% 基数・序数
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\begin{document}
\noindent\textbf{基数・序数}
『$20$日』は『にじゅうにち』とか『はつか』とか読まれる。また『$20$歳』は『にじゅっさい』とか『はたち』とか読まれる。同じ文字に複数の読み方があるのが日本語の特徴だ。結論から言うと、意図した意味が伝わればどんな読み方(言い方)をしても構わない、と私は思う。そうでないと、方言などは存在できなくなってしまうかもしれない。
で、結論を言っておきながらなんだが、ちょっとだけ言いたいことがある。基数と序数って知ってる? 辞書を引けば分かることだけど、キモは
\begin{quote}
\textgt{基数}:数そのものを示すための数(直接表せる)\par
\textgt{序数}:順序を示すための数($1$から数えて表す)
\end{quote}
というところだろうか。たとえば『○○○○○○○』は、○が$7$あることを直接的に表している。この$7$は基数だ。一方、子どもの年齢が$7$であるとは、$1$から順に数えて現在$7$であることを表している。この$7$は序数だ。
待て待て、○だって$1$, $2$, $3$, $\dots$と数えなきゃならないので序数だろう、と言いたいだろうが、○のようなものは『$○○○\atop ○○○$ ${}\atop ○$』のように並べることができ、これなら『($\stackrel{ニサンガ}{2\times3=}$)6, 7』と読めば$1$から数えなくてよい。
さて、先ほど複数の読み方を日本語の特徴と言ったが、基数と序数は日本語の特徴として複数の数え方があるのではない。数の性質上$2$通りの数え方をしてきたのだ。それは
\begin{quote}
\textgt{基数}:$\stackrel{イチ}{1}$, $\stackrel{ニ}{2}$, $\stackrel{サン}{3}$, $\stackrel{シ}{4}$, $\stackrel{ゴ}{5}$, $\stackrel{ロク}{6}$, $\stackrel{シチ}{7}$, $\stackrel{ハチ}{8}$, $\stackrel{ク}{9}$, $\stackrel{ジュウ}{10}$, $\dots$\par
\textgt{序数}:$\stackrel{ヒトツ}{一}$, $\stackrel{フタツ}{二}$, $\stackrel{ミツ}{三}$, $\stackrel{ヨツ}{四}$, $\stackrel{イツツ}{五}$, $\stackrel{ムツ}{六}$, $\stackrel{ナナツ}{七}$, $\stackrel{ヤツ}{八}$, $\stackrel{ココノツ}{九}$, $\stackrel{トウ}{十}$, $\dots$
\end{quote}
である。だから、先の○の例は$7$個と言い、七つとは言わない(言ってもいいけど)。また、子どもの年齢は七つと言い、$7$歳とは言わない(言ってもいいけど)。
現在では、数の数え方は完全に``まぜこぜ''になってしまった。そりゃそうだよね。実際、○は数えるから数が分かるんだし、年齢は本人や家族ならともかく、初対面の人に年齢を伝えるときは数えるわけじゃない。基数だろうが序数だろうが関係ないわけだ。するといつの日か『$3$月$\stackrel{ツイタチ}{1日}$、$\stackrel{フツカ}{2日}$、$\stackrel{ミッカ}{3日}$』が『$3$月$\stackrel{イチニチ}{1日}$、$\stackrel{ニニチ}{2日}$、$\stackrel{サンニチ}{3日}$』で当たり前になるのだろうか。
でも、なんで『一日』だけ『ツイタチ』なんだろう? 昔は夜空の月を見て『今日は$\stackrel{フタツ}{二}$日月』『今日は$\stackrel{ミツ}{三}$日月』が変じて『フツカ』『ミッカ』となったのなら、まあよい。だけど『$\stackrel{ヒトツ}{一}$日月』や『$\stackrel{サク}{朔}$月(新月)』が変じて『ツイタチ』にはならんだろう。まさか、新月であることに気づかないため『つい(日が)経っち(過ぎち)まった』からじゃあるまい。
\end{document}