えた当時、ビルの入り口にだけつつましく社名が表示してあったのを社員の一人として誇りに思ったことが、昨日の事のように鮮やかに脳裏に浮かびあがった。現代の多くの経営者に、そのような人物が少なくなっていることは淋しい限りだ。

 同じく中外時評欄に、“「工本主義」を改めの時”と題して、低コストの工業製品で世界を制覇する事が出来る時代は終わった。モノ作り主体の体質からサービスや情報を主体とする非製造業の活躍できる環境を整えるべきだ。と言う意味の論説が述べられていた。「工本主義」とは、荻生徂徠が「本とは、農なり、末とは、商工なり」と言ったことから、工業主体の現代をもじっての造語であるらしいが、まさにコスト競走に疲れた日本株式会社の実情かもしれない。

 ケネディ元大統領の息子のジョン・F・ケネディ氏の操縦する小型機が、非常事態を告げる通信を最後に行方不明となり、洋上に墜落した模様である。ケネディ元大統領の暗殺事件はナゾに包まれており、一説によれば、核戦争による宇宙への影響を問題とした地球外の生命体(宇宙人)が、UFOにて地球を来訪し、ケネディ大統領に会見して核戦争の危険を避ける政策を提言した。ケネディ大統領はその提言を受け入れ、非核軍縮とアポロ宇宙計画を進めた。ところが戦争による利益を目的としている陰の政府と呼ばれる秘密結社により、妨害され、ついには暗殺されるに至った、と言われている。
 この事実の真偽のほどは分からないが、NASAやアメリカ政府が、UFOや宇宙人(同様の目的で多くの宇宙人が地球へ来ていると言われている)についての情報を公開していない事は、どうも事実のようだ。そうだとすると、今回の元大統領の息子の事故についても何らかのミステリックな裏の事実があるような気がしてならない。これを解くカギが「ケネディはなぜ暗殺されたか  仲 晃著  NHKブックス」にあるかも? ( July. 18. 1999 )


 NHKテレビのスタジオパークで、バイオリニスト・葉加瀬太郎さんを見ました。以前、葉加瀬太郎のコンサートのチケットを末の息子が父の日に贈ってくれ、私たち夫婦で大和市の会場へ出かけて行って聴きました。バイオリニストと聞いていましたので、てっきりクラシックのコンサートと思っていましたら、実際には、ニューミュージック系の、それ、自動車の後ろにでっかいウーファーを積んで、やたらと大きい音で辺りの迷惑も考えず鳴らしている若者たちがいるでしょう? あのようなドンドン、パリパリの音楽でした。葉加瀬太郎の肝心のバイオリンの音色も、低音を目茶苦茶ブーストした騒音(?)の間から、かすかにノコギリに似たキーキー音が聞こえるだけでした。さすが音楽好きの私も、堪らず退場してしまいました。それ以来、葉加瀬といえばノコギリ音楽(失礼!)だと思っていましたが、スタジオパークに出演し、本人の経歴やら考えを聞くに及んで、いささか印象を新たにしました。小さい時から母親と一緒にバイオリン一途に生きてきて、芸大で、クラシックから新しいバイオリンの音楽を目指して、従来のバイオリンの音と違うバイオリンの音作りに専念する。以来、世界中を駆け巡り、葉加瀬太郎のバイオリン音楽を確立していったそうです。

 確かに、従来のバイオリンではない音や演奏を聴かせてくれました。ノコギリ音楽と言う意味では依然と同じですが、やはりバイオリンの演奏技術はクラシックが基本にあるだけにすばらしいものでした。それに演奏時の精神の集中と思い入れは見事で、見るだけで感動しました。これからもガンバッて、出来ればもっと肩の力を抜いて、私のノコギリ音楽の印象を払拭するような素敵な音楽家(バイオリニストと言うよりタレントと言う方が相応しいのですが)になって下さい。( July. 15. 1999 )


