tommyさんのつぶやき2005年前半

 日経新聞の「交遊抄」欄に、NHK会長の橋本元一氏が“ぶらずにらしく”ということを書いておられますが、これは中学校を卒業する時に、校長先生の祝辞の中に「〜ぶる」と「〜らしく」ということで、良く似ている語ではあるが、「〜ぶる」は独善的な振る舞いを指し、「〜らしく」は相手の立場や気持ちにたった謙虚な行動につながる、と解釈して肝に銘じている。と述べられています。

 “謙虚”という言葉が既に死語になっているように感じるこの頃ですが、“偉ぶる”、“知ったかぶる”、“鷹揚ぶる”、“利口ぶる”、“上品ぶる”などの「ブル語」は益々大繁盛で、それを聞かされるたびに辟易してしまう。
「私は、貴方よりこんなに博識で、能力もあって、何でも出来るし、お役人や地域の知名人にも知り合いが多いのよ!」と見せ付けられる度に、“偉い”というのは、自分が判断を下すことではないのではないかと、思わず相手の顔をマジマジと眺めてしまいます。

 誰も、無理に謙虚になれとは申しませんが、相手より一歩下がって話しを聴いたり、意見を述べたり出来ないものかと、常々心がけてはいますが、“ありがとう!”と感謝し、“貴方の為に、みんなの為に”と奉仕する心と、そして、間違った時には“ごめんなさい!”と素直に言えるような自分になりたいと思っています。
他人と比較して“自分の方が優れている”と思わないと生きて行けない社会は、ギスギスした競争と欺瞞の社会で、寂しい空虚な世界なのではないでしょうか? 
 貴方のお陰、皆様のお陰で、生きていけるのだし、成長させてもらっているので、いつも“有難う御座います”と感謝する日々を過ごしたいと思います。人が“人らしく”生き、

   ミンナニ デクノボート ヨバレ
     ホメラレモ セズ
   クニモ サレズ
   ソーユー モノニ
   ワタシワ ――― ナリタイ
と思う今日この頃です。( Jun. 28. 2005 )


 「潮」7月号(潮出版社発行)は、創刊45周年記念号として“平和への構想 平和への対話”の特別企画が組まれています。

 わが国の長崎、広島に原爆が投下されて、太平洋戦争が終結してから、今年で60年になります。60年といえば人間の還暦に当ります。還暦というのは、人が一生を終えて、再び新しい人生を歩み始めるための人生の最大の節目です。世界で唯一、原爆の恐ろしさ、悲惨さを知って、二度と戦争を起こさない、戦争に荷担しないと、新憲法の第九条に“戦争放棄”を掲げました。平和の大切さを世界にアピールできるのは日本しかないのです。

 ところが、戦後60年も経つと、原爆の無差別殺人や国土の完膚無き破壊を通しての、戦争の悲惨さ、空しさの感覚が薄れて来つつあるように感じます。特に小泉内閣になってから、その感覚がじわりじわりと浸透しつつあるように思えます。イラクへの自衛隊の派遣は、アメリカのイラクへの無差別爆撃による破壊・殺戮に対して、それ以前の武力阻止を怠って、人道・復興支援などとは欺瞞も甚だしいのではありませんか? また、憲法改正によって自衛隊の憲法上の解釈や活動範囲を広げようとする風潮は、世界が日本に期待する原爆被害国としての世界平和政策に対して水を差すものではないかと思います。

 本誌の特別企画では、日本紛争予防センター会長、明石康氏の“行動する「平和主義」を”や、中村邦子さんのレポート“悲惨から平和へ―長崎「平和活動」の軌跡”と共に、新連載で創価学会名誉会長の池田大作氏とジョセフ・ロートブラット博士('95年ノーベル平和賞受賞)との対談があります。そして、“夫・湯川秀樹とアインシュタイン博士の遺志を受け継いで”と題して、世界連邦運動名誉会長、湯川スミ夫人の世界平和を目指して活動してこられた経緯が述べられています。
 世界連邦運動は、アインシュタイン博士が日本に投下された原爆の責任を負われて、世界から核兵器を無くす運動を起こして欲しいと湯川博士夫妻に提案されたことから始まっているのだそうです。私たちの所属する環境と平和を目的とするNGO“ネットワーク『地球村』(高木善之代表)”でも、同じような運動「地球市民国連」を提唱していますが、湯川夫人の「世界連邦運動」の方が先だったのですねぇ! それにしても、未だに世界平和とは程遠いのが現実で、政治は無力だったのでしょうか? それとも、アメリカのように自国の国益優先主義で、戦争によって利益を得ることに専念していたのでしょうか? 実際には、世界機構である国連が正常に機能していないのかも知れません。日本が国連常任理事国入りしたら? さて、どうでしょうかねぇ?

 世界平和が実現しない原因の一つは、私たち市民が平和に対して意識が低く、戦争や紛争だけ、あるいはテロ行為だけが平和を阻害している原因だと考えているからなのではないでしょうか? 世界から貧困を無くし、疫病を無くし、宗教の対立を無くし、地震・旱魃・洪水などの被害などを軽減するために、国境を越えての取組みが必要で、誰もが安全で安心して暮らせる平和な世界にすることが重要なことではないのでしょうか?

 むろん口では簡単ですが、お互いが話し合い、手を差し伸べあって少しづつ良くして行くしかありません。国益に固執せず世界と共生していくことが大切です。現在は大国の利益が優先していて、貧しい国は更に虐げられているような気がしています。

先ず、世界中の子供たちが安全で安心して暮らせる世の中にするために、unicef(国連児童基金)やフォスター・プラン協会への協力や支援が必要です。先般発生したスマトラ沖地震・津波災害の緊急募金への報告が届きました。unicefでは、2,799,430,567円の義捐金(3/15現在)が寄せられたそうです。フォスター・プランからは、引き続いて復興支援の依頼がきています。私のフォスター・チャイルドはボリビアにいますが、現在ボリビアは政情が悪化しており、大変心配しているところです。
いずれにしても、ぜひ本誌を熟読玩味して平和について、よ〜く考えてみましょうょ!( Jun. 10. 2005 )


 久しぶりに旅行に出かけました。何しろ不精なものですから、余程のことでないと腰を上げません。今回は女房にせっつかれて、2年ぶりに以前から一度は行ってみたいと思っていた“鳥取の砂丘”と、世界一といわれる13,000坪の日本庭園を有する“足立美術館”(横山大観の絵の収集でも知られていますが…)そして股覗きで有名な“天の橋立”をセットにしたツアーに参加しました。

