tommyさんのつぶやき2000年前半
新潟の女性監禁事件の裁判で、被告(加害者)の弁護側が執拗に被告の精神鑑定を求めていますが、新聞の報道などで見ると、9年余の間被害者を監禁し、母親に覚られないよう音を立てさせなかったり、ビニールテープを張って行動範囲を制限したり(これを拷問だと感じない神経は別として)、極めて論理的に行動しているのに、何のために精神鑑定を主張するのかわかりません。弁護士だからそう言う権利があるというのなら、弁護士として正しい見方(正義としての)をする責任と義務はどうなっているのでしょうか? 交通事故訴訟の弁護などにおいても、有名弁護士を加害者に付ければ、クロもシロにひっくり返し、被害者を不利にし、加害者を有利にして更に弁護士としての信用を増すと言います。一体、弁護士が行う弁護とは何なんでしょうか? 正義に照らし合わせて、被害者、加害者の区別無く正しい判決を導くための弁護をするのが弁護士の責任と義務ではないでしょうか?
最近は弁護士の悪事も増えて、弁護士の資格を剥奪される事件もいくつか報道されていますが、弁護士と警察官の悪事は良く似たもののような気がします。(黄門様の印籠みたいなもので)ただ、警察官は、悪事で名声は上がりませんが、弁護士は、規範を外れさえしなければ、名声が上がる可能性が高いと言う違いが有ります。“「交通事故」のウソ 柳原三佳著 宝島社新書(2000. 4. 24刊)”の中でも、それらの例が述べられています。
現代は、“正義”という言葉は「死語」となってしまったのでしょうか? 「暴れん坊将軍」や「大岡越前」は昔話なんですねぇ! ( Jun. 28. 2000 )
車での引ったくり犯人を探しています。ご協力をお願い致します。
数日前の朝、友人の女性が、自転車で出勤の途中、1台の車が寄ってきたと思ったら、窓から手を伸ばして、彼女の自転車の籠の中のバッグを引ったくって走り去ったと言うのです。あっという間の出来事で、残念ながら相手の人相や車のナンバーを正確に見て取る暇も無かったようですが、車は
白い大きな普通乗用車
シャコタン車(車高を低く改造してある)
ナンバーは「・・・78」
3ナンバーのようだ。
被害に遭ったところは、新松田−関本線の切通し交叉点を過ぎて南足柄郵便局に行くまでに、新しくできた左折のヘアピンカーブの下り坂で、一般に通らない道路である。近くの高校の生徒の通学路である。それゆえ、近隣の者か、土地感のあるものである可能性が強い。通勤時間帯なので勤め人である可能性もある。
ところが、問題はこれだけではないのです。被害届を出しに行った警察署で、警察官が言った言葉が「そりゃ、とられたあんたが悪いんだよ。自転車の籠になんか入れてるから・・・」とのこと。警察官の悪さは、新聞紙上などでご承知でしょうが、これはあまりにもひどすぎませんか? 犯人に味方して被害者をバカにする気ですかね? 交通事故の事故処理などで、加害者の言うこと(ウソの陳述)を良く聴き、被害者の言うことに耳を傾けないことは、私の追突被害事故でお話ししましたが、これらの事実は“「交通事故」のウソ 柳原三佳著 宝島社新書(2000. 4. 24刊)”に詳しく述べられている。警察官だけでなく、平気でウソの証言をする加害者、何も調べず被害者に不利な過失割合を押しつける自動車保険会社の実態などについて、実例を挙げて示されている。転ばぬ先の杖、一読をおすすめする。( Jun. 26. 2000 )
ワープロ事業から東芝が撤退するようです。東芝と言えば、国産のワープロの第1号を開発した由緒あるメーカーで、その後もパーソナルなワープロを開発し「東芝ルポ」は個人用のワープロとして君臨してきました。昭和52年当時、ワープロは数百万円もして個人ではとても手が出ない代物でしたが、当時、会社で事務のOA化を目指してワープロの導入を計画しました。ワープロといえば東芝かシャープが老舗で、どちらを選択するか2年半かけて調査し、操作性と価格の点からシャープの「書院」に決め、社長に答申し、社内の事務部門では「書院」に統一することにしました。
その後、パソコンの普及によってワープロソフトの“一太郎”が開発されて、次第にパソコンでワープロが使われるようになりましたが、当時の“一太郎”は、まだまだ操作性ではワープロ専用機にはかないませんでした。しかし、パソコンの急速な普及は、価格の低下をもたらし、マイクロソフト社のOSのWindowsによって事務用のパッケージ・ソフトのMocrosoft Office やロータスの Super Office が搭載されるようになって、ワープロもMS Word 等が広く使われるようになり、ワープロ専用機の必要性が徐々に失われてきています。それにワープロ専用機は、規格が各社まちまちで互換性が無く、その後の普及の妨げとなってきたのです。それゆえ、今回の東芝のワープロ事業の撤退に見られるように、富士通なども企業向けは既に撤退を決めていて、NECやキャノン、リコー等も新製品の開発は中止するようです。あとはカシオとシャープが残るだけですが、生き残りをかけるには厳しい現況ですね。
私も簡単なものは、ほとんどパソコンのMS Officeで処理して、面倒なものだけワープロ専用機を使っています。なにしろワープロ専用機は驚くほど多機能で、正に痒いところに手が届く、日本人向きにできているのです。ちょうど“一太郎”がそれを踏襲していると言っていいのかも知れません。欧米では、多機能よりも能率優先で出来ていると言えるのでしょうか? ここに根本的な考え方の相違があるのでしょうね。時代を見通すと言う事は、難しいものですね。(Jun. 22. 2000 )
皇太后陛下がお亡くなりになりました。衷心より哀悼の意を表すると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。
在位60年余という昭和天皇を支えて、大東亜戦争(第二次世界大戦)と敗戦、国家元首の天皇から国家の象徴としての天皇へ、皇太子妃へ一般人の美智子さまのご選択と、激動の昭和を生きぬかれ、常に優しい笑顔での皇室外交に徹せられ、日本の顔として世界の中で親しまれ、国民にも愛されたお方であった。晩年は昭和天皇に先立たれて、さぞお寂しかったことでありましょう。97才という天命を全うされて、彼岸で昭和天皇と再会され、再び安らかに過ごされることでしょう。合掌。( Jun. 17. 2000 )
先日久しぶりに5Kmのジョギングをやってみましたが、運動をしなくなっていましたので「気」が出なくなっていて、何と31分も掛かってしまって気落ちしていましたが、しばらく西野流呼吸法を訓練し直して、やっと少し「気」が出てきましたので、再度、昨年の自己ベストタイム“26分36秒”に挑戦しました。前半、割合楽に走れたので、かなりいくかな?と期待しました。範茂公園入り口で13分を切りましたので、みかん畑の坂道の往復の走りに掛かってきました。「意識」は“2秒上回る”ことにしました。ゴールの公園入り口です。タイムは?
