tommyさんのつぶやき2001年前半

 「新潮45」の7月号に“誰が『小泉改革』を阻んでいるか”に中曽根康弘元首相の記事に興味を引かれて手に取った。これは特別インタビューになっていて、中曽根内閣の時の、国鉄の民営化の際の最大の障害は何だったのか?という問いに対して、「それは、自民党ですよ! 党内の運輸族が国鉄の民営化に反対していた。それを切り崩すことが出来たのは、やはり世論の支持だった!」と言われる。同じように世論が、小泉氏を支えていると言うことなのだろうか?
 田中真紀子外相についても、色々な見方があるだろうが、一面では面白いところもある。要は、それをどう機能的に活用するか、小泉総理の実力の如何にかかっている。と言われる。

 それはともかく、この雑誌には、別に注目する記事があった。
それは、新潮四賞決定発表と、その中の新潮学芸賞「身体感覚を取り戻す−腰・ハラ文化の再生」で寄稿された明治大学助教授の斎藤孝氏の“子供のカラダは崩れている”という書き下ろしだ。

 以前より、最近の子どもたちのからだの異常は、たびたび問題にされている事であるが、長く立っていることや、長い距離を歩き続けることが出来ないのは、日本文化である“技としての自然体”、大地を踏みしめ力強く下半身は安定し、中心軸はしっかりと通っていて、肩の力が抜けている、という基本的な身体文化の衰退でもあり、日本人の生活様式への緊急課題であると言う。

 それは何かと言うと、日常生活における身体のあり方を、文化として明確に捉え直し、継承することではないか?と言われる。そして、それは昔の子供たちの遊びにおいても、相撲やおしくらまんじゅう、馬飛び(懐かしいねえ! 男女混合でやったよねぇ! 女の子の股に首を突っ込むのは、ちょっときまりが悪かったよなぁ。(うそつけ! 一番喜んでたのは、お前だッ!)これらの遊びを通して、息をぐっと腹に溜めて、自分の上に乗っかる相手の重さや揺さ振りをこらえる。これが一人ではなく、みんなで力を合わせてこらえるのである。だから、かつての遊びにおいては、子供たちは一日に何度も息を切らし、汗をかいた。自分の身体の全エネルギーを使い果たす毎日の過ごし方が、子供の心身にとっては、測り難い重大な意味を持っていた。これには、子供同志のコミュニケーションにおいても重要な役割を果たしてきたといえよう。

 最後に、“身体文化カリキュラム”の中心に、2分間の丹田呼吸法を紹介している。丹田呼吸法は、言わずと知れた臍下丹田を中心の瞑想・坐禅に通じる心身のリラックスと集中力の向上による心身の修練の結果、自然治癒力向上により、健康な体を造ることにあるといえる。(呼吸法については、次のコンテンツ「天地創成と宗教について」の“意識と「気」について”や「医療と福祉のあり方」で“気功”なども参考にして下さい)
 ここでは、鼻から腹に息を溜める感じで3秒間吸って、2秒間保って、15秒かけてゆっくり吐く。これを6回繰り返すと2分間になる。このほか、背負う、練る、研ぐ、絞る、踏むなど、かっては日常的に鍛えられていたが、現在は消えつつある身体文化を再考する時にきていると述べられている。( Jun. 30. 2001 )


 問題の東京都議員選挙が行われましたが、投票までは、都議員選挙なのか、小泉総理の顔見せ講演なのか? 各党首との公開演説なのかとまがうばかりの様相でした。

 さすがに小泉フィーバーが受けて、思いもよらず、前回の投票率を20%も上回る50%の投票率を記録しました。(二人に一人じゃあまり自慢にはなりませんがね)投票の結果も、小泉人気で自民党が大きく議席を確保しました。
しかし、小泉バブルとならないように、選挙民も、野党の皆さんも、気を弛めず、これからも頑張ってくださいね! ( Jun. 26. 2001 )


 劇団四季の公演、ディズニーの「ライオンキング」を見に行きました。この「ライオンキング」は、3年のロングランで、観客動員数が100万人だといいますから、たいしたものですねぇ。

 最初は、劇団四季の演技はそれほどでもないだろうと、あまり積極的ではなかったのですが、妻が行け、行けと言うものですから、話しの種にと思って期待もせずに出かけました。チケットだって10000円もするんですから、“や〜めたっ!”と言うわけにもいかないんですよぉ。そして、わざわざロマンスカーを利用して、浜松町まで出かけるわけですから…。

 ところが、これはびっくりしました! たかがマンガの物語とバカにしていましたが、それはそれは素晴らしいミュージカルではありませんか? 観客席の後方から、通路を通って舞台に流れ込むオールキャスト勢揃いの幕開きに、まず度肝を抜かれました! 息をもつかせぬテンポの良さ、あっと驚く舞台装置、多才なキャラクターと独創的な振り付けや小道具の面白さ!! まさにディズニーのファンタスティックな世界に魅了されてしまいました! それに、劇団四季のメンバーの演技は、昔見たブロードウェイのミュージカルと比較しても決して引けを取らない程の素晴らしさでした!

 あっと言う間の3時間でした。鬱陶しい梅雨空をも晴れ晴れとした気持ちにさせてくれる、劇団四季の「ライオンキング」でした。久しぶりに芸術的満足感(そりゃぁ、オーバーじゃないの?)に浸ることが出来ました。嫌がる私をムリに誘って下さった知人と妻に、今は心から感謝しています。
 興味のある方は、インターネットでの予約も出来るそうですよ。またウイークデーマチネ料金は、通常料金より1000円の割引があるそうですから、C席でも良ければ2000円、B席なら5000円で…。“四季劇場”は、浜松町の北口から歩いて7分ぐらいの所です。( Jun. 23. 2001 )


 やりました!! 何と最下位の阪神が、巨人長嶋ジャイアンツに、サヨナラの2連勝! 昨夜の延長12回裏で、1:1のまま、ノーアウト満塁で赤星のヒットでサヨナラ勝ち! そして、今日また9回裏、ノーアウト満塁! それまで好調の上原投手を引っ込めて、代った岡島に、広沢のセンターオーバーでサヨナラ!

 不甲斐ない最下位独走の阪神、野村タイガースに嫌気がさして、最近はアメリカのメジャーで、神風旋風を巻き起こしているイチローや新庄選手の方に目が移って、国内プロ野球には目もくれないでいましたが、突然の巨人:阪神戦での、まさかの競り合い! それも、ニュースステーションにまで延長戦をずれ込ませて、直ぐに決着がつくからと、引き続き実況放送を始めて混戦にもつれ込み、久米宏を慌てさせて、やっと見せ場を作った感じでしたが、良かった! 良かった! ノムさんも男が立ちました。

 勝ちを譲ってくれて有難う! ジャイアンツ・ファンの皆さん! 優しい気遣いの長嶋巨人監督さん! 有難うよ! もっともっと、阪神に勝ちを譲ってね! これで一足飛びに4位浮上です! ガンバレ阪神! ズッコケるなよ! ( Jun. 21. 2001 )


 小泉首相のメールマガジンの配信申し込みに100万人が殺到したとあります。

IT革命を標榜する小泉内閣にとって、これはまたと無いビッグチャンスに違いありません。私も一人前に総理官邸にアクセスして見ました。確かに、国民との間の開かれた対話として、インターネットを利用することは効果的であるかもしれません。しかし、情報公開は歓迎するとしても、インターネットの双方向性が必ずしも全ての国民の民意を反映できるとは限りません。事実、インターネットを駆使出来る人が、国民の、それも声の小さい人達の占める割合が多いか、少ないかと言う事も考える必要がありますし、小泉首相が言っているように、単に、声の大きな人の意見だけが取り上げられてきた、従来の弊害をどうして無くすかが問題なのです。

 簡単に考えれば、10万人の愛読者(?)が、一度に意見を発信したとしたら、それをどう受け止めれば良いのでしょうか? 中には、面白半分の意見もあるでしょうし、100万件の意見に目を通すだけでも、恐ろしい気がします。まして、それらの一つ一つに返事を出すなどと言うことは、不可能なことです。(バーチャル・コミュニケーションなのですよ!)

 こういう事を言うと、反発を受けるかもしれませんが、このメールマガジンは、あくまで小泉内閣のプロパガンダ(宣伝といったら言い過ぎか?)として認識した方が良いと思います。それよりも、小泉首相が、国民一人一人との対話を大切にしている“市民集会”(田中康夫知事の特許)に、私たちの率直な意見を出す努力をした方が良いのではありませんか? せっかく一億円も掛けて開設したホームページにイチャモンをつける気はありませんが、私たち国民一人一人が、冷静に判断することこそ大事なことだと思います。

 何はともあれ、小泉フィーバーに、野党の存在が霞んでいることは違いありません。今後の政治をどう進めていけば良いのか、野党の皆さんも改革を迫られていることは確かです。だからと言って、インターネットを利用することだけに目を奪われてはなりません。目的と手段をはきちがえてはなりませんぞ!! ( Jun. 16. 2001 )


 ここのところ、何とも訳のわからない無差別殺人が横行していますが、池田市の大阪教育大付属小学校での校内児童殺傷事件などは、犯人の男が以前にも多くの事件を起こしているにもかかわらず、野放しにしていた警察の責任が問われるべきではないかと考えます。 徹底的に事件の背景を解明し、責任を明らかにして、事件の再発を阻止してほしいと思います。

 ところが、他人事ではなく、この長閑な南足柄市の、それも我が家の近くの公園で殺人事件が発生しました!
女性が後から刃物で刺されていたと言うのです。犯人はその女性の夫で、まもなく捕まりましたが、子供たちの遊ぶ公園で殺人が行われたのは残念で堪りません。最近はこの公園も、どこからくるのか中学生らしい男女が、タバコを吸ってたむろしたり、スプレー塗料でトイレや駐車場に落書きをしたりする無法者に困っていますが、いったい世の中、どうなっているんでしょうね? ( Jun. 11. 2001 )


 ヒマラヤに咲く幻の花ブルーポピー”をついに入手しました!