 砂丘は、日本のボランティアによる中国のクブチ砂漠の緑化という環境問題もありますし、お釈迦さまの教えの原点を求めて玄奘三蔵法師が、仏教伝来のインドまで砂漠を越えて苦難の求法(ぐほう)の旅をした曰くもありましたので、厳しい砂漠の現実と風紋の美しさを知りたいとも常々思っていました。しかし現実の砂丘は、草がはびこって次第に侵食(?)されつつあり、また住民から砂嵐の被害を守る必要もあり、砂防林をめぐらすことで次第に砂丘の地域が縮まってきています。美しい風紋など無く、大きな砂山に、大勢の観光客の無数の足跡を見るだけで、なんともお粗末でした。しかし、観光用に、本物のラクダが2頭、お客を乗せてゆったり巡っていました。むろん私は、素足で熱い砂に足跡を残しながら、テクテク、海の見える頂まで苦労して歩き続けるしかありませんでした。

 “天の橋立”は、話に聞いてはいましたが、なぜ股覗きをするのか不思議に思っていましたので、その真相を知ろうと思っていました。何のことはない、ケーブルカーで小高い山の上に登って、お立ち台に上がって股の下から“天の橋立”を覗いて見るのです。何か特別のことでもあるのかと、同時にカメラを構えて逆さに撮ってみました。何てことはありません。当たり前です。逆さに映るだけです。
実は、股覗きすると水平線が上になって、ちょうど“天の橋立”が天にかかる橋のように見えると言うのです。だからカメラを逆さまにして撮ったのでは、天地が逆になって意味が無いのでした。名勝地に観光客を呼び込む戦略も大変ですねぇ!

 “足立美術館”は、さすがに付近の山の景色までも借景にした、雄大な庭園でした。沢山の庭師たちが樹木の手入れに余念がありません。庭を見ているのか、庭師の仕事振りを見ているのか、庭師までが風景の一部なのでしょうか?
美術品もみんな素晴らしいものばかりです。しかし、私も女房も、普段からヨーロッパの、それも印象派の絵画を見るのが趣味なので、日本画はそれなりの印象でした。

 ところで、今回のツアーでは私達と同様の中高年、いやお年寄りの人達が多いわけですが、特におばあさんグループの傍若無人さには眉をひそめました。観光の列の割り込み、見学している目の前の横断、先を急いで押し合い、嬌声、記念写真の席の取り合いなど、何とも浅ましい振る舞いです。ひどい時は、ホテルで私がエレベータを降りようとしたら、まだ半分しかエレベータから出ていないのに扉を閉めるボタンを押すのです。無論私は締まるドアに挟まれて怪我をするところでした。それでも“ゴメンナサイ”の一言もないのです。これが特別ではないのでしょう。日本列島全てに蔓延している現象なのかもしれません。

 最近の若いお母さんがたの態度の悪さ、子供の躾の悪さを云々していますが、元はと言えば、またその若いお母さんを育ててきた私達、中高年、特におばあさんの躾の悪さが原因なのではないでしょうか? いくら教育改革をしたって、もう手遅れのような気がしてきました。“ありがとう”、“ごめんなさい”の言えない世代が、それらの子供を育ててきたのです。謙譲が美徳の日本ではなくなってしまいました。周囲への気配りも全くありません。自己中心の人間が増えているのです。

 それに、一般人だけではありませんょ。中国や韓国などの世論も無視して、多くの国会議員も憂慮している靖国神社の参拝を強行する小泉首相も、それと同じではないでしょうか? 小泉さん自身は悲惨な戦争体験はありませんからねぇ! 日本が、世界の中で、特にアジアの一員として協調していくことは、外交上とても重要なことですし、国内でも、公約した郵政民営化を、何が何でもゴリ押しすることではなく、国民全てに優しい政治を、国会で協議して進めることが大切なのではないでしょうか? 口では議論を尽すようなことを言ってますが、実際は問答無用ですからねぇ。

 最近、「人生を変える言葉 ありがとう」(野坂礼子著 PHP研究所刊)という、とても素晴らしい本を見つけました。
野坂さんは、カウンセラーで『笑顔教室』の代表です。多くの講演や研修に携わっておられます。“笑顔と感謝の気持ちが幸せをもたらします。なかなか心から笑顔になったり、感謝の気持ちで“ありがとう”とは言えません。最初は形だけでも良いのです。毎日繰り返しているうちに、本当に心から言えるようになります。”とおっしゃっています。

 この本には“ありがとうの歌のCD”が添付されています。毎日、CDを聞きながら一緒に“ありがとうの歌”を唄います。本当に幸せになりたかったら、毎日1000回以上“ありがとう”を唱え続けると、意識の中に“感謝の気持ち”が組み込まれてきます。どうか貴方も、この本に出会って幸せになって下さい。私も、私の子供たちに、この本を1冊づつ贈ることにしています。

 “ありがとうの歌”の一節をご参考までに転載させてもらいます。

   「ありがとう」って“つぶやくと”
   無限の無限の“安らぎが いっぱい 生まれる”
   ありがとう ありがとう ありがとうございます
   ありがとう ありがとう ありがとうございます    無限の無限の ありがとう ありがとうございます
           …… 
   「ありがとう」の言霊(ことだま)で    心に 感謝が 満ちあふれ    笑顔が いっぱいの 私になる    笑顔が いっぱいの あなたになる
   笑顔が いっぱいの 暮らしになる    笑顔が いっぱいの 日本になる    笑顔が いっぱいの 世界になる    ありがとうございます
  「ありがとう」は光  そして「ありがとう」は愛
 世界中が平和で、全ての人々が幸せになるように、毎日、午後1時、6時、10時の各前後2分間に一斉に“ありがとうございます”を唱えましょう! と野坂さんは提唱しておられます。貴方も是非ご参加下さい。( Jun. 8. 2005 )


 テレビ用として待望の、有機ELによる大型ディスプレイが開発されました。
日経新聞によりますと、開発に成功したのは韓国のサムスン電子で、1枚の基板で40インチの大画面を実現したもので、世界では初めてだということです。先に40インチを発表したセイコーエプソンのものは、4枚のパネルを組み合わせたものでした。

 テレビの大画面化は競争が激化しており、液晶とプラズマの争いでしたが、もしも有機ELで価格や消費電力が低下すれば、またまた競争が厳しさを増すに違いありません。元々、有機ELの開発は日本の独壇場だと考えられていましたから、先に韓国に主導権を取られたのでは面子が丸つぶれです。
シッカリしてぇや、日の丸技術陣!! ちっちゃなケイタイのディスプレイで安心したらアカンでぇ! 32インチで、消費電力100W以下の有機ELテレビ、頼んまっせッ!!! ( May. 21. 2005 )


 イラクの過激派テロ集団との撃ち合いで邦人が負傷し、誘拐(拉致?)されたとか? で大騒ぎになっていますが、日経新聞によると、何とその該当者の斉藤昭彦さんは、英国系警備会社ハート・セキュリティー社の社員で、元自衛隊員で、その後フランス外国人部隊に傭兵として21年間所属していた、軍曹というれっきとした兵隊であったことが判明した。

 今回の事件の背景や詳しい状況及び斉藤さんの生死や所在は明らかになっていないが、日本政府は、高村外相をアルジャジーラTVに出演させ、斉藤さんの安全救出を訴えている。何とも不可思議なのは、日本の自衛隊がイラクの復興人道支援活動に貢献しているので、日本人である斉藤さんを解放して欲しいと訴えているらしいことだ。
 丸腰のボランティアであった高遠奈緒子さんや今井さん、フリーカメラマンの郡山さん達が、イラクの反米グループに拘束され、救出した際には、政府は三人の無謀な行動を非難し、厳しい態度で臨んだのに、今回の外人部隊の傭兵であったれっきとした兵隊の斉藤さんの救出には、自衛隊の復興人道支援を全面に打ち出しての過激派テロ集団への呼びかけであり、わざわざ高村外相がアルジャジーラTVに出演してまでもの救出活動です。ちょっと変ではありませんか?

