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孔雀王ライジング、戦国転生に関する重大なお知らせ

年末に私自身が体調を崩し、緊急入院となり、二月からはようやく通常の連載ペースに戻れると思ってた矢先、なんとウチの会社のチーフが通勤途中に転倒し、利き腕を大骨折。その月の戦国とライジングは、失業中だったウチの息子をムリヤリ仕上げの丁稚に回し、減ページで乗り切ったものの、その直後起こったのがあの「熊本地震」でした。

南阿蘇そしてあの大地震の本震地「南阿蘇」でも、阿蘇大橋が崩落した場所のわずか数十m先の学生アパートに住んでいたのが、東海大農学部動物科四年になったばかりのウチの娘だったのです。当日の夜中二時ぐらいに突然ウチの娘から、「表の大橋の方ですごい音がした。真っ暗で何があったかはっきり見えないが、ヤバそうなので、同じマンションの子達と今すぐ裏山の大学に逃げる!」との連絡があって以来、一日中TVをつけっぱなしで女房も私もまともに寝られない日々…。

南阿蘇そしてそれから二日後、「大分の友達のお父さんが、何とか道を見つけて大学まで来てくれたから、一緒に大分のその子の実家に泊めてもらって、そこから新幹線か飛行機を探して東京に帰るから」と。そのおかげで娘も思った以上に早くウチに帰って来られました。ありがとうございました、大分のお友達のご家族の方々。そして娘を無事返して下さった東海大の皆様。このご恩は必ずや何かの形でお返しさせて頂きます。

そして娘から聞いた話では、本震の時、いち早く学生達を学校に集め、毛布や水に薬をみんなから集め、倒壊したアパートの仲間たちを救出に向かわせた運動部の先生方や生徒さん達。亡くなられた三人の方々はとても無念でしたが、それ以外の閉じ込められた生徒達は東海大の学生達自身が力を合わせすべて助け出したと、娘も言っておりまた(なかには自前のチェーンソーで倒れた柱を切って出口を確保した学生もいたそうです)。そして行き場の無い地元の老人達もすべて東海大の学生達が体育館にお連れし、お世話したそうです。

しかもこうしてひと段落ついた後は、一部の動植物の世話をする学生達を残し、迷惑にならないようにと、95パーセントの学生が自力で避難路を探し出し、情報を共有し、車を持つ学生やその親達がピストン輸送で全員を県外に自主避難させたそうです。

この話を娘から聞いて、涙が出るほど感動すると共に、今時の学生達の隠れた能力を再認識いたしました。そしてこのような学生達の能力ややる気をただひたすら食い物にしてきた日本の大企業や国のやり方には、言いようのない不愉快さと怒りを感じております。

私達がまだ若かった頃、何も持たない私達若者のやる気を信じて、金銭面や気持ちで支えて下さった当時の編集部の皆さんや、その上の立場の方々の御恩を思うと、現代の無責任な中高年のクソジジイ共には、ただの怒り以上に憎しみすら感じてきます。それゆえにこそ、私達の世代は今の若い子等に、自分達が受けた以上の何かを返してゆかねばならぬ義務感をひしひしと感じております。

そのうえで、もう一つ言わせて頂くなら、「最初に阿蘇大橋が崩落した時、真っ先に自衛隊と警察に連絡したのは私だったかもしれない。でも二カ所ほど電話しても自衛隊はちっとも電話に出ないし、警察に電話しても、「えー、そうなの?!」と驚いて、「すぐには行けないから連絡があったことは上にあげておく。」と言われ、後で別の友達に確認の電話が一度きただけでそれっきり…。誰も現場にも学校にも来なかった。」と、ボヤく娘。そして学校に避難した後も、飛んでくるのはTV局のヘリばかりで、昼夜おかまいなしに飛んできては、インタビューどころか、顔を見に降りて来ることすらしなかったんだぜ。あのマスゴミ共は!」と、怒り心頭の娘(なかには来るには来たが、貴重な避難所の飲み物を勝手に飲んでたヤツ等も…)。

ま、あの人たちは所詮そんなもんでしょ(東日本大震災でのマスコミ、消防署員、警察官、自衛隊員の死者ゼロがはっきり物語ってます)。

…と言うワケで、娘に会えた安心感からか、突如高熱を発してここ二週間ほどぶっ倒れてしまい、どちらかの連載をあと一度だけお休みさせて下さい。でもその後は年内一杯バリバリ働きます。チーフも「すみません、すみません!」を連発しながら日々鉄アレイでリハビリに励んでおりますし、「なんか苦労してる後輩達を見て、同じ東海大の先輩としてやるときはやんなきゃね!」と張りきってる息子共々、孔雀堂一同で日本の将来のために今後もガンバッテ漫画を描いていこうと気合を入れ直しております!(荻野真・2016/5/5)

P.S. とりあえず来月まで休校になってしまった娘は、「今は就活より卒業実験と熊本のためのボランティアだ!」と、苦手な会社訪問お休みの言い訳ができたのを内心ちょっと喜んでいるみたいです。でもま、留年を繰り返し、就活すらしなかったドロップアウト親父としては、それもまた人生かと、苦笑いしながら見ております。

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