 これは、堀文子画伯が長年追い求めて、やっとヒマラヤの奥地の岩陰に見つけた、そこだけでしか咲かないブルーポピーなのです。でも、私が手にしたのは、もちろん本当の“幻のブルーポピー”ではありません。堀さんが苦労の末探し出されて描かれた貴重な絵の複製画です。

 今日、小学校時代の友人を案内して訪れた箱根の成川美術館で、堀さんの“幻のブルーポピー”が展示されているのを初めて見ました。以前テレビでは見ましたが、詳しい花の絵は分かりませんでしたが、初めてみる“幻のブルーポピー”は、その茎や葉っぱにトゲトゲがサボテンのように生え、その上に可憐な青い花をつけた不思議な植物でした。

 なるほど、堀さんが命を賭けてヒマラヤの奥地に探し求めた理由がわかるような気がしました。この世に有るとも思えない“幻の花ブルーポピー”なのです。
成川美術館が、堀さんの許可を得て複製されたその絵は、とても複製とは思えないすばらしいものです。何とも不思議な“幻の花ブルーポピー”に、やっと出会うことが出来ました。それも、50年ぶりの同窓会で再会した友人の訪問によって導かれたことも、本当に不思議な縁ですねぇ。それに、昨日までは雨で、とても箱根には出かけられないと思っていましたし、まさか、成川美術館で、その幻の花に出会うとは思いもかけませんでしたから…。

 また、私は、平山郁夫画伯のファン(?)であることを以前お話しましたが、やはり、成川美術館長の成川さんが、三十歳の時に銀座の村越画廊で偶然目にした「ガンジスの夕」という日本画の常識を覆すような不思議な横長の絵に魅せられ、どうしてもその絵が欲しくなって身分もわきまえず、画廊の人に交渉して、当時とてつもない大金を工面して自分の物にしたのだそうです。その作者が平山画伯だったと言うのです。

 後年美術館を設立することになったのがこの出会いだと、これも今日、偶然手にとって気に入って購入した平山画伯の画集の扉に書かれているのに驚きました。私もまた、銀座のデパートのギャラリーで見た、平山画伯の描かれたシルクロードの絵の不思議な魅力の虜になったからなのです。これは、玄奘三蔵法師につながる仏の心ではないかと思っていました。

 出会いとは不思議なものですねぇ。自分の運命は自分で引き寄せているのだと言いますが、その出会いは、何か不思議な運命の糸に操られているような気がします。確かに、方向を選択しているのは、私自身かも知れませんが…。( Jun. 7. 2001 )


 新聞によれば、石原都知事が「お台場遊びに行った人は『ゆりかもめ』の終電(終電車の)時間が早いため、一番いい時間帯に遊べない」とか言う理由のために、都営バスの終夜運転を検討すると言う(乗務員の健康のことや地球温暖化の問題に付いては、触れていません)。

 石原都知事はいいことも言うけれど、時々首をかしげたくなることも発言してはばからないですねぇ。
私などは、エネルギーの浪費だと考えて、テレビの深夜放送も止めればいいと思っているし、深夜営業のお店も必要ないと思うし(便利だけが全てではないよね?)、まして夜遊びに深夜までの時間を奨励するなんてことは、夢にも考えませんね。夜間の外出は予期せぬ危険も伴うし、健康のためにも夜更かしは慎んだ方が良いと考えています。

 まして、現代は、生活が夜型になっていて、子どもたちも、夜遅くまでゲームをやったり、インターネットで夜更かしをしていて(勉強ならまだしも)、昼間は寝ぼけ眼になっています。若いサラリーマンの多くも同じ状況で、夜のアルバイトに精を出す女の子もいて、昼間の仕事の方がアルバイトではないか?とさえ思えるこの頃ですから、年々上昇していく医療費の削減にも貢献できるよう、早寝早起きを奨励すべきではないかと思っています。

 まして、行政が率先して夜遊び奨励とは、何とも不可思議でしょうがありません。プルサーマルの問題では、住民投票の結果が反映されて、東電はとりあえず実施を延期させましたが、原子力発電所を、もっと、もっと増やすために、夜間でも何んでも電力を浪費してもらおうってことなのか? 長野県の田中知事も、石原都知事を一部批判していますが、さもありなんと考えます。何も石原さんの言うことが全部正しいって訳でもないし、田中外相の歯に衣着せぬ発言が全部悪いって訳でもないんですよ。田中知事の受け売りじゃあないが、要は、今100年先を見据えて、何が大切かと言うことでしょうね?( Jun. 2. 2001 )


 日本テレビの「ザ・サンデー」を見ました。小泉首相や田中外相のこの一ヶ月の奮闘についてそのハイライトを見ることが出来、集団イジメに対する涙ぐましい対決に心から敬意を表します。今までこれだけ真剣に取り組んだ閣僚を知りません。田中外相が言っていましたが“こまこまと揚げ足を取るようなことを、うるさく突つかれるだけだと、準備された原稿を読まざるを得ないではないか? 自分の言葉で語り、真剣に討論しようではないか?”と。大臣が立ち往生するような質問を良しとしてきた、野党議員の姿勢にも責任の一端が有る気がしています。

 確かに、小泉内閣になってから、政治が分かり易い言葉で語られていることと、マスコミ自身も熱心になって、政府の動きを追いかけて報道されるようになったためではないかと思います。そのため、政治に無関心だった国民が今までになくテレビ報道に興味を示すようになったのではないでしょうか? 裏返せば、マスコミが国民をバカにして、政治の報道を疎かにしてきた責任もあるのではないでしょうか? 視聴率の悪い政治番組は敬遠され、視聴率の良いオチャラケ番組ばかりに力を入れていたのでしょう。あるいは、政府を批判するような番組には、政治家の圧力がかかっていたのかも知れませんが…。

 今回ばかりは、民放の政治報道の姿勢は、国民に政治に目を向けさせた点で大いに見直しました。かえってNHKの政治報道番組(特に日曜討論など)は当らず触らずで、ニュース以外はほとんど視聴の価値はありません。唯一の公共放送として大いに反省してほしいと思います。

 しかし、ここには落とし穴があります。小泉人気につられて、政治家の体質が変わったような気になってしまうことです。小泉内閣が国民の目線に立って政治主導の改革を進めていることは確かですが、だからといって自民党などの古い体質が変わるわけではないのです。いまは鳴りを潜めていますが、時らば、小泉内閣を壊滅させようと策を練っているのかもしれません。未だに、森元総理が派閥の会長に返り咲いて、派閥離脱に苦言を呈しているではありませんか? 今回の道路特定財源の一般財源への組み入れや、公共事業への投入の見直しなどについても、自党内での反発が問題になっているではありませんか? 従来の利権構造を払拭するには、まだまだ多くの壁が立ちはだかっているのです。

 結局、これらの構造を改革し、私達国民の為の政治を行うためには、私達国民一人一人が政治に関心をもって、投票によって、私達の代表である国会議員を正しく選択するより他に道は有りません。次の参議院選挙でそれが証明されることでしょう。( May. 27. 2001 )


 よかったですねぇ! ハンセン病訴訟で問題となっていた政府の控訴について、小泉首相は原告団との話合いの後、政府閣僚や与党三党の幹事長を召集し、熊本地裁の判決に法律上の問題点もあるとしながらも“控訴しない”との決断を下しました。それだけでなく、政府の対応の遅れを謝罪すると同時に、全てのハンセン病患者(元患者も含め)に対し、早期に救済措置を講じる旨を明らかにしました。

 長い間苦労して闘ってこられた原告団と、支援してこられた方々には、今までのご苦労をねぎらうと共に、全てのハンセン病患者や家族の皆様に明るい光が見えたことを心からお喜びを申し上げたい。( May. 24. 2001 一部修正)


 皇太子妃雅子さんのご懐妊が正式に発表になりました。久しぶりに明るいニュースですねぇ! 私たちも心からお慶びを申し上げると共に、ご誕生まで健やかに育まれますようお祈り申し上げます。

 なにしろ一般人から皇室に上がられての公務は大変なことだったろうとご推察申し上げます。ましてや、お子を生すと言うことが必須条件となる皇太子妃ともなれば尚更でしょう。
 私たちみたいに、嫌になったら“顔も見たくないわ、離婚よッ!”てなわけにはいきませんからねぇ。公務に気が進まなくても“ちょっと気分がすぐれないから”とか何とか言って、不貞寝するわけにもいきませんしねぇ。家のカミサンなんか、年がら年中愚痴っていますが、“雅子様を見習いなさい!”って言ってやりたいですよ。(バ〜カ! 言ってることのレベルが違うよ!/そうかな?)

 また「皇室典範」と言うものが在って、“皇位継承は男子でなければならない”のだそうで、男子に拘ることもなかろうと、政府が見直しを始めるようですが、紀元の初めから(紀元なんて持ち出すと問題か?)多くの女性の天皇が即位されていますが、何時からそんなことが定められたのでしょうかねぇ? 当然、男女差別も撤廃しましょう! 勝手な戯れ言、お許しを! (May. 16. 2001 )


 最近わけのわからない事件があちこちで発生していますね。それも凶悪な殺人や強盗傷害事件が多いように思います。政治が乱れる時、人心が乱れるといいますが、確かに政治家やキャリヤ官僚、企業の経営者等の倫理が地に落ちた、ここ10年前後から特に多くなってきたようにも思います。

 それだけではなく、親が子どもに対する教育や躾に無関心になって、物や金、名誉に拘り続けた結果がそうなったのかも知れません。レッサーパンダの帽子の男に理由なく刺殺された女子短大生の事件にしても、逮捕された男は、自分の犯行にも罪悪感をもたず、逃げ隠れするわけでも無い態度には、空恐ろしく不気味な感じがして、人を誰も信用できない気がしてきます。

 家庭が安らぎの場であり、親と子が食事をしながら会話ができ、親と子が共に仕事や趣味に参加できるような家庭環境を築き上げて、働く喜びを知ると共に、他人を思いやり、いたわる心を育んで行けるようにしなければ、親子の崩壊、家庭の崩壊が、日本の社会の崩壊に繋がってしまいそうな不安を覚える今日このごろです。( May. 12. 2001 )


 メーデーがメーデーでなくなった?

 我々昔の世代では、5月1日は“メーデー”で、この辺では小田原の城址公園近くのグランドに、各単組(各企業の労働組合)の代表者が集まってメーデーの式典を催し、市内を労働歌を合唱しながらプラカードを掲げてジグザグ行進したものだった。久しくメーデーから遠ざかっていたせいで忘れかけていた。ところが今年のメーデーが4月28日だったと聞いた。“えッ! メーデーが何故4月28日なの?”キョトンとしてしまった。目が点である。

 5月1日だからメーデーなのだ! 労働者にとってメーデーとは革命の歴史である重要な記念日なのだ! アメリカ全土の労働者が、8時間労働を要求してストライキを行ったのが1886年5月1日で、それを記念して1889年に国際的に制定されたものである。
 メーデーも、年々家族連れの単なるお祭りの色彩が強くなり、参加者も少なくなってきているそうで、御用組合の増加と共に、すでに労働階級意識(仕事に対する労働意識も)が低下していて、正に金満ニッポンを象徴しているのかもしれない。リストラに名を借りた人員削減などで苦しんでいても、贅沢三昧、子供にはケイタイ、ゲームに分不相応に思える無駄使い、バイクや自動車までも買い与えて、自由気ままな生活に満足しているサラリーマンには、メーデーも労働歌の尊さも関係ない!のかも知れない。今日は「憲法記念日」、国民の人権を擁護している大切な憲法も、“私たちには関係ないわ!”てなことにならなければ良いが? ( May. 3. 2001 )


 春の叙勲の発表がありましたね。相変わらずトップに政治家の顔写真がずらりと並んでいるのを見ると、相変わらず恥ずかしげもなく、よくもまあ! と呆れるばかりです。この前、125年も続けてきた栄典制度を見直すなどと言ったのは、単なるジェスチャーか?