 何も、元外人部隊の傭兵の斉藤さんの救出にイチャモンをつけるわけではありませんが、本来、日本人でありながら外国の傭兵となって戦闘部隊で活躍していた斉藤さんは、日本国籍のまま、傭兵となって戦闘に従事していたとしたら、

日本国憲法
  第九条の@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
        国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
        国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
に違反しているのではないか? もしそうだとしたら、その事実が明らかになれば、それを容認している日本政府は世界各国から批判を受けるし、まして日本の国連常任理事国入りを反対している中国や韓国などの思うつぼではないか?

 その事実を伏せて、イラクへ派遣した自衛隊の復興人道支援活動を声高に強調しての斉藤さんの救出作戦は、憲法を無視した自衛隊のイラク派遣を正当化し、自衛隊の憲法改正を画策する小泉政権の欺瞞でなくて何なのか? 高遠さんたちの救出当時の新聞報道を詳細に調べて、比較してみて欲しい。私たち国民はバカにされているのではなかろうか? それとも私の憶測や勘違いなのだろうか? 今また、大きな問題となっているムリヤリ抵抗官僚排斥して議論を封じる、郵政民営化の土壇場劇もカリスマ首相の面目躍如(?)と思うが、如何?( May. 14. 2005 )


 5月3日の憲法記念日は、憲法改正の論議が沸騰して騒がしい1日ではないかと思っていましたが、郵政民営化の決着がつかず、その陰に隠れてしまったのでしょうか? 大過無く過ぎたようですねぇ!

 昨日の5月5日の子どもの日は、例年の如く孫達がやってきて大騒ぎで暮れました。
“子どもの日”の次は“大人の日”で、私たちの結婚記念日です! 何回目の記念日なのか、もうすっかり関心がありません。孫達との疲れがどっと出て、朝寝坊です。天気も崩れそうなので、朝の内に“防犯ボランティア”の巡回に出かけました。これは、市の防犯ボランティア“暫く金時隊”に志願したのです。

 私たちの自治会は470戸余りありますが、今のところ防犯隊員は私と女房の2人だけですので、自治会を全て巡回すると1時間はたっぷりかかります。健康のためには良い運動ですがねぇ。自治会の他に、公園を2ヶ所、小学校、中学校、高校の周辺も巡回することにしていますので、1時間半以上歩く時もあります。さすがにくたびれて暫くは動けません。“暫く休憩隊”です。

 それ以外にも、1週間に1度“あいさつ運動”として、小学校の低学年児童の送り迎えのボランティアがあります。少子化によって児童は減っていますが、その分、大人が子どもとのふれあいの場も少なくなっているし、子どもの誘拐や痴漢などの犯罪防止も含めて、“あいさつ運動”の必要性が高まっているのでしょう。

 この機会を利用して、道路ですれ違う地域の大人の人達にも、“おはようございます!”、“こんにちは!”と声をかけることにしました。最初は変な顔をされましたが、少しづつ挨拶が返ってくるようになりました。もう少しすれば、相手から先に挨拶される日も遠くないような気がしています。大人が変われば、子どもも変わります。お互いが挨拶できるようになれば、自然に地域全体が明るくなって犯罪も減り、暮らしやすい安全な街になるでしょうね。そんな夢を見ながら、今日も巡回を続けます。( May. 6. 2005 )


 今日は、メーデー、労働者の祭典です。私が入社した頃の昭和30年代のメーデーは労働者の権利を謳歌していましたので、メーデーは華やかで活気に満ちていました。初任給が低くて、私の初任給(基本給)は8,850円でした。8年後の26歳で結婚を決めましたが、その時の給料の手取りが約22,000円でしたので、職場の既婚の先輩女性に、“この給料で2人食べて行けるでしょうか?”とお伺いを立てたものです。何しろ自分1人の給料で女房、子どもを養って行こうと決心していたのですから、今の共稼ぎの軟弱男とはネッから違います。今の男や女(貴方はそうではないでしょうが…)は、共稼ぎしていて遊びに使う金には不自由しないのに、子どもを産むと育てる経費に家計が圧迫されるから、子どもは産まないとか、自分達の自由を妨げられるから子どもはいらないとか、自己中心の人間が増えてきているような気がしています。

 ですから、初任給の増額獲得に“♪♪ ガンバロー! 立ち上がる空に、鉄(くろがね)の男の拳(こぶし)がある、立ち上がる女の拳がある…、闘いはここから、闘いは今から…♪♪”と威勢良くジグザグ行進したものです。要求額獲得の為に、労使交渉の傍聴にも行きました、ストライキもやりました、ピケも張りました。だから、これら先輩の血のにじむような努力が、今の若者達の高い初任給につながっているのです。
 ところが今は、入社しても労働組合に入るのを拒むそうです。高い組合費払って、自分に何の利益も無いからと言うのです。労働者の権利は、給料の増額のためのストライキだけではありません。職場の安全や健康、福祉の充実、人員の適正配置や労働条件、設備の改善、母性保護や育児のための施設・設備の充実など、人としての権利・擁護もあるのです。単に、共稼ぎだから今の給料で十分だと言うことではないのです。

 だから現在の弱体化した労働組合では、サービス残業や理不尽なリストラに対しても、手も足も出なくなっているのです。御用組合と言われる所以です。無能経営者のコストダウン対策に、知らず知らずの内に、余剰人員整理や合理化の名目で、不本意な配置転換、協力工場への出向、単身赴任、不採算部門の身売りに伴う合併・移籍などで、労働条件などが脅かされているのです。

 今更気付いても手遅れですが、目先の利益や自己中心の考えでは良くないのです。先日のJR福知山線の脱線事故ででも、良くお分かりになったのではないでしょうか? それとも、あの事故の責任は運転手の暴走だったとでもおっしゃいますか?

