tommyさんのつぶやき2009〜10年

 残念でしたね! 稀勢の里が、双葉山の69連勝を超える記録を目指していた白鵬の連勝をストップさせてしまいました。今場所の初日から白鵬は連勝記録にこだわって、取り口が荒っぽくなっていたので、ひょっとしたらと心配していました。それまでは、1人横綱の責任感と横綱としての相撲を考えて真剣に、ひたむきに土俵を努めていました。立会いには慎重さの中に無心で風格さえ出ていました。

 ところが、今場所の七連勝がどうしても記録達成に必要と考えるようになったのでしょう。それまでは一番も落とせないのです。精神的に追い詰められていたのでしょう。そこに思いがけない荒っぽさが出たのでしょう。稀勢の里との一番で、思わず勝敗を意識して立会いで先手を取ろうとしたのでしょう。いつもは、相手が手を下ろすのをじっくり見て、後から手を下ろす間を取っていたのが、この時ばかりは、思わず急いで先に手を下ろしたのです。それを見て私は「何てことを!」と思わず口走るところでした。大横綱が、稀勢の里が如何に相撲巧者であろうと、連勝中の相手に後れを取るはずないではありませんか? 白鵬もやはり人の子、勝負に焦りが出たのでしょう。

 後は予想通りの結果でした。もう少し落ち着いて取っていたら十分勝機がありましたが、稀勢の里に突き放されて組み手を封じられて慌ててしまい、勝ちを焦ったのです。最後に打ったすくい投げで自分自身がバランスを崩してあっけになく寄り切られ、土俵下に転落してしまいました。
新聞報道にもありましたが、「冷静さ」を欠いていたのです。横綱としてまだまだ心の修行が必要なのではないでしょうか? 白鵬自身が常々言っていた「横綱らしく良い相撲を見せること」で、勝敗は、結果として顕れるのです。相撲道は、柔道と同じです。金メダルを取るのが目的ではありません。心を無にして精進することと教わってきました。それが、加納治五郎先生の目指す日本の柔道でしょう。醜い組み手争いばかりが目立つオリンピックの国際柔道は、勝ち負けだけしか価値のないものという気がしてなりません。

 連勝は何時かは破られるものなのです。敗れてまた白鵬は一段と強くなり、更に立派なお相撲さんに成長してくれるでしょう! モンゴルの横綱ではなく、日本の相撲界を背負って立つ“日本の大横綱”ですから…。
 それはそうと、広州でのアジア大会では、あの負けん気の生意気な北島康介が、何と、得意の100m平泳ぎでメダルに届かず4位に終わったとか? こちらも、まさかの坂だったようですねぇ! その代わり、立石選手が頑張ってくれていますから、まあ何とか、日本の面目が保たれているというか…!? メダル争いはメダル争いとして、中国なんかに負けないで、しっかりやってよね! 期待してるんだから…。( Nov. 16. 2010 )


 日本画の上村松園展に行ってきました。日本画の展覧会にはほとんど行ったことはありませんでしたが、前回は、平山郁夫のシルクロード展で、日本画とは異質な日本画に大変感銘を受けました。

 日本画家には、丸山応挙、横山大観、東山魁夷、美人画の伊東深水などの大家が良く知られていますが、上村松園の美人画は、美人という美しさだけではなく、男には描き表せない女の情念みたいなものが込められていると言われています。それ故、どうしても一度見てみたい日本画家の1人だったのです。特に今回は100点近くの作品と素描が展示されていて驚きました。それも、年代順に展示されていて、松園の画風の移り変わりが良く分りました。
下の作品の写真は、展示会のパンフから借用した松園の代表的な絵画です。

 左の作品(序の舞)は、昭和11年(tommyさんの生まれた年ですよ!)の文部省美術展覧会に出品されて政府の買い上げとなり、重要文化財に指定され、今回の展示の代表作として扱われている。松園自身も最も気に入っている理想の女性の姿を現していると言う力作です。
 右の作品(人生の花)は、明治33年の展覧会で銀牌を受賞した作品で、花嫁の姿を借りた、松園自身の青春の夢を託した作品らしく、花嫁の心の機微がよく表されています。(実物でないと良く分りませんが…)松園25歳の時の作品です。

  

 今回の美術展の鑑賞も、なかなか行く機会もなく、展示会が終わりそうになって慌てて日を決めたため、月曜日の「体育の日」になってしまいました。月曜日が休館日となっていたため心配しましたが、祝日は多分休むはずがないと決めて、“休館だったら別のところを探せばいいや…”と出掛けました。休館ではなかったものの大行列で、自分のことは棚に上げて“何で、日本画を見たい人がこんなに多いの?”と妻と顔を見合わせました。さすがにお年寄りが多いのですねぇ!(あんたはどうなのさ?/ごもっともです!)

 混み合っていて、その上、お年寄りは、なかなか絵の前を動こうともしませんので、大渋滞です。後ろから、わざと大きな声で“自分だけが見ているわけじゃないからねえ、少しづつ動きながら見てくれると、良く見えるんだけどねぇ!”と妻に話しかけます。“みんなに聞こえるわょ。みっともないじゃない”とたしなめられましたが、作戦、功を奏して、少しづつ動き始めました。
 それでも、車椅子の人は、なかなか中に入って行くことができません。そこで又お節介、絵の前に棒立ちになっている女性の肩をそっと叩いて「すみません。(うしろの)車椅子の方にも見せてね?」。「あ〜ら、ごめん…」と、難なく車椅子の人も前に出られて、無事、鑑賞することが出来て“良かった、良かった!”今日もまた良い事をしました。一日一膳(ダイエット?)、ではない“一善”!

 無事に鑑賞を終えて、大満足。外のベンチでお昼のいつもの点眼(目を酷使したからねぇ!)、くたびれたから、帰りは、お昼弁当買って小田急のロマンスカーの贅沢! たまにゃぁ、特急も良いねぇ! スッカリ命の洗濯が出来ました。( Oct.13.2010 )


 久しぶりに明るいニュースが続きますねぇ!

 横綱白鵬の4場所連続全勝優勝、お目出とう! 双葉山、大鵬に並ぶ歴代最多8度目、連勝記録を62で、双葉山の69に迫る歴代2位。来場所に益々期待が高まります。先場所は、野球賭博事件で、寂しい名古屋場所を1人横綱で支えたが、天皇賜杯をもらえず唇を噛んだ。今場所は、その悔しさを見事跳ね除けての全勝優勝と連続62連勝の大記録で飾った。押しも押されもしない大横綱に成長し、日本の相撲界を支える“人となりを備えた関取”となった。来場所も期待しよう!

 やったぜ!!! “10年連続のシーズン連続200本安打”達成。マリナーズのイチロー選手が、期待通りやりましたねぇ!

