それはともかく、この雑誌には、別に注目する記事があった。
それは、新潮四賞決定発表と、その中の新潮学芸賞「身体感覚を取り戻す−腰・ハラ文化の再生」で寄稿された明治大学助教授の斎藤孝氏の“子供のカラダは崩れている”という書き下ろしだ。
以前より、最近の子どもたちのからだの異常は、たびたび問題にされている事であるが、長く立っていることや、長い距離を歩き続けることが出来ないのは、日本文化である“技としての自然体”、大地を踏みしめ力強く下半身は安定し、中心軸はしっかりと通っていて、肩の力が抜けている、という基本的な身体文化の衰退でもあり、日本人の生活様式への緊急課題であると言う。
それは何かと言うと、日常生活における身体のあり方を、文化として明確に捉え直し、継承することではないか?と言われる。そして、それは昔の子供たちの遊びにおいても、相撲やおしくらまんじゅう、馬飛び(懐かしいねえ! 男女混合でやったよねぇ! 女の子の股に首を突っ込むのは、ちょっときまりが悪かったよなぁ。(うそつけ! 一番喜んでたのは、お前だッ!)これらの遊びを通して、息をぐっと腹に溜めて、自分の上に乗っかる相手の重さや揺さ振りをこらえる。これが一人ではなく、みんなで力を合わせてこらえるのである。だから、かつての遊びにおいては、子供たちは一日に何度も息を切らし、汗をかいた。自分の身体の全エネルギーを使い果たす毎日の過ごし方が、子供の心身にとっては、測り難い重大な意味を持っていた。これには、子供同志のコミュニケーションにおいても重要な役割を果たしてきたといえよう。
最後に、“身体文化カリキュラム”の中心に、2分間の丹田呼吸法を紹介している。丹田呼吸法は、言わずと知れた臍下丹田を中心の瞑想・坐禅に通じる心身のリラックスと集中力の向上による心身の修練の結果、自然治癒力向上により、健康な体を造ることにあるといえる。(呼吸法については、次のコンテンツ「天地創成と宗教について」の“意識と「気」について”や「医療と福祉のあり方」で“気功”なども参考にして下さい)
ここでは、鼻から腹に息を溜める感じで3秒間吸って、2秒間保って、15秒かけてゆっくり吐く。これを6回繰り返すと2分間になる。このほか、背負う、練る、研ぐ、絞る、踏むなど、かっては日常的に鍛えられていたが、現在は消えつつある身体文化を再考する時にきていると述べられている。( Jun. 30. 2001 )
さすがに小泉フィーバーが受けて、思いもよらず、前回の投票率を20%も上回る50%の投票率を記録しました。(二人に一人じゃあまり自慢にはなりませんがね)投票の結果も、小泉人気で自民党が大きく議席を確保しました。
しかし、小泉バブルとならないように、選挙民も、野党の皆さんも、気を弛めず、これからも頑張ってくださいね! ( Jun. 26. 2001 )
最初は、劇団四季の演技はそれほどでもないだろうと、あまり積極的ではなかったのですが、妻が行け、行けと言うものですから、話しの種にと思って期待もせずに出かけました。チケットだって10000円もするんですから、“や〜めたっ!”と言うわけにもいかないんですよぉ。そして、わざわざロマンスカーを利用して、浜松町まで出かけるわけですから…。
ところが、これはびっくりしました! たかがマンガの物語とバカにしていましたが、それはそれは素晴らしいミュージカルではありませんか? 観客席の後方から、通路を通って舞台に流れ込むオールキャスト勢揃いの幕開きに、まず度肝を抜かれました! 息をもつかせぬテンポの良さ、あっと驚く舞台装置、多才なキャラクターと独創的な振り付けや小道具の面白さ!! まさにディズニーのファンタスティックな世界に魅了されてしまいました! それに、劇団四季のメンバーの演技は、昔見たブロードウェイのミュージカルと比較しても決して引けを取らない程の素晴らしさでした!
あっと言う間の3時間でした。鬱陶しい梅雨空をも晴れ晴れとした気持ちにさせてくれる、劇団四季の「ライオンキング」でした。久しぶりに芸術的満足感(そりゃぁ、オーバーじゃないの?)に浸ることが出来ました。嫌がる私をムリに誘って下さった知人と妻に、今は心から感謝しています。
興味のある方は、インターネットでの予約も出来るそうですよ。またウイークデーマチネ料金は、通常料金より1000円の割引があるそうですから、C席でも良ければ2000円、B席なら5000円で…。“四季劇場”は、浜松町の北口から歩いて7分ぐらいの所です。( Jun. 23. 2001 )
不甲斐ない最下位独走の阪神、野村タイガースに嫌気がさして、最近はアメリカのメジャーで、神風旋風を巻き起こしているイチローや新庄選手の方に目が移って、国内プロ野球には目もくれないでいましたが、突然の巨人:阪神戦での、まさかの競り合い! それも、ニュースステーションにまで延長戦をずれ込ませて、直ぐに決着がつくからと、引き続き実況放送を始めて混戦にもつれ込み、久米宏を慌てさせて、やっと見せ場を作った感じでしたが、良かった! 良かった! ノムさんも男が立ちました。
勝ちを譲ってくれて有難う! ジャイアンツ・ファンの皆さん! 優しい気遣いの長嶋巨人監督さん! 有難うよ! もっともっと、阪神に勝ちを譲ってね! これで一足飛びに4位浮上です! ガンバレ阪神! ズッコケるなよ! ( Jun. 21. 2001 )
IT革命を標榜する小泉内閣にとって、これはまたと無いビッグチャンスに違いありません。私も一人前に総理官邸にアクセスして見ました。確かに、国民との間の開かれた対話として、インターネットを利用することは効果的であるかもしれません。しかし、情報公開は歓迎するとしても、インターネットの双方向性が必ずしも全ての国民の民意を反映できるとは限りません。事実、インターネットを駆使出来る人が、国民の、それも声の小さい人達の占める割合が多いか、少ないかと言う事も考える必要がありますし、小泉首相が言っているように、単に、声の大きな人の意見だけが取り上げられてきた、従来の弊害をどうして無くすかが問題なのです。
簡単に考えれば、10万人の愛読者(?)が、一度に意見を発信したとしたら、それをどう受け止めれば良いのでしょうか? 中には、面白半分の意見もあるでしょうし、100万件の意見に目を通すだけでも、恐ろしい気がします。まして、それらの一つ一つに返事を出すなどと言うことは、不可能なことです。(バーチャル・コミュニケーションなのですよ!)
