% 対偶

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\def\baselinestretch{1.33}

\usepackage{tikz}

\begin{document}

\noindent\textbf{対偶}

日常使われる言葉はあいまいさをかなり含んでいる。たとえば
\begin{quote}
雨が降っている ならば 傘が要る \quad(△)
\end{quote}
と言えば当たり前の話で、それを逆に言う
\begin{quote}
傘が要る ならば 雨が降っている \quad(▼)
\end{quote}
というのも至極当然である。さらに
\begin{quote}
雨が降ってない ならば 傘が要らない \quad(◆)
\end{quote}
も正しい表現として通用する。

おそらく(△)は$100$人中$100$人が思考することだと思われる。現実に傘を手にしていなくても、雨が降っているのだから傘が要ると思うだろう。実際の行動が、タクシーを利用するはめになったり、雨に濡れるはめになったりしてもだ。つまり、この命題は正しい。

しかし、(▼)や(◆)は必ずしも$100$人全員がそう考えるとは限らない。なぜなら、(▼)や(◆)の場合には、雨が降っていなくても傘が要ると判断する人がいる。午後から雨が降ることを信じる人だ。だからといって、(▼)や(◆)の言い分に価値がなくなるわけではない。日常生活では(△)〜(◆)はすべて同等に正しいのだから。

ところが数学は天の邪鬼(あまのじゃく)である。(△)が正しくとも、例外を含む(▼)や(◆)を正しいと認めないのだ。(▼)と(◆)はそれぞれ(△)の「逆」と「裏」と呼ばれるものである。「逆は必ずしも真ならず」の言葉が示すように、数学的には逆や裏の言い換えは正しいとは限らない。

では、言い換えて必ず正しくなることはあるのか? それは「対偶」と呼ばれ、次のような言い換えをしたときである。
\begin{quote}
傘が要らない ならば 雨が降ってない。
\end{quote}
そう、傘が要らないと判断している人は、間違いなく雨を目の前にしていない。もっとも日常では、雨が上がってから建物を出るのだから傘は要らない、などという状況があることはあるが、時間差を考慮したらどんなことでも正当化できてしまう。一般に、厳密な話題では時間差を考えないものだ。もとの命題が正しいときは、いかなる場合においても対偶も正しい。当然、このことは証明をしなくてはならないが、簡単な論理式など用いればすぐに理解できることなので、ここでは述べない。

\begin{tikzpicture}
\draw[->] (-1, 1.3) node[left] {\fbox{『Aである』ならば『Bである』}} -- node[midway, above] {(逆)} (1, 1.3) node[right] {\fbox{『Bである』ならば『Aである』}};
\draw[->] (-4, 0.7) -- (-4, -0.7) node[midway, right] {(裏)}; \draw[->] (-1, 0.7) -- ( 1, -0.7) node[midway, above] {(対偶)}; \draw[->] ( 4, 0.7) -- ( 4, -0.7) node[midway, right] {(裏)}; \draw[->] (-1, -1.3) node[left] {\fbox{『Aでない』ならば『Bでない』}} -- node[midway, above] {(逆)} (1, -1.3) node[right] {\fbox{『Bでない』ならば『Aでない』}};
\end{tikzpicture}

図は、一つの命題に対して、どのように述べたものが「逆」「裏」「対偶」になるかを示している。このとき、もとの命題の真偽と対偶の真偽は一致するが、逆と裏については必ずしも真偽が一致しない。用語は実にうまい単語を選んだものだ。「逆」や「裏」というのは反対のことを意味する単語である。このことを踏まえてもう一度図を見てほしい。もとの命題から対偶へ行くには、「逆」と「裏」を一度ずつ通過する。すなわち、反対の反対はもとどおりというわけだ。

日常の言葉遣いでは気にならないことも、数学ではかなり気にしているのだ。ちなみに、矢印が逆向きになっても、それぞれ「逆」「裏」「対偶」という。

\end{document}