 勲三等までの綬賞者を見てみると、次のようになった。

   政治家(国会議員、地方議員など)      36人
   教育関係者(教授、学長、名誉教授など)  162人
   官僚、国家・地方公務員関係        157人
   その他(銀行、会社社長、会長、一般)    50人
となりました。相変わらずの人選で一般人にはあまり関係なく、勲章大好きな政治家や官僚・公務員関係で、70才過ぎたら“今度は、わしの番だぞ!”と、きっと順番待ちの名誉賞なのですね。( Apr. 30. 2001 )


 日経新聞の文化欄に、顔真卿(がんしんけい)の若い時の筆跡が残る碑文が出土したことが述べられています。

 顔真卿と言えば、書をなさる方は良くご存知と思いますが、軟毛のダルマ筆にたっぷり墨をつけて書いた、独特のでっぷりした雄渾な文字を思い浮かべるのではないでしょうか? もちろん私も、その筆法が顔真卿の特徴だと思っておりましたが、実は、顔真卿が若い時に記した碑文が、三蔵法師の故郷で出土し、この筆跡は、いわゆる“顔法”とは異なり、欧陽詢(おうようじゅん)のような端正で優雅な筆跡であったと言うのです。

 この年代は、東晋時代の書家“王羲之(おうぎし)”の優雅な書風が全盛だったそうですから、当時40才代の顔真卿が王羲之を手本にして研鑚している途中で、同じ流れを汲む欧陽詢に近い筆跡だったのもうなずける気がします。昔の書家は、現代の日本の書家等と違って、ほとんどが国家の官僚の道をめざし、政治家として活躍していたことは良く知られていますが、日本では書家は芸術家に分類されていることが大きな違いではないかと思います。

 むろん、政治家でも多くの能書家が見られますが、現代の官僚の頂点にある東大出の霞ヶ関の官僚や政治家で、書家であるという人はあまり聞いたことはありませんねぇ。“心を正して書く”書家には、政治は不向きなのかも知れません。日本の政治家は“土建の周旋家”や“ゴルフ家”が通例なのでしょうか? (Apr. 29. 2001 )


 ゲルの研究室。北海道大学大学院理学部の長田研究室では、生体材料としての有機ゲルの材料を研究しているそうです。

 ゲルと言うと、何だかカエルの鳴声みたいで気味悪い感じがしますが、ゼラチンや寒天、プリン等でお馴染みのものですから、子供や老人の好きな(いやいや、貴方だって好きに違いありません)プリプリしたおいしいものに使われています。

 しかし、それだけではありませんよ。私のジョギングシューズの踵にも入っていて、アスファルトやコンクリート等の固い舗装道路を走る時に、ひざに掛かる衝撃を吸収しています。私は、なるべく土の道を選んで、舗装されていない田圃とか山の畑の道を走るように心掛けていますが、そうもいきません。
最近は、田圃や山道でもお百姓さんの軽トラックのために舗装したり、さして必要でもないのに山を削って、広域農道と言う名で立派に舗装した道路がここかしこに造られていて、自然の土の道を探すのは至難の業で、仕方なくこのような構造のシユーズで足や膝関節を守るしかありません。

 それはさておいて、長田研究室では、人体(ほとんどプリン体なんだそうですが…)の軟骨などに応用できるような有機高分子のゲル材料の研究をしています。従来のゲルは耐久性に劣るため、それらを応用することは難しかったのですが、最近では、非常に耐久性の高いゲル材料が得られていて(作り方はヒミツだそうです)、軟骨がやせてきて障害となっている私たち老人や、ケガの多い運動選手などに福音をもたらす日も近いかもしれませんね。( Apr. 25. 2001 )


 何だか良く分からないマイラインの登録! 一体私たちに何が都合よくなるのでしょうかねぇ?
おまけに登録のハガキをNTTと日本テレコムへ出したというのに、マイラインセンター(これ、何なの?)からきた登録確認通知には、NTTだけしか登録されていない。

 それからが大変なんですよ! マイラインセンターに問い合わせたら、「さあ、わかりません。何しろNTTからしか通知が届いていません。日本テレコムに尋ねて下さい」と言うことで、教えてもらった日本テレコムに電話を入れたところ、混雑していて通ぜず、「しばらくお待ち下さい」の繰り返し、これがテープの案内だからケンカになんないッ!
待つことしばし(この間、電話は繋ぎっぱなしで立ちん坊)、やっと繋がったと思ったら、また自動テープの案内! やっとのことで担当者に繋がったが、「さあ、登録は、全部日本テレコムになっていますよ! なんなら、もう一度登録のハガキを出し直して下さい」、冗談じゃない! マイラインセンターは、「市内と県内のみの登録しかなく、それもNTTのみです」と言っているんですよ! 私は、NTTと日本テレコムの両方へ、同じ条件で登録ハガキを出したのにですよ! それなら登録を担当している(かどうか知らないが)マイラインセンターへ登録ハガキを出した方が簡単で確実じゃないんですかねぇ?

 もう、あきれてものが言えません! 報道によれば、登録作業が大変遅れていて、順当に取扱いできるのはずっと先になってしまうので、混乱が予想されるとのこと。当ったり前だ! 誰がどういう理由で決めたのか知らないが、利用者の事を何も考えていないのだ! IT、ITと騒いでいるが、アイテのことを考えないで、テメエの事しか考えないシステムなんだよね。
 ところで、貴方の登録はスムーズに行きましたか? ( Apr. 18. 2001 )


 ブリジストン美術館に行ってきました。先にお話ししたように、私の好きなルノワール展が14日で終了するので、妻と私の都合が合わなかったため、延び延びになっていましたが、終了間近になってやっと都合をつけることができました。

 この展示会は、ルノアールの作品を、初期から完成期まで集めて、ルノアールが自分の画風を造り上げるまで、如何に紆余曲折を経てきたかを検証し、陶磁器の絵付け師から印象派の中核を成すまでの足跡を明らかにすると言う、今までにない企画なのです。絵の展示会と言えば、ただ有名画家の有名作品を見るというものでしたが、今回は更に興味をそそる大胆な企画で、そのために時系列的に各地から多くのルノアールの作品が集められていて、プロジュースには大変だったと想像されます。その甲斐あって、とても素晴らしく、興味深く鑑賞することが出来ました。これからの美術展の新しい行き方ではないでしょうか?

 先に行かれた方から、大変混雑すると言うことを聞いていましたので、開館時間に合わせて早く行ったつもりでしたが、既に人、人、人の行列で、入館するまで1時間弱かかりました。でも、員数制限があって中はそれほど混雑はしませんでした。しかし、相変わらず、場所柄もわきまえず子供連れでくる女の人もいて、むずかる子に大変迷惑でした。お母さんとしては、小さい内から美術に親しみ、情緒の発達を期待しようと考えるのでしょうが、自己中心的にならず周囲への配慮をしたいものですね。言葉もろくに話せない幼児に美術鑑賞などは、とてもムリなのではないでしょうか?

 それだけではありません、見に来ている人の大半は高齢者で、それもおばあさん連中が多いのです。なかには招待券を貰ったのでやってきたとかで、既に招待の期日が過ぎているのが多く(細かい文字なので気付かないのです)、整理員の方に注意されて初めて気付く人がほとんどです。まさかここまで来て帰るわけにも行かずお気の毒でした。何しろこれからは高齢化の時代ですから、展示場ももっと高齢者に対する工夫が必要ですね。

 何はともあれ、展示作品は素晴らしいの一言で尽きます。確かに、初期の写実的な絵画から、ルノワール独特のソフトなタッチへと変化し、更に色々に変化し、自分の画風確立に向けて悩めるルノアールが、1900年代に入って「ピアノを弾く少女たち」でルノアール自身の作風の完成に至りますが、しかし、むしろ色使いの妙からいって、私などは、1875年から1879年までに描かれた「ルグラン嬢」の青いスカーフや、「牧神の宴」の幻想的なタッチに、わずかにちりばめたバラの赤い花と空の青が引き立てる色彩が良いですねぇ。貴方の好みは如何? ( Apr. 13. 2001 )


 「ラーメン界の超新星」。これが日経新聞の文化欄の見出しですから驚きましたねぇ! それだけではないんですよ。筆者は東大大学院の助教授、惑星科学の研究者という佐々木晶さんなのです。

 ラーメンと言えば、誰でも一家言あるのではないでしょうか? しかし、TV番組の“ラーメン王選手権”の6代目チャンピオンと言いますから、これは並みのラーメン好きではないのです。同好の士とバスをチャーターしてラーメンツアーを組むほどの熱の入れ様で、一日に最高7杯、平日には朝昼1杯、土日は昼2杯、夜1杯のラーメン三昧だそうですから、ラーメンが洋服を着ているようなものですねぇ!