 でも、マリナーズの不振で、得点数での貢献が少なくて大喜びも出来ず、遠慮がちにスタンドの観客への答礼とは寂しいねぇ。それに日米通算3500本安打も達成しているんですが…。でも大記録には間違いない、オメデトウ! おめでとう! お目出とう御座いま〜す! パチパチパチ!!!

   また、ノーベル化学賞に日本の根岸英一さん(北大名誉教授)と鈴木 章さん(米パデュー大特別教授)のお2人が受賞されました。2008年のオワンクラゲの下村さんの緑色蛍光たんぱく質(GFP)での授賞以来の化学賞ですね。

 授賞理由は「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」だそうですが、早速、化学のテキスト「College Chemistry」を開いてみましたが、われわれ素人にはちょっと難解でさっぱりわかりません。有機化合物の生成に関して、炭素の結合を自由に操ることが出来る方法の開発だそうで、従来は炭素結合同士を分解して別の炭素や化合物を再結合させることは大変難しいのですが、それをぱラジウムという安価な触媒を仲立ちにすることで、炭素の結合を自由自在に操って、新しい有機化合物を生成できるという夢の有機合成技術で、既に医薬品や農薬、液晶などの材料の合成などに利用されつつあるのだそうです。

 最近は、学生の理科教育離れが心配されており、今回のノーベル賞受賞によって学生の理科に対する興味が少しでも開かれれば良いのですが、だからと言って、容易にノーベル賞級の研究が促進できるわけでもありませんから(今回の授賞でも、20年以前の研究成果への評価ですからねぇ)、“ローマは一日にしてならず”、もっと大事なノーベル平和賞というものもありますから、世界平和の為に政治家も頑張ってください! 不透明な“政治と金”の問題や、“地球温暖化対策のCO2の削減”、“世界の難民救済”なども理科教育以上に重要な問題だと思いますがねぇ!

 やっと明るい話題がつぶやけてホッとしています。しかし、喜んでもいられませんねぇ。“泥棒を捕らえてみれば特捜の検事なり”などと新聞を賑わせるようでは、とても良いことなど望めませんよねぇ。一人一人がガンバるしきゃないッ!!! ( Oct.12.2010 )


 8月16日。「オルセー美術館展2010」の最終日に、やっと、東京乃木坂にある国立新美術館に滑り込みました。

 この展示会は5月12日から始まっていたのに、先延ばし、延ばししているうちにお盆を迎え、子どもたちが孫を引き連れて里帰りしてきたために行く暇がなくなってしまいました。やっと全員去ったのがお盆の15日。何の神さま、仏さま、忙しいスケジュールでしたが、またとない最後のチャンスを活かして最終日に駆け込んだのです。

 既に参観者数が60万人を超えていたので、最終日には、さぞや静かであろうと考えていたのですが、何と入館一時間待ちという長蛇の列。連日猛暑の中で、館内とはいえ堪りません。人、ひと、ヒト、うんざりしました。赤ん坊や幼児を連れての観客を見て、さすが展示会好きの国民性とはいえ(他人のことは言えませんが…)ほとほと感心してしまいました。

 子どもを抱いたお母さん「もう少しガマンしてね! これだけどうしても見たかったの」
ゴッホの「星降る夜」。私もこの絵が見たかったのです。写真では何度も見ていますが、有名なわりには、夜空の星の描写が、何となくぼんやりした不細工な黄色の丸にしか見えなかったからです。
ところがどうでしょう! 原画の星は、ただ黄色の丸ではなかったのです! 星の中心は小さく盛り上がって針のように尖っていたのです。周りの黄色の光芒は、ほんのりと黄色いモヤがかった精緻な描写だったのです。“すごいや、さすがゴッホだなぁ!”と思わず感嘆の声を挙げました。周りの街の灯影を映す夜の海の描写や海岸を散歩する恋人の姿の描写も、何と素晴らしい描写の一言に尽きるのです。きっと、その若いお母さんも、この本物の絵を見たかったに違いありません。この感激を、きっと赤ちゃんも大きくなった時にこの絵に再会して、お母さんとの感激を共有できるに違いありません。

 実物をお見せできないのは残念ですが、

 お母さんと一緒の小学4年生くらいでしょうか、「お母さん、よくみえないょ!」
大勢の群集の後ろで、つま先立ちしている姿にお母さんも困ってます。“前へ行かないと良く見えないよ”と、隙間が出来たときを見計らって、その男の子の背中を押してやりました。きっと、前に出て、お母さん推奨の絵を十分鑑賞できたでしょう。お家へ帰ってから、お母さんとの会話が楽しみですねぇ!

 いくら美術誌で絵の解説を読んではいても、本物の絵にはかないません。「百聞は一見にしかず」と言いますが、お母さんやお父さんと一緒に鑑賞する機会を得た子どもたちは幸せですねぇ! きっと今日の感激を何時までも持ち続けて、また、次に自分の子どもたちに同じ感激を味わわせてくれるに違いありません。子どもたちの未来に幸あれ!( Aug. 18. 2010 )


 最近、5月に種子島宇宙センターから打ち上げられた「小型ソーラー電力セイル実証機IKAROS」についての状況が不明でしたが、順調にセイルが展開し、太陽光を捉えて秒速10mに上がり、秒速26kmで金星の方向に向かっていることが発表されました。

この宇宙帆船「イカロス」については、既に小惑星「イトカワ」の探査から生還した「はやぶさ」のところで述べましたが、「はやぶさ」がイオンエンジンと言う世界初の推進装置で65億kmもの航行を果たしたことで、日本の宇宙開発技術の優秀さが世界に示されました。今回更に、「イカロス」によって、太陽の光(光子)を14uの正方形のセイル(帆)に受けて、光の圧力によってヨットのように宇宙を航行できることが実証されたわけです。推進のための燃料を必要とする従来型の宇宙船では不可能な、遥かかなたの惑星や他の銀河系まで探査することが、これで可能になったのです。

 むろん、他の銀河系への往復には、気の遠くなるような時間がかかるわけですが、「はやぶさ」に使用されたイオンエンジンや、「イカロス」に搭載された太陽光などを推進力とするソーラーセイルの技術などを利用することによって、宇宙を航行する船が、光速を超える速さで進むことができるので、将来は恒星間旅行も可能となるかもしれません。

 恒星からの光でさえ、何光年もかかって私たちの目に到達するといわれているので、光の圧力で推進するソーラーセイルが、なぜ光の速度より速く航行できるのか不思議に思われますが、宇宙には空気などのように物体の進行を妨げるものがない真空状態(ダークマターと呼ばれる物質が満たされていると考えられている)のため、常にセイルに受ける光子の圧力は直ちに速度に変換され、次第に加速されていくことが分っています。
 しかし、太陽から遠ざかるにしたがって、セイルに受ける光子の圧力は弱くなっていくので、加速度は次第に小さくなるわけですが、次に光を受けられる他の恒星(他の銀河系の太陽)の光子の圧力を受けるまでには、「はやぶさ」に使用されたイオンエンジンなどの推進力を利用することで補完し、航行を続けることが出来るとかんがえられます。

