% 情報機器で数学はサクサク
\documentclass{jsarticle}
\pagestyle{myheadings}
\markright{tmt's Math Page}
\renewcommand\baselinestretch{1.33}
\def\V{\item[\textbf{V:}]}
\def\Y{\item[\textbf{Y:}]}
\begin{document}
\section*{●情報機器で数学はサクサク●}
\begin{enumerate}
\V あ〜、どっこいしょっと。今日の授業は終了っ!
\Y お疲れ様です。ていうか、座るときいちいち声が出るのって相当じじいですよ。
\V 実際、じじいだからな。それにしても疲れる。
\Y (こりゃ、ほんとにじじいだな。)いやいや、いくらなんでも授業だけでそんなに疲れないでしょう。
\V 授業で疲れたんじゃない。生徒の考え方に疲れるのだよ。
\Y なるほど。たしかに生徒はとんでもない考えで問題を解いたりしますからね。今日はどんな破天荒(はてんこう)なことがあったんですか?
\V 今日の話はそうじゃない。ワシにも他の先生みたいに情報機器を使って、わかりやすい授業をしてくれと言うんだ。
\Y (ワシ? だいぶきてるな。)ああ、そうですか。だったらそうすればいいんじゃないですか? V先生だって情報機器が使えないわけじゃないんですから。第一、わかりやすい授業をしてほしいという考えは真っ当でしょう。それを疲れる云々(うんぬん)言うのは怠慢ですよ。
\V キミは情報機器を使いこなして授業をしているからそう思うんだろうが、多くの先生がやっている使い方は、生徒が家でもできることではないだろうか。
\Y え? でも、それを言ったら学校で勉強する意味ないですよね。
\V うむ、だから家で一人でできることを、懇切丁寧に指導する必要はないと言っているのだよ。自分でできることを教師に求めてどうする?
\Y でも、生徒みんながみんな家庭で十分学習できるわけではないですよ。少なくとも学校では、勉強ができる環境にあるわけですから、その上で生徒が理解しやすい授業を心がけるのは当たり前のことだと思いますけど。
\V まあ、そうだな。学校で勉強するのは、トイレでう○こするのと同じくらい当然のことだ。
\Y (でた、じじいの下ネタ。)\ldots。
\V だからといって、わかりやすいことが良いことではないはずだ。そもそも、聞いてわかりやすい話はもともとわかっている話である可能性が高い。情報機器のおかげで一目でわかったというのは、理解していることを別の角度から確認しているだけではないのか? そんなことでは「思考力」は養えないと思うがね。
\Y わかることは知識の確認ですか。そういう面もあるでしょうね。でも、思考力ならそのあとで練習問題なんか解くことで身につくんじゃないですか? そのためにも最小限の知識は一目で理解できた方がいいと思いますよ。
\V そこなんだよな〜。そこ。本当に最小限の知識か? 必要以上の糖衣構文(とういこうぶん)にしてるだけじゃないのか?
\Y とういこうぶん?\ldots って何ですか?
\V プログラミング用語の Syntax Sugar のことで、本来の記述より簡単な書き方で同じ処理をしてくれる構文のことだ。つまり、本来なら順を追って理解すべきことを、単に知識や公式の類にして覚えさせてるんじゃないかと言いたいんだ。
\Y (じじい世代の言葉なのかな?)ああ、言いたいことは何となくわかりますが、数学ってそういうもんでしょ。生徒にとっては受験を考慮した場合、勉強は効率的にする必要があると思うんですよ。そりゃあ、考えに考え抜いて取り組めば思考力は身につくかもしれませんが、あまり現実的じゃないですね。時間は限られてるんだし。
\V たしかに、それが現実か。だとしても安易に情報機器を使えばいいってもんではないだろう。
\Y でも、紙面では表現できないことをコンピュータを使うことで実現できるんだから、有効に使うべきだと思いますね。
\V だが、それだと紙面の行間を読み解くことができる生徒から、その機会を奪ってしまわないか?
