% 適当な

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\begin{document}

\noindent\textbf{適当な}

いまでは「適当な」という表現を「いいかげん」の意味で使うことが多いようだ。「いいかげん」とは要するに「当てにならない」ことを表し、決して「良い(いい)加減」をさすことばではない。

しかし数学で使われる「適当」という単語は、本来このことばがもっていた意味を完全に踏襲している。つまり数学で「適当な」と言ったら、これは$100$\%「適切な」という意味である。

適当な$x$に対して
\begin{quote}
$x-1 < 0$ \quad ならば \quad $x^2-1 < 0$
\end{quote}
という文章はいい加減に$x$を選んでも正しい命題にならない。実際、$x = -2$であればたしかに$x-1 < 0$であるが、$x^2-1$は負にならない。この場合は適切な$x$、すなわち$-1 < x < 1$であるような$x$に対してだけ正しいのである。

では「本当にどんな勝手な$x$に対しても」という意味で使われることばはなにか。それは「任意の」ということばである。

ここから先はあくまでも想像だが、「適当」の意味が変化してきたのは「さじ加減の個人差」が大きく影響したのではないか。たとえば上司が部下に向かって「これを適当に(適切に)処理してくれたまえ」と言えば、部下は当然のごとく適当に(適切に)処理するだろう。ところが上司と部下に経験の差があれば、おそらく適切の度合いが違ってくる。「部下の適切」が「上司には不十分」に映ることだってありえる。ここで上司の言った「適当」が「不十分」となって返ってくるわけである。

数学はこのようなあいまいさを好まないので、ある部分ではとても厳密である。この厳密さが数学を人々から遠ざける一因になっていると考えることは適当である。

\end{document}