% 宗教ほう人の数学界

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\def\G{\item[\textbf{隠:}]}
\def\H{\item[\textbf{八:}]}

\begin{document}

\section*{●宗教ほう人の数学界●}

\begin{enumerate}

\G いやあ、楽しいなあ。

\H お、ご隠居。ご機嫌ですね。

\G 八つあん(はっつぁん)かい。今日はなんだね。

\H いやあ、なんの用もありやせん。ご隠居は読書ですか?

\G ああ、楽しませてもらってますよ。

\H なんの本です? え? 数学の本?

\G そうですよ。

\H なにが楽しくて数学の本なんか読んでるんです? 本なら他にもたくさんあるでしょう。たとえば江戸本とか。

\G なんだい、その江戸本ってのは?

\H おっと、少しことばが濁っちゃった。戸に火をつけると燃え上がる本です。

\G ばかなことを言ってないで、おまえさんもたまには頭を使う本でも読んでみたらどうかね。

\H 頭ですか? あんまり使いたくねえですよ、減っちゃいそうで。腰ならいくらでも\dots。

\G こらこら、どこで誰が聞き耳を立てているか知れたもんじゃありません。あまり下品なことは言いなさんな。

\H へへっ。失礼しました。でも、数学の本のどこがそんなに楽しいんですか? あっしなんざ、数字を見ただけで頭が痛くなっちまうってのに。

\G まあ、勉強不足ならそうでしょうよ。

\H じゃあ、ご隠居は勉強不足じゃないって言うんですか? 不足してなければ本なんて読まなくたっていいでしょう。

\G 屁理屈を言うね。

\H 屁理屈もなにも、あっしは数学の本なんて見たくもないってだけです。そういうものをご隠居が喜んで見ているのが不思議なだけですよ。あっしには、ご隠居がどうかしちまったとしか思えないんですっ!

\G まあ、そうかも知れませんねえ。信心深いからでしょうかね。

\H お祓(はら)いをしてもらった方がいいんじゃないですか?

\G お祓いの必要はありませんよ。でも、数学は宗教みたいなものですからね。信心深くなけりゃあ、長く付き合えないものです。

\H 宗教ですかい?

\G 宗教というより、理想郷とでも言う方が的を射ていますかね。数学の世界はなに一つ現実的ではないですから。

\H ちょっと、なに言ってるんですか。世の中の便利な道具や仕組みは、数学の理論があってこそですよね。あっしには分からないことですけど、数学が分かる人たちのおかげで世の中が発展したきたわけでしょ? だったら、数学が現実世界にものすごく影響を与えたってことじゃないですか。

\G それはそうです。でも、数学自体は非現実的なんですよ。

\H 言ってることがよく理解できねえんですが。

\G 要するに、数学は人間が頭の中で考えたことだから、すべて人間の頭の中の出来事なのですよ。

\H なに言ってんですか。難しい数学はどうだか知りませんが、たとえば$1+2 = 3$なんてのは、あっしだって普段から使うことですよ。それのどこが非現実的なんです?

\G では、あたしが左手に饅頭(まんじゅう)を$1$個、右手に饅頭を$2$個持ってたら$3$個の饅頭を持ってますね。

\H 当たり前のことじゃないですか。

\G じゃあ、八つあんが左手に饅頭(まんじゅう)を$1$個、右手に饅頭を$2$個持ってたら?

\H あっしが持とうが、ご隠居が持とうが、$3$個に決まってます。

\G でも、あたしの手にある饅頭はあたしのもので、八つあんの手にある饅頭は八つあんのものですよ。別のものでしょ。

\H そりゃ屁理屈っていうもんでさあ。

\G たしかに屁理屈かも知れませんが、二人とも完璧に$1+2 = 3$の饅頭を持ってるとは限らないでしょう。皮が薄かったり餡が多かったりして、もしかしたらあたしは$1.01+2.01 = 3.02$の饅頭、八つあんは$1.02+1.99 = 3.01$の饅頭かも知れないでしょう。

\H なんであっしの方が微妙に少ないんですか。

\G そんなことにこだわってどうするの? これはたとえ話なんですから。

\H そうですよね。でも饅頭の量が微妙に違うって、饅頭は怖いですね。

\G なに言ってんですか。とにかくあたしが言いたいのは、数学で言う$1+2 = 3$はあくまでも理想の数式であって、現実の$1(個)+2(個)=3(個)$というのは、理想に近いものとして扱っているということです。理想の数学が当てはまるものに数学を適用しているのですよ。たとえば左手にリンゴ$1$個、右手にペン$1$本だったら合わせて$1+1 = 2$としても、その$2$には意味はないでしょ?