やりました! 26分25秒です! 11秒上回ってゴールです。予想しなかった成果です。それに、足は痛くもありません。「気」とは、「意識」とは何なんでしょうか? 毎日走り込んでいての結果なら分かりますが、何しろ久しぶりで、6日目の記録がこれです。なにはともあれ、良かったね。( Jun. 8. 2000 )
もう6月ですねぇ! 皆さんお元気ですか? 学生さんも一斉に夏姿になりました。気温も上がって真夏のような暑さを感じますね。雨の天気予報もあまり当てにはなりません。畑の水遣りが欠かせません。里芋の出来が心配な毎日です。
テレビで「“独創”はこうして生まれた」を見ました。第1回は、青色発光ダイオード(Light Emittion Diode)の発明者 中村修二さんの物語です。大学の修士課程を終えた中村さんは、結婚のため田舎の小さな会社、徳島の阿南市にある日亜化学工業という蛍光体を製造する会社に就職します。ちなみに、中村さんは電子工学が専門なのです。そこで開発部門(課長以下5人の)に配属された中村さんは、新規事業の発光ダイオード(LED)の開発にかかります。Try & Error の結果、赤色LEDの商品化に成功しますが、知名度の低い日亜化学工業のブランドでは大手企業にはかないません。利益の上がるほど売れないのです。せっかく成功させた赤色LEDの商品も断念せざるを得ません。
赤色と緑色LEDは比較的簡単に出来るのですが、三原色のもう一つの青色を発光するダイオードは作るのが難しいのです。そこで他社との差をつけるには青色LEDを開発することだと心に決めます。入社して10年目だそうです。まず社長に直訴して、半導体結晶の基本的なMOCVD(有機金属化学気相成長法)の技術を学ぶために、フロリダ大学に留学します。そこで、また厳しい試練に遭うのです。論文も発表したことが無い、博士号も持たない中村さんは、研究者として相手にされないのです。単なるテクニシャンでしかないと言うのです。コンチクショウ!と対抗意識を燃やした中村さんは、帰国したら見返してやると心に誓います。これが、その後のエネルギーの元になったと述懐します。
青色LEDを作るのに3つの方法があります。第1がSiC(炭化珪素)。第2の方法がZnSe(セレン化亜鉛)。第3はGaN(窒化ガリウム)の膜を作ることですが、学会の常識では、2番目のZnSeが最も有力で、GaNは全く見向きもされていませんでした。中村さんの過去の経験から、大企業に勝つための“独創的なアイディア”と言うのは、皆に受け入れられない“非常識なアイディア”であって、他人の論文に左右されず、自分の実験の結果だけを信じてやることしかないと言います。
ついにツーフローMOCVD法を考案し、1993年末に、世界で初めて、画期的な青色LEDの開発に成功します。更に1995年には青色レーザの開発にも成功します。
しかし、原理はわかっても他社では青色LEDや青色レーザは作れないのです。同じGaの膜質を作ることが出来ないのだそうです。その最先端の技術を支えているのは、長年にわたって苦労してきた中村さんの体験によって得られた職人的な技術なのです。現代では、これらの技術の継承が行われず、養成もされていないと、中村さんは心配しています。
しかし、中村さんも企業内での技術開発の壁を感じて退職し、要請を受けたカリフォルニア大学の教授として再出発します。日本では、中村さんを受け入れてくれる大学も企業も無いそうです。江崎玲於奈さんがエサキ・ダイオードを発明(正確にはダイオードでのトンネル効果の発見)されたときのことを思い起こしました。当時は、頭脳流出と言う言葉が流行しましたね。日本には“独創性”を育む土壌は無いのでしょうか? 出る釘は打たれる。足の引っ張り合いなのでしょうかねぇ? 考えさせられました。( Jun. 1. 2000 )
「神の国」発言の問題は、尾を引いていますが、一国の首相たる者が、「表現が誤解を招いたもので、真意(神意?)は憲法の趣旨を外れているものではない」(?)などという言い訳は通用するものではない。“天皇を中心とした神の国…”が、憲法でうたっている主権在民と、何でイコールであるのか聞いてあきれる。直ちに前言を撤回して謝れば良いものを、何で固執するのか意図がわからない。所詮、首相の器ではないと見放されるのが落ちではないか。間違っていれば当然誤りを認めるべきであり、一般人ではないのであるから、発言には特に慎重を期すべきではなかろうか? 私が「神」について語るのと訳が違うからねぇ。まさか、経済不況を吹き飛ばすのに“神風”を期待しているんじゃなかろうね?( May. 28. 2000 )
昨日は、久しぶりの5Kmのジョギングで、従来の記録より3分も後れを取ったので、今日こそはと5時に起きて日の出と共にスタートしましたが、これまた何と、更に記録は落ちて、31分もかかってしまいました。最低記録です。何時も走った後、西野流呼吸法での体操を行いますが、もう、全く「気」が出なくなってしまっています。やはり毎日の積み重ねが大切ですね。「継続は力なり」でしょうか?
小渕首相がお亡くなりになったと言うニュース速報でびっくりしましたが、市場経済の混乱時に首相として懸命の努力をされていたようですが、志半ばでさぞ、無念だったろうと推察します。結局は自民党内部の混乱と老中達に振り回されて、思うようにいかない苦労がストレスとなったのではないでしょうか? 脳梗塞だという事でしたし、年も私と1つ違いですから、私もムリをしないように気をつけなきゃぁ!(そんな心配ないって?)いずれにせよ、健康第一ですよ、あなたも!
ところで、健康のためにと、今日からまた恒例のジョギングを始めましたが、半年もサボっていて(冬場は寒いからねぇ)呼吸法もろくに訓練していなかったので、何と何時ものタイムより3分も遅い29分30秒もかかってしまいました。
しかし、朝早く自然の中を走るのは気持ちの良いものですね! みかん山の木立の間を走ると、ウグイスの鳴声がすぐ近くで聞こえます。(街中ではこうはいきません)普段は、道端の草花(雑草という草は無いんだそうですよ!)にも気付かず、まして空を見上げることも少ないし(道路ばかり見て、何か落っこってないかなって歩いてんだよね)、この季節は柔らかな真綿雲だなって、気が付きました。朝早くだと車も通らないので、空気もきれいですしね。早起きは3文の得でしょうか? ( May. 16. 2000 )
最近は暗い話題ばかりで嫌になりますね。それもテレビでは、犯行について事細かに,何で犯行の手口まで解説しなければならないのか不思議です。もっと巧妙に犯罪計画を仕組まないとダメですよ! とでも言いたいのでしょうか? 毎日、毎日、繰り返し、繰り返し報道しなくてもいいのじゃないですか。もっと明るい話題を沢山報道して下さい! と言いたくなってしまいます。
だからと言うわけでもありませんが、以前オルセー美術館展でゴッホの「アルル 星降る夜」の話しをしましたが、テレビ東京の「美の巨人たち」でゴッホについて放送されましたので、興味をおぼえて見て見ました。やはり私の長男が言った通り、画家のバックグラウンドを知ることは、絵への理解が非常に深まると共に、あまり興味の無かった絵まで愛着がわいてきますね。
ご存知でしょうが、オランダに生まれたフィンセント・ファン・ゴッホは、色々職業を変えた後に27才で画家の道に進みますが、売れたのは「赤い葡萄畑」の1枚だったそうですね。南フランスのサン・レミ・ド・プロバンスと言う、彼有名なノストラダムスの生まれた町に1年ほど滞在し、ここで多くの作品を残しているそうです。この町のサン・ド・モーゾール精神病院に自ら入院し、150点もの絵を描いているそうです。その中でも,入院してから6週間目に描いた「星月夜」という絵が話題になっています。
この絵は,それまでと全く違ったタッチで描かれていて、尖った白い屋根の教会と大きな黒々とした不気味な糸杉が渦巻く星空の下に広がっています。精神病のせいではないかと批評されていますが、既にこの絵の構想はドイツにいたときに描いた下絵に見られるそうですから、やはり天才画家というしかありません。アルルの有名な「ひまわり」の絵や、アルルに来て9ケ月後に描かれた「アルル 星降る夜」などは、「星月夜」に比べると、まだまだ繊細で優しいタッチのように思えます。
退院してから北フランスへ行き、2ケ月後に自殺してしまいますが、何となく,それを予感させる絵のような気がします。しかし、まだまだゴッホには興味が尽きません。私も一丁描いてみるか! なんてとんでもない気にさせる絵ですね。( May. 10. 2000 )
愛知県の少年による主婦殺害事件に続いて、九州の17才の少年によるバス乗っ取り事件は、その残忍性と綿密な計画的犯行には慄然とする。少年による狂暴な殺人事件は、既に神戸において小学生の生首を校門に晒した犯人が、何と、中学生であった驚きは、記憶に新しい。
何故こういう事件が起こるのだろうか? いつも繰り返される論争である。それと、すぐにこのことが、少年法の改正へと短絡的に取り上げられることで、今回も、現在の少年法の改正案(適用年令の引き下げか?)では不足だと言うことで、今国会では審議されず、改めて、もっと厳しい(?)少年法の改正が検討されるようである。
一方、千葉県の児童養護施設「恩寵園」での児童虐待が大きな問題になっており、行き場のない孤独な子供達に、温かい手を差し伸べるべきこれらの施設で、子供達に体罰やイジメなどの虐待が5年以上も続けられていたことに、同じような驚きと戦慄をおぼえるのは私だけだろうか? 管理、監督責任のある県の担当部署も、十分な調査もせず、有効な手だても打たなかったため、耐えかねた13人の園児が児童相談所へ駈け込んだことで発覚したそうだ。何もここだけの話しではなく、全国で5〜7箇所の児童養護施設で、同様な児童虐待の事実が判明しているそうである。
これらの事実を重ね合わせて見て、少年法の改正が、本当に少年を保護するものから、犯罪少年を罰するための、刑法の適用年令の引き下げへと短絡的に改正される危険性を危惧している。本当に改めるべきなのは、大人社会の倫理なのではないでしょうか?
