「宗教」tommyのつぶやき2002年

 ビックリしましたねえ! アメリカの宗教団体「ラエリアン・ムーブメント」が、人間のクローンが近々誕生すると発表しました。まさか「エーリアン」じゃあないでしょうね?

 クローン羊“ドリー”以来、クローン人間の誕生は時間の問題である、と噂されてきましたが、正常な生殖構造でないところから生まれたクローンは、遺伝子上の欠陥を持ち、寿命も短く、予測できない事態を招く危険性もあり、世界中でクローン人間に対する研究までも禁止する方向にありますが、今回の発表で、真偽はともかく、益々事態は緊迫してきました。

 まして、人間の生命の尊厳を大切にする宗教団体から、このような人道上許されない行為が行われたとなると、宗教そのものの問題をも見直す必要があろうか?( Dec. 28. 2002 )


 「スッタニパータを読む」も第九講を迎えました。お釈迦様であるゴータマ・ブッダの生い立ちや悟りに至るまでの行動については明らかになってはいませんが、その時々に近くにあった高弟たちに語ったものと思われますが、それらの弟子の回顧から類推するしかありません。それゆえ現在語られている釈迦の生い立ちや悟りに至るまでの行動などは、経典を編纂する際に語られた高弟アーナンダの言を伝承されたものと考えられています。

 それによれば、釈迦の出家の動機は在家の煩わしさから逃れ、在野の束縛のない広広とした修行の世界に身を置くことを望んだのではないかと思われますが、ただ単に在家の生活からの逃避ではなく、人生の苦悩の根源である生病老死という人間共通のテーマを、一個人の問題としてではなく、世のすべての人の問題としてその解決方法を求めて出家されたと考えたい、と講師の雲井昭善師は語られています。

 ただ、釈尊がスジャータ村の菩提樹の下で悟りを開かれた時点では、その悟りを広く人々に知らしめようとは考えていなかったのではないかと思われます。それは、『梵天勧請』に見られるように、釈尊は“悟った法は、奥深く知り難い。何人も正しく理解することはできない。解くだけ無駄である”と述べられており、それを知った天上界の最高神・梵天が「この世は滅びる。世界は滅亡する」と嘆かれて、釈尊に対して是非ともその教えを説かれるようにと懇願した結果、釈尊はようやく法を説く決心をされた、とありますので、結果として全ての人々を煩悩から救うために説法を決心され、その生涯を捧げられたと見るのが妥当だと、私は思いますが、いずれにしても、そこまでお釈迦さまの心の内を証明できるものは無いようです。

 人生における最大の課題である「生」と「死」でありますが、何のために生まれてきたのかということは無意味で、あくまで人間の存在を考える中での「生」と「死」ではないかと思われます。即ち、生まれたことにより死が意味を持つわけであり、生まれなければ死というものは存在し得ないものであります。また、「生」と「死」が一つの完結した過程と見るか、繰り返す(輪廻転生)と見るかに分かれますが、お釈迦様は、人間を構成する五蘊(色・受・想・行・識…肉体と精神)が仮に和合しているので、それらの存在は無常(常に変化していて同じ状態はない)であり、永続しないものであるという考え方です。

 それに対し、人間を一つの霊的存在としてとらえ、身体と生命・霊魂と一体となったものという主張があるわけですが、この場合は身体は消滅するけれども霊魂は消滅するものではなく、輪廻転生し永遠に存続するという立場をとるものです。
 ところが、お釈迦様は、五蘊仮和合の存在に対してこれを我が物とする執着(しゅうじゃく)を排し、無常なものに執着する(無明…無知)からこそ苦が生じるのであって、執着を捨てることによって苦もなくなり、霊魂の存在を信じ輪廻転生して永遠に存続する(存続すれば永遠に苦が繰り返される)ということもない(明知により迷いの生存から解脱する)と説かれているのです。

 少しづつではありますが、お釈迦様の悟り、考え方というものが解りかけてきたような気がしますが、貴方は如何ですか?( Dec. 16. 2002 )


