% 分かりやすく教えてください—無理!
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\markright{tmt's Math Page}
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\begin{document}
\section*{▼分かりやすく教えてください---無理!▼}
数学は、どこかにつまづいている箇所があると理解するのが困難になるものだ。自分一人で悪戦苦闘して何とかなればまだマシで、大抵は``詰んで''しまうのものである。そうすると誰かに教えてもらいたくなるのだが、このとき
\begin{center}
\bfseries できるだけ分かりやすく教えてほしい
\end{center}
と思うのは人情である。そりゃ、そうだ。分かりにくく教えてもらっても意味ないわけだから。
じゃあ、分かりやすく教えるってどういうことだろう。数学の定理だとか問題とかについて、その証明やら解答を見たとき、必ずしも分かりやすいことばかりではない。それは、紙面の関係もあるだろうし、簡潔に端折(はしょ)って書いてあることも多いからだ。たとえば証明や解答において、$4$行目から$5$行目に移るときに、なぜそうなるかまったく分からないとしよう。そんなときは、いろいろ考えたり教科書を見返したりして、頑張って理解に努めようとは$\dots$たぶん、しない。諦めるか、誰かに聞くだろう。で、誰かに「分かりやくす教えてください」と言うのだ。
その結果、説明を聞いて分かったとしよう。説明した人の教え方が上手だったのだろうか? 説明を聞いても分からなかったとしたら、説明が下手だったのだろうか? たしかに、そういう部分もあるだろう。でも、それは些細なことに過ぎない。説明を聞いて分かったとしたら、それは
\begin{center}
\bfseries はじめから知っていたことを説明されたから、聞いて分かりやすかった
\end{center}
のである。説明を聞いても理解できなかったとしたら、それは
\begin{center}
\bfseries 知識や理解が不足してることを説明されたから、聞いても分からなかった
\end{center}
のである。何のことはない。分かりやすく教えてもらいたければ、教えてもらうことを知っている必要があるのだ。
こう言うと「知っていることは、わざわざ教えてもらわないだろう」と思うかもしれない。でも、そうではない。さっきの例で、なぜ$4$行目から$5$行目になるかの説明を聞いて理解するには、そうなる理屈が分からなければならない。聞いたこともない理屈なら理解できないからだ。あなたが分からなかったのは、``理屈自体''ではなく、そこに``その理屈が当てはまること''なのである。
だから、「``ここ''が分からないので教えてほしい」と言われても、知識が乏しい人にはどんな説明をしても伝わらないものだ。そして、``そこ''が分かっている人だったら、丁寧に説明すればよく分かるものなのだ。
で、結論は何かというと、分からないところを教えてもらって「分かった」としても「分からなかった」としても、教えてもらった人には``何の勉強にもなってない''ってことである。分からなかった人はそうかもしれないけど、分かったのなら勉強になったんじゃないの? いいえ、なってません。だって、すでに知ってた理屈を確認しただけだもんね。``その理屈が当てはまること''が自分で見つけられるようになって、はじめて勉強になるのである。教えてもらっただけでは、いつまでたっても``理屈を当てはめる''能力は高まらない。歌を聴いてるだけでは上手くならない。歌う練習をして上手くなるのだ。
分かりやすく教えてもらえばできるようになると思ったら大間違いなのである。教える側からすれば、分かってもらってもできるようにすることは無理だし、知識不足ならそもそも分かってもらうことが無理なのである。何事も、見たり聞いたりして分かることと、自分一人でやってできることは別物なのだ。
\end{document}