% 割り切れない数
\documentclass[dvipdfmx]{jsarticle}
\pagestyle{myheadings}
\markright{tmt's math page}
\def\baselinestretch{1.33}
\usepackage{tikz}
\begin{document}
\noindent\textbf{割り切れない数}
$\displaystyle\frac{1}{8}$は割り切れる数だけど$\displaystyle\frac{1}{7}$は割り切れない数だと皆が言う。理由は$\displaystyle\frac{1}{8} = 0.125$であるのに対し、$\displaystyle\frac{1}{7} = 0.142857\dots$となるからだ。ふう。ことばの使い方が根本的に間違ってるよ。$\displaystyle\frac{1}{8}$も$\displaystyle\frac{1}{7}$も\textbf{割り切れて}いる。たまたま$\displaystyle\frac{1}{8}$は\textbf{割り止まって}いるだけなんだから。
まず、$\displaystyle\frac{1}{7}$が割り切れていることをきちんと説明しなくちゃいけないね。でも、それは図を見れば一目瞭然だ。正方形でも円でも間違いなく$7$等分できることは分かるだろう。だから、$\displaystyle\frac{1}{7}$は割り切れる!!
\begin{center}
\begin{tikzpicture}[scale=1.5]
\begin{scope}[shift={(-2, 0)}]
\draw (-1, -1) rectangle (1, 1);
\foreach \x in {1, 2, ..., 6} \draw (-1+2/7*\x, -1) -- (-1+2/7*\x, 1);
\end{scope}
%
\begin{scope}[shift={(2, 0)}]
\draw (0, 0) circle [x radius=1, y radius=1];
\foreach \t in {0, 1, ..., 6} \draw (0, 0) -- ({cos(360/7*\t)}, {sin(360/7*\t)});
\end{scope}
\end{tikzpicture}
\end{center}
でも
\[
\frac{1}{7} = 0.142857142857142857142857142857142857142857\dots
\]
ってのを見てしまうと、いつまでも割り算が終わらないことは明白だ。だから、割り切れない?
それって、変だよね。実際に図形は割り切れているのに、計算すると割り切れないって。図形が割り切れていれば、計算だって割り切れているに決まっている。何でそんなことが分からないの? 「このチョコレートを3人で分けよう。重さは$3$オンスだったから一人ちょうど$1$オンスずつだね」『ちょっと待ってよ。$3$オンスって何グラムなの?』「$85$グラムだよ」『じゃあ、$3$で割れないじゃないか。$1$グラム余っちゃう』みたいなことを言ってるようなものだ。チョコレートは何オンスでも何グラムでもきっちり$3$で割り切れる。単位が変わった途端、割り切れたものが割り切れなくなるのはどう考えても変だ。
$\displaystyle\frac{1}{7}$は割り切れないんじゃなくて、割り止まらない数だ。$\displaystyle\frac{1}{8}$は割り止まっているし、もちろん割り切れてもいる。つまり、普通の分数は必ず割り切れるものなんだ。そして、ときどき割り止まることがある。これが正しい。
じゃあ、割り切れない数はないかというと、そんなことはない。たとえば$\displaystyle\frac{1}{\sqrt{2}}$は割り切れない数である。それは分母に無理数があるからじゃない。これは分母を有理化すれば$\displaystyle\frac{\sqrt{2}}{2}$だから、分母とは関係がない。$\sqrt{2}$自体が割り切れない数なのだ。
$\displaystyle\frac{1}{7} = 0.142857\dots$と$\displaystyle\frac{\sqrt{2}}{2} = 0.70710678\dots$は、どちらも商が割り止まることはない。では$2$数の根本的な違いは何だろう。それは、$\displaystyle\frac{1}{7}$は割り止まらないながらも商が繰り返すことであり、$\displaystyle\frac{\sqrt{2}}{2}$は割り止まらないばかりか商が繰り返さないことである。
つまり、商が繰り返すことが割り切れるということであり、繰り返さないときは割り切れないのである。たとえ話になってしまうが、道路脇に立って目の前の様子をビデオに収めることを考えてみよう。レンズの前の世界はビデオに入りきっているだろうか? 変なたとえなので返答に困るかもしれないが、レンズの前の世界はビデオに入りきっていない。かりに遥か過去から未来永劫までビデオに収めることができても、次から次へと異なる映像が現れるので、映像を収めきったと思えるときは来ないのではないだろうか。
一方で、$2$枚の鏡を向かい合わせ、鏡と鏡の間に物を置いてみることを考えてみよう。すると$2$枚の鏡には無数の映像が映り込むはずだ。では、$2$枚の鏡は物の映像を写しきっているだろうか? この場合は、いかに無数の映像が鏡に映っていても、同じ物が繰り返し写り込んでいるわけなので、映像は$2$枚の鏡に収まっているといえるだろう。同じことが繰り返すというのは、こういうことなのである。
\textbf{割り切れない}という用語を有理数に使うことは決定的に間違っている。有理数はすべて割り切れる。そのうち、ある数は\textbf{割り止まる}のである。割り切れないという用語は、たとえば$\displaystyle\frac{\sqrt{2}}{2}$のような無理数に使われることばである。
ちょっと、待って! $\sqrt{2}$の半分である$\displaystyle\frac{\sqrt{2}}{2}$は作図できるじゃない。それって、$\sqrt{2}$が割り切れることを意味しないの? その通り。確かに一辺の長さが1の正方形に対角線を描けば、$\sqrt{2}$の長さの対角線の半分が作図できている。でもね、これは``線分が2等分できる''と言うのだ。線分を分けているのであって、``数値$\sqrt{2}$を割り切っている''わけじゃない。さっきも言ったでしょ。単位を変えれば線分の長さなんてどんな値にもなるんだから。
え? 何となく割り切れない思いだって? そりゃそうだ。割り切れない数の話をしたんだから。
\end{document}