 いま「法華経入門」(松原泰道著 翔伝社刊)を紐解いています。むろん、これは創価学会の友人との話しの中で、どうしても“法華経”について良く知らなければならないと感じたからです。日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)を旨とする創価学会は、法華経を最上の経典として開宗したのが日蓮上人で、法華経こそが末法の世界を救うものであるとしています。

 実は、法華経はお釈迦様が直接説法されたものではありません。釈迦入滅後、釈迦の教えが文書化された際に、世間と隔絶した上座部の僧侶の生き方に満足しなかった大衆部の人達(在家信者)が、釈迦の教えを解かりやすく“喩え”と言う形でまとめたものの一つだそうで、それら「大乗経典」と呼ばれるものの中の一つであります。

「法華経入門」では、特に“法華七喩”と呼ばれる、とりわけ重要視されてきたものを中心に松原泰道師が解説されているものです。法華経は28章の比喩で構成されていて、その中で次の7つの章が取り上げられています。

  @ 第3章 「譬喩品(ひゆほん)」の“火宅の喩(たとえ)”
  A 第4章 「信解品(しんげほん)」の“長者窮子(ちょうじゃぐうじ)”
  B 第5章 「薬草喩品(やくそうゆほん)」の“薬草の喩”
  C 第7章 「化城(けじょう)喩品」の“化城の喩”
  D 第8章 「五百弟子受記品」の“衣珠(いしゅ)の喩”
  E 第14章 「安楽行品」の“髻珠(けいじゅ)の喩”
  F 第16章 「如来寿量品」の“医子(いし)の喩”
個々についての内容は当該文献を参照していただくことにして、全般を通して主張されていることは、我欲を捨て他利を考える思想ではないかと思います。それに比し、上座部仏教というのは利己であり、あくまで自分に対する修行を目的とするものでありましょう。その点で法華経の思想は、お釈迦様の教えを広く大衆にまで広めたものとして改めて良く理解する必要があるかもしれません。むろん、根本原理は同じものでしょうが…。

 経典は、お釈迦様の悟りについての考えを知る上で大変重要なものですが、ただ単に経典を繰り返し(暗記するまで)読むことによって、理解する(諳んじたから良い)というものではなく、自分自身(誰でも)が仏性を備えていると言うことを理解し、自分の心にそれを感じることが大切で、念仏を唱えることで己の苦しみから救われると言うことではないのではないかと思います。(念仏が無意味と言うことではありません)

 また、“折伏…しゃくぶく”(相手を強く責めたて、論破して強化すること)というのは、自分の教義を主張し相手を説伏することではなく、お釈迦様の考え方の理解の程度をお互いが話し合って、共に成長することではないか(摂受…しょうじゅ)と思います。例え、お釈迦様から直接説法を受けたにしても、その理解の仕方や程度はさまざまですから、文字で書かれた経典からの理解が夫々異なるのは当然で、どれが正しくて、どれが正しくないとは言えないのではないかと思います。それゆえ釈迦の入滅後、多くの諸派仏教に分かれたわけで、ある面においては全て正しいのではないかと思います。

 色々考え合わせてくると、お釈迦様の教えを理解することは、お釈迦様の生きられた時代の背景(社会の仕組み)から、お釈迦様の悟りに至るまでの経過や、お釈迦様の説法に至る取り巻きの弟子達のこと、経典が作られた経緯、日本への仏教伝来の道筋や時代背景など、なお多くのことについて知る必要がありそうです。

 このホームページの立ち上げから、友人から提起された“仏教とは何か?”に始まり、最近の創価学会の友人とのディベートまで、何とも不思議な因縁でしょうか? 
皆さんのお陰で色々勉強させて頂いておりますが、人が生きると言うこと(人に生かされているということ)がそうではないかと思います。益々多くの関わりを持ちながら、己が己の中の仏性(神)に目覚めるまで成長を続けて行くのではないかと思います。人が死に至るときこそ己の心に仏を見出すのかもしれません。人生の完結が仏(神)に成ることだろうと考えるようになりました。少しづつではありますが、お釈迦様の悟りの意味がわかるような気がしています。