 今日の相撲も凄かったですね! やはり勝ち力士は「気」が入っていますね。(「気」が出ているという方が良いか?)武蔵丸は、立ち会いで気が抜けていましたし、貴の花は、呼び出しの言葉が終わるまで待てずに立ち上がってきましたね。曙関は盤石、巌の如しで、取り付く隙もありませんでした。明日の勝負も楽しみですね! ( July. 12. 1999 )


 すごかったですね! 曙と出島の勝負。全勝の曙に対して4連敗の出島。勝負は明らかと思いきや、大兵の曙を土俵際に寄った後のすくい投げに、たまらず曙は土俵に転がって全勝を落とした。出島にとっては、正に黄金の一番でした! 捨て身の勝利というか、起死回生の気迫の勝利というか、すばらしい勝負でした。
それだけではありません。相撲巧者の琴錦を、のどわで土俵に叩き付けた千代大海の凄さ! どうだ、参ったか! とでも言いたげな、勝ち誇った千代大海の面構えも迫力満点でしたね! 最近は、相撲もなかなか目が放せません。松坂君のピッチングや、対するイチローのバッティングも興味深々ですが、何はともあれ、真剣さがビンビン伝わってくるスポーツの醍醐味はここにあり!! ですね。
オリンピックにプロの選手を入れて、何がなんでも勝とうなんて、しみったれた根性は願い下げだね。そう思いません?  ( July. 10. 1999 )


 ピアノの貴公子、リチャード・クレーダーマンのコンサートを、いまBS11放送で聴いています。見ていると言うべきかもしれません。私は彼のピアノが大好きなのです。彼の日本での1978年に出されたデビュー・アルバムを今も大切にしています。その頃は日本ではまだよく知られていませんでした。レコード店で試聴してふるえるほどの感動でした。

「渚のアデリーヌ」。これがヒットしたデビュー曲です。何時聴いてもわくわくします。ポールモーリアも好きですが、何と言っても若さと躍動感、いや胸をときめかす華やかな演奏がたまりません。疲れも吹っ飛びます。以前、南足柄市の文化会館でコンサートが催されたんですよ! むろん、彼のデビュー・アルバムを携えて聴きに行きましたよ! でもサインをもらうほどの勇気はありませんでしたが。

 彼は1953年の暮れ生まれですから、もうかなりの年配になって往年の貴公子とは言えなくなってきましたが、演奏は相変わらず華麗で素敵です! もう夢中になってしまいます! テレビでなんかと思ってるでしょうが、私はオーディオ・マニアなのです。テレビは画面だけで、音はソニーのアンプを通して、TANNOY(STAiRLiNG)のスピーカーで鑑賞しています。(このスピーカーは会社を定年退職するとき、皆さんが贈ってくれたものですが)BS放送ですからCD並みの音質ですばらしいものです。今日一日の疲れがすっかりとれました! ブラボー! リチャード・クレーダーマン! 永遠のピアノの貴公子に幸あれ! ( July. 8. 1999 )


 人はいつも誰かに助けられて生きているということが、最近よく分かるように成りました。人という文字は、お互いに支え合っている図ではなくて、自分が他人によって支えられている図なのだと思います。
私自身も偉そうにホームページで論じてはいますが、決して自分自身が経験して、考えて、結論づけたものでもありません。そのほとんどは、親から教わったり、テレビとか、新聞や本を読んだり、他人と話をしたり、周りの子供たちや、自然から教わった知識なのです。人生の経験そのものが、他人から教わったり、学習させていただいた結果なのですから。

 今回、新しく「天地創成と宗教について」のコンテンツを加えることになりましたが、これも友人たちとの討論を通じて勉強させてもらったから、はじめて宇宙と宗教の間の問題を考えてみようと思ったのです。
自分一人では何も出来ないんですね。皆さんのお陰で勉強もし、努力もして、だんだん一人前に成長していくんですね。この新しいコンテンツの中でじっくり考えてみようと思っていますので、何卒よろしくお願いいたします。( July. 6. 1999 )


