tommyさんのつぶやき2006年前半


 日経新聞の「日本を磨く」のインタビュー・シリーズがある。その3回目に法隆寺管長の大野玄妙師のお話は、現代日本人の抱える問題点を鋭く指摘している。

 「日本人の精神に根を張り、連綿と受け継がれてきた価値観があった。和を尊び、謙虚で、争いを嫌う精神で、それが判断や行為の規範だった。…(それが太平洋戦争の)戦後、復興、高度成長、バブル、その崩壊と続くうちに、次第に他人を顧みずに競争に勝ち抜くことばかりが強調されるようになり、生き方の基準となる徳目が忘れられた。」
正に、受験競争や同僚を蹴落とす出世競争、ライブドアや村上ファンドにみる金銭至上主義、全てお金次第、幸せまでもお金で買えるものだという傲慢さは、他人の幸せは念頭に無いものと言えようか?

 「…特定の組織や党派や、日本の中だけで仲良くするのではなく、揺ぎない、共通の目標と同じ価値観を持って世界の和合、つまり平和を目指すべきだ…。国際社会でもナショナリズムが民族間の不信をかき立て、宗教間の価値観の相違から紛争が頻発している。」
 正に政治の世界がそれではなかろうか? ブッシュ政権によるイラクへの武力行使、それに追随する“イラクの復興・人道支援”に名を借りたアメリカの武力戦争の後方支援や日米安全保証を建前とする日本の米軍基地強化、果ては中国、韓国の感情を無視した小泉首相の“靖国神社参拝”の強行など、近隣外交不在の独断専行、ファッショ的な言動は、憂慮すべき事態ではなかろうか?

 「…義や信、即ち道理にかなった正しい道や言葉と心が一致した誠の大切さを説いた仏(ブッダ)の教えである法(真理)」を尊べと聖徳太子は説いているという。
「…平和運動に参加したり、環境美化に取組んだり、世界の飢えた人々に募金を送ったり、無理せずできることから始めて、長く誠実に続けることが大事なのだ。」と結ばれている。私たちも、世の中のどれが正しいことなのかを見分ける目を養い、微力ながら世界平和のためにたゆまず努力を続けて行きたいものだ。( Jun. 30. 2006 )


 関東地方も、入梅宣言してから梅雨らしい雨もなかったのですが、月末近くなってシトシト雨の様子です。近年は、地球温暖化のせいか、季節も定かでなくなって、カンカン照りが続いたり、季節はずれの大雨に戸惑っています。

 日経新聞の「漢字コトバ散策」欄で、中国古典学者の興膳宏氏によれぱ、“紫陽花”は、白居易の詩、七言絶句により、

  何(いず)れの年か仙檀上に植えし
  早晩(いつ)か移し栽(う)えて梵家(ぼんか)に到る
  人間(じんかん)に在りと雖(いえど)も人識(し)らず
  君が与(ため)に名づけて紫陽花となす

“紫陽”は、古来多くの神仙や道士たちが「号」として用いた言葉で、いわば仙界のシンボル的な語だった…。
さらに、この詩の前書きに、…この花は「色は紫にして気香る」といっている。それが香り高い紫の花だったのなら、私たちの知るアジサイとはおのずと別種の花である…。

 なるほど、そう言われてみると、私たちが疑問も持たずにアジサイを“紫陽花”と認識しているのも不思議な気がしてくるのです。( Jun. 26. 2006 )


 駐車違反に厳罰制度。従来、駐車違反の取締りには、違法駐車に対して長時間の駐車かどうかを判定するために、移動の有無を調べる方法として、タイヤの位置にチョークで印をつけておいて長時間の駐車かどうかをチェックしていた。そのため、その場で長時間監視しない限り、短時間で少しづつ車を移動させたりして、巧妙に駐車違反を逃れる輩も居て取り締まりはイタチゴッコとなっていた。

 ところが、こんどは駐車禁止の場所である限り、短時間・長時間にかかわらず運転者が車から離れている場合には、即駐車違反のステッカーを貼り付けられ、高額な罰金を支払わされると言う。それに、違反監視人には、警察官ではなく特別に教育した一般の監視人を雇用して実施されることになっている。そのため運輸業界ではその対策に大童で、荷物の配達業務などに重大な支障を生じることになりそうだ。

 我々一般人にしても、駅などに人の出迎えに出掛けた際に、駐車場の無い場所では、例え短時間であっても、運転者は、車を止めておいて車を離れて駅の構内に出迎えに行くことも出来なくなる。従来の規則では、荷物の積み下ろしなど5分以内の短時間の停車が許されていたものが、必要なら手段を選ばずで、知らない間に警察に都合のよいように、勝手に変更になったということなんだろうか?