 まだまだ未熟ではありますが、自分が理解した(と思われる)ことを誤解を恐れず述べて行きたいと考えています。ご批判を頂ければ幸いです。( Sept. 9. 2002 )


 “原始仏典「スッタニパータ」をよむ”(NHKラジオ第2)も4回目になりました。お釈迦様の悟りが何であったのかが、私なりに少しづつ理解できるようになりました。仏教(日本の宗派仏教)に対する多くの疑問も解け始めてきています。

 私達は、日常の苦しみが逃れて幸せになりたいと願っています。そして、それが信心であり、念仏であり、教理を実行し教祖を崇め、ご利益を得ることで、悪いことが起これば、信心が足りないのだと言われます。更には、善行・功徳を積むことで良い報いを得られる(因果応報)し、来世は良い人生を送れるように生まれ変われる(輪廻転生)と信じて疑いません。

 しかし、お釈迦様(コータマ・ブッダ)は、決してそうはおっしゃっていないのです。
人生は全て苦であり、苦は無知(無明)から生じる。即ち、自我に拘り、物に執着することによって苦しみが増すのです。それゆえ、過去に執着せず、未来に期待せず、現在(今)まさになすべきことを正しく、勤勉に成すことことが大切で、その結果がどうなろうとも、その事実を認めなければならない。結果に期待して、それが期待に反したからといって、結果に執着してはならない。(結果と言うのは、自分が今、判断し、選択した行動の結果であって、良い、悪いは自分の解釈の結果でしかない)

 また、輪廻転生についても、お釈迦様は、未来のことや来世・霊魂など、私達が実際に体験できない形而上の証明できない問題には答えは無く、答えられないことに執着することこそ無知(無明)による苦しみであると言われます。

 しかし、後の部派仏教によっては、これらの形而上の問題をその教義に取り入れて、布教してきたこともあって、一概に間違いだとか、無意味だとか言えないのではないだろうか? だから、何が正しくて、何が正しくないかは、お釈迦様の悟りを理解することが先決で、それによって自分がどう正しく認識するかしかないと考える。

 話しは変わりますが、最近、石原慎太郎氏の「老いてこそ人生」(幻冬社刊)を読みました。鬼の慎太郎(失礼!)も、やはり歳だなあと感じました(何しろ私より年上には違いないが教養の程度と若さでは上回っていますよねぇ!/バーカ、比較の対象じゃないよ!/いやいや、なかなか仏教にも造詣が深いと言う意味ですょ)が、この中の“色即是空”の中で「スッタニパータ」によるこの世の絶対真理について、子どもを亡くして悲しむ母親が、お釈迦様に生きかえらせて欲しいと頼むのに対するお釈迦様の答えが述べられています。これは人間の苦しみと欲望を端的に表しています。

 話しは元に戻りますが、お釈迦様は在家と出家の心得についても述べられておられますが、出家者は、午前中の托鉢、無欲、他人を中傷しない(他宗派を非難しない?)で、お釈迦様の教えをよく聞くことが前提になっており、在家者は、生き物を殺したり、殺させてはならない、与えられないものを盗ってはならない、ウソをついてはならない、淫事のような不浄な行いをしてはならない、人を狂酔せしめる酒を飲むべきではない(以上“五戒”)、夜に時ならぬ食事をとらない、花飾りをつけたり芳香を用いてはならない、地上に床を敷いて臥すべし(以上含めて“八斎戒”)を守り、出家者に対して食事などの布施をすること、父母を養うようにすることと言われています。いわゆる出家の無所有の生活に対して、所有の生活ということでしょう。

 実際に、タイやスリランカ、ミャンマー(ビルマ)などでは、これらの戒律が守られている(映画「ビルマの竪琴」で初めて知りました)そうですが、日本の宗派仏教では、ほとんどこのような戒律の上での生活は見られませんので、本当にお釈迦様の悟りが正しく理解されて行われているわけではないと思われます。まだまだ「スッタニパータ」の講義には興味が尽きません。興味をお持ちの方は是非一度(毎月第2日曜日の8:30から9:00のNHKラジオ第2放送)お聴き下さい。( Aug. 11. 2002 )