子供達が安心して暮らせる家庭や社会に、どうすれば改善できるのかを、事件のバックグウンドを明らかにして十分議論して欲しいし、私達一人一人も、他人事ではなく良く考えようではありませんか? ( May. 9. 2000 )
今日は「子供の日」です。とても良い天気に恵まれて、福沢神社のお祭りもおお賑わいです。お祭りと言うと、♪ワッショイ、ワッショイ、ソーレ、ソレ、ソレ、お祭りだ〜♪! と言う御輿と山車と夜店の屋台のおでん、賑やかな夏の風物詩を思い浮かべます。ところが、冠婚葬祭の“祭”と言うのは、先祖を偲ぶ祭りのことだそうです。普段、私達は神や仏は縁遠いものだと思っていて、昔の人のように、朝晩の仏壇や神棚へのお祈りは無縁と考えています。まして、名前も顔も知らないご先祖さんのことなど考えてみたこともありませんし、ご先祖さんに祈ることの意味も無いように思っています。
しかし、自分自身が今存在するのは、ご先祖様のお陰であるという意味で、ご先祖様を粗末にしないで、自分も含めて子々孫々までもの平安を願う事が、先祖を祭る意味でもあるのでしょう。確かに、先祖から脈々と伝えられてきたDNAが私達の身体を造り、精神を培っているのだと思えば、決してご先祖様を粗末には出来ません。
よくよく考えると、ご先祖を辿って行くと、結局人類の祖先であり、地球の全生命体の源であり、たった一つの「神」にたどり着くとは思えませんか? 今日のハイビジョン番組「森の哲学者 メイナク族」で、素裸で集団生活をしているメイナク族のルポルタージュがありましたが、彼らの生活や考え方は、現代の私達が忘れているものを気付かせてくれます。
以前、同じようなテレビ番組の“アボリジニ”のルポでもありましたが、便利さにどっぷり漬かって、男女同権を振りかざして、自分の権利ばかり主張する現代人には、未開の野蛮さとしか目に映らないでしょう。レポーターの坂井真紀さんは、さすがに裸の付き合いは出来ませんでしたが、貴重な体験に感動していました。その中で、私達が普通に使っている“幸せ”や“自然”と言う言葉について、メイナク族には、「幸せと言う言葉はありません。誰か一人だけが良いと言う事は有り得ません。もしそれを表わすとしたら、みんなが楽しく、賑やかに過ごせる事でしょう。自然というのは、私達が暮らしている全てのものが、共に在ると言う事でしょうか?」と言う意味の事を述べています。
また、子育てや家事のあまりの重労働に、坂井さんは思わず「なぜ、男は手伝わないの?」と尋ねます。しかし、男と女の役割は昔から決まっていて、家事や子育てに相当するものは、全て女の役割であり、食料の調達は男の役割であって、食べ物も全ての人に平等に分配されます。ここでは、個人と言うものは存在しないし、唯一個人が主張できるのは、レスリングに似た競技を行う時の強さでしょうか。そして言葉しか持たない文化の伝承は、代々語り継いで行くことなのです。しかし、これも、外部(文明社会?)からの干渉によって、いつまで保つ事が出来るか心配です。
先日も外国の少数民族の見物ツアー(?)で、原住民との争いで日本の観光客が殺されると言う事件が発生しましたが、これなども金満ニッポンの、物珍しさ目当ての見物の結果ではないでしょうか? 白人が偉くて、黒人が劣ると言う“人種差別”の考え方と変わらないような気がします。日本の文化が優れていて、原住民の文化が遅れているものだと言う認識に立っているのではないでしょうか? “工業技術=文化”ではないでしょう。商売になるなら何でも企画する旅行会社も原因の一つではないでしょうか? ( Apr. 5. 2000 )
いゃあ、予想通りと言うか、不甲斐ないというか、阪神タイガースの、最下位 中日ドラゴンズに3連敗! やっぱり3日天下か…。(本当は1日天下だよねッ)しかし、巨人ジャイアンツも3連敗! 何も、そこまで付き合ってくれなくても。いやいや、義理堅いのが、宿敵、阪神−巨人の仲なんだ! お互い、ガンバローねッ! ( May. 1. 2000 )
ついに、念願の首位獲得! 延長10回の裏、代打佐々木の2ゴロで、3塁の矢野猛然と本塁へ! 完全にアウトか? と思いきや、何とキャッチャー西山のミットからポロリ、落球! 思わぬエラーで貰った1点でサヨナラ勝ち! 運も実力の内! これで首位広島を追い落として、首位獲得! 藪が完投、完封! 阪神−広島戦でした。よかった!
巨人ジャイアンツもガンバッて横浜に10:2でしたね。やっと、松井も当たりが戻ってきて、めでたし、めでたし! 巨人ファンの皆さんも、しっかり応援してね! ではまた、阪神−巨人戦を楽しみに! (Apr. 28. 2000 )
首位奪取を賭けた阪神−広島の第1戦。広島相手に4:2で、阪神もよくやるわい、負けて元々と思いきや、何と同点に持ちこみ、延長15回、5時間半を越す大熱戦に寝るわけにもいかず、ついに4:4で引き分けるまで見てしまいました! 今朝は寝ぼけ眼です。これで、続く2戦が、また楽しみになってきましたが、阪神もちょっと気張り過ぎではないかと心配しています。しかし、巨人ファンの皆さんも良かったですね。久しぶりに松井のホームランで5:2と横浜に楽勝(?)しましたからね! お互いガンバりましょうね!
「平成の三四郎」こと、古賀稔彦選手が全日本選抜に1回戦で敗退し、シドニーへの夢もついえて現役引退を決めましたね。前回の講道館杯の時に、4強に残ったとはいえ、既に往年の古賀ではありませんでしたし、執念だけではオリンピックの世界柔道には通じないでしょう。しかし、オリンピックだけが全てではありません。勝敗に拘る必要もありません。これからが本当の柔道への精進です。まだ32才の若さですから引退なんて言う年ではありません。若者達の指導も含め、武道の真髄を極める楽しみが待っています。本当の「三四郎」を目指して、100歳までガンバッて下さい。( Apr. 26. 2000 )
バンザイ! 阪神タイガース。14年振りの8連勝! 1:0で、星野の完封、完投! 捕手、矢野の好リードで心配無かったとは言え、8回裏で走者に出た星野に、後続のバント作戦がもたもたして、走者星野が2塁を出たり、入ったり。たった1点の攻防に、9回表のピッチングに影響しないかとハラハラした。(ノムさんは心配無かったと言ってたけどね)これでお次は、首位 広島との3連戦。ガンバッてね!
巨人ジャイアンツ・ファンの皆さん、元気を出して下さいね! まだまだチャンスがあるからねッ! ワッハッハ! ( Apr. 23. 2000 )
教育テレビのETV2000「揺れる男と女B10代の性体験36%」を見ましたか? この中で10代の女性の援助交際の目的のほとんどは、お金が欲しいからだそうですね。SEXをお金に換えることに何の後ろめたさも持っていないそうです。好きな人との愛情のあるSEXとは一線を画しているのだそうです。(SEXを愛情の表現と言っていましたが、統計によれば、ほとんどが相手の男性に求められたからと言うことでしたから、男性の情欲の衝動を仕方なく受け入れた、と言う事でしょう)
現代の援助交際は、早く言えば、昔の女郎と同じで、根本的に違うのは、昔は、生活に困って親が娘を女郎に売ったわけですが、今は、自分のお金欲しさにSEXを売るという目的意識の、いわゆる売春が蔓延していると言うことです。しかしキャスターは問題をそこに求めてはいないようなのです。この事実に対して、問題なのは両親が子供のSEXに対して無関心か、あるいは知って知らない振りをしていることであって、もっと積極的に自分の子供に対して性について語り合うこと、即ち性教育の必要性を力説するのです。そのために、積極的に性教育を実践している(?)小学校や、性教育合宿などを紹介しています。
本当にそうなのでしょうか? 子供の性に関する質問に正しく答えるために、SEXがどういうものなのかを、詳しく教える性教育が重要なのでしょうか? それを知ることによって10代の少女の売春行為が無くなると言うのでしょうか? 正しい性教育の必要性を否定するわけではありませんし、それは大切なことだと思いますが、男女のSEXの行為まで小学生から教えなければならないとは思いません。生殖は生物が子孫を残すための行為で、動物の一種である人間も同様だと思います。だから自然の仕組みを学習することで目的は達せられるはずです。動物の生殖行動と人のそれと、どこが違うのでしょうか? 生殖行為は動物の本能なのです。教える教えないの問題ではないはずです。そうではありませんか?