 このような非常に大きな影響を与える規則の変更には、国民の意見をよく聴いて、十分に議論した上で決定すべきなのではないだろうか? それでなくても現在の警察官の特権を利用した横暴や常軌を逸した違法な行為、規律の乱れなどが目に余るではないか? その上、この駐車違反での取り締まりや反則金(罰金)の徴集などは正気の沙汰ではない。問答無用と、有無を言わせず多数決で押しきる小泉政治と、どこか似てはいまいか? 教育基本法の改正や憲法改正、防衛庁の防衛省への昇格案など、国民の知らぬ間になし崩しに改悪が行われるような不気味さが心配だ。( May. 19. 2006 )


 日経新聞に連載中の堺屋太一さんの「世界を創った男 チンギス・ハン」は、毎日朝刊が待ち遠しいくらい面白く、楽しみな、血わき肉おどる物語りです。普通、連載小説とか連続ドラマとかは、毎日見聞きするほど興味が続くものでは有りません。ところが、この連載小説はそうではないのです。毎日の成り行きに興味が集中してしまうのです。次の日の物語りの行方が気がかりになるのです。読者をこれほど引付ける術は、堺屋太一さんのペンの魅力でしょうか?

 私たちの年代では、モンゴルの王者ジンギス・カンとして、子ども心に強い影響を与えた映画や絵本、読み物などから記憶に強く残っています。“チンギス”とは、シャーマニズムの「光明の神」Hajir Chinggis Tengri の名前であるといわれている。後にモンゴル草原を統一し、モンゴル帝国のカン位に就き、それまでの氏族的共同体を解体し、軍事組織に基いてモンゴルを統治した。彼はシャーマニズム信者であったが、他の宗教には寛大であり、外来文化の摂取に努め、その教養と政治的能力でモンゴル帝国、特に属領を統治したと説明されています。

 堺屋太一さんが元経済企画庁長官だったことは自明のことですが、堺屋さんは「文芸春秋」の3月特別号の『米国VSモンゴル帝国どっちが強い』の中で、“私はこの2月から日本経済新聞紙上に「世界を創った男 ―― チンギス・ハン」を連載する。モンゴル帝国とチンギス・ハンの物語に目を向けることは、超大国米国の「今」を知り、世界における日本の位置を考える上での、大きな手がかりとなるはずである。”と述べられています。
今の日本の(偏った経済優先、問答無用の)政治とその将来について、この「世界を創った男 チンギス・ハン」を通して検証して欲しいと考えられているのではないでしょうか? 日本の政治が混沌となっている現在、益々、この連載から目を離せなくなってきています。( Apr. 23. 2006 )


 最近話題になっている“脳の活性化”は、子どもの学力向上もさりながら、本屋へ行って見ると“大人の脳力向上”とかで、読み・書き・計算のドリルが注目を浴びています。

 仕掛け人は、脳科学者の川島隆太教授と小学校の授業で実践して効果を挙げた土堂小学校の陰山英男校長ですが、川島教授によると、認知症の改善に効果があって、これからの高齢化社会において、老人がいつまでも元気でいられて、要介護人口を減らし、医療費の増加を抑制するためには“脳の活性化”を実践することが重要になってくるということです。とりあえず、私も試しに毎朝10分間、新聞の素読をやってみることにしました。

 先ず、日経新聞の「社説」と「春秋」欄を音読することにしました。
「社説」を読む時間は、約6分で、「春秋」欄を読む時間は、約1分30秒で、合計約6 分30秒でした。最初は、なかなかスラスラとは読めないので、多少時間が掛かっていますが、10分間読む量となると、もう少し読む必要があります。
そこで、ちょっと趣を変えて「連載小説」を読むことにしました。そうしましたら「連載小説」を読むのにかかる時間は、約3分でした。すると合計の時間が、約10分30秒となって、慣れてくれば10分くらいで読み上げることが出来ます。

 ところが、これだけ音読するのは大変で、読み終わった時にはぐったり疲れてしまいました。“たかが音読、されど音読”なのです。内容を把握しながら読むのは大変疲れる仕事なのですねぇ! 黙読では大体が斜めに読んで、大筋をつかんでいるわけなので、時間も掛からず、それほど負担にはならないのでしょうか? なるほど、だから音読は効果が大きいというです。

 また、音読するためには、漢字が読めなくてはならないのです。読めない漢字が出てくると、そこでストップしてしまうので、辞書が離せません。飛ばし読みはご法度というわけです。これは勉強になります。(自分の国語のレベルを嫌と言うほど思い知らされるわけだ…)
2日間音読を続けただけで、頭痛がして眠れなくなってしまいました。これを続ければ、さぞや“脳力”はビックリするほどアップするに違いありませんが、血圧もアップするに違いないなぁ!“学問に王道無し”とは、正にこのことですか?

