% その読み替えってどうなの?
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\section*{▼その読み替えってどうなの?▼}
正確さの宣伝文句として「誤差は$10$万年に$1$秒!!」みたいに言うことがある。電波時計がまさにそうで、実際それぐらいの誤差しかないのだろう。$10$万年に$1$秒というのは$1$秒の十万年分の一だから
\[
1/(100000\times365\times24\times60\times60)~(秒)
\]
だけの誤差で、だいたい$3.17\times10^{-13}$秒である。つまり、時計が$1$秒を刻むたびに、$3.17\times10^{-13}$秒ずつのズレが生じているのに相当する。で、これってどれくらいの時間?
光ですら腕時計から$50$cm先の目に到達するのに$1.67\times10^{-9}$秒``も''かかる。いま話題にしている誤差の約$5{,}000$倍だ。そう考えると、たった$3.17\times10^{-13}$秒の誤差に意味があるのだろうか。いかに時計が正確でも、私たちが目にする時間は、真の時間よりわずかながら過去なわけだし。
といった具合に、妙な計算をして頭を混乱させるよりは、親しみやすい表現にするほうがよいに決まっている。しかし、真意を取り違えてはいけない。$10$万年に$1$秒だって! そんなに長生きしないって。だいいち、時計が$10$万年も保つもんか。いずれも誤った反応だ。$10$万年に$1$秒というのは、$10$万年先のことを言っているのではないからだ。ここから伝わるのは、自分の生活空間/時間の中では「誤差を無視できる」と確信できることだけである。
似た例で「世界のどこかで$1$分間に△△人が★★の犠牲になっている!!」みたいな言い方もある。これも実際には、年間の犠牲者が△△人であることを、$1$分あたりの人数に換算して伝えている。たしかに、こう言った方がインパクトが強い。カップラーメンが出来上がるのを待つ間にも、ああ今頃どこかで誰かが犠牲になっているんだ、という気持ちになれる。ラーメンをすすってる場合じゃないな。でも、間違ってはいけない。犠牲者はベルトコンベアに乗っているわけではないのだ。時計の針が動くように、正確に犠牲者が出るわけではない。けれど、事の重大さを伝える方法としては効果が高い。
この表現が効果的なのは、時間が有限であることが最大の理由だ。$1$年は$525{,}600$分である。ということは、年間$50$万件程度の何かが起これば、それは$1$分に$1$件の割合で起こることになる。一年間に$50$万台の自動車が売れれば、$1$分に$1$台の自動車が売れる計算だ。$1$分に$1$台だって! いったい、いつ契約書を書いているんだ? ほらね、けっこう大げさなことになるでしょ。
$50$万件は非常に大きな数だろうが、しかし世界の人口から見れば$0.01$\%にも満たない。割合で考えると、今度は非常に小さな値に見える。あのメーカーの自動車のシェアが$0.01$\%だって? 驚くほど低い。そりゃそうだ。(自動車の所有者に対するシェアでなく)人口に対するシェアを計算したんだから。もっとも、その計算はシェアとは呼べないけど。
また、逆の例もある。「あなたは生涯で▲▲もの損失を出している!!」みたいなものだ。もし、$1$日あたり本当に$10$円の損失があったとして、月に$300$円程度の損失ってどうなんだろう。多くの人にとって許せる額であっても、それが年間$3{,}600$円、$10$年で$3$万$6$千円、生涯---$50$年としよう---で$18$万円となれば穏やかでない。$18$万円の損失か。たしかにデカイぞ。じゃあ、あなたは$1$日あたり$10$円の損失を$0$にすることが本当に幸せなの?
世の中には、大げさに見せたい立場の人もいれば、取るに足らないものに見せたい立場の人もいる。数字と表現の仕方で、それはどうにでもできる。数字は鵜呑みにするものではないのだ。
でもね。数字を鵜呑みにする経営陣ってのは案外多くいるもんだ。「この製品はまだ$1$\%の人々しか使っていない。シェア拡大の余地は$99$\%もあるじゃないか。われわれも参入しよう!」その製品がスマートデバイスのようなものならいいけど、``うさぎリンゴくり抜き器''みたいなものだったらどうかな。
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