こういう事を言うと、反発を受けるかもしれませんが、このメールマガジンは、あくまで小泉内閣のプロパガンダ(宣伝といったら言い過ぎか?)として認識した方が良いと思います。それよりも、小泉首相が、国民一人一人との対話を大切にしている“市民集会”(田中康夫知事の特許)に、私たちの率直な意見を出す努力をした方が良いのではありませんか? せっかく一億円も掛けて開設したホームページにイチャモンをつける気はありませんが、私たち国民一人一人が、冷静に判断することこそ大事なことだと思います。
何はともあれ、小泉フィーバーに、野党の存在が霞んでいることは違いありません。今後の政治をどう進めていけば良いのか、野党の皆さんも改革を迫られていることは確かです。だからと言って、インターネットを利用することだけに目を奪われてはなりません。目的と手段をはきちがえてはなりませんぞ!! ( Jun. 16. 2001 )
ところが、他人事ではなく、この長閑な南足柄市の、それも我が家の近くの公園で殺人事件が発生しました!
女性が後から刃物で刺されていたと言うのです。犯人はその女性の夫で、まもなく捕まりましたが、子供たちの遊ぶ公園で殺人が行われたのは残念で堪りません。最近はこの公園も、どこからくるのか中学生らしい男女が、タバコを吸ってたむろしたり、スプレー塗料でトイレや駐車場に落書きをしたりする無法者に困っていますが、いったい世の中、どうなっているんでしょうね? ( Jun. 11. 2001 )
これは、堀文子画伯が長年追い求めて、やっとヒマラヤの奥地の岩陰に見つけた、そこだけでしか咲かないブルーポピーなのです。でも、私が手にしたのは、もちろん本当の“幻のブルーポピー”ではありません。堀さんが苦労の末探し出されて描かれた貴重な絵の複製画です。
今日、小学校時代の友人を案内して訪れた箱根の成川美術館で、堀さんの“幻のブルーポピー”が展示されているのを初めて見ました。以前テレビでは見ましたが、詳しい花の絵は分かりませんでしたが、初めてみる“幻のブルーポピー”は、その茎や葉っぱにトゲトゲがサボテンのように生え、その上に可憐な青い花をつけた不思議な植物でした。
なるほど、堀さんが命を賭けてヒマラヤの奥地に探し求めた理由がわかるような気がしました。この世に有るとも思えない“幻の花ブルーポピー”なのです。
成川美術館が、堀さんの許可を得て複製されたその絵は、とても複製とは思えないすばらしいものです。何とも不思議な“幻の花ブルーポピー”に、やっと出会うことが出来ました。それも、50年ぶりの同窓会で再会した友人の訪問によって導かれたことも、本当に不思議な縁ですねぇ。それに、昨日までは雨で、とても箱根には出かけられないと思っていましたし、まさか、成川美術館で、その幻の花に出会うとは思いもかけませんでしたから…。
また、私は、平山郁夫画伯のファン(?)であることを以前お話しましたが、やはり、成川美術館長の成川さんが、三十歳の時に銀座の村越画廊で偶然目にした「ガンジスの夕」という日本画の常識を覆すような不思議な横長の絵に魅せられ、どうしてもその絵が欲しくなって身分もわきまえず、画廊の人に交渉して、当時とてつもない大金を工面して自分の物にしたのだそうです。その作者が平山画伯だったと言うのです。
後年美術館を設立することになったのがこの出会いだと、これも今日、偶然手にとって気に入って購入した平山画伯の画集の扉に書かれているのに驚きました。私もまた、銀座のデパートのギャラリーで見た、平山画伯の描かれたシルクロードの絵の不思議な魅力の虜になったからなのです。これは、玄奘三蔵法師につながる仏の心ではないかと思っていました。
出会いとは不思議なものですねぇ。自分の運命は自分で引き寄せているのだと言いますが、その出会いは、何か不思議な運命の糸に操られているような気がします。確かに、方向を選択しているのは、私自身かも知れませんが…。( Jun. 7. 2001 )
石原都知事はいいことも言うけれど、時々首をかしげたくなることも発言してはばからないですねぇ。
私などは、エネルギーの浪費だと考えて、テレビの深夜放送も止めればいいと思っているし、深夜営業のお店も必要ないと思うし(便利だけが全てではないよね?)、まして夜遊びに深夜までの時間を奨励するなんてことは、夢にも考えませんね。夜間の外出は予期せぬ危険も伴うし、健康のためにも夜更かしは慎んだ方が良いと考えています。
まして、現代は、生活が夜型になっていて、子どもたちも、夜遅くまでゲームをやったり、インターネットで夜更かしをしていて(勉強ならまだしも)、昼間は寝ぼけ眼になっています。若いサラリーマンの多くも同じ状況で、夜のアルバイトに精を出す女の子もいて、昼間の仕事の方がアルバイトではないか?とさえ思えるこの頃ですから、年々上昇していく医療費の削減にも貢献できるよう、早寝早起きを奨励すべきではないかと思っています。
まして、行政が率先して夜遊び奨励とは、何とも不可思議でしょうがありません。プルサーマルの問題では、住民投票の結果が反映されて、東電はとりあえず実施を延期させましたが、原子力発電所を、もっと、もっと増やすために、夜間でも何んでも電力を浪費してもらおうってことなのか? 長野県の田中知事も、石原都知事を一部批判していますが、さもありなんと考えます。何も石原さんの言うことが全部正しいって訳でもないし、田中外相の歯に衣着せぬ発言が全部悪いって訳でもないんですよ。田中知事の受け売りじゃあないが、要は、今100年先を見据えて、何が大切かと言うことでしょうね?( Jun. 2. 2001 )
