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宮城「石ノ森章太郎ふるさと記念館」出張ライブ

9月19日から21日までの連休中、故石ノ森章太郎先生のふるさと記念館に行って参りました。

気仙沼ここで開催された日本漫画家協会主催の「漫画家による仏画展」に私も作品を出展しており、そのご縁で頼まれたお仕事で、東北新幹線で東京駅から宮城くりこま高原駅までわずか一本、二時間ほどのお楽な旅でした。同行したのはカメラマン兼雑用係の私の息子。丁度一月ほど前、会社の上司とトラブルを起こし失業中だったので、ムリヤリ連れて行きました。

迎えに来て下さったのは、ふるさと記念館の若手館員、岩井信也さん。地元訛りで車好きの優しげな兄ちゃんで、聞けば館員は全員が、宮城県登米市職員の出向だとか。それじゃあ津波の時は大変だったでしょうと聞くと、「うちの市は内陸の盆地だから、全然大丈夫でしたよ。」との答え。「でもTVで石ノ森記念館は一階が浸水したって聞いたけど?」すると岩井さん曰く、「ああ、あれは石巻市の石ノ森萬画館の方で、ウチとは全然関係無いんですよ。」と、何やらイワクありげな答え。この手の話に目の無い私がアノ手コノ手で岩井さんから聞き出した話はこうです。

最初に記念館を造ったのは登米市でしたが、その二年後、突然石巻市に外部の業者が乗り込んで、新たな記念館を造り、仮面ライダーを始めとする東映制作の変身モノの版権を、一つ残らず引き抜き、登米市の記念館から持ち去ったそうです。慌てた登米市も石ノ森プロダクションに掛け合った結果、息子さんの好意で、なんとか009の版権だけは使用できるようになったが、変身ものはグッズの販売も一切不可能とのこと。

「うーむ、こりゃおそらくまた、マンガジャパン騒ぎの時の旧テレ朝出身のアイツ一派の仕業だな!」と、ピンと来ましたが、これ以上は言えません。ご勘弁下さい。

石ノ森章太郎ふるさと記念館くりこま高原駅から車で三十分ほどで、ふるさと記念館に到着しました。記念館は古い商屋の土蔵と庭を改装して造られたのんびりとした佇まいで、すぐ近くの石ノ森先生の生家も含め、デビュー当時の石ノ森先生の原稿や蔵書、仕事道具など、先生のファンの方々(もちろん私も)にとっては、貴重な記録とよいロケーションなのですが、やはり仮面ライダー関係の展示物とお土産の小物が一切無いのが痛いです。ここで副館長の菊池孝之さんや、館長の日野真次さんともお会いして感想を聞かれましたが、話題はやはり仮面ライダーになってしまい、日野さんも「うちの孫もライダーファンなのでなんとかしたいんですが・・・。」と、おっしゃってました。ここで私見を一言「あのね東映さんもテレ朝さんも、偉そうなこと言うつもりは無いけど、マスメディアなんだから、もうちょっと社会貢献てこともかんがえてね。ピケティだってドラッカーだって今年のノーベル経済学賞のディートン教授だって、みんな同じことを言ってんだよ。独り占めは良く無いって・・・。」

モーカの星この日はこのお三方と軽く飲み会をして、翌日午前中は気仙沼に直行。このお仕事で頂いたギャラを、地元の海産物にできるだけ社会還元させようと、市場に行ってまいりました。「さすがは日本一のサメの水揚げ港!」とサメの心臓やらフカヒレを買い漁る息子。見ただけで魚種を言い当てるところは、海洋生物学出身だけのことはあります。その他地元しか取れない海草や、海産物談義に花が咲く日野館長と息子。その後、ふるさと記念館に戻り、いよいよ本命の「新田たつお先生とのトークライブとサイン会」です。

新田先生はこの日昼に奥様とご一緒に到着。コーディネーターのスピーチバルーンの方々や、「漫画家による仏画展」の責任者、功プロの小川さんなど、関係者一同で昼食。

新田たつお先生とのトークライブとサイン会新田先生とはこの日が初対面で、あの漫画サンデーの超看板漫画だった「静かなるドン」の作者で、漫画界の大先輩。どんな方かと思っていたら、これが漫画家らしからぬ「関西芸人風、機関銃トークの河内のオッチャン」で、「ウチの親父は仕事が大嫌いな鞄屋のボンボンで、カーチャンは90歳で今でも超巨乳のババアや!」と、こちらがしゃべる間もなくポンポン身内ギャグが飛び出す、オモロいお方。おかげで本番のトークライブも、私は楽なツッコミ役で、大いに助かりました。読者及び業界関係者の皆さん、あのしゃべくりは必見です。新田さんの作品と同じくらい超オモロいです。

この後記念館の庭で、私のファンだった方々と昔の作品について懐かし話でおしゃべりをし、お土産まで頂きました。「ああ、ガンバッテ描き続けててよかった・・・。」と、この記念館に来られる方々に石ノ森先生もおっしゃっておられるだろうなと想像し、改めて読者の方々に感謝。長いことお付き合いくださって、本当にありがとうございます

関係者全員で打ち上げ会その夜は関係者全員で打ち上げ会。そこで新田先生の奥様ともお話をし、奥様もヤンマガで連載作家だったことや、娘さんの波瀾万丈の人生をお聞きし、同行した失業中の息子も何やら感じたようで、宿泊先に帰った後は珍しく親子でマジトーク。優しく明るく忍耐強い奥様の生き方に、新田先生とは全然違った意味で感銘を受けました。・・・でもこの真逆のお二人で、一組の御夫婦なんですよね(笑)。

今回の出張はこれで終了。翌日には岩井さんにくりこま高原駅まで送って頂き、翌日からは締め切りがマジでヤバい戦国転生のネーム。これもギリギリで上げ、やっとこの記事を書く時間が取れました。本業以外のお仕事はスケジュールの立て方がしんどいですが、仕事場に籠もりきりの漫画家にとっては、それ以上に為になり、面白いお仕事です。中国での仕事も同様でした。今後もソノ気は十分にありますから、何かあったらまたお誘い下さい。(荻野真・2015/10/30)

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