% 第3の符号
\documentclass[dvipdfmx]{jsarticle}
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\def\baselinestretch{1.33}
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\begin{document}
\section*{◆第$3$の符号◆}
(「$(負)\times(負) = (正)$である単純でも奥が深い理由」からの続き)
虚数という「数」についてのもっとも素朴な疑問は、本当にそんな数が存在しているのかということでしょう。多くの人が$1$, $2$, $3$, $\dots$と続く\textbf{現実の}数に対して、虚数は想像上の産物であると考えています。
違うんですよ。すでに$1$, $2$, $3$, $\dots$から想像上の、言い換えれば思考の産物なんですから。現実の数には必ず$1$\,個, $2$\,個, $3$\,個, $\dots$や$1$\,m, $2$\,m, $3$\,m, $\dots$のように「単位」がついているものです。単位のない数は現実から離れた思考上の数ですが、同時に現実世界にも深く関わっている数なのです。
では、虚数はどうでしょう。実は虚数も現実から離れた思考上の数ですが、同時に現実世界にも深く関わっている数なのです。あまりよいたとえではありませんが、虚数とは次のようなとらえ方をすればよいでしょう。
私たちは「水」を色々な場面で様々な用途に使っています。実数を計算や測量に使っているようにです。でも、水は水素分子と酸素分子からできていますが私たちはそれを意識することはありません。そのことを意識するとき、水は科学の一段高い視点から見られていることになるでしょう。
実数だけを扱っていればそこに虚数を意識することはありません。でも実数は虚数の(正しくは複素数の)一面を見ているに過ぎないのです。私たちが虚数を意識するとき、実数は数学の一段高い視点から見られていることになるでしょう。
前置きが長くなりました。虚数について話しましょう。
$(負)\times(負) = (正)$であることは周知のことと思います(「$(負)\times(負) = (正)$である単純でも奥が深い理由」参照)。この約束によって正の数どうしの掛け算や負の数どうしの掛け算の答は正の数になり、正の数と負の数の掛け算の答は負の数になります。まとめて言えば
\[
\begin{array}{lcl}
同符号の数の積 & \to & (正) \\
異符号の数の積 & \to & (負)
\end{array}
\]
ということですね。だから方程式
\[
x^2 = 9
\]
の解が$x = \pm3$であることは分かるでしょう。$x^2$とは同じ数どうし(もちろん符号も同じどうし)を掛けることなので、$+3$どうしを掛けても$-3$どうしを掛けてもちゃんと$+9$になります。このようなことから$x^2$は$x$が正の数であっても負の数であっても必ず$x^2 > 0$となります。唯一$x = 0$のときだけが$x^2 = 0$になります。
すると方程式
\begin{equation}
x^2 = -9 \label{houteisiki}
\end{equation}
には解がありません。$2$乗して負の数になることはないからです。本当にそうでしょうか。
私たちは$(負)\times(負) = (正)$にしようと\textbf{決めた}のです。そしてこの約束によって、日常生活の中に例を探すことが困難な$(負)\times(負)$の計算さえ自由にできるようになりました。おかげで数学の守備範囲が大きく広がりました。ならば$(?)\times(?) = (負)$になるような符号を考えてもいいんじゃないでしょうか。そうすれば(\ref{houteisiki})の方程式にも解が存在し、数学の世界がさらに広がるかもしれません。でも、考えておかなければならないことがあります。新しい考えを導入したとき、いままでの数学に矛盾がでないようにすることです。そうでなければ新しい考えを導入することは無意味になってしまいます。
そこで\textbf{かりに}$(?)\times(?) = (負)$となる「符号」として$i$という\textbf{文字}を導入しましょう\footnote{仮想(imaginary)の頭文字をとっています。}。現在私たちは、正の数の基本単位として$+1$を、負の数の基本単位として$-1$を使っていますが、新しい「符号」を用いた$i1$を文字式を表記するときの習慣---文字の前に数を書き、$1$は省略する---にしたがって、単に$i$で表します。そしてこの$i$を「虚数\textbf{単位}」と呼びましょう。重箱の隅をつつくようで恐縮ですが、$i$は「虚\textbf{数}」ではなく虚数単位なんです。そしてこの単位をもとにして$3i$、$\displaystyle \frac{5}{8}i$、$-2i$などの虚数が作られるのです。
虚数$i$($1i$という虚数)は正の数でも負の数でもありません。かりに
\[
i > 0
\]
とすると、両辺に$i$を掛けたとき
\[
i\times i > 0\times i
\]
となります。$i$はさっきの約束から$2$乗すると$-1$です。また、$0$には何を掛けても$0$になるという約束があります。すなわちこの式は
\[
-1 > 0
\]
となってしまい、私たちの常識からはずれてしまいました。つまり$i > 0$ではありません。
では$i < 0$と仮定してみます。
\[
i < 0