確かに、小泉内閣になってから、政治が分かり易い言葉で語られていることと、マスコミ自身も熱心になって、政府の動きを追いかけて報道されるようになったためではないかと思います。そのため、政治に無関心だった国民が今までになくテレビ報道に興味を示すようになったのではないでしょうか? 裏返せば、マスコミが国民をバカにして、政治の報道を疎かにしてきた責任もあるのではないでしょうか? 視聴率の悪い政治番組は敬遠され、視聴率の良いオチャラケ番組ばかりに力を入れていたのでしょう。あるいは、政府を批判するような番組には、政治家の圧力がかかっていたのかも知れませんが…。
今回ばかりは、民放の政治報道の姿勢は、国民に政治に目を向けさせた点で大いに見直しました。かえってNHKの政治報道番組(特に日曜討論など)は当らず触らずで、ニュース以外はほとんど視聴の価値はありません。唯一の公共放送として大いに反省してほしいと思います。
しかし、ここには落とし穴があります。小泉人気につられて、政治家の体質が変わったような気になってしまうことです。小泉内閣が国民の目線に立って政治主導の改革を進めていることは確かですが、だからといって自民党などの古い体質が変わるわけではないのです。いまは鳴りを潜めていますが、時らば、小泉内閣を壊滅させようと策を練っているのかもしれません。未だに、森元総理が派閥の会長に返り咲いて、派閥離脱に苦言を呈しているではありませんか? 今回の道路特定財源の一般財源への組み入れや、公共事業への投入の見直しなどについても、自党内での反発が問題になっているではありませんか? 従来の利権構造を払拭するには、まだまだ多くの壁が立ちはだかっているのです。
結局、これらの構造を改革し、私達国民の為の政治を行うためには、私達国民一人一人が政治に関心をもって、投票によって、私達の代表である国会議員を正しく選択するより他に道は有りません。次の参議院選挙でそれが証明されることでしょう。( May. 27. 2001 )
長い間苦労して闘ってこられた原告団と、支援してこられた方々には、今までのご苦労をねぎらうと共に、全てのハンセン病患者や家族の皆様に明るい光が見えたことを心からお喜びを申し上げたい。( May. 24. 2001 一部修正)
なにしろ一般人から皇室に上がられての公務は大変なことだったろうとご推察申し上げます。ましてや、お子を生すと言うことが必須条件となる皇太子妃ともなれば尚更でしょう。
私たちみたいに、嫌になったら“顔も見たくないわ、離婚よッ!”てなわけにはいきませんからねぇ。公務に気が進まなくても“ちょっと気分がすぐれないから”とか何とか言って、不貞寝するわけにもいきませんしねぇ。家のカミサンなんか、年がら年中愚痴っていますが、“雅子様を見習いなさい!”って言ってやりたいですよ。(バ〜カ! 言ってることのレベルが違うよ!/そうかな?)
また「皇室典範」と言うものが在って、“皇位継承は男子でなければならない”のだそうで、男子に拘ることもなかろうと、政府が見直しを始めるようですが、紀元の初めから(紀元なんて持ち出すと問題か?)多くの女性の天皇が即位されていますが、何時からそんなことが定められたのでしょうかねぇ? 当然、男女差別も撤廃しましょう! 勝手な戯れ言、お許しを! (May. 16. 2001 )
それだけではなく、親が子どもに対する教育や躾に無関心になって、物や金、名誉に拘り続けた結果がそうなったのかも知れません。レッサーパンダの帽子の男に理由なく刺殺された女子短大生の事件にしても、逮捕された男は、自分の犯行にも罪悪感をもたず、逃げ隠れするわけでも無い態度には、空恐ろしく不気味な感じがして、人を誰も信用できない気がしてきます。
家庭が安らぎの場であり、親と子が食事をしながら会話ができ、親と子が共に仕事や趣味に参加できるような家庭環境を築き上げて、働く喜びを知ると共に、他人を思いやり、いたわる心を育んで行けるようにしなければ、親子の崩壊、家庭の崩壊が、日本の社会の崩壊に繋がってしまいそうな不安を覚える今日このごろです。( May. 12. 2001 )
我々昔の世代では、5月1日は“メーデー”で、この辺では小田原の城址公園近くのグランドに、各単組(各企業の労働組合)の代表者が集まってメーデーの式典を催し、市内を労働歌を合唱しながらプラカードを掲げてジグザグ行進したものだった。久しくメーデーから遠ざかっていたせいで忘れかけていた。ところが今年のメーデーが4月28日だったと聞いた。“えッ! メーデーが何故4月28日なの?”キョトンとしてしまった。目が点である。
5月1日だからメーデーなのだ! 労働者にとってメーデーとは革命の歴史である重要な記念日なのだ! アメリカ全土の労働者が、8時間労働を要求してストライキを行ったのが1886年5月1日で、それを記念して1889年に国際的に制定されたものである。
メーデーも、年々家族連れの単なるお祭りの色彩が強くなり、参加者も少なくなってきているそうで、御用組合の増加と共に、すでに労働階級意識(仕事に対する労働意識も)が低下していて、正に金満ニッポンを象徴しているのかもしれない。リストラに名を借りた人員削減などで苦しんでいても、贅沢三昧、子供にはケイタイ、ゲームに分不相応に思える無駄使い、バイクや自動車までも買い与えて、自由気ままな生活に満足しているサラリーマンには、メーデーも労働歌の尊さも関係ない!のかも知れない。今日は「憲法記念日」、国民の人権を擁護している大切な憲法も、“私たちには関係ないわ!”てなことにならなければ良いが? ( May. 3. 2001 )
