% 否定
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\markright{tmt's math page}
\def\baselinestretch{1.33}
\begin{document}
\noindent\textbf{否定}
数学では何がしかを否定することは多い。日常的には「〜である」の否定は「〜でない」となる。数学と言えども日常語は使うので、このような否定文の使い方は問題ない。しかし、解釈を誤ると非常にまずいことになる。
$4$人の人がいるとしよう。この$4$人について
\begin{quote}
全員が本を読んでいる \quad(△)
\end{quote}
という状況を想像してもらいたい。で、これを上のように日常的に否定すると
\begin{quote}
全員が本を読んでいない \quad(▲)
\end{quote}
である。文章自体まずいことはないのだが、はたして正しく解釈できるだろうか。
「全員が本を読んでいない」という表現は、日常的には「誰一人として本を読んでいない」と解釈されることが多いと思われる。しかし、これは数学で言う``否定''ではないのである。数学で言う否定の場合は
\begin{quote}
少なくとも一人が本を読んでいない \quad(○)
\end{quote}
である。数学において、「すべて〜である」の否定は「少なくとも一つが〜でない」になる、ということは常識だ。もし(△)が
\begin{quote}
すべての人が本を読んでいる
\end{quote}
と書かれていたならば、この否定は数学の常識にしたがって(○)としただろう。つまり、文章が少しあやふやだったために、正しく否定できなかったのである。なのに、(▲)の文章自体まずいことはない、と言ったのはどうして?
それは、日本語の``全員''という表現のあいまいさと、文末だけの否定が``否定''になることが原因かもしれない。たとえば(△)が
\begin{quote}
一人ひとりが本を読んでいる
\end{quote}
であったなら、文末だけを否定した
\begin{quote}
一人ひとりが本を読んでいない
\end{quote}
からは、各自が本を読んでいない状況が浮かぶに違いない。ただし、これは各自が、そして全員が反対のことをしているのであるから、``否定''ではなく``反対''なのだ。
否定を考えるなら、(▲)は
\begin{quote}
$4$人全員が本を読んでいない
\end{quote}
と言うべきかもしれない。すると「$4$人全員がしていない」ことならば「$3$人がしている」場合は否定であると認められるだろう。つまり正しく否定できているわけだ。allとeveryoneがどちらも``みんな''になっていることが解釈を難しくしている。簡便な言い方が必ずしもよいわけではない。
\end{document}