% ベクトル

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\begin{document}

\noindent\textbf{ベクトル}

一般にベクトルは、方向と大きさをもつ量と理解されている。そして、何やら特別な量だから数学以外には縁がないとも思われているだろう。でも、それは間違い。私たちが日常使う数もベクトルである。たとえば$5$は、$0$の位置から正の方向へ$5$の大きさをもつ量である。数直線に描けば一目瞭然だ。日常使う数がベクトルと意識できないのは、きっと正の数しか使わないからだろう。気温は、$5$\textcelsius と言ったり氷点下$5$\textcelsius と言ったりするが、いずれも正の数$5$しか使わずに表現しているから方向感に乏しい。$-5$\textcelsius と言えば負の方向が実感できる。さらに、負の数を計算に利用するようになれば、数がベクトルであることがなお実感できるはずだ。

気温と同じく風向風力を表す場合もベクトルの考えは有効である。天気図には、あからさまな矢印で表現していないが、ひげ付きの線を様々な方位へ向けて描くことで風向と風力を同時にもつ量を表している。これを発展させて、力の働く方向と大きさを矢印で示し、力の合成を作図することなど、学校でならったことだろう。かくして、中学$\to$高校と学習が進むにつれ、私たちの頭の中にはベクトルのイメージが形成されていくのだ。

ところが、ベクトルというのは広い意味では方向と大きさをもつ量でなない。はじめに言ったことに反するようで心苦しいけれど、実はベクトルには``明確な方向''というものはない。あるのはただ``数の組''なのだ。

大抵の場合、高校で習うベクトルは方向と大きさを強調する形で$\vec{a}$などと表現している。これはこれで大変便利は記述なので問題ないのだが、ちょいと軽い計算をするときには不向きなこともある。そこで、ベクトルが平面に表せるものなら$\vec{a} = (3,~4)$であるとか具体的に数で表すと四則演算が楽に行える。空間のベクトルなら$\vec{a} = (3,~4,~5)$などとする。でも、いずれにしろ方向と大きさという概念は抱えているわけだ。

で、さらに学習が進み、ベクトルを複数の値の組と見て計算すると便利なことがわかると、$\vec{a} = (3,~4,~5,~6)$なんてものを扱うようになる。これって$4$次元だよね。さあ、困った。$4$次元は私たちには見えない世界だ。それに、これはどっちの方向? でも、ちゃんと数で表せているじゃないか。ということで、ここに至ってはじめて方向という感覚が意味のないものであることが知らされるのだ。だから、こういうときは$\vec{a}$などという書き方をせず、$\mathbf{a}$などと太文字で書いたりしている。結構、勝手なものだ。

数学では、このように今まで正しいと思っていたことが突如覆されることがある。ベクトル以外に衝撃的なものは、「2乗して負になる数はない!」と断言しておきながら「$2$乗して負になる単位$i$を導入する」なんてのもそうだ。学ぶ段階における適切な指導とはいうものの、こんなことを理由に数学に不信感を抱く人がいるのも否定できない。数学を極めるには、この程度のことは屁でもない、って感覚でないといけないんだろう。

\end{document}