勲三等までの綬賞者を見てみると、次のようになった。
政治家(国会議員、地方議員など) 36人となりました。相変わらずの人選で一般人にはあまり関係なく、勲章大好きな政治家や官僚・公務員関係で、70才過ぎたら“今度は、わしの番だぞ!”と、きっと順番待ちの名誉賞なのですね。( Apr. 30. 2001 )
教育関係者(教授、学長、名誉教授など) 162人
官僚、国家・地方公務員関係 157人
その他(銀行、会社社長、会長、一般) 50人
顔真卿と言えば、書をなさる方は良くご存知と思いますが、軟毛のダルマ筆にたっぷり墨をつけて書いた、独特のでっぷりした雄渾な文字を思い浮かべるのではないでしょうか? もちろん私も、その筆法が顔真卿の特徴だと思っておりましたが、実は、顔真卿が若い時に記した碑文が、三蔵法師の故郷で出土し、この筆跡は、いわゆる“顔法”とは異なり、欧陽詢(おうようじゅん)のような端正で優雅な筆跡であったと言うのです。
この年代は、東晋時代の書家“王羲之(おうぎし)”の優雅な書風が全盛だったそうですから、当時40才代の顔真卿が王羲之を手本にして研鑚している途中で、同じ流れを汲む欧陽詢に近い筆跡だったのもうなずける気がします。昔の書家は、現代の日本の書家等と違って、ほとんどが国家の官僚の道をめざし、政治家として活躍していたことは良く知られていますが、日本では書家は芸術家に分類されていることが大きな違いではないかと思います。
むろん、政治家でも多くの能書家が見られますが、現代の官僚の頂点にある東大出の霞ヶ関の官僚や政治家で、書家であるという人はあまり聞いたことはありませんねぇ。“心を正して書く”書家には、政治は不向きなのかも知れません。日本の政治家は“土建の周旋家”や“ゴルフ家”が通例なのでしょうか? (Apr. 29. 2001 )
ゲルと言うと、何だかカエルの鳴声みたいで気味悪い感じがしますが、ゼラチンや寒天、プリン等でお馴染みのものですから、子供や老人の好きな(いやいや、貴方だって好きに違いありません)プリプリしたおいしいものに使われています。
しかし、それだけではありませんよ。私のジョギングシューズの踵にも入っていて、アスファルトやコンクリート等の固い舗装道路を走る時に、ひざに掛かる衝撃を吸収しています。私は、なるべく土の道を選んで、舗装されていない田圃とか山の畑の道を走るように心掛けていますが、そうもいきません。
最近は、田圃や山道でもお百姓さんの軽トラックのために舗装したり、さして必要でもないのに山を削って、広域農道と言う名で立派に舗装した道路がここかしこに造られていて、自然の土の道を探すのは至難の業で、仕方なくこのような構造のシユーズで足や膝関節を守るしかありません。
それはさておいて、長田研究室では、人体(ほとんどプリン体なんだそうですが…)の軟骨などに応用できるような有機高分子のゲル材料の研究をしています。従来のゲルは耐久性に劣るため、それらを応用することは難しかったのですが、最近では、非常に耐久性の高いゲル材料が得られていて(作り方はヒミツだそうです)、軟骨がやせてきて障害となっている私たち老人や、ケガの多い運動選手などに福音をもたらす日も近いかもしれませんね。( Apr. 25. 2001 )
それからが大変なんですよ! マイラインセンターに問い合わせたら、「さあ、わかりません。何しろNTTからしか通知が届いていません。日本テレコムに尋ねて下さい」と言うことで、教えてもらった日本テレコムに電話を入れたところ、混雑していて通ぜず、「しばらくお待ち下さい」の繰り返し、これがテープの案内だからケンカになんないッ!
待つことしばし(この間、電話は繋ぎっぱなしで立ちん坊)、やっと繋がったと思ったら、また自動テープの案内! やっとのことで担当者に繋がったが、「さあ、登録は、全部日本テレコムになっていますよ! なんなら、もう一度登録のハガキを出し直して下さい」、冗談じゃない! マイラインセンターは、「市内と県内のみの登録しかなく、それもNTTのみです」と言っているんですよ! 私は、NTTと日本テレコムの両方へ、同じ条件で登録ハガキを出したのにですよ! それなら登録を担当している(かどうか知らないが)マイラインセンターへ登録ハガキを出した方が簡単で確実じゃないんですかねぇ?
もう、あきれてものが言えません! 報道によれば、登録作業が大変遅れていて、順当に取扱いできるのはずっと先になってしまうので、混乱が予想されるとのこと。当ったり前だ! 誰がどういう理由で決めたのか知らないが、利用者の事を何も考えていないのだ! IT、ITと騒いでいるが、アイテのことを考えないで、テメエの事しか考えないシステムなんだよね。
ところで、貴方の登録はスムーズに行きましたか? ( Apr. 18. 2001 )
この展示会は、ルノアールの作品を、初期から完成期まで集めて、ルノアールが自分の画風を造り上げるまで、如何に紆余曲折を経てきたかを検証し、陶磁器の絵付け師から印象派の中核を成すまでの足跡を明らかにすると言う、今までにない企画なのです。絵の展示会と言えば、ただ有名画家の有名作品を見るというものでしたが、今回は更に興味をそそる大胆な企画で、そのために時系列的に各地から多くのルノアールの作品が集められていて、プロジュースには大変だったと想像されます。その甲斐あって、とても素晴らしく、興味深く鑑賞することが出来ました。これからの美術展の新しい行き方ではないでしょうか?
