% 数学と野菜は似たものどうし
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\def\W{\item[\textbf{W:}]}
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\begin{document}
\section*{●数学と野菜は似たものどうし●}
\begin{enumerate}
\W ねえ、あなた。相談があるんだけど。
\H ん? なに?
\W 磨数夫(ますお)の数学の成績がこのごろ思わしくないの。仕事の合間をぬって、数学をみてあげられない?
\H 思わしくないって、どのぐらい良くないの?
\W これまで平均点以下の点数なんてとったことないのに、この前の期末テストは平均点以下、それもかなり下のほうなのよ。
\H ふーん。具合でも悪かったのかな?
\W 私も気になったから聞いてみたの。そしたら具合が悪いわけじゃなくて、早い話、もう数学はたくさんだって言ってるの。
\H 要するに、やりたくないってわけだ。ちょっと、たるんできたかな。
\W でも、一概にそうとも言えない様子なのね。と言うのは、他の教科はいつもと変わらないし\ldots。だから、もうちょっと詳しく聞いてみたらね、どうやら英語に目覚めたみたい。数学より実用的だって言ってるの。だけど、それだけじゃあこの先心配だから、あなたに何とかしてもらいたいのよ。
\H なるほど。だったら、磨数夫が帰ってきたら話をしてみよう。
\W お願いするわ。
\H で、もしも磨数夫が、本当に数学はもういいって考えていたらどうする? それでも、がんばってやらせるのかい?
\W もちろんよ。高2になったばかりなのに、もう数学を見限ることもないでしょう。
\H さあ、それはどうかな?
\W え? まさか数学をやらなくていいなんて考えてないでしょうね。
\H さすがにそこまでは考えてないよ。ただ、数学のある部分を本人が無意味と考えているなら、その部分はやらなくていいと思ってるよ。
\W ?? 言ってることがよくわからないわ。
\H えーとね、つまり数学は野菜みたいなものだってことかな。
\W ますますわかんない。
\H 野菜ってさ、人間にとっては絶対必要な食べ物だよね。もしかしたら、野菜を一生食べなくても生きていけるかもしれないけど、体のことを考えたら食べなくちゃだめでしょ。
\W そうね。
\H ところで、野菜には人参やピーマンのように、子どもが嫌うのがあるでしょう。だけど、磨数夫は小さい頃から食べてたよね。
\W そりゃあ、そうでしょうよ。今でこそ磨数夫には好き嫌いがないけど、小さいときは大変だったのよ。いろいろな野菜を細かく刻んで、磨数夫の好きなものに混ぜたりとか、星や魚の形に切ったりしてね。それに野菜を使った料理だって工夫してたんだから。あなたは、食事の支度なんてしてくれなかったら、私の苦労なんてわかんないでしょ。
\H まあ、そう怒らないでよ。僕はそのことについては君に感謝してるんだからさ。磨数夫の好き嫌いがないのも、君がそうやって食べづらい野菜でも、楽しんで食べられるようにしてくれたからだってことは、よーくわかってるって。
\W じゃあ今度は、あなたの番ね。数学だって工夫次第で同じようにできるでしょ。あ、もしかしたら磨数夫が数学から離れるのは、数学の先生がいけないのかな。先生がもっと楽しく教えてくれればいいのに。
\H それはちょっと違うかもね。
\W どこが?
\H さっきの野菜の話に戻すけど、野菜ってそのまま食べるほうがいいに決まってるじゃない。そのほうが、野菜本来の味や食感を楽しめるんだぜ。小さい子どもだって、本当はそのまま食べた方がいいんだ。だけど、それが難しいから工夫が必要なんだよ。でも、その工夫がきっかけとなって、野菜が生で食べられるようになるのさ。楽しんで食べられるようにすることは、きっかけにすぎないよ。数学の本質を知ることは、野菜を生で食べることに似てる。生野菜に慣れてしまえば問題ないことだけど、人によっては生野菜の味や香りが苦手な場合もあるじゃない。だから調理が必要なんだ。
\W だったら、数学の先生が授業を楽しく調理すればいいのよ。学校の先生には、そのへんのことも考えてもらいたいものだわ。
\H その考えは半分は正しい。でも、半分は間違ってる。
\W え?
