イラクのフセイン元大統領の処刑が執行されました。独裁者フセインの処刑は、イラクの宗教間対立を激化させるだろうと予測され、死刑の執行は猶予か延期されるだろうと思われましたが、逆に刑が確定してから4日目という早さで実施されたのには驚きました。
日経新聞によると、マリキ首相の求心力回復のために死刑の執行を早めたということですが、重罪人に新年を越させないという思いも強かったのかも知れません。いずれにしてもイラク国内の治安が良くなれば良いのですが、更に治安が悪化して混乱が増長するとしたら、益々イランの政局安定が先延ばしになるか、混迷が深まることが心配されます。
安倍首相は、イラク復興支援を引き続き継続させることを強調していますが、イラクの政治を安定させることが先決で、政権や治安が安定してこそ復興支援が継続できるのではないでしょうか。国内での安倍政権の国民支持率が低下し、もうすぐ50%を割る心配の中で、他国の困難な復興支援よりももっと地道な国政への努力が必要なのではないかと思います。
野党抜きの教育基本法改正を与党多数決で成立させたり、靖国神社の公式参拝を灰色発言でごまかしたり、与党のタウンミーティングで“やらせ”が発覚したり、大臣が疑惑で辞任したりと悪いこと続きですから、余程気を入れて政治を立て直さないと、イラクどころか“美しい日本”の実現が危ぶまれます。( Dec. 31. 2006 )
いつもの年なら10月頃から構想を練って、11月の中頃にはデッサンを始めるのですが、今年は忘年会の幹事やら、来年の詩吟のコンクール出場への取組みで、面白くも無い発声練習の毎日が続いており、おまけに来年の統一地方選挙で所属する後援会の推す現市長に、一期目だと言うのに非常識な対立候補者が現れて、その対策に大童になっています。
選挙というのは、先ずは常識の通用するところでなく、候補者の人格や為政者としての資質は問題ではなく、如何に票を集めるか、その組織作り(候補者個人の血縁と義理と人情を上手く利用してネットワークを束ねる)の戦術と金(飲み食いか?)の使い方ではないか? と疑いたくなるような噂を耳にして、幻滅を感じるのですが、これまた、安倍政府自民党のタウンミーティングを見ても、聴衆にサクラを置いて自分達に都合の良いような質問を出させたり、東京から静岡の会場までタクシーを飛ばして駆けつけた57万円のタクシー代金を、静岡の駅から会場までのタクシー代に置きかえるために、タクシー21台を使った(駅から会場までは500mしかなかったとか…)などと、とてつもない偽善振りで、国民の税金をゴマかして浪費するなど、国会議員自身がデタラメに平然としているのですから、当然、選挙などは要領の良い方が有利になるわけです。
とは言うものの、選挙対策が重要ですから、無い知恵を絞って対抗しようとするわけです。しかし、前回の選挙時はまだ60代でしたから、頭も身体もシッカリしていたのですが(本当に?)、あれから4年、今回は70代に突入したわけですから、脳力も行動力も驚くほど低下している上に、前述の通り公私共にドタバタ騒ぎに巻き込まれていて、物忘れがひどくなり、一層混乱して手順通り事が運ばないのです。
さては認知症か? と先ほど思い出して、慌ててNHKスペシャル「認知症…そのとき、あなたは@」のスイッチを入れたのですが、それほど顕著なものでもなし、と多少安心もするのですが、やっぱり心配症が頭をもたげてくるのです。
偶然、日経新聞の文化欄に「目、鼻、のど」と題して、歌人の こじまゆかり さんが、年末の“年忘れ”よりも“物忘れ”の話題の方が気になり始めた…。と述べておられる。
歌集「甘雨」の中の、