\Y コンピュータを先回り的に使えばそうなるでしょうね。私は、自分で解決できる生徒の邪魔にならないように、後出し的にコンピュータを使うようにしていますよ。それなら、考えてもわからなかった生徒にも理解しやすいでしょうから。もっとも「最初からそれを教えてくれ」って言われるのがオチなんですけど。
\V そうか、キミも似たようなことで苦労してるんだ。
\Y 大半の生徒は好きで数学を勉強しているわけではないですから。みんな、最小の努力と時間で最大の効果と成果を得たいと思ってますよ。
\V しょうがねえやつらだ。そんなうまい話があるわけない。勉強なんてものは、身につくまで何回も何回も繰り返すものだ。
\Y そうですね。よく「参考書は何周すればいいですか」とか聞いてくる生徒がいるけど、陸上のトラック競技じゃないんだから、何周したらおしまいなんてことはないですよね。
\V その通り。「何周した」が「十分勉強した」にすり替わってるだけということに気づいてない。身につけるためには、回転寿司みたいに何周も回さないとな。
\Y (なに、その意味不明のたとえは。)\ldots。ところで、V先生は情報機器を授業で使うつもりはないんですか?
\V ないね。キミのように適切に使うことができればよいのだが、情報機器でわかった気になってもらっても困る。通常の授業でわからなければ自分で機器を使って調べれば済むことだ。
\Y (じじいは頑固だな。)そうですか。たしかに数学はサクサク進めばよいということはないですが、情報機器で表現できることが増えれば授業の幅も広がりますよ。
\V それはキミの言う通りだろう。でも、そういうことだと、数学ができる・できない以前に「創造力」の芽を摘んでしまうことになりかねない。
\Y どういうことですか?
\V 説明が的確にできないかもしれないが、情報機器で表現できることが増えて授業の幅が広がるのはよいとしても、結局は授業で伝えることは画一的にならざるを得ないだろう。
\Y 要するに、授業の仕方は何通りかあっても、その中の一通りでしか授業ができないってことですか?
\V まあ、そういう感じではあるが、たとえば簡単な因数分解ひとつとっても解答に至る考え方は様々だろう。律儀に公式に当てはめたり、試行錯誤で求めたり、すでに暗記の域になっているとか\ldots。もちろん、試験のことを考えれば最も効率的な方法を目指すべきなんだろうが、正解であれば人それぞれの考えがあっていいと思うんだ。たとえその考えが非効率なものであってもね。
\Y そういうもんですかね。
\V でも、それを抜きにして、わかりやすさや効率を優先して情報機器を使ってサクサク伝授していたら、創造力は育たないんじゃないかな。場合によっては、ある一つのやり方の押しつけになっているかもしれん。
\Y そうは言っても、ものには限度ってものがありますよね。数学には考え抜けば自分で発見できるものは多くあると思いますが、典型的な事柄ならさっさと覚えて使いこなすのが普通です。そうしなければ、現実的に受験に間に合わないですから。
\V もちろんわかっているよ。ただ、あまり行き過ぎるのもどうかと思うけど。中学・高校の数学ではあまり感じないだろうが、数学が抽象的になるほど理解の仕方には人の個性が出るものだ。それを、これこれこうだから云々と言ってしまうと、その流れに馴染めない人は混乱するものさ。
\Y だけど、それは高校卒業後の数学の話でしょうから、大部分の人には関係ないですね。中学・高校ではむしろ、そうでない人たちが圧倒的に多いわけですから、使えるものは何でも使ってサクサク勉強を進める方がいいと思いますね。
\V まったく現実的なやつだ。でもね、現実は画一的に寄り過ぎてることは多い。ときどき見かけるが、数学的に正しい考え方で答えているのに、授業で扱ってないから×にされたり、 もっとひどいのは教師の理解不足で×にされたり、柔軟性を欠いている場面は数多くあるのじゃないか?
\Y うわ。そう言われると自分も襟を正さなくてはいけないですね。
\V 基本、受け身の生徒が多いから、情報機器が教師の手抜きの道具になってはいかんだろう。あくまでも生徒を伸ばすために、教師は攻めの姿勢で機器を使うべきだ。これが本当の``先生攻撃''というものだ。
\Y (でた、じじいのだじゃれ。)\dots。
\end{enumerate}
\end{document}