 しかし、これに懲りず、「読み・書き・計算」の“計算”の“100マス計算ドリル”に女房と二人して挑戦したのです。これは、計算結果を調べるのではなく、同じ問題で、2週間つづけた後に、如何に速く計算できるようになるかであるので、難しいことは何も無いのです。(と思っていた…)
ところがドッコイ、最初の1回目の計算速度で、私と女房とで著しい差がついたのです。その結果、私は著しく自尊心が損なわれて、惨めな思いをする羽目に陥ってしまいました。無論、私の方が、はるかに計算が速いはずだと自惚れていたのですから…。
ところが、結果は次の通りで、

  百マス計算結果
               私       妻
                    1桁足し算   2分12秒   1分49秒
     1桁引き算   3分09秒   2分07秒
これは侮辱的以外に何物でもありません!(これこそ本当の実力だよねぇ、きっと!/老化(痴呆?)が進んでいるってことか?)
もう許せない! 2週間後を見てろッ !!! (もっと差が開くってか?/ガクッ!)

 いやいや、まだ手はあります。「読み・書き・計算」の“書くドリル”が残っています。“国語”については、私は学生時代ず〜っとトップの“5”だったし(本当か?/英語の辞書は買えなかったけどさぁ‥)、社会人になっては“書道(教育部準師範)”の実績があったのですぞッ! それでは後程、結果をお楽しみに !! ( Apr. 12. 2006 )


 阪神タイガースの金本選手が、元米ダイリーグのリプケン選手の持つ、903試合全イニング連続出場の世界記録タイを達成しました! 新記録樹立も時間の問題です!!!

 同じ球団で連続出場することだけでも大変なのに、金本選手は、広島球団に所属していた1999年7月の対阪神戦から連続出場し、2003年に阪神に移籍して今日まで、全試合に出場し、それも全イニング出場を全うしたというのですから、正に鉄人といわれる所以なのです。

(気楽な稼業の)サラリーマンでも休まず働くのは大変なことで、私などは(比較の対象ではないッ!/しかし〜…)天気の良い日などには仮病を使って早退し、友人と示し合わせて箱根にバイクでツーリングに出かけたり(バ〜カ!!!)、二日酔いだと言っては、皆さんの仕事に差し障りがあるので休んだり(実際には、酒臭いのでムリと休まされたり…/とんでもねぇ野郎だッ!!!)、働きすぎて救急車で病院に担ぎ込まれたり(本当に? 働きすぎっ?/と言うことで…)などして、長期間無欠勤など考えられませんでしたからねぇ!(鉄人じゃなく、ロウ人じゃあ!)

 それに、金本選手は謙虚で信頼厚く、同僚や後輩の選手達から慕われ、尊敬されていたそうで、全く“武士の鑑”とでも言いましょうか、“野球の権化”とでも言いましょうか、素晴らしい人格をも併せ持った稀代の野球選手だったのでしょう。もう38歳は若くはないので、十分に身体をいたわって、これからも素晴らしい野球人生を続けて欲しいと思います。金本選手の栄光に幸あれ!!! ( Apr. 9. 2006 )


 最近の気候変動が大きいせいか開花時期がずれこんで、お花見の計画に困っています。当地では、梅と桜が同時に開花していますし、桜の花も例年より早いようで、急に暖かくなった今日辺り、一度に開花するのではないかと、既に予定している4月5日まで待ってはくれない様子でハラハラしています。東北から北海道にかけてはまだ雪も深いようなので、逆に、いつもの5月の花見頃には開花していないのではないかと、これまた花見旅行の予約を逡巡しているところです。

 花と言えば、むろん桜ですが、今年は一度に色々な花が開花して、この世の春を満喫できるのではないかと、これまた大変楽しみにしています。北海道の桜の開花といえば、もう何十年もの昔になりますが、新婚旅行で、初めて北海道に行った折に、バスの窓から見た桜の花が素晴らしく綺麗で、とても印象に残っています。お嫁さんをほったらかして、いくつものカメラと三脚をかついで、あちこち新婚旅行の思い出作りの撮影に忙しく、新妻のヒンシュクをかったことを思い出します。“私より写真の方が大事なのね!”と険悪な顔をしていましたっけ?

 今でも、当時のアルバムを開けるには、相当勇気の要るところです。特にアイヌ部落で、アイヌの衣装をムリに付けさせて写真を取った時にはもう極限で、その顔は、花嫁の顔ではなく、赤鬼の顔になっていましたから、その夜の様子がいかばかりか想像に難くないでしょう!
しかし、時は流れ、もう直ぐ古希を迎える昨今では、喧嘩をする勢いも無く、無欲でボランティアに精を出して“熟年離婚”何処吹く風と、比較的穏やかな生活にのめりこんでいます。(全てが穏やかでないところが、今少し問題ですねぇ!)

