% 浮世離れの数学用語

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\section*{▼浮世離れの数学用語▼}

大体において数学用語というものは日常的ではない。いや、現代的ではないと言う方が的を射てるかもしれない。数学の問題に対する模範解答を見ると、いたるところに「ゆえに」などという古めかしい言葉が使われている。そもそも問題文からして「何々せよ。」などと高圧的だったりする。こんな些細なことから数学が嫌いになる人だっているだろう。もちろん数学をやる立場からは、統一的な言い回しが大事であるとか、簡潔な言葉づかいであるほうが望ましいとか、いろいろな理由があるものだ。だから、必ずしもこれらの言葉づかいがいけないわけではない。むしろ、専門用語と割り切れば、日常的でないほうが誤解を生まないのでよいと思われる。

ところが、中には明らかに日常の言葉なのに、日常と違う感覚で使われる用語もある。たとえば、
\begin{center}
$\displaystyle \frac{n^2+1}{2}$は適当な$n$のとき整数になる
\end{center}
なんて文章がそれにあたる。本当にテキトーに$n$を決めたら整数にならない場合がでてくる。ここで言う\textbf{適当}は``適切''の意味で使われている。つまり、``適切に奇数を選べば''整数になると主張しているのだ。

ユニークな使われ方をする用語もある。\textbf{ユニーク}である。
\begin{center}
与えられた方程式はユニークな解をもつ
\end{center}
といったら、何だか珍しい独特な解がでるものと期待してしまう。だが、実際は``唯一の''解をもつと言っているに過ぎない。

他にもある。命題に関わるもので「\textbf{必要条件}」「\textbf{十分条件}」と呼ばれる用語がある。これは次のように使われる。
\begin{eqnarray*}
x > 0~は~x > 1~であるための必要条件である \\
x > 1~は~x > 0~であるための十分条件である
\end{eqnarray*}

これって逆じゃない? $x > 1$であるためには、$x > 0$であると言っておくのが十分な言い方じゃないの? だって、$x > 0$と言うほうが十分多くの範囲を含んでいるじゃない。したがって、$x > 0$であるためには、少なくとも$x > 1$と言うことが必要だろう。日常的な言葉づかいでは、$「十分」+「多い」$、$「少なくとも」+「必要」$と組み合わせて使われるから、この感覚は決しておかしくないかもしれない。

しかし、数学用語では必要条件と十分条件が言わんとするのは次のことである。
\begin{eqnarray*}
x > 0~という主張は~x > 1~であると主張するために、とりあえず必要である \\
x > 1~という主張は~x > 0~であると主張するまでもなく、これで十分である
\end{eqnarray*}

実は、この感覚も日常的におかしいわけではない。たとえば$1$万円より多めにお金を借りたいとしよう。いきなり金額を伝えてお金を借りようとするのがはばかられるなら、まず「お金貸してくれない?($x > 0$という主張)」と言ってから「$1$万ちょいでいいんだけど($x > 1$という主張)」と言うだろう。つまり、「お金貸してくれない?」は「$1$万ちょいでいいんだけど」の前振りとして必要なことだ。一方、何の恥じらいもなく「$1$万ちょっと貸してくれない?($x > 1$という主張)」と言うことができるなら、それで十分な主張になっている。

どうしてこんな混乱が起こるのだろう。私が思うに、一つの用語が一般の言葉と数学用語に使われるからだ。言葉というのは生き物である。時代や流行で意味や使い方が変わるものだ。はじめの例の「適当」。おそらく数学用語にこれを使い始めた時代は、世間でも「適切」の意味で使っていたのだろう。数学用語は首尾一貫して「適切」の意味で使っていても、次第に世間では「テキトー」の意味に変化したものと思われる。ユニークもそうだ。ある人に対する唯一の性質や性格を言い表していたとしても、そういう性質は結局は独特なのである。数学で言う「唯一」が世間では「独特・独創的」となってもやむを得まい。

では、必要条件・十分条件はどうか。これは思ったより意味の変化があったわけではなさそうだ。それよりも、組み合わせて使う言葉に問題があるかもしれない。おそらく習慣として
\begin{center}
$p$は$q$であるための(\qquad )条件
\end{center}
という簡潔な、そしていずれの条件にも使える表現が混乱のもとなのだろう。ここは少々やぼったくても
\begin{center}
$p$という主張は$q$であると主張する\textbf{ために、とりあえず必要}である
\end{center}
および
\begin{center}
$p$という主張は$q$であると主張する\textbf{までもなく、これで十分}である
\end{center}
と使い分けるほうがよいかもしれない。

そうすれば、いつでも必ず間違いなく条件を区別できるとは言わないが、少なくとも次のようなものには有効だろう。(\qquad )内は「ために、$\dots$」と「までもなく、$\dots$」のどちらが続くかは明白である。
\begin{center}
正方形という主張は平行四辺形であると主張する(\hspace{10em})である
\end{center}

しかしながら、おそらく特効薬めいた方法はないだろう。なにしろ言葉は生き物だ。もしかしたら、数学用語と世間の感覚が再び一致する時代がくるかもしれない。数学用語が浮世離れしたのではなく、世間の感覚が数学感覚---つまり本来の意味---から離れているわけだから。

\end{document}