 日本が得意とする航空宇宙技術開発は、ペンシル型で知られるような小型の固体燃料ロケット技術を用いて、少ない予算で高度な開発研究が出来る頭脳集団が支えている分野であり、大予算で大きな宇宙開発競争を行うアメリカやロシアのような国の先端技術とは明らかに差別化されているからで、今後の日本の宇宙開発技術は、こういった小型の未知の宇宙開発の技術研究が中心となって、世界の宇宙開発を引っ張っていくようになる可能性をもっています。このような技術立国としての日本の存在価値が、きっと世界に注目されるようになるに違いないと期待しています。

 私たち老人は、既にこれらの宇宙技術からは縁遠くなっていますが、これからの若い人たちの能力と技術開発の未来を期待して、生涯を全うしたら、宇宙に散骨してもらって、来世は宇宙を散策しようではありませんか!(こらこら、宇宙にゴミを捨てるのは禁止されておるぞ!/じゃあ、宇宙墓苑衛星会社に頼もうっと!/そんな会社あるの?/今にきっと出来るさ!/それまで、待つの?)
 こうなってくると、宇宙空間も騒がしくなって、航宙整理が必要になってくるだろうなぁ!( Jul. 14. 2010 )


   女子高生が友だちを包丁で刺すと言う事件が続いて発生しました。授業中に隣の生徒がウトウトしているのを見て、万引きして用意していた包丁で、彼女が瀕死の重傷を負うほど横腹に刺したということですから、とても正気の沙汰だとは思えません。

 女子校長のお話からは、加害者は日頃はおとなしい真面目な生徒だったと言うことですから、一見不可解なようですが、いつも加害者に対する先生の評価は“おとなしくて真面目”で、事件など起こさない生徒だと言いますが、そうなのでしょうか? だから、学校側には管理に手落ちがあったのではない、と言いたいのではないか? と勘ぐるのです。

もしも、真面目な生徒が、突然凶暴な行動を起こすのだとしたら、子どもの教育の問題にも大きな影響があるし、もし病的な問題や、環境の問題があるのだとしたら、社会的に重要な問題提起となるのです。今問題になっているアスペルガー症候群などの、脳の発達障害による情動性の異常であるならば、意思の疎通が大変困難な障害者の環境が問題となりますが、どうもそんなことではないような気がしています。

 現代の子どもを取り巻く環境が、社会不安や子どもの情緒の発達に大変よくない影響を与えているのではないかと考えています。特に、テレビ番組や報道番組の放送の方法が、子どもばかりか、われわれ大人の精神性にまで悪影響を及ぼして、社会不安を助長しているように思えてなりません。それだけでなく、携帯電話やインターネットの発達によって、意思疎通の方法が文字や記号で行われるために、人としての情緒や感情を含まない情報だけのやり取りとなって、人間として自然の意思疎通が行われなくなってきているのではないかと心配しているのです。

 子どもたち、友人の間だけでなく、親子兄弟関係までも、感情から阻害された環境になりつつあるような気がしてなりません。以前から、意思疎通と情報交換の相異ついて提起していますが、本腰を入れてこの問題に取り組まなければならなくなっているのではないでしょうか?
 何時も事件が発生すると、すぐに対症療法的な話になってしまいますが、実際には、真の原因はもっと深いところにあるのではないでしょうか? 地域での子育て支援や子どもや児童への“おはなし会”等の様子を聞いておりますが、子どもたちを観察すると、親子関係と子どもの発達過程に齟齬が生じているのを痛切に感じています。政治にも大きくかかわっている問題ではないかと思っています。次世代を担う子どもたちの生育環境を良く考えて見る必要があるのではないでしょうか?( Jun. 20. 2010 )


 最近、殺人事件が多発しているように感じますが、特に、遺体を切断して遺棄したり、放火して犯罪の証拠を隠滅するなど、凶悪な手口が増えているように思います。それ以外にも、安易な殺傷事件が増えているような気がします。事件報道が、テレビなどで犯罪手口まで逐一詳細に繰り返し報道されるので、テレビで疲れを癒すどころか、毎日チャンネルを選択することが苦痛になってきています。

 良いニュースやホッとするような話題が何と少ないことか、と地球環境の悪化と人間関係の悪化とが連動しているようで、環境問題や生活環境の改善が、やはり人の心のぬくもりに大きく影響してくるような気がしています。既に、2000年もの昔に荀子が現世の荒廃を予言していたと、牛尾治朗氏が指摘されていますが、科学技術は驚くほど進歩していても、生活はあくせくしていてゆとりが失われ、人間の心は荒む一方ですねぇ!

 小川の畔に縁台を引っ張り出して、やぶ蚊を団扇で追い払い、世間話に花を咲かせながら、番茶で煎餅をポリポリかじりながら宵闇を楽しむ風情は、既に”昭和は遠くなりにけり”でしょうか?
区画整理ですっかり小川なども暗渠になってしまい、ちょっと大きな川はフェンスで囲われて人を寄せ付けず、車中心の舗装道路と信号機の交差点ばかりが増え、人中心の小道は何処にも見当たらなくなりました。田んぼや畑も開発されて住宅で埋まり、日中に外で見かける人々もほとんどありません。便利になった分、車が我が物顔に走り回り、人が集まるのは大きなスーパーだけで、従来の小売のお店屋さんは、ほとんど見当たりません。地域のコミュニティは崩壊しています。

 地域の活性化が叫ばれている中で、経済発展中心で、地域の人の環(和)作りは形骸化を辿るばかりのような気がしています。高齢化、少子化社会で、核家族化した町は疎外化が進み、“向こう三軒、両隣”も赤の他人で、ひどいところでは表札の無い、無縁の他人の住む町になりつつあります。

 人の住む町はなくなりつつあるような気がして、本当に暖かい心の通い合う環境を造る努力をしないと、益々子どもたちの安心・安全の住環境が壊されていってしまいます。
どうしたら、人の住む町が取り戻せるのでしょうか?( May 21. 2010 )


   日経新聞の「交遊抄」欄で、美術家の小澤剛さんが“満月の夜のブランコ”と題して、大学の油絵のクラスの同級生で演劇部にいた酒井駒子さんと、満月の宵の公園で、ブランコに乗って絵本について延々と話し続けていた時に、一番好きな童話は何か?という問いかけに、小川未明の『赤い蝋燭と人魚』だと答えた酒井さんの横顔を思い出して、20年後、彼女が絵を描いた「赤い蝋燭と人魚」を本屋の店先で発見し、その絵本が傑作であった、と述べられていました。