 ラーメンを食する時は、スープや麺の味はむろんのこと味付け卵の色の濃淡や半分サイズか1/4サイズかといったことや、チャーシューの色や形、歯触り、ノリの切り方、更には店主の手の動きや表情も観察する綿密さだ! うまいラーメンは見た目も美しいといいますから、やはり、れっきとした料理の内なのですかねぇ? 店主との会話も重要で、「人柄も味のうち」と言うことだそうですょ。研究論文の中にもラーメンが出てきそうな気がしました。( Apr. 11. 2001 )


 いやあ、驚きましたねぇ! イチロー選手のホームランに続いて、新庄選手までがホームランでリーグ戦を盛り上げています。経済戦争からスポーツ戦争に突入した感がありますねぇ! スポーツなら角が立たなくて良いでしょうが、とは言っても、あまり刺激しない方が良いのではと、いらぬ取り越し苦労でしょうか? ( Apr. 10. 2001 )


 国外流出の野球選手がガンバっていますね。

野茂投手の初登板でのノーヒット・ノーランにスタンドは再びトルネード旋風が巻き起こりました。負けじと、新庄選手もこれはとビックリするようなファインプレーの連続での活躍振りです。伊達男の彼はアメリカでもファンを引きつけそうですねぇ。契約金で無理せず、リラックスしているから良いのでしょう。

 国内では、阪神がこりゃまた最下位スタートかとよもやの対巨人戦の3:17で、“ラグビーじゃないんだぞッ! しっかりして〜や、野村はん、後はおまへんよッ!”と思わずどなってしまいましたが、その後は盛り返して、巨人と同率2位とガンバっているので、ホッとしています。巨人ファンのみなさん、お互いガンバリましょうね!(阪神なんか目じゃあないって? こりゃあ失礼っ!)しかし、天災と優勝は、忘れた頃にやってくるょ。 ( Apr. 7. 2001 )


 今日は4月1日、エイプリルフールですねぇ。しかし、この言葉も死語となってしまったようですね。冗談を言うゆとりもなくなったのでしょうか? ユニークなセンスも持ち合わせなくなりましたね。

 何しろ、世はIT時代だとかで、市役所までが市民へのパソコン教室でおおわらわです。街を歩けば、携帯電話にしがみついて闊歩する女学生で一杯ですし、我遅れじと、おばさん連中も手にした携帯電話をひけらかしています。何を電話しているのかと耳をそばだててみれば、

「今、○○行きの電車の中ょ! あと10分で駅に着くわ!」

そして、また別の所に掛けたと思ったら

「(子供らしい相手に)あんた、今どこにいるの? そう、わたしは電車の中よ! じゃあね!」

何のことはない、アリバイ証明か? 世の中は深刻な経済不況だと言うのに、庶民は平和ですねえ! ( Apr. 1. 2001 )


 “記憶と記録”。何を言いたいかと言いますと、私達が過去の出来事を正確に記憶しているかどうかと言うことを検証して記憶と言うものの本質にせまりたいと思います。私達は、自分の記憶がいつでも正確に再現できると思っています。しかし、それは私達の思い込みでしかありません。

 最近、私は足柄上郡の柔道協会から協会史を作成する為の写真などの資料を提出して欲しい旨の依頼を受けました。もう昔の事とてほとんど記憶がありません。(40年前ですからねぇ)確かに県大会などの出場の記憶はありますが、ほとんど覚えていないのです。唯一覚えているのは県総体で、青年大会(25才まで)に出場して、現役を退いたことしか覚えていません。そこで、独身時代の日記を調べて見ることにしました。この日記は、結婚する際に、過去の記録として封印してしまいました。不都合な(?)写真は全て焼却してしまいましたが、日記は封印して残してあったのです。

 写真を探すのはそれほど難しい事ではありませんでしたが、日記を調べるのはたいへんでした。1日づつ調べなければなりません。しかし、それによって、色々な過去の事実が明らかになりました。柔道についても記憶にあるよりもはるかに多くの対外試合に参加していることが分かりました。柔道以外にも多くの青春の経験が明らかになりました。特に恋愛(片思いも含めて)の経緯が明らかになりました。不思議なことに、これが自分の記憶と著しく異なっていることに戸惑いました。自分の記憶には鮮明な恋愛感情が、日記には全く違う相手に対する感情が述べられているのです。

  記憶が如何に曖昧なものであるかを初めて知りました。年が経てば、それによって自分に都合の良いように記憶が書き換えられるのではないでしょうか?

 薬害エイズ裁判で、問題になっていた阿部教授の責任が問題になっていたにも関わらず、東京地裁で無罪の判決が示されました。判断の根拠はともかく、裁判が長期にわたる為に、事実が次第に曖昧になってしまうことは否めません。原告の川田さん達の感情は思い余りあると思います。司法改革の狙いがここにあると思います。あまりにも長い裁判が、真実を闇の中に隠してしまっているのではないでしょうか? 記憶が薄れない内に判断をしなげれば正しい判断が出来ないような気がします。
 今回、私事ながら過去の記憶と記録とを比較して見て、意外な結果にビックリした次第です。記憶とは、時を経れば非常に曖昧なものになるものなのですね?( Mar. 30. 2001 )


 今度は、広島で大きな地震が発生しましたね。最近の天災は予想されない場所で発生していますので、どこにいても油断が出来ません。三宅島の火山噴火の次は、富士山が沈黙を破るのではないかともっぱらの噂でしたが、その前に広島での地震発生となりました。

 大きな地震があると、我が家も大急ぎで地震対策を始めるわけですが、実際には、どこをどうやれば安全になるのか良く解りません。何しろ倒れそうな物を、壁に取り付けたり、ヒモでくくり付けたりするわけですが、肝心の居間や台所などの、常時居る場所の対策が大変難しいですね。第一に冷蔵庫や食器棚は、しょっちゅう開け閉めするものですから、扉が開かないようにするのが大変厄介です。折角ロック金具などを着けても、面倒がって使ってくれません。テレビやオーディオラック、スピーカーボックスなども地震が来ると危険ですが、これを固定する方法が見つかりません。ピアノやエレクトーンもそうです。パソコンなども始末におえません!

 タンスは固定しましたが、タンスの上にはいろんな物が乗っかっていて、収納下手な女房殿は“家が狭くて、収納箇所が少ないから仕方ないのよ”と平然としています。何しろ、地震だと感じたら、真っ先に安全な廊下か、トイレや風呂へ駆け込むしかありません。ヘルメットは玄関に掛けてあるので、先ずそこまで行ければ何とかなるでしょう。その前に倒れてくる戸棚などで行く手を塞がれたらお終いですね。それよりも、ダム(丹沢湖)が決壊したらどうしよう? 逃げる暇も無いでしょうね? やはり、脱ダム宣言は正しいかな? 田中さん、ガンバってね!

 考えれば、考えるほど、危機管理は頭が痛いですね。モリソバさんの気持ちが分かりますよ! 何てったって、ゴルフ場なら安全だものね! もう考えるのも面倒だッ! その時は、その時だ! 成るようにしか成らないさ! と言うことに落ちつきました。ところで、貴方のところは大丈夫ですか? ( Mar. 26. 2001 )


 わが故郷、三重県の鳥羽の海岸で1996年に発見された化石が、中生代白亜紀前期(約1億3〜4千年前)に住んでいた四本脚の大型草食恐竜(体重が30トン以上もある/何と! 私の550倍もあるのだッ!)「ティタノサウルス」類の化石と判定されたそうですね。

 日本では、あまり大きな恐竜の化石は発見されていないそうで、これが国内最大の物となるだろうとのことです。白亜紀といえば、肉食の大型恐竜ティラノザウルスが最も有名?ですが、草食では、鎧をまとったアンキロザウルス、角を生やしたトリケラトプス、二足走行のイグアノドン等がよく知られていますね。恐竜については、元怪獣博士の私の長男の解説が必要ですが、私も恐竜は大好きでしたから(怪獣ではないですぞ!/本当かな?)一緒になって恐竜の本を探したものでした。(もともと頭が幼かったんだよな)
旧ソ連や中国も恐竜類の化石の宝庫ですし、アメリカのニューヨークの自然歴史博物館(American Museum of Natural History)には、目を見張るような多くの恐竜の化石の復元展示があり楽しむことが出来ます。ご存知かも知れませんが、小田原の入生田(いりうだ)にある県立生命の星・地球博物館もなかなかのものですよ。

 石器の発掘調査は、何処かの素人インチキ考古学者のお陰で興味が半減してしまいましたが、生物の化石は、これからも私たちに多くの夢を与えてくれそうですね。それに、その昔、少年たちをとりこにした映画「ゴジラ」の中の怪獣たちや、戦う「仮面ライダー」、「ウルトラマン」などとモスラ、ガメラ、バルタン星人など懐かしく思い出されますねぇ!(やっぱり、幼いなあ!)( Mar. 20. 2001 )


 貴方は花粉症ではありませんか? 我が家の杉の木の花粉もそろそろ散ってくるのではないかと思いますが、1本や2本ではたいしたことはありませんが、山一面の杉林では風が吹くたびに黄色の霞みが掛かるくらいですから、花粉症の人が見たら卒倒してしまいます。今年も杉花粉は当り年らしいですね?

 ここのところテレビでの話題は、モリソバさんの進退問題と、えひめ丸の事故原因究明、そして花粉症です。なにしろ、全国の花粉症患者は1300万人もいて、その医療費だけでも2200億円と推定されていますから、花粉症での仕事の能率低下など併せて考えれば、国家の重大事項と言っても当然ではないでしょうか?
杉花粉については、戦後の復興の為の木材生産のために、成長の早い杉の植林が大々的に行われた結果、全国の山々が杉の木で覆われたと言われています。そのために杉花粉症は大変な問題になっていますが、茨城県の材木育種センターでは、福島から愛知までの750種の杉を調査して、花粉の少ない杉を育成し移植しようと考えているそうですが、今の杉と代るまでには20年もかかるそうで、その頃には花粉症の私はもうこの世にいないのではないかと心配しています。

 ところが花粉症の原因の一つに、やはり自動車の排気ガスなどによる大気汚染が関係するそうで、マウスの実験では、高い濃度のディーゼル車の排気ガスを吸わせたマウスは、そうでないマウスと比べ、7倍ものクシャミをすることが解りました。国立環境研究所の小林さんの話しでは、大気汚染物質で目や鼻、器官が過敏になるのではないかと言います。それゆえ、アレルギー疾患を低下させるには、大気汚染を減らすことが重要なのです。
 東京都をはじめ、首都圏の神奈川、埼玉などでディーゼル車などの自動車の運行規制など、大気汚染に対して環境改善に力を入れ始めていますから、それが効を奏すれば、花粉症も軽減するのではないかと期待しています。( Mar. 14. 2001 )


 最近とくに物忘れがひどくなって困っていませんか?
それに加えて知人や以前会ったことのある人と対面して、どうにも名前が思い出せない(また、喉まで出かかっていて出ないなど)で困ることが多くなってきました。老人性健忘症と言ってしまえばそれまでですが、信用問題にもなって笑って済ませられませんよね?