先に行かれた方から、大変混雑すると言うことを聞いていましたので、開館時間に合わせて早く行ったつもりでしたが、既に人、人、人の行列で、入館するまで1時間弱かかりました。でも、員数制限があって中はそれほど混雑はしませんでした。しかし、相変わらず、場所柄もわきまえず子供連れでくる女の人もいて、むずかる子に大変迷惑でした。お母さんとしては、小さい内から美術に親しみ、情緒の発達を期待しようと考えるのでしょうが、自己中心的にならず周囲への配慮をしたいものですね。言葉もろくに話せない幼児に美術鑑賞などは、とてもムリなのではないでしょうか?
それだけではありません、見に来ている人の大半は高齢者で、それもおばあさん連中が多いのです。なかには招待券を貰ったのでやってきたとかで、既に招待の期日が過ぎているのが多く(細かい文字なので気付かないのです)、整理員の方に注意されて初めて気付く人がほとんどです。まさかここまで来て帰るわけにも行かずお気の毒でした。何しろこれからは高齢化の時代ですから、展示場ももっと高齢者に対する工夫が必要ですね。
何はともあれ、展示作品は素晴らしいの一言で尽きます。確かに、初期の写実的な絵画から、ルノワール独特のソフトなタッチへと変化し、更に色々に変化し、自分の画風確立に向けて悩めるルノアールが、1900年代に入って「ピアノを弾く少女たち」でルノアール自身の作風の完成に至りますが、しかし、むしろ色使いの妙からいって、私などは、1875年から1879年までに描かれた「ルグラン嬢」の青いスカーフや、「牧神の宴」の幻想的なタッチに、わずかにちりばめたバラの赤い花と空の青が引き立てる色彩が良いですねぇ。貴方の好みは如何? ( Apr. 13. 2001 )
ラーメンと言えば、誰でも一家言あるのではないでしょうか? しかし、TV番組の“ラーメン王選手権”の6代目チャンピオンと言いますから、これは並みのラーメン好きではないのです。同好の士とバスをチャーターしてラーメンツアーを組むほどの熱の入れ様で、一日に最高7杯、平日には朝昼1杯、土日は昼2杯、夜1杯のラーメン三昧だそうですから、ラーメンが洋服を着ているようなものですねぇ!
ラーメンを食する時は、スープや麺の味はむろんのこと味付け卵の色の濃淡や半分サイズか1/4サイズかといったことや、チャーシューの色や形、歯触り、ノリの切り方、更には店主の手の動きや表情も観察する綿密さだ! うまいラーメンは見た目も美しいといいますから、やはり、れっきとした料理の内なのですかねぇ? 店主との会話も重要で、「人柄も味のうち」と言うことだそうですょ。研究論文の中にもラーメンが出てきそうな気がしました。( Apr. 11. 2001 )
野茂投手の初登板でのノーヒット・ノーランにスタンドは再びトルネード旋風が巻き起こりました。負けじと、新庄選手もこれはとビックリするようなファインプレーの連続での活躍振りです。伊達男の彼はアメリカでもファンを引きつけそうですねぇ。契約金で無理せず、リラックスしているから良いのでしょう。
国内では、阪神がこりゃまた最下位スタートかとよもやの対巨人戦の3:17で、“ラグビーじゃないんだぞッ! しっかりして〜や、野村はん、後はおまへんよッ!”と思わずどなってしまいましたが、その後は盛り返して、巨人と同率2位とガンバっているので、ホッとしています。巨人ファンのみなさん、お互いガンバリましょうね!(阪神なんか目じゃあないって? こりゃあ失礼っ!)しかし、天災と優勝は、忘れた頃にやってくるょ。 ( Apr. 7. 2001 )
何しろ、世はIT時代だとかで、市役所までが市民へのパソコン教室でおおわらわです。街を歩けば、携帯電話にしがみついて闊歩する女学生で一杯ですし、我遅れじと、おばさん連中も手にした携帯電話をひけらかしています。何を電話しているのかと耳をそばだててみれば、
「今、○○行きの電車の中ょ! あと10分で駅に着くわ!」
そして、また別の所に掛けたと思ったら
「(子供らしい相手に)あんた、今どこにいるの? そう、わたしは電車の中よ! じゃあね!」
何のことはない、アリバイ証明か? 世の中は深刻な経済不況だと言うのに、庶民は平和ですねえ! ( Apr. 1. 2001 )
最近、私は足柄上郡の柔道協会から協会史を作成する為の写真などの資料を提出して欲しい旨の依頼を受けました。もう昔の事とてほとんど記憶がありません。(40年前ですからねぇ)確かに県大会などの出場の記憶はありますが、ほとんど覚えていないのです。唯一覚えているのは県総体で、青年大会(25才まで)に出場して、現役を退いたことしか覚えていません。そこで、独身時代の日記を調べて見ることにしました。この日記は、結婚する際に、過去の記録として封印してしまいました。不都合な(?)写真は全て焼却してしまいましたが、日記は封印して残してあったのです。
写真を探すのはそれほど難しい事ではありませんでしたが、日記を調べるのはたいへんでした。1日づつ調べなければなりません。しかし、それによって、色々な過去の事実が明らかになりました。柔道についても記憶にあるよりもはるかに多くの対外試合に参加していることが分かりました。柔道以外にも多くの青春の経験が明らかになりました。特に恋愛(片思いも含めて)の経緯が明らかになりました。不思議なことに、これが自分の記憶と著しく異なっていることに戸惑いました。自分の記憶には鮮明な恋愛感情が、日記には全く違う相手に対する感情が述べられているのです。
記憶が如何に曖昧なものであるかを初めて知りました。年が経てば、それによって自分に都合の良いように記憶が書き換えられるのではないでしょうか?