 その文を読んで、小川未明と『赤い蝋燭と人魚』を、確か、何処かで出会ったように感じたのです。記憶の糸を手繰っていくと、そうです、妻の属しているお話しボランティアが、「大人のためのおはなし会」で取り上げたことがあるのでした。その時の開催案内のビラを制作したのが私でした。急いで記録を調べてみると、作者は小川未明だと分りましたが、ビラのカットに使用した“ロウソクに絵を描いている人魚”の図は、酒井駒子さんではないのでは? という気がしました。このカットは、私が、同名の紙芝居の場面から制作したものです。

 それでは、酒井駒子さんが描かれている絵本はどんなものだろうかと、色々心当たりを探しました。やっと見つけたのは、絵本そのものではありませんが、「もっと読みたいおはなし絵本100」という特集「別冊太陽」に紹介されていました。この紹介による人魚の絵は、油絵調の個性豊かな絵で、この物語りの内容を伝えるのに最も相応しく、小澤さんが“傑作”だと述べられた言葉が納得できました。

  

 この物語りは、人魚のお母さんが、人間の優しさや思いやりに憧れて、生まれたばかりの子どもを海岸近くの神社においていき、それを拾った蝋燭作りの老夫婦が、神様からの贈り物として大切に育てるわけですが、成長した人魚姫が蝋燭作りを手伝って描く絵ロウソクで、海難・厄除けとして大繁盛します。しかし、欲に目がくらんだ老夫婦は、香具師(やし)にだまされて、嫌がる人魚姫を見世物のために売り渡してしまいます。それを知った人魚のお母さんは、とても悲しみ、海は荒れ狂い、近海を通る船はことごとく難破し、それまで大繁盛していた人魚姫の描いた絵ロウソクのご利益も消滅して、村も漁場も寂れてしまう、という悲しい結末のお話なのです。

 人の優しさや思いやりの無い荒んだ現世を、正に象徴しているような物語ですが、鳩山首相が唱える「友愛」の精神が、この荒廃した世界を、人魚のお母さんが憧れたような、素晴らしい国土に、果たして変えられるのでしょうか? 私は、それが何時の日にか、ほんとうに実現されることを望んでやみません。( May 2. 2010 )


 ハイチの地震災害、チリの地震によるわが国にまで及ぶ津波に驚き、また時も経ずして中国、青海省の大地震は、海抜4000mもの高地のため救難作業が困難を極めているとのことで、私たちの想像を絶する災害となっています。地震ではありませんが、突然、アイスランドの火山噴火によって、予想外の世界中の多数の空路が閉鎖されて、旅行者などに混乱が起こっています。
被害に遭われたご当地の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。救助作業の皆様には、大変でしょうが生存者救出に全力で頑張って下さい。

 日経新聞の“春秋”欄に、ジョン・レノンの名曲「イマジン」に寄せて、世界中が国境を越えて救援の手を差し伸べたい、と述べられています。もちろん、四川省の大地震でも、世界の救援を躊躇して、外国の救援隊を差別した中国政府の非難の意味も含んでいるのかも知れませんが、オバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領との間で、戦略核弾頭の保有につき1/4に削減する新たな核軍縮条約が調印されて、世界平和に一歩前進が伝えられているものの、世界の核兵器の保有については、ロシア以外に多くの国があり、まだまだ平和と安全の域に達してはいない。

 世界中が、同じ空の下、同じ海でつながっていると言うのに、各国との安全保障条約でいがみ合う国際社会が未だ存在することは悲しい現実です。日米安保についても、沖縄の米軍基地の問題だけてなく、日本中に無数に駐留する米軍が、仮想敵国の攻撃に対する防波堤であると言う考え方自体が、北朝鮮からアメリカまでの射程距離を有するミサイルを考えれば、防御自体が無意味で、核の無い世界を目指すことのみが、世界平和への道だと考えるのだが…。

 ということで、中国、青海省の地震の緊急災害救援隊の要請を、各国へ中国自身が発信し、救援隊を受け入れることが、世界平和への第一歩ではないかと思うのですが…。まあ我が家でも、救援の義捐金の拠出については、夫婦でもなかなか合意を得るのが難しいわけですから(私など日頃から、義捐金用のワンコイン貯金を積み立てているのですが、いざ出金となると協議が紛糾するんですよねぇ!/それだけ貯まってるんだったら、たまには旅行に連れてってか?)、各国の思惑や国内事情もあることですから、そう簡単にはいかないのも無理ないですがねぇ。
でも、被災者にとっては一刻一秒を争うことですから、各国の事情は別にして、人の命優先で、緊急支援第一に考えてほしいですねぇ!(まあ、火山の噴火で、新婚旅行の足止め等は無念でしょうが、天の神様に文句を言って、空港での記念写真と火山灰のお土産でガマンして下さいね)

 私も、義捐金の拠出を出来るだけ早く、協議して同意を取り付けたいと思います。貴方も出来るだけ早く、宜しくご協力をお願いいたします。(Apr. 17. 2010)


 ちょうど入学式のシーズンですが、入学式に4000人もの父兄が参加するため、会場に入りきれず、入学式を3回とか4回に分けて行うとテレビで報道しているのを見て驚きました。いったい何処の入学式だと思いますか? 何と、それが大学の入学式で、何処の大学も似たり寄ったりだそうですから、あいた口が塞がりません。

 いつの間に大学が幼稚園化してしまったのでしょうか? 参加していたお母さんに聞いてみましたら、
「とても参考になりました。いろいろ学校のことや勉強の仕方などが良く分って、来てよかったです」とのことでした。それは、子どもが(大学生)が知らなければならない事柄で、親が感心することではないですょねぇ!(そりゃ、大学に憧れてた娘時代を髣髴とさせるじゃないか!/なるほど、大学の門をくぐるのが夢だったんだ!)
 また別に、出席している新大学生に、親たちが入学式に来ることについて尋ねてみたところ、
「別になんとも無いですよ。(親たちと)友達と同じように仲良く付き合っていますから」何をか言わんや!