人の名を思ひ出せない日のひぐれ 鼻塞(はなひせ)のごと いぶせきものを 高野公彦“鼻塞”は、鼻詰まりのことで「ほら、ほら、あの…、何て名前だっけ、あの人だよあの…」と鼻づまりのようにモガモガする。物忘れについては、例えば、何かを忘れて思い出せないもどかしい感覚を「のどまで出かかった」と言う“のどまで現象”。
「ほら、ほら、あの…」 「ああ、あなたも、のどまで現象ですか」 「すると、あなたも」 「いえいえ、わたしはこのごろもうすこし重症で、鼻塞現象です」しかし、こじまゆかり さんは、50代に入ったばかりで、のどから出るには出るが、若干ちがう言葉が出るという現象がひんぱんに起こる…。と言われる。例えば、高尚な世界史話題で、
かくして会話もスムーズになる。
私「紙よ紙。古代エジプトのピクルス」 娘「パピルスでしょ」娘は想像力が鍛えられるのである。
なるほど、私も年齢から行くと“のどまで現象”を通りすぎてもう少し重症の“鼻塞現象”になりつつある。それを超えると、もはや単なる年齢のせいだけでなく、いわゆる老獪な政治家や選挙に立候補される方々のお使いになる「口から出まかせ現象」ではなかろうか? とつくづく感じる次第なのです。( Dec. 17. 2006 )
ここのところ、小学生や中学生のイジメによる自殺も後を絶たない。文部科学省へイジメを訴える手紙が16通も投書されるという異常事態も発生している。
わざわざ文部科学省へ自殺を予告する投書も異常であるが、イジメ相談の電話に何千通もの相談電話が掛かってきていると言うのもまた異常と言わず何であろうか? 信頼できる両親や先生、友達は何処へ行ったのであろうか? 親に殺害されたり、先生からイジメを受けたり、まして友達から金銭を巻き上げられたり、集団暴行を受けたりする昨今ですから、この世の中に正義や信じることの出来るものは存在しなくなったのかもしれません。
以前から何度もイジメや児童虐待が問題となって、原因を追求してきましたし、児童相談所の管理強化や立ち入り調査なども実施されてきたはずです。でも少なくなるどころか、かえって激しくなってきているのではないでしょうか?
以前NHKテレビで「なぜ救えない? 多発する児童虐待」を見ましたし、それを心の問題として、河合隼雄さんが「今こそ心のつながりを」と題して日経新聞に投書されていました。今更ながら対策の遅れを悔やむばかりですねぇ!
何も子どもだけの問題でもないのです。政治の世界でも党内に反対意見を言えば、直ちに粛清され、党から追放されるし、刺客まで放たれる始末ですから、うっかりした口もきけません。だと思っていると、選挙が近くなると、追い出した者の復党を容認しようとか、ワケがわかりません。
また世間では、あちこちの知事が談合や汚職に関係していることが発覚したり、強盗を捕まえてみれば警察官だったり、大学教授がセクハラやらワイセツで起訴されたり、一体世の中どうなっているの?
首相が交代したと思ったら、今度は憲法改正や教育基本法改正をふまえて、「美しい国」とか「愛国心」とか、戦時中の“教育勅語”を思い出させるような言葉で、時代錯誤ではないかと首を傾げていると、いきなり中川政調会長や麻生外相が(北朝鮮が核開発を進めるなら?)“我が国の核保有議論を容認してもいいのではないか?”と、目が点になるような発言。憲法改正って、♪♪守るも攻めるも鉄(くろがね)の…♪♪ 大日本帝国憲法に戻すのじゃあないでしょうね?
日本人の心が荒廃しているのは、何も教育のせいではなく、“票”と“議席”と“大臣の椅子”に汲々としていて、肝心の国を治めることを忘れた結果であって、“政治”の貧困が大きな原因ではないかと思えてくるのです。( Nov. 14. 2006 )
日本の秋は、紅葉に始まり全山の紅葉は一幅の日本画とも思わせます。やがて迎える厳しい冬に向けて、ひとときの安らぎでしょうか?
