% なぜそこに π が?
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\begin{document}
\section*{◆なぜそこに$\pi$が?◆}
円周率$\pi$は、その名が示す通り円に関わる値です。およそ$3.14$であることは誰もが知っているでしょう。たとえば半径$5$の円の面積は、円に関する面積の公式より
\[
5\times5\times\pi = 25\pi
\]
とすることに何の異論もありません。ところが不思議なことに、およそ円に無縁と思われるところにも$\pi$が現れることがあるのです。
一つの例は、幅$1$の間隔で並んだ何本もの平行線が引かれた床に、長さ$1$の針を投げたとき、針が線にかかる(交わる)確率が$\dfrac{2}{\pi} \approx 0.6366$である、というものです。五分五分より高い率ですね。「ビュフォン\footnote{ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン(1707--1788):フランスの博物学者・数学者。}の針の問題」で知られています。この問題を初めて聞くと、どこにも円がないのに、なぜ確率に円周率が関わるのか不思議に思うことでしょう。理由は、確率を求める過程で針の回転具合を考えているからです。ここでは詳しく述べないので、興味がわいたら調べてみましょう。
別の例は、
\[
\frac{1}{1^2}+\frac{1}{2^2}+\frac{1}{3^2}+\frac{1}{4^2}+\frac{1}{5^2}+\cdots = \frac{\pi^2}{6}
\]
というものです。計算は、自然数の平方の逆数和であって、どこに円との関わりがあるのかまったく分かりません。実際、この左辺の計算値がいくつになるかは、しばらく分からなかったようですが、オイラー\footnote{レオンハルト・オイラー(1707--1783):スイスの数学者・物理学者。}が値を特定したと伝えられています。ここでは、なぜ自然数の平方の逆数和が$\dfrac{\pi^2}{6}$と計算できるのかを、表面だけかいつまんで---といっても、ほんの少し三角関数の知識は必要ですが---説明してみましょう。
まず、$y = \sin x$を考えます。この関数はグラフにすると
\begin{center}
\begin{tikzpicture}[scale=0.33]
\draw[->] (-8, 0) -- (28, 0) node[right] {$x$};
\foreach \x in {-2, 2, 3, ..., 8} \draw (pi*\x, 0) node[below] {\footnotesize$\x\pi$};
\draw (-pi, 0) node[below] {\footnotesize$-\pi$}; \draw (pi, 0) node[below] {\footnotesize$\pi$};
\draw[->] (0, -3) -- (0, 3) node[above] {$y$};
\node[below left] {$O$};
\draw[domain=-6.5:25.5, thick] plot[samples=500] (\x, {sin(180/pi*\x)});
\end{tikzpicture}
\end{center}
のような感じになっています。つまり$y = \sin x$は、$x$軸と$0$, $\pm\pi$, $\pm2\pi$, $\pm3\pi$, $\pm4\pi$, $\dots$で交わっていることが分かりますね。
たとえば関数$y = x(x^2-1)$は、関数のグラフが$x$軸の$x = 0$と$x = \pm1$で交わります。ということは、$x$軸と$0$, $\pm\pi$, $\pm2\pi$, $\pm3\pi$, $\pm4\pi$, $\dots$で交わる$y = \sin x$が、もし多項式で表せるとしたら、きっと
\[
y = ax(x^2-\pi^2)\{x^2-(2\pi)^2\}\{x^2-(3\pi)^2\}\{x^2-(4\pi)^2\}\cdots
\]
のようになっているはずです。でも、これでは少しばかり具合が悪いのです。なぜなら$x \to \infty$を考えると、$x$, $x^2-\pi^2$, $x^2-(2\pi)^2$, $x^2-(3\pi)^2$, $\dots$などの因数は、どれもほとんど$\infty$になっていると考えられます。するとこれらの無限積である$y$の値は$\infty$でしょう。ところが$y = \sin x$は、$x$の値がどれだけ大きくなろうとも、幅$2$の間で波打っているのですから、つじつまが合いません。
そこで少し式をいじって、つまり各因数を$x^2$で割った形を用いて