 労働者の権利について、今一度“メーデーの意味”を考え直してみては如何でしょうか? ( May. 1. 2005 )


 大変な大惨事になってしまいました。昨日の通勤時間帯の9時過ぎに発生したJR福知山線の脱線事故は、脱線したカーブの所に大きなマンションが線路際に建っていて、先頭の2両がマンションに激突して、先頭車両はマンション1階の駐車場の中にもぐり込み、2両目は、1両目の上に重なるようにして、マンションの角に“くの字”に押し潰されています。主としてこの2両の乗客の被害が大きくなったのではないかと思いますが、24時間経った今でも、先頭車両の被害者の救出が終っていません。

 現在分かっているだけでも、死者73名、負傷者442名にのぼっています。この列車には約580名の乗客が乗っていたそうですから、被害者はまだ増えるようです。亡くなられた方々にはご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の皆様にはお悔やみを申し上げます。また負傷された方々やご家族の皆様には心よりお見舞い申し上げ、1日も早いご回復をお祈り申し上げます。

 事故が起こるたびに問題となるのが管理のずさんさで、運行上や設備の安全管理、乗務員の勤務体制や教育に、過去の事故の知見が活かされていないのではないかと感じます。特に、人の生命を預かる公共交通機関などでは、運行時間の正確さよりも乗客の安全の方が当然優先するわけで、設備や運行規定が安全に十分配慮されなければなりません。

 事故の原因は確定できてはいませんが、今回の事故でも、運行時間の遅れを取り戻すために速度制限を超える速度で運行していた可能性があり、事故を発生した現場の半径300mの右カーブの制限時速70Kmを上回る速度で突入している可能性もあるようです。
それに、今回のように線路際にマンション等の住宅が接近して在り、脱線した場合等に被害が増大する危険がある場所では、カーブの部分の線路に脱線防止設備を備えておれば、こうも被害が増大しなかったのではないかとも考えられます。以前、営団地下鉄の脱線事故でも問題となって、全面的に見直して改善されたことがあります。
また、線路に設置されていた列車のスピードなどを検知し列車の速度を自動的にコントロールするATC( Automatic Train Control )装置も、スピード超過に対して警報を出すだけで、ブレーキを制御する機能のない古いタイプのものだったようです。

 何にしても、一刻も早く原因を究明して、次の事故を発生させないように、全ての交通機関において確実な安全対策を立てて欲しいと思います。( Apr. 26. 2005 )


 カネボウの粉飾決算が1990年代からあったということで大変衝撃を受けていますが、ここに来て企業経営者の倫理(社会的信義か?)の凋落が極まった感じです。企業の決算に付いては外部の第3者の監査法人によって監査する仕組みになっておりますが、カネボウの監査を請け負っていたのは中央青山監査法人とのことですので、その監査がどのように行われたのかが問題になりますし、問題があったとしたら、中央青山監査法人が請け負っていたその他一般企業の監査結果が、どうなっているのかが非常に大きな問題を含んでいるように思います。

 私達一般人は、企業の経営者、それも一流企業の経営者はCSRの有無にかかわらず、社会的道義に反することは無いと考えていますし、その企業で働いている人達も、社会的にも信用の高い、立派な人が役員や経営者であると信じて疑いません。これは社会通念であり、人を信じることで社会の秩序が保たれているものだと思っています。

 ところが、最近の社会では、その社会通念が通用しなくなってきているのです。これは企業ばかりでなく、政治の世界でも同じです。特に、世相は、政治の有り様を映し出しているのではないでしょうか?
小泉内閣になって、民主主義の原則である多数決の法則が、多数与党という立場を利用して、また最近は、首相権限の行使とも思える問答無用の多数決(野党が審議を放棄して欠席するからだ、と言い訳してしていますが…)が公然と行われています。どちらかと言えば今までの政治がそのような傾向にあり、政治に不信が重なってきていて、私たち国民は小泉内閣が誕生したなら、より良い政治改革が行われるだろうという希望を持っていました。

 しかし、その期待を裏切って、独断と偏見で、国民に対する説明責任も十分に果たさず、審議も尽くさず、質問に対する回答も焦点を逸らして、全く要領を得ないはぐらかしに終始しています。それでも、当の小泉首相は、“ちゃんと答えているではないか、これ以上何を答えよと言うの?”と国民を小馬鹿にしたような態度ではありませんか? そう思いません? テレビの単独インタビューでも、わざとトーンを落として演技力を高めて話しているように見えます。これが小泉内閣の支持率を高めている所以でしょうか? NHKなどの世論調査でも、小泉内閣の支持率は相変わらず良いようです。不思議なことに、支持者の多くは“他の内閣より良さそうだから”ですが、他の内閣とはどの内閣をを言うのでしょうかねぇ? 何となく誘導設問のような気がしないでもありませんが…。

 今回の中国における反日運動の激化についても、小泉政治と無縁ではないような気がします。特に、小泉首相の靖国参拝は、以前から中国の反感を買っていますが、何故か意地ででもやめようとはしませんでした。一国の首相であれば国益を無視してまで、近隣諸国の反感を煽るような言動は慎むべきではありませんか? お国の為に犠牲となった戦没者を慰霊するのも当然とは思いますが、それも時と場合で手段を選ぶべきでしょう。敢えて挑発的な行動をとる必要は無いのではありませんか? 参拝したければ、密かに参拝すれば良いのではありませんか? こそこそ参拝すると効力が薄れるとでも言うのでしょうか? 参拝は、単なるメディアを利用した小泉さん自身のための示威行為だったのでしょうか?

 国会の審議などをテレビで見ていても感じることです。
国会は、法案を超党派で審議をするところで、法案を与党多数をよいことにして、多数決で押し切るところではありません。多数議席を獲得した政党が内閣を構成することには特に異論もありませんが、それを良い事に、少数野党を排除して与党多数決を強行することではないはずです。これこそ民主政治、議会政治を冒涜するものでしょう。
それらを防止するためだったら、与党を構成する国会議席数は、全国会議席数の1/2を超えないことにしてはどうでしょうか? またまた“下手な考え休むに似たり”ですか?

 国会議員は国民の代弁者です。数の多い少ないで差別することではないのです。少数意見を切り捨てることでもないのです。全ての意見を取り上げて議論して、出来る限り多くの議員の意見を集約することが大事です。これは、政治以前の問題のように思いますが…?

