% 空集合

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\begin{document}

\noindent\textbf{空集合}

集合は数学の基礎である。基礎ではあるが、目に触れる機会があまりないので、何となくつかみどころがない。それはそれで仕方ないとしても、集合の中でもピカイチの不思議な存在が空集合である。

要素をもたない集合は空集合と呼ばれる。そもそも、ものが集まっているのが集合なのに、ものがない集合って何だ? それは「ものがない状態の集まりである」などと言っても意味が通じないね。そこで記号の出番だ。空集合は$\emptyset$(斜線入りの$0$)または$\{\ \}$で表す。フォントに$\emptyset$がないときは、ギリシア文字の$\phi$で代用することが多い。

いま、空集合の定義みたいなことを書いてみたけれど、本当は空集合の定義が単独であるわけではなく、集合の定義の後に必然的に定義されたものだ。たとえば、集合$A$は
\begin{quote}
$\{\ x\ |\ xは所定の条件を満たす\ \}$
\end{quote}
というものの集まり、のように理解される。所定の条件が奇数なら、$x$の集まりは$\{1, 3, 5, 7, \dots\}$のような感じになるはずだ。よって$A = \{1, 3, 5, 7, \dots\}$である。

さて、条件が厳しくなったらどうだろう。$A = \{\ 実数x\ |\ x^2 < 0\ \}$としてみよう。$x$の集まりは$\{\ \}$という具合に空っぽである。よって$A = \{\ \}$である。はじめに集合という入れ物を用意したのだが、そこに入るものがなかったわけだ。あんパンを作るためパン生地を用意したものの、中に入れる餡がなかったために、パン生地だけ焼いたようなものだ。でも、パンであることに変わりない。もちろん、空集合も集合であることに変わりない。

要素をもたない集合というのは、定義だけを端折って述べることから生まれたのだろう。順を追って
\begin{quote}
集合の定義 $\to$ いろいろな集合の例 $\to$ 要素がない集合の例がある $\to$ 空集合の定義
\end{quote}
とすれば、要素がなくても集合という気持ちになるものだ。

こういったことでは納得しがたい面々には、国語的な表現のほうがよいかもしれない。まず、
\begin{quote}
``もの''の集まりを集合と呼ぶ、そして、集合に含まれるものを``要素''と呼ぶ
\end{quote}
というのが集合の定義であるが、この定義からは、集合には要素があるのが当たり前という錯覚を起こしがちだ。でも、文章をよく読んでもらいたい。すると、集めたものを要素と呼ぶのであって、決して要素を集めたわけではないと気づくだろう。そう、「ものの集まり」というのは「ものが集まっていること」ではなく、「ものを集めること」なのだ。だから、集めた結果ものがなかったとしても---すなわち要素がなくても集合なのである。

また、記号$\emptyset$には$\{\ \}$がないので、集合ということを忘れがちだ。$\{1, 2, 3\} \cup \emptyset = \{1, 2, 3\}$であるからといって、$\{1, 2, 3\} \cup 4 = \{1, 2, 3, 4\}$ではないのだよ。$\{1, 2, 3\} \cup \{4\} = \{1, 2, 3, 4\}$である。集合と要素の和はとれない。集合と集合の和がとれるのだ。つまり、$\{1, 2, 3\} \cup \emptyset = \{1, 2, 3\} \cup \{\ \}$なんだよね。

さらに、$\{\emptyset\}$なんてものを考えることもある。これは$\{\ \{\ \}\ \}$を意味するけれど、決して$\{\ \}$と同じじゃない。前者は「空の集合の集まり」で後者は「空の集合だけ」である。つまり、前者は$\{\ \{\ \}, \{\ \}, \dots\ \}$の可能性があるのだ。集合の記述の約束で、重複は書かないことになっているからね。なかなか奥が深い。空集合だからといって、空しくなってる暇はない。

\end{document}