 それはそうと、4月5日の天気予報は、雨模様と言っていますが、花見は大丈夫でしょうか? 花よりダンゴで、公民館でお食事とカラオケって事にならないでしょうね? 皆さん、テルテル坊主の準備ができていますか?(お前の頭がテルテル坊主じゃないか?)( Apr. 3. 2006 )


 バンザイ! 万歳 !!  ばんざ〜い!!!  やりました、王JAPAN! 世界最強、豪敵キューバを何と10:6で下し、WBCで優勝、初代ワールド・チャンピオンに輝きました。

 初回に相手投手の乱れに乗じて4点取ったのにはビックリ! その裏、頼りの豪速球松坂がキューバのペレにいきなりホームランを打たれて、またビックリ! でも、これで松坂も油断せずに抑えられるだろうし、全員闘志に火が点いたろうから、ひょっとしたら優勝がまんざらでもないような感じがしました。しかし、最終回まで手に汗を握る闘いに、もう疲れ果ててしまいました。8回裏にキューバに6:5と1点差に詰められた時には、手に汗どころか心臓がパンクしそうで、血圧が上がり息が詰まってしまいました。(血圧の薬飲んだ?/あッ、飲むの忘れてたッ!)

 ところが、あろうことか(?)9回表に、またまたイチローに続いて代打の福留が2点打などの猛攻でダメ押しの4点で10:5。これで完璧と思いきや、強豪キューバは、その裏、またもや1点追加、しかし、反撃はそこまで。最終バッターは、抑えの投手大塚に手も無く三振し、10:6で無念の涙をのみました。
日本チームは飛びあがって大喜び、私達も立ちあがって、拍手!、はくしゅ!!、ハクシュ!!! で万々歳ッ!!! 歴史に残るワールド・チャンピオンの誕生です!(心臓に悪い優勝戦でしたッ!、でもヨカッタね!!!/心筋梗塞起こさなくってか?)

 またまた、国民栄誉賞候補が沢山生まれました! MVPの松坂はむろん、チームを優勝に導いたイチロー、大監督王貞治氏はじめチームの面々など(応援した私たちにはくれないの?/応援でのどが乾いたでしょうから“国民栄養賞”で野菜ジュースでもどうぞ!)まあ、みなさんが帰国してからの話ですねぇ!( Mar. 22. 2006 )


 WBC(World Baseball Classic)の準決勝で、日本チームは2連敗した宿敵韓国に、6:0で完勝しましたねぇ。見ていてハラハラしました。何しろしぶとい韓国チームですから、いつ何時上原を打ち崩すか知れませんから、片時もテレビの前を離れることが出来ません。トイレもコマーシャルを待ちかねて飛び込む始末です。きっと、日本全国同じだったと思いますから、さぞや浪エネとなってCO2 の発生が増えたに違いありません! 我が家も例外なく、WBC消費電力で1KWアップとなりました。

 そもそも、このWBCでの対韓国戦の2連敗の原因は、韓国には勝てるものとの思い上がりがあったような気がします。それが王監督のピッチャーの交替時期の遅れだったのでしょう。人情厚い王監督のことですから、もう少し、もう少しと替えるのをガマンしたために、思わぬ借金を背負うことになってしまいました。それに比べ、韓国の金監督の采配は見事でした。早い目早い目のピッチャー交替は、非情とも見える勝負の鬼ではないかと映りました。むろん、日本チームの実力は侮れないと常に先手を打ったということでしょう。何しろ、兵役制度のある韓国では、このWBCに勝てば、選手の兵役は免除となるということですから、選手達も勝つことが優先で、必至になっていたに違いありません。

 日本チームは、2次リーグのアメリカ対メキシコで、メキシコがアメリカに2:1で勝ったために、同率のアメリカ、メキシコ、日本が、規定の失点率の僅かの差で日本に準決勝進出の権利が転がり込んできたのです! 棚ボタの幸運です!! 正に神風が吹いたのです!!!

