% 一周360度

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\noindent\textbf{一周360度}

$1$点の周りを円周にそってひとまわりすると、角度という単位を用いて$360$\textdegree 回ったことになる。私たちの現在の日常感覚では$360$は少々半端な気がする。

一周を$360$等分するというこの習慣は、地球の公転日数と大きなかかわりがあると想像する。地球は太陽の周りを$365$日``ちょっと''で一周する。このことを円周と重ね合わせることで、円周を$360$等分する考えができたのだろう。なぜ$365$等分でなく$360$等分かといえば、$365$等分したところでその$1$単位---すなわち$1$\textdegree---は完璧に地球の一日と同等ではない。どうせ完璧に等しく分けられないのなら、($10$進法としてきりのよい)$360$を用いたくなるのはすごく自然な考えだ。

すると完璧に地球の一日と同等に分割できないにしても、$370$等分するほうが$360$等分するより実体に近いのではないかと思うかもしれない。たしかに数値だけを見ればそのとおりである。しかし円はちょっとした性質をもっている。円はコンパスを使うだけでその円周を$6$等分することができるのだ。

コンパスを一定の幅に広げて円を描いたとしよう。次にコンパスの幅は``そのままで''、針をいま描いた円周上の任意の位置にさし、コンパスのもう一方の先で円周を区切る。さらにいま区切った位置に針をさし、その先の円周を区切る。これを$6$回繰り返すと円周は$6$等分されることになる。この操作は幾何学的に円の内部に$6$個の正三角形を作ったことでもある。

つまりこの$6$等分することまで考慮すれば、$6$等分できる$360$を円周を分ける基本の数にすることもうなずける。$366$等分としても$6$で割れることにかわりないが、やはり$10$進法を基盤とすれば$360$の方がよさそうだ。

一周を$360$\textdegree に決めれば、円の内部にできる正三角形の一つの角は$60$\textdegree となる。生活に密着した$360$を円周の基準にしたことで、均整のとれた正三角形の内角が$60$となるわけだ。であればこの$60$も数を数える基準になってもおかしくないだろう。$60$進法が$10$進法とならんで使われる背景にはこのような経緯があったものと思える。

その結果、日常の数には$10$進法が、円に関する数には$60$進法が使われたと考えるのは想像のしすぎだろうか。しかし、時計や幾何学で$60$進法が生きていることを思えば、あたらずとも遠からじと考えている。

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