 別に悪くも無いですがねぇ。1人の新入生に両親2人が付き添って入学式に参加するってのも、何となく、幼稚園の入園式の延長のようでね。大学生にもなって、子離れ、親離れしていないように思えるんですょ。幾つになったら子どもは自立できるのでしょうかねぇ?
比較するのも何なんですが、私たちの頃は、高校の入学式や卒業式にも、親が出席するなんて聞いたことがありませんでした。むろん、私たちの子どもたち3人も大学へ進学しましたが、自分の勉強にもなるからと、近所の中学生や高校生の家庭教師をすることを勧めました。そして夫々が家庭教師を引受けて、その月謝で自分の参考書などの購入の費用にしたのではないかと思います。(何だ! 親の稼ぎが悪かっただけではないか?/まあ…そういう事になるかな)

 ですから、大学入試のために塾へ通わせたり、家庭教師を頼むことなど考えても見ませんでした。もちろん、家計に余裕もありませんでしたから、浪人などは許されないので、自分がどうしても入りたい大学目指してガンバったようです。受験も本人まかせで、遠いところは新潟まで1人で出掛けて受験しました。合格は親子共々喜び合いましたが、入学式も本人だけで出席しましたし、卒業式へも親は出席したことがありません。長男が妹や弟のことを何くれと無く面倒を見ていたようです。

 時代が違うし、価値観も多様化しているからと言う見方もあるでしょうが、大学に入ることが目的ではありません。大学でどう学び、人として必要な教養を身につけ、そしてそれらが社会に出た時に自分の実力としてどう評価されるかが問題です。(留年せずに進級できるか心配しましたが…/家計の負担が大変だからねぇ!)自分の人生は自分で責任を負わなければなりません。何時までも、親が子どもの面倒を見ることは出来ません。子を自立させることが親の役目です。(なるほど、トキの繁殖と同じだねぇ!)

それでも、子どもたちが自立できるまで元気でいられるかどうか分りません。出来るだけ早く自立して、社会に出て自分の脚で人生を歩んでいってほしいと願うのです。今年入学された新大学生の諸君も、シッカリ勉学して、卒業する時には、立派な社会人としての責任感を持って巣立ってほしいと願ってやみません。(何ぼなんでも、卒業してから、入社式まで親が付いて行くのじゃなかろうな?/まさかぁ…。しかし…4年後は、また時代が変わっているからねぇ!)

 4年後に、又このホームページでお目にかかりましょう! じゃあ、幸運をお祈りします!!! ( Apr. 10. 2010 )


   オリンピックの閉会式が行われています。開会式もそうでしたが、このど派手で喧騒な式典は一体何なんでしょうか? 商業化してきたオリンピックで、スポーツを通して紛争も対立も無い世界平和を目指して国際親善をはかると言う「オリンピック憲章」の精神は何処へ行ってしまったのでしょうか?

 自国の選手に有利な設計を施したとうわさされるような、危険性の高い競技場の設備によって発生した数々の事故。そうでなくても、オリンピックはメダルの量産が目的ではないではありませんか。国際親善であるオリンピックの精神から言っても、開催国はメダルは参加国に提供するものであり、自国の選手には花束の贈呈だけにするなど、謙虚な態度で臨むのが理想ではないのでしょうか?

 フィギュアースケート女子の金、銀の争いで、試合後には、お互いが目も合わさないような反目の態度は、決して国際親善とは程遠い“決死の対決”で、遺恨を次のオリンピックに持ち越すことではないですか? 勝負を決したお互いが肩を叩き合って「良くやったわねぇ!」と相手の精進をたたえあってこそ“国際親善”を旨とするオリンピック競技ではないかと考えるのですが…。
 それが証拠に、メダルを手に入れるためには国籍を変えて出場権を得ることもやぶさかでない、と公言する選手などもいるわけですから、“国際親善”どころか、自分個人の利益(利己)だけでオリンピックに参加する輩も出てくる始末なんですょ!

 これは何も選手や主催者だけの問題ではありません。メダル獲得のために選手を外国へ遠征してまで強化合宿させるシステムを作り上げているスポーツ競技関係者のあり方が問題なのではありませんか? スポーツだけではありませんよ。教育の問題だって、自動車のクレームに対する品質問題のせめぎ合いだって、本質とは別なところで当事者以外の自己(或いは党利党略として)の利益目的追求の槍玉に挙がっているんじゃあないかと心配になっているんですょ。

 この辺でオリンピックの開催方法なども見直して、真に選手の努力が報いられる形にして、メダルなども廃止したらどうでしょうかねぇ? メダルが無かったら誰もスポーツに見向きしなくなるって?(じゃぁ、七色のブリキのメダルにしよう!)

 本心かどうか知れませんが、キム・ヨナ選手が「金メダルを取れるかどうかではなく、金メダルを目標に、完璧な演技が出来るように努力した結果で与えられるのがメダルなのだ」という意味のことを言っていましたが、正にその通りでしょうね。ですから、メダルを取ることが目的ではなく、メダルを目標として練習したその成果、すなわち努力の結果を審判員がメダルに相当すると評価してくれるのです。(当然、戦略や運も影響するよねぇ!/流し目や、チラッと見せるって手もあるぞッ!/男じゃぁダメか?)

 オリンピックだから、結果にこだわらないで楽しく国際親善を果たしてきて下さいね。入賞を逃したカーリングの美女軍団も、メダルを逃した問題の国母君も、みんな立派に国際親善を果たしたんだょ! 色々な国の選手やカナダのみなさんと親善を図れるのは、オリンピックならではですからねぇ!

 世界平和が実現するまで、まだまだオリンピックは続きます。選手の皆さんも一所懸命に精進して、結果が夢のメダルにつながるよう、次の機会を目指してガンバって下さい。私も、目の黒い内は(左右とも、人工レンズになってしまいましたが…)精一杯応援しています。(特に、美人選手には…/まさか真央ちゃんじゃぁ?/いゃいゃ、ウフフ…)( Mar. 1. 2010)


 カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが始まっていますが、出発に先立ってスノボの国母選手の服装の問題で一騒動が起こりました。ネクタイをだらしなく締めて、下シャツをズボンからだらしなく出したり、鼻などにピアスを飾ったりして、オリンピック選手に相応しくないと相次ぐ電話抗議が集中したのだそうです。

 国母選手自身にしてみれば、若者のファッションで当たり前だし、他人と差別化を図って個性を強調するのだということだそうですが、日本の代表として国費で参加する限り個人の趣味以前の礼儀の問題があります。おまけに、記者会見での言葉遣いも、とても常識人とは思えない粗暴さにビックリしました。これが又、大学生で三年生だと聞いて尚更驚きました。その大学では、問題を重視し、公式の応援を自粛するということになったそうです。

 これって、ちょっと朝潮龍の問題と似てはいませんか? 朝潮龍の場合は、モンゴル生まれですから、日本の文化と異なり格闘競技では、横綱であろうが無かろうが勝負に強いことが必須で、品格は、特に問題にすべきものでもないでしょうし、土俵以外で個人の言動が問題になるなんて考えが及ばなかったかも知れません。また、師匠の親方から“横綱の品格”について、十分な教育もされていなかったに違いありません。(親方も外国人力士でしたから…) だから、ひょっとすると問題は、相撲界の教育のあり方かも知れません。

 それに比べ、国母選手は日本人であり、大学生としての教養も備えているはずだと考えると、とても常人の理解を超える言動としか言いようがありません。確かに、メダルを争う競技に、どれだけの品格が必要かは論議を必要とすることかも知れませんが、常識的に言っても、オリンピック精神から考えても、又、日本を代表して参加する国際親善大会ということでは、それに相応しい品格、教養を備わっていることが求められても不思議ではありません。

 つとに、商業化されてきたオリンピックで、若者のファッションが問題かどうかを非難する前に、オリンピックの開催方法そのものや、メダルに国の威信を掛けるような、競技成績に対する異常なほどの過熱状態こそ、今や反省すべき時期に来ているのではないかと考えます。
 スポーツ競技が、人の努力以外の、競技道具や競技ウェア(着衣、靴など)の形状や素材の研究、莫大な費用を要する強化合宿や科学や医学、心理学などを総動員した心身・メンタルトレーニングやトレーニング装置・器具などの導入等に及んでは、もう本人自身の努力だけでは到底結果を出せない状況になっているのが現状ではありませんか?

