% 12進法

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\noindent\textbf{12進法}

時間や角度に関わる数値に$60$進法が使われるようになったのは、地球の一年がおよそ$360$日であるために、それを$6$分割して考えたのであろうと言われている。なぜ、$4$分割や$10$分割ではなく$6$分割なのかは不思議だが、円周のいちばん自然な分割は$6$である---円周を半径の長さで区切るとちょうど$6$等分できる---ことを思えば何となく納得できるかもしれない。

また、$12$進法も健在である。単位``ダース''はおなじみだろう。$1$年は$12$ヶ月だし、日本には``十干十二支''というサイクルもある。とくに暦に$12$進法が見られるように、かなり昔から使われていたことが想像できる。でも、何で$10$でなく$12$なんだろう。

私たちは現代において、主に$10$を一つのまとまりとする数え方をしている。ものを数える行為は、おそらく自分の手足を用いていた頃にさかのぼるだろうから、一年がおよそ$360$日であることが分かる以前のことだろう。手足を用いてものを数えれば、たぶん$10$が一つのまとまりになりそうだ。ということは、$60$進法の前に$10$進法があったと考えるのが自然だろう。その上で大きな数を扱うことになれば、$10$のまとまりをいくつか集めるだろう。おそらく、$10$を$10$集めて$100$ができるに違いない。さらに、$100$を$10$集めて$1000$、次は$10000$、$\dots$となるのだろうが、大昔の生活では$100$程度のまとまりで十分だったのではなかろうか。

集めることの逆が分けることである。もし、$100$という単位が基本であったなら、それを分けて$50$, $50$ができる。$50$はさらに、$25$, $25$に分けられる。$25$は半分にできないけれど、端数を捨てれば$25$は$12$, $12$に分けることができるはずだ。これ以上端数を捨てることをよしとしなければ、$12$は$100$を分ける最小単位になるだろう。すると、集めるときは$10$を一つのまとまりとして集め、分けるときは$12$を最小の分け前として分ける、という使い分けが成り立つ。

とは言うものの、$12$が基本単位の一つになれば、今度はそれを集めてもよいことになる。片手分集めれば$60$、両手分集めれば$120$だ。こんな風に見れば、
\begin{quote}
$10$ $\to$ $20$ $\to$ $30$ $\to$ $40$ $\to$ $50$ $\to$ $60$
\end{quote}
と同時に
\begin{quote}
$12$ $\to$ $24$ $\to$ $36$ $\to$ $48$ $\to$ $60$
\end{quote}
という数え方が、平行して存在してもおかしくないはずである。$60$が最初の共通数であることが見えるので、$60$は$10$進数と$12$進数のどちらの数え方にも共通の単位と認識できるに違いない。

そうなると、まとまりの単位に$10$と$12$と$60$が混在することは、大いにあり得ることかもしれない。すると、そこから$10$等分、$12$等分、$60$等分なる考えが生じることもあろう。そんなこんなのいきさつを経て、結局、現在のように$10$進法が主流をなすものの、$12$進法も生き残ったと考えるのは、こじつけが過ぎるだろうか。

\end{document}