 名古屋からやってきた友人2人と私達で、熱海にある健保の保養所に出かけました。友人達は創価学会で日蓮正宗の信者であり、私は無宗教ですが、一応信心深い父は浄土真宗高田派であり、私もこのホームページで宗教についてのコンテンツを掲げているので、宗教に無縁ではありません。

 ご存知かもしれませんが、創価学会は日蓮正宗として日蓮上人を崇め、法華経を主体として折伏活動をし、我が日蓮正宗の創価学会以外は正しい宗教ではないというほどの強い信念を持って、世界平和を実現できるのは唯一創価学会であるとの考えから、折伏活動を信条として広宣流布を目指しているのです。

 それゆえ、友人達はホームページで宗教論を展開している無宗教(?)の私を折伏(しゃくぶく)の対象としているのかも知れませんが、私は私で、仏教の源泉であるゴータマ・ブッダ(釈迦)の教え(悟り)について、その真実を追究しようとしているのです。そして、その思想の凝縮されたものとして“般若心経”を取り上げているのです。

 彼女達(友人)は私に対して、日蓮上人の教えが如何に正しいかを述べ、他の宗教(宗派)がそうでないかを事実をもって説明してくれます。そして日蓮上人の教えを守ることで幸せが得られるといいます。自分の不幸な境遇がそれによって救われると言うのです。

 私には、宗教と言うのは夫々の生き方の哲学であって、日蓮宗も浄土宗も真言宗も区別してはいません。強いて言えば、仏教の始まりとなったお釈迦様の悟りを知り、その本質を活かしたいと思っているのです。お釈迦様のようにして悟りに至るのは困難ですから、お釈迦様の高弟たちが残された経典から、その悟りに迫りたいと考えているのです。

 彼女達と私の討論は夜中の一時過ぎに及びました。結論は出ませんが、お互いの考え方はわかったような気がします。

 ところが翌日、不思議なことが起こりました。帰宅までの午前中の時間を利用し、友人達を池田20世紀美術館に案内しようと出かけました。以前2回ほど訪れたことがあるので、容易に案内できると考えていたのですが、念のためナビゲータにしたがって行くことにしましたが、どうしたわけか、その通りに行っても、どこで間違えたのか変な道に迷い込んで到達できません。誰か気がすすまない人がいるのでしょうか? 行きつ戻りつしてやっと辿りつくことができました。

 入館してびっくりしました。何と、特別展示「釈迦伝」(田崎昭作画伯による深大寺本堂壁画)ではありませんか?
 釈迦の誕生から涅槃(入滅)までを1.7m×2m程もある大きなキャンバス10枚で構成されている壁画です。それぞれの絵には、釈迦のその状景に関する解説が詳しく付けてありました。

 何と言う不思議なめぐり合わせでしょう。昨晩の宗教論争(?)を見透かしたかのように、私の主張する“釈迦の悟り”に至るプロセスが説明されているではありませんか? もちろん、田崎画伯サイン入りで、「釈迦伝」の壁画に解説のついた冊子を購入したのは言うまでもありません。

 それによると、私が最も知りたかったこと、即ち、釈迦がなぜ自分が悟ったことを人々に説法されたのか?(心で感じたことを言葉で表すことは誤解が生じ、極めて困難ではないか? まして、それを文字で表す経文では更に困難であるはず。だから説法はされたが経典はお書きにならなかったのではないか?)ということについて、この冊子には、壁画7枚目の“梵天勧請(ぼんてんかんじょう)”で、こう説明されています。

