% 「数学的な考え方」ってなに?
\documentclass{jsarticle}
\pagestyle{myheadings}
\markright{tmt's Math Page}
\renewcommand\baselinestretch{1.33}
\def\Y{\item[\textbf{Y:}]}
\def\E{\item[\textbf{E:}]}
\begin{document}
\section*{●「数学的な考え方」ってなに?●}
\begin{enumerate}
\Y う〜む。
\E どうしたんだ? 難しい顔をしてさ。
\Y いやあ。数学のことなんだけどさ。
\E また、難しい問題を解いてるんだな?
\Y そうじゃなくて。これ以上、数学を勉強する価値がどれだけあるか考えていたんだ。
\E 数学に限らなくても、何だって、やればやる程価値が増すんじゃないか? お前は数学ができないわけじゃないし、勉強するなら今のうちだぞ。
\Y いや、数学がうんとできるようになったとしたら、それはそれでいいことだと思うんだ。でも、あまりに高度な数学を身に付けても、将来それを使う可能性はあまりないような気がしたんだよ。それで、先生に聞いてみたらね\ldots。
\E いつ使うか分からないから、そのときに備えておけ\ldots か?
\Y あれ? なんで分かったの? でもさ。いつ使うか分からないことに、そんなに時間をかけられないよ。貯金をしておくのとはわけが違うと思わない?
\E ふむ。
\Y で、そんなようなことを先生に言ったら、実はもっと大事なことのために数学を勉強するべきだって返されてさ。
\E へえ、他に大事なことがあるんだ。俺は、高度な数学が使えた方が、仕事なんかで有利な面が多いはずだから、勉強しておくもんだと考えてたよ。そういう仕事って、いつ自分のところに回ってくるか分からないからね。そのときにあわてて勉強を始めても間に合わないだろ。数学って意外なところで使われてたりするそうだし\ldots。それで、何が大事なんだって?
\Y 「数学的な考え方」だって言うんだ。実際に高度な数学を使うかどうかは別にして、数学的な考えを身に付けるには、より深く数学を勉強する必要があるんだってさ。
\E 数学なんだから、数学的な考えをするのは当たり前じゃないか。数学的な考えで問題を解決するんだろ?
\Y でしょう。でも、先生は「そうじゃない。問題を解くだけなら、解法のパターンや仕組みを覚えるだけでいい。数学的な考え方はもっと別のところにある。そして、それは誰にとっても必要なことだと思う」なんて言って「あとは、自分でよく考えなさい」と追い返されちゃった。
\E なんだよ。教えてくれなかったの?
\Y これから会議なんだって。
\E ふ〜ん。それで頭を抱えてたってわけだ。それで、何か思いついた?
\Y 確かに先生の言う通りだと思った。解法のパターンを覚えて難しい問題が解けるようになっても、将来それを使う可能性があまりないなら意味がないなって。だから、数学を勉強する価値は、将来自分が必要とするものによって変わってくるだろう。じゃあ、それがどの程度なんだろうってところで悩んでいたわけ。
\E 一理あるけど、それじゃあ、先生の答えになってないよ。先生の話しぶりからすると、数学的な考え方というのは、将来数学を使うかどうかでなく、いつ何どきでも必要になるものと考えられるよな。きっと、授業でやっている数学とは違う面があるんだろう。
\Y じゃ、それは何?
\E え? それをこれから考えるんだろ。\ldots 難しいな。あ、ところで「数学的」ってどういうことだ? そこんとこが明確になれば、数学的な考え方がどんなものかはっきりするよな。
\Y 数学的ってのは、計算的と言うか筋道立てると言うか、まあ、そんなもんでしょう。
\E そうかなあ。計算的というのは機械的でも同じじゃないか? 筋道立てるってのは論理的ってことじゃないか? だったら何も「数学的な考え方」なんて言わないで、「機械的な考え方」とか「論理的な考え方」って言えば済むじゃん。ちょっとはずしてるかもね。もっと言うと、計算的は打算的とも言えるかな。
\Y 打算的な考え方か。人生においては必要だな。でも、打算的以外のことは当たらずとも遠からじだと思う。だって、機械的なことでも論理的なことでも、数学に限らないで、いつ何どきでも必要じゃない。そして、その能力は数学で身に付けるにはもってこいだ。数学的ってそういうことなんだ。
\E ふ〜む。俺は、まだ裏があるように思えるなあ。機械的とか論理的とか一言で言えないから、数学的という包括した表現をとっているんじゃないか?