「ど忘れのメカニズム」。日経新聞の日曜版の解説に、これだッ!と思わず飛び付きました。

 東大医学部の宮下教授によると、情報を直ぐに取出せない一つの理由として、脳に情報をしまう時と、引出す時の記憶のメカニズムが異なるからだそうです。
記憶する時は、大脳の側頭葉の一部の海馬と情報を格納する新皮質が相互にコミュニケーションを取りながら記憶する。それに要する時間は0.01秒だそうですが、思い出す時には、海馬や新皮質に加えて、前頭葉から信号が出て新皮質の記憶情報を検索して引出すのだそうですが、それには0.3秒かかると言います。それだけではなく、情報が分散していたり、類似情報があったり、関係の無い情報が邪魔をしたりしていて、なかなか目的の情報にたどり着けないことがあるのだそうです。その上、神経回路に新鮮な養分を補給する血管が詰まっていたりすると、記憶が速やかに伝達しない状況が生まれるのだそうです。

 では、ど忘れを防ぐにはどうすればよいか? 宮下教授は、次の5ケ条を挙げています。

  @ 動脈硬化の防止。やっぱり老化防止が重要だ。
  A リラックスすること。睡眠不足やストレスで脳を疲れさせないことだ。
     なるほど、深呼吸と瞑想によって「気」が出てれば良いのだ!
  B 繰返し。メモをとって何度も読み返し、文字だけでなく連想すること。
  C 柔軟性。これも老人になると頑固で融通がきかなくなりますからね。
     色々な角度から起想する訓練。語呂合せや顔の特徴、関連するイメージなど。
  D コンピュータで補完。パソコンや情報端末でデータベースを検索。
     こりゃあ老人には無理か? いつまでも若くでいないとダメってことか?
結局一番良い方法は、規則正しい生活で、良く運動し、食事に気を付け、血液の流れを良くして、常にリラックスして、頭の回転を柔軟にして若さを保つってことなのだ! お粗末でした! ( Mar. 10. 2001 )


 「NIKKEI プラス1」で、やってみたいボランティア番付を見ますと、
  @ 図書館ボランティア
  A 美術館、博物館、動物園ボランティア
  B 使用済み切手などの収集(医療援助に使う)
  C 献血
  D 点訳
  E パソコンボランティア(パソコンの扱い方を教える)
  F 社会教育施設・公民館への協力
  G 中古衣料の再生(難民キャンプなどに送る)
  H 音訳・朗読(点訳の代りに録音してテープを提供する)
  I ホストファミリー(留学生などの受け入れ)
等だそうです。@,A,E,Fなどは、格好良くていいですね。B,Cは、これがボランティア? とも感じますが、Dの点訳なども、パソコンと専用ソフトを使うというものですから、手でポツポツ紙に凸を打っていくのとは違って、やはり楽で格好良いんですねぇ。私の妻は、手でポツポツ、市の広報などを点訳していますが、実際、市内の視覚障害者で点字が読める人はたったの8人なのですよ。しかし、毎年、点訳ボランティアの希望者は多いそうです。だから市も中止できないんでしょう。点訳ボランティアの希望者に、点訳方法を指導するのがまた大変らしいのです。点訳が得意だからボランティアに応募するんじゃないんですね。それに手で打つのは相当な重労働ですよ。本当は、楽で格好いいボランティアはあまり必要無いんですよね?

 市内にあるN会社の従業員の方々は、毎早朝、市内の道路の清掃、バス停などの清掃を長年続けられていて頭が下がります。その上、定期的に市内の小学校の便所掃除にも出向かれていると言いますから、益々感心してしまいます。3Kな仕事をボランティアでやると言うのは、なかなか勇気がいりますし、続けることは大変です。結局、前記のような楽で格好が良くて、他人に“ボランティアやっているのよ!”と自慢(?)できるものが選択されるんですよね。ひょっとしたら手当て(ボランティア代)も支給されるものだったりして…。それが悪いとは言いませんが、“ボランティア”というのも何だか考えものですね。( Mar. 6. 2001 )


 今日は、三月三日のヒナ祭りですね。可愛い女のお孫さんを持たれたおじいちゃん、おばあちゃん達は、今日は目じりが下がりッぱなしなのではないでしょうか? 最近のヒナ飾りは、ちょっとした物で数十万もしますので、年金暮らしのおじいちゃん、おばあちゃんも楽ではありません。しかし、娘の子ともなれば、尚更可愛い孫のこと、少しでも良い物をと考えるのは親心でしょうか? ただ、お雛様を飾るだけでなく、一緒になって遊んでやって下さいね。

 それはそうとして、今や女子高校生だけでなく、中学生や小学生まで持つことが当たり前になった携帯電話の電話料金の負担に、親達は大変らしいですね? テレビで街頭インタビューをして、子供たちの1ケ月の通話料を聞いていましたが、1ケ月5万円と平気で言うのにビックリしました。それも、ほとんど親が支払っていると言うのです。自分でバイトで稼いでいると言う女の子もいましたが、一体何のアルバイトでしょうね? 心配になってきました。勉強しないで電話代の為だけに毎日アルバイトに精を出しているのでしょうか?

 女の子に言わせれば“ケイタイ命!”だそうで、“ケイタイが無ければ生きていけないッ!”んだそうです。いつもケイタイで話しをしていないと落ち着かないんだそうです。授業が成り立たないのもわかるような気がします。それだけ親とのコミュニケーションが無くなってしまって、愛情欠乏症に陥ってしまっているんではないでしょうか? そう思いません? インタビューを受けた子供たちのほとんどが親との会話が無いと言ってました。もっと子供たちを大切に育てて欲しいですね。少なくとも中学生になるまでは充分な愛情と対話がほしいですね。男の子は特に父親との対話が大切です。( Mar. 3. 2001 )


 “美人の顔は左右対称(シンメトリー)である。だから化粧して非対称で個性的な(?)顔を、左右対称の美人顔につくりあげるのだ”と、東大情報学科教授の原島さんはおっしゃる。
日経サイエンスの4月号の対談「右の世界、左の世界」の話です。実は、この号は、特集“宇宙論の新展開”が読みたくて購入したのですが、前述の記事に思わず引き込まれてしまいました。原島さんはコミュニケーション工学がご専門で、人と人とのコミュニケーションに重要な役割を果たす“顔”を研究するうちに、顔の左右対称性について、ある集団の顔をコンピュータで画像処理して平均顔を作ってみると、全て美男、美女になってしまうことに気がついたというのです。なぜそうなのかは、多分生存(競争?)のために有利ではないかと考えます。

 しかし、皆が同じ顔になってしまっては、どれが自分だか分からなくなってしまいますよね? しかし、同じ美人でも役者や俳優の顔には個性が有りますよね? これには、役者自身が個性を演出する為に、わざと顔を歪めて非対称にして、役柄に応じた魅力的な顔を造るというのです。だから、年令を重ねていくと、その人生経験が顔に現れるということが言えます。人と人とのコミュニケーションでの顔の表情が重要なのは、心の中が顔の表情にすべて表出されるということでしょうか? 良く観察してみると、確かに同じ笑顔でも、無心の笑顔は美しいが、心に陰のあるつくり笑いは、顔に歪みが現れていることに気づきます。特に、口が曲るのが分かりますよね。

 現代でのコミュニケーションが、顔の必要以上の化粧(殊に、男まで化粧に憂き身をやつす時代だ)や、顔の無いインターネットや携帯電話でのバーチャルな、しかも言葉も不要なコンピュータ文字に頼っていることに、コミュニケーションの危機を感じていると述べられています。( Feb. 27. 2001 )


 いやあ、久しぶりにN響アワーでブーニンさんのピアノの演奏を聴きました。それも音痴の女房どのが、“ブーニンじゃないの?”って、パソコンに夢中の私に教えてくれたんですよ。番組を知っていたわけでもなし、横顔を見てそう言ったんですから、たまげました。さすが、さすが、音楽は人をも変えるんですかね?(そりゃ、オーバーだよ!)
 その昔、ショパン・コンクールでの輝かしい優勝で、天才青年(いや少年だったかな?)ピアニストと騒がれましたが、天才少年の面影は残しているものの、立派な大人のピアニストに成っていました。(当たり前だよ、お前だってもう2回目の定年だものなっ!/確かにそうだ、腰が曲ってきたものな?/ウソつけッ!)

 演奏は、益々円熟してきて、更に繊細さを増したような気がします。ブーニン以外はピアニストじゃないような気がしてきました。聴いていて疲れないんですよ! タンノイのスピーカーのせいでもないのでしょうが…。( Feb. 25. 2001 )


 グラミー賞の最優秀ニューエイジ・アルバム賞として、喜多郎さんの“Thinking of you”が選ばれましたね。喜多郎さんと言えば「懐かしいなあ!」と思われる方も多いでしょう。喜多郎さん自身も、久しぶりの受賞に嬉しさを隠せない様子です。
私たち(子供も含めて)も喜多郎フアンで、デビュー当時のレコード・アルバムがあって、当時のヒッピー風(?)の喜多郎さんを懐かしく思い出します。電子音楽の先駆者が喜多郎さんではなかったかと思いますが、最近では、NHKの「シルクロード」などの音楽も担当されていたようです。私たちの息子も少なからず影響を受けて、未だにシンセサイザーのとりこになっています。( Feb. 22. 2001 )


 医学特集「中高年にみられる眼病と治療」という見出しにつられて、雑誌「明日の友」(婦人の友社発行)の早春号(130)を手に取りました。最近年をとったのか目が少し霞むような気がしていましたので、つい見出しに誘われたと言うわけです。白内障や緑内障については名前だけは知っていましたが他人事だと思っていました。しかし、老化と生活習慣に深い関係が有るのだそうです。これらについて、多摩老人医療センターの名誉院長の山本由紀雄さんが目の構造から詳しく解説されています。

 実は、目の病気についてお話するつもりではなく、この雑誌がとても良く構成された読んで楽しい内容を持っているからご紹介したくなったからなのです。
例えば“21世紀への期待と決意”と題して、色々な方からハガキで寄せられていて、

画家の堀文子さんは、

“日進月歩の科学技術を追い、あくなき欲望充足に向かって人間がどこまで暴走するのか、心の痛む二十一世紀です。人も鳥や獣と同じ生きものだということを気づき、手、足で働き、体全体で考え、喜び、嘆く心を持つ、つつしみ深くひかえめな人間の生きる世の中を取り戻したいと思います。”

と述べられています。

また、ホスピス医の森津純子さんは、

“歴史を振り返ると、いつの時代も争いと平和は変わらぬテーマであった。
 21世紀、文明の発展により、得るものもあれば失うものも多いだろう。
 しかし、変わっていくことをおそれず、ありのままの時代の姿を見すえていきたい。”

と述べられています。なるほどと思う。

 また、随筆欄では、東 理夫さんは
“パソコンをめぐる インターネットの便利さ・恐さ”を、私と同様に感じておられます。
そして、美術、絵画について評論があると思えば、
“野菜をおいしく 早春の食卓”で料理のページが現われたり、
“衿つきカーディガン”で編物があったり、
“こどもの季節”で絵話しがあったりして結構楽しめてしまう。
はたまた、“♪♪春の小川はさらさら行くよ〜♪♪”の楽譜が現われたりすると
ますます、子供の昔にかえってニコニコしてくる。

そうかと思うと、“漢詩を味わう 李白と杜甫、それぞれの長江”で、
「朝に辞す 白帝 彩雲の間…」ご存知の“早に白帝城を発す”である。これに対する杜甫の“登高”、「風急に天高くして猿の鳴くこと哀し…」である。二人の詩の明暗を解説するを読むにいたって、思わずうなってしまった。

妻も言う通り、これはなかなか面白い。大人のオモチャ箱のようだ。
上村淳之さんの表紙の「オシドリ」の絵もなかなかである。ほっと心がなごむようだ。( Feb. 20. 2001 )