ここで問題になるのは、現代の少女達が、単に、金や物に執着して自分の欲望を満たすことだけしか考えない精神構造であると言うことです。それだけではありません。SEXによって妊娠すると言う事実があり、それは自分の体内に生じることで、同時に胎児に対する責任と義務が生じることでもあります。当然そのことを知らないわけではないでしょう。しかし、先ず自分の欲望が優先し、妊娠してしまった場合には、その処置を考えればよいという安易な考え方にあるのではありませんか? 何も10代の少女ばかりではありません。女子大生などについても同様の噂を聞いていますし、それが現実なのかも知れません。
先日の新聞にも、15才の女子高生が子供を産み、処置に困って相手の17才の無職の少年が赤ん坊を山林に捨てたと言う事件が報道されていました。
この問題は、親や子供に性教育を施すだけで解決できる問題ではないのです。世の中に蔓延している金銭至上主義と他人に対する(親子関係も含めて)無関心,無干渉主義の結果なのではありませんか? 若者市場に、これでもか、これでもかと物を売りこむ企業の儲け第1主義によって、次々と新しい流行が作り出され、流行を追うためにお金が必要になって、親に言えず(親の給料では限界が知れているから)、自分の性をお金に換えるというパターンになっているのでしょう。(無論お金でSEXを買う大人の問題もありますが)これは価値観の多様化ではなく、何が大切なのかを判断する力が欠けているのが問題なのではないでしょうか? これは性教育だけでなく、教育全般に関わる問題です。
自分の娘の行動は、本当に大丈夫でしょうか? 彼女を信じることが出来ますか? 自分の価値観を自信を持って正しいと言えるでしょうか? ( Apr. 20. 2000 )
巨人ジャイアンツのファンの皆さん、ごめんなさいネ! 5:0で阪神タイガース、福原の初完封で阪神の4連勝ですからね。阪神ファンとしては笑いが止まりません。“今年も、野村阪神タイガースは鳴かず飛ばずでしょうねぇ!”とは、どこかの解説者の話でした。確かに長嶋ジャイアンツは、開幕まえのメジャーリーグのメッツとカブスを迎えて、歴史的な米大リーグの日本での開幕試合のカブスとの親善試合で、工藤の豪速球にソーサのバットも音無し、松井、高橋の豪快なホームランで6:0の大勝でしたからねぇ! しかし、その工藤が2盗を許して、先制点献上とは情けないですねぇ。年ですかねぇ? それに比べ、福原の若さと度胸の快速球、こんな投手が西武の松坂や巨人の上原以外にいたんですねぇ! 4位の阪神など目じゃないと思うでしょうが、まだまだ、これからが楽しみです。首位をずっこけないよう、ガンバッて下さいね!(Apr. 19. 2000 )
何ともやりきれない愛知県での中学生の集団恐喝事件。知っていながら指導もせず、警察任せの学校関係者。相談を受けながら放置していた愛知県警。恐喝していた少年達に無関心の親達。そして加害者の親に寛大な新聞報道。何故監督責任の有る親を報道の一面に出さないのか? 少年法を無視してまで加害者の実名や顔写真を記事にする“正義ある”ジャーナリズム? が、こと有力者と思われる加害者の少年達の親に、なぜ視点を当てないのだろうか?
テレビでも、キャスターが「なぜ(恐喝されていた少年の)母親は黙って彼等(恐喝していた少年達)に1000万円もの金を渡していたのか?」と、まるで被害者の母親を詰るような発言に怒りを覚えた。弱い立場にあれば、自分の子供の命を守るためには、それしか方法が無かったに違いない。それよりも、贅沢三昧、豪遊している自分の子供が、恐喝をしている事を知らないはずのない恐喝少年達の親が、何故知らぬ顔をしていたのか追求することこそ、「ペンは剣よりも強し」と言うジャーナリズムの役割ではないのか? 報道関係者も所詮、警察や教師達とかわりはない。恐喝の事実の告発に手を貸したのは、被害少年の入院先の見も知らぬ同室の入院患者さんであったとか。ここにはまだ弱い者を助ける正義があったことには感激した! この事実をどう考える?
愛知県の警察の悪さは、既に去年の夏、私達が東名高速で被害を受けた追突事故での事故処理で、加害者の地元の女性に加担し、被害者の私に対して、脅迫まがいの「お前の後方不注意だ!」(彼女の前方不注意、車間保持遵守違反のはずですよね)とあくまで不当な見解を押しつけ、頭から血を流している妻に「こんなものは怪我のうちではない!」と、人命救助優先の原則を無視した豊川高速警察隊の警官の言葉に象徴されているように、警察は決して弱い者、正しい者の味方であるとは限らない! 度重なる警察の不祥事に見られる通りで、多分、それも氷山の一角にすぎないのだろう。今の日本に「正義」と言う言葉は見当たらない!
今回の少年達の恐喝事件は、少年法の改正にも関わる問題であり、親や学校の管理監督責任を問う重要な問題であるので、是非とも、全ての情報を公開して十分審議して欲しい。(Apr. 16. 2000 )
とても感動的なTVドキュメンタリー「窓際族が世界規格を作った〜VHS・執念の逆転劇〜」を見ました。これは、日本ビクターの赤字部門、VTR事業部の部長を命じられた高野鎮雄さんと部下の皆さんのVHSを生み出すまでの記録です。営業用VTRで細々と命をつなぎ、赤字部門としてリストラの対象となりながらも、解散された本社の開発設計技術者達を受け入れ、必死に部下達と一緒に生き残りを掛けて、本社には内緒で家庭用VTRの開発プロジェクトを進めます。本社は更に多くのリストラを要求してきますが、開発を成功させ、部下の生活を保証するためには、事業部の存続がどうしても必要です。経理課長を巻き込んで、業績が上がっているように見せかけるためにウソのデータをでっち上げます。その上、VTR事業が将来大きな柱となることをPRしなければなりません。
3人の技術者の試行錯誤の開発研究が始まります。リストラで配属された技術者達が、赤字の営業用VTRの販売員として利益確保のために協力を申し出ます。営業しながら市場調査をして、家庭用VTRの必要条件を絞り込んでいきます。小型、軽量であること(当時の営業用VTRは35Kgあったそうです)と録画時間が2時間であることが必須条件と決められます。必死の努力にもかかわらず、ソニーの家庭用VTRβマックスが先に完成し、発表されます。ご存知のようにβマックスは非常に画質に重点が置かれていて、録画時間が1時間に設定されていました。それを見てビクターの開発担当者は、自分達の目標が正しいことを確認し、自信を持ちます。少し遅れてビクターの家庭用のVTRの試作機が完成します。重量はソニーのものより5Kg軽く出来たと言います。
これからの進め方がソニーとは異なります。高野部長は秘密裏に、先ず親会社の松下電器の松下幸之助翁に見せて評価を受けます。氏の太鼓判を得てから、試作機を携えて大手の各家電メーカを訪問し、試作機を無条件で貸し出して普及に協力を仰ぎます。当時の産業界では、特許で固めて自社技術を他社に利用させないのが普通でしたから、この行動は異常に見えたし、その男気が共感を呼んだに違いありません。VHSの技術を一人占めにしないで、グループで育てようとした高野部長の先見性と人を信じる人格の成せる業でしょうか。ちょうど、IBMがDOS/Vの技術(日本語入力の変換技術)を世界に公開して、パソコンの発展に大きく寄与したことと似ています。
技術の独自性を通したソニーと、VHSの技術をグループ企業で共有化を図ったビクターの高野部長。それにも増して、部下のことを心から考え、技術者を信じ、一人責任を背負って、ついに開発を成功させた努力と執念には心から敬服します。のちに副社長となって、亡くなってからも社員に惜しまれた人格者、高野鎮雄氏は正に理想の上司であろう。
私もワイシャツのポケットに入る超小型録音機の開発を命じられた時に、日本ビクターの技術部のご厄介になりました。気軽に相談に応じてもらい、当時秘密だった36チャンネルの試聴室を案内してもらいました。その後4チャンネルのオーディオ装置が発表になりましたが、私も自分なりの4チャンネルを考え、何度も試作して4チャンネル・アンプのマニアになりました。今でもオーディオはビクターに拘っています。最近は、私もソニーのアンプやビデオデッキも使っていますが、技術的には大変面白いのですが、操作性が今一つ素人向きでは無いように思います。ビデオデッキも突然動かなくなって、以前のビクターのビデオデッキを使っています。シンプル・イズ・ベストと言われますが、正にその通りだと思います。技術は一人歩きするものではないと再認識しました。( Apr. 5. 2000 )
今日はエイプリルフールですが、最近は心に余裕が無いせいか、邪気の無い冗談で世の中を騒がす人もいなくなりましたね。今日ぐらいは、「火星に、古代宇宙人の遺跡らしいものが発見されました!」くらいのウソの報道をしても良いのではありませんか?