\[
y = ax\left(1-\frac{\pi^2}{x^2}\right)\left(1-\frac{(2\pi)^2}{x^2}\right)\left(1-\frac{(3\pi)^2}{x^2}\right)\left(1-\frac{(4\pi)^2}{x^2}\right)\cdots
\]
とするのはどうでしょう。これなら$x \to \infty$を考えたとき、$1-\dfrac{(何がし)^2}{x^2}$で表された各因数はすべて$1$より小さくなります。なぜなら、先頭付近では$\dfrac{(何がし)^2}{x^2}$において、小さな値の$(何がし)$に対して$x \to \infty$ですから、$1-\dfrac{(何がし)^2}{x^2}$は$1$に近い値でしょう。また、ずっと後ろの方においては、とても大きな値の$(何がし)$に対して$x \to \infty$ですから、$1-\dfrac{(何がし)^2}{x^2}$は$0$に近い値でしょう。
そうすると、先頭の$ax$ ---ここは$a$の正負によって$+\infty$か$-\infty$になっている---と、$1$から$0$の値をとる各因数の無限積が幅$2$の範囲に収まるかどうかは微妙ですが、さっきよりよい感じにはなりました。でも、これも少々具合悪いのです。それは、$ax$以降の各因数が$1$から$0$の値をとるなら、各因数の積である$y$は、常に正か常に負になるはずです。しかし、$y = \sin x$は正負を交互にまたぎますから、これでは正確に$y = \sin x$を表したとは言えません。
しかし、悲観するのは早いでのす。各因数の分子・分母を入れ換えて
\[
y = ax\left(1-\frac{x^2}{\pi^2}\right)\left(1-\frac{x^2}{(2\pi)^2}\right)\left(1-\frac{x^2}{(3\pi)^2}\right)\left(1-\frac{x^2}{(4\pi)^2}\right)\cdots
\]
としてみましょう。このようにしてしまうと、$x \to \infty$を考えたとき、先頭の$x$からの因数は$\infty$, $-\infty$, $-\infty$, \ldots となって、その積である$y$も$+\infty$か$-\infty$になってしまいそうです。でも、ずっと後ろの方では、$1-\dfrac{x^2}{(何がし)^2}$はほとんど$0$に近い値のはずです。問題はこのような積を考えた場合、先頭付近の$\infty$と後ろの方の$0$に近い値のどちらが勝るのでしょうか。
私には、それを言い切ることができないので、表計算ソフトで調べることにします。たとえば$a = 1$として
\[\begin{array}{ll}
x = \frac{\pi}{2}のとき & y = \frac{\pi}{2}\left(1-\frac{(\pi/2)^2}{\pi^2}\right)\left(1-\frac{(\pi/2)^2}{(2\pi)^2}\right)\left(1-\frac{(\pi/2)^2}{(3\pi)^2}\right)\left(1-\frac{(\pi/2)^2}{(4\pi)^2}\right)\cdots\\[10pt]
x = \frac{3\pi}{2}のとき & y = \frac{3\pi}{2}\left(1-\frac{(3\pi/2)^2}{\pi^2}\right)\left(1-\frac{(3\pi/2)^2}{(2\pi)^2}\right)\left(1-\frac{(3\pi/2)^2}{(3\pi)^2}\right)\left(1-\frac{(3\pi/2)^2}{(4\pi)^2}\right)\cdots\\[10pt]
x = \frac{5\pi}{2}のとき & y = \frac{5\pi}{2}\left(1-\frac{(5\pi/2)^2}{\pi^2}\right)\left(1-\frac{(5\pi/2)^2}{(2\pi)^2}\right)\left(1-\frac{(5\pi/2)^2}{(3\pi)^2}\right)\left(1-\frac{(5\pi/2)^2}{(4\pi)^2}\right)\cdots\\
& \vdots
\end{array}\]
を計算してみるのです。無限積といっても、因数の分母は$\pi$, $2\pi$, $3\pi$, $4\pi$, $\dots$と変化するだけなので、セルを上手に使ってコピーすれば、数百の因数の積を求めるのは苦ではないと思います。