 この世に、これこそ正しいと言えることは何処にもありません。みんな正しいのです。夫々の立場で考えて、正しいと信じて意見を述べ、主張しているのです。ですから夫々が相手の立場に立って審議する必要があるのではありませんか? 常に与党と野党が対立することではありません。主張することは主張し、歩み寄れるところは歩み寄らなければ、議論する意味がありませんし、国会の存在意義もありません。採決を急ぐのが目的ではありません。拙速は良い結果を生みません。

 政治家が襟を正さなければ、世の中が正常にはならないように思いますし、人間としての倫理や信用が最も大切であることを再認識しなければなりません。次の世代を背負って立つ子ども達になんと言い訳するのでしょうか?( Apr. 15. 2005 )


 最近、国内でも地震が多発しています。新潟での中越地震の後も、玄海島の断層に沿って発生した大地震に続いて、これはまた、太平洋プレートの沈み込みによると考えられる千葉・茨城地震など予想していない地域の地震が発生し、心配が増して来ています。

 それでなとくも東海・関東地方は、休火山である富士山の噴火の心配もあり、東海大地震、関東大震災の再来が心配になる相模沖地震、東京直下型地震を始め、当地では松田断層、山北や小田原の直下型地震など多くの震源を抱えているので、安心して眠れません。かと言って、相手は自然発生する地震のこととて、いつ何時、何処に、どれくらい大きな地震が発生するか分からないので、とても心配です。新築間もない我が家でも、自然発生する災害には、完全な予防はなかなか出来ていません。

 何よりも、地震に伴う火災の発生を防ぐこと、ダム決壊や土砂崩れによる河川からの洪水などに対して、高い場所への避難、特に土砂崩れなどによる2次災害に巻き込まれないようにする必要もありそうですねぇ! 新聞報道にも有りましたが、避難時の路上でのブロック塀や家屋などの倒壊、垂れ下がった電線等による感電災害などにも十分注意する必要があるでしょう。

 そのためには、地震や洪水などを想定した家屋調査や、避難通路の安全性などを見直し、“恒例”の9月の防災月間に行う訓練を待たずに、今すぐにでも防災・予防訓練を実施する必要があるのではないでしょうか? 実際に被害に遭うまでは“馬の耳に念仏”か?

 貴方の準備は整っていますか? 非常持ち出し袋は準備できていますか? 非常用の食糧や水の準備はできていますか?(そう言うお前はどうなんだ?/いやぁ、自然には逆らえねえょ、“下手な考え休むに似たり”ってね。実際に地震がきた時考えようっと!/それじゃあ何にも準備してないってか?/いやいや、手回し発電機付きで、ライト付き、警報器付きの、タマゴ型ハンドラジオを買ったのだ! だから、停電しても情報は得られるし、建物の瓦礫に埋まっていても救助を呼べるしさ!!!/…?!)( Apr. 12. 2005 )


 今年は土筆(ツクシ)がたくさん芽を出しました。裏の空地は造成地で、荒地のままなのでよくスギナが繁殖します。急に暖かくなったためか、一斉にツクシが顔を出しました。

 毎年、ツクシを探して野原や田んぼのあぜ道を歩きましたが、今年は探す手間が省けて、家の周りの空地でツクシが大収穫になりました。ツクシは季節の味覚として、炒めて塩コショウで味をつけてお酒のつまみにするのが慣わしですが、今年はこれが赤ワインにとても合うことを発見しました。

 最近赤ワインに凝っていることをお話しましたが、まさかと思いましたが、夕食時に先日買ってきたチリの赤ワイン、カンテラの“Coleccion Privada”( 1,380円)のつまみにしたところ、ビックリするほど美味しいではありませんか。思わず妻と顔を見合わせてしまいました。
“赤ワイン”と“ツクシの炒め物”。どう考えたって似つかわしくありませんが、いつもの料理よりもはるかにワインに合って、味が素晴らしく美味しくなったのです。これは奇跡です!(それじゃあ、ツクシをチリに輸出するか?/いや、先に特許を取っとかなきゃ!?)

 先日、気功の先生が“春には、蕗のとうやたらの芽など苦味のある味覚のものを摂取することが健康のために良い”と語られたそうですから、ほろ苦いツクシの炒め物も健康のために良いのではないでしょうか? なにしろ今年は杉花粉の当り年と同じで、ツクシなども当り年みたいですから、今のうちに採取して佃煮にでもしておきますか?

 えッ! 貴方の近所には空地も野原もないって?(ヒートアイランドのコンクリート・ジャングルか?)やっぱり都会は健康に良くないんですねぇ! 是非、全国100選の“水と緑の郷”、金太郎の古里・南足柄へお出で下さい!! “水と緑”だけの過疎地じゃあないかって? とんでもない! 南足柄市というれっきとした4万人余りの街(やっぱり田舎だぁ!)ですよッ! ( Mar. 28. 2005 )


 日経新聞の「文化」欄に、翻訳家の野坂悦子さんが“紙芝居 世界にお披露目”と題して、わが国独特の文化である紙芝居を世界に紹介する活動について語られています。

 私達、戦中戦後に少年時代を過ごした者には紙芝居はとても懐かしいものですが、現代の母子達には、漫画やアニメ、雑誌や絵本が豊富に溢れている中で、ゲームやパソコン、ケイタイ電話など多くの情報機器や遊戯機器に囲まれて、紙芝居は古(いにしえ)の物としか映らないかもしれません。
自転車の荷台にセットされたオンボロの紙芝居を囲んで、私達は、棒の先のアメをなめながら、鳥打帽のおじさんの、紙芝居の抜き差しを操る巧みな指先と、抑揚のある話術に引き込まれて、鞍馬天狗や黄金バットの活躍に胸を躍らせたものでした。

 紙芝居は1930年(昭和5年)頃、東京の下町で失業者が子どもに駄菓子を売るために街頭で演じたのが始まりだそうですが、今では幼稚園、保育園や図書館など子ども達の集まるところや、高齢者施設や病院などでも広く活用されはじめています。
その後、国内各地で紙芝居を研究し、広める活動をしてきた野坂さん達が、国境を越えた交流の場として「紙芝居文化の会」を2001年12月に設立したのだそうです。

 私の妻も、当南足柄市のボランティア協会に属していて、“おはなしぽけっと”というグループで子ども達におはなしや絵本の読み聞かせ、紙芝居やブラックパネル・シアター(黒幕を舞台の背景とした暗い部屋で、その前に置いた蛍光色で描いた人物や景色を、紫外線ランプ“ブラックライト”で浮き上がらせて見せる)などの演じ手として、市立図書館を本拠として市内の小学校や公民館などにも出向いて活動しています。幼児や小学生向けが主体ですが、老人会や大人向けの交流会なども行っています。

 野坂さんによれば、絵本と紙芝居が根本的に異なるのは、絵本が、読み手の「個の感性」を育てるのに対し、紙芝居は、画面を抜いて舞台に差し込む、という動作を繰り返して進む。観客はこの動きによって作品に「集中」し、演じ手との「コミュニケーション」に入り込む。ここで、演じ手と観衆、あるいは観客どうしで「共感」が生まれる、というのだ。
4月には、翻訳の仕事を兼ねてイタリアのボローニャ国際児童図書展に出かけ、会場で紙芝居を紹介するのだそうだ。

 当地でも、今年の8月には「全国紙芝居大会」が催される。今その準備で忙しい。紙芝居などが、何時までも子どもたちの夢を育て、優しさを育むものとして役立てられるように、また新しい紙芝居として生まれ変わって益々発展することを祈りたい。( Mar. 23. 2005 )


