% 任意の

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\noindent\textbf{任意の}

「任意」という言葉から「任意出頭」を連想する人は多いと思われる。この場合の任意は「自由意志」の意味合いが強いが、任意出頭を求められたら、自由意志とはいいながら大抵後先を考えて出頭してしまうのかもしれない。他に「任意抽出」という言葉もある。これは「デタラメに」抽出して、統計処理を行う際に用いられている。しかし、戸籍から任意抽出すればデタラメな抽出が可能だが、駅前を歩いている人から任意抽出をしようとすると、抽出に応じてくれない人もいるだろうから、必ずしもデタラメな抽出になるわけではない。それどころか、「駅前にいる」という特別な集団からの抽出になるので、この場合の任意抽出はとても任意とは呼べない。

しかし数学で使われる「任意」という単語は「勝手な」という意味で使われる。勝手というとワガママな印象を受けるが、まさにどんなワガママを言われても平気な状態が任意なのである。先の駅前を歩いている人から(数学的に)任意抽出をするなら、相手の都合などおかまいなしに(抽出者のワガママで)抽出に応じさせることを意味する。

「任意の実数$x$に対して$x^2 \ge 0$である」という文章は、誰がどんなにワガママに$x$を選んでも正しい命題になる。このように数学では、まったくスキのない命題こそ真実として扱われる。もし「任意の実数$x$に対して$x^2 > 0$である」と言ったら、これは正しい命題にはならない。なぜなら、唯一$x = 0$のときに命題が崩れるからだ。つまり、それほど任意という言葉に対する要求は高いのである。だから、任意の状態において正しいことが証明されれば、それは数学の世界では真理となって君臨できるのである。

日常で使われる「適当」という言葉が多分にデタラメ的で「任意」という言葉が多分に制限的な印象を受けるのに対し、数学で使われる「適当」という言葉が限定的で「任意」という言葉がデタラメ的に使われるのはどういうことだろう?

\end{document}