 このチャンスを活かさないでどうしよう! 再度、韓国との対決です! 悔しさを顕わにしていたイチロー選手の決意がわかるような気がしました。さて、王監督の采配は? と冷静に拝見していました。同じような采配なら、また韓国チームに打っちゃられるでしょう。ところが、スターティング・メンバーを見てビックリしました。何と、イチローが3番ではありませんか? 先発ピッチャーは上原です。松坂と行きたいところですが、既に第2戦で投げていますからムリなのです。上原は優しいわりに速球でいて変化球も持っていますから信頼が置けます。1,2番が出てくれれば、イチローの打席は超信頼できます。更に彼は“絶対、韓国に勝ちに行くんだッ!!!”と事前のインタビューで堅い決心を述べていましたからね。

 しかし、試合が始まって、1,2番のバットからは快音が聞かれません! イチローは、決意どうり素晴らしいヒットと走塁を見せてくれました! また、上原も期待通りのすばらしいピッチングで韓国の打線を封じてくれはしましたが、味方の打撃の援助はありません。その代わり守備ではファインプレーで上原を助けました。

0:0が続いて7回表、ライトへの打球で松中が執念のヘッドスライディングで2塁打とした後、王監督は次打者の多村にバントを命じました。何で? と思いました。ロングヒッターの多村にはバントはムリでしょう。ここは打たせるべきではないか? しかし、あくまでバント強行です。しかし、やはりこれは失敗に終りました。王監督は、次の打席に福留をピンチヒッターに送りました。何で? ここのところ福留のバットは湿りっぱなしです! ムリ、ムリ! 他に誰か居ないの? と思いましたが、これが大当たりでした!! 何とツーラン・ホームランとなったのです。

 これを機に、打線が爆発!!! 宮本の代打起用も当って、一挙に5点獲得! 7回裏を0点に抑えて、更に、8回表に多村の一発で駄目押し点、ピッチャーは薮田、大塚とリレーし、韓国を封じて6:0の完封勝利!!! 背水の陣で臨んだ日本チームの勝利でした。これで安心して帰国できますねぇ!
 やれやれ、疲れた! 選手の皆様もご苦労様でした! まだ決勝のメキシコ戦が残っています。韓国戦勝利の美酒に酔っている暇はありません!! パワーの野球にチームプレーで野球の醍醐味を味わわせて下さい! これこそイチロー野球の目指すところでしょう。みんなで応援しています!!! ( Mar. 20. 2006 )


 やっと確定申告を済ませました。一年の初めの大仕事の一つです。小田原にある青色申告会の準会員に入会していて、毎年、下書きをしていってチェックしてもらって、そのまま税務署へ収めてもらいます。計算に弱いので、毎年ミスを指摘されますが、今年は年金の計算ミスをしていてガックリしました。ところが、今年からは、既に年金の中から税金が源泉徴集されていて、年金の所得は少なくなっていますが、源泉徴集の取られ過ぎで、2000円ほどの還付金がありました。先に税金が取られているとは言え、何だか得をしたような気分です。しかし、1000円の年会費と小田原までの足代を考えると、ほとんどチョボチョボになってしまいます。

 日経新聞の「漢字コトバ散策」欄に、興膳宏さんが“所得”について語源を書いておられますが、もともと“所得”は収入ということではなく、“得た所のもの”という漠然とした意味で、白居易(白楽天)の詩には、

   顔回(がんかい)は短命にして伯夷(はくい)は餓(う)う
   我の今得し所は亦(ま)た己(すで)に多し
即ち“孔子の優れた門弟だった顔回は若死にし、賢人伯夷は飢え死にした。彼らに比べると、自分の四十七という年齢は十分に多い。”この「得し所」は年である。
また『法華経』の方便品(ほうべんぼん)に、「諸仏は得し所の法を、無量の方便力もて、衆生(しゅじょう)の為に説く」とあるのは、悟り得た真理の意。

 このように、得た所(所得)は、何時の間にか金銭に落ち着いてしまった。それはともかく、収めた税金の使途にはいつもムダが目につき、納税者として「得た所」が多かったという気分を味わうことはほとんどない、と結んである。( Feb. 27. 2006 )


 ノーベル平和賞受賞のケニアの環境副大臣のワンガリ・マータイさんの“MOTTAINAI(もったいない)を考えよう”を環境問題のキャッチフレーズとして、国際的な認知を目指して有名になっていますが、文芸春秋3月特別号の“現代人必携 日本の常識44 今何が問題なのか? どう考えればよいのか?”の中で、徳岡孝夫さん(ジャーナリスト)が、

「言葉は生き物だから時代と共に、また使う人によって意味がかわる…。慶長年間に長崎で出た『日葡辞書』には mottainai がちゃんと入っている。ポルトガル語で書かれている訳は“耐えがたい、また、不都合な”となっている。
歌舞伎の舞台では、主君が受けた恩顧に対し、家来が“勿体なや”と感激するのは珍しくない。かと思うと現代でも“勿体つけやがって”とくやしがったりする。勿体の正体は、つかみ易そうで簡単にはつかめない。

 その“もったいない”をマータイさんは“日本には資源を効率的に利用して行く文化があると思います。『もったいない』というのはすばらしい価値観で、世界にも広めたいと思います”…。
故ライシャワーさんが「駅弁を買うと、私なんかもまず蓋の裏のごはんを食べる世代でしてね」、もったいないは、八十八人の手を経てきた米(コメ)への畏敬の念に出ている。(私なんかも同様ですが…、“箸とらば、天地神の御恵み、父母や衆生の恩を忘れず、頂きます”といって食事をした覚えはありませんか?)
世界語になるかどうかはともかく、そういう含みある言葉である。」と結ばれている。

