% 数学的な見方って...
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\section*{▼数学的な見方って$\dots$▼}
何かをするときに、努力の割に効果が上がらないと感じたことはないだろうか。または誰かと比較して、同じようなことを同じ程度時間をかけているのに、見劣りする成果にいらだつことがあるかもしれない。そんなとき決まって言われるのが、取組む姿勢に問題があるんじゃない?って言葉である。たしかにそういう場合もあるだろうが、取組む姿勢に取り立てて悪いところがないとしたら、それはきっと取り組みの視点に問題があるのだ。ものごとの全般について説明することはできないので、数学にからめて説明しよう。
例として高校数学で学ぶであろう\textbf{導関数}を取り上げることにする。関数$f(x)$の導関数とは
\[
f(x) = \displaystyle \lim_{h\to0}\frac{f(x+h)-f(x)}{h}
\]
によって計算されるものだ。この計算はそこそこ面倒であるものの、一度やっておけば、後は結果だけ使えばよいことになっている。たとえば
\begin{eqnarray*}
x & \quad\stackrel{の導関数}{\longrightarrow}\quad & 1 \\
x^2 & \quad\stackrel{の導関数}{\longrightarrow}\quad & 2x \\
x^3 & \quad\stackrel{の導関数}{\longrightarrow}\quad & 3x^2
\end{eqnarray*}
ということが計算されるので、これらの結果さえ覚えてしまえばよい。関数はこの先$x^4$、$x^5$、$\dots$を考えることができ、当然それらの導関数も計算されることになるのだが、これまでの流れを見ていると$x^4$、$x^5$、$\dots$の導関数が予測できるであろう。ほとんどの人は$x^4$の導関数は$4x^3$、$x^5$の導関数は$5x^4$、$\dots$ということに気づく。そして、それは正しい。
さて、問題はここからである。$x^4$の導関数が$4x^3$であることは、どこを見て予測できたのであろうか?
一つの視点は、$\longrightarrow$の右の列に数が$1$, $2$, $3$と並んでいるのを見て、次は$4$であろうと考える。さらに$x$も$1$個、$2$個と増えているので、次は$x^3$であろうと考える。その結果、$4x^3$が妥当であろうと。
もう一つの視点は、上の行から順に左右を見比べて、($1$行目は少し違和感があるが)$2$行目は左の指数と右の係数が$2$で一致している。$3$行目も左の指数と右の係数が$3$で一致している。それなら、次は指数$4$に対して係数$4$が現れるであろうと考える。さらに、右の指数は係数より$1$小さい。それなら、次の指数は$4$の係数に対して$3$になるであろうと考える。その結果、$4x^3$が妥当であろうと。
実は、ものの見方という点では、どちらが優れているということはない。それぞれが真っ当な視点だからだ。しかし、数学的な見方としては違うのである。前者はまったく的外れな視点であり、後者が正統な視点なのである。ちなみに、前者は数学的な見方として的外れであっても、ものによっては真っ当な見方となる。たとえば、昔はやったクイズ(って呼んでいいのか?)に
\[\begin{tabular}{llll}
\textbf{りんご} & にあって & \textbf{すいか} & にない \\
\textbf{ぶどう} & にあって & \textbf{もも} & にない \\
\textbf{オレンジ} & にあって & \textbf{レモン} & にない
\end{tabular}\]
などの例を挙げて、何のことを言っているか答えるものがあった。これは、左右を比較すると混乱が生じるように仕組んであるので、引っかからないためには、``ある''グループの列に視点を向けるのがよい。すると、濁点(だくてん)のあるなしを言っていることが分かる。
おっと、数学的な見方の話だった。さて、導関数というのは$(もとの関数)\longrightarrow(導関数)$に変える操作である。したがって、$x^4$がどうなるかを予測するなら、左右の変化を較べなくてはならない。縦に並んだものを見ても意味がないのだ。なぜなら、さっきの導関数の計算結果が
\begin{eqnarray*}
x^2 & \quad\stackrel{の導関数}{\longrightarrow}\quad & 2x \\
x & \quad\stackrel{の導関数}{\longrightarrow}\quad & 1 \\
x^3 & \quad\stackrel{の導関数}{\longrightarrow}\quad & 3x^2
\end{eqnarray*}
の順に並べられたら、果たして右側の列だけ見て次が$4x^3$であると予測できるだろうか。
結果は同じでも過程が違っていることはよくあるし、数学には別解というものがあるように様々な過程があってもよい。でも、結果が正しいからといって、途中の考えも正しいと思うのは少々浅薄であろう。そのために途中経過は重視されなければならない。いまの例なら、見方が的を射ているかどうか調べるのに、試しに$x^{1996}$の導関数を尋ねてみるとよい。数学的な見方ができていれば$1996x^{1995}$が答えられるはずだが、的外れな見方をしていたら、おそらく答えられないだろう。
そう考えると数学的な見方とは、ものの本質の的確な見抜き方と言い換えてもよい。で、はじめの話題に戻ると、取り組みの視点が悪い---つまり取組むべき対象の本質を正しく見抜けない---と、その後の努力で得られる成果は大して期待できないということになる。数学はできなくてもかまわないけれど、数学的な見方ができるようになろう。そして、さらに重要なことは、ものごとの本質を正しく見抜く視点が身に付いたとき、その視点に沿って努力するだけでなく、「なぜそれが正しいのか」と考えることである。そうしないと、正しい視点を真似るだけになってしまう。「数学的な見方・考え方」がセットで語られるのは、おそらくこんな事情があるのだろう。
\end{document}