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\begin{document}
\noindent\textbf{1+1}
広々とした場所にあなたがいるとしよう。つまり、「あなた」がそこにいることになる。そこにあなたではない「別の誰か」がやってくる。すると、そこには「あなたと別の誰か」がいることになる。
もう一つの例だ。りんごがたくさんなっている木に登って右手を伸ばす。手近なりんごをもぎ取ってポケットに入れたとしよう。ポケットには「りんご」がある。それで満足しないあなたはもう一度同じ行為を繰り返し、さっきのポケットに「りんご」を追加して木から降りた。ポケットには、「はじめにもぎ取ったりんごとあとからもぎ取ったりんご」がある。
私たちは単独に存在しているものに1という数を当てはめている。あなたは単独で存在しているから$1$だ。あなたでない別の誰かも単独で存在しているから、それも$1$だ。りんごは木にくっついているけれど、もぎ取ってしまえば単独の存在で$1$である。
さて、単独のものがごく近くに集まるとそれらをまとめて目にすることができる。いまの例では「あなたと別の誰か」や「はじめにもぎ取ったりんごとあとからもぎ取ったりんご」がまとめて目にしているものだ。私たちはこのようなものに$2$という数を当てはめている。
どちらの例も、はじめは「単独の$1$」と「単独の$1$」であったものが、集まって$2$になったことを示している。私たちは単独で存在しているものを集める行為に「$+$」という記号を使う。そして集める行為をした結果、まとめたものを目にすることができる。私たちはこの行為と結果に対して「$=$」という記号を使う。
大変まわりくどい言い方をしたけれど、ここまでのことは「$1+1 = 2$」を表している。
ときどき「どうして$1$足す$1$は$2$になるんだ。$3$になったって1になったっていいじゃないか」という質問をして人を困らせる``大人''がいる。その人は「$1$足す$1$は$2$」と「$1+1 = 2$」を混同している。
世の中には粘土のかたまりのように、$1$と$1$を足しても$1$になってしまうものはたくさんある。これが「$1$足す$1$は$1$」ということだ。それに対して「$1+1 = 2$」は、さっきの例のように人やりんごのようなものについての計算だ。いや、それどころか「人$1$」と「りんご$1$」を足したときにさえ「$1+1 = 2$」を使う。一体何が$2$になったのかって? そう言われると困るが、単独の物体が$2$になったとしか言えない。
要するに私たちは「$1+1 = 2$」となるものにしか$1$, $2$, $+$, $=$をあてはめていないのだ。そしてこの了解のもとに数学が発展してきたのだ。あなたが哲学的な議論をとことんやりたいなら話は別だが、そうでなければ「どうして$1$足す$1$は$2$になるんだ」と叫んでいる人を相手にしないほうがよい。
\end{document}