「孔雀王-ライジング-」第七巻発売に寄せて
すでに今年の一月、二月発売の小学館「月刊スピリッツ」、リイド社「戦国武将列伝」で告知済みかと思いますが、私自身からも改めて一言。
実は年末進行のハードスケジュールをこなした直後、急性ヘルニア・肝硬変・肺梗塞・多臓器不全などが一度に発症し、自宅でぶっ倒れ、そのまま着の身着のまま、かかりつけの大手総合病院のICUにぶち込まれ、絶対安静の状態で、年末年始を過ごすハメになっちゃいました。連載は落とすは、年賀状も書けず、もろもろで読者や編集、知り合いの皆さんに色々ご迷惑をおかけしました。どーもすみませんでした。
幸いICUは一週間で卒業できましたが、その間飲まず食わずで減った体重が、「なんと20kg!」。実は体調不良の主たる原因は、心不全からくる腹水の排泄不良で、その原因が解ったとたん、過酷な「ライザップ」もどきの地獄の食事療法が始まり、一月末の退院日までに落ちた体重はなんと、「29㎏!!(小学四年生一人分だって)」
おかげで見た目もガラリと変わり、リイド担当のN編集長は病室を間違えたかと入り口で立ち尽くし、他の担当も全員が同様に絶句してました。
そして退院後に自宅マンションに戻った後はもっとヒドく、ご近所さんは皆私から目を外し、話しかけてくれる人も無し・・・。
何だかおかしいと思ってた私に、勇気ある酔っ払いのオジさんが一言「まだ若えのに可愛そうになぁ・・・、で、余命はあとどのくらいなんだよ?」そうです!、マンションの皆さんは年末の私の入院をガンだと思い、気の毒過ぎて掛ける言葉が見つからなかったそうです。でもその酔っ払いのオジさんが他でも喋ってくれたおかげで、また皆さんいつも通り声をかけて下さるようになりました。
さて、話が遅くなりましたが、孔雀王ライジングは第七巻からいよいよ両親と孔雀君の謎の関係の解き明かしです。このあたりのエピソードは無印の孔雀王シリーズでもあまり触れてない部分ですが、それも道理で、私自身も宗教における「地獄」と「極楽」の比重は、極楽のほうが上と信じて来ましたし、世の宗教家や著名な日本の小説家もそう語る人達が多いように思えました。でもあの5年前の震災で、私は自分の頭の中程度では、どうにも納得出来ない地獄・極楽の比重の問題に突き当たって、未だに答えを出せない状態です
。そして今この場で軽々しくその問題に触れることが、とても恐ろしく、私自身おっかなびっくりな状態ですが、世の中のジジイ・ババア作家達の中には、無責任だか病気だか知らないけど、五木某的聞きかじりで無知なエッセイもどきや、瀬戸内某の食えばわかる的壊れた胃袋の暴走が命の証だとか、泣き真似すらヘッタクソな特定宗教団体の太鼓持ち芸人小説家T・AのNHKパフォーマンスだの、みんなもっと真面目に悩んで宗教問題を書こうよね。
・・・で、私自身は今、ロシアの大文豪ドストエフスキーを学び直すことで、この「孔雀君一家の地獄での使命感」に、何らかの結論を見つけ出したいと願って努力している所であります。(荻野真・2016/3/22)
孔雀王ライジング第八巻が二月十日に発売されました。第七巻で孔雀は女人裏高野の管主竜女に、父慈覚と母冥道の過去を知るため冥府に行けと言われます。 そしてこの巻では裏高野次期座主の日光の企みもあり、冥府どころか地獄にまで墜ちるハメになります。そこで孔雀が会ったのはなんと意外なあの男!?…。 と、その先はどうかこの第八巻を本屋さんでお買い上げ頂き、お読み下さいネ。
ところで、この孔雀地獄編を書くにあたり、困ったのが「そもそも地獄とは何か?」と、「鬼の正体な何か?」という問題です。地獄に関しては、 古代インドバラモン教では六道輪廻ではなく五道輪廻で、修羅界と地獄界は一つ。そして中国の道教では死者は魂魄が別れ、魂(たましい)は天に昇り、 魄(肉体)は地中に帰るという単純な発想で、日本の黄泉の国もほぼ同じ発想です。所がこれに仏教の六道輪廻の地獄界の発想が加わると、 罪人の魂が刑罰を受ける地中の牢獄が地獄であるという発想が加わり地獄界が生まれます。
そしてそこに住むインドの修羅・夜叉・羅刹が鬼と呼ばれ、中国の裁判制度も加わり閻魔大王が生まれます。言ってみれば地獄とは仏教により作られた世界ですが、 仏教の始祖釈迦はそんなものの存在は絶対に認めてはいません。そこで結論としては、釈迦の死後、後世の大乗仏教徒が勝手に作り上げた妄想の産物が「地獄」であり、 同様に彼等がインドの修羅等々を使い、やはり妄想的に作り上げたのが、「鬼」という地獄の獄卒としての生き物のようです。
そしてこの「地獄と鬼」のお話が最も流行ったのが、鎌倉時代の日本。おまけにそこにインドの地中の宝探しの神を「地蔵菩薩」として登場させ流行らせたのも、 やはり同時期の日本の坊主達だったそうです。どうやら日本人というものは昔から、極めて妄想癖が強く、またそれを信じやすい性質のようで、釈迦がいくら 「偶像を造るな。拝むな。」と説いても、仏像を世界一多種多数造っちゃったのが、日本の仏教。これがいいのか悪いのかはとりあえず置いといて、漫画やアニメの 作品がこれほど多種多彩で、その数が断トツに多いのも、この癖のおかげなのかもしれません。
仕事上、中国に行くことが多かったこの私も、中国の漫画家やアニメ作家、編集者達と会うたびに気になったのが実はこの点。絵は上手いし文章も上手いのに、 何故かみんなどこかで見たような作品で、下手でもいいからオリジナルな作品を期待していましたが、ほとんど見当たりませんでした。 しかしそれは彼等だけのせいでは無く、お客さん達の需要も無いみたいで、「工業、建築の次はソフト産業!」と政府は期待してるようですが、 ちょっと無理っぽい目標のようです。
ま、てなワケで私の孔雀王シリーズも、日本の仏教以上に妄想的で、釈迦が説いた仏教とはまるで違いますが、それを解った上で楽しんで頂ければ幸いです。 この第八巻からはさらに妄想たくましく、とりあえずの終幕を目指してお話も一気に加速していきます。ご期待下さい。(荻野真・2017/2/16)