冗談はとにかく、ついに有珠山が噴火しましたね。まだ水蒸気爆発だとかで、地下水がマグマの熱で蒸気になって噴出したのだそうですが、既にあちこちに断層や亀裂が発生しているそうで心配ですね。私も新婚旅行で北海道に行った時、洞爺湖に2泊して、有珠山の近くに有る昭和新山へ妻と2人で上りました、頂上付近は蒸気が噴出していて立ち入り禁止になっていました。昭和新山は、有珠山がその麓に噴火して(1943〜45)隆起したものだそうです。
有珠山は、前回(1977〜78)の爆発では大きな被害が起きていますから心配ですね。農作物や牧畜にも被害が起きますが、観光名所としても有名ですから大変です。今回は手回し良く住民は早くから避難して安全が確保されていますが、避難も長期化すると色々と大変になってきます。早く沈静化すると良いのですが…。ご当地の皆さんガンバッて下さい。( Apr. 1. 2000 )
フジテレビで『記憶の海へ』という番組を見ました。私達の脳と記憶の関係に付いては、まだ詳しいことは良く分かっていませんが、記憶が極めて曖昧なもので、他人の言葉や別の情報によって、簡単に記憶の内容がすりかわってしまうことが実験で証明されます。
確かに、普段私達も、自分の記憶が確かでないことは良く気がつくことですが、過去の経験や記憶が、新しい記憶にも影響を及ぼすことを知り、犯罪の証言でさえもシロがクロに変わる恐ろしさがあることに愕然としました。
ここでは、20年前に起こった友達が殺害された未解決の事件に付いて、女性に突然、当時の記憶が蘇り、自分の父親が幼い友達を殺害したと信じてしまいます。そして、父親は無期懲役の判決が下りますが、この判決に疑問を持ったワシントン大学のエリザベス・ロフタス心理学教授によって、彼女の記憶は、実際には小さいときに父親から受けた性的虐待の結果、父親に抱いた恐怖の記憶が友達を殺害した犯人像にすりかわったことが判ります。
冤罪の多くは、記憶に頼った証言の不確かさが問題になるのかも知れません。事実のみが真実で、物証の重要性が改めてクローズアップされたような気がしました。
巨人ジャイアンツとニューヨーク・メッツとの試合を見ました。気が入っていて、なかなか良い試合でしたね。結局、長嶋ジャイアンツが9:5で勝った様ですが、勝敗はともかく、メジャーの選手のパワー溢れる活躍には目を見張るものがあります。バッティングでのフルスィングは、豪快で目にもとまらない速さです。ボールを追いかける速さや捕球でも、さすがプロと言う感じで、日本選手とは一線を画している様に感じました。たまたま日本の変化球に戸惑い、あるいはストライク・ゾーンの違いなどで、普段の実力を十分発揮できなかったのかも知れません。勝ったからと言って安心するのは早計でしょう。
しかし、日本の野球もアメリカのメジャーと互角に試合ができるようになったことは喜ばしいし、その昔、来日して、日本の野球少年たちにベースボールの楽しさを指導してくれた、ベーブルースやジョー・ディマジオに恩返しできたことを感謝しなければならないでしょう。( Mar. 29. 2000 )
松井、いきなり初球ホームラン! ソーサ選手も呆然自失?
東京ドームでの巨人ジャイアンツとシカゴ・カブスとの開幕戦(親善試合だそうです)、ご覧になりましたか? 先発、工藤投手の力の入った投球に、さすがのソーサ選手のバットも快音がありませんでした。時差ボケも残っているシカゴ・カブスの選手にしてみれば、まだ調子が出ないのかも知れませんが、それにしても、これでもかと、高橋までがスタンド深く叩きこんだホームランには、驚きました。日本ではいまいちの長嶋ジャイアンツですが、さすがメジャーリーグ相手だと頑張りますね。後続のルーキー三沢、高橋もなかなかどうして、すばらしいピッチングでカブスを押さえましたね。見ていて思わず肩に力が入ってしまいました。
しかし、5回裏の途中で放送時間が無くなったからとは、何という放送なのかね? 視聴者を馬鹿にしたような番組ですね。それこそ呆然自失です。でも、結果は6:0で巨人ジャイアンツが勝利を収めたようで、ジャイアンツ・ファンの皆さん良かったですね。
片や、メッツと西武の試合は、大量8点取られて西武が涙を飲みましたから、次の、メッツと巨人との試合が楽しみになってきましたね! その後本番の、カブス対メッツの大試合がありますから、もう、わわくわくしてきますね! ( Mar. 27. 2000 )
やりました!! 貴闘力! 18年ぶりの初優勝。雅山の猛攻にたじたじと思いきや、土俵際での逆転“送り倒し”! 積年の思いが涙、涙、涙。
立会いの時に気負いが全く見られず、リラックスした表情。勝負を超越したときにこそ勝利の女神が微笑む。無心の勝利に乾杯!
出身地の神戸の相撲場で、優勝を心待ちにしていた子供力士たちの喜びの様子が目に見えるようだ。子供達の期待も裏切らず、優勝できてよかったね!(Mar. 26. 2000 )
モジリアーニと言えば、ひょろ長い横たわる裸婦を思い浮かべます。顔までも細長くデフォルメされた裸体は、それでも柔らかな温かい線で形作られ、見る人の心を和ませる気がします。ルノアールのようなみずみずしいはちきれるような姿態を持つ裸婦とは異なっています。たしか、ニューヨークの近代美術館( Musium of Modern Art )で見た、そう大きくもない横たわる裸婦に、緊張感が解けてほっとしたことを思い出します。
ずっと以前になりますが、モジリアーニの映画が放映されました。酒と麻薬に溺れ、結核が身体を蝕んでいき、パリの場末の酒場の客の間を「モジリアーニ! モジリアーニ!」とよろけながらデッサンを売り歩く姿が、目に焼付いています。それが35才の若さで夭折した、薄幸な天才画家のなれの果てであった。
日経新聞の日曜板で取り上げられた「モジリアーニ」は、4回目の今日で終わりですが、モジリアーニの画風の柔らかさは、この天才画家を育て上げた教育熱心な母親の影響が大きいように思われました。同時代のルノアールとも会っていて、ルノアールも彼の才能を認めていたようですが、他人に迎合しない純粋で孤独な彼の気質が、才能有る自分を不幸に追いやったのかも知れません。
まったく話しは違いますが、天才力士若乃花の横綱引退はさびしいですね! 小兵の若乃花は、常にライバルでもある弟、貴乃花の影に隠れて目立たない存在でしたが、小さい身体に闘志をむき出しにした取り組みには、何時も拍手を送りました。横綱になってからは、怪我も多くて一度も優勝に恵まれなかったのは残念でしょうが、精一杯がんばってきたのですから、ご苦労さんと言いたいですね
柔道もそうですが大兵を小兵が倒す醍醐味は格別です。私自身小さい身体で柔道や合気道をやってきたので、技が決まらなくなったときの気持ちがわかるような気がします。天才もいつかは終焉が来るのです。これからは、何よりも健康に気をつけて、後進の指導に相撲生命を捧げてください。( Mar. 19. 2000 )
いよいよホンダが8年ぶりにF1に参戦します。予選でのドライバーの感想では、エンジンもマシンもなかなかの調子だと言うことで、レースの様子を想像するだけでもクワクしてきます。やはり、ホンダは高速回転のエンジンの技術をアピールすることに意味がありますよね。ドマーニを造った頃からちょっとおかしくなっていましたが、やっとホンダらしさが復活しそうですね。ホンダには、何の変哲も無いファミリーセダンやボックス・ワゴンは似合いませんし、期待もしませんしね。
トヨタも追っかけてF1に参戦することを表明していますから、いよいよ、日本の自動車業界は、新しいフラグシップ・カーに企業生命を賭ける事になりそうですね。
残るは、WRCのラリーに賭けるスバルと三菱やル・マンでのニッサン、マツダ、トヨタ、ホンダ等の熾烈な競争でしょうか? 業績の低迷する中で、元気印なのはやはりトヨタとホンダしか無いのでしょうかね? 個性ある自動車づくりと環境を重視した施策(今何が求められているか)が、企業生命を左右するような気がします。( Mar. 11. 2000 )
今日はすばらしい番組を見ました。日本テレビの「21世紀の夢スペシャル ヒトは伝える生命だ!」と言うルポルタージュです。リポーターは若い女性です。
まずアポリジニの生活取材から始まります。原住民のアポリジニには文字はありません。彼らに言わせると必要がないとの事です。コミュニケーションは言葉と手話があれば十分で、必要な事は語り継いで行くのです。手話は、広い、何にも遮られる事のない原野では、狩りをする遠くの仲間との間で手話が一番確実なコミュニケーションの方法だと言います。ここでは、コミュニケーションとは何かと言う事を考えさせられます。現代のインターネットなどの通信手段の発達に飲み込まれている私達は、本当のコミュニケーションと言うものを何時の間にか失ってしまっているのではないかとさえ思われます。また、病気の治療にしても、医者とはいうものの薬もなければ検査器具もありません。あるのは、いわゆる“気”によるヒーリングです。リポーターが体験しますが、手の先がビリビリするというのです。西洋医学に慣れ親しんだ私達には想像がつきませんが、現実に東洋医学では実際に似たような事が行われています。
次には、それとは逆にコンピュータなどの先端技術が、難病に侵された身体不自由な人の手となり、足となり、ハンディキャップを乗り越えて生きる人達の様子をルポします。私達から見れば、廃人同様に思われる人達が、それらの機械の介助により生きるだけでなく、健常者をしのぐ程の働きをしています。これを見ると命の尊さや、生きる事の意味を改めて考えさせられます。遺伝子を操作して、障害を持つ子どもの出生を阻もうとする現代医学の不遜さを思い知らされます。