\H それは$2$じゃなくて``アッポーペン''ですよ。

\G \dots。

\H てことは、当てはまるものが現実になければ、その数学は役立たずってことですね。たとえば\dots。ああ、思いつかねえ。

\G はっはっは。もちろん八つあんに思いつかないような数学はあるし、実際、現実世界に応用されてない数学もたくさんありますよ。

\H じゃあ、計算だけできれば十分じゃないですか。

\G そういうものでもないですね。現代では有効な利用法が見つかってないだけで、将来大いに役立つかも知れないですから。負の数とかフェルマーの小定理なんかは、当時は現実世界とはかけ離れたものとされてましたが、いまでは生活に大いに役立ってますからね。

\H 未来の話まで持ち出されてもなあ。数学が世の中で役立っているのは分かるけど、結局は必要な人だけがやればいいじゃないですか。たとえば飛行機の操縦なんかは、必要な人だけが免許を取得して一般の人が飛行機を利用するんだから、数学だって必要な人だけが勉強して一般の人は恩恵に預かればいいだけでしょ?

\G そうですよ。嫌なら勉強しなくてもいいと思いますよ。

\H じゃ、なんで学校で数学を勉強するんです? あっしは苦労したんですからね。

\G 学校で数学を勉強するのは、お上が決めたことだからですよ。でも、お上は勉強した全員が数学に精通することは強要してませんよ。精通したくなければしなくてもいいんです。

\H 精通は大事だなあ\dots。

\G また、違う意味を考えてるね?

\H あ、いや。たしかにあっしは数学には精通しなかったな。ま、それで不都合はないからいいんだけどさ。でも、ご隠居だって数学に精通して何かしようってわけじゃないんですよね?

\G そうですよ。単に数学に共鳴してるとでもいいましょうか、数学の世界に浸るのが心地良いんですね。

\H はあ、なんだか気持ち悪いなあ。

\G べつに八つあんと一緒に数学に浸ろうとは言ってませんから。あたしは数学に浸ることで心が落ち着くので、まあ宗教みたいなものでしょう。

\H やっぱり、宗教ですか?

\G そうですよ。数学って結局は、その理論や理屈を信じる人たちが数学の世界を頭の中に構築しているんです。だから、$(負の数)\times(負の数)$がどうのこうのとか、$0.999\dots$と無限に続く数がどうのこうのとか、その理屈に共鳴した人たちの世界なんですね。そしてすべては頭の中だけにあるのです。

\H けど、現実に$1+2 = 3$とか使ってるじゃないですか。

\G さっきも言ったように、使えるものだけ取り出しているのですよ。現実世界に(いまのところ)合わないものは、数学者たちの頭の中だけにとどまっているということです。あたしは数学者じゃありませんが、その一部をのぞき見させてもらっているのですよ。

\H のぞき、ですか。やっぱりご隠居も好きですね。

\G こらこら。いまのところ数学は一つの世界をつくっていますが、数学は自由なものです。なにしろ頭の中だけにあるものですからね。だから、$(負)\times(負)=(負)$ということを考えてもいいんですよ。

\H ええ!? それじゃあ、あっしが習った数学はなんだってんですか。

\G まあ、$(負)\times(負)=(負)$では辻褄(つじつま)が合わなくなっちゃうので、そういう宗派ができることはないでしょうけど、いまとは異なる理屈で辻褄が合うのなら、新しい``宗教ほう人''が設立されてもおかしくないのですよ。

\H 宗教法人?

\G いえ、宗教惚人です。惚(ほう)けるというと、``間の抜けた''とか``頭の働きが鈍い''とかの意味が主でしょうが、``夢中になって''とか``とことんやる''という意味もあるのでね。あたしは『夢中になって新しい理論を作る人の集まり』と『正しくない理論を展開する人の集まり』を掛けて、宗教惚人と言ったのですよ。

\H \dots。

\G でも、新しい理論はなかなか受け入れられないものですけどね。けれど、一度受け入れられたなら、そこから新しい数学がどんどん発展していくのですから、数学の世界はいつまでも未完成のままなのかも知れませんね。

\H そうなんですか? あっしにはよく分からない話です。

\G 八つあんは数学よりだんごですか。

\H ちげぇねえ。

\end{enumerate}

\end{document}