$x = \dfrac{\pi}{2}$のときの正確な値は$\sin\dfrac{\pi}{2} = 1$ですが、実際、百行ほどコピーすれば$1$に収束しそうな様子を見ることができるはずです。$\sin\dfrac{3\pi}{2} = -1$、$\sin\dfrac{5\pi}{2} = 1$、$\dots$であることを確かめるなら、因数の分子を$\dfrac{3\pi}{2}$、$\dfrac{5\pi}{2}$、$\dots$と変更していくだけです。いずれも$-1$や$1$に収束していきそうな様子が観察できるでしょう。このことから、$\sin x$を因数の無限積で表すなら
\[
\sin x = x\left(1-\frac{x^2}{\pi^2}\right)\left(1-\frac{x^2}{(2\pi)^2}\right)\left(1-\frac{x^2}{(3\pi)^2}\right)\left(1-\frac{x^2}{(4\pi)^2}\right)\cdots
\]
であることの信憑性が増したのではないでしょうか。そして実際、これは正しいのです。
さて今度は、ここで明らかになった$\sin x$の無限積を展開して、多項式で表すことを試みましょう。無限積の展開など想像もできないと思うかもしれませんが、それほど大変なことではありません。先頭の$x$は横に置いて、$2$番目の因数から$-\dfrac{x^2}{\pi^2}$を選んで残りの因数からはすべて$1$を選んで掛ければ、$-\dfrac{x^2}{\pi^2}$という項が現れます。$3$番目の因数から$-\dfrac{x^2}{(2\pi)^2}$を選んで残りの因数からはすべて$1$を選んで掛ければ、$-\dfrac{x^2}{(2\pi)^2}$が現れます。このように、ある$1$つの因数から$-\dfrac{x^2}{(k\pi)^2}$を選んで残りはすべて$1$を選べば$-\dfrac{x^2}{(k\pi)^2}$が現れるわけですから、横に置いた$x$を掛けてしまえば$x^3$を持つ項が
\[
-\frac{x^3}{\pi^2}-\frac{x^3}{(2\pi)^2}-\frac{x^3}{(3\pi)^2}-\frac{x^3}{(4\pi)^2}-\cdots
\]
であることが分かるのです。ここから$-\dfrac{x^3}{\pi^2}$をくくり出せば
\[
-\frac{x^3}{\pi^2}\left(\frac{1}{1^2}+\frac{1}{2^2}+\frac{1}{3^2}+\frac{1}{4^2}+\cdots\right)
\]
です。$\sin x$の無限積を展開した項の中には、いま私たちが値を知りたい式が含まれているのです。
ちなみに、先頭の$x$の他はすべて因数の中の$1$を選んで掛けることで$x$になりますが、$x$の項はこれだけです。さらに、この調子で因数から選ぶ項を選別すれば$x^5$の項なども現れるのですが、いまは深入りしないことにします。結局、$\sin x$の無限積を展開したら、多項式のはじめの方は
\[
\sin x = x-\frac{x^3}{\pi^2}\left(\frac{1}{1^2}+\frac{1}{2^2}+\frac{1}{3^2}+\frac{1}{4^2}+\cdots\right)+x^5(何がし)+\cdots
\]
となっていることが判明したのです。
さて、ここで話を違う方面に振ることにします。何となく無理矢理っぽい方法で$\sin x$を無限積で表し、その展開式の一部の項を取り出すことに成功しましたが、$\sin x$はテイラー\footnote{ブルック・テイラー(1685--1731):イギリスの数学者。}展開すると
\[
\sin x = x-\frac{x^3}{3!}+\frac{x^5}{5!}-\frac{x^7}{7!}+\frac{x^9}{9!}-\cdots
\]
になることが知られています。さっきは$\sin x$の無限積の展開で
\[
\sin x = x-\frac{x^3}{\pi^2}\left(\frac{1}{1^2}+\frac{1}{2^2}+\frac{1}{3^2}+\frac{1}{4^2}+\cdots\right)+x^5(何がし)+\cdots
\]
を求めたのでしたね。どちらも$\sin x$を表す多項式なので、$x^3$の項は一致しているはずです。つまり
\[
-\frac{x^3}{3!} = -\frac{x^3}{\pi^2}\left(\frac{1}{1^2}+\frac{1}{2^2}+\frac{1}{3^2}+\frac{1}{4^2}+\cdots\right)
\]
ということなので、両辺に$-\dfrac{\pi^2}{x^3}$を掛ければ$\dots$、ジャーン!
\[
\frac{\pi^2}{6} = \frac{1}{1^2}+\frac{1}{2^2}+\frac{1}{3^2}+\frac{1}{4^2}+\cdots
\]
が分かりました。
\end{document}