更に、自分自身との対話、即ち「内なる神」との対話を試みる瞑想や催眠について、ルポルタージュします。日本では座禅という瞑想法が一般的ですが、音楽に合わせて踊りながら瞑想に入る方法が紹介されます。リポーターも体験しますが、催眠によって初めて自分の心と向き合えたと言います。
このルポルタージュを通じて、現代の私達の忘れている大切なもの、必要としているものを、改めて考えさせられました。民放でもこのような良い番組を沢山放送してほしいですね。( Mar. 5. 2000 )
中教審(文部大臣の諮問機関である中央教育審議会)で、またまた不可解なことを審議している。シングルマザーの支援と言う。
結婚により自分の自由が拘束されるのはいやだ! と言う女性が増えて、早期離婚や婚外出産が増えている? と言う実態から、少子化と子供の教育の負担軽減のために、シングルマザーの子育て支援をしようという主旨らしい。
少子化と婚外出産の問題は、必ずしも支援の必要は無く、自らが自らの自由のためだけに選んだ選択肢の問題(むろん、そうでない人もいるだろうが)であって、子供にとっては、必ずしも幸せのための選択ではない。逆に、専業主婦に対して経済的、教育的な支援をし、主婦が働かなくても(共稼ぎしなくても)安心して子育てに専念できる方が、子供にとって幸せなのだと思うのだが? 最近の報道をみていると、何だか自分の考え方が異常で、間違っているんではないかと思えてくる。何が正しい判断なのでしょうね? あなたどう思います? ( Mar. 2. 2000 )
今日、2月29日は閏年の閏日ですが、閏年と言うのは、4年に1回廻ってくる位にしか思っていませんでしたが、100年に1回閏年が間引かれるという事を知りました。それだけではありません。400年に1回は間引かれずに閏年になるのだそうです。1年が約365.2422日のせいなのです。それが今日の2月29日だそうで、コンピュータが誤作動する心配があるというので、我が家のパソコンも心配になって、早朝にチェックしましたが、どうやら何とも無くてホッとしました。金融関係ではかなりトラブルがあったそうですが、皆さんの方は如何でしたか? 便利なパソコンも厄介なものですねぇ。( Feb. 29.2000 )
警察官の不祥事は、留まるところを知らずですね。今回の新潟県警の問題は、たまたま、9年2ヶ月もの長期にわたる女性監禁事件の新潟県警の対応が不充分で、それを隠すために虚偽の報告を報道したために発覚したものであるが、結局は、いずこも同じ権力をカサにきている特権意識の成せる業で、被害者の味方でもなければ、市民の味方でもなく、加害者に対して厳しい正義の騎士でもないのがこれらの警察官なのであろう。
むろん、真面目に問題解決に取り組んでいるお巡りさんもあるが、全般的に官僚体質から脱皮できないのであろうか? 我々市民も警察関係の目安箱に投書しても、結局は自分たちの首を締めることはやらないだろうと、ほとんど訴えることもしない。腐りきった警察の体質改善は、警官採用時の厳格な人物調査と警官の特権を認めないことではなかろうか? 諸外国と比べて、統計的には事件の解決や検挙率は高く、日本は世界でも安全な国と言う感じはするが、実際中身は警官の不正ばかりで、市民が諦めているか、ガマンしているのが実情ではないのか? 今回の事件も氷山の一角にすぎないのだろう。
元はと言えば、政治の悪さに帰着する。人数をテコにして、無理無体の議案採決など、正しい政治が行われているとは考えられない。( Feb. 27. 2000 )
BSテレビで「平和が伝説になった国」というアフリカの戦乱の中にある地方をレポートした国連大使アグネス・チャンさんのドキュメンタリーの再放送を見ました。その中で戦闘や地雷のために、足や腰から下を吹き飛ばされた多くの少年や若者の姿を見て、戦争の悲惨さと無意味なことをいやと言うほど思い知らされました。少年の言葉のように、自分や自分たちの命を守るために、あるいは畑や家畜を守るためには闘うことしか選択の余地は無いのです。国連や多くのNGOのボランティアで彼らを援助しようとも、戦争を無くさなければ問題の解決にはなりません。それも、つぎの世代を背負って立つ若者や子ども達を戦争の犠牲にしてはなりません。乳幼児を飢えと病気で亡くしてはなりません。
平和な日本にいては、世界の国の悲惨な実情は知りようもありません。せめて、このような命がけのレポートを通して、自分たちが何を成さねばならないかを、よく考えなければなりません。一生懸命に国連大使として活躍されているアグネス・チャンさんに感謝すると共に安全と健康をお祈り致します。
私達も、世界中の子ども達の安全や健康のために、unicefやPlan International(フォスター・プラン協会)等にできる限り協力して、子ども達が安心して暮らせる世界を実現しようではありませんか?(Feb. 20. 2000 )
新聞報道によると、厚生省が進めていた長期的な健康づくり計画「健康日本21」でタバコの害を減らすために「成人喫煙率とタバコの消費量を半減させる」案に対して、たばこ業界から反対意見が殺到して目標の修正あるいは撤回を余儀なくされた、とある。
これはちょうどアメリカで、レイチェル・カーソンがその著書「沈黙の春」で化学薬品が生物に及ぼす害を告発したとき、アメリカの化学工業会が、時の政府に大きな圧力を掛けて抹殺しようとしたのに似ているような気がする。
その後ケネディ大統領になって、改めて調査を命じた結果、レーチェル・カーソンの記述が正しいことが判明し、その後の対策が進められてきたが、いまだに多くの化学薬品や化学工業製品が環境ホルモンやダイオキシンの問題となって憂慮される事態を招いている。
4月から実施の予定である介護保険制度(何だかこの制度もいろいろもめてはいますがね)に先だって、厚生省は、生活習慣病(成人病)予防のための健康管理や運動の奨励するプログラムも発表していて、この「成人喫煙率とタバコの消費量を半減させる」ことも大きな柱ではないだろうか? 正しいことに対して、業界の圧力に屈することなく国民の健康を守ることこそ、厚生省や医療関係者の務めではないだろうか?
分煙活動が進められてきた今でも、まだまだ喫煙者の圧力が強くて完全な分煙が出来ず、非喫煙者は休憩室でも肩身の狭い思いをしている。そのため、私自身は、休憩時間や昼休みに休憩室をなるべく使用しないようにしている。
厚生省は、未成年者の喫煙禁止はもとより、他人に及ぼす害の大きい副流煙の問題からも、成人の喫煙も防止するぐらいの考えで「健康日本21」のプログラムを推進してもらいたいものだ。( Feb. 13. 2000 )
尺八と言えば、何を思い浮かべられますか? 多分テレビで見る時代劇に出てくる剣客や浪人が身をやつして、流して歩く虚無僧の姿ではないでしょうか? それほど虚無僧と尺八は、切っても切れない間柄にあると言えましょう。現代でも虚無僧尺八の会があって、毎年秋に献奏会を催していると言うことが日経の文化欄に、小菅大徹師が述べられています。それによると、虚無僧は禅宗の一派である普化宗の僧侶が、読経の代りに尺八を吹いたそうです。普化宗というのは、武士の出身者で構成されていたそうです。今では、少数派の普化宗はなくなってしまい、尺八も管楽器の一種として生き残ってはいますが、年々後継者の少なくなる中で、是非とも尺八文化の伝承を絶やさないでいきたいと述べられています。
もともとの尺八は、長さが尺八寸で、孔が5つあいているもので、これで吹奏するのが本曲と呼ばれ、もとは尺八だけで演奏されていたのだそうです。半音階は“めり”と呼ばれ、孔を完全に塞がないで音を出しているものです。“めり”にも“大めり”と“中めり”があって、これをコントロールするには相当の修練が必要なのです。しかし、現在では西洋楽器に混じって演奏するため、難しい“めり”の操作をなくすために半音階のための孔を2つ追加して、7孔の尺八を用いるようになりました。
だからといって容易に音が出るわけでもありません。しかし、私はもともと本曲の、あのサビのある音色に惹かれて尺八を習い始めたのですが、7孔でも、さっぱり音が出てこないのに参っています。でも何時の日にか、私の尺八から本曲が流れる日を夢見て、今日も練習しているのです。(Feb. 5. 2000 )
NHKテレビで“「自動車税を払っていますか」増加する滞納・差し押さえ”を見ました。全国で自動車税の滞納が大変増えていて、法人税や所得税の減収が続く中、各都道府県は、この滞納している自動車税を強制的に徴収し、財源の確保を始めたと言うのです。不思議に思うのは、今までは滞納していても徴収する努力を怠っていたのでしょうか? なるほどお役所仕事とはこう言うものだと理解できました。しかし、財政困難に陥ってきたために手間ひま掛けても徴収して、財源に当てたいと言うのが本音でしょうね。
税の徴収に付いては、私達も日頃から新聞などで報道される脱税額の多さにあきれて、サラリーマンの所得税に対する不公平さに不満がありましたが、ここでも自動車税を払わずに平然としている人達がいると聞いて、税の徴収方法にも問題があるのではないかと感じました。その根本的な原因が“お役所仕事”なのではないでしょうか?