 それに比して、水泳パンツ1つで、食べ物も練習場も無かった時代に、オリンピックの時期に照準を合わせることもできず、自己の、いや世界の競泳の記録を次々と打ち立てた古橋広之進選手の輝かしい青春が、とても懐かしく、走馬灯のように思い出されるのです。(あの頃、高校の教科書も買えず、海水パンツも買えず、手作りのパンツで、背泳3位入賞だったなぁ…/そりゃぁ苦学生の鑑だ!/いや、3人泳いだだけなのだ!)

 世界一を目指すこと、誰よりも目立つことだけが尊く、人生の全てであるような価値観、ノーベル賞を受賞できる人材を多く育成するなどと言う教育のあり方(国際教育テストに一喜一憂する文部科学省など)に問題があるのではないかとも思われますねぇ! 民主党政治も、国会での自民党の討論も、政党の党利党略だけの論議で、一向に国民の声なき声を反映する政治に眼が向いていないような気がしますが、如何でしょうか? これも、“負け犬の遠吠え”でしょうか?( Feb. 20. 2010 )


   場所中に飲み屋で酔っ払って一般人に暴力を振るったことが発覚した朝青龍が相撲協会に引退届けを提出したそうです。もちろん、度重なる不行跡や土俵上での横綱に相応しくない品格を従来から指摘されており、今回の事件で横綱審議会より「引退勧告」を出されることが予測される事態になって、解雇や除名(相撲界より追放)になるよりは、師匠の高砂親方と相談の上、自らが引退届け出すことによって最悪の事態を回避したとも考えられますが、横綱の名を汚すような行為に対する責任はそれとして、朝青龍の監督責任である高砂親方や“厳重注意(?)”だけで済ませてきた相撲協会自身の責任が問われないのはおかしいのではないかと思います。

 また政界では、検察による民主党の小澤幹事長の政治資金規正法から見た会計の不明朗さの捜査において、小沢さんの三人の元秘書たちの経理の不正操作に基づいた逮捕が行われたものの、小澤さんは経理の不正は彼らの独断で実施されたものであり、小澤自身はあずかり知らないとの陳述により、彼らとの関わりを実証できないとして、検察は小澤幹事長を不起訴と決定したとありますが、これもまた、前記の朝青龍の事件の成り行きと似てはいませんか? 秘書や経理責任者を監督する責任は、当然雇い主の小澤氏にあるのではないかと考えるのが当然のように感じますが、この方も、小澤さんは「検察が不起訴だと判断したのであるから、無実であり責任を取る必要は無い」と言うのでしょうか?

 話は変わりますが、アメリカでトヨタの自動車のアクセルペダルの不具合で事故が多発したことで、当初トヨタは指定の純正フロアマットを使用しないために生じたものとしていましたが、事故調査等の結果からリコール対象として400万台以上もの車を無償修理することになりました。それだけかと思いきや、新型プリウスのブレーキが利きにくい時があるという市場クレームが発生し、「ブレーキ操作時に回生制動との兼ね合いでタイミングが1秒ほどずれることによる感覚的なもので問題ない」としていましたが、これは国内だけでなくアメリカでも発生していることがわかり、リコールせざるを得ない事態となってしまいました。これによって、アメリカではトヨタの品質管理が問題となり、信用問題にも発展する様相になっています。(アメリカ車に追い風になるか?/そりゃ、神風の逆風だ!)

 ブレーキの不具合というのは、自動車には致命的な欠陥であり、人命にもかかわる問題ですから、あってはならない不良ではないかと思います。(私は、新車購入時には必ず試乗して、低速や高速でのブレーキの効き具合とハンドル操作・挙動等を確認することにしています)それを運転者の責任にすりかえるのはとんでもないことだと思います。確かに、リコールにすれば莫大な費用による損失が発生するし、場合によっては信用問題となって販売に影響が及ぶため、出来る限り公にしたくない気持ちは分りますが(リコール隠しで、どこかの自動車会社は軒が傾いたことが、以前ありましたょねぇ!)、逆に事故が拡大しないように出来るだけ早く手当てをする必要があるわけです。リコールが遅れれば遅れるほどダメージが大きくなるのは眼に見えています。ですから、これも前二者と同じく、責任を転嫁しようとして自らの信用を失墜するという結果になることを証明しています。

 最近このような問題が多いと思いませんか? 食品の偽装問題でも、賞味期限の問題でも、既に多くの事例があるはずです。このことは、経営者や指導・監督者、或いは政治にかかわる者の責任感の欠如、倫理の凋落の結果があるのではないでしょうか? もう一度責任の所在をよく検証してみる必要があると思います。また制度の不備等がある場合もありますので、その実態をよく調査する必要があるでしょうね。

 はたまた「もって他山の石とすべし」ということでしょうかねぇ。( Feb. 5. 2010 )


新年あけましておめでとうございます。

 ちょっと遅めの新年のご挨拶になってしまいました。これも娘夫婦が保養所に接待してくれたので、暮れの忙しい折に一緒に出かけて年の暮れをのんびり過ごしたせいで、新年に向けて年賀状の制作に大童になってしまいました。
 保養所では、孫たちとカラオケ大会をやって自動得点機で成績を競いましたが、接戦の結果、孫たちの挑戦を退け、見事“92点”を獲得し「おじいちゃんの権威」を保ちました!(良かった、良かった!/たかがカラオケ、されどカラオケか???)