 日経新聞の新しく配布が始まった朝刊別刷りの「日経マガジン」の1号には、ヤンキースの松井秀喜選手が取り上げられていますが、彼の意外な一面がとても興味深いものです。

 いちばん意外だったのは父親の職業で、何と瑠璃教の司教と言う宗教家であることで、父親の昌雄さんが、瑠璃教を興した松井みよと言う女性の養子となったことから始まる。それも“自分の子だから、もらいたい”と、松井みよさんから申し出ているという、ちょっと神懸り的な因縁がある。しかし父親の昌雄さんは、子どもの秀喜には宗教上のことは何も押し付けたことは言わず、自由放任に育てたのだという。だから、秀喜選手は、自分のことは何時でも自分で決めるという習慣が出来たという。大きな節目…高校の選択、大学進学かプロ野球入団かの選択、そしてメジャー移籍か巨人軍残留かという人生最大の決断に際しても他人の力に頼らず全て自分で決めたという。

 そして、大リーガーになってから、手にマメを作るほど訓練していた素振り練習を止めたと言う。その理由が「疲れるから」体力を温存することと、マメを作るほどの無駄な力を、余分な力を抜いてボールに寸分違えずバットを当てるための集中力を養うことにあるらしい。「楽に打つ」とは、余分な力をいれないことであり、それが出来ればマメは消える、と言う。ミスター・ジヤイアンツの長嶋茂雄さん(監督)がそうだったとも言う。

 既にお気付きの事と思いますが、古武術での身体操法や「ゆる体操」などの筋肉や身体をリラックスさせて精神を集中させることに通じるのではなかろうか? 武術などでは、何時、何処から敵に襲われても、すばやく対応できるように筋肉をゆるめ、感受性と集中力を高める修練を欠かさない。それゆえ無駄な力をつけるような筋力トレーニングは行わない。だから年を取って体力が衰えても、修練によってその能力は向上していく。現代の筋力増強のアスリート達の運動年齢寿命が短いのとは対照的であり、マリナーズのイチロー選手の打撃や走塁、守備や判断力なども同様に思える。能力向上とは、何よりも“脳力”向上ではなかろうか? ( Mar. 21. 2005 )


 インターネット関連ベンチャー企業ライブドアのニッポン放送(ラジオ局)乗っ取り(?)騒動は、ライブドアの株式の時間外取引で、いきなりニッポン放送の株式取得36%とかで驚愕の幕開けでしたが、ニッポン放送やフジテレビの属するサンケイグループがそれに対抗して、乗っ取りを阻止しようとフジテレビに対する新株予約権の発行を決めましたが、それを違法だとライブドア側が提訴し、東京地裁がライブドアの仮処分申請を認めたため、益々混迷を深めてきました。

 ライブドア側が有利になっているとはいえ、私たち素人にはよくわかりませんが、金にあかせて否応無く必要なものを手に入れ、合法的なら裁判でシロクロをつけようと言うやり方は、あまりにも馴染めません。私が現役時代に会社の生産管理にEDPシステムを構築した際、コンピュータ上では論理的にはどうにでも都合の良いようにデータを加工出来てしまうのですが、“出来ることなら何をやっても良い”ではない、と生産部門と激論を闘わしたことがありましたが、その時の苦い思いが蘇ってきました。

 JT生命誌研究館館長の中村桂子さんが「子どもが学びたくなる社会をつくろう」の中で、現代の社会は、

“…テレビを見たら、お金を儲ける人がいちばん偉いと思わせるような価値観が流されています。…強いものは武力で一番になるという社会をつくっている。「命の大切さを教える」なんて空しいですね”

と述べられていましたが、本当に無味乾燥な社会が出来上がりつつあるような気がしています。インターネットやケイタイの世界はバーチャルな社会で、相手の心を気遣った本当の意味でのコミュニケーションが無くなり、文字や映像の世界の中で“心”がどこかに置き去られて、情報だけがやり取りされ、まかり間違えば人々が知らぬ内に大きな犯罪に巻き込まれる危険さえあるように見えます。

 銃と訴訟で有無を言わせないアメリカ社会などに似て、現代の日本の社会が、問答無用“法と裁判で正義を決める”という、かつて無い非情な世界を現出させているのに大きな危機感を持っている私は、現代に不適応な人間なのでしょうか?( Mar. 17. 2005 )


 500円硬貨偽造の波紋が広がっていますが、中国辺りで製造して日本に送り込んでいるようで、暴力団絡みのようですねぇ。コスト計算をすると、合金の配合や精巧さを見ると、割の合わない仕事のように思いますが、人件費などの安さから考えると、大量に製造すればそれなりに儲かるのでしょうか? 紙幣の偽造よりも簡単で、ATMなどで大量の両替が可能らしいし、硬貨で預金して、紙幣で引き出すという手があるそうですから、敵もサル者ひっかく者、当局の裏の裏を見越した戦術を用いているようで、天晴れな手の内です!

 そんな手口を感心していてはいけませんが、通貨の偽造や詐欺行為は、比較的軽い刑で済まされるため、犯罪者が絶えません。これも政治不信がもたらすものでしょうか? ひょっとすると、これまた現職の警察官などが関わっていたり、通貨識別装置メーカーの技術者などが加わっていたりして、闇の帝王の下に膨大な組織が出来ているのではないでしょうかねぇ!

 日経新聞の“春秋欄”にありましたが、ささやかに五百円のワンコイン貯金を続けている人が居て、その虎の子を銀行や郵便局へ持参して預け入れようとすると、今や貨幣偽造の嫌疑すら呼びかねない。むろん、偽造紙幣や偽造コインでも、スマトラ大津波などの義捐金として寄付するのなら、“ギ賊”と呼ぶこともあり、でしょうがねぇ…。
しかし、これは他人事ではありません。私も、この500円ワンコイン貯金をやっていて、10〜20枚貯まると義捐金に出すようにしていますので、郵便局へ500円硬貨をジャラジャラ持参するのが億劫になってきました。まさか(この品のある顔つきが…/どこがぁ?)偽造犯に間違われることはないと思いますが、何となく憂鬱になってきてしまいます。500円硬貨をやめて100円硬貨に変えようかなあ! そうすると、今までより5倍も多い硬貨をジャラジャラ、ジャラジャラ持参することになって、又それ以上に気が引けますねぇ!! ( Feb. 11. 2005 )


 節分で例年通り豆まきをしました。玄関の格子戸を開けて、大声で外に向かってマスに入った(今は炒った大豆が紙箱のマスに入って売っているんですねぇ)豆を勢い良く外に向かってまきます。最近は大声を出すとカッコ悪いのか、豆まきの声を聞いたことはありません。

 「福は内ぃ〜! 鬼は外ぉ〜!」、いやいや「鬼は外ぉ〜! 福は内ぃ〜!」だったかなぁ? 先に福の神を、我が家に呼び込まないと、よその家に福の神がみんな行ってしまうと、残るのは鬼ばかりになってしまうから、やっぱり「福は内ぃ〜! 鬼は外ぉ〜!」

 裏口の勝手口の扉を開けて、また「福は内ぃ〜! 鬼は外ぉ〜!」
ニコニコと沢山の福の神が、我が家にゾクゾクと入ってきたので、家の中の鬼どもは、スゴスゴと外へ出て行ってしまいました。どうぞ今年も、幸せな良い年になりますように!