『仏陀・釈尊は、こう思われた。「悟った法は、奥深く知り難い。何人も正しく理解することは出来ない。説くだけ無駄である」と。そして、その考えを知った天上界の最高神・梵天は、「この世は滅びる。滅亡する」とて、釈尊に説法をされるよう懇願し、その甲斐あって、釈尊もようやく法を説く決心をされた。』とあり、やっと私の疑問が晴らされ、確信を得ることが出来ました。

 これは正に、私にそれを伝えるために、神(仏陀)が私を「釈迦伝」の展示されている池田20世紀美術館へ導かれたとしか思えないのです。“生きるための宗教哲学を正しく世に伝えよ”との神(仏陀)の啓示なのかも知れません。( Jul. 19. 2002 )


 本日から始まった“原始仏典「スッタニパータ」をよむ”は、NHKラジオ第2放送の「宗教の時間」で、ブツダ(お釈迦様)が語りかけられた教えの本質に迫るのが、この仏典「スッタニパータ」なのです。

 お釈迦様は、その教えを説教されてはいますが、実際には、文字で表されてはいません。お弟子さんたちや後の宗教家たちによって、その教え(口伝)を伝承するために経文として残されたわけで、釈迦入滅後の間もない頃に、お釈迦様の言葉を正しく残すための第一回の結集(けつじゅう)会議(記憶をとどめるためのメモ的なものをお互いが確認し合う)が行われたようですが、これが「スッタニパータ」の源流になるようです。それゆえ、この「スッタニパータ」が、お釈迦様のことばに最も近い聖典だと言われています。

 この講義は、大谷大学名誉教授の雲井昭善師によって解説されますが、日本では、この「スッタニパータ」はあまり知られておらず、読む人も少ないと考えられていますので、今回の解説は極めて貴重であり、お釈迦様の教えの本質を知る上でも大変重要でありますので、ぜひとも最後まで聴講を続けたいと考えています。以前述べましたが、ゴータマ・ブッダとして出家されたときには、既にバラモン経という伝統宗教があったわけで、お釈迦様もバラモン経に人生苦の解を求められたわけですが、6年間の苦行の後に自ら菩提樹の下の禅定によって悟りを得たわけで、その悟りが何であったのか? 私たちは、その究極の解をこの「スッタニパータ」を読むことによって知り得るのではないかと期待しています。

 仏教に人生の解を求めようと考える貴方、是非このNHKのラジオ・テキストを一度手にとって見てください。
ではまた、この続編にご期待下さい! ( Apr. 14. 2002 )


 “今しばし生きねばならぬわが生を越えて静かに白き雲行く”。これは生命科学者であった 柳澤桂子さんが、原因不明の病で、死を考える毎日の中で詠まれたものです。
NHKの人間講座「死は誰のものか 安楽死と倫理」をテレビで見ました。

 現在、安楽死法を制定しているのは、オランダとアメリカのオレゴン州だけだそうですが、自分の死に直面して柳澤さんは、生命は自然から(天から)与えられたもので、生命は天にお返しするもの、それによって自然に帰るのだと考えるに至ったと述べておられます。安楽死や尊厳死を認める思想では、まず患者本人の自己決定が大事だと考えられています。

柳澤さんも、若い時は、
「病気が非常に悪くなって、どうしても死を選ばなければならなくなった状況では、自分の死を科学の力でコントロールすることが、人間の完成に至る」と考えていたそうですが、結婚して子供を産み、生命科学者として実験するモルモットやハツカネズミなどの生命の神秘さに触れるにつれ、その考え方が変わってきたそうです。

 その後ご自身が、原因不明の病気で30年もの間動くこともできず、激しい痛みとしびれや吐き気、頭痛とめまい等に苦しみ、ついには食べ物も喉を通らず、首の静脈から栄養剤を注入する“中心静脈栄養”なる生命維持医療に頼る事になり、家族を巻き込んだ生きることの苦しみから“生きることは何か”と言う課題に直面します。

 毎日をなんということなく無事に過ごしている私たちには、“死”というものの意味について深く考えることはありませんし、客観的な考え方しか出来ませんが、人間が実際に死に直面した時、そこに“神の存在”を感じるのではないでしょうか?