 「もったい」を国語大辞典で調べてみると、

もったい(勿体・物体) 本来は「物体」で物の形の意。ものものしい態度、いかにも重々しいようす、また、またその物に備わっている品位・品格などの意に用いる。

  もったいない

  @ (そのものに本来備わる品位を無視する、というところから)
      有るべき様をはずれていて、不都合である。不届きである。
  A (自分にとって、それを受けるべき処遇ではないと、へりくだるところから)
      おそれ多い。身に過ぎてかたじけない。
  B (その物の本体、価値を無視していて惜しい、というところから)
        使える物が捨てられたり、無くても済むものを使ったり、働けるものが       その能力を発揮しないでいたりして、惜しい感じである。
ということで、Bに相当するわけですが、日本語と言うものは、難しいというか、含蓄があるというか、なかなか適切に使いきれないものですねぇ。勉強になりました!( Feb. 21. 2006 )


 幼稚園児の送り迎え当番のお母さんが、普段から自分の子どもが他の園児となじめないのは、他の園児のせいだと考えて、同乗の幼稚園児2人を殺害した滋賀県長浜市の事件は、幼児の犯罪被害の防止の難しさを浮き彫りにしたと言えよう。

 報道によれば、この事件の予兆はあったわけで、加害者の母親と園児は、以前から幼稚園に馴染めず、グループ登園から外して自分が単独に送り迎えをしたい、と担任の保育士に相談していたという。この時点で母親の相談に真剣に向き合っていれば、何らかの解決策があったのではないかとも考えられる。

 この母親が被害妄想だったのではないか、と言うことはたやすいが、現実には同様なことが容易に起こる気がする。
 私も「あいさつ運動」と称して、防犯を兼ねて幼稚園児や小学生低学年の登校、下校の送り迎えに協力しているが、当該幼児や小学生の母親達は必ずしもそれを良しとしていない。逆に、私たち老人の声かけを、うさん臭いと考えている人も居る。無論、市で証明を受けた「防犯」の腕章を付けているのだが、防犯巡回のある時、家の近くで遊んでいた2人の幼児に「こんにちは!」と声をかけた。その子どもたちは、とても喜んで「こんにちは!」と大きな声で答えて、私に自分たちの年令や幼稚園のことなどをうれしそうに話してくれた。
 2人とフェンスをはさんで、その外から話をしていたのだが、家の中からお母さんが出てきて「何をしているの?」と子ども達に質し、子どもたちが、うれしそうに私との話を告げると、その母親は黙って2人を家の中へ入らせて、戸を閉めてしまったのである。

 私は、その母親に無視されたばかりか、犯罪者の疑いを掛けられたように不愉快になってしまい、私を信じて話をしてくれた子ども達に大変申し訳ないと思った。この時の私の心の中は、誰にもわかってもらえないだろう。
 それ以来、私は“市の防犯隊員”であることと、“住所氏名を明記”した「名札」を胸に着けるようにしたのである。
 信じられる人かどうかを判断するのは、保護者として当然の見識ではなかろうか? 子ども達は純真無垢だから、善人、悪人の区別がつかないからと、犯罪の危険を予防しようとして接触を避けたと考えれば、賢い選択かも知れないが、私を信じて話をしてくれた子どもの真心と、私の人権は完全に否定され、無視されたのである。

 その後、一度も、その子ども達とは会っていない。人を信じる心を失ってはいないか心配でもある。
 この出来事は、滋賀県で起きた今回の事件と何か共通しているところがないだろうか?
“人を信じること”、“子どもを信じること”、“心を開くこと”そして“人に感謝すること”を忘れた大人が増えているという事実があるのではなかろうか?

 それでも、今日もまた、防犯のために自治会内を巡回し、何時の日にか、母と子が私達に笑顔で話しかけてくれるのを楽しみに、幼稚園児や小学校の低学年の出迎えにも精を出す私なのです。( Feb. 19. 2006 )


 日経新聞の文化欄に「立ち直ろう エールの曲」と題して、割烹旅館の若女将、佐竹えり子さんが、少年院などの矯正施設にいる少年少女のために、仲間達とボランティアで音楽番組を制作し、彼らからのリクエスト曲を流し、彼らからのメッセージを紹介しているという。

 若女将などと言うと、ディスクジョッキー(DJ)とは無縁のように思われるが、かつてはコミュニティ放送局のDJを務めていた経験がある。それが保護司となって東北少年院を見学した際、礼儀正しく、真面目に、真剣に立ち直ろうとしている彼らに接して、彼らを勇気付け、応援したいとこれを企画したそうだ。むろん、これらの音楽を通して、彼らがどれほど心安らぎ、更正を心に誓って励んでいることは想像に難くない。