 ところで、豆まきが終って夕食になると、女房が食卓に太巻き寿司を出してきて「節分には、太巻き寿司を一本丸ごとかじって食べると幸せが来るんですって!」
「へぇ〜、そんな風習あったかなぁ?」何はともあれ、出された太巻き寿司にかぶりつきました。女房はケチって一本を2つに切ったので、幸せは半分なのかも? しかし、太巻きなので半分を食べたら、もうお腹一杯、幸せ一杯! になってしまいました。

 ところが、今朝の日経新聞の「春秋」欄に、この節分の『太巻き寿司』のいわれが載せられていました。

“太巻きずしを丸のまま一本持って、今年の恵方(えほう…良い方角)である西南西を確かめ、やおら、かぶりつく。黙々と、食べきるまで無言だ。恵方巻き、丸かぶりと呼んで、関西限定の節分の風習だったのを、目端の利く人たちが全国に売りこんだ”のだそうです。私たちも関西人ですが、それは知らなかったですねぇ!
 コンビニ大手3社だけで、600万本売るといいますから、すごい商売ですねぇ。
良く知られたバレンタイン・チョコレートは、不景気だったチョコレート会社の苦肉の販売戦略で毎年の習慣行事になりましたし、冬季のアイスクリームの販売戦略やクリスマス・ケーキの冷凍ケイキなども同じ戦略で、私たち消費者がうまく乗せられたってことでしょう。
 ところが、驚いたことに『土用の丑のウナギ』は、何と江戸時代に平賀源内が考え出したものと言いますから、昔から商魂はたくましかったのですねぇ!! まったく、“恐れ入りやの鬼子母神 !!!” ところで貴方は、そんな戦略には乗ってないぞってか?

 ところが、まだまだ販売戦略は続きます。昨日のテレビで見ましたが、ウイスキー会社では、1,2,3(ワン、ツー、スリー)作戦とかで、最も美味しく水割りを飲むコツを研究し、コップにウイスキーを1、水を2の割合、そこへ氷を3ケ入れることで、元のウイスキーの味と香りが最も良くなるとして、たくさんウイスキーの水割りを飲んでもらおうとしているそうです。普通の水割りといえば、大体、ウイスキー1に、水4〜5の割合ですから、1:2になれば、2倍以上の売上になるはずですが…。これではウイスキーが濃すぎてひっくり返るお客が出るかも? 貴方なら大丈夫? 無論、私はストレート派ですから、ハイ!

 まだまだあります、日本酒の販売戦略も水割り作戦です! 薄めて売るわけではありませんぞ! 日本酒の美味しさを水割りで味わってもらおうってことです。
 益々、色々な戦略に惑わされて、“オレオレ詐欺”ではありませんが、私たちの懐が何時の間にか巧妙に狙われていますねぇ! 油断も隙もありゃしないッ!!! “うまい話”には必ず裏があるんですよ! ( Feb. 4. 2005 )


 またまた気になるボケに関わる“ワーキングメモリー”の話が日経新聞のSUNDAY NIKKEY αに掲載されましたねぇ。

 年をとると一番困るのは身体の運動機能の低下よりも記憶力の低下で、今やろうとしたことが何だったか忘れてしまったり、親しい知人に会った時に、顔は判っても名前が思い出せずに狼狽してしまいます。ひどい時には、「昼飯食べたっけ?」などと、女房のヒンシュクを買ってしまいます。この記憶を司るのがワーキングメモリーと呼ばれる脳の前頭葉の働きなのです。この部分の働きは、高齢者の物忘れだけでなく子供の思考力の発達にも関係が深いといいますから、なかなか重要な部分ですよねぇ。

 ワーキングメモリーというのは短期の一時記憶をするところで、メモリーの容量には限度があり、一定量以上の情報処理を同時に処理できない。そのため同時に二つ以上のことをやろうと思うと片方が記憶できないか、両方とも混線して判別がつかなくなる現象が起こるらしい。そういえば、忙しい現代では同時に多数の仕事をこなそうとする場合が多い。そうすると、情報がワーキングメモリーの容量を超えて氾濫してしまい、肝心の仕事の内容が消失してしまう結果、物忘れと言う現象が発生するのではないか?

 もちろん、ワーキングメモリーの容量や処理する速さは人によって違うし、年齢によっても変動する。人の成長とともに能力が高まり、成人後は加齢に従って能力が低下し、動作速度も低下する。これらの働きが子供の学力低下や思考力の低下にもつながるので、京都大学の苧阪(うさか)教授らは 、脳の情報処理能力に合わせて社会の制度を組み立てる「ワーキングメモリー・デザイン」という新たな概念を提唱しているという。

 そういえばこの私の“物忘れ”も、忙しさに取り紛れてワーキングメモリーの容量以上の仕事をこなそうとして“度忘れ”しているんですねぇ!(バカ言ってんじゃないの、お前のワーキングメモリーの容量は異常に小さくて、おまけに脳の働きが悪いからなのだッ!)いずれにしても、1度にあれもこれもと考えないで、一つづつ忘れないように繰り返し反復確認しながら、片付けていく事が大事なんですねぇ!(それでもダメなら、本物の“ボケ”だぁ!) 子供達にも色んなことを1度に詰め込んではダメなんですょ。ねえ、中山文科大臣どの? ( Jan. 31. 2005 )


 10年前の今日、早朝5時46分に阪神・淡路地方を大地震が襲いました。この地方では、今まで大きな地震の発生が無かったために、地震には無防備だった上、古い家屋も多く、火災の発生によって6,000人以上もの死者が出る大災害になってしまいました。

 あれから10年にもなるのに、この阪神・淡路大震災の教訓が活かされているのでしょうか? 否、東海地震や相模沖地震、それに小田原地方の直下型地震が懸念される当地、南足柄市でも何の手も打たれてはいません。阪神・淡路大地震の後、市の防災説明会で当地の地震対策について質問をした際に、市の防災課長は私の質問に対して、

「当市で調査した結果、それらに相当する地震が発生した際の被害で死亡者数の推定は5名以下、倒壊の心配がある家屋も極めて少なく、家屋の密集度も低いため火災の発生による被害はほとんど無いと考えている」

それに加えて、
「三保ダムの丹沢湖の堤防は十分な強度計算の上建設されているので、決壊はありえない。それゆえダム決壊による洪水の被害は無い。ただ、狩川沿いの地域での液状化現象による家屋の倒壊の発生が懸念されるので、調査中である」との回答でした。

 しかし、未だに大規模地震や、万一に発生する丹沢湖の決壊時の災害想定による対策や調査結果の報告などは公開されていない。これは当市だけでなく、他の多くの市町村においても、地震や洪水(土砂崩れも含む)を想定した対策や調査は似たり寄ったりではないかと思われる。今回発生したスマトラ沖の大地震による津波被害によって、改めて地球規模の危機管理が云々されているが、わが国の地方自治体では対岸の火事ではなかろうか?

