% 所詮、数学は道具だよ?
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\def\P{\item[\textbf{P:}]}
\def\M{\item[\textbf{M:}]}
\begin{document}
\section*{●所詮、数学は道具だよ?●}
\begin{enumerate}
\P こんにちは。お久しぶりです。
\M うん? 誰だったかな?
\P はあ、こんなことなら来るんじゃなかったな。忘れないでくださいよ。一昨年、先生のクラスにいた\ldots
\M あー、思い出した、思い出した。イチロウ君だ。しかも、一浪した\ldots。眼鏡をかけとるから別人に見えてしまったんだよ。
\P 一浪したってのは余計ですけど。
\M いや、すまん、すまん。しかし、今年から物理学科に通っているそうじゃないか。一浪した甲斐はあったな。
\P ええ、おかげさまで。
\M それにしても、今日は急にどうしたんだい。
\P 先週まで海外へ旅行に行っていたんです。これがそのときの写真ですけどね。
\M どれどれ。
\P それで何だか知らないけど、旅先で先生のことを思い出したんですよ。別に、先生に関係ありそうなことをしたわけじゃないのに、不思議とそんな気分になってたみたいです。だから久しぶりにお会いしようと思って、こうしてお土産と一緒に\ldots
\M おおっ! これは私だ!
\P え!?
\M ほら、ここ。君がポーズを取っている、ずっと先の路上にいるのが私だ。
\P はあ? この人ですか? これはどう見たって現地の風来坊って感じの人ですよ。
\M いや、私は海外に行くときは必ずこの格好で行くんだよ。
\P \ldots。
\M いやあ、同じ時期に、こんな外国のこんな場所に一緒にいたとはねえ。世の中って狭いもんだ。
\P それは、世の中や世間が狭いんじゃなくて、単に我々の生活範囲が狭いだけだと思うんですけど。
\M はっはっ、そうとも言えるな。まあ、旅行の話は後回しにして、どうだい、物理屋の世界は。
\P 僕は物理屋って響きは好きになれないなあ。それなら先生だって数学屋じゃないですか。まだ、大学で半年しか勉強してないので、僕の見立ては間違っているかも知れませんが、物理学って数学を内包してますよね。と言うより、物理学の前では数学はただの道具になってるような気がするんですけど。
\M ほお、ずいぶん生意気な口をきくじゃないか。
\P でも、実際そんなもんじゃないんですか? 結局、数学でいくら論理的なことを考えても、それをどこかで使わなくちゃ意味がないでしょう。その点では、物理学や経済学なんかで数学が有効に使われていることは事実なんだし。早い話、理屈はともかく、数学は使えなくちゃ無意味ですよね。
\M まったく数学の根本を否定するような意見だな。しかし、数学がなければ君のやっている物理は、何ひとつ解決できないじゃないか。物理学や経済学が成り立つのは、数学屋のお陰だということを肝に銘じてほしいものだよ。
\P それは確かにそうですけれど。でも、現実に技術者や開発者が使う数学は、理屈より使い方が優先されますよね。数学を使っている人は、ほとんどがそうじゃないかと思うんですよ。だから、学校でも細かい理屈はそこそこにしておいて、どんどん演習をするほうが効率がいいと思いませんか? 理屈っぽいことは数学者に任せておけばいいじゃないですか。
\M うーん。そういう考えだと君の言うとおりなんだろう。すると高校の数学でも、理屈なんかどうでもいいから、いろいろな問題が解けるように教育しろと言うわけだね。しかし、その考えはいかにも自己中心に偏っているな。
\P そうですか? 決して自己中心になっているとは思いませんけど。僕が言いたいのは、物理学では数学を道具として使っている、という事実だけですから。
\M それが自己中心に偏っていると言うのさ。たとえば物理学と数学の関係は、料理人と調理器具を作る人の関係にたとえることができるかな。または、運転手と車のメーカーにたとえてもいい。他に、いくらでも例はある。
\P 何ですか、それは。
\M つまりこういうことだ。調理人や運転手というのは、調理器具や車を道具として使っているね。君が言う、物理屋が数学を道具にしているように。
\P ほら、やっぱり数学も道具じゃないですか。
\M まあ、待て。確かに調理器具や車は道具には違いない。だけど、その道具は一度作ったらそれでおしまいってことにはなっていないだろう。必ず、より良いものにするために開発や改良が行われているじゃないか。その結果、調理人や運転手はより優れた道具を使うことができ、それによって仕事の効率や環境が向上するわけだ。
\P ふむふむ。
\M 数学の理屈っぽいことってのは、いわゆる開発・改良にあたるものだと思えばいい。新しい道具というのは、間違いなく優秀な数学者によって発明されているけど、それを多くの人に使える道具にするのが、数学者であり数学の教師であるというわけだ。良い料理を作るには良い調理器具が必要だ。しかし、その器具を使うには、器具の特性を理解しておいたほうが何かと有利だ。そのためにも学校では、演習だけに偏らない学習が要求されるのさ。それが演習以外の「理屈」の部分であり、理屈を知ってこそ公式が生きてくるわけだ。道具は使えればいいってもんじゃない。道具の特性を理解することによって、はじめて道具を使いこなせるようになるのさ。
\P でも、僕は大学で数学の理論的なことは大して勉強してないですよ。物理で使う数学は、数学的に証明されているからという理由で、細かいことを気にせず使ってますけど。
\M それはそうさ。大学あたりでは専門化が進んでいるから、餅は餅屋に任せるように、道具作りと開発・改良は数学屋の専門ということになる。理想を言えば、確かに数学的な理屈を学んだ上で物理学に利用すればいいのだろうが、とても時間的余裕がないのだろう。だから公式は無条件に使う。でも、君たちが数学の公式や何かを気兼ねなく使えるのは、それが安全であることが数学的に保証されているからだ。数学を道具にするのは一向にかまわんが、その安全性を数学屋は保証しているのだよ。だから、物理屋はそれを効率的に使えばいいことなんだ。
\P つまり数学屋が開発者で、物理屋が利用者だというわけですね。だけどそんな風に言われると、物理屋は数学屋に使われている使用人みたいで不愉快ですよ。
\M 何もそこまで言ってるわけじゃない。数学と物理に上下関係なんてないよ。分野が違うだけなんだ。調理器具と料理人の例をもう一度出せば、調理器具を作るのが数学屋、料理を作るのが物理屋だ。料理はいずれ数学屋の口に入る。物理屋は数学屋の道具を利用して、別の一品を作っているんだ。もちろん経済屋も違う一品を作っている。しかしそれらの品々は、どちらかが欠けても成立しないんだ。
\P 要するに、開発者と利用者が信頼の上に協力する必要があるということですね。
\M そう。だから「一方が、一方が」と言ってるようでは、自己中心に偏ってると思われても仕方ない。こんな関係は、コンピュータの OS の開発側とそれを使う技術者側にもよくあるだろう。OS の開発者はまずモノを作るわけだが、使う技術者はそこに色々と注文をつける。そして意見を取り入れて、より良いものに仕上げていくわけだね。数学と物理学もそうやって発展してきているんだ。もうしばらく勉強していけばよくわかってくるだろう。
\P そういうことなら、数学は大切な道具ということで、大事に扱おうって気になりますね。
\M 是非そうしてほしいね。
\P やっぱり今日は来てよかったな。今度来るときは、いい道具を使った成果を持って来ますから期待してください。
\M ああ、期待しているよ。そのときは、私が行ってない場所のお土産も一緒に持って来てくれたまえ。
\end{enumerate}
\end{document}