% 子どもの時間と大人の時間 II
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\section*{■子どもの時間と大人の時間 II■}
ああ、サイト開設当時($1996$年)のヨタ話だ。
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{\bfseries $\dots$生産年齢とは労働力を提供できる年齢で$15$〜$64$歳をさすことばだ。$1995$年$10$月の推計人口によると、$15$歳未満の年少人口が総人口に占める割合は$15.9$\%である。「年少」と対極をなすことばが「老年」であるとするなら、$15$歳未満の年少同様に総人口の$15.9$\%を占めている人たちが老年であると考えていいだろう。最高齢者から$15.9$\%下のところで線を引くと、その線は$64$歳ぐらいのところに引かれる。$\dots$}
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時代の移り変わりのため、一部言い換えなければならなくなったので当時のヨタ話を少し変えてみた。
人は$20$歳(はたち)ぐらいの年齢では「青少年」と呼ばれる。もう少しなじみのことばを使えば「おねえさん」とか「おにいさん」と呼ばれるだろう。
ところが$5$歳ぐらいの子どもはたいていこう呼んでくれない(ことがままある)。この子たちの呼び方は「おばさん」「おじさん」だ。しかもこう呼ばれる(いや叫ばれると言うほうが正しい)ときに限って、人通りの多い路上にいるものだ。
この呼ばれ方は$20$歳の者にとって不愉快なものである。人生のなかばを過ぎれば「おばさん」「おじさん」でもかまわないけど、人生これからという年代にそれはないでしょうと言いたくなる。$20$歳の者が40歳の者に言うのとはわけが違うのだから。
でも、これは$5$歳の子どもが正しい。彼らは生まれて5年が過ぎたところである。彼らの「全」人生は今のところ$5$年である。一方、$20$歳の者の全人生は$20$年だ。$20$歳の者が、自分の全人生の$2$倍を生きてきた$40$歳の者を「おばさん」「おじさん」扱いするのが妥当なら、$5$歳の子どもの$4$倍を生きてきた$20$歳の者は、立派な「おばさん」「おじさん」である。
年齢は相対的に身の上にふりかかるものだ。
時々「小さいころは一年が長かったのに、いまは一年がはやく感じてしまう」と言っている人に出会う。しかしこれも当然だ。たとえば$10$歳の子どもにとっての一年間は人生の$10$\%を占めるのに対し、$40$歳の大人にとっての一年間は人生の$2.5$\%を占めるのに過ぎない。同じ一年でも全人生に占める割合は違っている。年齢は絶対的なものさしでははかれないものだ。
じゃあ、歳をとるほど時間の進み方がはやく感じられるか、と言うと必ずしもそうではないように思う。(いままでの)全人生に占める一年を計算すれば、その割合は歳が増えるにつれて減っていく。つまり、一年をはやく感じる。そこで、ちょっとしたマジックを提案したい。それは、たとえば還暦を過ぎたら視点を$180$\textdegree 転換して、残りの人生に占める一年を念頭におくのだ。もっとも余生がどれくらいか分からないので、残りの人生に占める一年の割合は漠然としているだろう。でも、その割合は歳が増えるにつれて増えていく。具体的には、寿命$90$年の人が$80$歳のときは、一年は残りの人生の$10$\%にあたる。$10$歳の子どもと同じだ。つまり、一年がゆっくりしたものに感じられる可能性が高い。
もう一つの話題を提供しよう。
現在では会社員の定年を$60$歳としているところが多いと思う。すると$60$歳を過ぎたら何となく「おじいさん」「おばあさん」になるような気がする。これもそんなことはないと言いたい。
「定年」ということばがでてきたので、「生産年齢」ということばを使おう。生産年齢とは労働力を提供できる年齢で$15$〜$64$歳をさすことばだ。$2015$年$10$月の推計人口によると、$15$歳未満の年少人口が総人口に占める割合は$12.5$\%である。「年少」と対極をなすことばが「老年」であるとするなら、$15$歳未満の年少同様に総人口の$12.5$\%を占めている人たちが老年であると考えてよいだろう。最高齢者から$12.5$\%下のところで線を引くと、その線は$75$歳ぐらいのところに引かれる。
$1995$年当時、$2015$年には$65$歳以上の老年人口が総人口の$25$\%を占めるという予測があったが、実際は$26.3$\%になっており、人口の$1/4$が老年という常軌を逸した状態にある。もし人間の寿命が$200$歳にでもなれば、$65$歳以上の「老年」は人口の$70$\%を占めるといった事態が起きるかもしれない。
老年の概念を変えてみよう。
(老年でない)大人は子どもを育てる義務があるし、老年を支える責任がある。人口の$10$\%を占める子どもを育て、人口の$30$\%を占める老年を支えるのではバランスが悪い。育てる子どもが$10$\%なら、支える老年も$10$\%で考えるべきだ。
$2015$年時点で、生産年齢未満の年少人口が総人口に占める割合は$12.5$\%である。かりにこの年少の人々の$95$\%が老年と呼ばれる年齢を迎えることができるとすれば、単純に$11.9$\%($= 12.5\times0.95$)は老年となる($95$\%という数字には特に根拠があるわけではない)。すると最高齢者から$11.9$\%下のところは76歳ぐらいだろうか。これは現在の「$65$歳以上の老年人口」より$10$歳も上だ。
老年人口を年少人口と同じ割合に決めたらどうだろうか。$0$〜$14$歳を年少人口と決めたら、それと同じ割合の高齢人口を老年人口と決めるのだ。未来のある年の人口統計において$0$〜$14$歳の年少人口が仮りに$10$\%なら、最高齢者から$10$\%の者が老年人口だ。その境界が$80$歳とでもなれば、その時期は$80$歳からが老年だ。したがって$15$〜$79$歳が生産年齢ということになる。
\end{document}