画面では、或る女性が、中古車屋に売った自分の車の名義変更がされていないため、もう2年もの間自分当てに自動車税の納付督促状が届けられるのに当惑していました。もうその車は別の中古車屋に転売され、元の中古車屋は廃業していて、所有者は分からなくなっていました。これが中古車屋のやり方らしいのです。買った客は他人の名義のままなので、税金を払わずに済むわけですから。
私にも同じ経験があります。2年ほど前に、私名義で中古のMR2を息子が乗っていました。息子が就職して新車を購入するようになり、気楽に考えて、古くなったMR2が不用になったため同僚にタダであげてしまいました。しかし、名義が自分でないことを知って慌てました。しかし、あげるといった手前引っ込みがつかず、名義変更のために私の印鑑証明などを私に請求してきたのです。しかし、相手は名義変更届を出さなかったため、自動車税の請求が私のところへ来てしまいました。このため私も息子も大変気まずい思いをし、相手に名義変更の督促をしたり、陸運局へ問合せたりして一件落着するまで相当かかりました。この場合は相手が同僚だったのが幸いでした。
最近は、中古車の販売を高価買取とか言う言葉につられて、安易に、得たいの知れない中古車屋に売る人が多く、これらの人の多くが被害者になっているようです。一時得をしたように思っても、後で災難が降りかかってくる心配がありますから、売る時は信用の置ける近所の顔見知りの中古車屋さんか、メーカーの販売店で処理してもらった方が安全です。自分の売ってしまった中古車の税金の滞納で、財産の差し押さえにならないように気をつけましょう!(税金は遅滞なく納めましょうね)( Feb. 1. 2000 )
またまた武道の話で恐縮ですが、昨年の11月に行われた「第7回極真空手世界大会」の様子をハイビジョンテレビで見ました。たまたま野球界から何時の間にか姿を消した長嶋一成が、空手に生命をかけていて(これだけの精力を野球にかけていたらと思うのは私だけか?)極真道場でのレポート役をやっていたので、ちょっと興味をそそられて見てしまいました。以前にも空手について、私は大山空手を喧嘩暴力の空手としか認識していませんでしたが、この世界大会を見て少なからず認識を改めました。
4ブロックを勝ちぬいた選手が最後の闘いに挑みます。準決勝はブラジルのフランシスコ・フィリオ、同じくブラジルのクラウベ・フェイト・ローザ、ロシアのアレキサンダー・ピッチュクノヴ、そして日本勢でただ1人勝ち残った数見 肇の4選手です。日本としては、24年間守りつづけてきた本家空手の王座を、いま脅かされています。これは柔道にも似ていますね。
準決勝での数見とフェイトローザの結果は、かろうじて数見選手が勝ち、フィリオとピッチュノヴの試合はフェリオが順当に勝ち残りました。準決勝ともなると、決して喧嘩空手ではありません、神業とも言える一挙手一当足に神経が集中し、手に汗を握ります。決勝での数見とフィリオの試合は決着がつかず、最終判定である体重差と杉板の試割判定に持ち込まれました。(こんな判定があるとは夢にも知らなかった)
結局、試割が22枚で数見の19枚を上回ったフィリオ選手が念願の世界一を勝ち取りました。しかし、フィリオ選手は言います。「結果は私が勝ったが、決して私と数見選手の技に差が有るわけではありません。その時の調子とか運も有るのです。私は優勝したことよりも、この試合を見てもらって、極真空手が如何に素晴らしいものであるかを知ってもらいたいのです」。
正に本家日本のお株を奪われた形です。当分本家の空手は苦戦するに違いありません。もう一度初心に返って武道の本道を見直さなければ成らないでしょう。沖縄の空手道連合会が、空手は試合に勝つことではなく、心身の鍛練にあると言っているのも興味深いものがあります。( Jan. 30. 2000 )
「平成の三四郎」こと、柔道の古賀稔彦6段。切れ味の良い一本背負いで国際試合やオリンピックでの活躍に胸を躍らせたのを思い起こします。
NHKテレビ「三四郎の雪辱・金メダリスト古賀稔彦の闘い」を見ました。彼も既に2人の子供を持つ父親です。アトランタ・オリンピックの決勝で優位に立った自分に、最後まで果敢に攻めるという武術本来の精神を忘れ“このまま逃げ切れば優勝の金メダル”と安易な選択をしたばかりに、予期しない判定負けを喫し、このまま引退することは自分の誇りを失うことでもあると、シドニー・オリンピックに再起を賭けます。
しかし、柔道の世界では、もう古賀の時代は過ぎ新しい若い世代が台頭して、古賀は見向きもされない存在になっています。格闘技は体力が勝負です。若い元気な選手に立ち向かうには体力の強化が欠かせません。階段の駆け登り、坂道の全力疾走、若い後輩の胸を借りての何本もの乱取り(実践練習)、若い力に圧倒され得意の一本背負いもことごとく潰されます。それでも遂に、オリンピック強化選手を決める講道館杯でベスト4に残って、オリンピックへのキップを手に入れることができました。
しかし、闘いはこれから始まるのです。往年のスピードと鋭い切れ味の一本背負いが復活できない限り、オリンピックの舞台に自分の姿は有りません。体力の衰えも講道館杯の試合で嫌と言うほど知らされています。もう後には引けないのです。やるしかないッ!
比較すべくもありませんが、私も柔道に専念したときがありました。25才のとき足柄上郡代表として神奈川県青年総合体育大会に出場しました。成績は団体では引き分けに終わり、個人戦では2段の相手に巴投げで敗れてしまいました。私も体が小さく159cm、51kgでしたから、得意技は古賀選手と同じように背負い投げで、通称“一本背負いの○○”とも呼ばれていました。古賀選手は179cm、79kgですが、現在の柔道界では小柄な方です。
私はその後、柔道部の無い関連会社へ移り、合気道に転向して現在に至っています。合気道を始めて、改めて自分の柔道が力の柔道であることを悟りました。力に頼る限り、年を経るにつれ体力も衰え、動きのスピードも鈍ってきます。若い力には太刀打ちできなくなるのは当然と言えましょう。
昔の剣客や柔術家は、年を取るにしたがって技が円熟して、若い剣士等の技が到底及ばなかったことに秘密があります。不遜な言い方かもしれませんが、古賀選手にもこのことをよく考えてもらいたいと思っています。「気」と言うことがとても大切な要素なのです。
私は今、文化気功を主宰する高岡英夫氏に大変興味を持っています。できれば指導を受けたいとも思っています。
氏は、合気道の開祖の植芝盛平翁の技をも未完成だと批評しています。氏の剣の実力は、剣聖宮本武蔵にも肉薄できるものとも言われています。この基本は“ゆるむこと”なのです。力を入れるとは正反対で、それによって相手が動くまえに自分が動くことが出来、目に見えないほどのすばやい動きを実現できると言うのです。それゆえムダな力は必要無いのです。
特に現在の国際柔道大会を見ていますと、組み手争いに終始し、技を出すことが点数を稼ぐことであり、力技が主体の剛術になっているように思います。「昭和の三四郎」木村政彦にしても、「女三四郎」柔ちゃんや「平成の三四郎」であった古賀選手にしても、目にもとまらない速い動きで相手を制した本来の柔道の醍醐味を味わわせてくれました。もう一度、柔道の原点に戻って以前の素晴らしい技を再現して欲しいものですね。( Jan. 22. 2000 )
「震災五年 生キテイル記」。日経新聞の文化欄に載せられた藤本義一氏の一文である。
阪神大震災から5年、精神的な後遺症を引きずって生きている人が大勢いる。氏もその一人である。震災の崩落によって、偶然書棚の奥に潜んでいたアダム・スミスの「国富論」(The Wealth of Nations)が現れてきたのであった。学生時代によく読んだものだが、四十数年ぶりに読みなおしてみると、"Wealth"というのを“富裕(Rich)”と教えられたようだが、改めてよく読んでみると、平等な富の配分が国を豊(Abundance)にすると言っているわけで、豊かな平等性が資本主義の原点であると主張している、と述べられる。
ところが、その意味でわが国の現状を見ると、私利私欲に走り、中小企業の倒産、リストラ解雇による失業、いずれにしても平等を考えない富の配分で起こったことではないか? と嘆息して書かれている。
日本の起業家には、マイクロソフト社のビル・ゲイツにあやかって、名声と富を得ようと目論んでいる多くの「蛭・ゲイツ」が群れている。これらの頭の中には“豊”、“平等”、“配分”の三要素が欠落している…。
