% 数学って、わざと難しくしてない?

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\def\E{\item[\textbf{E:}]}
\def\D{\item[\textbf{D:}]}

\begin{document}

\section*{●数学って、わざと難しくしてない?●}

\begin{enumerate}

\E えーっと、複素数$\alpha$の偏角をarg~$\alpha$、複素数$\beta$の偏角をarg~$\beta$とする\ldots。

\D あれ? E先生、また訳のわからんプリントを作ってますね。

\E む。何をおっしゃいますか、D先生。私は、よーく訳のわかるプリントを作ってるんです。

\D これがですか? だいたい何ですか、この字は? アーグ? こんな訳のわからない記号だか文字を使う気が知れませんね。訳のわかるプリントって言うからには、もっとわかりやすい言葉を使ってほしいですね。

\E 何を言ってんですか。この先に偏角の計算が必要になるから、計算をしやすくするためにアーギュという記号を使うんですよ。

\D 偏角ってのは何のことです?

\E 簡単に言って、複素数と実数軸とがつくる角ですね。

\D 要するに角度ですか?

\E ええ、そうですよ。

\D だったら私が中学生のときに習った、$\angle$の記号を使えばいいじゃないですか。同じ角度のことを言ってるのに、違う記号を使う必要はないでしょう。どうしてわざわざ難しく書くんですかね。

\E argは$\angle$とは違うんですよ。

\D ほら、これだ。まったく数学やってる人にはかないませんね。私には、わざと難しくしているとしか思えないですよ。

\E それは誤解も甚(はなは)だしい。数学においては、わざと難しくすることはあり得ませんよ。複雑で難しい現象を、よりわかりやすく扱うのが数学の本質なんですから。

\D そうですかね? 私の経験では、小・中・高と進むにつれ、より複雑で難しいことをやっているようにしか思えませんでしたよ。よりわかりやすくが本質なら、どんどん簡単に感じなくてはいけないはずですよ。

\E それは違いますね。学年が上がるにつれて、対象とするもの自体が複雑なものになっていくんですよ。たとえば小学校では、日常的で身の回りにあるものしか扱いません。お金の計算や物の大きさのこととかね。これは、ほとんど目に見える現実的なものです。それが中学校では関数の概念と相まって、ある程度の予測的なこともします。こうなると目に見えない部分を考えることになります。高校では、さらにそれを押し進めますが、それでも現実に起こる現象を解明するには不足なんです。たとえば、気象現象などがそうです。気象現象は様々な要因が複雑にからみ合って、とても手に負えるものではないけれど、それを簡単なモデルに置き換えたりします。なぜ簡単なモデルにするかというと、われわれが扱いやすくするためです。そういうモデルは数学に縁がないと難しく見えますけど、相対的にみて現実の問題を簡単にしているわけです。

\D まあ、長々と説明しますねえ。では、百歩譲って先生の意見を認めるとしましょう。学年が上がって数学が難しくなるのは、対象自体が難しくなるのであって、数学はそれを簡単にしているんだという意見をね。だけど、さっきの記号はいただけません。

\E と言うのは?

\D つまり、簡単にするのであれば、できる限りわかりやすい言葉を使うべきですよ。何も「$1+1$」を「1足す1」と書けとは言いませんけど、さっきの角度の表し方は納得がいきませんね。あれはどう見ても、簡単であることを、わざと難しくしてるとしか思えませんからね。

\E 弱りましたね。

\D ほら、何も言い返せないでしょう。数学というのは、本当は難しくする必要がないことまで難しくしてるんですよ。そうすることで数学の価値を保とうとしてるんじゃないんですか?

\E そんな考えを持っているとはオドロキですね。数学の価値のことをいうならば、むしろ簡略化にあるんですから。

\D 冗談でしょ。

\E いいえ、冗談ではありません。いま先生がおっしゃった記号の問題だって、数学の効率を高めるためにしているわけですよ。この状態でargと$\angle$の違いを言っても仕方ないので、別の例をあげることにします。

\D 別の例ですか。

\E たとえば速記官は御存じですね。

\D 知ってますよ。裁判などで話された内容を、すべて記録に書き記す人ですね。もっとも、いまでは記録機器の発達で、速記は必要なくなったと聞きますけど。

\E そう、そのことはちょっと残念だけど、速記官の書く文字はわれわれには読めないものです。われわれにしてみれば、普通の文字で書いてくれたほうが、話の記録をたどることができて便利なんですけどね。でも、人の会話を文章に記録するとなると、われわれが使っている文字では会話の速度に追いつけません。そのためには速記用の文字が、どうしても必要になるわけです。もちろん、速記文字を習得するには慣れと訓練が必要ですが、一度覚えてしまえば会話の記録は簡単なことになります。わかりますよね。