薬害エイズ裁判で、問題になっていた阿部教授の責任が問題になっていたにも関わらず、東京地裁で無罪の判決が示されました。判断の根拠はともかく、裁判が長期にわたる為に、事実が次第に曖昧になってしまうことは否めません。原告の川田さん達の感情は思い余りあると思います。司法改革の狙いがここにあると思います。あまりにも長い裁判が、真実を闇の中に隠してしまっているのではないでしょうか? 記憶が薄れない内に判断をしなげれば正しい判断が出来ないような気がします。
今回、私事ながら過去の記憶と記録とを比較して見て、意外な結果にビックリした次第です。記憶とは、時を経れば非常に曖昧なものになるものなのですね?( Mar. 30. 2001 )
大きな地震があると、我が家も大急ぎで地震対策を始めるわけですが、実際には、どこをどうやれば安全になるのか良く解りません。何しろ倒れそうな物を、壁に取り付けたり、ヒモでくくり付けたりするわけですが、肝心の居間や台所などの、常時居る場所の対策が大変難しいですね。第一に冷蔵庫や食器棚は、しょっちゅう開け閉めするものですから、扉が開かないようにするのが大変厄介です。折角ロック金具などを着けても、面倒がって使ってくれません。テレビやオーディオラック、スピーカーボックスなども地震が来ると危険ですが、これを固定する方法が見つかりません。ピアノやエレクトーンもそうです。パソコンなども始末におえません!
タンスは固定しましたが、タンスの上にはいろんな物が乗っかっていて、収納下手な女房殿は“家が狭くて、収納箇所が少ないから仕方ないのよ”と平然としています。何しろ、地震だと感じたら、真っ先に安全な廊下か、トイレや風呂へ駆け込むしかありません。ヘルメットは玄関に掛けてあるので、先ずそこまで行ければ何とかなるでしょう。その前に倒れてくる戸棚などで行く手を塞がれたらお終いですね。それよりも、ダム(丹沢湖)が決壊したらどうしよう? 逃げる暇も無いでしょうね? やはり、脱ダム宣言は正しいかな? 田中さん、ガンバってね!
考えれば、考えるほど、危機管理は頭が痛いですね。モリソバさんの気持ちが分かりますよ! 何てったって、ゴルフ場なら安全だものね! もう考えるのも面倒だッ! その時は、その時だ! 成るようにしか成らないさ! と言うことに落ちつきました。ところで、貴方のところは大丈夫ですか? ( Mar. 26. 2001 )
日本では、あまり大きな恐竜の化石は発見されていないそうで、これが国内最大の物となるだろうとのことです。白亜紀といえば、肉食の大型恐竜ティラノザウルスが最も有名?ですが、草食では、鎧をまとったアンキロザウルス、角を生やしたトリケラトプス、二足走行のイグアノドン等がよく知られていますね。恐竜については、元怪獣博士の私の長男の解説が必要ですが、私も恐竜は大好きでしたから(怪獣ではないですぞ!/本当かな?)一緒になって恐竜の本を探したものでした。(もともと頭が幼かったんだよな)
旧ソ連や中国も恐竜類の化石の宝庫ですし、アメリカのニューヨークの自然歴史博物館(American Museum of Natural History)には、目を見張るような多くの恐竜の化石の復元展示があり楽しむことが出来ます。ご存知かも知れませんが、小田原の入生田(いりうだ)にある県立生命の星・地球博物館もなかなかのものですよ。
石器の発掘調査は、何処かの素人インチキ考古学者のお陰で興味が半減してしまいましたが、生物の化石は、これからも私たちに多くの夢を与えてくれそうですね。それに、その昔、少年たちをとりこにした映画「ゴジラ」の中の怪獣たちや、戦う「仮面ライダー」、「ウルトラマン」などとモスラ、ガメラ、バルタン星人など懐かしく思い出されますねぇ!(やっぱり、幼いなあ!)( Mar. 20. 2001 )
ここのところテレビでの話題は、モリソバさんの進退問題と、えひめ丸の事故原因究明、そして花粉症です。なにしろ、全国の花粉症患者は1300万人もいて、その医療費だけでも2200億円と推定されていますから、花粉症での仕事の能率低下など併せて考えれば、国家の重大事項と言っても当然ではないでしょうか?
