% 数学者の頭の中ってたぶん...

\documentclass{jsarticle}
\pagestyle{myheadings}
\markright{tmt's Math Page}
\renewcommand\baselinestretch{1.33}

\begin{document}

\section*{▼数学者の頭の中ってたぶん$\dots$▼}

数学者の頭の中が我々凡人と違うだろうということは誰にでも想像できるだろう。でも、どのように違うかというと、そこはもういくつかの事例を参考に想像するしかない。でも確実に言えるのは、数学者の頭の中は数学専用に最適化されているということだ。

たとえばレーシングカーは、早く走ることに必要ない機能は持っていない。単に邪魔だからだ。同じく、数学者も数学に関係ない思考はしないのだろう。単に無駄だからだ。聞くところによるとポール・エルデシュ\footnote{ハンガリーの数学者(1913--1996):$20$世紀でもっとも多く論文を書いた数学者と言われる。数論、組合せ論、グラフ理論などで業績。}は数学の才能は頭抜けていたものの、簡単なお釣りの計算などは苦手だったらしい。ほんまかいなと思うが、お釣りの計算能力は数学思考には無駄だったのだろう。

ポール・エルデシュに限らず、数学者はときにやらかす。モンティ・ホール問題\footnote{このサイトでは「Numerical Magic/3枚の扉」として掲載している。}では、当初、問題の解答・解釈が主に二通りあって論争になったという。結局、原因は『問題の数学定義が曖昧(あいまい)だったことに尽きる』のだが、現在では統一した問題・解釈がされていて、唯一の正しい解答が得られている。

なんで二通りの解釈がされて論争になったかといえば、モンティ・ホール問題が『算数的なひっかけ問題』だったからだろう。たしかに正解は直感に反するが、ちゃんと考えれば---確率の初歩的理解があれば---合点がいくものである。しかし数学者は、確率の初歩的な理解なんて脳みその片隅に追いやっているから、直感に従って間違った解釈をしてしまったのだろう。要するに、お釣りの計算能力同様、どうでもいい問題だったのである。

さて、現代の我々は、凡人であっても確率の初歩的理解は数学的思考の中心なので、一度はモンティ・ホール問題に引っかかっても、最終的には正しい理解に辿(たど)り着くものだ。ところが、そうならない人たちもいる。

よく見かけるのが『解釈の違いで異なる確率になる』というものだ。あのですね、このような理解は当初の数学者が勘違いしたことで、いまでは勘違いが起こらないような表現でモンティ・ホール問題が語られているのですよ。だから当然、正解は一通りである。なのに、なぜか持論を曲げないのだ。

数学者の頭の中なら、数学に関係ない無駄を極力省いた結果、単に引っかかっただけと思える。でも、このような持論を曲げない人たちの頭の中はどうなんだ? なんか肝心ことを省いてしまってないだろうか? それとも、数学者でさえ間違うのだから本当は難しい問題で、(自論を曲げない)私たちこそ数学を理解していると思ってるのだろうか?

ま、どうでもいいか。人それぞれ拘(こだわ)りはあるし、何かに執着するのは人間の性(さが)というものだ。負の数の扱いでさえ、数学者の間で自論を曲げない時代が長く続いていたというじゃないか。でも、そういうことの積み重ねで現代の数学が整備されてきたのだ。数学者の頭の中を妙な問題で汚染してはいけない。

\end{document}