 伊豆の河津(かわづ)桜の見物に行ってきました。河津桜は、最近特に有名(?)になって来ましたが、それは全国の桜に先駆けて、2月の初めに開花する寒桜なのです。河津町のホームページによりますと、昭和33年に河津町で発見され、昭和40年に初めて花をつけたということです。最初は個人の庭に植えられていましたが、後にこの原木を元に接木して増やし、今では河津町に約7000本の河津桜が植えられているそうです。

 以前から一度見物したいし、苗木を手に入れたいと思っていましたので、今回ツアーの募集があったので、早速応募して行って見ました。ところが、今年は例年になく寒波のために開花が遅れ、残念ながら、ほとんど開花しておらず、蕾の花見となってしまいました。幸い暖かい良い天気に恵まれたので、出店で賑わう桜並木を逍遥することが出来ました。
河津桜の発祥となった原木(老木)は、幸いにも5分咲きで、おまけに甘酒の接待にありつけましたので、来た甲斐がありました。お礼に、当家のおばあちゃんを初め曾孫さんの可愛いお嬢ちゃんまで、チェキ(富士フイルムのインスタント写真)で撮影してあげました。おばあちゃんは、どうしても桜の花と一緒に写して欲しいと言うことで、逆光でしたがどうにか写真にすることが出来、とても喜んでもらえました。

 欲しいと思っていた河津桜の苗木も、小さいのを1本買ってきました。5年もすれば、自宅の庭に河津桜が咲くのを見られるのではないか(?)と楽しみにしています。後は、彼岸桜と染井吉野あたりを1本づつ欲しいものですね。(そんなに植える場所有るの?/いやあ、それが悩みのタネなんだょネ)
 やはり、日本人には、桜との縁は切っても切れないものですね。その昔見た、ワシントンの桜で有名なタイダルベイスンの湖畔の桜の木を思い出しました。

 河津桜の開花はもう少し遅くなるようで、また寒さがぶり返すようであれば、3月に入ってからが見ごろではないかと思います。JRの踊り子号で行けば、河津駅で降りてすぐ近くが桜並木なので、1時間もあれば桜を堪能できます。お店も桜並木に沿って沢山出ているので、お菓子から海産物までお土産には困りませんよ。

 河津桜を世にだし、町の観光資源のために町が企画して、町中が一体となって町興しに努力している姿を見て、我が市政の貧弱さに改めて考えさせられた。既にあった市民が楽しんでいた桜並木を、老大木だから邪魔だと伐採し、あまつさえ運動公園を造る為に、観梅を楽しんでいた梅林さえも伐採してしまう神経が知れない。それに対して反対もしない商工会もこれまた無能、無策と言うよりほかない。隣町では、田んぼの周りにアジサイを植栽して育て、“アジサイ祭り”のイベントを企画し、小田急線の特別列車が近くのローカル駅に停車するまでに発展して、町の活性化に寄与している。トップのメセナ感覚の相違が、町を豊かにもし、衰退もさせる。国の政治と同じだ。はたして貴方の町は活き活きしていますか? ( Feb. 18. 2001 )


 「おかげさまで…」。日常よく使う言葉ですが、それは「皆様のお陰で」ということで、生きている(生かされている)ことを周りの人達や「神」に感謝する言葉ですね。
詩人の松永伍一さんは、「おかげさまで」という題で NHKテレビの「視点・論点」の中で、日本語が乱れて、ザラついて、美しい言葉が消えて行くことを心配しています。近頃の若者の言葉は全く意味不明で、何でもかんでもぶった切って省略し、ゲーム感覚で遊んでいるが、その内に大切な心までも失ってしまうのではないか?
 今年の年賀状には、
   時よ
   きょうも朝を贈ってくれたね
   光の縞に 鳥の声を添えて
   わたしは「おかげさまで」と
   つぶやくだけです
という詩を書かれたそうですが、これは、“美しい日本語を大切にしたいというメッセージ”なのだそうです。
「おはよう」、「ありがとう」、「すみません」、「どうぞお先に」、「失礼します」など、「おかげさまで」と同様に日常何気ない言葉ですが、お互いがコミュニケーションを保つ上で大切な言葉ですね。とても「おッハー!」などで済ませる現代のコミュニケーションとは違いますねぇ。

 いつも私が出勤のバスを待っていると、近所の小学生がランドセルをカタカタ鳴らしながら「おはようございま〜す!」と元気に走って行きます。「おはよう! いってらっしゃい!」と言葉を交わしますが、今日1日が幸せになるような、ほのぼのとした気持ちになります。
 今日は、聖バレンタイン・デーですが、“義理チョコ”に気遣いするよりも、心を大切にした温かい会話こそ、いつまでも大切にしたいですねえ。( Feb. 14. 2001 )


 NHKの芸術劇場で久しぶりにバイオリンの庄司紗矢香さんの特別インタビューと演奏を聴きました。5才から弾き始めて多くのコンクールで優勝し、16才でパガニーニ国際バイオリン・コンクール(1999年)において最年少で優勝し、その音楽性を絶賛された天才バイオリニストなのですが、化粧もしない素顔は18才の女性バイオリニストと言うより、はにかみ屋の可愛い少女そのものの感じがします。

 今回の芸術劇場はバイオリン特集で、これも天才バイオリニスト、マキシム・ベンゲーロフさんのリサイタルやピアノの野島稔さんとチェロの毛利伯郎さん、バイオリンの原田幸一郎さん、ビオラの川崎雅夫さんのピアノ四重奏でブラームスや、シューマンの唯一の四重奏曲の演奏がありました。クラシックはそれほど好きではないのであまり聴くことはありませんが、バイオリンのソロや協奏曲は大好きなので特別です。イージーリスニングでもグレンミラーやパーシーフェース、ポールモーリアなどが大好きです。バイオリンのあのすすり泣くような身を震わせるような旋律が堪りません。人によっては乞食音楽などと、ひどいことを言いますが…。(気にしない、気にしない、お前が貧乏なだけなのだ/そりゃあ、もっとひどいょ!)でも音楽はいいねえ。心が洗われる気がします。心にゆとりが生まれるってことでしょうか? ( Feb. 12. 2001 )


 JALのあわや空中衝突かと思われるようなニアミスで大勢の負傷者を出した管制ミスには、科学技術の粋を集めた管制塔と航空機にヒューマン・エラーと言う思わぬ落とし穴があることをまざまざと知らされましたが、今度はハワイで日本の宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、突如浮上してきたアメリカの原子力潜水艦と激突して沈没し、9人もの行方不明者を出した信じられない事故のニュースに呆然としました。

 浮上して航行している原潜に衝突したのなら話しはわかりますが、水中からの不意打ちでは回避のしようがありません。それも民間人を乗せていての緊急浮上訓練らしいと言うから尚更わけがわかりませんね。“トラ・トラ・トラ”を思いだし、とても嫌な気持ちになりました。この附近では、常時多くの原潜が潜航しており、緊急浮上の訓練を行っていると言うから、危険極まりない。それに原潜の行動は機密事項として誰にも知ることが出来ないわけで、通常の船舶航行法から除外されていると言うから、手も足も出ないらしい。

 おまけに、この緊急事態でモリソバさんはゴルフからすぐに官邸に戻ってこなかったとかで、危機管理をどう考えているのか不信感がぶり返しています。ゴルフをとやかく言うわけではないとしても、一国の首相としての自覚と見識が疑われます。
 事故に遭われた実習船に乗り組んでおられた方々には心からお見舞い申し上げます。まだ行方不明の、9人の方々がどうかご無事でありますように!( Feb. 11. 2001 )


 先にルノワールの女性像の微笑についてお話ししましたが、「ルノワール展」が東京・京橋のブリジストン美術館で4月15日まで開催されています。ご存知かもしれませんが、八重洲口の中央口を出て真っ直ぐに中央通り(2番目の通りで左の方には高島屋や丸善があります)を過ぎてすぐの右側にあります。
 ブリジストン美術館は、故石橋正二郎氏が、ニューヨークのオフィス街に近代美術館(MOMA)があることを真似て造られたオフィスビルの中の瀟洒な美術館ですが、収蔵品の質の高さは抜群で、銀座にも近くて便利ですからお薦めです。( Feb. 10. 2001 )


 成人式での破廉恥なバカ騒ぎが大変問題になっていますね。新聞によれば、特に高松市では市長にクラッカーを鳴らし、投げつけたりした5人を威力業務妨害で逮捕したり、新聞記者などに暴行を加えたりした者に対して、告訴すると言う非常手段を取ったとありました。

 確かに彼ら(女子もいましたが)の行為は、成人として社会的責任と義務を自覚すべきとして、許しがたいものがあります。しかし、一方的に彼らの行為を非難し、見せしめ的な厳罰を加えることはどうかと思います。貴方だって式典などでの次々と壇上に現われる来賓の、退屈な祝辞(中には選挙に向けての議員さんの顔見せ)にうんざりした覚えがあるでしょう。
 それも今回の多くの市長の祝辞が、原稿を読み上げるというやり方では、なおさら聴く気もしません。一体、成人に何を語りかけようとするのでしょうか? 本当に心から“成人おめでとう!”と祝う気持ちがあるのでしょうか? それとも、毎年恒例の行事だから、形式的な「成人の心構え」を押し付けようとするつもりなのでしょうか?