杉花粉については、戦後の復興の為の木材生産のために、成長の早い杉の植林が大々的に行われた結果、全国の山々が杉の木で覆われたと言われています。そのために杉花粉症は大変な問題になっていますが、茨城県の材木育種センターでは、福島から愛知までの750種の杉を調査して、花粉の少ない杉を育成し移植しようと考えているそうですが、今の杉と代るまでには20年もかかるそうで、その頃には花粉症の私はもうこの世にいないのではないかと心配しています。
ところが花粉症の原因の一つに、やはり自動車の排気ガスなどによる大気汚染が関係するそうで、マウスの実験では、高い濃度のディーゼル車の排気ガスを吸わせたマウスは、そうでないマウスと比べ、7倍ものクシャミをすることが解りました。国立環境研究所の小林さんの話しでは、大気汚染物質で目や鼻、器官が過敏になるのではないかと言います。それゆえ、アレルギー疾患を低下させるには、大気汚染を減らすことが重要なのです。
東京都をはじめ、首都圏の神奈川、埼玉などでディーゼル車などの自動車の運行規制など、大気汚染に対して環境改善に力を入れ始めていますから、それが効を奏すれば、花粉症も軽減するのではないかと期待しています。( Mar. 14. 2001 )
「ど忘れのメカニズム」。日経新聞の日曜版の解説に、これだッ!と思わず飛び付きました。
東大医学部の宮下教授によると、情報を直ぐに取出せない一つの理由として、脳に情報をしまう時と、引出す時の記憶のメカニズムが異なるからだそうです。
記憶する時は、大脳の側頭葉の一部の海馬と情報を格納する新皮質が相互にコミュニケーションを取りながら記憶する。それに要する時間は0.01秒だそうですが、思い出す時には、海馬や新皮質に加えて、前頭葉から信号が出て新皮質の記憶情報を検索して引出すのだそうですが、それには0.3秒かかると言います。それだけではなく、情報が分散していたり、類似情報があったり、関係の無い情報が邪魔をしたりしていて、なかなか目的の情報にたどり着けないことがあるのだそうです。その上、神経回路に新鮮な養分を補給する血管が詰まっていたりすると、記憶が速やかに伝達しない状況が生まれるのだそうです。
では、ど忘れを防ぐにはどうすればよいか? 宮下教授は、次の5ケ条を挙げています。
@ 動脈硬化の防止。やっぱり老化防止が重要だ。結局一番良い方法は、規則正しい生活で、良く運動し、食事に気を付け、血液の流れを良くして、常にリラックスして、頭の回転を柔軟にして若さを保つってことなのだ! お粗末でした! ( Mar. 10. 2001 )
A リラックスすること。睡眠不足やストレスで脳を疲れさせないことだ。
なるほど、深呼吸と瞑想によって「気」が出てれば良いのだ!
B 繰返し。メモをとって何度も読み返し、文字だけでなく連想すること。
C 柔軟性。これも老人になると頑固で融通がきかなくなりますからね。
色々な角度から起想する訓練。語呂合せや顔の特徴、関連するイメージなど。
D コンピュータで補完。パソコンや情報端末でデータベースを検索。
こりゃあ老人には無理か? いつまでも若くでいないとダメってことか?
@ 図書館ボランティア等だそうです。@,A,E,Fなどは、格好良くていいですね。B,Cは、これがボランティア? とも感じますが、Dの点訳なども、パソコンと専用ソフトを使うというものですから、手でポツポツ紙に凸を打っていくのとは違って、やはり楽で格好良いんですねぇ。私の妻は、手でポツポツ、市の広報などを点訳していますが、実際、市内の視覚障害者で点字が読める人はたったの8人なのですよ。しかし、毎年、点訳ボランティアの希望者は多いそうです。だから市も中止できないんでしょう。点訳ボランティアの希望者に、点訳方法を指導するのがまた大変らしいのです。点訳が得意だからボランティアに応募するんじゃないんですね。それに手で打つのは相当な重労働ですよ。本当は、楽で格好いいボランティアはあまり必要無いんですよね?
A 美術館、博物館、動物園ボランティア
B 使用済み切手などの収集(医療援助に使う)
C 献血
D 点訳
E パソコンボランティア(パソコンの扱い方を教える)
F 社会教育施設・公民館への協力
G 中古衣料の再生(難民キャンプなどに送る)
H 音訳・朗読(点訳の代りに録音してテープを提供する)
I ホストファミリー(留学生などの受け入れ)
市内にあるN会社の従業員の方々は、毎早朝、市内の道路の清掃、バス停などの清掃を長年続けられていて頭が下がります。その上、定期的に市内の小学校の便所掃除にも出向かれていると言いますから、益々感心してしまいます。3Kな仕事をボランティアでやると言うのは、なかなか勇気がいりますし、続けることは大変です。結局、前記のような楽で格好が良くて、他人に“ボランティアやっているのよ!”と自慢(?)できるものが選択されるんですよね。ひょっとしたら手当て(ボランティア代)も支給されるものだったりして…。それが悪いとは言いませんが、“ボランティア”というのも何だか考えものですね。( Mar. 6. 2001 )
それはそうとして、今や女子高校生だけでなく、中学生や小学生まで持つことが当たり前になった携帯電話の電話料金の負担に、親達は大変らしいですね? テレビで街頭インタビューをして、子供たちの1ケ月の通話料を聞いていましたが、1ケ月5万円と平気で言うのにビックリしました。それも、ほとんど親が支払っていると言うのです。自分でバイトで稼いでいると言う女の子もいましたが、一体何のアルバイトでしょうね? 心配になってきました。勉強しないで電話代の為だけに毎日アルバイトに精を出しているのでしょうか?
