% 数字が語る始めと終わり

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\section*{▼数字が語る始めと終わり▼}

だいぶかび臭い話だが、「新千年紀や新世紀の始まりがいつからか」という話題が$1999$年末に持ち上がった。もちろん$2001$年が新千年紀の始まりであり、新世紀の始まりでもある。別にローマ法王の公式見解にならったわけではない。数学の話題に照らしてもこれが妥当なのだ。

$2000$年から新千年紀や新世紀と考える者は、$1000$年〜$1999$年もしくは$1900$年〜$1999$年を一つのかたまりと見ているのだろう。根拠は、それらのかたまりはすべて``$1$xxx''もしくは``$19$xx''で表すことができるからに他ならない。そして桁が変化することが新しいことだと考えている。しかし、それらは千年紀でも世紀でもない。千台と千九百台である。

蛇には頭と尻尾(しっぽ)があるが、おそらくどんな人でも頭と尻尾を間違いなく指摘できるに違いない。何も蛇に限らないが、ほとんどの動物は鼻の頭が先端で、尻尾の先が最後尾である。肝心なことは、鼻の頭と尻尾の先が「それ」と分かることである。当然、新千年紀や新世紀に始まりがあれば終わりもあるだろう。そして、肝心なのは始まりと終わりが「それ」と分からなくてはいけない。

私たちが使う数``字''は$0$,~$1$, $2$, $3$, $4$, $5$, $6$, $7$, $8$,~$9$である。数字だけで数を表した場合、それはやはり$0$,~$1$, $2$, $3$, $4$, $5$, $6$, $7$, $8$,~$9$であり、困ったことに
\[
0 < 1 < 2 < 3 < 4 < 5 < 6 < 7 < 8 < 9
\]
の順に大きくなっている。$2000$年を新千年紀とする者に勇気を与える順番だ。

では質問だ。「$1777$年は何世紀の終わりか?」。こう聞けば「$1777$年は何世紀の終わりでもない。なぜなら次に$1778$年が来るではないか」と答えるだろう。残念だが違う。$1777$年は$20$世紀の終わりである。なぜなら、$8$進数で数えているからである。何? ずるい? そんなことはないだろう。私たちはたまたま$10$進数を使っているが、$8$進数や$16$進数を使って悪いことはない。

つまりこれが私の見解である。一般には$10$進法を使うが、数学では何進法が使われてもかまわない。しかし$1777$だけを見たのでは、何進法かは分からない。分かるのは$8$進法より高次であることだけだ。もちろんそのために$1777_{(8)}$などと書いて、$8$進法であることを明示するのが常ではある。だが、$8$進法では$1777$が尻尾でも、$16$進法では$1$FFFが尻尾なのだ。これでは尻尾が「それ」と分からない。

しかし何進法でも尻尾が「それ」と分かる\textbf{数字}がある。$0$だ。つまり$8$進法では$1777$の次は$2000$だし、$16$進法では$1$FFFの次は$2000$である。そして、その次はどちらも$2001$である。どうかな? 始まりは``xx$01$''、終わりは``xx$00$''。これならどんなときでも、始まりと終わりが「それ」と分かるじゃないか。

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