 少年少女の犯罪は、なかなか減少してはいないが、子供たちは、本来無邪気で、心に悪の種は宿してはいない。それを悪に染めるのは大人の闇の世界であり、政治の有り方によるのではなかろうか? 青少年犯罪が多いからと“政治”は少年法を改正し、刑事罰対象年令の引き下げと厳罰で臨んだ。はたして、それで青少年犯罪は減少しただろうか? 非行や犯罪の『原因』をなくそうと真剣に努力しただろうか? 私たち大人自身も、子供たちのために“安心”、“安全”、“団欒”の生活環境を育む努力をしているだろうか?

 若女将の仕事のかたわら、保護司を勤め、また彼らの心の支えのためにDJのボランティアまでも買って出ている、佐竹えり子さんとその仲間達にこそエールを送りたい。( Feb. 17. 2006 )


 今日は節分で、全国で色々な催しが行われたようですねぇ。一般的には“節分の豆まき”が普通で、朝青龍関や大河ドラマの山内一豊とその妻になっている俳優さん達の福豆まきの賑わいから、商魂たくましいデパートや商店街の“恵方巻き”販売合戦など、景気の良い様子がうかがえました。古くから伝わる鬼と豆まきの行事なども興味が深いものも多くありましたねぇ。テレビでは、中華街の節分祭など、珍しいお祭りも放映されていました。

 我が家では、玄関と勝手口から外に向かって、伝統的な“豆まき”を行いますが、この辺りでは全く静かで、我が家だけの行事なのかも知れません。新年に大雄山最上寺へお参りして、おみくじを引きましたら、私が「中吉」で、家内が「吉」、長男が「末吉」で、何れもあまり芳しくなく、これでは今年の運勢も多くは望めません。せめて“節分の豆まき”で我が家の“貧乏鬼”を追っ払い、“福の神”を大勢呼びこんで良い運を引き込まないといけません。

 大声で“福は内!!! 鬼は外!!!”と勢い良く豆を蒔きましたが、張りきって蒔き過ぎて、自分達が食べなければならない歳の数の豆が足りなくなってしまいました。仕方が無いので、一の桁と十の桁を足して15粒+今年の分を足して16粒、というわけで、16/70粒。今年は“恵方巻き”も省略しましたので、だいぶ“福”の分が薄くなってしまいました。やはり、せいぜい「中吉」位でしょうか?

 貴方のご家庭ではどうだったでしょうか? 元々、鬼なぞ居なくて“福の神”ばかりですか? それは結構で御座いますねぇ! どうぞ皆様、お幸せな一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。( Feb. 4. 2006 )


 “コニカミノルタがカメラ・フイルムから撤退”我が目、我が耳をを疑うような新聞の見出しに愕然とした。日経新聞によりますと、コニカ・ミノルタホールディングスは、カメラ、フィルムなど写真関連事業から撤退すると発表した、とあります。

 旧コニカと旧ミノルタが経営統合したのは2003年ですから、僅か3年余りで窮地に立たされたわけです。コニカ(旧小西六写真工業)は、国産フィルム産業の生みの親であり、カメラにしても数々の名機を生み出して、こちらもリード・オフ・マン的な存在でありました。年配の方なら“パール”と言えばカメラの代表だったのではないでしょうか?
世の中がデジタル化の波にあって、カメラはデジカメ(デジタル・カメラ)全盛時代に移行し、メーカーの乱立と激しい価格攻勢にあって、一歩遅れではもう手遅れなのかもしれません。それに予想外の写真革命は、フィルムの需要さえも衰退させてしまったのです。

 これは他人事ではありません。同じフィルム産業で育った私ですが、やはりデジカメの波は、写真フィルムの減産によって企業の将来を左右されかねない情勢です。コニカの場合は、カメラの技術をコピー機に応用して、事業を拡大してきました。フィルム・カメラの衰退は、ミノルタでも同じ事になりました。コニカとミノルタ経営統合は、デジタル・一眼レフの技術によって業界トップを目指したのではないかと思われますが、一眼レフの分野も、キャノン、ニコン、オリンパス、旭ペンタックスなど多数のカメラ・メーカーの参入で競争は大変厳しくなっています。おまけに写真フィルムの需要減退はそれに追い討ちをかけたものだと思われます。