11月は文化祭の季節で、各地で美術展や芸能・舞踏・カラオケ大会等が催されます。ご多分に漏れず、恥ずかしながら私も趣味の詩吟で「武蔵野を讃(たと)う」の吟詠を予定しています。
武相の連山 紫紅に映え作者不詳という説もありますが、多分、武蔵野市役所に勤務していた土野忠司(つちやただし)という人による抒情詩(漢詩)ではないかといいます。ところが、この詩のように武蔵野は風光明媚な所ではなかった事が、たまたま、日経新聞の文化欄の連載「江戸の風格」に“アシとオギばかりの武蔵野”と題して、文芸評論家の野口武彦さんが記述されています。
富岳(富士山)遥かに望めば 雲残照
噫(ああ)武蔵野 月雪花
古今の墨客(ぼっかく) 感懐を誌(しる)す
それによりますと、
「…歌枕になるくらいだから名勝の地だと思ったら大間違い。古代の武蔵野は、うっかり踏み込んだ旅人が道に迷って行き倒れになるような乾燥地だった…『更級日記』に、常陸から都をめざす旅路の途中、武蔵の国を通った菅原孝標の娘は、“ムラサキグサが生えていると聞いたが、来てみればアシとオギばかりが高く生い茂り、馬に乗った人の弓の先が見えない”と記している。草をかき分けて進まなければ道がたどれなかった…アシは塩分に強く、ススキは乾燥に強い。どちらにしても農耕に向かない不毛の地である…」
と述べられていますから、この「武蔵野を讃う」という漢詩は、作者の武蔵野に対する切なる思いが凝縮されているということになりますねぇ。
今更、私としましても「この秋の景観に相応しい抒情詩として吟じたい」と、折角この吟題を選んだのですから、案に相違した厳しい武蔵野の情景を心の中で美化して謳いあげましょうか? ( Nov. 8. 2006 )
中国とロシアへの譲歩があったとはいえ、初めて国連の安全保障理事会での全会一致が得られたことは、極めて有意義であり、また軍事的制裁を発動せず、外交的手段で解決を図ることに絞られたことは、北朝鮮といえども世界平和のためには武力により制圧する行為を良しとしないで、世界各国が合意したことによって、前例を見ない国連の成果が得られたと喜びたい。また、議長国としての日本の努力が高く評価されるに違いない。
制裁決議案が採択されても、対北朝鮮への効果的な実際行動については、今後の検討事項となろうが、新しい安倍内閣は、時を置かず日本独自の制裁を発動し、拉致問題も含めて北朝鮮に迫る姿勢を見せたことで、国民が多いに期待をよせる事となった。麻生外務大臣も遅れじと、早速、中国・韓国との外相会議に臨むという姿勢を見せているので、先ずは、新内閣の行動力は◎というところだろうか? 今後に期待したい。
ただ、得体の知れない北朝鮮のことであるから、不測の事態が起こらないとも限らないので、制裁行動にはくれぐれも拙速にならないよう熟慮願いたいし、危機管理もおろそかにしないで、予防のための実践に即した訓練なども、手抜かり無いようにしておいてもらいたいものだ。( Oct. 16. 2006 )
核実験が実際に行われたかどうかは、これから多角的に分析が行われて判断されると思われるが、韓国は核実験によると思われる人工的な地震波を観測し、それがマグニチュード3.5〜3.7であることを発表した。我が国の観測では、それ以上の大きさの地震波を観測した模様で、ロシアでは核実験による地震波であるとの見解が発表されたそうだ。米国でも、この地震波は観測されており、ブッシュ大統領の緊急の声明が発表された。
丁度、安倍新首相が日中首脳会談で中国での会談を終え、今日は韓国のノ・ムヒョン大統領とこれから会談を行うところであり、それを狙ったのではないかと憶測されているが、この行為は、北朝鮮を窮地に落とし入れこそすれ、北朝鮮の立場を有利にすることはないと考えられる。
この事は戦争にも発展しかねない重大問題であるが、逆に世界各国が核開発問題に改めて注意を喚起されることとなり、国連の場でこの問題を検討することとなり、国連の重要性が再認識されることとなって、かえって世界平和について集中協議が行われれば、災い転じて福と成るのではなかろうか?