「死と向き合い思索を深める中に、如何に病気が苦しくても、死ぬことを自分一人の意思だけで決めることが出来なかった」と柳澤さんは回顧しておられます。自分の周りには、夫がいて、子供たちがいて、医師たちがいる。死の決定権や“死ぬ権利”があるか?

 死を法律で客観的に決めると言うが、死はあくまで主観的なものであって、死というのは、暗い、つらい、悲しい、苦しい、淋しいものであるが、それから目を背けていくものではなくて、その事実に向かって、私たちはもっと考えを進めていく必要があるのではないか? と結ばれています。( Mar. 27. 2002 )


 末法(まっぽう)思想。これは、釈迦入滅後、三つの時代を経て仏法がすたれるというもので、1000年間は正法(しょうぼう)で、“教え”と“行”と“悟り”が正しく保たれるが、その後の1000年では像法(ぞうぼう)で、“教え”と“行”は保たれるが、 “悟り”が失われ、最期の10000年では末法で、“教え”だけが残って、悟りに至れなくなり仏法が廃れていくというもの。

日本では、“末法”の始まりは永承7年(1052)と考えられていて、その年にそれを憂いてか、栄華の間に極楽往生を求めて、摂政・関白家の藤原頼通は、宇治河畔の別荘にあらん限りの財を注ぎ込んで寺として創建し、それを平等院と名付けたらしいことが、2/15付け、日経新聞の小説「平家」(287)に記述されているのを見ました。しかし、それによって藤原家の衰退を来したと言うのだから皮肉である。

 私の友人から贈られた池田大作の「人間革命」に、戦後に興隆をみた創価学会の因縁には、この末法思想により日本国の人心の荒廃は、仏教思想が失われたためであり、人心を正しく導くには、日蓮上人の思想を正しく広め、政治・経済にまでも、その思想を広宣流布して行かなければならないと言う、広大な決心が発端になっているらしいことが述べられている。なぜ日蓮正宗でなければならないかは別として、戦時体制に国教としての“神道”の強制、それによる仏教へのしわ寄せとなって宗教への規制が行われ、戦争にまで利用されたことは否めないのだろう。

 敗戦によって、アメリカの進駐軍から神道の解体が進められて(キリスト教の教宣を意図したとも言われているが…)、結果的にはそれまでの神道が崩れ、先に仏教は衰退しつつあったことも含めて、日本人の無宗教化が促進されたのではなかろうか?

 人が生きることの根源の思想としての宗教が人心から離れたことだけではなかろうが、なによりも戦後の復興が第一義であった為と、奇跡的な復興を遂げた日本の工業化政策によって、金と物が中心となってしまい、更に人心の荒廃が進み、教育の崩壊にもつながっているのではないかと思える。更には、政治家、官僚、国家公務員の腐敗についても、正しい宗教哲学の必要が求められているのである。
 神道と仏教の関係や日本人の無宗教性については、改めて考えてみたい。( Feb. 15. 2002 )


 「放てば手に満てり」。大雄山最乗寺山主の石附周行師が、新年に当ってミニコミ紙に寄稿された一文の見出しである。

 山林を手入れしている方から“大きな樹木の下には、その樹の実が落ちても育たない。その枝の外に飛び出すとすくすく伸び出す”と言う話を聞いたそうです。つまり、自分の枝の下に抱え込んだものはダメで、握ってばかりいないで、放つことが大切です。わだかまりの心を解きほぐされる時こそ、ありのままの世界が広がるのではないでしょうか?

 とかく、私達はお金や物にこだわって、本質を忘れてしまっています。日頃、私達は訪問先への土産に拘ったり、失敗や過ぎたことに何時までも拘って、自分の心を縛ってしまっています。過去のことの一切には何の執着もなく現在を素直に生きることが大切だ、ということをおっしゃっているのではないかと思います。凡人の私達には、なかなか割切ることが出来ませんが、素直な心で毎日を大切にして生きたいものですね。( Jan. 4. 2002 )


[「宗教について」のトップページへ戻る]