 現代の経営は、一つ間違えば企業倒産の淵に立たされかねません。5年先、10年先の世の中と、そこで対応できる技術を見極めることは至難の技でしょう。だからこそ経営者の責任が問われるのです。安売りやコスト・ダウン、人員削減や企業統合だけでは経営は成り立たないのです。製造業だけではないのです。姉歯設計事務所の問題やライブドアの問題も同根ではないでしょうか? 経営者の資質(倫理感覚やCSRなど)と先見性が問われる現代でしょう。

 写真フィルムが不用になることはありません。だからフィルム・カメラも不必要とは思われません。しかし、必要の度合いは、世の中の要求や技術の進歩によって変化して行くに違いありません。旧態依然とした技術思考や経営感覚では現代に生き残れないことは事実です。今正に、経営のあり方が問われているのです。( Jan. 21. 2006 )


 昨晩、NHKのBS11で「エルビス・オン・ステージ」特別版の放送を見ました。
私くらいの年齢なら、エルビス・プレスリーは良くご存知でしょう。私は、特にエルビスのファンで(と言っても単に彼が好きだったに過ぎませんが…)またそれが、私の青春の証しだったのです。彼のデビューの映画「さまよえる青春」は、一番心に残っていて、もうこの映画を見ながら、心がワクワクしたことを覚えています。(しかし、この映画は未だ探しても見当たらず、私の幻だったのかも知れません…)

 「エルビス・オン・ステージ」を見て、久しぶりに自分の青春が戻ってきたように感じました。あのエルビスの自由闊達な歌といい、アドリブと言い、独特の服装といい、タレント性といい、彼が初めて一世を風靡したジャズ・シンガーとして、ギターを抱えて舞台を踊りまわり、観客席のファンの女性と片っ端からキスをして回るありさまは、彼だからこそ許されるファン・サービスなのです。あのファニーな容貌から、考えられないような哀愁を漂わせるジャズは、女性でなくてもしびれてしまいます。

 現在のジャズ・シンガーで、未だ彼に匹敵するものは見当たりません。彼こそ本当のエンタテイナーだったのかも知れませんねぇ! 青春を明るく過ごせたのも、エルビスとその音楽があったからなのでしょう。生活の苦しさは人の夢を奪ってしまいますし、生きる喜びも失ってしまいます。その青春は暗いものとなり、「俺には青春が無かった!!」と言うことにもなりますが、私には、確かに明るい青春が有ったのだなあと、今更ながらエルビス・プレスリーに感謝し、彼のジャズの譜面の有る本を思わず抱きしめました。学生時代にはジャズの本を買うどころでは有りませんでしたから、その本の表紙の裏を見ると、“1957.4.6”と自筆のサインがあるので、もう就職して2年目の頃です。もう1冊には、“1958.6.25”となっていますから、正に青春真っ只中ではなかったでしょうか?

 音楽は心を豊かにし、夢を与えます。音楽は、私の学生時代の生活の苦しみから救ってくれました。私の生活には、現在でも音楽が溢れています。自分でアンプを作り、スピーカ・システムを組み立て、安物のプレーヤーでも、レコードを磨り減るまで掛けました。子ども達を育てる時も常に音楽が有りました。すべてクラシック以外のポピュラー・ミュージックで、格調高いクラシックやオペラはありませんでした。子ども達には童謡や唱歌、NHKの“みんなの歌”がありました。今でもレコード音楽は健在です。残念ながらエルビス・プレスリーはありません。どうして無いのか自分でもわかりませんが…。

 貴方の青春は如何でしたか? 貴方のお子さん達も青春を謳歌していますか? お孫さんたちにも、素敵な青春をプレゼントしてあげたいですね?( Jan. 14. 2006 )


 明けましておめでとう御座います!

 今年は思わぬ豪雪で新年が明けましたねぇ。昨年の地震や土砂崩れで、まだ復興もままならぬ被災地の皆様にはさぞ大変なことと、お見舞い申し上げます。
当地も、三が日はどうやら良かったのですが、5日、6日は雪が降り積もり、寒さも厳しくマイナス2.5℃にもなり、浄水器用に外に作った私設の水道配管は凍って水が出なくなり、急遽、保温工事に大わらわでした。(屋内の蛇口はどれも特殊で、市販の浄水器は取り付かないんです。ハウスメーカの設計者も体裁ばかりで考えが甘いですネエ)

 新年早々から、脱線事故やら豪雪のための事故やら火災やら、果ては、生まれたばかりの赤ちゃんの身代金誘拐事件やら、騒々しいばかりです。
私たちも、厳しい寒さのせいか、新年早々から近所でお葬式が相次いでおり、あわただしいお正月となりました。

 貴方をはじめ、ご家族の皆様方におかれましては、この寒さにも負けず、健康には十分ご留意されて、穏やかで楽しい新年を過ごされますよう、心からお祈り申し上げます。また蛇足ながら、ブラック・ユーモアの年賀状をお届け致します。( Jan. 8. 2006 )


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