これを機会に、国連の場で世界平和と環境問題などが真剣に議論されることを望みたい。私たち自身も、平和ボケしないで、世界が未だ平和とは程遠く、紛争と破壊の真っ只中にあることを再認識しておきたい。( Oct. 9. 2006 )
以前から、プールの水を循環するための吸水口で、女の子の頭髪が吸いこまれて、髪の毛が絡まって水死するという事故が発生していました。しかし、今度の場合は小さな吸水口ではなく、プールに流れを作るための大きな流水路で、吸水口のフタが外れれば、人一人が容易に吸いこまれる大きな吸水口だったようです。その、外れてはならない吸水口のフタの取り付けが不完全で外れ、それを知った監視人が、外れたフタを取りつけるための針金を準備しようとしている間に、吸水口近くを泳いでいた女の子が吸いこまれ、その中にある大きな吸水管の中へ吸いこまれてしまったそうです。本来なら、その吸水管の入り口にも人が吸いこまれないような格子状のフタが必要だったのです。
問題点はいくつもあって、そのどれをとっても重大問題だったのです。
先ずは、流水施設を所有している市の管理責任は免れません。ところが、そのプールの管理は民間の会社に委託され、また委託された会社が下請け会社に全て任せていたといいます。しかし、任された下請け会社は、管理がずさんで、吸水口のフタの固定方法も、本来ネジで24箇所を完全に固定するべきものを、ネジ山を潰してしまい、ネジの代わりに針金で縛っていて、事故部分のフタを固定していた針金は腐食して外れていたといいます。これらの部分は、必ず定期点検をするように定められていたに拘らず、定期点検をしていなかったそうです。
通常、水中で針金を用いて縛って固定するとしたら、錆びないようにステンレス鋼線を用いるのが普通ですが、短期間に腐食して折れていたとするとステンレスでない鉄線が用いられた可能性もあります。また、全てボルト固定となっていたに拘らず実施していなかったのに定期点検で発見されなかったのも不思議です。こうなると、どの段階でも管理されていなかったということですね。
先頃大きな問題となったパロマのガス湯沸器の不完全燃焼事故で、一酸化炭素中毒死か度々発生していたにも拘らず、別会社の工事会社で安全装置を働かないように(修理?)するのを知りながら、原因調査するでもなく放置していたパロマの幹部の管理責任は重大ではないだろうか?
誰もが簡単に管理責任だというのだが、前述の2つのトラブルを検証してみると、設備や機器の設計に欠陥があるという品質問題が見えてくる。流水プールの吸水口の構造にしても、なぜ遊泳路に大きな吸水口が造られているのだろうか? もしも遊泳路の壁面にあっても、人が吸い込まれる心配の無い狭い吸水口が複数設置されている壁面だとしたら、人が吸い込まれる心配は無い。吸水部の点検口はプール脇に設置されていれば良いはずだ。更に安全を期すなら、それらの吸水口を覆うように丸味を帯びた横桟を取りつければ良いと考える。
後者のパロマのガス湯沸器にしても、安全装置を付けたがために、日常の使用時に度々作動して使い勝手が悪くなり、安全を犠牲にしても安全装置を取り外さざるを得なかったのではなかろうか? よくあることで、市場での使い方を十分把握できていないと安全装置がアダになることがある。まして人の命に関わることであれば、その設計には必要十分な安全性と、簡単に取り外すことの出来ないような構造にしなければならないだろう。
いずれにしても、人命に関わる重要な問題は、設計上と管理上、万全を期さなければならないのは、前述の例に限らず、全てのことに当てはまることで、最近発生している人身事故のトラブルや対策、対応において、管理者や経営者の責任感や義務感、倫理観が欠落しているように感じることが多いが、コスト優先が原因となっていないだろうか?( Aug. 6. 2006 )