 NHKスペシャルの「知っていますか・子どもたちの食卓」を見て大変驚きました。
 家族と一緒に食事をしないと言うのはよく聞いていましたから、そんなに驚きませんし、お父さんやお母さんも仕事に出かけることが多い共働きの家庭のせいで、食事の時間がばらばらになってしまうのだろうと考えていました。
 しかし、その食事の内容を見てびっくりしました! とても食事だとは思えないものです。パンと牛乳かジュースというのが、朝だけではなく夕食もそうなのですから! そして、子どもたちも自分一人で食事をする方が、文句も言われなくて、自由にテレビを見たりして気が楽だし、楽しく食事が出来ると言うのですから! それだけではありません。親たちも食事の内容には無関心で、子どもの好きなようにさせているのです。ある母親は、自分も勤めに出ているので、それぞれが干渉されずに自由に食事の時間を過ごすことの方が、お互いのために良いと言うのです!

 私の家庭では、発育盛りの子どもに、如何に栄養となるものを、沢山食べさせるかに心をくだいて食事を考えてきましたから(今でも、既に独立している子どもたちや孫たちにも、食事についてはうるさく言っています)、とうていテレビの中で語られるような母親のように、子どもが好きなようにとか、自分の時間を大事にしたいからだとか、と言うために栄養も考えない食事や手抜きの食事、あるいは家庭の団欒の時間が無くても親子のコミュニケーションが成り立つなどとは考えてもみませんでした。

 17年前にも、同じようにNHKが調査して放映した子どもたちの食事の様子は、これと同じで、更に深刻な事態になってきていると言うのです! むろん、その時の子どもたちが、今の親になったわけですから、不思議でも何でもないのです。それよりも自分専用の部屋やテレビを与えられ、塾や習い事に忙しく明け暮れする子どもたちの生活を、親が好んで作り出しているとしたら、重大な問題です! 健康と安全は一番大切なことですし、特に自分で管理できない子どもたちの食事を管理するのが親の役目ではないのでしょうか?

 子どもの好きなようにさせることが良いと思っている親達が多いと言うことは、自分たちが好きなことをやりたい親たちの願望の裏返しでもあると思えるのです。世の中にそんな自由はないと言うのに、勝手気侭にやることが自由だと容認してきた現代の世相でしょうか? マスコミ自身も、政治家や官僚、経営者も自分たちの好きなように自由にやってきているんですから、仕方がないのかもしれません。

 少子化でかつ栄養不良の子どもたちを育ててしまって、一体これからの世代はどうなるのでしょう? 日本の将来は、この子どもたちにかかっているのですぞ! ( July. 3. 1999 )


 いよいよ7月に入りました。おそがけの梅雨も一休みでしょうか。やはり予言通り多くの天災地変やら、地域戦争、世界経済の破綻、北朝鮮を中心にしたアジアでの緊張、贈収賄、脱税、粉飾決算など後を絶たず、教育の荒廃は目を覆うばかり。はては世界一安全を自負してきた我国の新幹線でのトンネルでのコンクリートが剥がれて落下し、列車を損傷すると言う予測もされなかった事故。幸い大惨事にならなくて済みましたが、列車が転覆でもしていたらとゾッとしました。
 すべての人が正しい人の道を歩めば、未来の予言も良い方に変化していくそうですから、政治家も行政を司る官僚や公務員も、企業の経営者も商売をしている人も、病院の医師や医療に携わる人々や、教育関係者や科学者、子どもを育てる親も含めて、正義のために(鞍馬天狗か? 古いなあ!)ガンバッてほしいと思います。みんなで明るい未来に変えて行きたいものですね。( July. 1. 1999 )


私がホームページを作った目的

 私の言っていることが正しいかどうかはともかく、自分のご都合主義ではなく、日本の将来のために、自分たちの子孫のために(ちょっとオーバーかな?)自分の意見を主張し、行動することが大切だと思ったんですよ。(頭の老化を防ぐためにもね)
 今まで自分を育ててくれた諸先輩および社会に対して、残された自分の人生の時間をこのために使おうと考えたんですよ。
 インターネット・ディベート、これが実現できれば最高です。貴方がどうか私の考え方を批判したり、周りの人たちと討論して下さることを願っています。


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