% 人間は考える(ことが好きな)葦である

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\begin{document}

\section*{●人間は考える(ことが好きな)葦である●}

\begin{enumerate}

\S 明日は雨か...。てことは、キンノマスマチクスが有利だな。それよりなんでゴールドマスマチクスじゃないんだ?

\P それは、競走馬の名前は2文字以上9文字以下と決められているからですよ。

\S うわっ! 教授、いつからそこに?

\P ちょうど通りかかったところです。ところであなたはハタチ過ぎですか?

\S ええ、鮨ネタは白身魚の方が好きなので...。

\P 私は、``ハマチ好きか''じゃなくて``ハタチ過ぎか''と聞いたのですよ。ニジュッサイと言わないと通じませんか。二十歳未満は馬券は買えませんからね。ちなみに、ハマチは赤身魚ですよ。

\S え? そうなんですか?

\P やはり買うつもりだったのですね?

\S あ、いや、違います。ハマチが赤身魚ってことです。

\P そうですか。ま、いいでしょう。しかし、明日は雨とはいえ午後から晴れそうなので、良馬場だと思いますがね。それなら本命のヤバイコンピュータでいけるのではないですか?

\S は? 教授も競馬がお好きなようで。

\P いや、競馬が好きというより、考えることが好きなのですよ。あなたもそうではないですか?

\S あー、考えなくても儲かる方が...じゃなくて、儲けるために考え...というか、起業するときのために考える訓練をしているようなものです。

\P ...。

\S あ、大丈夫です。悪いことはしませんから。ははは...。でも、考えることが好きなら教授は、ご専門の数学の研究でいくらでも考えておられるのですよね?

\P それはそうなのですが、研究と競馬では考える質が異なります。

\S そりゃ、わかりますけど。

\P 本当にわかってますか? 私は研究と競馬の考え方の違いはただの一点だと思いますよ。

\S え? 一点だけですか?

\P そう。それは無制約に考えられるかどうかです。

\S 無制約? ああ、研究の方が制約に縛られずに考えられるということですよね。

\P いいえ、逆です。競馬の方が無制約ですよ。だから、大勢の人が夢中になれるのです。

\S どういうことですか?

\P つまり、競馬は各自が自由に好きなことを考え、好きなように結論づけられるということです。要するに考えに制約なんかないのですね。それにより、もちろん当たる人と外れる人が出るわけですが、当たった人の理屈が次のレースでも必ず通用するものではないでしょう。でも、数学は一定の制約の中で考える必要があリます。そのため、ある人の正しい理屈は誰にとっても正しいのです。

\S なるほど、そういうことですか。

\P 人間なんてそんなもんです。フランスの思想家で数学者でもあるバスカルは『人間は考える葦(あし)である』という言葉を残しましたが、それはパスカルのような人に当てはまる言葉ですね。

\S じゃあ、僕はぜんぜん考える葦じゃあないってことですか。

\P 私も似たようなものです。

\S いやいや、一緒にしないでください。教授はパスカル側の人じゃないですか。

\P とんでもないチンゲール。

\S ...。

\P ...。おほん。私が思う``考える葦''とは、ちょっと行き詰まったくらいでは考えをやめない葦のことです。過去に何かを成し遂げた人たちは、少々の壁ぐらいで考えることをやめなかったから、大きな成果を得たのです。しかし私はダメですねえ。行き詰まると、つい気晴らしをしたくなる。競馬の予想はもってこいです。いくらでも考えていられる。そうなると``考える葦''ではなく、単に``考える\textgt{ことが好きな}葦''になっているわけですよ。

\S ああ、そうか。たしかに予想をしているときは夢中で予想してるなあ。でも、締め切り時間が迫ってくると予想を楽しむ余裕が...じゃなくて、レポートの締め切りが迫ってくると競馬の予想なんてしている暇はないですね(汗っ! こりゃあ、しばらく場外馬券売り場へ行かない方がいいな)。

\P ...(こりゃあ、しばらく場外馬券売り場へ行かない方がいいな)。ああ、まあ、要するに『人間は考えることが好きな葦』ということだ。

\S 考えることが好きなら、なんでみんな数学で考えることをしないんだろう?

