% 万物は数である

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\noindent\textbf{万物は数である}

ピタゴラス($582$B.C.--$496$B.C.:古代ギリシアの数学者、哲学者)が言った言葉に「万物は数である」がある。真意は横に置くが、世の中のあらゆることは数で表せる、というようなことらしい。もっとも、この場合の数とは自然数$1$, $2$, $3$, $4$, $5$, $6$, $\dots$を指していたようである。

数は$1$から始まっているので、$1$は``神''。$2$が``女性''で$3$が``男性''、それを合わせた$5$は``結婚''、$\dots$。と、まあこんな具合である。さらに、$6$の(自身を含めない)約数$1$, $2$, $3$の和が自身の$6$に等しくなるので、この数は``完全''だ!と考えた。実際、この性質を持つ数は滅多になく、適度な大きさの数は他に$28$が目立つぐらいだ。$28$って月の満ち欠けの周期じゃね? 完全だ!と常軌を逸していたものだ。

自然数だけでは中途半端な数を表せないと思うだろうが、そこはちゃんと``比''、すなわち分数を使えば何とでもなった。本当は何ともなってないのだが、日常の活動範囲では自然数の比で十分事足りたのである。

ところが、正方形の対角線の長さが自然数の比でないことに気づいたものだから、自ら唱えていたことに矛盾が生じて、ピタゴラス学派は行き場を失ったような話が歴史に残されている。

でも、一辺$a$の正方形の対角線の長さは$\sqrt{2}a$なのだから、現代では数で表せているとの認識がある。もっとも、この場合の数とは\textbf{実数}を指している。だから、万物は数であることはあながち間違いではないと思えるのだが、やっぱり人は神じゃない。完全なものを作ることはできていないのだ。

それは、万物を数で表すために使う``記号''が不完全なのである。たとえば、正方形の対角線の長さを表すのに``根号''を用いるのは、記号``.''(小数点)が不完全だからである。なぜなら、$\displaystyle \frac{1}{2} = 0.5$と完壁に表現できても、$\displaystyle \frac{1}{3}$は小数点で完壁に表現できない。そのため$0.333\dots$のように、うやむやな表記で正しい思考を``$\dots$''の中に押し込めている。だから、$\displaystyle \frac{1}{3}\times3 = 1$なのに$(0.333\dots)\times3 = 0.999\dots$で$1$にならない、などと言う者が後を絶たない。記号``$\dots$''を正しく理解できていないためだ。

結局、万物は数であることは本当に正しいかもしれないが、人が考える記号が万物は数であることを示せないのである。小数点記号は単体では完全な記号ではない。自らの不完全さを補うために$\dots$記号を必要とするからだ。

同様に根号も不完全である。$\sqrt{x}$と書けるのは$x$が正の数である場合に限られる。このことは記号$\sqrt{~~}$にうやむやのまま閉じ込められているのだ。だから、$\sqrt{2}\times\sqrt{3} = \sqrt{2\times3}$を真似て、$\sqrt{-2}\times\sqrt{-3} = \sqrt{(-2)\times(-3)}$などとする者が後を絶たない。根号も単体では完全な記号ではない。不完全さを補うために単位$i$を必要とするからだ。

で、話し始めは何だったかというと、万物は(自然)数であるだったね。おそらく、それは真実だろう。あらゆる数は自然数と比で示せるのかもしれない。たとえば$\sqrt{2}$は比で表せないから根号が必要になったのだが、「正しい思考を押し込んだ$\dots$記号」があれば\textbf{連分数}で表せる。もちろん、連分数を比と捉えるのが前提だが。

しかし、連分数で表せない無理数ならいくらでも例を挙げられると言うかもしれない。たしかにその通りなのだが、それは単に人が表し方を知らないだけではないだろうか。だとしたら、万物は(自然)数であるはずだ。(←ピタゴラス学派に洗脳されてるじゃん)

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