\D まあね。

\E 数学だって同じです。確かに記号が次々に出てくると、何か難しいレベルに上がったように錯覚しますが、むしろ記号を使うほうが簡単になるんですよ。数学の思考が素早くできるようにもなります。ただ、この記号を習得するには慣れと訓練がいりますが、これを使うことで数学が一段と楽になるんです。言葉は読んでわかりやすいものですが、数学の議論には必ずしも向いているわけではないですから。

\D だからといって、あんなに記号を乱発することもないでしょうに。数学の本の中には、言葉よりも記号のほうが多いということもあるみたいですね。いくら記号を使って簡単にできても、ものには限度ってものがあるはずです。限度を超えては書物とは言えんでしょう。

\E ふう。先生も国語を教えてるんでしたら、数学の書物に、もう少しまともな意見を持ってもらいたいものです。

\D いま私が言ったことが、まともな意見じゃないのかね? おそらく世間の人たちも私の意見を支持するはずです。

\E 必ずしも多数決が正しい判断ではないでしょう。それに記号が多かろうと少なかろうと、書物の内容は変わりませんよ。

\D ほら、書物の内容が変わらないなら、記号ではなく文章で書けばいいんですよ。日本人には日本語で書かれた書物のほうが読みやすい、ひいてはわかりやすいというわけだ。E 先生、自分の言葉で墓穴を掘りましたね。

\E さっきも言いましたが、わかりやすいことと扱いやすいことは別の次元です。数学の書物から記号を一切なくせば、万人に読みやすいものになるかもしれませんね。けれど、それでは数学の特徴のひとつである計算ができません。計算はむしろ扱いにくくなります。言葉の記号化は、計算の効率化に寄与しているんです。

\D 言葉の記号化?

\E ええ、そうです。言葉の記号化です。つまり記号は言葉なんですよ。このプリントに書いた「$\textrm{arg}~\alpha+\textrm{arg}~\beta$」というのは、「複素数$\alpha$の偏角と複素数$\beta$の偏角を足す」と読めます。無意識にこの意味に読めればしめたものです。なぜなら、このあとの計算や思考が格段に楽になりますから。

\D 計算以前に、私には読み替えた日本語の意味がよくわからないですよ。読み替えたところで、内容がわからなければ意味のないことだと思いますけど。先生は言葉の記号化とおっしゃいますが、逆に言葉自体が記号と見ることができます。それなら数学記号は、それほど必要ないはずです。結局、数学は言葉の問題とは無関係に、ただ意味もなく難しいことをやっているだけなんだ。

\E 断じてそんことはないです。記号とか読み替えとかは慣れの問題です。そういうことを棚にあげて、数学を否定するのは間違ってます。

\D しかし、私は納得できませんね。

\E なんて強情な人なんだ。それでも、あとひとことだけは言わせてもらいますよ。

\D どうぞ、好きにしてください。

\E 野球のバッターがピッチャーの投げるボールを打つとき、バットを振りますね。

\D ええ。

\E バットは細いから、ボール当てるにはちょっと練習を必要としますね。だけど、ボールに当てたいのなら、バットのような棒ではなく幅広の板を振ればいいんですよ。そのほうが簡単じゃないですか。

\D それは野球とは言わない。

\E もちろん、それでは野球になりません。幅広の板を振ったんでは、ホームランなんて望めないでしょう。バットを振るからホームランを期待できるんです。それにバットのほうが振りやすい。幅広の板の唯一の利点は、ボールに当てやすいことだけです。

\D 何を言いたいんです?

\E つまりバットに相当するのが、数学記号ってことですね。幅広の板は言葉の状態を指します。記号を使わず言葉だけで数学をやることは、バットを使わず幅広の板を持って野球をやるようなものです。幅広の板では容易にヒットは打てません。バットを使いこなすことでヒットを打ちやすくなるように、記号を使い慣れることで数学の扱いを容易にするんですよ。

\D それはただの屁理屈ってもんだ。

\E なんだって? この説明を理解しないなんてどうかしてます。

\D どうかしてるのはそっちのほうだ。そんなことでだまされるとでも\ldots。

\item[\bf K:] Shut Up!! うるさいっ!

\item[\bf D,E:] あ、K先生\ldots。

\item[\bf K:] さっきから君たちは、どうでもいいような議論を大声でやり合っているが、もう少し静かにしてくれんか。集中できんじゃないか。

\item[\bf D,E:] すみません。

\item[\bf K:] まったく腹の立つ\ldots。どこまで検討したか忘れてしまったじゃないか。ああ、そうだ。次は6枠11番のナイスマスマチクスだ。この馬の前走は\ldots。

\end{enumerate}

\end{document}