女の子に言わせれば“ケイタイ命!”だそうで、“ケイタイが無ければ生きていけないッ!”んだそうです。いつもケイタイで話しをしていないと落ち着かないんだそうです。授業が成り立たないのもわかるような気がします。それだけ親とのコミュニケーションが無くなってしまって、愛情欠乏症に陥ってしまっているんではないでしょうか? そう思いません? インタビューを受けた子供たちのほとんどが親との会話が無いと言ってました。もっと子供たちを大切に育てて欲しいですね。少なくとも中学生になるまでは充分な愛情と対話がほしいですね。男の子は特に父親との対話が大切です。( Mar. 3. 2001 )
しかし、皆が同じ顔になってしまっては、どれが自分だか分からなくなってしまいますよね? しかし、同じ美人でも役者や俳優の顔には個性が有りますよね? これには、役者自身が個性を演出する為に、わざと顔を歪めて非対称にして、役柄に応じた魅力的な顔を造るというのです。だから、年令を重ねていくと、その人生経験が顔に現れるということが言えます。人と人とのコミュニケーションでの顔の表情が重要なのは、心の中が顔の表情にすべて表出されるということでしょうか? 良く観察してみると、確かに同じ笑顔でも、無心の笑顔は美しいが、心に陰のあるつくり笑いは、顔に歪みが現れていることに気づきます。特に、口が曲るのが分かりますよね。
現代でのコミュニケーションが、顔の必要以上の化粧(殊に、男まで化粧に憂き身をやつす時代だ)や、顔の無いインターネットや携帯電話でのバーチャルな、しかも言葉も不要なコンピュータ文字に頼っていることに、コミュニケーションの危機を感じていると述べられています。( Feb. 27. 2001 )
演奏は、益々円熟してきて、更に繊細さを増したような気がします。ブーニン以外はピアニストじゃないような気がしてきました。聴いていて疲れないんですよ! タンノイのスピーカーのせいでもないのでしょうが…。( Feb. 25. 2001 )
実は、目の病気についてお話するつもりではなく、この雑誌がとても良く構成された読んで楽しい内容を持っているからご紹介したくなったからなのです。
例えば“21世紀への期待と決意”と題して、色々な方からハガキで寄せられていて、
画家の堀文子さんは、
“日進月歩の科学技術を追い、あくなき欲望充足に向かって人間がどこまで暴走するのか、心の痛む二十一世紀です。人も鳥や獣と同じ生きものだということを気づき、手、足で働き、体全体で考え、喜び、嘆く心を持つ、つつしみ深くひかえめな人間の生きる世の中を取り戻したいと思います。”
と述べられています。
また、ホスピス医の森津純子さんは、
“歴史を振り返ると、いつの時代も争いと平和は変わらぬテーマであった。
21世紀、文明の発展により、得るものもあれば失うものも多いだろう。
しかし、変わっていくことをおそれず、ありのままの時代の姿を見すえていきたい。”
と述べられています。なるほどと思う。
また、随筆欄では、東 理夫さんは
“パソコンをめぐる インターネットの便利さ・恐さ”を、私と同様に感じておられます。
そして、美術、絵画について評論があると思えば、
“野菜をおいしく 早春の食卓”で料理のページが現われたり、
“衿つきカーディガン”で編物があったり、
“こどもの季節”で絵話しがあったりして結構楽しめてしまう。
はたまた、“♪♪春の小川はさらさら行くよ〜♪♪”の楽譜が現われたりすると
ますます、子供の昔にかえってニコニコしてくる。
そうかと思うと、“漢詩を味わう 李白と杜甫、それぞれの長江”で、
「朝に辞す 白帝 彩雲の間…」ご存知の“早に白帝城を発す”である。これに対する杜甫の“登高”、「風急に天高くして猿の鳴くこと哀し…」である。二人の詩の明暗を解説するを読むにいたって、思わずうなってしまった。
妻も言う通り、これはなかなか面白い。大人のオモチャ箱のようだ。
上村淳之さんの表紙の「オシドリ」の絵もなかなかである。ほっと心がなごむようだ。( Feb. 20. 2001 )
以前から一度見物したいし、苗木を手に入れたいと思っていましたので、今回ツアーの募集があったので、早速応募して行って見ました。ところが、今年は例年になく寒波のために開花が遅れ、残念ながら、ほとんど開花しておらず、蕾の花見となってしまいました。幸い暖かい良い天気に恵まれたので、出店で賑わう桜並木を逍遥することが出来ました。
河津桜の発祥となった原木(老木)は、幸いにも5分咲きで、おまけに甘酒の接待にありつけましたので、来た甲斐がありました。お礼に、当家のおばあちゃんを初め曾孫さんの可愛いお嬢ちゃんまで、チェキ(富士フイルムのインスタント写真)で撮影してあげました。おばあちゃんは、どうしても桜の花と一緒に写して欲しいと言うことで、逆光でしたがどうにか写真にすることが出来、とても喜んでもらえました。
欲しいと思っていた河津桜の苗木も、小さいのを1本買ってきました。5年もすれば、自宅の庭に河津桜が咲くのを見られるのではないか(?)と楽しみにしています。後は、彼岸桜と染井吉野あたりを1本づつ欲しいものですね。(そんなに植える場所有るの?/いやあ、それが悩みのタネなんだょネ)
やはり、日本人には、桜との縁は切っても切れないものですね。その昔見た、ワシントンの桜で有名なタイダルベイスンの湖畔の桜の木を思い出しました。
河津桜の開花はもう少し遅くなるようで、また寒さがぶり返すようであれば、3月に入ってからが見ごろではないかと思います。JRの踊り子号で行けば、河津駅で降りてすぐ近くが桜並木なので、1時間もあれば桜を堪能できます。お店も桜並木に沿って沢山出ているので、お菓子から海産物までお土産には困りませんよ。
河津桜を世にだし、町の観光資源のために町が企画して、町中が一体となって町興しに努力している姿を見て、我が市政の貧弱さに改めて考えさせられた。既にあった市民が楽しんでいた桜並木を、老大木だから邪魔だと伐採し、あまつさえ運動公園を造る為に、観梅を楽しんでいた梅林さえも伐採してしまう神経が知れない。それに対して反対もしない商工会もこれまた無能、無策と言うよりほかない。隣町では、田んぼの周りにアジサイを植栽して育て、“アジサイ祭り”のイベントを企画し、小田急線の特別列車が近くのローカル駅に停車するまでに発展して、町の活性化に寄与している。トップのメセナ感覚の相違が、町を豊かにもし、衰退もさせる。国の政治と同じだ。はたして貴方の町は活き活きしていますか? ( Feb. 18. 2001 )
時よ きょうも朝を贈ってくれたね 光の縞に 鳥の声を添えて わたしは「おかげさまで」と つぶやくだけですという詩を書かれたそうですが、これは、“美しい日本語を大切にしたいというメッセージ”なのだそうです。
明けましておめでとうございます!