 昭和30年代の「成人の日」は、祝日でも会社は休みではありませんでしたから、市町村での式典はありませんでした。会社では新成人を集めて社長のお祝いの言葉を聞き、後で市町村からの「成人手帳」を貰ったものです。私たちの社長は、このまえお話ししたようにとても尊敬できる方で、皆に親しく語りかけられました。決して原稿を読むなどと言う形式的なものではありませんでした。
 その後、会社では、成人を迎えた人達には、上司の方達とお祝いの食事をしながら、お互いの心構えなどを語り合うのが習慣となっていました。この場合直接の上司ではなく、どこかの職場の管理者の一人が選ばれるのが普通でしたから、特に堅苦しいことはありませんでした。

 現在の成人式は、ご承知の如く完全に形骸化していて、単に市町村の一行事の消化でしかありません。ここには、心から成人を喜び合い、祝い合う心の交流は無い様に感じます。それゆえ、参加者も「成人式」はさておいて、久しぶりの同級会などという事態に成りかねません。
今回の事件を問題にするなら、事件を起こした新成人を罰することではなく、成人式の主体者は、彼ら「新成人」に有ることを市町村の関係者が認識して、成人式のやり方をどうするか考えることでしょう。壇上に上がるのは彼らなのです。

 最近の少年法の改正にしてもそうですし、幼児・児童虐待に対する取り組み方にしても、虐待を防止する為には、他人の家庭に土足で上がり込むような過干渉や、告訴など厳罰をもってのぞむような風潮が増してきており、大変危惧しています。
問題解決には、良くその状況を考え、相手の立場にたって改善しない限り解決したことにはなりません。単に表面的に問題が隠れてしまうだけに過ぎないのではないでしょうか? ちょうど医療の問題と同じで、対症療法で病気は治らないのです。教育の問題でも同じです。相手を変える事ではなく、自分が変わることで相手が変わっていくのです。

 このたびのことも、突然に問題が浮上したのではなく、長い間の式典のマンネリズムに対する警鐘ではないでしょうか? 為政者こそ襟を正すべきなのです。問題が起きれば、何でもかんでも法律で規制したり、罰則で抑え込もうとするのは、決して良い結果に繋がらないと思いますが、貴方はどう考えますか? ( Feb. 4. 2001 )


 微笑と言えば、貴方は何を思い浮かべますか? 彼女の笑顔? 恋人の写真? それとも幼稚園の遠足の様子を見ている貴方? 色々ありますねぇ! どれももっともですが、私の言っているのは他でもない絵画や彫塑の話しなのです。
 日経新聞の新しく始まった「美の美」の“シャルパンティエ夫人と子供たち”に見られるルノワールの人物画における表情の優しさは、ルノワール自身の人に対する優しさではないかと想像しています。私はセザンヌとルノワールの絵が大好きですが、どちらも柔らかなタッチで水彩画的な油彩画であるところが私の好みに合っています。

 ルノワールの人物画では、多くの子供たちやパーティの人々、裸婦などが見られますが、確かにその表情には優しさが満ちています。微笑と言うより心の豊かさが見えるような気がします。私は、殊に「イレーヌ・カーン・ダンヴェルス」の夢見るような少女の横顔が大好きです! 「岩に座る浴女」の表情なども同じで、裸婦にも素朴さが有ってとても自然な楽しさに溢れているような気がしてなりません。他の画家の裸婦などは、見る時にどうしても構えてしまいますねぇ。貴方はそう思いませんか?

 同じ微笑でも“謎の微笑”と言えば、言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」でしょう。このモデルは誰なのか論争の的ですが、「女性の愛情生活を支配している矛盾対立の完璧な表現、つまり慎ましさと誘惑、完全に身を委ねる優しさと遠慮なく要求し、男を貪り食う好色さ」が見られると評されるように、この場合は、妖しい女の微笑であり、微笑の陰に隠された不徳のささやきが感じられます。

 これに似て思わず引き寄せられた女性像に、ゴヤの「セニョーラ・サバサ・ガルシア」があります。これはワシントンの国立美術館で出会ったとき、その前で足がくぎ付けになってしまいました。微笑してはいませんが、何か惹きつけるものがあり、一旦出口まで行きながら、思わず引き返して暫らくその場を去ることが出来ませんでした。妖しいと言うよりは、見る人の心に入り込んでくるとでも言うのでしょうか? 自分の心の中の思いが、その女性像に映し出されているのかも知れません。(さては?/ウソ、うそ、そんなこと決してありません!)

 これとは全く対極に立つのが、東洋の美「弥勒菩薩像」の久遠の微笑でしょうか? これは人々の苦しみや悲しみ、罪業から人々を救う慈悲の優しさです。目を閉じて(半眼かも知れませんが)自身の内面を見つめる思惟像で、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏像が何にもまして美しいように思います。

 ところで、ルノワールは、フランス陶器の町リモージュの仕立て屋に7番目の子として生まれたそうです。母のマルグリット・メルレは“美しいものと光と大気をこよなく愛する感受性の強い性格”だったようで、彼も母の血を引いて、感受性の強い子だったのではないでしょうか? 陶器の絵付師として将来独り立ちする予定でしたが、機械化の波が押し寄せたために諦めざるを得なかったようで、それがその後フランスを代表する画家として開花したわけですから、運命とは不思議なものですねぇ。

 めぐり合わせの不思議と言えば、リモージュは、私の学生時代のペンフレンド、アンヌ・マリーさんの生まれた町なのです。彼女が結婚するまでの8年間文通を続けました。彼女の贈り物の、銀貨をあしらったペーパー・ナイフは、今でも大切な私の宝物の一つです。私たちの長男が生まれた時には、可愛いベビー服を送ってくれました。今のように外国への旅行が自由な時代だったら、きっとまた違った人生を歩んだかも知れません。
私の手元には、彼女の送ってくれた180ページもあるリモージュの町のガイドブックとパリの写真集が、Friendry Anne-Marie のサインと共に、何時までも青春の思い出を語っています。( Jan. 30. 2001 )


 松尾外務省大臣官房の機密費流用事件は、開いた口が塞がりません! 百万や二百万じゃないんですよ! それも何と! 3億円以上を自分名義の銀行口座に入れて、親しい(?)女性にマンションを買ってやったり、競馬の競走馬を買っていたり(藤田まことの安浦刑事がポケットマネーで買うような馬券じゃないですよ!)していたと言うではありませんか? そんなことが誰にも知られず出来て、会計検査院の監査でもわからなかったと言うのです。おまけに、機密費と言うことで領収書などの証明が必要なかったことで、不正に水増しして申告し、ネコババしていたと言うではありませんか!

 そんな大金の不正出納が、誰にも見つからず容易に出来ること自体が不思議ではありませんか? 更に不可思議なことは、情報公開が言われている現在、機密費を明らかにすればいいじゃないか、と言う提案に対して、担当大臣である河野さんは、機密事項であるから明らかに出来ない、と言い張っているのです。さては、それによって自民党の根底を揺るがすほどの疑惑が露呈する恐れがあるのではないか?

 日経新聞の「春秋」欄に、議員と大使との関係が書かれていて、大使館での大使の仕事が、政治家の視察の名目に合わせた報告の代筆や、時候の挨拶程度の現地要人との面会を“議員外交”に仕立てて、議員が地元選挙区に配る大量のお土産を手配するなどの雑用に追われていると言う。これらの背景が、このたびの外務省の機密費流用疑惑の政と官との間の不透明さに現われていると言う意味の事が述べられている。
 いずれにしても、これらの金銭の流れを明らかにし、機密と言う名に借りた不透明なシステムを改革しなければ、森政権存続の道はない。( Jan. 27. 2001 )


 貴乃花の優勝の喜びの陰で、最大のライバル曙関が引退を表明しましたね。長い間ご苦労様でした。ちょっとさびしい気がしますが…。

 曙の土俵上の戦闘的な厳しい目付きは、他を圧倒するものでしたね。ハワイから日本の相撲界へデビューし、苦労して横綱まで上り詰めましたが、異国人の横綱にはさぞ風当たりが強かっただろうと推察します。排他的で古いしきたりの角界で、外国人であると言うだけで言うに言われぬ苦労があったことでしょう。口に出せば問題となるし、口を閉じていればそれで高慢とも見られるし、弱い横綱であれば“外国人は足腰が弱いからなあ!”などと非難が集中するでしょう。斯界の風は想像以上に冷たかったに違いありません。その中で、黙々と横綱の権威を守りつづけた努力は立派でした。
これからは、肩の力を抜いてゆっくりハワイからの後輩の面倒を見てやって下さい。( Jan. 24. 2001 )


 やりましたねぇ、貴乃花! 13場所振りの優勝と言うことで“ただ、嬉しいです。”に実感がこもっていました。良きライバルだったお兄ちゃんの若乃花が居なくなって、きっと張り合いが無いに違いありません。

今場所の貴乃花には、いつもの場所に無い“気”が満ちていました。彼の瞳を良く見ましたか? 良く澄んでいてキラキラ輝いていたでしょう? 無欲を思わせるような淡々とした表情で、勝負の前だというのにリラックスしているように見えました。今までこんな表情を見たことはありませんでしたよ。何時も憮然とした表情で、驕りさえ感じるようでした。しかし、今場所は、初心にかえったというか、無心に勝負に挑むと言う“気”をひしひしと感じました。これはひょっとすると、ひょっとするぞ! と毎日妻と一緒に勝負を見つめていました。それに土俵上の取り組みでも、意識が前に向いていて、押されていても足が前へ、前へと出て行きました。まさに“気”が出ている状態です。これでは負けるわけは無いでしょう。素晴らしい気迫を感じましたよ。

 今日、2敗の武蔵丸との最初の勝負で簡単に破れてしまいましたが、差し手が狂って滑ったに違いありません。それでも表情は変わらず、直ぐに次の勝負に気が行っている表情でした。決勝戦の前に鉄砲を20本ほど気合を入れてやっていましたが、表情には何の気負いも無いようで、次の取り組みの手順を頭の中で組立てているように見えました。
優勝決定戦では、勝負の行方はどうなるかわからない激しい取り組みとなりましたが、武蔵丸は貴乃花の気迫に負けて、最後は棒立ちになって諦めて土俵を割ったようでした。そして優勝を手にした貴乃花の“ただ、嬉しいです!”という言葉に、ホッとした様子が見えました。本当に嬉しかったに違いありません。優勝できて本当に良かったですね!
これからも気負わず、リラックスし、“気”を出して、意識が身体を動かすように訓練して、良い勝負を見せて下さい。応援しています! ( Jan. 21. 2001 )


 日経新聞の「私の履歴書」でアサヒビール名誉会長の樋口廣太郎さんの連載は面白いですねぇ。アサヒビールが売れなくて銀行から樋口さんが再建に入ったそうですが、素人だから人に教えを請うのが早道と、ライバル各社の社長を訪ねて、どうして売れないか聞いて回ったそうです。そして不思議なことに異口同音に“アサヒビールは古いビールを売っているからだ”と言われて、すぐに期限の古いビールを回収して新しいビールと入替えたといいます。ライバルにその忠告をした他のビール会社の社長も立派ですが、それをまともに受けて躊躇無く古いビールを回収させた樋口さんも立派ですねぇ。

 それに就任早々から全国の得意先回りをして、2ヶ月でもらった名刺が2500枚だといいますからビックリしますね。そして毎晩11時になると必ず小売店さんを15〜20軒位歩いて回ったんだそうです。“トップに成った時こそ一兵卒の心と動きをしなければダメ”だそうです。もともと商家の生まれだったせいもあって腰が低かったのでしょうか?
また社長就任以来、障害者の雇用に力を入れて、ひたむきに仕事をする彼らの姿を全社員に見てもらいたいと、更に重度の方を含む障害者を募集して社員の意識改革を促したのだそうです。
“職場が荒れていた当時のアサヒビールを救ってくれたのは、実に、働く障害者の人達の真面目な態度だった。ありがたいことだと思う”と述懐しておられる。

 最も有名になった「スーパードライ」にしても、何故アサヒビールが売れないかを国立醸造研究所では、特にビール三社で違いが無いと言う。これを聞いてイメージチェンジが必要と感じて、スーパードライの発売に踏み切ったのだそうです。それに先だって偶然ドイツのビール雑誌に苦味が少なくなってきている傾向を知ったのが運が良かった。しかし、そのスーパードライにしても、最終的な味は消費者5000人の市場調査によって決めたと言いますから、やはり、売れるべくして売れていると言えるでしょう。