\Y 疑り深いねえ。
\E 疑り深いわけじゃなくて、はっきりしたことを知りたいだけだよ。
\Y じゃあ、一言で言えないことって?
\E そうだなあ。ああ、こんな考えはどうだ? 数学的な考えと言うように、数学って言葉を使う以上、ふだん数学で行われることがそれだ。そして、そのことは広く数学で行われているけれど、必ずしも数学の問題を解くだけでなく、社会生活や仕事の上で誰にでも必要となる、そういうものだ。
\Y なんか、ややこしいね。
\E そうか? まあ、とにかく具体的に考えよう。お前が数学の問題を解く場合、どうしてるか言ってみて。たぶん、その中のいくつかは数学的な考え方になってるはずだ。
\Y なるほどね。僕が問題を解く時に最初に考えることは\ldots、公式が使えるかどうか、かな。
\E それは、数学的な考えじゃないよな。ただ、型にはめてるだけだけど、まあ、誰だって最初はそうするか。で、公式がだめならどうする?
\Y う〜ん。前に、似た問題を解いたことがあるかどうか思い出すね。それがあれば楽勝。
\E それも、数学的じゃない。型通りだ。その手が使えなければ?
\Y ということは、今まで見たことがない問題ってことになるね。
\E うん、そのときはどうする?
\Y 後回しにする。
\E あほ。試験中ならそれでいいけど、そういう時こそ数学的な考え方がいるんだろう。
\Y ああ、そうか。う〜ん、そうだなあ\ldots、実際に問題を前にしてないからイメージが湧かないけど、もし、簡単な数値で試せることがあれば試してみるかなあ。証明問題なんかだと、とりあえず具体的な数値を当てはめたりすることがあるかな。そして、大体のアタリをつけて一般の証明に移るのかなあ。
\E おお、それそれ。きっと、それは数学的な考え方のひとつだと思うよ。ひとつの具体例から一般的な理論を導くんだ。大きな問題も、まず針の穴をあけるとこから始めるもんだ。
\Y そう言われると、何だかそういうのが数学的っぽく感じてきた。だったら、ひとつの具体例でだめなら、たくさんの事例を試して、それをもとに一般化するってのも十分数学的かもしれないね。
\E まさに、そうだ。他に思い付くことはない? 例えば、ただの計算でに数学的な考えをしてるかもしれないぞ。
\Y ただの計算に? そりゃ、ないでしょ。だって、計算は機械的ってさっき言ってなかったっけ? それに、計算ってのは、複雑そうなやつでも案外きれいに処理できるものが多いんだよ。それこそ型通り。
\E いや、待て。ならば、型通りに行かない計算はどうする? 後回しにするなよ。
\Y ちぇっ! 先に言われちゃった。型通りにできなければ、ひたすら力任せの計算をするしかないね。
\E それだ。それも、数学的だ。
\Y ええー! それは違うでしょう。
\E いいや。型通りにできなければ別の解決をしなくちゃならないことはある。きっちりとした答えがでなくても、近似値でよしとしなくちゃならないときもある。その考えを受け入れられるかどうかが数学的なんじゃないか?
\Y 強引だね。
\E 強引なもんか。何となく分かってきたぞ。数学的な考え方って、きっと、こんな風に泥臭いものかもしれない。こつこつできることが求められているんだ。
\Y はあ、そういう見方もあるんだ。たぶん、半分くらいあってるかもね。
\E 俺は、8割以上核心をついていると思う。
\Y \ldots。
\E でも、すべてこれで押し通そうとは思ってないからね。他にも、数学的な考え方はあるはずなんだ。試験を中心に考えると手間のかからない型通りの解法がいいに決まってるけど、本来の数学は地道な作業を多くやるべきものだと思えてきた。他に付け加えるとしたら、定義の明確化なんかも数学的な考えと言っていいかもしれない。定義って、基本の線引きみたいなとこがあるしな。そうかあ、だんだん分かってきたぞお。機械的や論理的が数学的じゃないんだ。数学的って、一言で言い表せないいくつもの概念だったんだ。だから、大事なんだ。だから、誰にも必要なんだ。そうかあ。よーし、{\large よーし、俺も数学を}{\Large がんばるぞお!!}
\Y {\small おい、先生が言ってた会議は隣の部屋だぞ。静かにしたほうがいいぞお。}
\end{enumerate}
\end{document}