% 数学が苦手な人には...

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\section*{▼数学が苦手な人には$\dots$▼}

数学ができる人は、数学が苦手な人にどう接しているだろうか。と言っても、普段の生活の中のことではない。普通の生活では数学の得手・不得手はほぼ問題にならないからだ。ここでの話は、まあ、教育現場で数学の課題に手を焼いている人に、数学ができる人が助言を与えるような場合だ。

たとえば「この問題が分からないので教えてください」みたいなことを言われたとしよう。こういうときは大体、基礎的な問題であることが多いのが常である。すると聞かれた方は
\begin{enumerate}
\item[\textbf{松)}] これは△△を使う問題だね。△△はこういうことだから、ああしてこうすれば答は〇〇になるね。
\item[\textbf{竹)}] どれどれ。(暗算をして)答は〇〇だね。
\item[\textbf{梅)}] 教科書の例題を見れば解けるだろう。同じようにやりなさい。
\end{enumerate}
みたいな対応に分かれるかもしれない。あなたが「数学得意さん」だったらどうします?

\textbf{松}対応は親切でよいと思えるし、\textbf{梅}対応は冷たい感じがするね。でも、そうなんだろうか。

質問する側は何を望んでいるのだろう。もし彼女または彼が、数学は絶望的にできないし嫌いだし、でもこの問題は宿題かなんかでやらなくちゃならないのなら、\textbf{竹}対応で苦しみから解放してあげるのがよいのではないか? もし、数学は苦手なんだけど、受験かなんかで自分でできるようになりたいと思っているなら、\textbf{松}対応で理解させるのがよいのではないか? もし、問題は自力で解きたいけど、取っ掛かりが知りたいと考えているなら、\textbf{梅}対応で自ら解かせるのがよいのではないか?

うーむ。どれも正解でもあり不正解でもある、かな。数学の問題の解答を聞く人は$2$種類に大別されると思う。一方は数学を捨てた人で、もう一方は数学を捨ててない人だ。数学を捨てた人は答だけを知りたいんだ。要するに、いまの困難さえ乗り切れれば理屈なんて関係ないって人。そんな人に解法がどうの、例題を参考にしろだの言っても、それは馬の耳に念仏でしかない。短時間で答のみ教えてあげるのが親切ってものだろう。

数学を捨ててない人には、その人の状況に応じて\textbf{松}対応か\textbf{梅}対応をすればよい。丁寧に教えることは大事なことだからね。だよね。もし、そう思って親切に教えているなら、それは単に数学得意さんの自己満足に過ぎない。\textbf{松竹梅}のどれも根本的な解決になってないからだ。

数学が苦手な人には、ある特徴があるように思う。例を挙げるなら、
\begin{enumerate}
\item {\bfseries 定義・定理をきちんと覚えない、または理解していない。} \\
このことから、条件を無視して定理を使ったり、自分勝手に定理を拡大解釈して使ったりしてしまう。
\item {\bfseries 何でも公式や解法の型で解決しようとする。} \\
このことから、図を描いたり具体的な数値で試したりする発想が浮かばず、すぐ暗礁に乗り上げてしまう。
\item {\bfseries 具体例(特殊例)を試しても推論(一般例)をしない。} \\
このことから、特殊例だけが無駄に積み上がり、道筋を見えなくしてしまう。
\item {\bfseries 問題集を何周も繰り返して身につけようとする。} \\
このことから、問題の骨格(解法の仕組み)ではなく、問題の文章だけ記憶に残ってしまう。
\end{enumerate}
と、枚挙にいとまがない。

親切な指導というのは、上に挙げたことを修正してあげることである。そのためには、
\begin{enumerate}
\item 定義・定理をきちんと理解するために、単元の学習途中にときどき定義・定理を振り返ること。
\item 何の問題か一瞬で判断できないときは、まず、図などを描く習慣をつけること。
\item ある特殊例から一般例へつながらないとしても、切り替えて別の特殊例を試すこと。
\item 問題集の周回は悪い方法ではない。解法の仕組みを身につけるように繰り返すこと。
\end{enumerate}
のようなことを注意するとよいだろう。

ただ、こういうことは人一倍努力しないといけないので大変である。単に数学を捨ててないというだけで、これだけのことができるかは疑わしい。だから皆、数学を捨てることに抵抗しないんだよね。ちなみに``人一倍''の努力って、``$人間\times1$''の努力と感じたら大間違い。人ってのは、普段は自分にある能力の半分も努力してないと思うよ。でも、昔から言われている「人一倍」は「人を一人追加」する意味らしい。てことは、二人分の努力をしなくちゃならないのだから、並大抵ではないね。

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