% 友愛数

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\begin{document}

\noindent\textbf{友愛数}

友愛数は完全数の亜種である。数には約数がつきものだが、約数の和がその数に等しくなるものが完全数だ。正確には自分自身を除く約数の和がその数に等しくなるものをいう。$6$は完全数である。$6$の自分自身でない約数は$1$, $2$, $3$で、その和はたしかに$6$である。まったくもって、このような数は稀である。完全なことというのは、そう簡単に達成されるものではないだけに、そんなに簡単に見つからないこの手の数が完全数と呼ばれるのは当然のことかもしれない。

では、ありきたりの数はどんな構造なのだろうか。大げさに構造と言ったものの、難しい話ではない。約数の和がどうなっているのか、ということだ。たとえば$8$。自分自身を除く約数の和は$1+2+4 = 7$で、惜しいかな完全数の条件をはずしている。

小さい数から順に調べれば分かることだが、約数の和を求めて完全数であることが分かるのは$6$, $28$, $496$, $\dots$であり、その他の数はまったくの不完全な数なのである。完全数は孤高の数だ。

このような乾いた世界にときどき現れるペアがある。それが友愛数なのだ。完全数を探す旅の途中で$220$に出会う。この約数の和は
\begin{quote}
$1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110 = 284$
\end{quote}
である。もちろん完全数ではない。先の$8$の例のように和がもとの数に近いわけでもない。だから当然、ここまでの捜索同様、気に留めることなく通過していくだろう。

しばらくすると$284$に出会う。この約数の和は
\begin{quote}
$1+2+4+71+142 = 220$
\end{quote}
である。これも完全数ではないので、注意深く過去を記憶していないと通過してしまうはずだ。だが、この和$220$は特別だ。$220$の約数の和がが$284$だったじゃないか。$220$と$284$は約数の和を通じて結びついている。まったく珍しいことではあるが、互いの約数の和が互いの数に一致するペアは存在する。相手のことを気遣うようなこれらペアは、友愛数(もしくは親和数)と呼ばれる。完全数はただ一つの数で完結しているが、これらのペアは相手があってはじめて意味を持つ。だから友愛数と呼ばれるのだろう。

友愛数のペアは完全数よりは多く見つかっている。しかし、それでも稀にしか現れない。$10$万の位までに$10$数個の友愛数があるが、そのほとんどはオイラーが発見している。不思議なことに、友愛数のペアは偶数どうしか奇数どうしであり、偶数と奇数の友愛ペアは見つかっていない。

万物は数であるとするピタゴラス学派によると、$2$(偶数)は女、$3$(奇数)は男を意味する。女を細かく分けて集めても決して男にならない(男を分けても同じことだ)。そんなことを意味しているのだろうか。ところで、$1$は神を表す。約数の和を求める際$1$を含めるが、これを含めない、すなわち神の目をかすめることができたらどうなるんだろう。

そうやって改めて数の約数を調べていくと、$48$の約数の和が$2+3+4+6+8+12+16+24 = 75$で、$75$の約数の和が$3+5+15+25 = 48$であることが発見できる。もちろん、こんな関係のペアもいくつか見つかっている。ところが、この場合のペアはすべて偶数と奇数なのである。神の目をかすめると、男女のペアになるというのが何とも言えない。ちなみに、これらのペアは婚約数と呼ばれている。

\end{document}