“よい加減”ってどのくらい? と、作家の幸田真音さんが「日経PC21」の8月号で、“今月の数字 2分間”(1案件の判断にかける時間)に書いておられますが、作家として文章作りでこれぞと思う表現に組み立てるのに要する時間は、なかなか難しいものだそうです。
一気呵成に仕上がるものもあれば、一言一句に苦しむこともあります。私でさえ(作家と比較すべきことか!/いやいや、私メもホームページの更新には日夜四苦八苦しており、幸田さんと同じ苦しみを感じているんですょ!/それは、単に頭の悪さゆえなのだッ!!)ここのところ、ヒントは難無く見つかるのですが、それを納得のいく文章に組み立てるまでが、なかなか進まないのです。
流行の若年認知症といいますか(もう、本格的認知症か?)ついこの間までは難無く書けていた文章が、最近は全く筆が(パソコンか?)進んでいかないのです。たいした文章でもありませんから、その良し悪しを云々するほどのこともありませんが、適当に書くという難しさがあります。下手な文章ほど適当には書けないものなのです。
作家である幸田さんなどは、文章を磨くということもあり、“いい加減”というわけにはいかないんでしょう。更に、文章を磨きすぎても、かえって全体のバランスが崩れるんだそうですが、幸田さんの友人である日本刀の研ぎ師は“一番難しいのは、どこで研ぐのを止めるかだ”そうです。研ぎ過ぎては、たちまち価値を失うし、研ぎ足りなくては、また価値が付かなくなるわけですからねぇ。
“いい加減”という日本語と同様に“適当”という言葉も「あいまいさ」が含まれていて、“最適”という意味とは多少ニュアンスが異なる気がします。
それに比べ“いい塩梅(あんばい)”という語は、“適当”と同じではあるが“最適”を含んだ言葉ではないかと思います。“塩梅”とは、元は、塩と梅の酢を混ぜて、料理の味を整えることで、この加減を間違えると料理がダメになるわけですから、一番大事な調整と言うことになります。私の家でも、毎年“梅干”を漬けますが、これもまた、漬け込む時の塩の量が“梅干の品質”を大きく左右するのです。
何事に因らず“過ぎたるは及ばざるが如し”なわけで、赤ワイン好きの私ですが、囲み記事に「ポリフェノール=ワイン3杯」で、
“ポリフェノールは、老化の原因となる活性酸素と戦う抗酸化物質。ワイン(特に赤ワイン)に多く含まれ、一日に2〜5杯ワインを飲む人は、心臓病による死亡率が低くなるという調査結果がある。1〜3杯程度でガンによる死亡率も低下する。
ただし、ワインの“飲み過ぎ”は、肝臓病などさまざまな疾患を引き起こす怖れも…”と言うことで、いづれにしても“適当”(?)なことが一番大事なのですねぇ!( July. 14. 2006 )
派手な言動が無く、ちょっとニヒルなところがあって、庶民との間が離れていたので馴染みが薄く、政治の内容もわかりにくかったために、私の批判材料となり、当時(1998年頃)の年賀状にもヤリ玉に上がっています。行政改革を進めようと躍起になっておられたようですが、省庁再編などでは、官僚や族議員の強い抵抗にあって思惑通りに進捗しなかったようでしたし、消費税が3%から5%に上がって、庶民の生活は少しも改善されませんでしたからねぇ!
小泉内閣での、更なる増税・高負担と消費税アップの先延ばしの思惑がよくわかりますでしょう?
最近立派な方々がお亡くなりになることが多いのですが(昔の方が立派な人が多かったってことか?)、高齢化社会にあっては、これも仕方の無いことですが、立派な後継者が育っているのかどうか心配になってきます。
何はともあれ、橋本龍太郎元首相のご冥福を心からお祈り申し上げます。( July 2. 2006 )