貴方様も良いお正月をお迎えのことと推察致し、新年のお慶びを申し上げます。ご家族共々、益々のご健勝とお幸せを心よりお祈り申し上げます。併せて、この拙いホームページに、本年も変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。(Jan. 6. 2010)


   日本画の平山郁夫さんが亡くなられました。
「仏教伝来」でデビューされたとお聞きしておりますが、私もシルクロードの画風の魅力にとりつかれてファンとなりましたが、同時に原爆の被爆体験から平和に大層力をそそいでこられ、アフガンの紛争で破壊されたバーミヤンの大石仏像の保存活動などにも奔走されていたと聞きます。
以前にお話していますが、箱根の芦の湖畔にある成川美術館の館長さんが、若い時に展示会で平山さんの「ガンジスの夕」に魅せられて、一戸建てが買えるほどの大金を工面してきて、譲っていただいたのがご縁で平山さんと懇意になり、ついには平山さんの作品を展示するために美術館を造り、館長となったというお話を聞きました。むろん、私も成川美術館にはたびたび伺っていますし、我が家の二階への階段の壁面には、成川美術館で手に入れた平山さんのスケッチ画を掛けています。

 日本を代表する類稀な日本画家を失って大変残念ではありますが、「生あるものは、いつしか死す」という自然の摂理でありますし、生老病死を苦にして出家し、悟りを得たブッダにも縁が深かく、玄奘三蔵法師が釈迦の経典を求めたインドへの苦難の道を、平山さんが辿って描かれたのが「仏教伝来」ですから、また彼の地で、お釈迦様や玄奘三蔵師と“悟り”について論をたたかわされておられるかも知れません。

心からご冥福をお祈り致します。(Dec. 11. 2009)


 これは驚きました!!! アメリカのオバマ大統領にノーベル平和賞が贈られました。

 就任間もない時期ですから、平和への貢献実績が評価されたわけではないでしょうし、アメリカで初の黒人大統領が誕生したことのお祝いでもないでしょうねぇ。
 どちらかと言えば、オバマ大統領の政策表明が、“核軍縮”であり、また地球温暖化防止の京都議定書に、国益に反するとして批准しなかったブッシュ前大統領(ブッシュ親子は戦争大好き大統領でしたからねぇ)とは反対に、「核保有国だからこそ、世界平和を構築するためには、国連を中心にして核の脅威を取り除く責任がある。また同様に、世界的な影響を及ぼしている地球温暖化防止のためには、温暖化ガスの排出大国は率先して温暖化防止に取り組まなければならない」とした、世界平和と地球温暖化防止への取組み強化を全世界に呼びかけたことが、今後の地球環境問題への取り組みと核拡散防止に続く核廃絶まで示唆した声明により、実践活動を先取りして、アメリカ大統領の成果を期待して与えられたのではないか? と推測していますが、従来ノーベル平和賞受賞者の多くも、実際には平和にどれだけ貢献したかは定かでない場合が多々あったそうですから、オバマ大統領も、このノーベル平和賞授賞が、世界の指導者として立派な評価につながるように期待したいと思います。

 鳩山首相も、国連で「日本は2020年に、1990年を基準に温暖化ガス削減目標を25%にする」と表明し、全ての排出国に地球温暖化防止に協力を呼びかけましたから、その実績が評価された時点でノーベル平和賞の受賞も夢ではないのではないか(ユメユメ期待するでないぞ!/ハトは平和の象徴なのだ!)と希望を持ちましょう!(我が家のCOの排出を△70%削減したtommyさんにはノーベル賞は出ないの?/削減し過ぎには出ないのだ!)

 話は変わりますが、世界平和といえば、オリンピック招致でリオデジャネイロに遅れをとりましたが、その次の2020年に向けて、広島と長崎が連携して、世界唯一の原爆被災都市として奇跡的な復興を遂げたことをアピールすると同時に、核の無い世界平和を祈念するオリンピックを、ぜひ日本で開催したいと声を挙げました。これこそ、世界平和と国際親善を目的としたオリンピックの祭典に相応しいですねぇ。是非とも実現させたいですね! でも、招致活動に150億円なんてことは無いでしょうね?( Oct. 11. 2009)


 2016年のオリンピック開催国は、私たちの予想通りリオデジャネイロに決定してよかったですねぇ! 最後まで競ったマドリードは残念でした。最初に振り落とされたシカゴは、折角オバマ大統領夫妻のアピールがありましたが、どうしてもと言う意気込み(オーラ)が感じられませんでしたから、まあ仕方がないでしょう。東京の石原都知事の執念も実らず“2020年に25%CO削減”で国連演説でデビューした鳩山新首相までプレゼンテーションに引っ張り出して健闘した日本でしたが、決選投票まで残ることが出来ず残念でした。しかし、オリンピック精神から言って、未だ一度も開催されてこなかった都市こそ、優先して開催できるようにするべきではないかと、以前から、私も妻もそう考えていましたから、今回のIOC委員の総意がそうなって良かったと思っています。

 本来なら、オリンピック精神から言っても、開催国の選定は、事前の審査は必要かもしれませんが、世界の全ての国が公正に開催できる権利を有するわけですから、くじ引きで決定する方が無駄な時間と費用が少なくて済んで良いのではないかと思っています。東京都のように、開催地に立候補するためだけに莫大な(150億円?)税金を注ぎ込むことこそ、経済大国(石原都知事の?)の独善だと言われても仕方のないことで、開催回ごとに“度派手”になっていくオリンピック祭典を見ていると、途上国での開催はとてもムリではないかと考え込んでしまいます。国際親善を旨とする世界のスポーツの祭典であれば、それぞれの国情に応じて、たとえ質素なお膳立てであっても、大いに歓迎すべきではないかと考えますが、どうでしょうか?

 もう一度、クーベルタン男爵の“オリンピック精神”に立ち戻って考え直す必要があるのではないでしょうか? また、メダル競争も程ほどにしてほしいとも思いますがねぇ!( Oct. 6. 2009 )


 やりましたッ! イチロー選手。日米通算2000本安打達成! 今日また9年連続、シーズン200安打の大記録ッ !!! おめでとう !!!

 それを又、我が家では新しく組立てたハイビジョンTVセットでばっちり捉えました。
残念ながら、達成の瞬間の映像は記録できませんでしたが、その直後の映像を新しいTVセットと共に見ていただきましょう!

   

野球王国のアメリカの大リーグで、誰もが成し得ない超大記録を、日本のイチロー選手が次々と打ち立てて、しかも、すべての人に愛され、祝福されることは、私達日本人の誇りでもあり、喜びでもありましょう。ぜひ、これからもケガなく、益々健康に気を付けて、次の高いハードル目指して頑張ってください!( Sept. 14. 2009 )


 やっと体調も良くなってきました。長らくお休みしていた更新作業を再開しようと思います。約一年程の間に政局も、世の中の状況もすっかり変わってしまってとまどっています。

 今や政権交代の衆議院議員選挙活動の真っ只中にいます。麻生首相に交代してから、自民党×公明党の政治が、すっかりだらしなくなってしまい、麻生政権の世論の支持率は20%まで落ち込んで、もはや政治に対する国民の期待は“政権交代”以外に道はなくなっていまった感じがします。麻生さんが余りに長く(?)首相の椅子に執着しすぎたのでしょうか?

