% その式は納得できません

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\section*{▼その式は納得できません▼}

数学の勉強は大変だよね。一向に理解が進まないとか、問題が解けないとか、目の前には困難が山積みだ。一人で黙々と勉強しているときそんな場所にたどり着くと、とりあえず理解に努めようとするけれど、ストンと腑に落ちることは滅多にない。どうにも手に負えないときは、あきらめて別のことをやり始めるかもしれない。

でも、他人から説明を受けているときは違う感覚になることがあるかもしれない。何らかの式や図で説明されて相手の言うことに間違いはなさそうなのに、何だか言いくるめられているように感じるときだ。たとえばベクトルにおいて
\begin{center}
$\uparrow$から$\rightarrow$を引くと$\nwarrow$になる\qquad(何でその向きなの?)
\end{center}
であったり、行列式において
\[
k\left|\matrix{a & b \cr c & d}\right| = \left|\matrix{ka & b \cr kc & d}\right|\qquad(何で全部k倍じゃないの?)
\]
であったり、もっとも多く目にする等式
\[
1 = 0.999\dots\qquad(いつまでも9が続くのに等しいの?)
\]
であったり、などなど枚挙にいとまがない。

説明している方は納得済みのことなのでそれを整然と述べているに過ぎないが、聞いている方はそうではない。その結果、どこをどう``説明し直して''もらっても納得できないのである。

どこをどう説明し直してもらっても納得できないのには理由がある。説明し直された部分は納得済みだからだ。納得しなければならないところはそこじゃない。別の、``見えない部分''だ。

たとえばベクトルの例。説明はおそらく、引くベクトルを逆向きにしてもう一つのベクトルと合わせることだろう。聞いている方は、逆向きも合わせることも納得できるに違いない。にも関わらず「でも$\dots$」と感じるなら、別のところに引っ掛かりがあるのだ。それは、ベクトルの和が平行四辺形の対角線になることかもしれない。もしそうなら「そこ」こそ納得すべき場所だ。ベクトルの和の根本が納得できないなら$\uparrow$と$\rightarrow$の差は納得できない。

たとえば行列式の例。説明はおそらく、行列式の定義に従って両辺とも同じになることを示すだろう。聞いている方は、定義に従う式変形は納得できるに違いない。にも関わらず納得できないなら、$k(a+b) = ka+kb$を強く意識し過ぎているせいかもしれない。もしそうなら式の展開との「違い」こそ納得すべき場所だ。分配則の何たるかが納得できないなら行列式の関係は納得できない。

たとえば$1 = 0.999\dots$の例。説明はおそらく、$x = 0.999\dots$とおいて$10x-x = 9$を示すだろう。聞いている方は、方程式を解く手順全てを納得できるに違いない。にも関わらず納得できないなら、無限に続いている状態が``静止''している$1$と異なると考えているためかもしれない。もしそうなら「無限」こそ納得すべき場所だ。無限の概念が納得できないなら$1 = 0.999\dots$は納得できない。

つらつらと$3$個も例を述べたけれど、何を言っても納得できないのは、誰のせいでもない。納得できない人の世界観が数学の世界観になっていないからだ。

急に話は変わるが、もし、あなたが誰かから被害を被り損害賠償の裁判を起こした結果、数十万円の賠償金を受け取ることで結審したとしよう。おそらくあなたは、その結果に納得できない可能性が高いはずだ。裁判というものは、あなたの価値観で話が進むのではなく、第三者の目と過去の判例で決着するものである。裁判はあなたの世界観とは異なるのだ。あなたや加害者が裁判の結果に納得ができるとすれば、それはあなたや加害者が裁判の世界観と一致していなくてはならない。そんなんことは滅多にないだろう。

数学にどっぷり漬かっていない人は、数学の世界観に一致することはないものである。だから、あなたが数学に縁遠い人であれば、数学漬けになっている人から数学の何かを聞いて納得するのは難しい。納得するためには同じ世界観を持つ必要があるからだが、その場所に行くのは簡単ではない。逆のことを言えば、数学に蘊蓄(うんちく)がない人ほど数学に縁遠い人に数学の何かを納得させやすい。世界観が近いからだ。(数学などの)質問サイトで、質問者が頓珍漢な回答を最良の回答に選ぶのを時々みかけるのは、そういうことだろう。

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