 東京の吾妻橋にある本部ビルの何とも不思議な“ウンチビル”(首都高速から東北自動車道へ行く時に近くに見えるでしょ)についても、百周年記念で高さを100mにして、グラスに泡立つビールを表現しようとしたのだそうですが、デザインをフランスのフィリップさんに頼んで任せてしまったところ、思惑違いで失敗した。しかし、よく見ると面白い、と意にも介さない人でもある。
 今までの執筆者と違って、これからが樋口さんの生い立ちになる。こういう執筆の構成からして変わっていて面白い。まだまだ楽しみな毎日である。( Jan. 13. 2001 )


 1月1日の日経新聞に、薬師寺玄奘三蔵院の壁画の完成について、壁画を完成された画家、平山郁夫とその壁画を構想40年、着手してから20年の歳月を経た経緯と作品の紹介がされました。ご存知のように平山郁夫氏は、東京芸大の学長を務められ、世界の文化財の保護・修復のための「文化財赤十字」を提唱され、日本美術院理事長でもある有名人ですが、以前、東京のデパートで見た氏のシルクロードのスケッチにひかれ、何となくファンに成っていました。
 今回、たまたま同時にNHKスペシャルで「三蔵法師祈りの旅」として、奈良・薬師寺大壁画と平山郁夫氏の関わりについてシリーズで放映されましたので、見事な大壁画と共に、改めて平山画伯の生い立ちと三蔵玄奘との関わりについて知りました。

 平山さんは中学三年生の時に広島で被爆し、その後遺症に悩まされていたそうで、そんな時、東京オリンピックでシルクロードを聖火リレーすると聞き、“被爆者の自分は、戦争を呪うのではなく浄化し、世界平和の祈りを込めて玄奘三蔵がインドへお経を求めて出た旅を絵にしよう”と夫人と二人で中国から中央アジアを経てローマまで、スケッチの遍歴に出たと言います。
そして薬師寺の大壁画については、前薬師寺管長・高田好胤師との出会いがあります。高田好胤師については、写経を募って10億円を集め薬師寺・金堂の建立を達成した有名な話があり、こちらの物語(確かNHKのドキュメンタリーで見たが)も大変興味のあるものですが(高田好胤師の書かれた「無」の色紙が我が家の玄関に掛けてある)、高田管長との約束で、完成した玄奘三蔵院に“西方浄土須弥山(さいほうじょうどしゅみせん)”の大壁画を奉納するという大事業を果たすことになるわけです。

 興味があるのはそれだけではありません。平山郁夫氏の画壇デビューが実は「仏教伝来」という、玄奘が白馬にまたがり中国への帰途、オアシスを行く姿であった。わたしもこの絵に魅せられたのでした。
また、困難なシルクロードのスケッチ旅行と薬師寺の大壁画になる“西方浄土須弥山”となる零下20度を超える極寒のヒマラヤでエベレストの峰々を凍える手で必至にスケッチし、その目的を達するという物凄さに思わず頭が下がります。それだけでなく、又このための150回を数える海外取材旅行や、壁画を完成させる為の一切の費用も、平山郁夫氏の自前であり、寄進によるものだということである。

 先に、般若心経と三蔵玄奘の話をしましたが、宗教哲学を論ずる(と言うほどでもないが)私と平山郁夫画伯との不思議なめぐり合わせに驚きを感じています。芸術と仏教、いや人生の哲学と言うべきでしょうか? 世では、首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」の最終報告に宗教教育の必要性が盛り込まれていることに対し、公明党の神埼代表が反対を表明しているとあったが、創価学会から出た公明党ではなかったか? 教育に正しい宗教観(自然への畏敬、先祖崇拝など)を盛り込むことも必要だと思うのだが…。( Jan. 10. 2001 )


 日経新聞の文化欄にある「交遊抄」に“深遠なる教え”と題してカルロス・ゴーン氏が寄稿されている。もちろん日産自動車社長として、改革を陣頭指揮し、私達がビックリするようなリストラをやってのけ、公約通り黒字化を果たしたゴーン氏である。氏に言わせれば、ニッサンの復活はこれからが正念場だそうだが…。

 ゴーン氏が高等教育の勉強にいそしんでいた14才当時に、フランス文学の先生であったラグロボール神父の教えで「信頼は人生の最も重要な目標である」との信念であると述べられている。まず人の話をよく聴き、それから考えること。自分の考えをできる限り透明性の高い表現で表すこと。シンプルにすること。言った通りに行動すること。
ラグロボール神父自身がその通りに生きた人だった。そして、つましい生活のうちに迎えた最期だった。しかし、神父は私の心の中に生きつづけている。
 その教えが、自分にとって如何に多大な影響を与えたかを知ったのは、約30年後に来た日本であった。そして、ラグロボール神父のように生徒に対して深遠で建設的な、生涯にわたる影響を与えられる先生たちに、神の祝福がありますように。と結んである。

 これだけのことをさらりと言ってのける経営者が今の日本にそうは居ないのではないか? 表面だけで見ると鬼のゴーン氏と思われがちだが、実際には社員一人一人と対話し、ムリと思われることは決して実行せず、常に新しい考えを立てて行動されてきたと聞き及んでいる。真に日本的(日本文化に適合させて)で、柔軟な思考をもった最高の経営者ではないだろうか? ( Jan. 8. 2001 )


 今日から又仕事が始まります。飲み、食い、テレビに明け暮れた正月休みからハイチャして、いつもの生活に戻りました。貴方は、まだお正月休みでのんびりお過ごしでしょうか? それは結構! 人生急ぐこと無し! 晴耕雨読が理想かも知れませんね。晴洗濯、雨メロドラではいけませんよ!
 日経新聞に「心と体の体験欠かせず」と題して、東大の黒田教授が良いことを書いておられます。
科学技術の発達に伴って“人の欲望は抑えられず、技術は今後も発達するが、倫理や環境問題などの弊害も大きくなる。それに耐え切れなくなった時に転機が訪れるだろう。21世紀には、脳の理解(解明)が進む。記憶、感情、自我など(心)も解明されるだろう。(しかし)現代人は、自分が生物であることを忘れている。(科学の発達で世界が変わっていくだろうが)自分の頭で考え、自分の心と体で体験することを忘れないで欲しい”

 とにかく現代は科学一辺倒で、あたかも科学万能と信じて、動物の本能を忘れ、自分の産んだ子もまともに育てられず、自分の自由にならないと、果ては虐待の末、死に至らしめて、尚、悔悟の念さえ抱かない動物以下の人間が溢れている。誰もそれを咎めだてもしない。自分も50歩100歩だと考えているのだろうか? 

 同じ朝刊の「ニューフェース」欄に、赤ちゃんの様子を確認するカメラ“TVベビーモニタ”が紹介されていた。離れた場所に居る赤ちゃんの傍にモニターカメラを置き、泣き声や物音がした時に様子を見るのだと言う。原子力発電所じゃあるまいに、赤ちゃんまで物扱いにするとは! 赤ちゃんを育てるには、常に傍に居て、五感を働かせて感知し、赤ちゃんと対話しなければ育てられないのではなかろうか? 金と物にまみれて、自分が生物であると言うことを、正に忘れてしまっているように思うのだが? 面倒なことはみんな保育所に任せてしまって、金稼ぎに専念か?
 ♪♪こんにちは、赤ちゃん! 私がママよ〜♪♪ なんて、古い昔の歌物語か? ( Jan. 5. 2001 )


 元旦の朝から実業団駅伝の実況中継に見とれました。何と! トップはコニカではありませんか? 以前に、マラソンでコニカの選手がガンバッていたことは知っていましたが、実業団駅伝で優勝する実力があるとは、寝耳に水(失礼!)でした。富士通は2位に甘んじ、旭化成は何と8位という波乱の新年の幕開けです。

 二日、三日は、やはり恒例“箱根駅伝”見物です。昔は小田原まで応援に出かけましたが(むろんWマークの早稲田です)、最近はコタツでテレビ観戦です。何しろお目当ての早稲田が、最近はめっぽう弱くなって、今年なんかは何処にいるのか虫眼鏡で探すようです。居ました、居ました! 高橋尚子の如く、楽しんで(のんびり)走っていました。こりゃぁ、ダメだ! 今年もシード校に成れず、予選会組か? 復路では少しガンバッてはみたが、山梨学院大に29秒差で10位、シード落ちです!

 しかし、上位争いは熾烈で、近年まれな面白いレースとなりました。往路では、初出場の平成国際大がケニアの助っ人でトップに躍りだし、あわやと思われたが、何と法政大が抜け出して、これは法政が逃げ切るかと期待したが、なかなかどうして、レースは後半の箱根の山登りで波乱となり、法政大に中央大と順天堂大がもつれ込み、8秒差で順大を抑え中大が往路優勝を遂げました。復路は、箱根山の下りを中大を抜いて順大が快調に飛ばし、一人旅かと思われましたが、最終の10区で激しい追い上げにあい、抜きつ抜かれつの末、順大が駒大を抑えて総合優勝を飾りました。
 何とも21世紀の幕開けは波乱模様で、予想できない展開となりそうですねぇ。何とかよい方向に波乱含みになってもらいたいものですね! ( Jan. 3. 2001 )


明けましておめでとうございます!

 21世紀の新しい夜明けです。皆様には良いお正月をお迎えでしょうか?

 20世紀後半は、著しい科学技術の発達によって便利で豊かな生活を手に入れましたが、それの代償として、自然破壊や人心の荒廃など、多くの大切な物を失ってきました。科学が人間のために幸せをもたらすものと信じてきた私達は、今ここで本当の幸せのために何が必要なのかを、もう一度考え直さざるを得ない渕に立たされています。
 21世紀の科学がどんな変革をもたらすのか? 或いは、私達自身がどのように変革を迫られるのか? 今日、2001年1月1日に、その第一歩を踏み出しました
「水の惑星、青い地球」に育まれた生物の全てに、そして私達人類全てに、そして貴方と私に心の豊さと幸せをもたらす、輝かしい世紀となりますように! (Jan. 1. 2001)

私がホームページを作った目的

 私の言っていることが正しいかどうかはともかく、自分のご都合主義ではなく、日本の将来のために、自分たちの子孫のために(ちょっとオーバーかな?)自分の意見を主張し、行動することが大切だと思ったんですよ。(頭の老化を防ぐためにもね)
 今まで自分を育ててくれた諸先輩および社会に対して、残された自分の人生の時間をこのために使おうと考えたんですよ。
 インターネット・ディベート、これが実現できれば最高です。どうか貴方自身が私の考え方を批判したり、周りの人たちと討論して下さることを願っています。


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