% 公理
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\def\baselinestretch{1.33}
\begin{document}
\noindent\textbf{公理}
公理とは「一般に広く知られる真理・道理」のことである。数学的には「証明する必要がないほど自明なことがら」である。`自明なことがら'なので誰かが意思を持って決めたものではない。よって\textgt{定義}とは違う。しかし証明の必要がないので\textgt{定理}というわけでもない。つまり中途半端な立ち位置にあるのが公理なのだ。
たとえば誰かが『$2$本の直線が交わらないとき、$2$直線は平行という』と言えば
\begin{center}
交わらない$2$直線を平行と呼ぶ(※)
\end{center}
と決めたことになる。それは定義にあたる。しかし
\begin{center}
平行な$2$直線は交わらない(☆)
\end{center}
と言えば、それは定義ではない。たったいま※によって決めたじゃないかと思うだろうが「平行な$2$直線は交わる」という言い方もできる。でもその言い方は明らかにおかしい。※の定義に矛盾した言い方だからだ。よって「平行な$2$直線は\dots」の続きは「\dots 交わらない」である。
この話の流れから、☆は何かを定めた表現ではなく、ことがらを述べた表現であることがわかる。つまり定義ではないが、定義を逆に述べたことがらなので明らかな道理と考えてよいだろう。つまり自明なことがらなので、☆は`公理'とするのが相応(ふさわ)しい。
ところが歴史的には、☆はそれほど自明ではなかったという。☆を
\begin{center}
ある直線に対して、その直線上にない点を通る直線は$1$本だけである(★)
\end{center}
と言い換えたとする。要するに平行線の描き方を述べたようなものだ。すると、それが平行線の描き方であるという証明が必要だろう。しかし、その証明は不可能だった。理由は、★と異なる条件---たとえばそのような直線が複数引けるとか、そのような直線は引けないなど---であっても幾何学的に矛盾がないようにできるからである。そのような幾何学を\textgt{非ユークリッド\footnote{ユークリッド(紀元前3世紀?):古代エジプトの数学者・天文学者。アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語読み)とも。}幾何}という。
結局のところ☆は、※の定義から自明であるというより、☆および★を公理として認めることで通常の幾何学が成立するとすべきものだったようだ。となれば、公理は中途半端な立ち位置どころか、公理を起点に理論を発展させる`扇の要'のような役割と言えるだろう。そう考えるなら、公理は議論を発展させるための仮定を置いたと見ることもできる。となれば、仮定によっては議論の方向が定まらないこともあるのだから、公理には危なっかしい面もある。やっぱり定義でもなく定理でもない公理は`どっちつかず'のシロモノということである。
\end{document}