\]
ということですね。この両辺に$i$を掛けましょう。いまの仮定で$i$は負の数ということなので、不等式に負の数を掛けたら不等号の向きを逆にする約束にしたがって
\[
i\times i > 0\times i
\]
となります。やはり
\[
-1 > 0
\]
となってしまいました。$i < 0$でもないことが分かりました。この点では$i$は正でも負でもない\textbf{第$3$の符号}と言ってもよいかもしれません。
と同時に$i$を用いて不等式を扱えないこともわかりました。矛盾を生じてしまうからです。このことは虚数に大小の関係を持ち込むことができないことを意味します。私たちは正の符号と負の符号を用いて大小の関係を表すことをしますが、大小を表せないという点で$i$を符号の仲間に入れるのは気が引けます。
そこでちょっと面白いことを考えつきました。$i$自体は大小関係を表すために使えないわけですから、符号としての役目を持たせられません。ならば$+$, $-$の符号と組み合わせて$+i$, $-i$を符号のように扱ってみましょう。$i\times i = -1$であることを考えながらまとめると
\begin{eqnarray*}
(+)\times(+) &=& (+) \\
(-)\times(-) &=& (+) \\
(+)\times(-) &=& (-) \\
(-)\times(+) &=& (-) \\
(+i)\times(+i) &=& (-) \\
(-i)\times(-i) &=& (-) \\
(+i)\times(-i) &=& (+) \\
(-i)\times(+i) &=& (+)
\end{eqnarray*}
となります。実数の世界では
\[
\begin{array}{lcl}
同符号の数の積 & \to & (+) \\
異符号の数の積 & \to & (-)
\end{array}
\]
となるのに対して、虚数の世界では
\[
\begin{array}{lcl}
同符号の数の積 & \to & (-) \\
異符号の数の積 & \to & (+)
\end{array}
\]
となっているのが分かると思います。
さあ、ますます謎を含んだ世界が広がってきました。先ほど、水が水素分子と酸素分子からできている関係を話題にしました。実数は虚数とどんな関わりがあるのでしょうか。
また、私たちは水を作っている水素分子と酸素分子でさえ、そのもととなる原子から成っていることを知っています。では、たったいま登場した第$3$の符号としての虚数を作り出す新たな符号は何でしょうか。すなわち
\[
(?)\times(?) = i
\]
となる符号です。
実はこれらの疑問に的確に答えてくれたのが、偉大な数学者ガウス\footnote{カール・フリードリヒ・ガウス(1777--1855):ドイツのブラウンシュバイク生まれ。「代数学の基本定理」の証明・曲面論・関数論・級数論をはじめ、天文学・力学・電磁気学など業績は多岐にわたる。} なのです。そして私たちが自然な感覚で$(負)\times(負) = (正)$に決めたことが間違っていなかったことも示してくれました。
ガウスのアイデアはこうです。まず実数に数直線があるように、虚数にも数直線並みの方向を与えました。
\vspace{10pt}
\begin{center}
\begin{tikzpicture}
\draw (-5, 0) -- (5, 0);
\draw (0, 0.1) -- (0, -0.1) node[below] {$0$};
\foreach \x in {-3, -2, -1, 1, 2, 3} \draw (\x, 0.1) -- (\x, -0.1) node[below] {$\x i$};
\foreach \x in {-4, 4} \draw (\x, 0.1) -- (\x, -0.1) node[below] {$\dots$};
\end{tikzpicture}
\end{center}
しかしこの方向性は虚数の大小を表すものではありません。さっきの説明のように虚数には大小関係を定義できないからです。そして次に、ここで作った直線を、実数直線の$0$と虚数直線の$0$が一点で交わるように直交させたのです。そうすると一つの平面ができあがります\footnote{実数(Real number)軸を$\Re$、虚数(Imaginary number)軸を$\Im$で表しています。}。
\begin{center}
\begin{tikzpicture}[scale=0.8]
\draw (-5, 0) -- (5, 0) node[right] {$\Re$};
\foreach \x in {-4, -3, -2, -1, 1, 2, 3, 4} \draw (\x, 0.1) -- (\x, -0.1) node[below] {$\x$};
\draw (0, -5) -- (0, 5) node[above] {$\Im$};
\foreach \y in {-4, -3, -2, -1, 1, 2, 3, 4} \draw (0.1, \y) -- (-0.1, \y) node[left] {$\y i$};
\node[below left] (0, 0) {$O$};
\end{tikzpicture}
\end{center}
この平面上において、実数と虚数の組みで表されるすべての点が「数」なのです。つまりガウスの目には、数とは直線上に並ぶものではなく平面上に広がるものだと映っていたのです。($\Rightarrow$続きは「存在感ありありの虚数」にて。)
\end{document}