 ところで、政治の話は当該コンテンツに委ねるとして、テレビ放送のデジタル化が2011年7月と迫る中、我が家にあるのは、古い28吋のハイビジョンブラウン管TVと、省エネとデジタル化を意識して買った安売りの20吋液晶TV(G2端子付きだから、デジタルチューナーを手に入れれば、地デジ放送もOKのはず…)だけ、てなわけで、10万円も投資したのに、麻生政権はエコポイント制度とかで、地デジTVへの買い替え促進政策を打ち出し、今や32吋のデジタルテレビが、旧テレビのリサイクルと合わせて15000ポイント(15000円相当)付いて、何と10万円以下で買えるのです。折角安売りで買った10万円のテレビ、“安物買いの銭失い”でパーか?

 いやいや、tommyさんは、無駄なデジタル化応援の手には安々とは乗りませんょ! こうなったら、意地でも地デジテレビに買い替えないで、デジタルチューナーを手に入れて、ブラウン管TVも古い液晶テレビも一緒にデジタル・ハイビジョン化に挑戦するぞッ!
思いついたら猪突猛進、電気屋さんへ一直線! かねて雑誌で調べておいた「I・O DATA社」のハイビジョンチューナー「HVT-BT200」(\15950)、接続ケーブルその他(\5020)締めて約2万円余(案外高くついたなぁ!)
デスクトップパソコンの液晶モニターを利用すれば、元々デジタル用だから最適ではないかと、取り外してきて接続してみました。バンザイッ! 大成功です。ただ、画面の大きさが15吋と小さいので近寄らないと…。
寄せ集めハイビジョンTVシステムの全容は、見ての通りです。

試行錯誤で、これからまだまだ進化させる計画です。ご期待ください! 貴方の挑戦も待ってるョ〜!( Aug. 26. 2009)


 左眼が不自由になってホームページの更新が停滞し、色々皆さんにご心配をお掛けしておりますが、読み書き以外は、それほど苦痛ではありません。行動範囲は狭くなってはいますが、眼以外の身体は大丈夫ですので、他事ながらご休心下さい。
 現在の状況は、白内障の後、眼圧が下がらず「緑内障」を併発しているために、そのまま放置しておくと、左目は視野狭窄が進行して視界が狭まり、ほとんど見えなくなってしまいますので、何とか眼圧を下げて少しでも視野狭窄の進行を遅らせる努力が必要となっています。

 眼圧というのは、目の中を循環する水(房水)の圧力で、通常一定の範囲に調節されていますが、房水の流入、排出に異常が生ずると、眼圧が高くなり視神経が圧迫されて損傷を受け、網膜からの映像の信号が伝達されなくなります。視神経は一度損傷すると回復させる事が出来ません。損傷する原因やその対策方法については、未だ十分確立されてはいません。そのため、外から目の中に孔をあけて水圧を下げる手術によって眼圧を下げる方法もありますが、術後の管理や合併症の危険性も高いために敬遠される事も多いようですので、現状では、安全、確実な手術を模索している段階です。

 また、あえて危険な手術に頼るよりも、薬剤の追加使用によって正常眼圧の範囲まで低下させることができれば、視野狭窄の進行を遅らせることを期待できるので、眼圧低下に効果のある内服薬(多用すると腎臓障害を起こしますが…)を追加して様子を見ています。

 現在のところ、眼圧と視野の障害の自覚症状は明確ではなく(眼圧検査・眼底検査・視野検査等によって確認できる)漠然としており、障害の進行も急速には顕われてこないために、あまり深刻に考えても仕方の無い事なので、物事を楽観的に、
「左目が見えなくても右目があれば大丈夫! 全盲の辻井伸行さんでさえ、バン・クライバーンの国際ピアノコンクールで優勝されたではないか。片目があれば何も心配要らない!」と思っています。(あのなあ、お前、ピアノ弾けるの?/それよ、これから練習しようと思ってんだょ! だから、NHKの“趣味悠々・小原孝のクラシックピアノ講座”をやろうと思ってさ/思ってるだけ?/録画とってる!/趣味はクラシック?/いいや、演歌!)

 皆さんにご心配を掛けないように、また元気よく、拙くても、楽しんでもらえるようにホームページの更新をしていきますので、どうぞ相変わらずのご愛顧をお願い申し上げます。( Jun. 14. 2009 )


 昨年の11月に左目の白内障手術を決行したのですが、何と手術に失敗して、何も見えなくなってしまいました。それから3ヶ月、必至に回復治療を続けた結果、やっと視力が回復しはじめています。

 たった3ヶ月間の空白時に、世の中は全く様変わりしてしまいました。アメリカのサブプライムローンから端を発して、世界の金融界は大きく変動し、製造業まで飛び火して、金融恐慌から商品の販売までも大幅に落ち込み、かつて無い不況の荒波に労働者の大幅削減・解雇などという強行策が横行し、国民の生活不安が増大しています。
 それに加えて、福田内閣から引き継いだ麻生新首相も、戦後日本を興した吉田茂元首相のお孫さんだと言う期待に反して、国民不在の政治が不安定さ(党利・党略政治)を露呈し、世論の支持率がジリジリと低下、何時の間にやら20%を割り込み、国民の審判を仰ぐ衆議院解散の機会を逸したままズルズルと首相の座に居座り、さすがに自民党内での不協和音までも激しくなってくる始末で、ますます国民の信頼が低下してきています。

 これは決して、私の左目の手術の失敗に起因するものではありませんが、その間、この拙いホームページで世の中を批判し、忠告することをなおざりにしてきたtommyさんにも、一介の責任があるのではないかと(アホなこと言うな! 何の影響も無いわ!!!/そんなぁ! 冷たいこと言わないでょ!! これでも一生懸命、無い知恵絞って考えてるんョ!)
何はともあれ、取りあえずHPへ復帰致しましたので、何卒よろしくご指導、ご批判の程をお願い申し上げます。

 今年こそ経済不況を跳ね返し、輝ける年になりますようにと、国民の皆様はじめ、世界の皆様(大げさなッ!!)に、“平和と安全と地球環境の回復”を心から祈っております!
今しばらくは、まだ目も十分回復していないので、ボチボチやらしてもらいます。( Feb. 14. 2009 )


私がホームページを作った目的

 私の言っていることが正しいかどうかはともかく、自分のご都合主義ではなく、日本の将来のために、自分たちの子孫のために(ちょっとオーバーかな?)自分の意見を主張し、行動することが大切だと思ったんですよ。(頭の老化を防ぐためにもね)
今日まで、拙い私を育てて下さった諸先輩および社会に対して、残された自分の人生の時間をこのために使おうと考えたんですよ。

 インターネット・ディベート、これが実現できれば最高です。どうか貴方自身が私の考え方を批判したり、周りの人たちと議論して下さることを心から願っています。


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