藤本義一氏の切っ先は鋭く、また胸のすくような毒舌とも思える。今の日本には正義は無いに等しい。まさに大震災の荒廃した姿を見ているようだ。立ち直れるものだろうか? という疑問符が付くようにも思えるのだ。( Jan. 16. 2000 )
“♪♪〜ドはドーナツのド、レはレモンのレ〜…♪♪”
ご存知「ドレミの歌」。ジュリー・アンドリュース演ずる唄う修道女マリアと、妻を亡くして7人の子供達の教育に厳しいトラップ大佐を演ずるクリストファー・プラマー。奇しくも大佐のところの家庭教師となったマリアが子供達に教える歌の数々。もうお分かりでしょう! 映画「サウンド・オブ・ミュージック」です。
最後に大佐と結ばれたマリアと子供達によるドラップ・ファミリー合唱団が音楽祭を盛り上げます。祖国を懐かしむ歌「エーデルワイス」を観衆と共に合唱するトラップ大佐。しかし、ドイツ軍の統治下におかれたオーストリアから、平和を願って音楽祭の夜スイスへ亡命します。これがあらすじですが、ここで登場するトラップ・ファミリー合唱団が実在のものであることを日経新聞の文化欄で知り、ビックリしました。
著者は、アメリカのバーモントでロッジ経営をしているヨハネス・フォン・トラップさんです。亡命時には、むろんまだ生まれていなかった末っ子だそうです。彼も後にトラップ・ファミリー・シンガーズの一員として世界を駆け巡ったそうです。創作物語のロマンス・ミュージカル映画とばかり思っていたのに、実際にあった物語だと知って益々好きになってしまいました。この映画で100萬$スターとなったジュリー・アンドリュースは、最近来日しましたよね。もう若くはありませんが、美しい人でしたね。もちろん「サウンド・オブ・ミュージック」のビデオ・ディスク版を持っています。
でも実際に唄っていたのは「ドレミの歌」などではなく、モーツアルトやバッハなどのクラシックや民族音楽だったそうですよ。( Jan. 14. 2000 )
BS2で16才の天才バイオリニスト庄司紗矢香を見ました。
パガニーニのバイオリン協奏曲を演奏する彼女のリラックスした夢見るような表情からは、とても厳しいレッスンとコンテストを勝ち抜いてきたバイオリニストとは思えません。しかし、“弾いているとき何を考えていますか?”と言う質問に「いろんな風景が見えて来たり、街角での人々のさざめきや会話の風景が浮かんだり、もっと抽象的な模様だったりします」。正に音楽と同化していると言うことなのだろうか? 世界的バイオリニスト、アイザック・スターンさんのレッスンやチェロ奏者ロストロポーヴィチさんの言葉を思い起こしました。
彼女の演奏は、繊細で艶やかで、力強くハリがあって、とてもすばらしく、うっとり聞き惚れました。これがバイオリンなのか!と感動してしまいます。
「楽器も人間みたいに感じるところが有るので大切にしたい」。楽器も人間と同じように生きていると言うことなのだろう。
「(演奏している時には)私自身が消えてしまって、音楽として聴衆の中に入り込んで行くような演奏が理想」なのだと、落ち着いて話す様子はやはり天才バイオリニストだ!と思わず納得してしまう。これからが益々楽しみですね! 庄司紗矢香さんに幸あれ!
遺伝子組換え食品について、OECD(経済協力開発機構)は表示や販売に関して国際的な指針の作成に乗り出すらしい。と言うことは、遺伝子組換え食品が必ずしも人体、いや地球上の生物にとって安全であるという保証がないことを意味しているのではないか? 人が遺伝子を操作するという禁断の神の領域に踏み込んだことに、自らが反省する時がきたとも言えよう。
しかしこれによって生命科学について大幅な見なおしを迫られることになる。地球上の生物にとって、人間だけが自分に都合の良いように遺伝子を操作することは許されないことを知るべきだと思う。未知なることに挑戦することが人間の特権ではあっても、それは人間だけの利害だけで考えてはならないし、自然のシステムを決して壊してはならないと思う。( Jan. 10. 2000 )
ETVカルチャースペシャル「東山魁夷・若き日の魂」を見ました。むろん東山魁夷画伯にも若い時があったわけですが、若き日の画伯の絵はコドモノクニに載せられた童画なのです。後の代表的な作品「残照」に似た面影は全く想像することが出来ません。子供達が自由に遊ぶ姿が活き活きと描かれています。
私はすぐに竹久夢二を思い浮かべました。竹久夢二もまた同じようにコドモノクニの表紙絵を描いていて、後の独特の美人画を形成する過程があるわけですが、突然変異する画風には何らかの転帰や要因があるように思うわけですが、それは画家の心の中にあるわけです。それを、生い立ちと数々の作品を通して推測するしかありません。
自然をこよなく愛し、自然に生きる姿を描くことを大切にしておられた東山魁夷画伯の心が、童画からも伝わってくるような気がしました。( Jan. 8. 2000 )
何と言ってもお正月の華、箱根駅伝! 今年はすばらしいレースが展開されましたね。トップに飛び出した法政大に誰もついていけない。あわや法大の一人勝ちか? と思われましたが、どうして、どうして、満を持して追い上げる順天堂大と駒沢大。どうしたことか上位に姿を見せない優勝候補の山梨学院大、神奈川大。繰り上げスタートが2チームだけという実力伯仲の、手に汗握るレース展開と、順位がめまぐるしく入れ替わる場面に目が離せません。
結局、駒大が順大の追撃を振り切って更に大きく引き離して優勝のテープを切り、昨年の逆転負けの雪辱を果たしました。
それにしても予選会から上がってきた帝京大の4位は殊勲賞でしょう。敢闘賞は、これも屈辱の予選会から6位に食い込んだ早大というところでしょうか。ブービーの拓殖大、最後までレースを捨てなかった東洋大のチームの皆さん、お疲れ様でした。また来年も良いレースを見せて下さい。( Jan. 3. 2000 )
みなさん良いお正月をお過ごしですか? Y2K問題はどうやら大したことは無かったようですが、万全を期していた東海村や各地の原子力発電所で小さなトラブルが有ったと言うことですから、安全を旨とする原子力利用では決して無視できないものでしょう。
ところが我が家では、電気洗濯機に故障が発生し、それも、すすぎ脱水工程が働かなくなり、昨年の大量の洗濯物が処理できず大騒ぎとなってしまいました。電化製品に頼っている現代文化生活の問題点を浮き彫りにしました。(ちょっとオーバーか?)元日では修理に出すことも出来ず、新しい洗濯機を買うことも出来ず、とはいえ、大量の洗濯物を手で絞ることも大変です。何とか修理をしなければメカトロ技術者としての男がすたる。
いったん直ったように見えたが、2日の朝にはまた故障してしまいガックリ。必死になって脱水のマイクロスイッチの接点を磨いたり、水量検出と思われるベローズを分解したり、洗濯するだけの事に何でこんなに複雑にしなければならないのかボヤクことしきり。
しかし、その甲斐あって、ヤッタぜ! 修理完了。脱水工程が作動したときは、涙!涙!涙!
我が家のY2K問題でした。お退屈さま! ( Jan. 2. 2000 )
明けましておめでとう御座います。
2000年の新世紀を迎えて明るい平和な世界が実現できる事を心からお祈り申し上げます。私たち一人一人が平和と愛の心を持ち続ける事を誓いたいと思います。
地球は誰のためのものでもない、全ての命あるものためになければならないのです。自然環境を守り人間のエゴで地球という惑星を汚染しないように、みんなで考えようではありませんか?
本年も拙いtommyのホームページにお付き合い下さいますよう心からお願い申し上げます。(Jan. 1. 2000 )
私がホームページを作った目的
私の言っていることが正しいかどうかはともかく、自分のご都合主義ではなく、日本の将来のために、自分たちの子孫のために(ちょっとオーバーかな?)自分の意見を主張し、行動することが大切だと思ったんですよ。(頭の老化を防ぐためにもね)
今まで自分を育ててくれた諸先輩および社会に対して、残された自分の人生の時間をこのために使おうと考えたんですよ。
インターネット・ディベート、これが実現できれば最高です。どうか貴方自身が私の考え方を批判したり、周りの人たちと討論して下さることを願っています。
[1999年後半の「tommyさんのつぶやき」を見る]
[1999年前半の「tommyさんのつぶやき」を見る]
[1998年までの「tommyさんのつぶやき」を見る]
[ホームページの最初に戻る]