% 考えれば数学は退屈しない
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\def\S{\item[\textbf{S:}]}
\def\G{\item[\textbf{G:}]}
\begin{document}
\section*{●考えれば数学は退屈しない●}
\begin{enumerate}
\S こんにちは。おじいちゃん、久しぶりです。
\G おお、よく来たのう。夕立が降ったようで大変じゃったろう。
\S うん、ちょっとね。だけど雨が強くなったのはちょうど高速道路を降りたときだったから大丈夫だったよ。お父さんもタイミングがいいと言ってたんだ。
\G そうかい、そうかい。それにしてもしばらく見んうちに大きくなったもんじゃのう。いま何年生じゃ?
\S 中2になったんだ。それにしてもお爺ちゃんもずいぶん歳をとったんじゃないの?
\G 何を言うか。近所の人は「現役の会社員より{\bf お若く}見えますよ」なんて言うてくれとるぞ。
\S 見た目じゃないんだなあ。僕が言いたいのはお爺ちゃんの言葉遣いがずいぶん爺臭くなったなって思ったんだよ。
\G ほほお、鋭いところを突いてくるのお。
\S ほら、どうしてそういう喋り方になっちゃうわけ。もっと普通に喋れば近所の人が言うように本当に若々しいのにさ。
\G ほっほっほ。やはり外見が若く見えようとも歳はごまかせんもんじゃ。実はわしもしばらくは若ぶった言葉遣いをしとった時期もあった\ldots。けどのお、わしにはこの喋り方が非常に楽なんじゃよ。
\S ええ? 楽な喋り方なんてあるの?
\G そうじゃよ。お前もわしぐらいの歳になればわかるはずじゃ。
\S いいよ。別にわかりたいとも思わないから。
\G それよりもうじき夕飯じゃな。先に風呂にでも入ってくるかい。
\S お風呂より先にやっておきたいことがあるんだ。どうせ外はまだ雨が降っているから家の中にいるしかないもんね。
\G 何をやるんじゃ?
\S へへ、夏休みの宿題。外に出れないときのために持って来たんだ。
\G はああ、情けないのお。何も夏休みに強制的に宿題をやらせんでもいいじゃないか。(それに「出れない」じゃなくて「出られない」じゃ!)
\S そりゃあ、僕だって夏休みの宿題なんてやりたくないさ。だけどこれをやらないと2学期から大変なんだ。お爺ちゃんにやってもらおうなんて考えてないから安心してよ。
\G それじゃあ好きにするがいい。ところでそれが夏休みの宿題帳かい?
\S うん、数学なんだ。だけどまったくつまらない宿題。ほとんど機械的に計算したり問題を解くだけのものなんだよ。何ページもあるけどすぐに飽きちゃうんだ。
\G でも学校の勉強と同じなんじゃろ。
\S そうだよ。だから余計つまんない。数学ってどうしてこんなにつまらないんだろう。
\G それは困ったのう。見ていると別に問題が解けないわけじゃなさそうじゃが。
\S 問題は解けるよ。でも、それで終り。数学の授業だって公式を覚えて問題を解いていくだけでしょう。いつもその繰り返しだから退屈なんだよ。それに「これは入試によく出るから覚えておけ」とか言われると素直になれないんだなあ。
\G ほお、そういうことかい。要するにお前は数学の「勉強」のことしか知らないんじゃな。
\S え、僕は英語だって国語だって勉強してるよ。
\G いやいや、そういうことでなないわい。お前は今のところ授業で言われたことしかやっとらんということじゃ。数学は「勉強」するだけでは大した意味もないぞよ。
\S じゃあ、どうすればいいのさ。
\G 「勉強」とは「{\bf 勉}めて{\bf 強}いる」と書くじゃろう。「勉(つと)める」も「強(し)いる」も強制的にさせる意味あいがあるもんじゃ。つまり勉強は周りから押し付けられてしていることなんじゃよ。
\S それじゃ、勉強はみんな押し付けってことになるよ。
\G そのとおり。しかし時には押し付けてでも身につけるべきことはあるじゃろう。けれど数学は押し付けられて楽しいことなんてないんじゃよ。それどころか肝心の考える楽しみを奪っているのがいかん。
\S ふーん。それで?
\G そこで数学では特に「勉強」ではなく「学習」する姿勢が必要なのじゃ。
\S それって同じことじゃない。
\G いいや。そうではない。「勉強」は「{\bf 勉}めて{\bf 強}いる」ものじゃが「学習」は「{\bf 学}び{\bf 習}う」ものじゃ。これは「自分で学び、人に習う」ということじゃから半分は自分の考えが入ることになる。数学は自分で考えることがなければ何ひとつ面白くないと言っても過言ではないんじゃぞ。
\S 数学の勉強でそんなに考えることがあるかなあ。問題を解くときに考えるけど、それはどの公式を使うか考えてるだけだし\ldots。
\G まったくしょうもない奴じゃのお。まあ、そういう考えだから数学がつまらなくなるの仕方ないかもしれんのう。
\S でも、どんな問題も解き方は決まってるじゃないか。
\G うーむ。中学生ぐらいの数学ではそうなってしまうかのお\ldots。おお、そうじゃ。「論証」はやっておるかな。
\S 「論証」? それって「証明」のこと?
\G うむ、そうじゃ。
\S それはまだ勉強してないけど、先輩は皆「わけわかんない」とか言ってたっけ。
\G それじゃあ、先輩の言うことは無視しておくんじゃな。わけがわからんというのは何も考えとらん証拠じゃよ。それに「論証」なら解き方がひとつに決まっておるわけではないから「{\bf 学習}」にはもってこいじゃ。
\S 「論証」って本当に面白いの?
\G 面白いとも。第一、考える楽しみというものがある。これが面白いと思えないようでは数学の本質に迫ることはできんぞ。
\S でも数学のできる先輩でも「証明は苦手」って言ってたけど。
\G そりゃあ、論証をせんでも数学はいくらでも{\bf できる}ようにはなるじゃろう。しかしそれでは数学はただの道具と同じじゃ。数学を道具にする高度な職業に就くならそれでもかまわんが、それでは数学に利用されているに過ぎん。数学と友だちになるにはたくさん自分で考えることじゃよ。
\S へえ、何だか面白そうだね。2学期はちょっと数学に期待してみようかな。
\G いいかな、あくまでも「{\bf 勉強}」ではなく「{\bf 学習}」するのじゃぞ。
\S わかってるって。
\G ついでに言うとじゃな、「学習」の次のレベルが「研究」じゃ。「研究」は「\.研いで\.究める」と書くように、まったく自主的にやることを指すのじゃ。しかし「研究」のレベルになると苦しいことも増えてくるもんじゃ。わしらにゃ、「学習」のレベルがちょうど合っとるかもしれんのう。それに(自分で)学び(人に)習う頃が一番伸びるものじゃ。効率もいいしの。さらに「習う」ことで自分の気づかない間違いを修正してもらえる利点もあるからのお。
\S じゃあ、お爺ちゃんも「学習」したほうがいいかもね。
\G 何を学習するのじゃ?
\S 喋り方の学習だよ。どう考えてもその喋り方はおかしいってこと。お爺ちゃんは自分で「研究」してその喋り方にしたんだろうけど、僕は間違ってると思うな。そういうわけだから僕がお爺ちゃんの言葉遣いを修正してあげるよ。
\end{enumerate}
\end{document}