% 確率

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\def\baselinestretch{1.33}

\begin{document}

\noindent\textbf{確率}

確率の定義は基本的には
\begin{center}
事象Aが起こる確率 $P(\textrm{A}) = \displaystyle\frac{事象\textrm{A}の総数a}{全事象の総数N}$
\end{center}
といったものだろう。中学・高校の教科書ではたいていそう書いてあり、要は事象Aが全事象に占める割合を指す。

割合というと『このイベントに参加している人の$70$\%は未成年だ』とか『この店の商品の$1/6$は輸入品である』みたいに言うので、『明日が晴れる確率は$70\%$である』とか『サイコロを振って$1$の目が出る確率は$1/6$』であるみたいな話とごっちゃになる人もいるようである。

極端な例では、『地球の内部に地底人がいる確率は$1/2$である。なぜなら、いる/いないの二つに一つだから』というものまである。そんなことないだろ! これは、いる/いないの選択肢$2$個のうち、いる選択肢といない選択肢が占める割合がそれぞれ$1/2$なのであって、選択肢と地底人の存在を取り違えている。

確率で大事なのは\textgt{同様に確からしい}という考えで、全事象のどれをとっても同様に起こりうることを前提としている。サイコロはどの面でも出る可能性は同じと思えるが、地上に人がいるからといって地球内部にも人がいるとは思えないはずだ。

``割合''と``確率''の混同で典型的なものは、モンティ・ホール問題だろうか。これは
\begin{quote}
三つの扉A、B、Cの一つにだけ当たりがある。参加者がどれか一つの扉(たとえばA)を選ぶと、(当たり/ハズレの扉を知らされている)司会者がハズレの扉(たとえばC)を開けて『いまBの扉に乗り換えることもできます。どうしますか?』と尋ねる。参加者はそのままAを開けるか、Bに乗り換えるか、はたしてどちらが有利なのだろうか?$\dots(*)$
\end{quote}
というものである。確率的に論じると「Bに乗り換える方が、Aのままより$2$倍当たる確率が高い」のだが、一見するとそうは思えない。だって、いま目の前には開いてない扉はA、Bの二つで、当たりはどちらか一つにあるのだから、扉を乗り換えようが乗り換えまいが同じじゃないかと思える。

これこそ、確率を割合で見ている例だ。本来確率は、一回の試行に対して結論づけるものではなく、同様に確からしい条件の下で何回も繰り返す場合の理論値である。サイコロを振って$1$の目が出る確率が$1/6$であるという意味は、一回振って$1$の目が$1/6$だけ見えるわけではなく、何千・何万回サイコロを振れば、その$1/6$ほどは$1$の目が出ている、ということである。

したがってモンティ・ホール問題も確率的に論じるなら、$(*)$の試行を何度となく繰り返したとき、乗り換えたときに当たる場合が乗り換えないときに当たる場合より$2$倍多くなる、と言っているのである。これを目の前の状況だけで、割合が$1/2$に見えるから確率も$1/2$と考えるのは、地底人の話となんら変わらない。でも、一回限りの試行に確率論は馴染まないものだ。とくにモンティ・ホール問題は、すでに当たりの扉は決まっていて、最初に一つの扉を選択した上でハズレ扉が開けれらた状態なのだから、選択した扉は(結果が見えないだけで)確率$1$で当たり/ハズレが確定している。現状が邪魔をして確率的に考えられない人が続出するもの無理はない。

確率の話をするなら、まず中学・高校程度の確率の知識を身につけてからの方がよい。そうでないと、お金に関わることに確率の話を持ち出されたとき、本当は損であることが得するように見えてしまうかもしれないから。

\end{document}