% 正々堂々の矛盾

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\section*{▼正々堂々の矛盾▼}

矛盾という言葉は中国の故事で、『この矛(ほこ)はどんな盾(たて)でも突き破ることができるよ。で、こっちの盾はどんな矛でも突き破れないよ』などと言ってる商人が、『じゃあ、その矛でその盾を突いたらどうなるのだ?』と問われて窮したことに由来するという。たしかに商人が言う仮定からは真っ当な結論は導けない。つまり、商人の言説は正しくないのだ。

数学の証明でも、矛盾を指摘して言明が正しいことを示す方法がある。たとえば『$\sqrt{2}$が無理数である』ことを証明するには、『$\sqrt{2}$が有理数である』と仮定すると矛盾が生じることを示す。つまり、『$\sqrt{2}$が有理数である』という言明は正しくないと示すことで、『$\sqrt{2}$が無理数である』ことが正しいと言うのだ。

数学の世界では、矛盾は排除されるものである。しかし、現実の世界では矛盾していることが罷(まか)り通るように見える。世間には、卑怯(ひきょう)なことや不正なことをする輩(やから)は多くいるが、そういう輩に対して
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『卑怯な真似はやめて、正々堂々勝負しろ』
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と言うことは至極(しごく)真っ当なことだと思われる。本当にそうだろうか?

私は卑怯者の肩を持つつもりはないが、そういうことをする人たちは彼らなりの理由があるはずだ。要するに、まともにやったら勝負にならないからだ。誰だって、まともにやって勝てるならそうしてるって! だけど、どうしても勝ちたければ少々道を外れることをしたくなるでしょ? でも結局『正々堂々勝負しろ』と言われて引き下がっちゃうんだよね。

ここ、矛盾が含まれてると思わない? なぜって、『正々堂々勝負しろ』と言う側にも理由があるからだ。おそらく、卑怯な手や不正を働く相手に手を焼いているはずだ。そうでなければ、相手が何をしようと打ち負かせるはずだからね。だから『正々堂々$\dots$』と言って、\textgt{自分が必ず勝てる}土俵で勝負したいのだ。卑怯だねー。

表面だけ見れば、道を外れることをする者は卑怯者にしか見えないし、『正々堂々$\dots$』と言う側に正義があるように思える。でも正々堂々の状態にしたら、卑怯者は丸腰状態、正々堂々側は矛と盾の両方を持ってる状態になるんだよね。どっちが卑怯なんだか。ちょっとした矛盾があると思わない?

法に従えば非は卑怯者にあることは明白なので、なんとか頑張って卑怯者を押し退(の)ければよいのだ。だけど勝負の\textgt{途中で}『正々堂々$\dots$』なんて言い出したら、自分が必ず勝てる土俵に上げようとしている卑怯者になるだけである。真っ当なことを言うにしても、言うタイミングってのは重要だ。機を逃したり間違えたりして、かえって自らを不利な状況に追い込むことは多いものである。

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