\P それは\textgt{制約}のせいですね。キャパシティが制約になるんですよ。

\S キャパシティですか?

\P そう。数学は、基本となる\textgt{正しい知識}がキャバシティ、つまり身につけた能力になります。定義や公式などが正しく身についていれば、それらを元にした考えはむやみに行き詰まったりしないものです。ですが、あやふやな知識のまま考えるとすぐに行き詰まります。多くの人はこのところがきちんとできないせいで、考えが上手にまとまらない。で、考えることをやめてしまうんですね。自分で制約を作っているようなものです。

\S ということは、たくさんの知識を暗記してるほど良いってことですね。

\P そうは言ってません。

\S だってキャパシティが...。

\P キャパシティとは、\textgt{基本となる}、\textgt{正しい}、\textgt{知識}であり、それは定義や公式などが\textgt{明確に}、\textgt{身につく}ことであり、決して量が多ければよいというものではありません。それができていれば、芋づる式に考えがつながっていくものです。数学の問題が解けるというのは、こういうことでもあるのです。心当たりはあるでしょう。

\S それなら思い当たります。数学は丸暗記しなければならないことがとても少なく、その少ない事柄をつなぎ合わせれば問題が解けたから好きだったんですよ。でも、大学での数学はよくわからなくて...。

\P 原因ははっきりしてます。キャパシティが足りないからです。定義からしっかり考えて身につければ、どんどん考えが広がっていきますよ。もう少し辛抱強く取り組んだ方がよいですね。中学生や高校生がつまづく理由は、単元の始めのうちに深く考えずに済ますから、単元の中ほどで考えようにも、その時点では量が膨大になっているため上手に考えられず、仕方なく暗記せざるを得なくなってしまうからです。あなたも、いまそうなっているのでしょう。

\S 図星かも。

\P 人間は考えることが好きな葦です。自分のキャパシティの範囲でなら、喜んで無制約に考えるものです。競馬の予想だけでなく、スポーツ観戦で選手起用がどうのこうので話に花が咲くのも、政策が良いだの悪いだのを延々と議論するのも、飽きもせずウインドウショッピングを続けられるのも、みーんな各自の知識の範囲で自分なりの考えを制約なく広げられるからです。自分ならあの選手を使う、自分ならこういう法律を作る、自分がこれを買ったらこう使う、などなど、いくらでも考えられるでしょう。

\S いや、そんなこと言ったら、ほとんどすべてのことは考えてやってることになりませんか?

\P そうですよ。むしろ考えずにやる方が大変です。スポーツで無意識に体が反応するとか、典型的な数学の問題は見た瞬間に解答が書けるとか、このような域に達するには相当な訓練を要するでしょう。考えるといっても、なんの制約もないまま考える方が楽なのですよ。

\S なるほど。だから、自分勝手な考えが許される、たとえばSNSなんかは人間にとって快適なんだ。みんなこぞってやりたがるわけだ。

\P 大学の数学であっても、キャパシティが広がっていればいくらでも考えることはできます。競馬の予想よりはるかに楽しくなるはずです。あなたもその域に達する方がよいと思いませんか?

\S それは、そう思いますけど、大学の数学は簡単に行き詰まっちゃうんですよね。だから、どうしても気晴らしをしたくなります。

\P 仕方ないですね。私も人のことをとやかく言えるわけでもなし。ただ、人間は考えることが好きといっても、無制約に考えているうちは自然代謝となんら変わらないですよ。競馬の予想では訓練になりません。自分に都合よい考えを巡らす人たちは、ただ考える\textgt{ことが好きな}葦に過ぎません。数学で壁に当たったときに、どれだけ考えを重ねられるかが本当の訓練です。総合的に考えたり、壁を押し上げるような考える人こそ、本当の考える葦なのですよ。頑張りましょう。

\end{enumerate}

\end{document}