\H 正しいことは、授業が楽しくできるに越したことはないってこと。そのための工夫は必要だと思うよ。野菜を調理するようにね。けれど、数学はそんな工夫でどうこうしなくてもいいぐらい、本質的に楽しいものなんだ。生野菜ってうまいんだぜ。野菜の嫌いな人にとっては、信じられないことかもしれないけどね。本当の数学は生野菜なんだ。
\W それで?
\H うん、数学ってはじめは野菜みたいに調理して食べやすく工夫したほうがいいけど、ある時期からは数学自体を楽しめるようにすべきなんだ。だから、必ずしも学校の先生が、いつまでも楽しませることはないってことかな。これが間違ってる部分の見解。
\W でも、野菜は調理するのが普通なんだから、数学だって上手に調理してほしいな。そうすれば誰でも食べるでしょう?
\H そんなことはないと思うな。高校の数学は、いや、中学校の途中からでも、数学は無理して学ぶべきものじゃない。数学をやっていれば、素晴らしいことがたくさん身につくけど、嫌で嫌でしょうがないのならやる意味はないってば。
\W それなら、どうして高校で数学を習うの? 必要ないものなら、やらなくてもいいんじゃないの?
\H もちろんそうさ。学問ってのは、やりたい人がやればいいものなのにね。きっと、昔はそうだったんだろうなあ。でも、学問がまったく必要ないわけじゃない。高校・大学の勉強は教養の一部だからね。教養は必要だろう?
\W 高校や大学の勉強って教養なんだ。
\H いやあ、すべてが教養ではないよ。基本的には、高いレベルの学問に至る土台が、高校・大学の勉強なんだろうね。一見、畑違いの学問でも、どこかでつながっていることがあるから、土台である基礎はまんべんなく勉強しておくべきだね。同時に、そのことが教養になるわけだ。数学に限らず多くの勉強は、その人に難しいレベルになると、投げ出したくなるよね。問題は、それをがまんして乗り越えられるかどうかさ。どうも学校の勉強ってのは、それを乗り越えることを強要しているきらいがある。
\W うーん。いま考えればそういう部分も多かった気がするわ。
\H でしょ。本人はほどよく調理された野菜を食べたいのに、生野菜や調理しすぎの野菜を無理に食べさせられるようなものさ。また、受験の問題もあるだろう。受験数学のなかには、小ぎれいだけど、どことなく不自然なものもあるよね。こういうのって、農薬を使いすぎた野菜のようなものだよ。磨数夫は数学に関しては、それに耐えられなくなり始めてると思うな。でも、受験を考えない数学だとただの教養で終わってしまうけど、数学的教養を身につけることは、十分価値あることなんだよ。これこそ無農薬野菜ってやつさ。さっき言った「数学のある部分」というのは、受験に偏りすぎた数学とでも言ったらいいかな。磨数夫が受験に数学を必要としないなら、農薬の部分だけ省けばいいんだ。だけど僕は、数学はやっぱり大事だと思っているから、うまく調理された数学や、無農薬の数学はやってほしいんだ。
\W ふーん。それならがんばってほしいな。この先、数学を必要とする方面に進まなくても、十分な教養は必要ですからね。ぜひ、磨数夫には上手に話してくださいね。あなたはそういう話は得意でしょうから。
\H 得意? 何を根拠に?
\W 昔、私をうまく丸め込んだようにね。得意でしょ、そういうの。
\H それは違うでしょ。僕のほうこそ君に丸め込まれたんだ\ldots。まあ、そんなことはどうでもいいや。磨数夫を丸め込む自信なんてないからね。
\W どうして?
\H 磨数夫は君と違って、手強い。あのときのようにはいかないさ。
\end{enumerate}
\end{document}