 では、これらの既知の災害事例を見て、行政としてどういう危機管理態勢を立てなければならないだろうか? もしも、大半の市民が被災したと考えて、

  @ 災害が発生した時の通信手段の確保と設備の配備。
     自治会単位の組織にするか、住居が隣接していて連絡に便利な地域単位にするか。
     場合によっては、防災組織を自治会組織とは別に編成する必要が生ずる。
     当然、電話等による連絡はマヒしたり、寸断される可能性があるので無線通信となる。
  A 市民の避難場所の確保と配備。      住民がすばやく避難でき、十分な広さで、かつ安全な建物、場所の選定。      中央防災本部との連絡手段の確保。
  B 緊急食糧及び生活用水の確保と配布ルート。      食糧備蓄倉庫及び非常用水源の確保。交通・運搬手段の確保。
  C 被災者の救助と救援体制の確立。      倒壊家屋や土砂埋没、水没家屋からの救出手段及び設備の配備。      救出隊、医療隊の組織づくり及び救援援助要請先との事前協議、ルール化。
  D 復旧支援体制の確立。      近隣市町村及び県防災組織との連携、ルール化。      緊急非常時予算の確保。
その他、危機管理に必要と思われる事項を予め文書化し、周知せしめておく必要があるだろう。また、必要に応じて家屋の耐震性、堅牢度を調査したり、建築基準法に基づく確認調査や、それらの分類・階級を各戸別に表示し、改善を指導、援助する必要があるのではないか?

 我が家では、大工であった父の助言に従い、関東大震災の教訓を活かして、建築の基礎は通常よりも強化し、当時唯一、潮ノ岬の突端にテスト家屋を建設し、台風の風速60mにも耐え、関東大震災級の地震にも安全といわれた鉄骨構造のプレハブ住宅を建てた。ただ、屋根はカラー鉄板の仕様だったのを、瓦よりは軽く、固定方法が安全で、地震の際にも落下の危険が少ないと判断して、屋根は雨音の少ないカラーベスト仕様に変更した。

 以来30年、最近土地区画整理が行われ、強制立退きにより木造家屋に建替えた際には、更に基礎を強化して、地盤補強に約3mの長さの鋼管を54本、基礎コンクリートの下に打ち込んである。家屋は、倒れやすい和洋タンス類をまとめて収納する納戸や階段下の倉庫に押し込めて、各部屋には必要最小限の家具類しか置いていない。(最近は家具を廃止して組み込みのクローゼットを採用する建築家屋も多いが…)それらの倒れやすい家具類は、出来る限り壁に金具で固定した。しかし、パソコン類、テレビ、オーディオ装置類は固定が難しく、固定されていない。ピアノは固定していないが、地震対策用のすべり止めの大きなゴムの固定具に乗せている。

 一番問題なのはキッチン、ダイニング・ルームで、食器棚は壁に固定しているが、電子レンジ棚や冷蔵庫、サイドボード等は固定していないし、固定しにくいものが多い。これから固定方法を考えなければならない。巨大地震に対して効果があるかどうかはともかく、被害を軽減するためには何らかの事前対策が必要ではあるまいか?

 ところで、貴方のお宅や地域の地震対策の取組み状況は如何でしょうか? ( Jan. 17. 2005 )


 良かったですねぇ! 井上康生選手が嘉納治五郎杯国際柔道大会でベラルーシのルイバク選手を内股で敗って優勝しました。

 アテネ5輪でもろくも敗退し、帰国してからは四面楚歌、針のむしろに座っている思いだったでしょうに! 一時は引退まで考えたかもしれません。その重圧を撥ね退けて復帰を目指して、黙々と血のにじむような、練習に練習を重ねたに違いありません。今度こそ、言い訳は出来ません! これで敗退すれば、世間は無常です。引退しか道はないでしょう。今までの精進は灰と帰します。背水の陣で臨んだ嘉納杯大会です。

 お父さんの厳しい指導が実った今回の復帰だそうです。
「康生にはまだ私が必要かと思うと喜びも大きい」という父親の明さん。“この父にして、この子あり”ですか? 偉大なり父の恩ですねぇ! それに比べ、この私などは、多少は子供達に役に立っているんでしょうかねぇ? 子供達に“化石人間”などと言われているくらいでは、所詮“サシミのツマ”でしょうか?(嘆くな! この少子高齢化時代に、3人の子持ちで、既に5人の孫を生産したという偉大な業績があるではないか?/ハイっ!! これは偉大な神のご恩です。)( Jan. 10. 2005 )


 明けましておめでとうございます!

 良いお正月をお迎えでしょうか? 今年のお正月は、初雪に見舞われるという厳しい寒さでしたが、天候は例年になく穏やかな三が日でしたねぇ。昨年末は、暗いニュースばかりでうんざりしましたが、このお正月はのんびりテレビで過ごしました。しかし、1日中寒さが厳しくて、厚着しても暖房がフル回転の状態が続き、二酸化炭素の排出がいっぺんに上昇してしまいました。

 新潟地震の被災地では、大雪に見舞われてきっと大変だったことでしょう。また、スマトラ沖地震による大津波で亡くなられた方々の確認も大変でしたから、災害の後始末が尾を引いていて、さぞかしご苦労されていることとお察しし、お見舞い申し上げます。

 今年こそ、世界中の全ての人々の上に、平和と幸せが訪れるよう心からお祈り致します。
 貴方と貴方のご家族の皆様方にも、穏やかで幸せな日々が参りますよう、衷心より祈念申し上げます。

 又、はなはだ勝手ながら、この拙いホームページにつきましても、昨年にも増してこ愛顧を賜りますよう、改めてお願い申し上げます。(今年の年賀状は、2月に京都議定書が発効するので、ちょっとしたパロディーを…)

 今年こそ、今年こそと思いながら、楽しんで見ていただけるようなホームページに改装しようとしているのですが、なかなか実現できません。(私自身も、そろそろボケて来ておりますが、パソコンも相当くたびれてきていて、まともに起動せず、だまし、ダマシ苦労して使用しているのが実情です。今に見ていろ僕だって…、新しいパソコンを何とかして…/買えるの?/いやぁ〜それがねぇ、財布が病気していてねぇ…/財布も病気じゃあねぇ! 医者にも罹れねぇや!)と言うことで、今しばらくガマンしてご覧下さいますよう、伏してお願い申し上げます。( Jan. 3. 2005 )


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